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「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

叱るということ

2007-12-03 18:43:43 | 子育て・子育ち
築地市場の豊洲移転を強引に押し進める石原慎太郎都知事ではあるが、
彼の考える教育方針の一端で、たまたま、私と見解が同方向を向いている部分があったので、ご紹介する。

本日12/3の産経新聞一面、月に一度の慎太郎知事のコラム。



***文章前段は、略す、引用***

 ある教えに、『努力の目的は、結果ではない。結果を目指すことこそがだ』とあるが、まさにそのためにこそ真の指導者は率いるもの、教える者たちを叱り、時にはつきはなしもしなくてはならないのではないか。
 スポーツの監督が選手達に好かれようとする、教師が生徒に愛されようとする、親もまた子供にただ愛されようとすることは、所詮その場しのぎの保身でしかないという、根本的な間違いについて我々は悟りなおす必要がある。生徒を叱らないでくれと諭す校長は、教育という作業での本質的な責務を忘れているとしかいいようがない。そしてまた、子供を叱ってくれた教師に抗議してくる当節の多くの親達は、教育としつけの場で先生達に何をきたいするというのだろうか。動物行動学者のコンラート・ローレンツがいった、『幼い頃肉体的な苦痛を味わったことのない者は長じて不幸な人間にしかならない』という人間成長の原理を悟りなおすべきに違いない。
 彼のいう肉体的苦痛とは決して虐待とかいじめなどではない。端的に、暑さ寒さを我慢すること、つらい作業で苦労するといったことでしかない。そうした試練の堆積こそが大脳生理として人間の脳幹を鍛え、正当な喜びや悲しみ、怒り、発奮をそなえた、まともな強い人間を育てるのだ。
 叱るべき相手に好感を持たれようと思う心は、実はその人間の弱さ、卑しさを露呈したものでしかないということを、その立場にある監督、教師、そして親達が悟ることなくして、率いられる者たち、子供達がどう救われることだろうか。

***転載終わり、産経新聞2007/12/03より***

 区議会でも、ときどき“モンスター・ペアレンツ”なるものが、話題になる。幸いにして、私のクリニックでは、まだお会いしたことがない。このような親がいるから、校長先生は、「子どもを叱らないで」というのだろうか?
 あすなろの木の新企画『小学生のための木の部屋』では、子を預けた親に「どうぞ叱ってください。」と言われる。

 「叱る」、「叱られる」ということは、人間の成長に必要であることに私も同感である。
 地域で、子ども達を見守り、必要な時は、叱る大人がいる、これこそが、あるべき姿だと思う。
 ちなみに、「怒る」ことや、「体罰」は、絶対にいけない。子どもをよく見ていて初めて、「叱る」ことができるのである。当然、ほめるべき時は、ほめることも忘れてはならない。
 
 
 

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