公的債務累増下の成長戦略
―21世紀の日本に未来は開けるか―
「日本よ、雪白の翼を再び」
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「日本よ、雪白の翼を再び」
はじめに
ちょっと日本人がかわいそうになってね。努力家で誠実なのに、こうも経済の低迷で苦しまねばならないのか。お題からすると、「消費増税と法人減税の組み合わせで成長率を引き上げる」なんていうのが、たくさん寄せられるのだろうなあ。そんなワンパターンこそが元凶だと思うね。第一、日本人は、まともな経済戦略なんて見たこともないだろう。今日は、おもしろいものを見せてやろう。まじめな日本人のために。
1 少子化の解消
まずは、少子化を解消する。財政や成長でなくて、なぜ「少子化」? そう思うようだから、閉塞を破れないのだ。少子化の解消は、財政を劇的に改善し、成長を大きく伸ばす。ただし、これを理解するには、若干の年金数理の知識が要る。少しばかりお付き合いいただこう。
この少子化だが、最大の原因は、乳幼児期の保育が圧倒的に不足していることにある。現在は、子供を産むと預け先に困り、容易に仕事に戻れない。いきおい、出産か、仕事かの択一となり、子供をあきらめる人が続出して、合計特殊出生率1.3台という極端な少子化になる。ここまでは常識である。
なぜ、乳幼児の保育が不足しているのか。これはコストが極めて高いからである。0~2歳児は、1人の保育士が3~6人の子供しか看ることができない。3歳以上になると、これが20人になる。保育所不足も、よく見ると3歳以上は概ね足りているのは、そういうわけなのだ。このコストをどう賄うか。ここで消費税を持ち出すようでは知恵がない。
必要なのは年金数理だ。若者が働き始め、年収300万円をもらうとすると、年間の年金保険料は48万円ほどになる。6年経って結婚する頃には、若い夫婦の累計額は6×2倍の576万円になる。社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ。
これを少子化対策に使えるようにする。具体的には、乳幼児期の0~2歳の3年間、月額8万円を引き出せるようにする。子供2人分なら総額576万円である。8万円あれば、無認可保育所でも楽に預けることができる。若い母親がこれだけの支払い能力を持てば、それを目当てに次々に保育サービスが供給されるようになるだろう。これで保育所探しに駆けずり回る必要はなくなる。この少子化の最大のネックが解消されることで、出生率は大きく向上し、若者が希望する水準である1.75まで伸びるだろう。
さて、こんな給付をして、年金財政は大丈夫なのか? むろん、何の問題もない。乳幼児給付を行う分だけ、老後の年金給付は減るので、年金財政上は、差し引きゼロの中立になるからだ。年金制度は十分な積立金を持っているので、当面の資金繰りにも困らない。
それなら、年金給付を減らして、老後の生活に支障は出ないのか? 実は、576万円と言っても、老後の給付全体から言えば、15%ほどに過ぎない。それどころか、乳幼児期の給付をする方が、逆に年金額は増すはずだ。
なぜなら、女性が仕事を辞めずに済み、より多くの保険料を納められるようになるからだ。働き続けられれば、576万円くらいは簡単に取り戻せる。もし、どうしても年金を減らしたくないのなら、引き出さなければ良いだけだ。乳幼児給付は、引き出しの選択権を与えるものなのである。
こうして見ると、むしろ、現状の方が、いかにも、おかしいことが分かる。出産か仕事かを迫られ、お金さえあれば、子供の預け先を確保できるのに、自分たちが「貯めて」きたお金でも自由に使うことができない。年金制度にしてみても、子供を産んで働いてもらう方が財政的にプラスなのに、その手立てを許していないのである。
2 少子化と財政再建
乳幼児給付の総額は、年間約2.7兆円になる。新たな財源を一切必要とせずに、大規模な少子化対策が実現できることが分かったと思う。しかし、なぜ、これが財政再建に役立つのだろうか。そこを理解するのにも、若干の年金数理の知識がいる。
年金数理上、もし、少子化がなく、人口が静止状態にあるとすると、親世代の年金は、子世代の保険料だけで賄える。親と子の人数が同じなのだから、各世代で払った分だけもらえるように設計するのが容易なことは、直感的に分かるだろう。それでは、日本の年金制度が持つ巨額の年金積立金や税による国庫負担は、一体、何のためにあるのだろう?
