ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

訃報

2010-11-04 | 考えたこと
七五三の着物の騒動から数日後の朝。

受話器をとったのは 亭主だった。

何やら深刻そうな顔になった。

「おばあさんが?」と言った。

電話の向こうで 義兄が 
「息をしていない。」と言ったようだった。







7月に写したコンニャク畑の写真。






亭主の顔が厳しいものになった。

ああ、母の事だ、と 私は思った。



父の時 母は 「目~、つぶっちゃった~。」と言った。

今回は 「息をしていない」だ。

何なんだ? それは。

「亡くなった」じゃないのか!?







誰が作っているのか、気になる。。。






父の時には 医師が来て 人工呼吸を試みていた。

今回の母には 検死があった。

亡くなったのは前日の晩、死因は急性心筋梗塞。

診断書を書いてくれた母のかかりつけ医と
検死官の言葉は 一致して
「苦しんでるヒマぁ、ながったな~、こりゃあ。」






亭主と取り急ぎ、イバラキの実家へ向かう。

母は穏やかな寝顔で寝入っていた。

ただ、耳の色が紫だった。



テレビを点けて、炬燵に足を入れて。

父が急死だったのに、母もそんな亡くなり方だった。

それでも 人は 「うらやましい」と言った。

そんな死に方をしたい。

あやかりたい。

そのくらい 安楽な死に方を、母は した。





長い間、降圧剤を飲んでいた。

心臓肥大になったのは そのせいだ、と 母は言っていた。

不整脈が出るようになったのも、ずいぶん前からだ。

近年、糖尿も出るようになった。

心臓に水がたまってんだ、とも言うようになった。

ニトロ系の薬を持ち歩くようになった。

それでも そこそこ元気で 動き回っていた。

午前中はかかりつけ医に、午後は買い物に
自分で車を運転して 出かけていた。

なにしろ、村の女の中で 免許取って車を運転しだした、
第1号! と自慢する、オテンバ婆さんだったのだ。






一方、舌鋒鋭く人を批判・非難する人で、
母の足腰が効かなくなって 口だけ達者だったら、
どうやって その口から逃げようか?と
昔から姉と 顔を見合わせていた。

誰だって 身体の自由が効かなくなったら
イライラもつのるし、
口が効くのなら 口くらい思うように使わせろ、と思うだろう。

それにも限度があるし、
オッカサンが寝たきりになったら どうすればいいか、は
悩みの種でもあった。

その種が 突然、吹き飛んでしまった。





箱モノが流行りの時に建設された火葬場で
予想以上に大勢の人に見送られて 
母は旅立っていった。

キレイに化粧された顔は 私の祖母にそっくりだった。

私はいつも 子供たちに
「ママの25年後の顔だよ。」
と 母を指さしていた。

私の25年後の顔を見せてから 
78歳の母は 骨に変わった。



その日は 前日の冷たい雨が上がって
青い空が広がっていた。

そういえば、晴れ女だった、オッカサンは。






姉夫婦に私たち夫婦。

孫たちと 七五三をするかもしれなかった曾孫たち。

大勢が集まって、
そこに小さな子供がいて
可愛い声で 泣いたり笑ったり。

「楽しいなあ!」

私は声に出して言った。

「揃うなんて、滅多にないものねえ。」

姉も言った。

突然過ぎて、実感もないし 寂しくも 哀しくもない。

そういう葬儀も 悪いもんじゃない。






父が亡くなって だいぶ経ってから
生前の父の事が思いだされるようになって、
私はファザコンになった。

今でも時折 声に出して父を呼ぶ。

母の事も そんなふうに 呼ぶようになるのだろうか。







実家から帰ってきたら 
ケヤキの落ち葉がいっぱいで、びっくりした!

