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KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『線で繋ぐ石鎚山~剣山』 黒滝山~土佐岩原駅

2022年06月18日 | 四国の山

線で繋ぐ石鎚山~剣山も四国中央部の登岐山周辺を何とかクリアして、

その次の区間になるカガマシ山~野鹿池山間は、取りあえず登山口までの県道の通行止めの

様子を見ながら時期を見て歩くことにした。

ではその次はというと野鹿池山の東の黒滝山から土佐岩原駅の区間になる。

この線で繋ぐ石鎚山~剣山はエントツ山さんは単独無支援で13日間で歩き通したが、

当然自分たちにはマネのできるはずもなく、詳しく書かれているレポートを見ながら、

途中の様子を参考にさせてもらっている。

そのエントツ山さんとは別にYAMAPのプチファーマさんが、

独りで基本、日帰りで繋いでいる活動日記を参考にさせてもらっている。

そのプチファーマさんは土佐岩原駅から黒滝山までを往復して8時間40分ほど

かかっていた。そしてこの区間は消化試合と書かれていた。確かに黒滝山から

吉野川までは、見晴らしもほとんどなく、ただただ線で繋ぐだけの区間。

しかもその上で岩原駅から黒滝山までの標高差はおおよそ1,000m以上ある。

これといったピークがあるわけでもなく、ほとんど歩く人のいないこのルートを

プチファーマさんの様に往復する気力がどうにも湧いてこない。そう思って色々調べるうちに

黒滝山の東側に山頂近くまで林道が続いているのが目に入った。しかも航空写真を見ると、

その林道からさらに県境尾根に向かって林道らしき道が続いていた。しめしめ・・・・・!


そこはへっぽこリーダー。如何に楽して線で繋いでいくかと言う事で、岩原駅に車一台を置き、

その林道にもう一台をデポしてスタート。黒滝山まで一旦登って、そこから折り返して

土佐岩原駅へと下って行くという妙案を思いついた。誰かに後ろ指をさされようが、値打ちが

下がると言われようが、結局は自己満足の世界なので人と比較しても仕方がないと思っている。

同行している奥様たちと共有できる時間、そしてエントツ山さんやプチファーマさんが歩いた軌跡を

共有できること事を大切にしたいと思っている。


そんな感じで岩原駅に集合した後、私の車で黒滝山の山頂近くまで続く林道へと車を走らせる。

この辺りの山間部はどこもそうだが、けっこう高い場所まで民家があり、その集落の中を

複雑に絡み合うようにして道があちらこちらに派生していて、車のカーナビには林道は

載っていなくて、スマホのGoogleMapのカーナビに案内してもらわないと目的地まで

たどり着くのが難しい。最終民家を過ぎると、道はアスファルトからコンクリートの道になり、

所々で道の両側から雑草がはみ出しているのを避けながら何とか予定していた場所まで

たどり着いた。道の脇からは今日歩くだろう岩原へ続く尾根が見えた。








航空写真で見た林道はもう使われていなくて、草木が道を覆っていた。ここ数日降った雨でまだ

濡れている草の中を歩いて行くと、直ぐに足元はずぶ濡れになった。航空写真にあった林道は

直ぐに杉林の中の作業道になった。その作業道を道なりに進んで行くと破線の道に出た。

この破線は地形図では南に向いて県境尾根へと続いていているが、途中で途切れて分からなくなった。

仕方がないので作業道から左手に尾根へと乗っかり、そのまま上へと歩いて行く。

道は無いがこのまま進むと尾根へと飛び出すはずだ。














森林組合のピンクのテープはあるが登山のルート用ではないので、とにかく尾根を外さない

様に歩いて行くと、県境尾根に出る手前でガスが流れ始めた。急登で汗を掻き始めた身体には

冷たいガスが涼しくて心地よい。










破線からは外れたが適当に登って行くと、山頂手前の小ピークで県境尾根に出た。

そこから一旦下って登り返して行くと尾根には大きな岩が現れた。













大岩を回り込みながら緩やかな尾根を進んで行くと見覚えのある広場に着いた。

前回、あっちゃん野鹿池山から歩いてきてお昼ご飯を食べた場所だった。

そしてその奥が山頂標の立つ黒滝山山頂だった。

ルリちゃんは私たちとは別にWOC登山部で同じように野鹿池山から歩いてきている。

前回の登岐山の藪漕ぎを想定して古いザックに変えて歩いたら、案の定今日の新しいザックに

いつもの三脚を入れ替えるのを忘れて、三人での記念撮影は諦め、奥様二人の記念撮影。













写真を撮りトラックが繋がったら長居は無用、岩原駅へと県境尾根を戻って行く。

が~しかしこの黒滝山山頂も北へも支尾根が派生していて、間違って下って行ってしまう。

兵庫山では40分近く下って間違いを気づいたが、今回は直ぐに間違いに気づいて山頂近く

まで戻って出直し下山開始。県境尾根は最初は自然林の尾根が次に高知側が自然林、

徳島側が人工林の尾根になり、そのうちに植栽林の杉林の中の尾根になる。







杉林の中になると、枯れ枝が積もってほとんど踏み跡は分からない。ガスが立ち込めたり

さ~っと流れたりする中を、県境の杭を目印に歩いて行く。








黒滝山から岩原駅までは下って行くだけと思っていたが、意外とアップダウンがある。

あっちゃんは前回の登岐山周回の時から膝の調子が悪く、黒滝山山頂で下り坂に備えて

サポーターを巻いたが登坂も結構あって以外とペースが落ちない。

1167mの標高点を過ぎ、破線が尾根を跨いでいる場所からさらに進んで行き、

急登を登り詰めると三峯示山に着いた。このピークは地形図にも掲載が無く、

三角点もなく、『みよし三歩会』の人たちが作った山頂標が立つだけの場所だった。










その山頂標の後ろには何故か錆びた草刈り機が立てかけられていた。途中の尾根道が

草刈りされた様子もなく、こんな山の中まで持ってきて置き忘れたのか?不思議だ?




ここで車酔いから回復したあっちゃんが、『お腹が空いた!』と騒ぎ始めた。

取りあえず行動食のおにぎりを頬張るが、『お昼ご飯をどこで食べるの?』としきりに聞いてくる。

時間はまだ10時40分。『地形図にある林道のあたりで丁度お昼になるのでそこにしましょう!』

と答えるが、納得していない様子だった。

三峯示山から10分強で市女笠山に着いた。この山も三峯示山と同じで三角点はなく地形図には

山名も記載されていないが、YAMAPではこの二つが山頂ポイントになっていて、

奥様たちは、今日も新しく二つのポイントをゲット出来て満足されたご様子だ。

それにしても黒滝山からここまで約2.5km歩いてきたが、黒滝山の標高が1209mで

この市女笠山が1208mとは、僅かに1mしか下っていないことになる。

山名となっている市女笠(いちめがさ)は平安時代中期から、公家の女性が外出する時に使った、

中央部が突起した笠の事らしいが、遠くから見るとこの山容がその笠に似ているのだろうか?













市女笠山山頂からは少し東に歩いて直ぐに南に向かって下って行く。ここでも北に向かって

広めの支尾根が続いているので安易に進むと間違えてしまう。先ほどの轍を踏まないように

GPSで確認しながら、南への県境尾根へと下って行く。










急坂を下りきると鬱蒼とした杉林の中の尾根になる。この辺りの杉林は

植林はしたもののほとんど手が入れられていなくて、枝打ちもされていない。

幹の下の方から枝が伸び、とても雑多な雰囲気がする。







その騒がしい杉林を過ぎると1196mの三角点への急登となる。やはり登りになると

奥様二人には離されてしまうへっぽこリーダー。斜面は適度に湿り気が合って踏み込むと

靴底が少し沈んでグリップが効いて助かる。これが乾いていたり、濡れてぬかるんでいたり

したらとても登れたもんじゃない。そんな急登を息を切らせて登りきると、四等三角点・大砂子に着いた。













大砂子の三角点からは植生が自然林へと変わっていく。調子よく下って行くルリちゃんと

やはり下りでは少しペースが落ちるあっちゃん。










そんなあっちゃんが立ち止まって何やら地面を見ている。『カエル、カエルです!』

と言っているが、私にはストックで指す方向に全くカエルが見えない。

『ココ、ココ!』とあっちゃんが差すストックの先に、落ち葉と全く同じ色の

保護色になったヒキガエル?。少し離れてみるとまた分からなくなるほど全く

同じ色をしている。あっちゃんがストックで直ぐ近くを突いてみるが、逃げようともせず

ビクリともしない。このカエル、保護色で見つかっていないと思っているのだろうか?




