「日本破綻を防ぐ2つのプラン」という新書を読ませてもらったが、執筆した小黒一正さんは、端的に言って、コアになっている「世代間負担」について、十分に理解していないように思える。それでいて、「世代間公平委員会」を設けて、負担と給付を正せというのであるから、危ういものを感じる。
小黒さんは、世代会計を基に、年金制度などで、高齢者世代は「得」をし、若齢者世代は「損」をしており、ゆえに、若齢者世代は、高齢者世代から搾取されているとするのだが、これは、世代間負担論の初学者に見られる典型的な誤りである。ここを理解できているかどうかが、社会保障論のプロか否かを分けるといっても過言ではない。
公的年金制度は、親世代の給付を子世代が負担するという「賦課方式」によって運営されている。この賦課方式には、「フリーランチ」が発生するという特殊な性質があり、それゆえ賦課方式が採用されているとも言える。経済学の教育では、この「フリーランチ」は、通常は発生しないとするため、なまじ経済学を知っていると、かえって間違いを犯してしまう。
公的年金のフリーランチとは、寿命が延びる長寿化が起こった場合、その世代は、より長い期間に給付を受けることができ、その分、「得」をするというものである。一見すると、それを支える子世代は、負担増になって「損」をするように思えるが、彼らも老後は、長くなった期間の給付を受けるため、「損」をすることはない。こうして、「得」だけが生じるという珍しい現象が起こる。
このフリーランチのタネ明かしをすると、「損」をするのは、最終世代ということになる。最終世代は、子世代を持たないので、負担するだけで、給付は受けられず、そこで「損」が出る。最終世代に子世代がないということは、その社会なり、国は、その世代で絶滅することを意味する。最終世代の「損」を問題にしないのは、絶滅を前提に制度を設計しても仕方ないからである。年金の損得を正すより、絶滅の回避が優先されるのは、当たり前の話だろう。
以上から言えることは、絶滅しないように、きちんと社会を維持していけば、賦課方式からは「得」しか生じず、「損」が表れることはないということだ。ところが、日本では、小黒さんが言うように「損」が出ようとしている。それは、日本では、緩やかな絶滅の過程である「少子化」が起こっているからだ。つまり、「損」が発生は、少子化を起こしたからなのである。
お分かりだろうか。長寿化による「得」と、少子化による「損」には、直接の因果関係はないのであって、それを、高齢者世代は「得」をして、若齢者世代は「損」をしていることを以って、経済学のフリーランチの常識的な発想で安易に結びつけ、「搾取されている」と叫ぶのは、誤りだということである。
例を挙げて説明しよう。仮に、若齢者世代が「損」は不公平だと叫んだとしよう。そうすると、高齢者世代からは、「君たちが少子化を起こさなければ、「損」は出なかったのだから、「損」は少子化の原因者が負うべきだ」という反論を受けるだろう。そして、「損得を騒ぐより、少子化を何とかしなさい」と諭されるのがオチだ。少子化は、放置すれば、絶滅に至るのだから、甘く考えてはいけない。
しかも、日本の高齢者世代は、過去に、給付に必要な以上の保険料を払って、小黒さんが言うところの「事前積立」を行っている。130兆円に及ぶ公的年金の積立金がそれである。筆者の推計では、出生率が1.75程度の緩やかな少子化であれば、「損」が出ない程度の準備は、してくれてあった。
ところが、小黒さんが「不公平」を焚き付けている団塊ジュニア世代は、この「安全ネット」をも突き破る激しい少子化を起こしてしまった。団塊ジュニア世代は、自分たちの人数の6割しか子世代を残していない。支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前ではないか。
それでも、今の高齢者世代は、自分らの孫や子である団塊ジュニア世代を不憫に思って、多少は「損」を減らしてあげようと協力してくれるとは思う。しかし、団塊ジュニア世代を支える立場の子世代は、原因者責任を盾にとり、容赦することはしないだろう。彼らには、まったく責任のないことだからだ。小黒さんが団塊ジュニア世代を煽って悲憤慷慨させている「不公平」の刃は、団塊ジュニア世代に降りかかってくるのである。
団塊ジュニア世代が、この窮地から脱するには、小黒さんの主張する、ほとんど現実性のない更なる負担増による積立金の強化より、少しでも少子化を緩和する努力をすべきである。その具体的な方法は、本コラムの基本内容の「雪白の翼」に記したとおりだ。「損」の本質は、高齢者世代の「得」ではなく、少子化にあることを見失ってはならない。少子化の緩和は、「損」を減らすのに、負担増より遥かに効果的である。
一点、団塊ジュニア世代に同情を感じるのは、激しい少子化を起こしたのは、自由な選択の結果というより、緊縮財政が引き起こした就職氷河期のために、生活が安定しないで結婚のチャンスを失ったことや、緊縮財政が子育て支援策を惜しんで、子供を持つことを難しくしたことにあるということだ。筆者には、団塊ジュニア世代が怒りを向けるべき対象は、別であるように思える。
(今日の日経)
欧州銀のドル調達厳しく、国債保有に不安で金利高騰。欧州国債の売り圧力一段と。消費税・細る担い手、ひずみ拡大。維新の会に議会制民主主義超える危うさ・御厨貴。中国経済は8%台に減速。忍び寄る老いるアジア。日本車と競うメキシコ車。東工大5年制大学院導入。経済教室・外資受け入れ・林敏彦。工学教育はスキルとのバランス。
