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J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

「掛川城」

2006年09月17日 | ドライブ・旅行
この掛川城は、今「NHK」の大河ドラマ「功名が辻」の山ノ内一
豊の「城」で有名だが。当地でも観光資源として「山ノ内一豊」を
大々的に宣伝していた。
私はこの城が目当てで行った訳では無かったので、多少面食ら
った。
実は近くの袋井市愛野にある、「小笠山総合運動公園」(エコパ)
で「全日本学生フォーミュラー大会」(もの作り・デザインコンペディ
ション)が在り、私の息子達が作ったフォーミュラーカーが参加す
るので。見学に行ったのです。
その帰り道、ついでに観光と洒落込みました。

此の二の丸御殿は、資料によると、現存する城郭御殿としては、
京都二条城など、全国4カ所しかない貴重な物のようで、昭和
55年国の重要文化に指定されています。
矢張り安政の地震で倒壊しましたが、1855年(安政2年)から
6年掛けて再建され、前出の様に戦後まで使用された様です。
平屋造で、当時の身分制度が解るような、各部屋の造で書院
(殿様の部屋)等は、廊下まで畳が引いてあるのに下級武士の
部屋は暗く板の間で、階級に従って部屋の様子が変わって来る
のが、興味深い。
現代では、何もこんな所まで差を付ける事も無かろうに・・・・と思
うが、当時の支配体制を維持する為には必要な事で有ったので
しょう。

天守閣からの眺望は素晴らしく、360度見渡せ、街の様子が一
望出来、この様な場所を良く探した物だと感心する。
初代城主は駿河守護大名「今川義元」の命により、重臣「朝比奈
泰熈」が築いた様です。 以来18代程城主が代わり、山ノ内一
豊は第6代目に当たるようです。
その後「山内対馬守一豊」は関ヶ原役の恩賞により土佐高知城
主24万石へ転封と成る。
 
再建された城の内部は、未だ桧の香が残り、青森ヒバを使用し
た梁や柱は立派な物だ。
鉄筋コンクリート造の再建された「城」などと違い、見応えは有る。


「安曇野岩崎ちひろ美術館」

2006年08月24日 | ドライブ・旅行
岩崎ちひろさんは絵本画家で、戦後「人民新聞」の記者を経て
日本共産党の衆議院議員の「松本善明」さんと結婚、「安曇野
岩崎ちひろ美術館」はその長男の「松本猛」さんが館長を務め
ている。
この写真の「安曇野岩崎ちひろ美術館」は美術館を中心に周
りが35,000㎡の松川村営公園と成って居て同村を流れる
「乳川」沿いに作られている。
駐車場から美術館まで、100m程歩く事になるが、公園の中
を散策する形になる、木、等はあまりなく広く明るい遊歩道など
を歩きながら、建物近くに来ると、オブジェが待ち受けてくれる
ので、其れで遊んでみるのも、一考かと思います。

振り返って眺めると安曇野らしい景観の中に有り、周りの北ア
ルプス山塊を眺める時、空間の広さを感じさせてくれる。
同館には「ちひろの絵本」と同時に世界27ヶ国の絵本作家の
作品が展示されている。

東京練馬区にも「ちひろ美術館」が有り、こちらは開館以来25
年目に自宅を美術館に立て替えた物(2002年)
「ちひろ」さんは1974年に55歳の若さで他界している、夫の
「松本善明」さんは弁護士で、日本共産党の衆議院議員として
活躍していたが、今は引退している。

「世界の子供みんなに、平和としあわせ」という、願いを込めて
戦後活動していたが、ベトナム戦争の終結を知らずに亡くなっ
た。
そのベトナム戦争に対する思いは絵本「戦火のなかの子供たち」
に絵と文に書かれている。
「ちひろ」さんには珍しく、鬼気迫る表情の「母親の」描写がとて
も印象的で、素晴らしい。

