花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

(2018)「7月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2018年07月27日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
7月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。夏・7月に因み、「七夕さま」、「うみ」、「蛍」、「ほたるこい/あっちの水」、「花火」を始め、よく知られている曲ばかり16曲を歌いました。

私の住んでいる地域に、“せせらぎを蛍の里にする活動”をしているグループがあります。蛍の幼虫をせせらぎに放流し、育てているのですが、カルガモやコサギなどがこの幼虫を食べてしまい、蛍が成長するまで苦労の連続だったようですが、活動をされている方の話では、今年は無事多くの蛍が舞ったとのことでしたが、7月下旬で蛍は終了とのことです。私は夜間の外出は控えているので、蛍を見ることができませんでしたが、いつの日か、見てみたい思っています。

「おゝ ブレネリ」はよく知られた歌ですが、この会ではここ数年歌っていないようで、皆さん久しぶりに歌ったと言っていました。この歌が日本に入ってきたのは、1949年(昭和24年)です。訳詩者の松田稔は、日本リクリエーション協会の会長で、アメリカのYMCAから派遣されてきたR.L.ダーギンから1冊の歌集を贈呈されましたが、その歌集の中の「おゝ ブレネリ」に注目し、一番と2番を訳詩(作詞)します。後日、東大音感合唱団が3番と4番を補作しています。 
終戦後、戦前への批判から社会運動の一環として「うたごえ運動」が盛んになり、都市では「歌声喫茶」が誕生し、ロシア民謡、労働歌などが好んで歌われました。この「おゝ ブレネリ」も最もよく歌われた曲の一つで、東大音感合唱研究会が付け加えた詞は、当時の世相を表していると言われています。



1、うみ(林柳波作詞、井上武士作曲)
2、あの町この町(野口雨情作詞、中山晋平作曲)
3、七つの子(野口雨情作詞、本居長世作曲)
4、おゝ ブレネリ(松田実訳詩、スイス民謡)
5、静かな湖畔(作詞・作曲者不詳)
6、サンタルチア(堀内敬三訳詩、ナポリ民謡)
7、時計台の鐘(高階哲夫作詞・作曲)
8、知床旅情(森繁久弥作詞・作曲)
9、ほたるこい/あっちの水(わらべうた、和田かずま編曲)
10、蛍(井上赳作詞、下総皖一作曲)
11、七夕さま(権藤はなよ・林柳波作詞・下総皖一作曲)
12、花火(井上赳作詞、下総皖一作曲)
13、叱られて(清水かつら作詞、弘田龍太郎作曲)
14、浜千鳥(鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲)
15、浜辺の歌(林古径作詞、成田為三作曲)
16、埴生の宿 (里見義作詞、ビショップ作曲)・・(H29/11~年間の課題曲)


『おゝ ブレネリ』
スイス民謡
詩詞:松田 稔、補詞(三番・四番):東大音感合唱研究会

(一)
 おおブレネリ あなたのお家はどこ
 わたしのお家は スイッツランドよ
 きれいな湖水の ほとりなのよ
 (以下繰り返し)  
  ヤッホ ホトゥラララ
  ヤッホ ホトゥラララ
  ヤッホ ホトゥラララ
  ヤッホ ホトゥラララ
  ヤッホ ホトゥラララ
  ヤッホ ホトゥラララ
  ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ

(二)
 おおブレネリ あなたの仕事はなに
 わたしの仕事は 羊飼いよ
 おおかみ出るので こわいのよ
 (繰り返し)

(三)
 おおブレネリ わたしの腕をごらん
 明るいスイスを つくるため
 おおかみかならず 追い払う
 (繰り返し)

(四)
 おおブレネリ ごらんよスイッツランドを
 自由を求めて 起ち上がる
 たくましいみんなの 足どりよ
 (繰り返し)
            」 





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