縦割れした大岩の横を過ぎ、更に下って行くと右手に林道が見えた。

地形図に載っている実線の林道だ。やっとお昼ご飯が食べられると喜び勇んんで

あっちゃんが下ってきた。











林道で待ちに待ったお昼ご飯。奥様たちはタッパに入れてきた冷やしうどん。

私はコンビニで買った山かけそばを食べる。尾根でもあちらこちらで地面一面に

白い花弁が散っていたが、ここでも腰掛けた土の上に大量に散っていた。

見上げるとエゴノキの白い小さな花が、下向きに一斉にこちらを見つめていた。








お昼ご飯を食べ終えて、ここから32号線まではほぼ林道歩きになるはずだ。

ただここで1000mの標高を32号線の200mの標高まで一気に下ることになる。

のんびり下道歩きと思っていた当てが外れて、意外と急な箇所が多い。

途中からは荒れたコンクリートの道になる。それにしても車を含めた不法投棄が

やけに目立った。最終民家の場所までに車は4台捨てられていて、冷蔵庫から

農機具まで大きめのものを、よくこんな道の悪い場所までわざわざ運んできたもんだ。













最終民家からもコンクリート道が続いて行く。硬い路面が堪えてきたのか

ルリちゃんが珍しく音を上げるている。







一旦、林道下名太田口線に出て、少し東に歩いてそこからまた下道を下って行く。

途中で道が崩れて行き止まりになった場所では、その工事のための仮設のトイレの

脇から今度は山道を下って行く。














山腹から山裾の景色が見え始めると、地形図にも載っている新田神社の前に降り立った。







神社に手を合わせて、更に下に広場になった場所に下ると大砂子小学校跡地と彫られた

石柱が立っていた。高知県内には600校近くあった小学校が、現在は230校になっている。

市町村の合併に伴って、小学校も統合されたりしているが、山間部の小学校も過疎化で

ほとんどが閉校になっている。この小学校も東部の4小学校統合で大砂子分室になり、

その後昭和45年に閉鎖となったそうだ。記念碑の後ろには索道の基柱が残っていた。







大砂子跡地からは民家の間を気兼ねしながら石段を下って行く。今はほとんどが車で

行き来できるので、石段自体はあまり使われていないのか、少し荒れ気味で歩きづらい。










昼食後から林道を下り始めて1時間45分ほどで32号線へやっと下りた。

ほとんどコンクリートの道の下りは予想以上に堪えた。普段元気なルリちゃんも

『これだったら登った方が良かったわね』と少し疲れた様子だ。




国道32号線を岩原駅に向かって歩いていると、国道の下の吉野川から

何やら歓声が聞こえてきた。ガードレール越しに覗き込んでみると、ラフティングに

興じている学生らしき姿が見えた。何艘もボートで大勢が遊んでいる所を見ると

どうも修学旅行生らしかった。











そんな黄色い歓声を聞きながら岩原駅へと戻って行く。行動時間5時間30分。

累積標高は登りが625m、下りが1425mと予定通りほとんど下りの行程だったが、

予想外にアップダウンもあって、楽勝と思っていたのが大間違いの区間だった。

下りの途中から右足の小指が登山靴の中に当たってずっと痛かった。帰って見てみると

皮が剝けて赤く腫れあがっていた。雨降りの後で濡れた路面の下りを想定して、

グリップの効く、普段は履き慣れていないモンベルの靴を履いたのが悪かったようだ。

一部の区間を残してだが、これで石鎚から石鎚山系の東端の黒滝山、そして吉野川まで

やっと繋がった。次の岩原駅から京柱峠をクリアすれば、その次は矢筈峠から東。

いよいよ剣山系が近づいて来たぞ!







今日のトラック



今日の3Dトラック

『線で繋ぐ石鎚山~剣山』 野地峰~兵庫山

2022年06月02日 | 四国の山
先週半年ぶりに線で繋ぐ石鎚山~剣山を再開・・・・の予定が県道5号線の通行止めで

二転三転して、予定していた区間を歩く事が出来なかった。

先週のコースは今回歩いた野地峰~兵庫山の予行演習のつもりだったが、結局予行

演習は出来ずに本番を迎える事となってしまった。

今回の区間の課題はまずは大登岐山のスズタケ大藪。次に野地峰~登岐山ピストン

と兵庫山と登岐山ピストンの二回に分けて歩くか、一回で縦走するかのコース取り。

一回で歩こうと思ったら、一台を白滝の里山に、もう一台を桑ノ川林道にデポ

することになるが、この間の移動にかなりの時間がかかり、車酔いをする奥様が

いるので極力避けたいコース取り。それならと思いついたのが北側の富郷側から

周回は出来ないかという案。地形図には兵庫山の山頂近くまで破線が延び、

野地峰からも北に真っすぐ破線が続いている。この計画をエントツ山さんのアドバイスを

求めたら、実際に何回か周辺を歩いてくれて、10~11時間くらい

かければ歩けそうだと教えてくれた。そのアドバイス通り冬場は阿讃縦走路に

切り替え、日中の時間が長くなるのを待って、今回、アドバイス通りのコースを

チャレンジしてきた。


早起きが苦手なあっちゃんの愚痴を無視して、6時にいつもの豊浜SAに集合して

四国中央市から国道319号線を法皇トンネルを越え、金砂湖を西へ。富郷ダムを越えて

法皇湖に架かる最初の橋を対岸へと渡って落合と書かれた標識を右折。

銅山川の支流の橋を渡って大きなヘアピンカーブの脇に車を停めた。

時間はいつになく早い7時前。先週ならまだ集合場所に向かっている時間だ。







車を停めた場所から左に林道へと歩いて行く。途中に重機を停めた小屋があり

さらにその奥に落合橋。その橋を渡って左に地道の林道へ入って行く。

林道に入ってしばらくすると山側にピンクのテープが木の枝にかかっていて、

ここが取りつきとなる。取付きからひょいっとひと登りすると林道というより

杉の植林地の作業道が続いているが、その作業道に出るまでに分かりにくい場所

にはテープがあるので迷う事はない。



















作業道は地形図のほぼ破線通りに続いている。途中S字になったヶ所が崩れて迂回路

になっていて、少し破線からはズレていたがあとはほとんど問題なく歩いて行ける。

















途中、道にはピンクのテープや細い赤と銀色のテープと色々なテープがあったが、

赤のテープが恐らくエントツさんが検証歩きをした時に付けてくれたテープかな?










作業道はあるが、間伐された木は運び出される事なく辺り一面転がっている。

途中何ヵ所か谷側に石積みが残っていたが、ひょっとすると作業道用というよりは、

遠く昔は峠道として利用されていた道かもしれない。













作業道に沿ってどんどん登って行く。エントツ山さんが掲示板にこの登りの道で大きな

分岐はここだけ!と写真をアップしてくれていた場所を、指示通り右に進んで行く。







地形図では1100m付近で破線が途切れている。ここからは兵庫山の北の鞍部に

向かって続いている支尾根を辿る。尾根に出ると道には立派なアカマツの巨木が

何本もそびえ立っていた。














破線が途切れていたので少し不安だったが、明瞭な道が続いていく。

道は尾根筋より少し北側を巻くようにして続いている。










ここまでの間何枚か見た保安林の立て看板は、どこも倒れ掛かっていたが、

その脇に今日初めて見る『兵庫山 愛媛 落神会』と書かれた矢印の紙があった。








尾根道が痩せ尾根になってくると、シャクナゲの淡いピンクの色が目に飛び込んできた。

葉の先に尖った蕾を付けている所を見ると、まだ咲きはじめなのだろうか?