「松本城その2」

2006年08月20日 | ドライブ・旅行
一番右が「乾小天守」次に「渡櫓」真ん中が「天守閣」左の手前
が「月見櫓」その奥が「辰己附櫓」
本丸御殿は亨保12年(1727年)に焼失、写真位置本丸の右
隣に「二の丸」跡があり、此方は平面復元されて、建物の位置
に各部屋の名前のプレートが在り全体の位置関係が平面的に
解る様になっている。
その他「太鼓門」「黒門」等が近年復元されている。
天守閣が当時のまんまで現存し国宝に成っているのは、松本
城の他「犬山城」(愛知県)「彦根城」(滋賀県)「姫路城」(兵庫
県)のみで、その内「姫路城」は随分と昔に見学した。
この城が一番大規模で立派だ、何れ此の各城を見学しようと
考えている。


「松本城」

2006年08月17日 | ドライブ・旅行
松本城は歴代藩主が「六家」23代にわたる、1590年石川氏か
ら1869年戸田氏まで。戦国時代に「深志城」として築城され後に
松本城と改められ、豊臣秀吉の時代「天正十八年」当たりに天守
閣や御殿、門、塀、本丸、二の丸、三の丸等が作られ、近世城郭
の基礎が出来上がった様です。
現在は「国宝」と成って居て、戦後解体復元が行われています。
我が国で「国宝」と成って居るのは松本城を含め4城に過ぎず、
他の沢山の城は復元された物で、鉄筋コンクリートで出来てい
たり当時の記録を元に新築された物が殆ど。

天守閣内を見ると、当時の建築技術をかいま見る事が出来るの
で、興味深い、梁や柱など「ちょうな」の削り後が残り、中でも天井
の組み方は「井桁梁」と云い下から見る事が出来る。
あくまでも戦闘を基本として「守る」為の作りで無駄が無く合理的
だ。

残念なのは、本丸、二の丸は焼失して居て無い事だが、本丸跡か
ら見る天守閣は美しい。


「高ボッチ高原」

2006年08月13日 | ドライブ・旅行
世田谷の自宅を出発したのが、午前8時半 8月5日土曜日と
成れば中央高速道は早朝から大渋滞、解ってはいるものの希
望的観測で案外早く着くかも!・・・・・・

そんな甘い期待は粉々に崩れ、八王子バス停から27キロ程渋
滞との交通ニュース、調布インターを避け、府中インタ-から入
る事に。
結局、途中甲府の先、双葉サービスエリアで昼食を取る事に成り
更に、出口を勘違いして手前の諏訪南インターで降りて仕舞って
余計時間がかかって仕舞った。
甲州街道をひたすら走り、塩尻峠を少し過ぎた当たりに高ボッチ
への入り口が有る。すでに時計は午後1時半を過ぎていた。
通常は入り口からシャトルバスに乗り換え会場まで行くだが、す
でに午後、此から見物と云う人も殆ど居ないようで、一方通行は
解除となり、そのままマイカーで会場まで行けた。

結局会場に着いた時は全25レース中、残り3レース。まあ最終レ
ースに間に合ったので、良かったとしよう。
午前中のポニーレースなどの方が、いかにも草競馬と云う趣が
有り、レース途中逆送したり止まってしまったりと楽しいのだが。
翌日報道では3500人の人出が有ったそうだ。
レース後そそくさと帰り道の混雑を避けそしてその日は、松本ま
で行き、美ヶ原温泉へ。
この続きは次回へ

「唐桑半島」

2006年07月30日 | ドライブ・旅行
この旅は4年前だが2002年7月19日、その前日は中尊寺に訪
れている。
「金色堂」が有名だが、生憎館内の撮影は許されないので写真は
無い、この日は天気が良く熱い一日だった。
中尊寺の境内には多くの建物あり、それぞれ由緒ある建築物と
なっている、何せ4年も前の事なので記憶が定かでないので順
を追って詳しく書く事が出来ないのが残念です。
その分写真を見られる様にしたので、ギャラリーでも見るつもり
でご覧頂ければと思います。
中尊寺ー金色堂」、「金色堂への道」、中尊寺は小高い山の様
に成って居るのでそこから木立の間から見た平野部の写真です
中尊寺裏」。
>巨釜半造その2」、「巨釜半造その3