ほうき草が見事に紅葉して 
咲き初めたウィンターコスモスの花びらと 引き立て合っていた。






こちらに戻ってきてからも
なんだかイントネーションが変だし、
ことばに かなり“濁点”が増えた私(爆)。

そうそう、前日に送った七五三の着物は
私たちが到着する前に、宅配便で届いていた(笑)。



8 コメント

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まだまだ (ジョルジュ)
2011-01-16 21:21:09
声に出して呼ぶのは まだ父の方です(苦笑)。
きららさんも、お身体、冷やさないようにね。
ありがとうございます。
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お悔やみ申し上げます (きらら)
2011-01-16 16:38:09
はい。声に出して父を呼んでみたり。あります。
涙もろくも、なりました。
この冬は寒いですね。ジョルジュさんもお体大切になさってください。

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強いんではなくて、にぶいんじゃないかと思う。。。 (ジョルジュ)
2010-11-10 23:20:46
そろそろ 少しずつ 生前の母を思い出すようになっています。
そして、ああ、母は、もう、いないんだ、と思ったりしています。

父の時は もっとショックでした。
子育てに使っていた真っ赤なポシェットの色が すごく恨めしくて、
「なんでこんなの使ってたんだ、ワタシ」
とか思っていました。
今は ユニクロで買ってきた 華やかなピンクのカットソーを 
平気で着ています。

現実を受け入れるとかじゃなくて、現実として受け止めていないんですね、きっと、まだ。
これからだんだん寂しくなるのか~。

遺品の中には 私が母の古希のお祝いに上げたハンドバッグなんかもあったりして。
あれ、返してもらおうかな(笑)。
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えーと (とほ)
2010-11-09 01:02:24
回想ではないんですよね。

淡々とされている感じがしますし、
実感がわいておられない感じもします。

コタツに足を入れ、テレビを点けたまま寝入っている・・・
母を見ているようです。

σ(-_-;)はダメだ。現実を受け入れられないことでしょう。
ジョルジュさん、強いネ。
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ありがとうございます。 (ジョルジュ)
2010-11-09 00:00:16
一番びっくりしてるのは、母本人だろうと思います(笑)。

寒さが突然やってきた時期でした。
姉も久しぶりに風邪をひいたと言っています。
私は口唇ヘルペスと湿疹がでました。
四十九日が済むまでは 熱を出したり寝込んだりしないようにしないと。

年老いた人にとっては いい死に方だったと思います。
78歳は 母にとっては 充分に年を重ねた年齢だったのだと 納得しています。
姪の子供たちには 必ず着物を着せます(笑)。
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お悔やみ申し上げます (scops)
2010-11-08 22:44:54
ちょっと忙しくて、久しぶりに訪れたら悲しいお知らせ・・・。驚きました。
3日には七五三でのやりとりを、ほほえましく読ませていただいていましたのに。

楽に旅立たれたのがせめてもの救いでしょうか。この後もしばらく大変でしょうけど、お疲れの出ませんように・・・
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よく生きた、と思います (ジョルジュ)
2010-11-05 22:01:46
「こらぁ~」、有難くいただいておきます、
そのままにしておいてください(笑)。

結さんの温かいお言葉、とても嬉しいです。

突然過ぎて 今は哀しみのカケラもないので
もしかしたら これからマザコンになるのかもしれません(?)

姉と母の 孫・曾孫を間にしての 楽しいゴタゴタも
良い思い出になると思います。

ありがとうございます。
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お悔やみを申し上げます。 ()
2010-11-05 09:49:19
二転三転のお話に驚きました。
突然のことで大変でしたね。

最後に温かな思い出を遺されて、急逝されたお母様。
女性の平均寿命を考えると、まだお若い年齢ですから、
もう少し・・という思いはありますけれど
お孫さんも大きくなられて七五三を迎えられる曾孫さんもいらして、良い人生を歩まれたのだと記事を拝読しながら思いました。

ジョルジュさん、お疲れが出ていませんか?
前回コメントの「こらぁ~」は撤回です。

私がジョルジュさんとこうしてお付き合いさせていただけるのも
お母様の存在があればこそですから、お母様に感謝し、
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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