花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「賭けごとと人類の歴史」

2010年09月07日 17時46分13秒 | ちょっと気になること
日本相撲協会が暴力団排除を宣言しました。 外部識者による調査委員会の権威をかりて日

本相撲協会が野球賭博問題解決にむけて重い腰を上げました。 野球賭博に関与したとされ

て解雇させられた元大関琴光喜の引退相撲を行ってほしいとの要望が力士会から出されたよ

うです。 御世話になった力士が多いからという理由らしい。 引退相撲の収益金は引退し

た力士のその後の生活費になるということで、角界の伝統的な典型的な相互扶助であり、通

常の引退の場合はよいと思いますが、賭博行為で解雇させられた力士の場合には、引退相撲

を行うというのは、「マッタ」と思います。

一応、相撲協会幹部の預かりという形になっているようですが、力士会からの要望があった

時点で、相撲協会幹部が縷々諭して、要望を撤回させなかったのか。 相撲協会幹部は、琴

光喜の引退相撲を実現させてやりたいと、内心では思っているのではないかとも勘ぐってし

まいます。 力士・相撲協会幹部は、ここに至っても、全く内向きの論理でしか考えられな

い人たちばかりのようです。 そういえば、以前解雇された元横綱朝青龍の断髪式も行うと

か、行わないとか。 どうもはっきりしません。


さらに、相撲協会幹部(理事)の認識を疑いたくなるのは、辞任した理事長経験者がいまだ

に理事職にとどまっていることです。 組織のトップは責任をとったら、一切の役職から離

れるというのが常識と思います。 あらためて理事選挙を行って、理事を一新して頂きたい

と願っています。

ものごとをはっきりと決着させないのが、相撲界の伝統なのかもしれません。 

初代若乃花が死去されました。 上手投げや呼び戻しで、大きな体の相手を豪快に投げ飛ば

していたのが思い出されます。


相撲界では、問題になった賭博行為は、日常茶飯事に行われていたようで、罪の意識は全く

なかったのではないかと思われます。 今でも、世間が悪いと騒いるので、一応神妙にして

いるが、本心では何が悪いのかと分からないと思っている親方・力士が多いのではないでし

ょうか。

相撲フアンとしては、世間の常識からかけ離れた相撲界の常識を、一日も早く豪快に投げ飛

ばして、さっぱりとして頂きたいと願ってやみません。



賭博の歴史は非常に古く、紀元前3000年から前2000年頃には、エジプトやインドなど古代文

明を起こした民族では、遺跡や出土品から賭けごとが行われていたことが分かっています。

 日本では、「日本書紀」に「天武天皇の14年(685年)、大安殿に御し、王卿をして博戯

せしむ」とあります。 博戯とはスゴロクだったと考えられていますので、このころには、

日本でも賭けごとが行われていたことになります。 持統天皇3年(689年)には早くも「ス

ゴロク禁断の令」が発布されました。 以降、江戸時代に特別に許可された「一時富くじ」

を除き、日本では一貫して賭けごとは禁止されてきました。 大正12年(1923年)に旧競馬

法が制定され、公営での賭けごとが認められましたが、実社会では、賭けごとが連綿として

行われてきました。 時代劇でよく出てくる「丁半(ちょうはん)」等。



世界的には賭博と言えばカジノでしょう。 世界120カ国以上で合法化されています。  

アメリカでは10の州で認められていますが、ネバダ州のラスベガスはあまりにも有名です。

ヨーロッパでは、イギリスにはブックメーカーと呼ばれる公認された民営の賭博会社が数

千社あり、カジノは120軒以上あります。 ドイツ(バーデン・バーデン)、フランス

(カンヌ、ニース)、モナコ(モンテカロル)、イタリア(ベネチア)、等が有名。 アジ

アでは、中国南部のマカオはカジノ都市として近年一躍有名になりました。 これに刺激さ

れてか、シンガポールも2010年2月ににカジノを解禁しました。 他に、韓国、マレーシ

ア、フィリピン、などもカジノがあります。



日本では、東京都の石原知事が公営カジノ開設を訴えていますが、現在日本の公営ギャンブ

ルは次の通りで、「公営競技」と、「公営くじ」があります。 なお、ギャンブルの要素を

持つ遊技として、パチンコ、スロット、マージャン(雀荘)がありますが、これらは「風俗

営業法」の規制を受けています。



(名称)   (売上:2006年度)    (所管)    (根拠法律)

