大阪府と大阪市で検討されている教育基本条例に対し、教育関係者、大学教授が問題提起をされています。
どのようなアピール内容か、その原文を読んでいませんが、ひとつの問題提起としてうけとめ、議論を深めていく必要があると考えます。
教育では、自分から学ぶ意思がとても大切です。
その意思が生じるような機会、環境、出会い、体験をすべての子ども達に提供していくところに教師や自治体の役割があると思います。
ひとりひとりの個性や可能性を教師や周りの大人が把握し、はぐくみ育てていきたいものです。
*****朝日新聞(2012/02/28)*****
http://www.asahi.com/national/update/0228/TKY201202280178.html
尾木ママ「大阪教育条例ダメ」 山田監督らとアピール文
大阪府と大阪市で検討されている教育基本条例に反対する大学教授らが28日、東京都内で記者会見し、アピール文を発表した。呼びかけ人や賛同者には、教育評論家の尾木直樹さんや映画監督の山田洋次さんら計145人が加わった。
アピール文では「知事が独善的に教育目標を入れれば、教育基本法が禁じる権力の介入と同じ」と指摘。君が代不起立訴訟で1月に最高裁が示した「減給・停職は慎重に考慮する必要がある」とする判断基準を挙げ、「命令通りにならない教職員を免職する規定は最高裁判決に反する」と批判した。
記者会見した呼びかけ人の佐藤学・東京大教授は「脅しや罰則でコントロールしようとすれば教育の根幹を揺るがす。保護者の教師に対する敵意を助長するおそれもある」と話した。
**********
アピール文を出された皆様の関連ホームページ:
http://osaka1117.exblog.jp/i0/
佐藤学さん (教育学者、東京大学教授、前日本教育学会会長)
「大阪府教育基本条例案」は、とんでもない悪法です。知事が教育目標を決め、それに従わない教育委
員は罷免できる。条例の半分以上が、処罰に関する規定になっています。“ 脅迫と恐怖によって教育を変えよう” という、とんでもない条例なんです。
大阪の教師たちは、ほかの都道府県より困難ともいえる教育環境のなか、奮闘しています。“少しでも生徒たちに、質の高い教育を実践したい”、“差別のない教育を保障したい”と頑張っています。それら奮闘する教師を、どうやって支えていくか? 考えるべきは、まずそこでしょう。
教育の根底にあるべきものは「信頼」です。私はどんな状況にあっても、子どもたちや教師たちのことを信頼したい。信頼のなかにしか、教育は成立しないと思っています。
子どもは学び続ける希望を持っている限り、決して崩れません。たとえ生活環境などに困難を抱えようと、学ぶ希望がある子どもは決して崩れないんです。そしてその希望を支えるのは、教師と生徒、保護者たちとの信頼関係です。この信頼関係を破壊する条例案を、決して許してはいけません。
池田知隆さん (元大阪市教育委員長、元毎日新聞論説委員)
「大阪府教育基本条例案」をみると、教育の現場を「支援」するのではなく、基本的に「支配」しようとしていますよね。先生たちを締めつけ、ムチでひっぱたけばどうにかなると思っています。でも、大阪の教育問題は、決して先生の問題ではありません。
大阪は、経済的に苦しい家庭の子どもがほかの地域と比較しても多い。また、両親が離婚している子や、毎日朝食を食べていない子どもの割合が、全国的に高いことも知られています。子どもたちの学力を上げようとするならば、先生を締めつけるのではなく、まずこういった生活環境の厳しさみたいなものをなんとかしていくところから始める必要があると思います。
教育改革とは、長いスパン(幅)で考え、皆で熟議をし、さまざまな教育手法などを検討したうえで行うべきものです。たとえ橋下さんが選挙で選ばれたからといって、教育委員会でほとんど議論されていないことなどを条例に掲げ、上から唐突に「これをやれ!」と言うのは、暴挙で、恫喝です。許されることではないし、教育の現場は無茶苦茶になってしまうことでしょう。
前田佐和子さん (地球物理学者、前京都女子大学教授)
橋下さんは知事になってから、たとえば学力テストの成績の公表、学校選択の自由化、バウチャー(利用券)制などの教育改革案を出しています。これらはすべて、1980年代の終わりに、イギリスのサッチャー首相が国の教育予算をできるだけ削減しようとしてやったことです。しかし起きたことのひとつが格差の拡大です。学力テストで良い結果を出す学校にお金持ちの子どもたちが集中し、地域による貧富の差が大きくなっていきました。子どもたちの学力は低下し、治安も悪くなりました。現在、この改革は失敗だったとされています。
ひるがえって日本はどうでしょう?学術研究の現場を支えている人の中に、30代なかばで年収300万円以下、数年雇用で健康保険も雇用保険もないという人が少なからずいます。高い教育を受けながら、彼らは非常に「安く使われて」いるのです。今や「エリートとそれ以外」という状況ですらありません。しかし橋下さんは、格差をさらに広げるような改革を行おうとしています。私たちは、どのような教育が子どもたちにとって望ましいか、よく考えなくてはならないと思います。
野田正彰さん (精神病理学者、関西学院大学教授)
橋下氏は府知事になる前、自著の中で自分の子どもを殴って育てたことを自慢しています。時には数十分にわたって、殴り続けたこともあるそうです。しかし子どもは、殴ることでよりよく育つものなのでしょうか?あるいは「勉強しろ!」と怒鳴ることで、成績が上がるものなのでしょうか?そんなことは、決してありません。
近代社会は人々に、幼いころからさまざまな抑圧を埋めこみます。たとえば「こんなことをしたら生きていけないぞ」とか、「社会から恐ろしい目にあうぞ」といった恐怖心を、無意識のうちに植えつけているのです。教育とは、このような恐怖や抑圧を子どもたちから取り除き、自分のいきいきした関心を社会に向けさせることに目的があります。橋下氏が掲げる「大阪府教育基本条例」は、抑圧と恐怖、弾圧を徹底しようというもので、教育の目的に真っ向から反するものではないでしょうか?
