花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「インドネシアのさまざまな人々」

2010年04月03日 17時53分59秒 | インドネシア
心のとも インドネシア(4)

「インドネシアのさまざまな人々」


インドネシアの人口は2億2千万人で、350の民族・部族があると言われています。最大

の人口を占めるのはジャワ島中部・東部に住むジャワ人で約6000万人、次いでジャワ島

西部に住むスンダ人が約3000万人、その他バリ人、バタック人などがおり、また中華系

の人々も600万人います。インドネシア国籍をもつ中国系住民は華僑ではなく、“華人”

と呼ばれます。 これらの民族は各々の言葉をもっており、共通語が「バハサ・インドネシ

ア」(インドネシア語)と言われているものです。



1990年の統計では、「国民の68%が日常的には部族語だがインドネシア語が理解できる。

15%が日常的にインドネシア語を使用、17%が理解できない。」と報告されています。

会社のスタッフ(スンダ人)によると、家庭内ではスンダ語で話し、会社では共通語のイ

ンドネシア語で話すそうです。 また、親子の間では民族の言葉で話すが、子供どうしでは

インドネシア語というケースもあるとのことです。都市に住む若い世代には部族の言葉が話

せない人も出てきているようです。


各民族・部族ごとに身長、骨格、顔つき、肌の色、髪の毛の形や色、目の色など特徴があり

ます。スラウエッジ島北部に住むマナード人は小柄で色白で美人女性の多いことで知られて

いますし、スンダ人も肌の白い人が多く、こちらもスンダ美人として有名です(もともとス

ンダとは白い人を意味するといわれています)。 

南太平洋のマルク諸島やイリアンジャヤ(ニューギニア島西部)の人々は、色黒で髪の毛が

ちじれています。アフリカの黒人と間違いそうです。 インドネシア人は一般的に肌の色が

黒見えますが、生まれつき黒いわけではありません。その証拠に、生まれて間も無い赤ちゃ

んは色が黒くありませんし、日本に長く住んでいるインドネシア人の肌の色は、日本人とあ

まり変わりません。要するに赤道直下の直射日光で日焼けして黒くなっているのです。な

お、スマトラ島、カリマンタン(ボルネオ)島には、赤ちゃんのお尻にモンゴロイドの青い

斑点があり人々がいます。カリマンタンのダヤック族は日本人とそっくりの顔や肌の色をし

ています。彼らの言い伝えでは、祖先は大陸から渡ってきたとのことです。


さらに、性格の違いから職業の適性があり、人事の仕事は高学歴のジャワ人、現場作業員は

勤勉なジャワ人、経理は数字に強い中華系か又はスマトラ島系の人。 営業的な仕事も社交

的な中華系かスマトラ島系が向いていると良く言われます。 実際に採用してみてこのこと

はあたっていると実感しています。なお、ジャワ島東部の島に住むマドゥーラ人は産業廃棄

物業を手がけていることが多く、我々の会社のある日系の工業団地でも、産業廃棄物の収集

はマドゥーラ人しか出来ないようになっていたようです。会社のスタッフはマドゥーラ人を

マフィアと呼んでいました。 


各民族の特徴を次ぎの通り形容しているものがあり、実によくできているので紹介します。

「熱烈なアチェ人、雄弁なバタック人、利口なミナンカバウ人、呑気なマレー人、陽気なス

ンダ人、繊細なジャワ人、粗忽なマドゥーラ人、真摯なバリ人、がさつなダヤク人、勤勉な

マナード人、頑固なトラジャ人、勇猛なブギス人、奇特なアンボン人、等」。



宗教については、建国5原則の中で、国民は唯一の最高神を信じなければならないこととさ

れ、イスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンズ-、ブッダの5宗教のみを国家が認め

ています。現在国民の約85%がイスラム教徒です。しかし、インドネシア人の行動の土台

には土着信仰の様相が色濃く残っています。 一例を挙げると、東ジャワのブリタールにあ

るスカルノ廟の門はヒンズー様式になっています。 また、ジャワ島各地にイスラム教布教

の聖人の墓所を崇拝する習慣があります。たとえば、中部ジャワ州チレボンにあるハサヌデ

ィンの墓所への参拝はあまりにも有名です。 このようなことはイスラム教では禁止されて

いるものです。 アラブのイスラムとは同質とは見なされない理由がここにあります。



このような多民族・多文化・多宗教のインドネシアを国家としての統一を保つために、初代

スカルノ大統領が定めたスローガンが“多様性の中の統一”です。 それと、最大人口で自

分の出身部族の言葉でもあるジャワ語ではなく、単純で商業用の言葉として発展してきたム

ラユ語(マレー語)に由来する“バハサ・インドネシア”を共通語にとして採用したこと

は、先見の明があると思います。 ジャワ語はスルタン(王様)を頂点とする階級社会で使

われた言葉であり、敬語なども極めて難解で、文字もインドの古代文字を連想させる独特な

もので、ジャワ人以外には到底すんなりとは受け入れられなかったろうと思われます。いず

れもスカルノ初代大統領の偉大な功績の一つといえます。


(2003年メモで若干古いですが)
(花熟里)
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