金地院は15世紀の建立だが、江戸初期の慶長年間に南禅寺塔頭に移築されて現在に至る。
屋根の反りがなんとも優美だが、特別拝顔の期間にあたり、内部の襖絵や茶室を目にすると驚くべき洗練された文化が伝えられていることが分かる。
その庭園は小堀遠州が手掛けたものとして資料の残る、数少ないものである。
庭園は今は樹木が茂り見通すことはできない東照宮を拝む配置になっている。
南禅寺周辺は水が豊かなのだが、この庭は枯山水に仕上げられて、亀嶋、鶴島が枠組みを定める感じである。
その間にどっしりと構える礼拝石。
作庭に心をこめた崇伝長老は黒衣の宰相とも呼ばれた名僧という。しかし、遠州はなかなか自身ではこの庭の監督をする時間が取れなかったらしい。
それでも、実に迫力のある庭に仕上げられているように思う。
屋根の反りがなんとも優美だが、特別拝顔の期間にあたり、内部の襖絵や茶室を目にすると驚くべき洗練された文化が伝えられていることが分かる。
その庭園は小堀遠州が手掛けたものとして資料の残る、数少ないものである。
庭園は今は樹木が茂り見通すことはできない東照宮を拝む配置になっている。
南禅寺周辺は水が豊かなのだが、この庭は枯山水に仕上げられて、亀嶋、鶴島が枠組みを定める感じである。
その間にどっしりと構える礼拝石。
作庭に心をこめた崇伝長老は黒衣の宰相とも呼ばれた名僧という。しかし、遠州はなかなか自身ではこの庭の監督をする時間が取れなかったらしい。
それでも、実に迫力のある庭に仕上げられているように思う。
お寺が改修中でビニールシートに覆われている状態はとても情けないものですね。私も、何度か残念な(いやそれどころではない)おもいをしております。わざわざ来たのに、この有様とは。などと・・・
小堀遠州がタッチしたという文献のある庭は、庭石がそれらしく饒舌に感じられよかったです。
しかも今回は特別拝顔の期日であり、狩野探幽の襖絵など、伏見城の遺品を(撮影はできませんでしたが)ゆっくりと見ることができました。
本堂が改修真っ盛りで、
単管の足場とシートに覆われていました。
庭園もシート越しに撮るという有様でした。
この庭園の石組は、
いつ見ても、
その発想といい、組み具合といい、
とても魅力的です。
亀島のビャクシンは、
相変わらず、瀕死状態ですね。