<公営競技>

中央競馬    2兆8158億円      農林水産省    競馬法

地方競馬      3760億円       〃        〃

Boat Race(競艇) 9703億円      国土交通省    モーターボート競走法

競輪        8610億円      経済産業省    自転車競技法 

オートレース    1098億円       〃       小型自動車競走法

合計      5兆1329億円



<公営くじ>   

宝くじ       1兆 419億円     総務省     当せん金付証票法

スポーツ振興くじ     897億円     文部科学省   スポーツ振興投票法

 計        1兆1316億円



『参考』

パチンコ・パチスロ業界の売上(2008年度) 21兆7160億円




刑法185条「賭博在」

「賭博をしたものは50万円以下の罰金または科料に処する。但し、一時の娯楽に供する物を

 賭けたに留まるときは、この限りでない。」


刑法187条「富くじ発売等」

「富くじを発売したものは、2年以下の懲役または150万円以下の罰金に処する」



――賭博は法的には次のように解釈されています。

  ・賭博とは、偶然の勝敗により財物や財産上の利益の特喪を争う行為を言います。賭け

   マージャン、賭け将棋、さいころ賭博などが典型です。 パチンコもこれに含まれま

   すが、景品交換にとどまる限り、「一時の娯楽に供する物」の取得にあたりますの

   で、罪になりません。 景品を換金すると、刑法に抵触する可能性があります。

   マージャンも金品のやりとりを伴わずに純粋に競技として行う場合や、一時の娯楽に

   供する物を賭けたに留まる時には犯罪になりませんが、高額な金品を賭けた場合には

   賭博として犯罪になる可能性があります。 ゴルフでの賭けで、‘チョコレート’程

   度の場合は「一時の娯楽に供する物」と見なされます。



賭博と言えば、動物行動学者の竹内久美子氏の「賭博と国家と男と女」(日本経済新聞社)