小黒さんは、世代会計を基に、年金制度などで、高齢者世代は「得」をし、若齢者世代は「損」をしており、ゆえに、若齢者世代は、高齢者世代から搾取されているとするのだが、これは、世代間負担論の初学者に見られる典型的な誤りである。ここを理解できているかどうかが、社会保障論のプロか否かを分けるといっても過言ではない。
公的年金制度は、親世代の給付を子世代が負担するという「賦課方式」によって運営されている。この賦課方式には、「フリーランチ」が発生するという特殊な性質があり、それゆえ賦課方式が採用されているとも言える。経済学の教育では、この「フリーランチ」は、通常は発生しないとするため、なまじ経済学を知っていると、かえって間違いを犯してしまう。
公的年金のフリーランチとは、寿命が延びる長寿化が起こった場合、その世代は、より長い期間に給付を受けることができ、その分、「得」をするというものである。一見すると、それを支える子世代は、負担増になって「損」をするように思えるが、彼らも老後は、長くなった期間の給付を受けるため、「損」をすることはない。こうして、「得」だけが生じるという珍しい現象が起こる。
このフリーランチのタネ明かしをすると、「損」をするのは、最終世代ということになる。最終世代は、子世代を持たないので、負担するだけで、給付は受けられず、そこで「損」が出る。最終世代に子世代がないということは、その社会なり、国は、その世代で絶滅することを意味する。最終世代の「損」を問題にしないのは、絶滅を前提に制度を設計しても仕方ないからである。年金の損得を正すより、絶滅の回避が優先されるのは、当たり前の話だろう。
以上から言えることは、絶滅しないように、きちんと社会を維持していけば、賦課方式からは「得」しか生じず、「損」が表れることはないということだ。ところが、日本では、小黒さんが言うように「損」が出ようとしている。それは、日本では、緩やかな絶滅の過程である「少子化」が起こっているからだ。つまり、「損」が発生は、少子化を起こしたからなのである。
お分かりだろうか。長寿化による「得」と、少子化による「損」には、直接の因果関係はないのであって、それを、高齢者世代は「得」をして、若齢者世代は「損」をしていることを以って、経済学のフリーランチの常識的な発想で安易に結びつけ、「搾取されている」と叫ぶのは、誤りだということである。
例を挙げて説明しよう。仮に、若齢者世代が「損」は不公平だと叫んだとしよう。そうすると、高齢者世代からは、「君たちが少子化を起こさなければ、「損」は出なかったのだから、「損」は少子化の原因者が負うべきだ」という反論を受けるだろう。そして、「損得を騒ぐより、少子化を何とかしなさい」と諭されるのがオチだ。少子化は、放置すれば、絶滅に至るのだから、甘く考えてはいけない。
しかも、日本の高齢者世代は、過去に、給付に必要な以上の保険料を払って、小黒さんが言うところの「事前積立」を行っている。130兆円に及ぶ公的年金の積立金がそれである。筆者の推計では、出生率が1.75程度の緩やかな少子化であれば、「損」が出ない程度の準備は、してくれてあった。
ところが、小黒さんが「不公平」を焚き付けている団塊ジュニア世代は、この「安全ネット」をも突き破る激しい少子化を起こしてしまった。団塊ジュニア世代は、自分たちの人数の6割しか子世代を残していない。支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前ではないか。
それでも、今の高齢者世代は、自分らの孫や子である団塊ジュニア世代を不憫に思って、多少は「損」を減らしてあげようと協力してくれるとは思う。しかし、団塊ジュニア世代を支える立場の子世代は、原因者責任を盾にとり、容赦することはしないだろう。彼らには、まったく責任のないことだからだ。小黒さんが団塊ジュニア世代を煽って悲憤慷慨させている「不公平」の刃は、団塊ジュニア世代に降りかかってくるのである。
団塊ジュニア世代が、この窮地から脱するには、小黒さんの主張する、ほとんど現実性のない更なる負担増による積立金の強化より、少しでも少子化を緩和する努力をすべきである。その具体的な方法は、本コラムの基本内容の「雪白の翼」に記したとおりだ。「損」の本質は、高齢者世代の「得」ではなく、少子化にあることを見失ってはならない。少子化の緩和は、「損」を減らすのに、負担増より遥かに効果的である。
一点、団塊ジュニア世代に同情を感じるのは、激しい少子化を起こしたのは、自由な選択の結果というより、緊縮財政が引き起こした就職氷河期のために、生活が安定しないで結婚のチャンスを失ったことや、緊縮財政が子育て支援策を惜しんで、子供を持つことを難しくしたことにあるということだ。筆者には、団塊ジュニア世代が怒りを向けるべき対象は、別であるように思える。
(今日の日経)
欧州銀のドル調達厳しく、国債保有に不安で金利高騰。欧州国債の売り圧力一段と。消費税・細る担い手、ひずみ拡大。維新の会に議会制民主主義超える危うさ・御厨貴。中国経済は8%台に減速。忍び寄る老いるアジア。日本車と競うメキシコ車。東工大5年制大学院導入。経済教室・外資受け入れ・林敏彦。工学教育はスキルとのバランス。
以下の議論は動学的に効率的な経済では理論的にあり得ない。数式を書けば一発で証明できるのですが・・・。
「公的年金のフリーランチとは、寿命が延びる長寿化が起こった場合、その世代は、より長い期間に給付を受けることができ、その分、「得」をするというものである。」「以上から言えることは、絶滅しないように、きちんと社会を維持していけば、賦課方式からは「得」しか生じず、「損」が表れることはないということだ。」