今、求められているのは本当の意味でのリーダーシップです。脅しや抑圧でなく、現場で働く教師の思いをくみとり、教育に取り組む意欲を高めさせてくれるリーダーや改革こそが、求められているのです。
香山リカさん (精神科医)
教育は子どもの成長に、大きな影響を与えます。でも、どんな教育がどんな影響を与えるのかは、実は簡単に言えることではありません。
たとえば小学校時代、熱意もやさしさもあるが持病を抱え、学校を休みがちな担任の先生がいたとします。その先生は“授業がきちんとできない先生”として、保護者などの間で問題になっていたかもしれない。だけど生徒たちは先生が大好きで、みんなで一生懸命、その先生を支えようとした。その経験が、実はおとなになった時、とても役立ったり、自分を支える糧となったりする場合があります。逆に「これぞ良い教育」という信念を掲げ、授業や教育指導をバリバリ行う先生との出会いが、その生徒を長きにわたって苦しめる、トラウマとなったりする場合などもあります。
「大阪府教育基本条例案」では教育が、会社の売り上げやスポーツ・チームの成績のような、目に見える結果がすぐ出るものだととらえられています。教育とは、すぐに結果が出て、判定できるものとは性質が異なります何がよい教育で教師かは、この条例が言うような単純なものではないのです。
どのようなアピール内容か、その原文を読んでいませんが、ひとつの問題提起としてうけとめ、議論を深めていく必要があると考えます。
教育では、自分から学ぶ意思がとても大切です。
その意思が生じるような機会、環境、出会い、体験をすべての子ども達に提供していくところに教師や自治体の役割があると思います。
ひとりひとりの個性や可能性を教師や周りの大人が把握し、はぐくみ育てていきたいものです。
*****朝日新聞(2012/02/28)*****
http://www.asahi.com/national/update/0228/TKY201202280178.html
尾木ママ「大阪教育条例ダメ」 山田監督らとアピール文
大阪府と大阪市で検討されている教育基本条例に反対する大学教授らが28日、東京都内で記者会見し、アピール文を発表した。呼びかけ人や賛同者には、教育評論家の尾木直樹さんや映画監督の山田洋次さんら計145人が加わった。
アピール文では「知事が独善的に教育目標を入れれば、教育基本法が禁じる権力の介入と同じ」と指摘。君が代不起立訴訟で1月に最高裁が示した「減給・停職は慎重に考慮する必要がある」とする判断基準を挙げ、「命令通りにならない教職員を免職する規定は最高裁判決に反する」と批判した。
記者会見した呼びかけ人の佐藤学・東京大教授は「脅しや罰則でコントロールしようとすれば教育の根幹を揺るがす。保護者の教師に対する敵意を助長するおそれもある」と話した。
**********
アピール文を出された皆様の関連ホームページ:
http://osaka1117.exblog.jp/i0/
佐藤学さん (教育学者、東京大学教授、前日本教育学会会長)
「大阪府教育基本条例案」は、とんでもない悪法です。知事が教育目標を決め、それに従わない教育委
員は罷免できる。条例の半分以上が、処罰に関する規定になっています。“ 脅迫と恐怖によって教育を変えよう” という、とんでもない条例なんです。
大阪の教師たちは、ほかの都道府県より困難ともいえる教育環境のなか、奮闘しています。“少しでも生徒たちに、質の高い教育を実践したい”、“差別のない教育を保障したい”と頑張っています。それら奮闘する教師を、どうやって支えていくか? 考えるべきは、まずそこでしょう。
教育の根底にあるべきものは「信頼」です。私はどんな状況にあっても、子どもたちや教師たちのことを信頼したい。信頼のなかにしか、教育は成立しないと思っています。
子どもは学び続ける希望を持っている限り、決して崩れません。たとえ生活環境などに困難を抱えようと、学ぶ希望がある子どもは決して崩れないんです。そしてその希望を支えるのは、教師と生徒、保護者たちとの信頼関係です。この信頼関係を破壊する条例案を、決して許してはいけません。
池田知隆さん (元大阪市教育委員長、元毎日新聞論説委員)
「大阪府教育基本条例案」をみると、教育の現場を「支援」するのではなく、基本的に「支配」しようとしていますよね。先生たちを締めつけ、ムチでひっぱたけばどうにかなると思っています。でも、大阪の教育問題は、決して先生の問題ではありません。