写真は自分のホームページにリンクしてありますので、アンダー
バーの有る記述をクリックして頂ければ、ジャンプします。

「ジェットホイル」

2006年04月23日 | ドライブ・旅行
 この写真は「佐渡汽船」新潟ー佐渡間を疾走する
ジェットホイル(水中翼船)だ、一昨年佐渡旅行の際
帰りのフェリーボートから撮影したモノだ。
実際に行く時に乗船した。
この巨大な物体が時速80Km前後で海上を疾走
する。
地上を走る自動車と違って急ブレーキを掛けても
簡単には止まらない、水中翼にはショックアブソーバー
が付いて居て多少の障害物は大丈夫な様だが鯨
の様な大型の物にぶつかると大変だ。
元々軍事用に開発された物だが、今では旅客用で
観光客を運ぶ事にも転用されている。
開発元もアメリカ・ボーイング社で何千馬力も有る
ガスタービンエンジンで、更に水中翼と言う事から
航空機と同じ原理で水中を浮上しながら走る。

 考えてみると、少々おっかないな~と言う気がする
日本近海は結構鯨が沢山居るので、結構多くの航路
で使用して居るようだが今まで事故がおこらなっかた
のが不思議な位だ、海の上はゆっくりと行くのが矢張り
良いような気がするが・・・・・・


「下関駅」

2006年04月18日 | ドライブ・旅行
 いよいよツアーも最後と成った、此処は下関駅写真は門司駅、本州最後の地下関は、生憎の雨だった、此処での自由時間が可成り有り、昼食を含めて3時間弱。まづ食わなければ落ち着かない、其処で「カモンワーフ」で昼食を取る事に
した。
下関迄来たら、其れはモー食べる物は「ふぐ」っきゃ無い、地元では「ふく」
と言う。カモンワーフ内に在る「武蔵」と云うお店だった。
ランチメニューと別にふぐ刺しを注文、それにお酒、「ふぐ刺し」と来れば「お酒」
・・・ですネ!
お客は、私達家族だけだったので割とすぐに出来上がった。
時間を気にしながらも、ご機嫌な食事だった。

 さて、食事を済ませ、急いで、船着き場へ。門司まで行くのだ!
関門海峡を船で渡る、所要時間5分ほど、門司迄行けば、九州まで足を
延ばした事になる、まー気分的な物だが、其れでも九州は初めての地だ。
急いで、九州「門司港レトロ地区」を見学、早足で船の出発時間に合わせて
25分程だ。全く忙しい(少し欲張りすぎか!)そんなこんなで、門司港を後にして
今度は下関で「水族館(海響館)」で、関門海峡のお魚さん達とご対面だ。

 私は何より此の「海響館」で、お魚さんに対面する事が楽しみだった、その為に
時間をなるべく多く取り、割とゆっくり見学した。其れでバスへ・・・・
ツアーのそれぞれの客は水族館には余り興味が無かったらしく、バスに帰り着
いたのは私達が最後だった。

 やがてバスは最後の見学場所「赤間神宮」へ下関からは僅かな距離だ。
「赤間神宮」は、安徳天皇と平家一門を祀る神社だ。境内には「耳なし芳一」を
祀る「芳一堂」、此は(小泉八雲)の怪談で有名、が在りバスガイドさんの説明を
聴きながら、当時の状況を想像するのだった・・・・

 此で今回のツアー日程は全て終わり、バスは一路「宇部空港」へ、あー忙しか
った、・・・・そんな感じです。
東京の近場では、自動車移動で自分達で計画を立て、日程に余裕を持たせる事
が出来るのですが遠くになると、どうしても出来合のツアーに頼る事になります。
様々なツアーが有りますが、費用対効果で選択するので、なかなか自分達の思う
通りには行かない物ですネ!

 「宇部空港」、午後19時20分発の羽田行きに乗り・・・・・無事帰還!


アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編



「秋芳洞」

2006年04月14日 | ドライブ・旅行
 バスは「金子みすず」記念館、仙崎を後にして、一路秋芳台へ。
写真は秋芳洞の入り口近く、「青天井」と呼ばれる大きな空間だ。
三脚を持って行かなかった為この様な暗い場所での撮影は多少
工夫が要る、近くの手すりにカメラを置いて、そっとシャッターを切る
1秒~4秒程掛かるのでブレないようにカメラを固定するのがポイ
ント。デジカメの為、後の修正は楽!この写真も明るさを調整した。

 バスの駐車場からエレベーターで地底に下りる。
エレベーターの有る位置は秋芳洞の中間辺りに在り、そこから入り口に
向かって逆行する、観光コースは全体を回ると可成り時間が掛かるようで
今回は途中からなので1時間ほど、研究や探検でくまなく洞窟内を探索
するとなるとどれ位時間が掛かるだろう・・・・・(総延長10Km)

 洞窟の中を流れる川、地底湖の流れは意外と濁っている、此は石灰分
が水中に溶け込んでいる為と思うが、地下100mモノ下にこの様な流れ
が有ること自体神秘的だ。此の水中の石灰分が何万年も掛けて堆積した
り、溶けたりして洞窟を形成する。気の遠くなるような年月を掛けゆっくりと。

 やがて地上に出て、次はバスから秋吉台を見学、所が時間がない為に
バスから「見るだけ」もっと「カルスト台地」をじっくりと見たかったが仕方な
い、あぁ~残念! 

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「南アルプス」

2006年03月22日 | ドライブ・旅行
 この写真は南アルプス、一番右は「白根三山」中でも一番高いのが「北岳」で
3,192m富士山の次に高い山だ、右手には「甲斐駒ヶ岳」がそびえているが、こ
の写真では見え無い、そして「千丈岳」「塩見岳」「赤石岳」「聖岳」大雑把に名前
を上げて見たが何れも3,000mクラスの山だ。
写真には無いが、左手の方には「上河内岳」「茶臼岳」「光岳」と続く、標高も次第
に低くなり、最後に「大無限」「小無限」と続く、森林限界も次第に高く成り2,500m
依り上になる。
前回のBlogで少し触れたが、若い頃「塩見岳」から登って10日間の日程で縦走
した、しかし「聖岳」から先、台風の接近により猛烈な風と雨で危うく命を落としそう
になり、又日程に余裕が在れば「大無限」「小無限」まで走破したかったが「茶臼岳」
迄で断念せざるを得なかった。・・・・・・・
何時か又「光岳」から「小無限」まで走波・・・・と思い描いていたが、今となっては
諦めざるを得ないですね!
最近中高年登山が流行している様ですが、この辺りの「山」に入るには、経験と体力
が必要で可成り難しい、体力、気力が充実して居る時に登っておけば良かった!

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「大井川」

2006年03月17日 | ドライブ・旅行
 この写真も高度4,600m当たりから見下ろした、南アルプス山中で真ん中に
見える川は「大井川」と思います、この少し下に大きいダムが見えるのですが
たぶん「畑薙第一ダム」と思います。飛行機が進むにつれてドンドン真下に行っ
て仕舞うので撮影のチャンスが掴めませんでした。
「畑薙ダム」は第一と第二ダムがあり「畑薙第一ダム」の下流5km付近に「畑薙
第二ダム」が在ります。「第一ダム」は大井川の源流「赤石岳」近くに在ります。

「畑薙第一ダム」に大吊り橋が架かっていたのですが、若い頃、「茶臼岳」だった
か「光岳」(てかりだけ)だったか、の下山でこの「畑薙大吊り橋」を渉ったのです
が、吊り橋がこれ程恐ろしい物だと初めて経験しました。
幅は1.5m程で歩く為の踏み板の幅が20cm程で下を見ないようにしても、見え
てしまう、足下を見ると高さが数十メートルも在りそう! おまけに台風の接近で
強風に煽られ吊り橋が左右に揺られ、真ん中当たりまで来ると歩けなくなり、しば
し立ち往生200m近くも有るだろうか、兎に角長かった! 恐怖その物!・・・・・
踏み板を踏み外しても落ちることは無いと思っても、もし左右に転げれば一巻の
終わり・・・・・下山中とは言え背中のキスリング重量も40Kgは在り歩行の自由も
ままならない中での事だった。
そんな昔の事を思い出しながら、この写真を撮影し、しばし下界を眺めていました。