兵庫山北側の天堤山へと続く鞍部に出た。前回玉取山からの縦走で間違って下って

行ってしまった道だ。山頂直下は結構急登が続いている。













兵庫山から玉取山に折り返すには、山頂から北に歩いて直ぐに右に下らなければ

ならないが、真っすぐ北にも道があるので間違えやすい。前回は安易に真っすぐ下って

しまって40分も下って間違えたのに気づいた。(この石柱の奥で道は分かれている)




前回、玉取山からの線を繋いだのが昨年の11月19日。おおよそ半年ぶりの兵庫山。

山頂からは桑ノ川の谷あいの奥に白髪山と正面にはこれから向かう大登岐山

















兵庫山からは一旦下って小さなピークを越えて、大登岐山へと県境の道が続いている。

山頂から急坂を下って行く途中で、いつもは登りは弱いが下りでは問題がないのに

急に足が動かなくなり、前を歩く奥様たちがどんどん離れていく。







鞍部で一旦追いつくが、そこから登りになると更に間隔は開いて行く。

以前にも一度コンディショニングタイツが暑くて足が動かなくなった事があった。

それとも今日に備えて家で足踏みマシーンをし過ぎたせいだろうか、足に錘でも

付けたように重く、ほとんど前に進んで行かない。















自然林の新緑が目に眩しいが、額から流れ落ちる汗が目に入りそれを楽しむ余裕もない。







道の両側には葉の落ちたスズタケが目立ち始めると、前を歩いていたルリちゃんが

立ち止まって何やら覗き込んでいる。『これは笹の花かな?』と聞いてきた。

その茎の先には紫色の花らしきものが付いている。

『スズタケの花だったら100年に一度咲くと言われるので珍しいです!』と答える。







その先ではシャクナゲがまた咲いていた。シャクナゲの咲く尾根はどこも

似通っていて、岩が露出しその岩の周りにシャクナゲの根っこが絡みついている。










道の脇に大きなズタ場



シャクナゲ尾根を過ぎると、また少し広い笹の広がる尾根道になり山頂が近づいてくる。

この辺りでもう足はほとんど動かず、背中の張りが益々酷くなる。








露岩の尾根を右手に見ながら登って行くと、山頂手前で尾根に乗り、見晴らしのいい

場所に出た。尾根の直立した大きな岩肌が見えた。さらにその先では正面にこれから

まだまだ先、続いて歩く野地峰までの稜線が見えた。










大登岐山は木々に埋もれてはいるが、所々に岩肌も見える険しい山頂になっている。

山頂手前でそんな露岩の尾根を回り込んで行くと山頂に着いた。白骨樹に

消えかかった文字で大登岐山と書かれている。













その山名札のさらに奥は南に向かって展望岩になっていた。

佐々連尾山の中川峠に続く笹原尾根から始まる、北東から南西に

かけての嶺北の山並みが一望できる。

その展望岩の手前で登岐山へのテープがあり、一旦急坂を下って行くのだが、

足の張りと腰と背中の張りがピークで、ニコニコ顔の奥様たちを他所に、登岐山へは

行かずにこの大登岐山で奥様たちを待つことにする。山頂の平らな岩に腰掛けていると

登岐山に向かっている奥様たちの話し声がずっと聞こえていた。その話し声とは別に

ずっと同じ場所で鳴いている動物の声が聞こえていた。聞いたことのない鳴き声だったが

恐らくけがをして動けなくなった鹿が、悲しそうに鳴いているのではないかと思った。



















山頂からは西に法皇山系から石鎚山系が見渡せる。しばらくすると登岐山から

戻って来ている二人の声が聞こえ始めた。あっちゃんがルリちゃんに『KAZASHIさん、

ここでお昼ご飯にするかな?』と聞いている。時間はまだ11時だが仕方がないので

これから歩くスズタケ大藪を前に腹ごしらえをすることにする。

結局、奥様たちが登岐山を往復するのと、お昼ご飯の時間を入れると、この

大登岐山で1時間あまり居た事になる。

















お昼ご飯を食べ終えた後、さぁ~ここからが今日の核心部。YAMAPを見ると

ほとんどの人がここのスズタケ大藪で苦労したと書いてある。

先ほど山頂直下で尾根に乗っかった場所の反対側が黒岩山への縦走路の取付きになっていた。

最初は尾根からの急な下りをテープを見ながら下って行く。その内直ぐにスズタケの

色が濃くなり、そのスズタケを掻き分け進んで行く。














ただここのスズタケ藪は足元を見ると踏み跡なのか、獣道なのか空洞が続いている。

スズタケは身長以上の背丈になっているが、足元の空洞を見ながら下って行けば

ほぼルートを外すことはない。『なんでみんなここで道を間違えるんだろう?』

なんて上から目線で考えながら下っていると、一度だけその空洞があちこちにあって

岩の崖になった場所に出て行き詰ってしまった。

崖の下はどうなっているかと膝を曲げて覗き込んでみると、屈んだ左足の太腿が

攣ってしまった。足の先やふくらはぎが攣るのはよくあるが、太腿が攣るのは

なかなかない。その筋肉が大きいだけに攣った痛みは半端ない。足を曲げると

痛みが酷くなるので、何とか曲げずに歩いて行くがとにかく藪の中の事

思うようにはいかない。その岩場から軌道修正するのに少し登り返したが、

これがけっこう大変だった。スズタケは山頂から下に向かって傾いているので、

登って行くとその茎が突っ張って前に進みづらい。しかもその茎は掻き分けても

跳ね返ってきたりする。

結論、『このルートは登りよりも下りの方が断然歩きやすい』













一度間違えた場所からは修正して、また足元を見ながら下って行くと一旦藪が途切れた。

ここで油断したのかルリちゃんが足を滑らせたが大事には至らなかった。







その途切れた場所の鞍部から1369mのピークに向かって登りが始まるとまた少し

籔いてきたが、先ほどの下りの藪ほどではなく、平泳ぎしながらピークに向かって登って行く。

その藪が終わると周りの景色も見え始め、振り返ると先ほどの大登岐山。










計画ではエスケープルートとして下川峠から北に下るルートを検討していたが、

せっかくここまで来て、攣った足も何とかもちそうなので、予定通り野地峰まで

進んで行くことにする。

下川峠は尾根が広がった場所になっていたが、峠にしては鞍部ではなく、1369mの

ピークへの登りの途中の場所だった。







その下川峠からも少しスズタケ藪が続いていたが、先ほどと比べると密集度が

少なかったので、難なく歩いて行けた。







1369mのピークからは黒岩山の肩越しに、野地峰の反射板が見え、いよいよ

最終目的地が近づいて来たのが判る。







そのピークから一旦下って今度は1231mの標高点へと向かって行く。

尾根道にはブナの木が目立ち始め、緩やかな下り坂の両側は木々と木々の間隔が広く、

新緑の間を日差しが地面まで降り注いで、今回のコースの中で一番素敵な場所だった。














1231mの標高点を過ぎると尾根には露岩が現れ始める。










途中の岩には『一二四 山中』と岩に文字が刻まれていて、更にその先では

『一一九 山中』と刻んだ平らな石が立っていたが、何の印なんだろう?







黒岩山山頂が近づいてくると、葉の落ちたスズタケとブナが点在する緩やかな尾根になる。










山頂下の笹原にこの黒岩山の主の八方ブナが立っていた。ただ写真で見た八方ブナと

違って、一番低い太い枝が折れて倒れたいた。














黒岩山は名前とは似つかない、岩ではなくゆったりとした雰囲気の山頂になっていた。

西には野地峰への稜線が続いている。あの峰まで歩けば、後は北に向かって下るだけだ。











山頂から少し先に三角点はある。石柱の下からすべて露出した三角点だった。







途中でルリちゃんからもらったこむら返りの薬が効いてきたのか、足の調子は

随分とマシになってきた。大登岐山の登りで足が動かなくなって、藪の下りでは

足が攣ってと散々だったが、野地峰まではもう少し。一旦下って、反射板に向かって

緩やかな坂を登って行く。











道の笹はきれいに刈り払われているが、歩きづらい露岩が続いていてスピードは上がらない。

とはいえ前を歩いていた奥様二人の姿は全く見えない。ほんと元気な奥様たちだと

言いながら独りトボトボ歩いて行くと、野地峰から東光森山を繋いだ時のスタート地点に

なった白滝の里山村が見え始めた。








反射板の下ではルリちゃんが腰を降ろして寛いでいた。あっちゃんの姿が見えないので

お花摘みにでも行っているのかと思っていたら、手に湿布薬の袋を持ったあっちゃんが

戻ってきた。どうやらあっちゃんも腰に張りが出てきたらしい。

ここで腰を降ろして、最後の行動食を口にする。










野地峰からは今日歩いてきた山々が一望できる。左の端の兵庫山から真ん中の

とんがり大登岐山。そして山頂に笹原が見える黒岩山。まだ下りの4kmほどが

残っているが、とにかくよく歩いてきたもんだ。










野地峰から西に縦走路を少し進むと右に侵入注意のロープがかかっている。

ここが地形図に載っている野地峰から北に続く破線。入り口には意外にも

『冨郷登山口』と書かれた札が木の枝に掛けられていた。北側からの登山も

決してマイナーではなかったんだと感心する。










破線の道は予想以上に明瞭な道だった。相変わらずいいペースで下って来るルリちゃん。

下りになった途端にスピードが落ちるあっちゃん。聞いてみると下りでは膝が痛く

なるようだ。これは私も同じで歩く時間が長くなると膝が痛み始める。







途中一カ所だけ少し崩れてザレた場所があったが、あとはほとんど問題なく下って行ける。







野地峰からの登山道の入り口にもあった、大きな碍子の付いた鉄骨が途中にも

何本か転がっていた。何か施設への送電線でもあったのだろうか?