これらは、年金数理上は、保険料以上の給付をするために用意される。払った分を超える給付をする制度でなければならない理由はないから、そうした給付は政策的に行われるものである。ただし、日本の場合は、少子化の下にあるので、これらは、支えてくれる子供を持たない人の年金給付に充てねばならない。少子化とは、子供を持たない人が続出する現象であり、積立金や国庫負担は、保険料を負担してくれる子供の代わりになるものなのだ。
勘の良い人は、もう分かったと思うが、もし、少子化が完全に解消されれば、年金数理上は、積立金も国庫負担も不要にできるということである。すなわち、130兆円もの積立金を国債と相殺したり、年間10兆円もの国庫負担を減らすことも可能である。
もっとも、少子化の完全解消はすぐには無理だし、低所得で保険料を十分払えなかった人にも最低限の給付を保障する必要もあるから、すべてを財政再建に使うことはできない。それでも、少子化を緩和することが、いかに大きなインパクトを財政に与えるかは、お分かりいただけるだろう。
3 消費税の増税戦略
次は、消費税の引き上げ方法を示す。財政収支のアンバランスを是正するために、消費税が必要なことは、改めて言うまでもない。問題は、どうやって、上げるかである。従来は、「何年までに上げる」と計画で縛る戦略できたが、失敗続きである。これに懲りず、再び同様のことをしようとしているのは、驚くべき反省のなさだ。
失敗の本質は、経済が変動することを無視し、法的アプローチで臨んできたことにある。2009年度までに消費税を上げて、基礎年金の2分の1国庫負担に充てると決めたところで、リーマンショックの経済危機のさなかでは、増税できないのは明らかであった。
他方、着々と負担増に成功している制度もある。それが年金だ。毎年9月に保険料率は少しずつ引き上げられてきている。2004年の年金改革で、多年にわたる引き上げを一括して決定したため、毎年の引き上げ時に政治問題になることもなく、わずかずつの引き上げだから、経済に大きな悪影響も与えずに済んでいる。
消費税も、これに学んではどうか。すなわち、毎年、1%ずつ自動的に引き上げることを一括して決めればよい。ただし、消費税は1%で2.5兆円もあるため、この刻みを細かくできないのであれば、引き上げには、経済条件を付すことが必要になる。例えば、前年の名目成長率が3%以上、物価上昇率が1%以上を条件とする。経済が条件を満たせないほど不調なら、見送ることにするわけだ。
この戦略では、「いつ上げられるか分からない」と思われるかもしれないが、どの道、デフレや低成長にあっては、経済への悪影響が大き過ぎ、引き上げは無理なのである。強引にすれば、経済を失速させ、却って税収を落ち込ませることになる。そもそも、財政赤字の弊害とは、インフレの亢進なのだから、物価上昇に応じて増税することが、経済的に最も正しい方法なのである。
この場合の政治的なメッセージは、「景気回復で所得が増えたら、増えた分から税を払ってください」というものになる。既に財政赤字は膨大であり、負担をはるかに超えるサービスを国民は受けている。その幾ばくかを所得増に応じて払ってほしいと訴えるのである。その際には、増税できなければ、インフレが進んで不公平になると説明することも大切だろう。
日本で消費税が上げられなかったのは、政治がだらしないからでも、国民が嫌がるからでもない。物価上昇率が低く、経済的に無理があったのである。日本でも、バブル景気に向かっていた1989年には消費税増税に成功している。結局のところ、失敗は、欧米との経済状況の差を理解できなかった財政当局にあると言えるだろう。
4 低所得層への手当て
消費税を引き上げるには、一定以上の成長率なり、物価上昇率が要る。例えば、物価上昇率が1%というのは、需要が供給を1%上回っているということである。その範囲内で消費税を引き上げ、需要を削減することは、物価を安定させ、ひいては成長を促すことになる。この場合の消費税の引き上げは、マクロ経済政策上も欠かせないものになる。
問題は、どうやって、そうした状態に持っていくかである。なにしろ、日本は長くデフレに苦しんでいる。そして、もう一つの問題は、消費税を上げるとなると、低所得層への手当ても欠かせないことだ。世の中には、年収150万円程度で暮らす人たちは大勢いる。所得税なら、非課税限度額の設定による免除も可能だが、消費税は、そういう人達からも否応なく徴収しなければならない。
そこでよく議論になるのが、食料品への非課税と給付つき税額控除である。しかし、前者は、何を食料品にするかの線引きが煩雑で、高級食材まで免税にするのかという問題も生ずる。後者は、給付の仕組みを一から作らねばならない。