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編


「富士山」

2006年03月12日 | ドライブ・旅行
 この写真は、記憶によると高度約4,600m当たりでしょうか。
飛行機は既に駿河湾かもう少し内陸に入った当たりの上空と思いますが、上から
見る「富士山」も面白い。
独立峰で今更「富士山」に付いて説明をしても仕方ないので省略しますが、この
写真の左方向ず~と奥に矢張り独立峰の「白山」が微かに見えました。
写真には南アルプス連山も写って居ますが、上空から見ると木々に隠されて居
るためか意外と雪が少なく感じますが、積雪はこの時期が一番多いと思います。

 此程の高度になると、地上の動く物を殆ど認識できないのでまるでジオラマを
見ているようで不思議です。夜間の場合などは自動車のライトの動きが多少解る
のですが・・・・夜間は又別の趣があり、此も又面白い。
飛行機は上昇中で時速780km程だったと思いますが、最終的に高度9,000m迄
上昇した様です。
帰りの飛行機は確か高度12,000m位まで上昇しましたが、あいにくの悪天候と雨
で機体が揺れたり、夜間出発の為、外の景色は全く見えず、離陸してすぐに、雲の
中に突入でした。しかし翼の先端に在る点滅灯を眺めていて、雨粒が見えることを
発見して、飽きずにず~と眺めていました。
此は、翼の先端に在る点滅灯がストロボ発光なので、その発光時間が3千分の一
程ですので、雨粒が一瞬止まって見えるのです。


アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

宝登山

2005年11月17日 | ドライブ・旅行
 火止山(別名ホド山)山頂直下に在るロープウェー
の頂上駅付近に在った「ドウダンツツジ」の写真です。
埼玉県秩父市長瀞町「宝登山」は秩父鉄道長瀞駅の
西方面に在る標高471mの山と云うには少し小さい
が丘に毛の生えた様な所だ長瀞駅を挟んで反対側に
は長瀞渓谷が有り此方は有名だ、荒川の中流域でここら当たりだけが独特の景観
をして居る。

 此のドウダンツツジ流石に山頂の吹きさらしの場所にあるので紅葉が見事で綺麗
な赤と成っていた、それも立派な大ドウダンツツジだ。今年はいつもの年より紅葉が
遅れそうな気配で全山紅葉には未だ早かった!
今日の気象庁の発表では紅葉が全般的に半月程遅れているとの事、地球温暖化の
影響がジワジワと顕在化しつつある様な感じです。

飛行機

2005年11月13日 | ドライブ・旅行
 東北の旅シリーズで写真が前後するが、この写真三沢空港
着陸寸前の写真、家族と一緒に飛行機に乗ると必ず「親父」の
特権とばかりに窓側の席を真っ先に占領する、あいにくジャン
ボ機など真ん中の席に当たった時は悲壮な顔でおとなしく下を
向いて座るしかない。
この時は幸い中型機MD型だったので2列と3列の席だった3人
連れなので3列の席に割り当てられた。
出発の羽田では曇り空だったが青森当たりは幸い雲が切れてい
た私は兎に角無類の飛行機好きなのだ、所が初めて飛行機に乗ったのは53歳を過ぎた頃だヘリコプター、セスナ機、飛行機では無いが熱気球、それ迄の空白を埋める如く機会が在れば
空に舞い上がる物なら何でも良い、地上を離れる時の瞬間が何とも云いようのない喜びなのだ「何とかと何とか」は高い所が好き。・・・・そうかも知れない、全く無邪気な物だ!
ヘリコプターに乗った時などは正に天にも昇る様な気持ちだった。

ねぶたの里

2005年09月28日 | ドライブ・旅行
 日曜日から東北観光に行き、青森「ねぶたの里」にてねぶたの「山車」を
見学して来ました、その際一緒に展示してあった、ねぶた師が書いた「絵」
が何とも「妖艶」で魅せられて仕舞いました、7,8枚有りましたが、綺麗
に写っているモノをUPします。