ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

もう一度セックスについて

2014-11-22 | 乳がん
奈良から帰って来た頃
いつもの気まぐれ?で 
gooブログでは アクセス解析を可能にしていた。

昨日から、またしばらく 見る事ができるみたい。

私のブログの「人気記事」の上位には 
必ず「乳がん患者とセックス」が上がっている。

(もう、10年も前の記事だよ!)

こんな古い記事を 「読みたい」と検索してクリックしている人たちが、
今でも、まだ、いる!
という事実。

もっと他に 新しくて 客観的で 正確な情報が ないのだろうか?






手術をして(温存であろうと、全摘であろうと)、
その後のセックスに 乳房が関わらなければ
問題はないのかもしれない。

けれど ヒトは 
生まれ落ちてすぐ 乳房に育まれて大きくなる。

乳房の柔らかさと温かさは 快感なのだと思う。

おっぱいが、好き。

それは、本能なのだと思う。



手術をした後では
私は そこに乳房がある事を 意識したくなかった。

普段は なんとか 意識しないで過ごせるようになっても
人の(亭主の)身体を通して そこに乳房があった事を

――そこに かつて 完全なる乳房があり、
  そこには今 不完全であわれな乳房がある事を――

思い出させる行為は あまりに悲しく不快だった。





命の危機がなければ また違うかもしれない。

採ってしまったからには、もう、安心!

盲腸と違って 乳がんは そんなものではないので、
悩みは深く、そして 長く続く。

乳がんは、他の癌と違って
再発・転移しやすい。

10年、11年と 「異常ナシ」を続けてきた私であっても、
不安が消えてなくなったわけでは、
決して、ない。



そんな私の乳房を 
セックスという<快楽>の対象として見る、
そんな意識を持つ人がいる、という事自体、
許しがたいとも感じる。

相手を思いやっていたとしても、
それは 人が思っている「思いやり」であって、
私が欲している「思いやり」と同じだとは 限らない。

できるなら、そっとして 構わないで欲しかった。

それが まだ若い亭主には できなかった。

構ってやる事で 愛を伝えたかったのかもしれなかった。

けれど それは 私にとっては 余計な事だった。

自分勝手な「ひとりよがり」は 
ウチの亭主の専売特許ではないと思うが。






もっと若い人達には もっと深刻な問題だったろう。

拒否され続けたら 男性だって 耐えがたくもあるだろう。

女性の乳がんがきっかけで うまくいかなくなる恋人たちや
離婚に至る夫婦もあると聞いた。

けれど それで
冷たくなった女性や 我慢できなくなる男性を
誰が責める事ができるだろう。






「乳がん患者とセックス」10年が過ぎて。

「アクセス解析」を見ると 似たような検索キーワードが ズラリと並ぶ。

乳がんになっても セックスをしてもいいのか?

全摘でも セックスしていいのか?

乳がんとセックスは 関係があるのか?

手術後のセックスは?

乳がん後の夫婦関係は?






なんで、今頃、そんなんで ネットで検索かけてんだ? と思う。

同じような事で たくさんの人が悩んでいるんだから、
医療関係者の方で も少し 何とか 言ってやってくれよ、と思う。

それが、まだまだ、足らないんだろうね。



それから
何で そんなの、人の意見を参考にしようとするんだろう、と思う。

あなたは、セックスを、したいの? したくないの?

あなたは、夫婦の関係を、どんなふうにしたいの?

そして、相手は、どう言っているの?

ちゃんと、相手の話を、聞いているの?

ちゃんと、自分の想いを、相手に伝えているの?



まったく、腹が立つ!

そして それはそのまま、自分自身への、(と、亭主への)腹立ちだ。

考えている事は 言葉にしなければ 伝わらない。

ちゃんと、伝えようよ、私。

ちゃんと、受け取ってね、亭主よ。



今日は、「いい夫婦の日」なんだって。

昨日の記事で 
私たちを「いい夫婦」と思ってくださった方々が
何人かおいでのようだけど、
まだまだだなぁ、と思っている。

もう少し 熟成できるのではないかと 思っている。

発酵?(笑)