1029mの標高点を西に巻くようにして道は続いていたが、この辺りから

少しづつ道の様相が変わってきた。1001mの三角点のある岩を頭上に見ながら

ここでも西側を巻いて下って行く。










その1001mの三角点を過ぎると、道は時々、掘割のような中の道になっていて

それを過ぎると折字登山口との分岐になる。ここから左に進むと折字への

破線が続いているが、北にも破線は続いている。ただしこの道はやまきぬさん

YAMAPでは破線通りに道は無く不明瞭となっていた。ならばとエントツ山さんが

落合橋から野地峰へと登って来た時に使った、ショートカットの尾根を下ることにする。

分岐ではエントツ山さんが付けたのか、取付きと右に赤テープが巻いてある。










しかし直ぐに赤テープは見失い、とにかくGPSを見ながら尾根を外さないように

下って行くが、次第に藪尾根になり、大登岐山のスズタケ藪以上に歩きづらい。

するとリーダーのあるある!で、掴んだ木が枯れた木で、そのまま折れて前に

転倒。数メートルずり落ちてルリちゃんの手前でようやく止まった。


そこからは先頭のルリちゃんと入れ替わって、道を確認しながらとにかく尾根を

意識しながら下って行くが、時々崖の様になった場所もあり、時間ばかりかかって

ショートカットにならないな~なんて思っていると、後ろから悲鳴が聞こえてきた。

ルリちゃんが先ほどあった崖の様な場所で5mほど落ちたらしい。幸い地面は松葉が

降り積もった柔らかい斜面だったので、事なきを得た。










尾根は灌木で塞がれて歩けず、何度も少し下を巻いて下って行く。枝で目を突きそうに

なったり、枝に帽子を引っかけて落としたりと、まともに立って歩けないのは

とにかく疲れる。悪戦苦闘の中そうこうしている内にふと目の前に赤テープが現れる。

この辺りから尾根の藪はなくなって、少しは歩きやすくなってきた。










そしてようやく杉の植林地の最上部に出てきた。ここでも赤テープ。







藪尾根に比べると目の前を遮るものが無く、断然歩きやすいのだが、とにかく

急な斜面で油断をすると転げ落ちそうになる。前を歩くルリちゃんはどんどん

スピードが上がっていくが、反対に膝が痛いあっちゃんのスピードが落ちていく。

『まだ着かないかな~!』と悲鳴にも近いあっちゃんの声が後ろから聞こえてくる。

この植林地には作業道は見当たらず、とにかく転げ落ちないように自分で

歩きやすいように右に左に向きを変えて下って行く。








藪とはまた違った苦闘の後、ようやく下の方に林道らしきものが見えてきた。

結局、野地峰から折字への分岐が2kmで55分。ショートカットが1.4kmで

1時間15分もかかった事になる。距離は短くできたが時間の短縮にはならなかった。







最後林道に降り立った時には大きな大きなため息がでた。







林道を車を停めたヘヤピンカーブの場所まで戻って行く。歩きやすくなった下道で

普段なら奥様二人のお喋りが始まるところだが、お二人ともやはり疲れているのか

黙々と歩いている。駐車場所までスタートから10時間30分。距離的には

そうでもないが、行動時間としてはココ一番の長時間になった。ただ『線で繋ぐ~』で

最大の懸案の区間を歩き終えて、三人とも心地よい疲れを感じながら帰路についた。











今日のトラック



今日の3Dトラック(クリック)

再開、『線で繋ぐ石鎚山~剣山』の予定が・・・。

2022年05月28日 | 四国の山

ギックリ腰の再再発、そしてその後の原因不明の腹痛と、山歩きには絶好の季節に

なった途端に身体の調子が悪くなり、毎週欠かさずお山に出かけていたのに、

4月~5月にかけてはお休みする日が度々あった。その度奥様たちには断りを

入れていたが、その度申し訳なさで小さな胸が張り裂けそうになった 。(*´▽`*)

何ていう事は全くないのだが、お休みばかりでは奥様たちの目がだんだん

吊り上がっていきそうなので、体調は良くなってきたのでまずは『線で繋ぐ

石鎚山~剣山』を再開する事にした。

昨年冬に入る頃に一旦中断した場所が野地峰~兵庫山の区間。

そしてこの区間にはほとんどの人が苦戦したスズタケ大藪の登岐山がある。

しかもこの区間は野地峰の登山口となる白滝の里山村までがけっこう遠く。

縦走コースで車をデポするのにも頭を捻らなければならない。そんな話をエントツ山さん

掲示板に書き込んだら、北側の富郷ダムのある法皇湖側からのルートを検討してくれて、

実際に検証して歩いてくれたりした。その結果10時間以上かかるかもしれないが、

落合橋~兵庫山~登岐山~黒岩山~野地峰を周回出来ない事はないと提案してくれた。

周回できればその区間を一回で歩けて、しかも落合橋までなら車の移動時間も短く、

クネクネの山道もほとんどなく、車酔いをするあっちゃんでも問題ない。

(前回の白滝の里山村までは酷い車酔いをした)

その周回コースを想定して、同じような高度差の鋸山を4月に北側の四国中央市から

登ってみた。次に今回は登岐山の大藪を想定して、橡尾山の藪で予行演習してみようと

カガマシ山~橡尾山~笹ヶ峰の周回コースを計画してみた。

ネットを調べてみると橡尾山の笹薮は、登岐山のスズタケ藪ほどではないので

問題はなさそうだが、それ以前に登山口までのアプローチが問題の山なのだ。

新宮町と大豊町を結ぶ県道5号線は、2018年から何ヵ所もの道路崩壊や

路肩崩壊で通行止めになっている。工事はなかなか進んでいなくて未だ開通

していない区間なのだ。いつも事前にチェックする、四国地方道路情報システム

でも通行止めの✖印がなかなか消えない。日曜日なら工事もお休みらしくて、計画した

登山口近くまで車で行けているようだが、平日は通行できるかどうか分からない。

幸い笹ヶ峰隧道から大豊側に以前は通行止めの✖印が付いていたヶ所が消えて

どうやら笹ヶ峰隧道までは走れそうなので、計画した新宮側からではなく、大豊側

から反対周りで歩こうと、集合場所の豊浜SAで奥様たちに急遽提案して、高速道路を

大豊ICまで走り、県道5号線を北上した。県道のトンネルを抜け赤い川口大橋を

渡ると右折する場所には『愛媛県側通行不可』『県道5号線災害 愛媛県側には

通り抜けできません』と看板がかかっていたが、頭の中では四国情報システムの

情報を信じ切っていたので、そのまま車を走らせた。途中何ヵ所か工事中の場所が

あったが、旧立川番所書院辺りまでは道幅も広く快適に飛ばして行く。

道幅が狭くなり、いよいよ笹ヶ峰南の登山口が近づいてきた時、道の横には仮設のトイレ

と現場小屋。その先は作業中のトラックとクレーン車で道が塞がれていた。

アチャ~!まさかの通行止め。車を降りて作業をしている人に恐る恐る、『人だけ

でも通れませんか?』と尋ねたら、しばらく考えて『人は通れるけれど、何かあった

時に責任はとれないので・・・・。』と。『自己責任と言う事でどうでしょう?』

などど粘ってみたが、結局OKは出ず、奥様たちの待つ車まで肩を落として戻って行く。

当初の計画(これを逆回りに笹ヶ峰の南側スタートに計画変更)



車に乗り込んで直ぐに『それじゃ~三傍示~笹ヶ峰に変更しましょう!』と奥様たちに

話をして、県道5号線を引き返す。途中、旧立川番所書院の案内板のある場所から東に

林道を三傍示山の登山口に向かって走って行く。途中で一ヵ所土木作業中の場所があり、

それを過ぎると大規模伐採の作業地。そしてそれを過ぎて、三傍示山が左手に大きく

見え始めると、道の脇に鉄板を引いて現場小屋があった。・・・・・・・嫌な予感。

その予感は当たり、少し先では大きく道路が崩壊していた。













ガビ~ン!この時点でテンションだだ下がり。

家を出て既に3時間近く経過して、未だ登山口に到達できず。今日はもうお山に

嫌われてるのかな~~何て思いながらも、このままでは奥様たちが納得するはずもなく。

この近辺で二人が登った事のない山はないかと、色々考えた結果。あっちゃんが登った

事のない八反奈路の名前が浮かんできたが、今からだと

少し時間がかかり過ぎる。同じことをルリちゃんも考えていたらしいが、昼からの

天気も気になるので諦めた。そこで思いついたのが、高知県に二つある国見山

うちの一つの本山町の国見山を提案してみた。この国見山のすぐ横にはYAMAPの

山頂ポイントにもなっている杖ケ森もある。これならポイント二つをゲット出来て

奥様たちも納得してくれるはずだ。・・・・・・と言う事で国見山に決定!


