ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

捨て下手・捨て上手

2006-05-12 | なんでもないこと
私は捨て下手。

できることなら 何でもとって置きたい。

捨てようか捨てまいかと悩みながら
思い切って捨てたりすると、
後で必ず ああ、捨てなきゃよかった、と
後悔する。

狭いアパート暮らしの頃は
よく暮らしていられたなあ、と思うから
もっと若い頃は 
今ほど 何でもとって置く性格では
なかったのかもしれない。



亭主も 割と何でもとって置く。

こんな夫婦は 本当に物の置き場に困る。

だから 家の中は 物が溢れている。

すると亭主は ウチは物が多すぎる、と言い出して
物を捨てようとする。



困った事に、
亭主にとって大事な物・もったいない物と
私にとっての大事・もったいないとは
違っている。

そして もっと困るのは、
それを無視して 
几帳面な亭主が 
私の分も整理整頓しようとしてくれること。

まあ、溢れさせてる私も悪いのだが、
私のものを勝手に処分しようとする
あの性格を 誰か直してくれないかなあ。



私の母方の祖母が亡くなった時
子供達は ボロとガラクタを
あきれ返りながら 捨てに捨てた。

私達夫婦が年老いたあと、
あるいは この世を去った後にも
きっと 子供達が 
あきれ返りながら 溢れるガラクタを
捨ててくれるに違いない、と思うようになったのは

亭主の実家の物を 捨てるようになってから。



亭主の両親も 物持ちがいい。

いらない物や ゴミまでも
きちんと整理して そして捨てずにとって置く。

そのキチントさは 驚嘆に値する。

義父が得意な荷造り技術できっちり縛り、
家の周りに積み上げてある(笑)。



それが 義母がアルツハイマーを発症してからは
義父の手がまわらなくなり、
家の内・外が きちんとしていなくなった。

年寄りが暮らすということは そういうものなのだろうか。

坂のすぐ下が ゴミの集積所なのだが
そこまで持って行けない。

古新聞はまとめてあるのだが
なかなか縛れない。

ダンボールはまとめてあるのだが
捨てずにとっておくから 
どんどん増えてたまっている。

ダイレクト・メールのような 要らない郵便物まで
要るかもしれない、と とって置くから
郵便物の山が いくつもできる。

本当に必要な物と
本当は不要な物とが
ごちゃ混ぜになっていて 区別がつかない。

必要になった時に見つからないことになる。



亭主と義弟は 実家に帰るたびに
それらを整理し、
ゴミを捨ててくるようになった。

ゴミは「捨てる日」があって
田舎もなかなか面倒な約束事ができている。

だから 亭主は ゴミは全部まとめて
家に持って帰ってきて
こちらで出すようになった。

実家に行って帰ってくる時はいつも
ワンボックスはゴミで埋まっている。

そうして
「こんなものまで とっておいてある!」
と あきれ返りながら 捨てている。

実はそれが 義父は気に入らない。

息子達も 少しは父親に気を使うから、
思い切り捨てることはできない。

そうして 亭主の実家は
少しずつきれいになってきてはいたけど
なんだかいつも
薄汚くて 要らないものに囲まれているような
そんな家になってきていた。