花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

聖徳太子 遺跡霊場 

2011年02月17日 17時38分55秒 | リハビリ・健康管理
私は、若い時分に兵庫県内・大阪市内・大阪府内の各事業所に勤務しました。 関西勤務

ということもあり、京都や奈良などの有名な寺社を訪れましたが、会社の先輩に連れられ

て、札所(霊場)巡り‘もどき’もしました。 即ち、御朱印帳をもって「西国三十三箇

所」び「新西国三十三箇所(+客番五箇所)」の札所を巡りました。 その後、東京への

転勤や海外勤務もあり、札所巡りは遠のいてしまい、御朱印帳のことなどすっかり忘れて

いましたが、先般、このブログで触れた「鶴林寺(兵庫県加古川市)」≪2011年1月15日

付の記事で滝野瓢水の句碑あり≫ は拝観したことがあり、そのときの御朱印帳が残って

いることを思い出しました。 鶴林寺 は「聖徳太子御遺跡霊場(二十八箇所)」の第二

十七番(並びに新西国札所の第二十七番)の寺です。 この「聖徳太子御遺跡霊場」は西

国・新西国の札所ほどには知られていません。鶴林寺を新西国の札所として拝観した時

に、住職の方から聖徳太子霊場でもあると教えてもらったことを思い出しました。 聖徳

太子霊場として御朱印を頂いたのは、二十七番の鶴林寺と二十八番の飛鳥寺のみです。

 

聖徳太子御遺跡霊場の御朱印帳(昭和46年7月版)の序文より転記します。

『今から千三百年前、聖徳太子は海外と国交を結び、彼地の優れた文化を移入して国民生

活の向上を計りになり、また十七条の憲法を制して吾等の指針をもお示しいただいた。殊

にその第一条にある和の精神は、今日の世界において一層の必要が感ぜられる。このとき

に当たり、太子の御遺跡を巡礼し、膚を以って太子の偉大な御精神に触れたいと思うもの

である。』






第二十七番  鶴林寺  (刀田の太子)

『聖徳太子が奏川勝に命じて建立遊ばした寺とつたえ、欽明天皇十三年仏教伝来の当時高

麗僧恵便のいたのは此の地と云い、又、敏達天皇十二年帰朝の日羅と太子とが面会された

のもこの処と云い伝えている。建築では国宝本堂・太子堂・重文常行堂・袴腰鐘楼・護摩

堂・行者堂がある。寺宝には太子絵伝・太子画像・銅造聖観音立像・朝鮮鐘以下重文十三

点がある。銅造聖観音立像は法隆寺夢違観音と並び称せられる奈良時代の優作である。』







第二十八番  斑鳩寺  (斑鳩の太子)


『聖徳太子が推古天皇のために勝曼経・法華経を講讃遊ばした御礼として賜った播磨の水

田五十万代の中央にあり、もと寺領を管理する別院のようなものであったが、後寺になっ

たと思われる。現在の境内地五,三〇〇余坪・仁王門・三重塔(重文)・鐘楼・太子堂・

講堂・庫裏・宝庫、並びに塔頭宝勝院が甍をつらね大伽藍の面目を今も保持している。太

子堂には植髪霊像を祀り、講堂には釈迦・薬師・観音の三体を安置するが尚寺宝として日

光月光十二神将・紺紙金泥釈迦三尊十六羅漢図、太子勝曼経講讃図等があり、共に重文で

ある。』






【聖徳太子 御遺跡霊場】

一番   四天王寺      (和宗総本山:大阪市天王寺区):新西国壱番

二番   大聖勝軍寺     (真言宗:大阪府八尾市)

三番   道明寺       (真言宗御室派:大阪府藤井寺市)

四番   西琳寺       (高野山真言宗:大阪府羽曳野市)

五番   野中寺       (高野山真言宗:大阪府羽曳野市)

六番   叡福寺       (【太子宗】単立寺:大阪府太子町):新西国客番

七番   世尊寺       (曹洞宗:奈良県大淀町) 

八番   橘 寺       (天台宗:奈良県明日香村):新西国十番

九番   定林寺       (【浄土宗】無住寺:奈良県明日香村)

十番   金剛寺       (浄土宗:奈良県明日香村)

十一番  飛鳥寺       (真言宗豊山派:奈良県明日香村):新西国九番

十二番  向原寺       (浄土真宗本願寺派:奈良県明日香村)

十三番  日向寺       (浄土宗:奈良県橿原市)

十四番  法隆寺       (聖徳宗総本山:奈良県斑鳩町)

十五番  中宮寺       (聖徳宗:奈良県斑鳩町)

十六番  法輪寺       (聖徳宗:奈良県斑鳩町)

十七番  法起寺       (聖徳宗:奈良県斑鳩町) 

十八番  成福寺       (【聖徳宗】廃寺:奈良県斑鳩町)

十九番  達磨寺       (臨済宗南禅寺派:奈良県王子町)

二十番  信貴山 朝護孫子寺 (信貴山真言宗総本山:奈良県平群町)

二十一番 平隆寺       (融通宗念仏宗:奈良県三郷町)

二十二番 額安寺       (真言律宗:奈良県大和郡山市)

二十三番 大安寺       (高野山真言宗:奈良市大安寺町)

二十四番 広隆寺       (真言宗御室派:京都市右京区)

二十五番 六角堂       (天台宗:京都市中京区)