それじゃ~という事で県道5号線へと戻って行く。県道に出る前にトイレ休憩もかねて

旧立川番所院を見学。初めて見る番所書院は茅葺の立派な屋根の建物だった。










しばらくすると登山着姿の男性が歩いてきた。話を聞くとこの方は新宮側から登る予定

だったが通行止めで、こちらの高知側へ来たが、結局同じように通行止めだったと

諦めて引き返して来たと話をしてくれた。

県道5号線は高知自動車道の下を走る道。普段見れない高速道路の橋脚を見ながら

国見山の登山口となる赤荒峠へと車を走らせる。




国道439号線から帰全山公園の少し手前で県道267号線を南に入る。

吉延の棚田を横目に見ながら少しずつ高度を上げ峠へと走って行くと、

『お腹が減った!』とあっちゃんが騒ぎ始めた。『それじゃ~峠でお昼にしましょう』

と言って何とか落ち着かせ、峠に着いてすぐにお昼ご飯にする。

それにしても家を出て4時間30分近くかかってやっと登山口に到着して、さらには

登山開始前にお昼ご飯を食べるなんて、初めての経験だ!

11時35分、登山開始!県道の脇から登山口へと入って行く。







最初は少し急な登坂。長時間の運転、そしてお昼ご飯の後の歩き始めは直ぐには

調子はでない。坂道が終わると道は緩やかな道になる。
















途中の立て札によると、この山は高知大学の演習林になっているようだ。

そしてこの先は参勤交代の道へと続いているらしい。










途中にある四等三角点 猴踊 906.6m。点の記で調べてみると訓読みそのまま『さるおどり』

と読むらしい。参勤交代している山内のお殿様を、お猿さんが踊りながらお迎えしたのだろうか?







三角点からは一旦下って登り返して行く。足元には落ち葉、そして見上げると

頭の上は新緑の緑の中の道。足元には大きな葉を伸ばしたバイケソウが何輪か

花を咲かせている。そして3本の花をつけたニリンソウ。














スタートして50分ほどで参勤交代の道に出た。今までの登山道と比べると

ずいぶんと幅の広い道が続いている。さすがお殿様が行き来していた道だけの事はある。













参勤交代道に出てしばらく歩くと国見越えに着いた。ここから右に国見山、そして

左に杖ケ森の東を廻って吉延へと参勤交代の道は続いている。














道は自然林の中から杉林の中の道になる。先ほどまでの幅の広い道から

掘割の様になった狭い道になり、足元は表土が流れてか石がゴロゴロ転がって歩きづらい。

こんな急な下り坂を、千人以上の参勤交代の行列が歩いていたのは想像もつかない。

揺れて乗り心地の悪い籠に、お殿様は怒り出しそうだ。
















少し鞍部になった場所に『国見の石畳』と書かれた道標が立っていたが、周りを見渡しても

石垣らしきものは見当たらない。帰って調べてみるとこの辺りは深い谷状になっているので

上り下りを緩和するために土石を積み上げ平坦な道にしたらしい。




その鞍部から少し登って右に破線を辿って行く。途中YAMAPでは杖ケ森の山頂に

向かってコースが分れているが、かなりの急勾配なので、そのまま右手に進んで

途中から目星をつけて山頂へと分け入って行くと5分ほどで山頂に着いた。

山頂は木々に囲まれ見晴らしは全くない。少し広場になった中央部に、戦前まで

石鎚山遥拝所の勧請地だった名残り?だろうか石積みがあり、その脇には四方八方に

枝を広げた杉の巨木がその石積みを見下ろすように立っていた。
















山頂からは先ほど見えた直登の道を下ってみる事にした。途中で正面に

『岩場らしいのが見える!』と視力2.0のルリちゃんが言うので、その方向に

枝葉を掻き分け進んでみると、南に開けた岩場に出た。正面に国見越えの尾根。

西を見ると遠く三辻山だろうか緩やかな三角のピークが見える。














展望岩から戻って急坂を下って行くと先ほど歩いてきた道に出る。








国見の石垣を越え、掘割の急登を登って行くと国見越えへと戻ってきた。

ここからはまた道幅は広くなり、途中で『山頂』と書かれた道標に従って

左上へと登って行く。

















ここまでの途中でも見かけた、道に沿って高知大学が演習林の境界の目印の為に

貼っているPEテープが戻けて周りの景色を損なっている。







奥様たちには、国見山という位だから山頂はひょっとしたら見晴らしが

いいかもしれませんねと話しながら登って来たが、残念ながら三角点の周りでは

眺望はほとんどなかった。その三角点の奥に、朽ちかけた展望台があり、上からは景色が

いいのかもと、恐る恐る登って見たが、木々の向こうに薄く山並みが見えるだけだった。














三角点の先には地形図にはない何本もの道が分かれていた。その一つの道の先からは

ゆとりすとパーク杖立山の風力発電が霞んで見えた。

山頂の三角点は二等三角点 池野 1089.1m











いつもなら山頂で昼食!といったところだが、今日は何といっても登山口でもう既に

お昼ご飯を済ませてしまっている。三角点の周りで眺望の開けた場所はないかと

うろついたが、結局大した眺望もなく、山頂を後にする。









あとで流れ星さんに教えてもらったコツクバネウツギ



山頂からの帰りの道はYAMAPのコースタイムを気にし始めたのかルリちゃんが、

えらい早いのスピードで先頭を歩いて行き、あっという間に見えなくなった。

そのお陰でか、国見山からは45分ほどで登山口の赤荒峠へ戻ってきた。

峠から南の空を見ると今にも雨が降りそうな暗い雲が立ち込めていた。













時間は15時前。少し時間も早いのでここまでの途中で見た土佐の天空の里と呼ばれている

吉延の棚田に寄り道してみる。展望台から棚田を眺めると、水が張られ田植えを終えた

棚田の水面に、空を流れる雲が映し出され、時間の流れが緩やかになったように感じた。







思わぬ通行止めばかりで二転三転した目的地だったが、急遽変更して登った国見山は

奥様たちには物足りなかったが、のんびりと歩くにはもってこいの良い山だった。

さてさて来週はいよいよ登岐山に挑戦する予定。計画通りにいくのか、それとも

この所一度は起こるハプニングが待ち受けているのか、不安半分、期待半分楽しみだ。










そうだ西のテラスにコーヒーを飲みに行こう!

