日本人は大局を見るのが苦手だ。現下の経済財政運営を考える上で、最も重要な情報は、震災でどのくらいの被害が出ているかであり、電力の回復がどこまで期待できるかである。危機管理でもそうだが、何が鍵となる情報かを意識する必要がある。現実の政策論議は、震災対策の補正予算の財源を、国債にするか、「埋蔵金」にするかという、経済的にはどうでもよい事柄に労力を使い、震災被害の大きさにおののき、予算規模をどのくらいにするかで揺れ動いている。
4/2の本コラムでは、内閣府の16~25兆円という被害推計は過大ではないかと指摘した。被害状況の把握は、こうした初期のマクロ的な推計に頼らず、順次、発表される被災県からの積み上げの数字を気にしなければならない。しかるに、頭から内閣府の推計を信じ込んでいるエコノミストばかりだ。例えば、JMMでエコノミストの認識を垣間見ると、多少でも懐疑的な姿勢を見せたのは、筆者がファンである北野一さんくらいのものである。
筆者の推計は、今のところ15兆円以内である。内閣府の推計よりは随分と小さいが、これでも阪神大震災の1.5倍であり、甚大な被害であることに違いはない。ただ、これによって、阪神のときの復興予算3.4兆円から、まずは、5兆円程度を用意すれば良いという見極めがつく。過大な被害想定を頭におき、「復興税がいる」と慌てふためく必要はない。そもそも、5兆円を超える復興予算を用意しても執行ができない。復興は、土木建築が中心となろうが、GDPの公的資本形成は年間で20兆円もないのであり、いくら予算を積んでも供給力には限りがあるからだ。実際、仮設住宅の資材は既に不足し始めている。
経済学者の中には、復興需要の見合いに、増税などをして、需要の削減をしないとインフレの不安もあるとする御仁もおられるが、意味がない。確かに、建設資材は値上がりしよう。しかし、子ども手当を廃止して、子供向けの財やサービスを削減したところで、防ぎようがないことだ。こういうことをして、震災には関係がない北海道や西日本を不況にし、全国での物価上昇率の平均を下げたところで、何の意味があろうか。日本全体の国力を落とし、かえって復興を遅らせることになる。政策的には、他地域の公共事業の抑制くらいで十分である。
本コラムで何度も指摘しているように、2011年度予算は、前年度補正後から4.3兆円も少ないデフレ予算である。したがって、震災を契機として、財政中立に戻し、予備費1兆円と合わせて、5兆円の復興予算を組むことは、何の問題もない。むしろ、ああでもない、こうでもないと、時間をかけることが有害である。ものすごい復興財源がすぐにでも必要になるとイメージし、財政の先行きへの余計な不安を煽ったり、震災ショックで全般的な需要が落ちているのに、歳出削減や増税をして、景気を失速させるという二次災害も起こしかねない。
日本にリーダーシップがないのは、何が大事で、何が瑣末かを判断できないことによる。優先順位をつけられないのは、大局観がないからである。今年度予算がどういう位置づけにあるかも知らず、被害状況の正確な把握にも努めず、復興に必要な供給力も考えない。闇雲に大変な事態だと騒ぎ、年来の財政赤字問題ばかりを気に病んでいる。
これは、政治の問題だけではない。全国紙も、大方のエコノミストも、みんなそうなのだ。日本のトップリーダーが揃いもそろって「視野狭窄」なのは、なぜ、なのだろう。先日の「大機」ではないが、日本は諸外国もうらやむような国力をまだ持っている。それを普通に活かせば良いだけなのだ。腹を括ったようなナショナルリーダーが現れると大きく変わると思うがね。
(今日の日経)
風評被害に貿易保険。牛乳・水PBし用品増産。社説・大震災1か月。外国人労働者の不足深刻。近隣を希望でミスマッチ。LED電球需要が震災後に急増。読書・就社社会の誕生、戦前昭和の社会。津波に負けぬサクラが開花。
4/2の本コラムでは、内閣府の16~25兆円という被害推計は過大ではないかと指摘した。被害状況の把握は、こうした初期のマクロ的な推計に頼らず、順次、発表される被災県からの積み上げの数字を気にしなければならない。しかるに、頭から内閣府の推計を信じ込んでいるエコノミストばかりだ。例えば、JMMでエコノミストの認識を垣間見ると、多少でも懐疑的な姿勢を見せたのは、筆者がファンである北野一さんくらいのものである。
筆者の推計は、今のところ15兆円以内である。内閣府の推計よりは随分と小さいが、これでも阪神大震災の1.5倍であり、甚大な被害であることに違いはない。ただ、これによって、阪神のときの復興予算3.4兆円から、まずは、5兆円程度を用意すれば良いという見極めがつく。過大な被害想定を頭におき、「復興税がいる」と慌てふためく必要はない。そもそも、5兆円を超える復興予算を用意しても執行ができない。復興は、土木建築が中心となろうが、GDPの公的資本形成は年間で20兆円もないのであり、いくら予算を積んでも供給力には限りがあるからだ。実際、仮設住宅の資材は既に不足し始めている。
経済学者の中には、復興需要の見合いに、増税などをして、需要の削減をしないとインフレの不安もあるとする御仁もおられるが、意味がない。確かに、建設資材は値上がりしよう。しかし、子ども手当を廃止して、子供向けの財やサービスを削減したところで、防ぎようがないことだ。こういうことをして、震災には関係がない北海道や西日本を不況にし、全国での物価上昇率の平均を下げたところで、何の意味があろうか。日本全体の国力を落とし、かえって復興を遅らせることになる。政策的には、他地域の公共事業の抑制くらいで十分である。
本コラムで何度も指摘しているように、2011年度予算は、前年度補正後から4.3兆円も少ないデフレ予算である。したがって、震災を契機として、財政中立に戻し、予備費1兆円と合わせて、5兆円の復興予算を組むことは、何の問題もない。むしろ、ああでもない、こうでもないと、時間をかけることが有害である。ものすごい復興財源がすぐにでも必要になるとイメージし、財政の先行きへの余計な不安を煽ったり、震災ショックで全般的な需要が落ちているのに、歳出削減や増税をして、景気を失速させるという二次災害も起こしかねない。
日本にリーダーシップがないのは、何が大事で、何が瑣末かを判断できないことによる。優先順位をつけられないのは、大局観がないからである。今年度予算がどういう位置づけにあるかも知らず、被害状況の正確な把握にも努めず、復興に必要な供給力も考えない。闇雲に大変な事態だと騒ぎ、年来の財政赤字問題ばかりを気に病んでいる。
これは、政治の問題だけではない。全国紙も、大方のエコノミストも、みんなそうなのだ。日本のトップリーダーが揃いもそろって「視野狭窄」なのは、なぜ、なのだろう。先日の「大機」ではないが、日本は諸外国もうらやむような国力をまだ持っている。それを普通に活かせば良いだけなのだ。腹を括ったようなナショナルリーダーが現れると大きく変わると思うがね。
(今日の日経)
風評被害に貿易保険。牛乳・水PBし用品増産。社説・大震災1か月。外国人労働者の不足深刻。近隣を希望でミスマッチ。LED電球需要が震災後に急増。読書・就社社会の誕生、戦前昭和の社会。津波に負けぬサクラが開花。