二十六番 中山寺      (真言宗中山寺派大本山:兵庫県宝塚市):西国二十四番

二十七番 鶴林寺       (天台宗:兵庫県加古川市):新西国二十七番

二十八番 斑鳩寺       (天台宗:兵庫県太子町):新西国三十二番


この中で、一番 四天王寺、 八番 橘寺、 十四番 法隆寺、 十五番 中宮寺、 

二十四番 広隆寺、 二十六番 中山寺、 は、聖徳太子霊場としてではなく、一般の拝

観や西国・新西国の霊場として拝観しています。 西国・新西国の霊場の御朱印帳は残念

ながら紛失してしまっています。



聖徳太子の時代は、中国大陸では「随」が統一をなしとげ、周辺諸国に朝貢の圧力をかけ

始めます。朝鮮半島の百済や新羅、高句麗などのから多くの渡来人が渡ってくるようにな

り、彼らが新しい技術や仏教や様々な文化を伝えます。 太子はこのような急速な国際化

(開国)が求められる時代に必要なのは、まず国内の諸豪族が、小異を捨てて大同につ

き、一致して纏ることが必要なこと、さらに、自分たちとは全く異なる考え方の人々を排

除することなく、お互いの違いを認めあい、理解し、尊重して、対話をすることで物事を

解決すべきであると説いているように思われます。 「随」の煬帝あての有名な国書(日

出ずるところの天子・・・で始まる)にも示されている通り、太子は当時の世界で唯一の

超大国である「随」に対して臆することなく、毅然として対等な国交を求めています。

また、17条の憲法の中で聖徳太子が示された精神や心構えは、今の日本でもそのまま当て

はまるのではないでしょうか。 政治家の皆さんには、国益とは何かを改めて聖徳太子か

ら学んでいただきたいと思います。さらに、政治家・公務員の皆さんには、この17条の憲

法を是非読んでいただきたいと切に思います。



「聖徳太子 17条の憲法」【金治勇『聖徳太子のこころ』(大蔵出版)を要約引用】

1 和をなによりも大切なものとし,いさかいを起こさぬことを根本としなさい。

   「和を以って貴しとなし、忤(サカラ)うこと無きを宗とせよ」


2 あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。三つの宝とは,仏・法理・僧侶のことである。   
 
   「篤(アツ)く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧なり」


3 天皇の命令を受けたならば、必ず謹んでそれに従いなさい。

    「詔(ミコトノリ)を承(ウ)けてはかならず謹め」


4 政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本に持ちなさい。 

    「群卿百寮(グンケイヒャクリョウ)、礼をもって本(モト)とせよ」


5 官僚たちは饗応や財物への欲望を捨て、訴訟を厳正に審査しなさい。

    「餮(アジワイノムサボリ)を絶ち、欲(タカラノホシミ)を棄てて、明かに訴

    訟(ウッタエ)を弁(ワキマ)えよ」


6 悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。

   「悪を懲(コラ)し善を勧むるは、古の良き典(ノリ)なり」


7 人にはそれぞれ任務がある。それにあたっては職内容を忠実に履行し,権限を乱用

  してはならない。
    
    「人各(オノオノ)任有り。掌(ツカサド)ること宜しく濫(ミダ)れざるべ

     し」


8 官吏たちは朝早くから出仕し,夕方おそくなってから退出しなさい。

    「群卿百寮、早く朝(マイ)りて、晏(オソ)く退け」


9 真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければならない。事の善し悪しや成否

  はすべて真心のあるなしにかかっている。

    「信はこれ義の本(モト)なり。事毎(コトゴト)に信あれ。それ善悪成敗は必

    ず信にあり。」

10 心の中の憤りをなくし、憤りを表情に出さぬようにし、ほかの人が自分と異なった

   ことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれ

   だと思うことがある。

     「忿(ココロノイカ)りを絶ち、瞋(オモテノイカリ)りを棄て、人の違(タ

     ガ)うを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執(ト)るところあり。」


11 官吏たちの功績・過失をよく見て、それに見合う賞罰を必ず行いなさい。

      「功過(コウカ)を明らかに察して、賞罰必ず当てよ」


12 国司国造(地方の役人)は勝手に人民から税をとってはならない。

     「国司国造、百姓(ヒャクセイ)に斂(オサ)めとることなかれ」


13 色々な官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するように   
  
   しなさい。前のことなどは自分は知らないと言って、公務を停滞させてはならな

   い。
   
     「もろもろの官に任ずる者同じく職掌を知れ。それあずかり聞くことなしと言

      うを以って、公務を妨ぐることなかれ。」


14 官吏たちは嫉妬の気持ちを持ってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、 
 
   相手もまた自分を嫉妬する。 嫉妬の憂いは果てしない。

    「群卿百寮、嫉妬あることなかれ。われすでに人を嫉(ネタ)めば、人ま

        たわれを嫉む。 嫉妬の患いその極(キワマリ)を知らず。


15 私心を捨てて公務にむかうのは、官吏たるものの道である。

      「私に背きて公に向うは、これ臣の道なり」


16 人民を使役するには、その時期をよく考えてする、とは昔の人の良い教えである。

       「民を使うに時をもってするは、古の良き典なり」


17 ものごとは一人で判断してはいけない。必ずみんなでよく議論して判断しなさい。

   ささいなことは、必ずしも皆で議論しなくてもよい。

      「それ事は独り断(サダ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(アゲツ

      ラ)うべし。少事はこれ軽(カロ)し。必ずしも衆とすべからず。」


 

このブログを書きながら中途に終わった札所巡りを復活させたいという思いが強くなって

きています。 今は東京に住んでいますので、関東の札所巡り((秩父三十四箇所、坂東

三十三箇所など)も考えられますが、やはり、かつて行ったことのある関西地区の札所巡

りに気持ちが向きます。 但し、今は麻痺した体のリハビリを優先して、退職し、体調に

も自信がついた時に札所巡りができたら良いと思っています。


(2011年2月17日 ☆きらきら星☆)

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