2022年05月18日 | 四国の山


腰の調子がぼちぼち良くなり始めた矢先に、今度はお腹の調子が悪くなってきた。

便意をもよおした時のような腹痛が続き、排便した後も収まらない、

二日ほどそんな状態が続いたので病院へ行ってみると、WBC(白血球数)が異常に

多くなっているとの事。先生は『お腹にバイキンが入ってるようです』と。

薬をもらって腹痛はその日のうちに収まったが、しばらく下痢が続いていた。

病院へ行った後の次の日、年に一度の健康診断の問診票にそのことを書いたら、

『お腹の調子が戻ってからの検査になります』と言って受け付けてくれなかった。

五月に入ってからどうも調子が出ないし何だかやる気も出ない。これはひょっとしたら

五月病かな?と思ったりしたが、新入社員じゃあるまいし、還暦

迎えようというおっさんが今更・・・・・。ん、還暦!といえば今年は本厄。世間では

体調を崩しやすい、大病を患いやすいなどのイメージがある。そうか厄年だから体の

調子がイマイチなのか、それとも最近言われ始めた男性の更年期障害かもしれない。

などと色々考えたが、答えはでないままやはり体調は回復しないままでいた。


今週は線で繋ぐ石鎚山~剣山を再開して、カガマシ山・橡尾山・笹ヶ峰を歩く予定でいたが、

今回は初めてのコースで、計画したコースと同じ周回コースを歩いている人も見当たらない

のもあって、体調も含めてどうも気乗りがしないので、奥様たちに計画の順延の連絡を入れた。

その代わりに『勝手知ったる剣山を、のんびりと歩きます』と伝えると、同行すると返事が来た。


昨年の秋に剣山に出かけた時は、集合場所は貞光の道の駅の第二駐車場にして、そこから

乗り合せをして見ノ越までは一台で出かけたが、帰りにその第二駐車まで戻ってくると

『長時間の駐車は禁止』と張り紙をされていた。仕方がないので今回は貞光から438号線を

南に少し車を走らせ、旧皆瀬小学校の手前の路肩が広くなった場所に車を停めて、

そこから乗り合せで見ノ越へと出かけて行った。

ところが七つのヘアピンカーブを過ぎ、スキー場跡の手前で警備員のおばちゃんに止められた。

『は~い!50分まで通行止め!』といやに明るくそして素っ気なく旗を振って次々来る車を

止めている。がけ崩れの復旧でなんと火曜日と水曜日だけの時間通行止めで工事をしていた。


見ノ越の駐車場には平日にもかかわらずけっこう車が停まっていた。しかも半分近くが四国

以外のナンバー。車から降りてくる人達を見るとやはり年配の方が多い。『GWも日曜も関係

ない人たちね~』と三人で言いながら、そういえば自分たちも十分に年配。そして三人の内の

二人は平日も土・日も関係ない人なのだ。





支度を終えて劔神社へと向かって行くが、他の人たちは何故かほとんどの人が

リフトに乗って上がっていっている。遠くからわざわざ来ているのに、せっかくなら登山道を

歩いて登ったらいいのにね~と三人で話をしながら、石段を登って行く。

神社に参拝した後、奥にある簡易宿泊所の横の注連縄を潜って山へと立ち入って行く。

するとあっちゃんが『あれ~こんな注連縄あったっけ?』と。今まで何度もここを

通っているのに、初めて注連縄がかかっているのに気づいたという。








1400mの見ノ越からはリフトを使うと一気に1750mに西島駅に着くが、

やはりこの道をゆっくりと登って行くのがいい。夏のキレンゲショウマの咲く頃や、

秋の真っ赤に染まる紅葉の頃はよく来るが、新緑のこの季節に訪れた記憶があまりない。

見慣れた登山道も緑のシャワーが降り注いで、いつになく新鮮に感じる。




そして山頂から広がる広葉樹林の中にあるこの道の、ブナやミズナラの巨木の多さに

今更ながら気づく。芽吹いたばかりの木々の緑の色に、自分たちの身体まで染まりそうだ。










リフト下のトンネルまで、そんな木々を眺めながらゆっくりと登って来た。トンネルを

潜った先にある分岐から、いつもは下りでは歩いた事のある遊歩道コースを今日は登りに

使ってみよう。








上りのリフトには膝の上にザックを抱えた人たちが乗っている。見ノ越の奥には

山頂の笹原が目立たないくらい裾野の緑が瑞々しい丸笹山が見える。

この遊歩道コースはいつもの道と比べると西島駅まで倍近くの距離があるが、その分

傾斜も緩やかでのんびり歩くのにはもってこいの道。

途中、何ヵ所も道の谷側には巨木が倒れていた。







この谷間から流れ出た水は祖谷川となり、そして吉野川へと流れ込む。

竹筒の中から流れ落ちる水に手をやると、その手を戻すくらい未だ水が冷たい。










ダケカンバの森に入れば西島の尾根はもう近い。いつもと反対に歩く方向が違うと、

見える景色も違って見える。またこの辺りの植生がいつもの道と大きく雰囲気が異なる。

『まるで違う山を歩いているみたいね!』とあっちゃん。














石灰岩の岩が道に現れると、西島神社の大岩が左上に見え始める。

直登をすれば直ぐなのだが、道は回り込むようにして緩やかに大岩の足元へと続いている。











西島駅の前の店は工事が終わって外観が綺麗になっていた。休憩所と張り紙がしてあったが

鍵が閉まっていて中へは入れない。店の前のベンチからは正面に三嶺

駅舎の横まで来ると北側に矢筈山から寒峰への稜線が見える。リフト越しには

丸笹山赤帽子山の笹原。振り返ると雲海荘の上の空に雲と一緒に虹が流れていた。















『時間通行止めの通行時間に間に合うように、2時30分には見ノ越に降りてきましょう。』

と言って、ここからはいつもの刀掛けの松から山頂への道を登って行く。

リフトに乗ってきた足元がスニーカーの人達の姿が目立ち始める。服には1号車・2号車の

バッチを付けている所を見ると観光客なんだろう。先頭で刀掛けの松に着き水分補給をしていると、

奥様たちの前後にも次から次と、そんな軽装の人たちが登って来た。














剣山本宮宝蔵石神社の鳥居の手前で何やら撮影隊が・・・・。その撮影隊のカメラを

向けた先には山神さんがいた。すれ違いざまに『ご苦労様です!』と声を掛けると、

『お疲れ様です!』と山神さんから返事が返ってきた。神社の社殿でお参りを済ませて

佇んでいると、いつまでたっても奥様たちが登ってこない。何人もの人たちが登ってきた

後にやっと二人の姿が見えた。『途中で花の名前にあ~だ、こ~だと二人で話していたのよ』

るりちゃん。刀掛けの松から上にトリカブトの群生地があるが、

その周りに小さな芽がたくさん這うように生えていて、それをルリちゃんはトリカブトの芽

だといい、あっちゃんは違っていると二人で論争?になったようだ。







山頂ヒュッテから階段を登り、山頂の木道を歩いて先ずは三角点へ。後ろからは先ほどの

撮影隊が山神さんを先頭に歩いてきている。天気予報は午後からは晴れマークだったが、

軽そうな雲が高い位置でかかっていて、イマイチきれいな青空を覗かせてくれない。










三角点から早々に引き上げて西のテラスに移動する。テラスの先に立つと笹原を涼しい風が

吹き上げてきた。まだ肌寒い風に一枚薄手の上着を着こむ。テラスに腰を降ろしてさっそく

お弁当を広げる。今日はそれぞれ冷たい麺を持ってきたが、これなら温かいラーメンでも

充分よかったような気がする。食事の後はお湯を沸かしてコーヒータイム。

今日はスターバックスコーヒーを持ってきた。2時間近く車を走らせ、2時間近く歩いて

やっとたどり着く、ここはスターバックスコーヒー西のテラス店。ただ余り馴染みがなくて

袋に書いてある品名と内容がよく分らない。確かに説明書きに書いてある通りに、

かすかにナッツの香り?がするような、しないような・・・・。おじさんには判らない。











今日はのんびりとこのテラスでと思っていたのに、時間通行止めのせいで意外と

時間がないのに気づいた。コーヒーを飲んでスイートポテトを食べた後、ザックを

担いで下って行く。西のテラスから雲海荘への木道を歩き、宝蔵石神社のご神体に

なっている宝蔵石の前まで来ると『こんな所があったんや~!』とあっちゃん。

登山口の注連縄といい、このご神体の宝蔵石といい、奥様は意外と周りが見れていない。

これではなかなかDランクからの昇格は望めそうもない。








宝蔵石神社の鳥居の前まで降りると分岐がある。奥様たちが歩いたことにない左の

大剣神社への道を下って見ることにする。山頂直下は笹の中の道だったのが

途中からはダケカンバの中の道になる。







その林を抜けると大剣神社の背後に立つご神体の高さ50mにもなる御塔石が

目の前に現れる。ただこちら側からはそれほどの高さには見えず数メートル

ほどの岩に見える。その岩を眺めながらあっちゃんが、何やら登るルートは

ないかと『あそから右に行ってそこから上の岩に掴まって・・・』などと、

罰当たりな事を言っている。『そんな事、絶対にイカンよ!』とルリちゃんも

あきれている。とにかくこんな場所では首に縄を付けておかないと、何を

やらかすか、目が離せない・・・・。










大剣神社から西島駅までの間、背負子を背負った男性陣が前を歩いている。

山頂のトイレの横にある施設で自衛隊の人たちが何やら作業をしていた。

その作業に必要な物品を山頂まで運んで降りて来たそうだ。











西島駅まで降りた後、まだ少し時間に余裕があったので西島神社を覗いて見る。

巨大な岩を背に小さな社殿がひっそりと佇んでいた。

後は見ノ越までのいつもの道をのんびりと下って行く。道の脇の木々には名前を書いた

木札がかかっている。『こうして書いてくれていると憶えやすいわね!』と奥様たち。

ん~でもたぶん次には憶えていないでしょうね。










今日はのんびり山歩きに奥様たちにもお付き合いいただいた。

何度も通っている剣山だが、いつもと違う道そしていつになくゆっくりと歩くと

また違った景色が見えてきた。途中でお会いした山神さんのお陰で登山道は整備され、

安心して歩く事が出来たうえで、豊かな自然を感じることのできる剣山。

何度来ても飽きることのない、やっぱりいい山だ!