そのため、現実的には、社会保険料の軽減で負担を和らげるのが最も効率的である。しかも、社会保険料には、低所得層にも同じ料率で課すという難点があり、「130万円の壁」という、一定所得を超えると一挙に保険料が課されるという不合理もある。これらを併せて解決したい。
現在、社会保険料は、年金保険が約16%、健康保険が約9%の計25%が課される。これが年収130万円を超えた途端、33万円(労使折半)もかかってくる。ワーキング・プアには大変な重荷である。また、「壁」のあることが正社員になるのを難しくし、使用者にとっても労働力の柔軟な調整を難しくしている。せっかくの能力を制度の枠に押し込める、日本経済でも最悪の規制である。
その解決策は、直立する「壁」を「スロープ」に変えることだ。具体的には、130万円から300万円までについて、保険料率をゼロ%から徐々に高まる形にし、300万円を超えたら本来の保険料率になるようにする。その際、軽減しても保険料は払われたものとみなし、軽減に伴って給付を受ける権利が減らないようにする。
権利を減らさないのだから、財政負担が必要になる。その総額は約2兆円である。ただし、このうち、年金保険分の1.2兆円については、すぐに措置する必要はない。給付は将来のことであるし、当面も年金積立金で賄えるからだ。また、将来的に措置しないことも、できなくはない。その場合は、マクロ経済スライドによって、全体の年金給付水準が引き下げられることで調整される。
さて、前に示した乳幼児給付の2.7兆円と保険料軽減の2兆円を合わせると、GDPの1%に近い所得の追加ができる。これが需要不足でデフレに苦しむ日本経済を浮揚させることは言うまでもない。しかも、これに必須の財政負担は健康保険の軽減分の0.8兆円だけである。それも、軽減策によって130万円を超えて社会保険に加入する人が増えるため、財政負担は更に小さいものとなろう。
乳幼児給付で保育などの労働需要を作り、保険料軽減で労働供給も促進する。需要と供給の両面からの、理想的な雇用拡大策になるはずだ。雇用拡大は、所得税や消費税の増加にも結びつき、成長によって消費税の引き上げも可能となる。財政は次第に改善に向かうだろう。
5 保険料軽減の意義
さて、社会保険料の軽減には、成長戦略の側面以外にも、大きな意味がある。それは、格差の是正である。保険料率が低かった頃なら、一律でも問題は少なかったが、保険料の上昇が続き、低所得層にとって負担は非常に重いものになった。しかも、高齢化に伴い、これから、ますます重くなっていく。
最低賃金でフルタイムで働くと、年収は約150万円である。この生活保護水準と大して変わらない所得に、38万円もの保険料(労使折半)がかかる。これでは自立の足を引っ張るようなものだ。消費税の5%アップですら、低所得層の軽減措置が議論されるのに、社会保険料は25%もあって一律である。軽減措置は、格差の是正に避けて通れない課題である。
また、一挙に社会保険料が課されるために、保険料を免れようと、労働時間を抑制する歪みも発生している。そのことがパートなどの非正規労働者を低待遇に押し込める結果になる。これは、夫の社会保険の庇護のない母子家庭の母などには著しく不利だ。日本で正規と非正規で差が大きく、容易に移れないのは、それを隔てる「130万円の壁」にも原因があると言わなければならない。
さらに、一律の賦課という低所得者に辛い仕組みは、保育や介護といった対人サービスが広がらない理由ともなっている。こうした分野では、求人は多いものの、低賃金であるために定着が難しい。社会保険料の軽減は、こうした分野で働く人たちの生活を下支えするとともに、サービス供給も増やすはずだ。近年、ソーシャル・ビジネスの重要性が盛んに言われるが、社会貢献的な仕事は低所得になりがちだ。「130万円の壁」の撤廃は、新しい公共も切り開くことになろう。
6 経済運営の基本
ここまで、社会保険を用いることで、財政赤字をほとんど出さずに、需要を追加し、雇用を拡大させる具体的な方法をお示しした。おまけに、少子化も解決し、格差の是正まで実現する。言われてみれば、あっけないほど簡単なことだが、これに日本が気づかなかったのには理由がある。
それは需要管理の軽視であり、サプライサイドの政策さえすれば、経済は成長するという思い込みである。成長の原動力は設備投資だが、これは需要動向を見ながら為されている。決して、金利や法人税率が決め手なっているわけではない。これは、経営者にとっては自明のことでも、経済学の教科書からは外れる考え方だ。
なぜ、こうした現象が起こるかというと、経営者は、収益性よりもリスクに強く影響されるからである。つまり、リスクがあると、たとえ期待値がプラスであっても、すなわち、機会利益がある場合ですら、あえて捨ててしまうのである。これは教科書の利益最大化の基準からすると不合理な行動になるが、現実的なものである。
