もともとは厚木郊外の江戸中期の大庄屋の古民家である。
それを北大路魯山人が、北鎌倉に住居として移築したものである。
それを魯山人の死後、日動画廊が笠間の地に更に移築した。昭和40年のことである。
春風萬里荘の周囲は日本庭園が造園され、長屋門も移築された。
それにより、その昔の星岡茶寮を訪ねるような体験をする事ができる。
長屋門を潜り、池に向かう石段を下りながら庭木越しに母屋が見えて来る。
母屋の内部は写真撮影は禁じられている。しかし、母屋から庭を眺める角度は撮影可能だった。
魯山人が設計した夢境庵の姿、なんとか茶庭越しにとらえる事ができた。
夢境庵から眺めた茶庭。
母屋の北側には、かっちりとした石庭が作庭されている。
それを北大路魯山人が、北鎌倉に住居として移築したものである。
それを魯山人の死後、日動画廊が笠間の地に更に移築した。昭和40年のことである。
春風萬里荘の周囲は日本庭園が造園され、長屋門も移築された。
それにより、その昔の星岡茶寮を訪ねるような体験をする事ができる。
長屋門を潜り、池に向かう石段を下りながら庭木越しに母屋が見えて来る。
母屋の内部は写真撮影は禁じられている。しかし、母屋から庭を眺める角度は撮影可能だった。
魯山人が設計した夢境庵の姿、なんとか茶庭越しにとらえる事ができた。
夢境庵から眺めた茶庭。
母屋の北側には、かっちりとした石庭が作庭されている。
びっくりするような規模の屋敷ですね
枯山水など本格的な寺院の庭園のようです
あるさま、がまるで竜安寺を模しているようでもあるような...(笑
関東でも庄屋格の民家は、この程度の家に居住する事は許されていたようです。ただし、奥座敷を中心とする家の中の贅沢な造りの部分はお役人様専用であったのは、昔からどの地域も共通のようです。
魯山人はこの建物を北鎌倉に移築してつかったようですが、北鎌倉という場所ではこれだけの土地を取るのは難しく庭ももっと狭かったのだろうと想像します。
また、茶室は魯山人の設計で北鎌倉時代から存在したようですが、枯山水の庭は日動画廊が追加したもののようです。
まさしく、竜安寺を模したもの、とありました。
お屋敷も立派だし、
いつか訪れてみたいですね。
笠間は陶芸の町で、文化を見る目が鍛えられているのかも知れません。
この館、歴史の中の名門という程ではないかもしれませんが、それなりの価値を持つ館だと思います。
イサムノグチと山口淑子が鎌倉の頃に暮らして居たとか。
風呂場も素敵でした魯山人らしさが溢れていて。
夢境庵は心安まる茶室でした、また一度訪ねたくなりました。
この笠間の地が、昔の星岡茶寮にふさわしいのかどうか、いささかの疑問を感じながらその昔の知識がない為にどうともわかりません。
現在の笠間の地では有り余る土地を使い見事な庭が仕立てられていますが北鎌倉にはそのような庭を納める土地はないように思います。
線路と山に挟まれた俗に近い場所に星岡茶寮は建てられていたのではと、つまらない想像をします。それは、所詮むかしの写真を見る機会に恵まれていないからでしょう。