そうだアケボノツツジを見に行こう!

2022年05月05日 | 四国の山


先週のカタクリの花に続いて、毎年のワンパターン。

『アケボノツツジを見に行こう!』と奥様たちと相談。

でも今年はまだ西赤石山兜岩からの写真がネットにあまり上がってこない。

東平への道が崖崩れで通行止めになり、ほとんどの人が日浦から登るので、

兜岩には行かずに山頂までの行程の人が多いのも理由にあるが、まだ8合目辺りが満開で、

北面の山頂直下のアケボノツツジはまだ先の様だと。となれば他の山にと調べていたら

YAMAPにJr.さんstoneriverさん獅子舞の鼻のアケボノツツジを

アップしていた。昨年GWは綱繰山に出かけので、それじゃ今年は獅子舞の鼻の

アケボノロードに出かけてみよう!ただお二人が歩いたのが4月30日。その辺りが

満開だったようで、それから晴れの日が続き一昨日には平野部でもけっこう強い風が吹いた。

『どうぞ、花散らしの風になっていないように!』と祈りながら今日の朝を迎えた。


世間ではGWだが、残念ながら私には関係なく、いつもの様に水曜日の休み。

ただ世間一般ではやはりGWなので、いつもの奥様たち以外にルリちゃんの娘さんの

マリリンと、私の友人のムラちゃんが参加できるようになった。

二台別々の車で大永山トンネルの南側登山口に集合した。予想通りトンネルを出て

直ぐの駐車スペースは満車。更に道路脇のスペースには数珠なりに車が停まっていた。




萩生の森さんの説明によると、ここからのルートは笹ヶ峰新道と呼ばれているそうだ。

【以下その説明文】

銅山峰からちち山の別れを経由する尾根筋ルートについて伊藤玉男さんの”山守り30年”に

書かれている。以前は、銅山峰から笹ヶ峰に行こうとすると、一度別子に下って中七番か

三ツ森峠を経由して再び、平家平から冠山の稜線に登り返す必要があった。

昭和40年に、伊藤玉男さんが中心となって、すでに廃道となった馬道や古道などを整備し、

笹藪を刈って銅山峰から西山、ツナクリ山、獅子舞の鼻、ちち山の別れと通じる尾根通しの

ルートを切り開いた。このルートを笹ヶ峰新道と呼んでいる。


獅子舞の鼻のアケボノツツジも笹ヶ峰新道の名も今回初めて知った。


トンネル横の廃道になった林道のチェーンを跨ぎ、その先にある脇から取り付いて行く。

林道からひょいっと登ると杉の林の中の道。手入れされ枝打ちされた木々の間から

柔らかい日差しの差し込む道。その道は直ぐに銅山川の支流に沿った道になる。










かつては炭の道(馬道)と呼ばれた名残りが、足元の石垣に垣間見ることができる。

当事この道を人と背に炭を載せた馬が、別子銅山へ行き来していたのだろう。










小滝を横目に見て大岩を回り込んで上がると、沢筋に出た。

右岸に沿って歩き、二股になった沢の中央部へ渡ってさらに登って行くと

また杉林の中への取付きになった。木の根の階段を登って林の中へ。














杉林の中を抜けると綱繰山笹ヶ峰との分岐に出る。

写真を見ると三人が道を間違えているように見えるが、あっちゃんとマリリンが

『リスがいる!』と言って右の綱繰山の方向に歩いて行った後をムラちゃんが付いて行っている。

その分岐からしばらく歩くと地形図では大坂屋敷越と書かれている土山越の分岐。

この道標にある中七番と書かれた道は、トンネル横の林道へと続いている。










土山越からもしばらくは緩やかな道が続いている。足元には先ほどと同じように石垣が残っている。







馬道の別れと書かれた道標からは、獅子舞の鼻から派生する支尾根の道になる。

先ほどまでの緩やかな道から次第に急な登坂になっていく。







馬道の別れからは道には笹が現れ、周りの木々の植生も変わってきた。

ブナやリョウブが目につく広葉樹の林。




苔岩の日本庭園まで来ると、獅子舞の鼻まであと少し。

苔岩の前に可愛らしく並んだマムシの子!

家に帰ってネットを見てみるとこの辺りは獅子舞の庭というらしい。







この笹ケ峰新道の主の大ブナは芽吹いたばかりで、枝の隙間から青空が良く見える。

大ブナの背に、その空と一緒に『おっ!アケボノツツジが咲いている!』










その大ブナの上部にある岩の下に獅子舞大権現が祀られている。

獅子舞大権現の大岩を回り込んで尾根に上がると、先ほど遠目に見えたアケボノツツジ。

今春、お初のアケボノツツジに他のメンバーの歓声が上がる。







尾根道を少し進むと四等三角点 迫割 1481.6mのある獅子舞の鼻に着いた。

獅子舞の庭で『獅子舞の鼻で休憩しましょう!』と声を掛けたが、猫の額ほどのピークに

次から次と人がやって来て結構密になってきたので、一息は入れずにそのまま進む。

白骨樹の横に咲くアケボノツツジや木々の間からピンク色に染まる斜面が見える。







さぁここからがアケボノロード。期待に胸を膨らませながら歩いて行くと、

すでに下ってきている3人組とすれ違う。その内の女性がすれ違い際に

『花は少し遅かった感じで、途中で引き返してきました!』と。『え~~⤵ ( ゚Д゚) 』

その女性の言う通り、登山道沿いの花はまだそこそこきれいに咲いていたが、

冠山を背に、少し離れて密生している場所の花は枯れていたり、散っていたりで

もうピークは過ぎてしまっているように見える。







それでも獅子舞の鼻からの痩せ尾根の両側にアケボノツツジのプロムナードは続いて行く。

ちち山の別れに続く笹尾根が見え始め、名前とは不釣り合いな山容の岩肌のちち山も見える。











獅子舞の鼻とちち山別れからの支尾根の鞍部で振り返ると、もう盛りは過ぎているとはいえ

こんもりしたピークの山肌がピンク色に染まっていた。これが最盛期なら

さぞや見ごたえがあっただろう。オオカメノの白色とアケボノノピンク色のコラボレーション。










痩せ尾根が終わるとアケボノロードも終端になる。帰りにまたね!としばしの別れを告げる。







アケボノロードの終わりは、ちち山分れへの笹原尾根の始まり。

周りの木々がなくなると一気に視界が広がり、そして一気に日差しが飛び込んでくる。

額に汗が流れ始め息も切れ始めたが、足元の小さなタチツボスミレがみんなで

『ガンバレ・ガンバレ!』と声を掛けてくれている。

















振り返ると眼下に先ほどの痩せ尾根のアケボノロードが見える。

そして右手には笹原ゲレンデの沓掛山と、荒々しい岩峰の黒森山の姿が見える。











次第に目線とほぼ同じ高さに冠山と平家平が見え始めると、ちち山分れはすぐそこ。

まだ少し葉先に冬の色を残す笹原を、少し肌寒いくらいの風が吹き上げてくる。










三差路になったちち山分れは左に冠山、右にちち山への道になるが、

どちらもため息が出るような笹原が広がっている。

そして振り返ると西赤石山から東赤石山に続く稜線。

このちち山別れはまさに石鎚山系からの分かれ道。左手はその西赤石山から東赤石山を経て

翠波峰への赤石山系・法皇山脈へと続く稜線。そして右へ辿れば冠山から平家平、

三ツ森山・大座礼山を経て、四国中央部の山地への稜線が続いて行く。

その点でちち山分れは、二つの山系を一度に眺められる希有な分岐点となる。











ちち山別れでマリリンが、YAMAPを見ながら『あと25分ですね!』と言ったが、

それはちち山直下までの時間で、そこから山頂まで更に15分、合計で40分と

YAMAPのコースタイムには載っている。時間は11時30分前。

『それじゃ~ちち山でお昼ご飯にしましょう』と言いながら、ちち山へのトラバース道を歩いて行く。













谷側に傾いたトラバース道は、笹の根も露出していて歩きづらい。

何人かの人とすれ違うが、その内の団体さんの中に見覚えのある顔があった。

WOC登山部で一緒に歩いたのは一度だけだったが、その時もこのちち山に来た時だった。

自転車に乗ったり、岩にも登ったりしているアクティブなハラちゃん

今日は観音寺おけぼの山の会の山行で来ているそうだ。

トラバース道から、ちち山と書かれた小さな道標に従って尾根に向かって直登の急登。

ここにきて完全なシャリバテ。どんどん登って行くメンバーのお尻が遠ざかって行く。

さっきのちち山別れで行動食でも口に入れればよかったと後悔する。

















ちち山山頂には男性が一人、大岩に腰掛け寛いでいた。その大岩には蔵王権現祀る祠がある。

東にちち山分れから続く稜線上にある綱繰山の北斜面も、ピンクに色づいているのが見える。

南には高度が上がり冠山と平家平の奥に西門山と稲叢山の尾根が見えた。













メンバーがその男性に周りに見える山々の山座同定をしてもらっている間に、いつになく

待ちきれずに一番にザックからお昼ご飯を取り出し食べ始める。

山頂からは笹ヶ峰の右手に石鎚山左手には瓶ケ森と西黒森山から伊予富士へと続く稜線。

その奥には筒上山と手箱山の山々が一望できる。














山頂では次々と登山者がやってくる。先ほど獅子舞の庭の手前の急登で追い越した男性も登って来た。

この男性、東赤石から二の森への縦走に来ているという。容量を聞くのを忘れたが、

私のザックと比べても、たいそうな荷物を担いで歩いている。歳を聞いて女性陣が驚くぐらい若々しい。

度々再発する腰痛に悩まされ、週に一度の山登りで疲れている今の私には、とてもじゃないが無理!