があります。 


‘あとがき’より引用します。

「人間を人間たらしめた進化の原動力――それは浮気だ、と数年前に書いた。その考えに今

も変わりがあるわけではない。

けれども浮気だけではどうにも足りないような気がしてきた。たとえば人間の数の能力。そ

の獲得の過程をどう説明すればよいのだろうか。国家は、社会は、階級は、はたしてどのよ

うにして形成されてきたのだろうか。そうして思いついたのが‘賭博’である。賭博が人間

と人間社会の成立にどうかかわったか、人間の文化にいかに貢献しているかということにつ

いては、本書で述べた通りである。」


著者によれば、

「賭博の歴史は火の使用と同じくらいに古い。 原始の人々は、経験では分からないことに

直面した時に、たとえばどちらの方向に行けば獲物に出会えるかと言うときなど、石や棒を

投げて決めた。それが長じて賭けになった。 また、古代社会では人知の及ばないことは、

しばしば占いによって見けられていたし、裁判の手段にもなっていた――中国の亀甲占い、

ハンムラビ法典の熱湯審の例―  また、多くの占いの用具が賭博の用具を兼ねていた。

庶民の男が賭けるものは往々にして妻であり、王は領土でさえも賭けていた。王は賭博の主

催者である。 なにしろ賭けの結果は神のみぞ知ることである。 イカサマ師を使って王が

賭けを的中させれば、神との仲介者としての王の神秘な力、権力を示すことになり、他方、

巨大な富を手中にすることも出来た」と指摘しています。



著者は賭博と国家の関係を次のように推理しています。 

「原始社会では集落の中心の広場などでは、男たちが毎日のように賭博に興じていた。 賭

場に出入りしているのは、妻のしりに敷かれにくい男、家庭の外に出ていき、男だけの社会

を作ろうとする男である。その社会には当然のことながら、順位が出来る。賭博は、その順

位をますますはっきりしたものに変えていく。 順位の高いものがその集団の統率者として

君臨していくようになる。 そして、多くの他の集団との争いに勝ちぬいた者が、国王(君

主)になった。 君主と部下(博徒)の集団が国家の始まりではないだろうか。


現在の世界各国の中で、君主国では賭博が非常に盛んである。たとえば、イギリス、モナ

コ、スウエーデン、タイ。 こうして例をあげてきてみると、私は一つの法則を見出したよ

うな気がする。それは、君主のいる国は賭博に対して大変寛容であるということ。 いや、

賭博の盛んな国では君主制が廃止されていないと言ったほうがよいかもしれない。 ともか

く、賭博と君主制との間には、何とも言えない相性の良さのようなものが感じられる。」



そして、次のように結ぶ。

「これが私の考える国家成立の一つのストーリーであり、単純なモデルである。 部族間の

争いにしても、賭博だけが原因となって起こる訳ではない。しかし、私の考えでは、賭博抜

きでの国家(君主国)の成立など到底あり得ないのである。君主は元はと言えば賭博の胴元

だったのである」



この書物には次のことも書かれています。 うなずくことばかりで、非常に興味深い。


・妻が威張っていると夫婦は円満

  クマノミがイソギンチャクに守られた狭い空間でイソギンチャクと共生している世界

  を観察。 体の大きなのがメスで、小さなのがオス。  クマノミはすべてオスとし

  て生まれ、一番体の大きく強ものが、メスに性転換する。 メスの体が大きい方が繁殖

  に有利と推測する。人間は、男の行動が制約される一夫一妻制を前提とすると、クマノ

  ミのようなカカア天下がベスト。遺伝子という観点からすれば、カカア天下が夫にとっ

  ても妻にとっても望ましい夫婦の在り方であると結論づける。



・夫が威張っていると国家は安泰

  霊長類の中でマントヒヒは亭主関白の最たるもので、一夫多妻のハーレムを形成して

  いる。オスが自由に行動し、外部(即ち社会、ひいては国家)でオスだけの順位を

  作っている。 このことがマントヒヒ社会を安泰にしている。 人間の男が亭主関白

  で、‘男社会’を作り‘国家’のために働くことが国家のためには非常に重要なことを

  示唆。 



・芸者なくして近代日本はありえたか

  伊藤博文、勝海舟、坂本竜馬はじめ幕末・維新の立役者は、いずれも妻の尻に敷かれ          
  
  ないマントヒヒ型で、好色の道を追求するタイプの男が活躍している。 組織の指

  導的立場にある男が好色でないことは決してあってはならない。好色であること

  は、優れた指導者の必須の条件であると思う。そして、これらの好色な男を支えた

  のが芸者で、維新の真の立役者、近代日本の影の功労者は芸者である。


‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥
  <昔から‘英雄色を好む’といわれています。 「エネルギッシユ = 好色」 と

   いうことだと思います。   古きよき時代に大物経営者といわれた人や、大物政

   治家と言われた人は、高級料亭で粋な遊びをしていたといわれていました。 

   今の時代、大物経営者や大物政治家といわれる人が出てこないのは、このような粋

   な遊びを許さない潔癖を要求する社会の風潮と関係があるのかも知れません。 

   小粒な政治家には国民をうならせるような天下・国家を論じる能力も備わりません。

   クリーンだけが売り物の無能な小粒の政治家たちに、わが国の未来を託してよいの

   かと思います>
    


・一夫多妻のすすめ

  男の行動が制約を受ける一夫一妻社会では、男はケチで陰険、恰好よくもなければ、取

  り立てて才能を必要とする訳ではなく、また、女は優美や知性という言葉からは程遠

  く、夫を尻に敷き、子育てとワイドショーにしか興味を示さないようになり、男女共に

  視野が狭くて、面白みに欠ける人間が増えてくる。

  逆に、男が外部出自由に行動できる一夫多妻社会では、複数の女を巧みに操作、調停す

  ることにより、男は亭主としての能力を進化させる(人間全体、国家の運営に通じ

  る)。 女は、ライバルに打ち勝つために、より魅力的な方向へと進化する。

  勝海舟は9人の子供をもうけたが、正妻との間に4人、愛人4人とのそれぞれ一人

  ずつ。

  福沢諭吉も9人の子供がいたが、すべて妻との間に出来た子供。 遺伝子的に見れば、

  勝のケースは伝染病対策に大変有効。 さらに、女性一人当たりの出産抑制につなが

  り、女性の側から見れば、精神的に開放される。 日本の女性が子供を産みたがらない

  のは、一夫一妻制のためかもしれない。,

  皇室を敬愛し、永続を願う著者は、皇室での側室の復活を提案する。 


  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  ‥  
  <数年前、皇室に男子がなかなか誕生しないので、皇位継承問題がマスコミをにぎわせ

   ていました。当時一部では、旧皇族の宮家復帰案も提唱されましたが、なんとなく違

   和感を覚えます。 竹内久美子氏の提案を関係者はどのように受け止めておられるの

   でしょうか。’そんな時代ではない’の一言で片付けられているのかも知れません。    >



  



(2010年9月7日   ☆きらきら星☆)
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