経営者には、任期という時間の制約があり、設備投資で失敗と成功を繰り返すわけにはいかない。経済学上の期待値は、繰り返しの効かない状況では、意味をなさないのである。大損を避けるため、小さい機会利益を捨てるのは生き残りの知恵なのだ。一般の人でも、損害をカバーするのに保険料を払い、保険会社を儲けさせるという、期待値からすると不合理な行動をしているではないか。
したがって、経済運営においては、需要の安定が極めて重要になる。設備投資のリスクを癒すには、目の前に需要を示すことをおいて他にないからである。このことは、いかに低金利にし、法人税を下げても、財政再建で需要を抜いて先行きに不安を与えていては、設備投資も、成長もあり得ないことを意味する。
実際、2000年代においては、設備投資は、2四半期前の輸出需要にパラレルに動いてきた。同じ低金利下において、輸出関連の設備投資は伸び、内需関連が低迷したのは、需要の差である。そして、リーマンショクによって輸出が失われた時、経済は逆戻りすることになった。
世間では、法人減税と消費増税が喧しいが、これは余程うまくやらないと、経済に打撃を与えかねない。実は、この戦略は、日本が一度試している。1997年から99年かけてであり、消費税を上げて需要を削減し、法人税を引き下げて投資を促したが、結果は、惨憺たるものだった。このことを、皆は忘れているのだろう。
現在でも、需要の軽視は続いている。もし、2010年度予算で、前年度補正後と比較して10兆円も縮小していなければ、今年度後半の景気停滞を心配することはなかっただろう。10兆円はGDPの2%にも相当する。財政が危機的とは言え、潜在成長率に匹敵する削減を一気にすれば、経済に影響が出ないはずがない。もし、半分の5兆円程度の緩やかな削減に止めておけば、エコカー補助金も続き、補正予算を考えるまでもなかった。こういう需要管理のセンスの無さが不況を長引かせているのである。
経済運営で最も重要なことは、需要を安定させることである。政府自らが不安定要因になっていては話にならない。需要の安定を見て企業が設備投資を始め、それが所得増から消費増へと結びつき、更なる設備投資を呼び起こす、こうした自律的循環に移行するまで我慢が必要だ。財政が退いて良いのは、それからである。
現下のデフレ状況においては、需要の追加が必要であるが、これほど財政赤字が大きければ、それを赤字国債の発行で実施するには理屈を超えた忌避感があろう。だからこそ、この論文では、社会保険を用いて、財政赤字を出さずに需要を追加する方法を示してきた。そして、これが社会保障と財政を一体化させた、統合的な経済戦略というものの本当の姿である。
おわりに…雪白の翼を再び
戦後日本の世界史的な意義は、高度成長の経済モデルを創造し、発展途上国に伝播させたことである。輸出需要を起点に設備投資を起こし、内需に波及させて高い成長率を実現するモデルは、雁行的に成功物語を生み出した。残念ながら、今の日本は、財政再建を気にするあまり、内需への波及を自ら断ち切っている。
かつて、高度成長をリードした下村治は、日本経済は醜いアヒルの子ではない、雪白の翼で羽ばたけるのだと説いた。社会保険を需要管理に用い、再分配を果たして成長を遂げることは、これからの世界標準になる。雪白の翼は失われていない。羽ばたくなら、再び大空を舞えるのだ。
完結出生児数との言葉をご存知でしょうか?
少子化対策を考える人が見逃しているのが、どれぐらい生まれれば少子化でなくなるのか、ということです。もしも、団塊の世代の頃の出生数が今も続いていれば、日本の人口は約3億人となり、別の問題がおきます。団塊jrの出生数が続いても約2億人となります。したがってこの頃の出生児数は、異常値として、無視する必要があります。
完結出生児数の話に戻りますが、これは結婚した夫婦が生涯に生む子どもの数です。異常値を無視し、過去40年を見てみますと2.2から、ほとんど変わっていません。微減して現在は1.96(2010年)になっていますが、これでも十分な値です。
つまり、結婚さえすれば、子どもは十分に生まれるのです。だから、問題は未婚の増加です。
少子化の最大の原因は、未婚の増加というのが常識のはずです。未婚増加の要因は、晩婚化であり、晩婚化の要因は、社会に出る年齢が上がったからです。「乳幼児保育が高額だから、結婚しないでおこう」と考える人が増えたとはとても思えないのですが、私の知らない間にそれが常識になったのでしょうか? 裏付けとなる文献などがあれば教えて下さい。
前コメントと同様の確認です。
「少子化の最大の原因は、乳幼児期の保育が圧倒的に不足していることにある」との点について、証明できる客観データを、是非ご教授ねがいます。
可能であれば、人口や年齢構成などはほぼ同じで、保育だけが、方や充足され、方や不足している地域を多数比較していただきたい。
是非、よろしくお願いします。