ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

信濃屋 @岐阜県多治見市

2014年01月16日 | 岐阜県(東濃・老舗)

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岐阜県多治見市のJR多治見駅近くの老舗うどん屋「信濃屋」。創業は昭和5(1930)年頃との事。名古屋から戦後にこちらへ疎開して来たんだとか。うどんで有名なだけでなく、「支那そば(中華そば)」でも有名なので、ラーメンを食べ歩いていた頃から名前はよく聞いていたが、日・月・火休みで昼のみの営業という高いハードルがあり、なかなか行く事が出来ずにいた。とうとう念願の訪問チャンスが到来し、平日の12時近くに店へ。自動車で行ったのだが、狭い路地の中にちゃんと駐車場があったので安心した。

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店の前に立っただけで、「あぁ、もうこれで口に合わなくても別にいいや」という位に思える風格ある店先の素晴しい佇まい。これだけはどんなにお金をかけても作り出せないよね。暖簾をくぐり、中に入るとテーブル1つに3つの卓袱台の小上がり、そして奥の座敷、とこじんまりしている。すぐに女性給仕の方から声がかかり、空きがあったのでテーブル席に着席。店主が顔を出し、温かい「うどん」か、冷たい「ころかけ」か、「支那そば」の3つの品があると丁寧に説明を受ける。どれも食べたいが、中から「ころかけ」を注文。老舗でメニューも限られているという店なので、どんなに頑固な人が出てきても驚かないが、とても腰の低い主人で、こちらが恐縮してしまうほど。

注) 私の住む中部地方では「ころ(香露)うどん」というメニューがよく見られますが、これはうどんやきしめんにやや濃いめのつゆをかけた、冷たいものを指します。ただし店によっては完全に”冷やし”のところもあれば、”ぬる”ぐらいのところもあります。”香露”とはたまり醤油と鰹節の(香)るつゆ(露)という意味らしい。そういえば他所では聞かないと思い調べたら、この「ころ」という呼び名の発祥は、まさに戦前名古屋にあった疎開前のこの信濃屋からだそう(※諸説あります)。

調理場の様子は扉があって伺い知ることが出来ないので、長い年月を経た味のある店内の造作を眺めながら待っていると、意外なほど早く丼が置かれた。中には胡麻を散らした太いうどんと摺り生姜、刻み葱がたまり醤油由来の濃いつゆに浸っている。麺をひとくち口に入れて驚いた、今までに味わった覚えのない食感。ふわっとした口当たりだが柔(ヤワ)ではない。かといって麺に強いコシがある訳ではない。でもしっかりと存在感はある。何とも言えない旨い麺だ。その麺が風味の良い濃いめのつゆに浸かり本当に旨い。食べ始めると店主が扉を開けて、「つゆの濃さを調節しますので教えて下さいね」とひとりひとりに声をかけてまわる。思わず「おいしいですっ」と返事してしまった。

量的にはあまりないし、値段も決して安くはないが、この麺と味は唯一無二だと思う。うどんでこんなに感動出来るとは思わなかった。追加で温かいうどんか支那そばも食べようと思ったが自重して勘定した(後から「小盛」があったと知る・残念、また行こっと)。(勘定は¥660)


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店舗の外のガラス窓には変体仮名で品書きが書いてあり、意外にも昔は色々なメニューがあったことを偲ばせる。写真の右から順に、

手打
宇登ん(うどん)
古ろかけ(ころかけ)
支那楚バ(しなそば)
志能多(しのだ)
阿んかけ(あんかけ)
花ま喜(はなまき)
天婦ら(てんぷら)
鳥奈んバ(とりなんばん)
お可免(おかめ)
玉子登じ(たまごとじ)
松月(しょうげつ)

 

信濃屋

岐阜県多治見市上野町3-46

 

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<追記>

自分の考えとしては「香露」から”ころ”っていうのはちょっと綺麗過ぎやしないかと…。こういう俗称はやっぱり市井の人々が馴染む言葉から生まれるものだしね。しかも発祥といわれるこの店でも「古ろかけ」(古は変体仮名)と書いてあり、”香露”の文字は見当たらないし。


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