大阪は、経済的に苦しい家庭の子どもがほかの地域と比較しても多い。また、両親が離婚している子や、毎日朝食を食べていない子どもの割合が、全国的に高いことも知られています。子どもたちの学力を上げようとするならば、先生を締めつけるのではなく、まずこういった生活環境の厳しさみたいなものをなんとかしていくところから始める必要があると思います。
教育改革とは、長いスパン(幅)で考え、皆で熟議をし、さまざまな教育手法などを検討したうえで行うべきものです。たとえ橋下さんが選挙で選ばれたからといって、教育委員会でほとんど議論されていないことなどを条例に掲げ、上から唐突に「これをやれ!」と言うのは、暴挙で、恫喝です。許されることではないし、教育の現場は無茶苦茶になってしまうことでしょう。
前田佐和子さん (地球物理学者、前京都女子大学教授)
橋下さんは知事になってから、たとえば学力テストの成績の公表、学校選択の自由化、バウチャー(利用券)制などの教育改革案を出しています。これらはすべて、1980年代の終わりに、イギリスのサッチャー首相が国の教育予算をできるだけ削減しようとしてやったことです。しかし起きたことのひとつが格差の拡大です。学力テストで良い結果を出す学校にお金持ちの子どもたちが集中し、地域による貧富の差が大きくなっていきました。子どもたちの学力は低下し、治安も悪くなりました。現在、この改革は失敗だったとされています。
ひるがえって日本はどうでしょう?学術研究の現場を支えている人の中に、30代なかばで年収300万円以下、数年雇用で健康保険も雇用保険もないという人が少なからずいます。高い教育を受けながら、彼らは非常に「安く使われて」いるのです。今や「エリートとそれ以外」という状況ですらありません。しかし橋下さんは、格差をさらに広げるような改革を行おうとしています。私たちは、どのような教育が子どもたちにとって望ましいか、よく考えなくてはならないと思います。
野田正彰さん (精神病理学者、関西学院大学教授)
橋下氏は府知事になる前、自著の中で自分の子どもを殴って育てたことを自慢しています。時には数十分にわたって、殴り続けたこともあるそうです。しかし子どもは、殴ることでよりよく育つものなのでしょうか?あるいは「勉強しろ!」と怒鳴ることで、成績が上がるものなのでしょうか?そんなことは、決してありません。
近代社会は人々に、幼いころからさまざまな抑圧を埋めこみます。たとえば「こんなことをしたら生きていけないぞ」とか、「社会から恐ろしい目にあうぞ」といった恐怖心を、無意識のうちに植えつけているのです。教育とは、このような恐怖や抑圧を子どもたちから取り除き、自分のいきいきした関心を社会に向けさせることに目的があります。橋下氏が掲げる「大阪府教育基本条例」は、抑圧と恐怖、弾圧を徹底しようというもので、教育の目的に真っ向から反するものではないでしょうか?
今、求められているのは本当の意味でのリーダーシップです。脅しや抑圧でなく、現場で働く教師の思いをくみとり、教育に取り組む意欲を高めさせてくれるリーダーや改革こそが、求められているのです。
香山リカさん (精神科医)
教育は子どもの成長に、大きな影響を与えます。でも、どんな教育がどんな影響を与えるのかは、実は簡単に言えることではありません。
たとえば小学校時代、熱意もやさしさもあるが持病を抱え、学校を休みがちな担任の先生がいたとします。その先生は“授業がきちんとできない先生”として、保護者などの間で問題になっていたかもしれない。だけど生徒たちは先生が大好きで、みんなで一生懸命、その先生を支えようとした。その経験が、実はおとなになった時、とても役立ったり、自分を支える糧となったりする場合があります。逆に「これぞ良い教育」という信念を掲げ、授業や教育指導をバリバリ行う先生との出会いが、その生徒を長きにわたって苦しめる、トラウマとなったりする場合などもあります。
「大阪府教育基本条例案」では教育が、会社の売り上げやスポーツ・チームの成績のような、目に見える結果がすぐ出るものだととらえられています。教育とは、すぐに結果が出て、判定できるものとは性質が異なります何がよい教育で教師かは、この条例が言うような単純なものではないのです。
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