山頂で20分ほど休憩した後、元来た道を戻って行く。トラバース道までの山頂直下の道は

急登だったと言う事は急な下り坂。『今日は何事もないように!』とあっちゃんが言うので、

『そう毎回何かあってたまるかい!』と返すと、『毎回何か起こるじゃない!』とブーメラン。







トラバース道も笹の葉は刈られいるので、昔と比べるとずいぶんとマシになった。

以前は笹に隠れて足元が見えず、さらに傾いた道はとても歩きづらかった。
















ちち山分れからは笹原の最後の下り。新居浜の市街と燧灘が少し霞んで見える。

相変わらず先頭を行くルリちゃんの下りのスピードが半端ない。
















笹原が終盤に差し掛かると、次第にアケボノ尾根が近づいてきた。

いい感じのペースで降りて行くメンバーを他所に、今日は転倒などのアクシデントを

絶対に起こさぬように、ストックを使って慎重に下って行く。











『アケボノさんこんにちは!またお会いできましたね!』と、さっき別れたばかりなのに・・・・。

そのアケボノツツジの花も薄いピンクもあれば、濃いピンクもあり様々な色をしている。

花付が疎らになってはいるが、けっして散っているわけでもなく足元にはほとんど

散った花弁は見られない。多くの花弁は散る前に枝に付いたまま枯れている。























満開の時に是非もう一度来てみたいと思わせてくれる獅子舞の鼻のアケボノ一色の山肌。










アケボノツツジの花はやっぱり青空の下でなきゃ絵にならない。陽が当たり透けている色も

堪らない。その点では今日は最高の天気だ!










戻ってきた獅子舞の鼻には往路の様に人はいなくて、三角点でパシャリ!

そして回り込んで下って行った獅子舞の庭も新緑が目に眩しい。











広葉樹の尾根では上達した鳴き声を披露するかのように、ホトトギスが自慢げに鳴いている。

濃い緑になる前の今が一番気持ちのいい季節かもしれない。

植栽の林に入る前に最後に見えた、中七番越しの三ツ森に別れを告げる。













人工林もジメッとした感じで薄暗い林もあるが、枝切りや間伐で手入れがしてある林は

明るく歩いていても気持ちがいい。土山越えからもそんな林を下っていると、奥様たちの

世間話が始まった。静かな林の中二人の声だけが大きく聞こえてくる。

『朝ドラと世間話が始まるといつも道を間違えるんや~!』とマリリンに言うと

あっちゃんが『今日は間違ってないわよね!』と。『ハイ、ハイ大丈夫ですよ!』














炭の道の石垣の残る道まで来るとゴールはもうすぐ。トンネル横の林道へと降り県道に出ると、

最初の駐車スペースには一台の車が残っているだけだったが、そこから下の道路脇には

けっこうまだ車が残っていた。皆さんここから綱繰山経由の西山、銅山越えの周回か、

中七番から平家平・冠山の周回なのだろう。久しぶりに三人以外に二人加わっての山歩き。

アケボノツツジは少し遅れた感じだったが、それでも何度も歩いた道に、あれだけの

花が咲いていることを初めて知った今日。ここの所頻発するアクシデントもなく、

無事五人がというよりは、私がゴールできて何よりだった。














今日のトラック

そうだカタクリの花を見に行こう!

2022年04月29日 | 四国の山
2週続けて山歩きをお休みしたら、お山はいつの間にか花の季節に移っていた。

といっても花音痴。毎年この時期はカタクリの花とアケボノツツジを

見に出かける程度のワンパターン。と言う事でまずはカタクリの花の鋸山へ。

でもいつもの林道七々木線の登山口から往復したのではそれこそワンパターンなので、

少し趣向を変えて、北側の山裾の四国中央市寒川から登れないかと考えてみた。

さっそくネットで検索してみると中曽根からの翠波峰、野田からの赤星山

登っている人は結構いるのだが、寒川町から鋸山に登っている人が見当たらない。

地形図では新長谷寺からの尾根筋と鋸山と七々木山の中間辺りから

北に向かって破線が続いている。登りは林道観音谷線を歩くことになるが、

新長谷寺をスタートしてぐるっと周回すれば、距離も高度差もそこそこあって練習になる。


練習と言うのは間もなく再開する『線で繋ぐ石鎚山~剣山』で当面の課題となっている

野地峰~兵庫山の区間の練習。この区間を2回に分けて歩くか、一回で周回するか、

色々考えているのだが、エントツ山さんにアドバイスを求めると、さっそく検証歩きをしてくれて、

兵庫山の北側からのアプローチも有りだと、わざわざ実際に歩いてくれて教えてくれた。

この区間、登岐山のスズタケ藪もさることながら南側の白滝の里山村や東側の桑ノ川林道

登山口・下山口にするのが周回コースとしては一番単純なコースなのだが、

車をデポして、さらにデポ車の回収にとにかく時間がかかる。

山歩きにはめっぽう強いあっちゃんは車に酔うという弱点がある。

前回、野地峰へ白滝から登った時も山間部のくねくね道に車酔いをしてしまった。

もし北側からのアプローチと周回が可能になれば、この区間を一回で歩けて、

車の移動も恐らく苦にならないだろうと思われる。但し、法皇湖の落合橋を

スタート地点とするとその高度差と歩行距離はけっこうなものになる。

エントツ山さんからも『10~11時間はかかるよ!』と言われている。

そこで今回それに近いコース(高度差と歩行距離)で歩いてみて、奥様たちと

一緒に雰囲気や感触をつかんでみる練習になるかと思った次第だ。

登岐山周辺の計画図



新長谷寺の仁王門の前は大きなイチョウの木とトイレがあり、その脇の駐車場に

車を停めてスタートする。計画ではすぐ東側の尾根の破線を登ってみようと

思っていたのだが、取付きが判らなかったのと、まだ昨日の雨で草木が濡れているので

取りあえず登りはこのまま林道観音谷線を歩いてみることにする。







仁王門の前ではお寺の方が時間をかけて丁寧に石段を掃いていた。

事前に調べたところ、この林道を歩くと鋸山登山口まで約7.5kmの距離になる。

しかもほぼアスファルトの林道歩きとなるが、まぁ取りあえずのんびり歩いて行きましょう。

仁王門から少し歩くと銅山川疏水長谷川水路橋がある。

この宇摩地方は瀬戸内海と急峻な法皇山脈に挟まれ平野部が少なく、降った雨は直ぐに

瀬戸内海に流れ込んでしまい、用水不足で干ばつの多発地帯であったのを、山を越えた

銅山川からトンネルを貫き農業用水として利用している。その疏水が長谷川に架かる水路橋なのだ。







道の脇には所々に石仏が祀られている。この林道には新長谷寺を起点に両国霊場の1番から

15番までの石仏があるらしいが、そこまでの数は見受けられなかった。

奥様たちはあちらこちらで咲く小さな草花を眺めながら歩いている。
















しばらくの間は長谷川に沿って道が続いている。雨の後、川の水は勢いよく流れている。

湿った道をサワガニが横断していく。











川の水の音が聞こえなくなると周りは杉林になり、足元は未舗装路になる。

時折見える山の上はまだガスがかかっていて、重苦しい雰囲気が漂ってくる。

お目当てのカタクリの花が開いているかが気になってきた。







山の上はそんな状態だが、林道から北側を見ると木々の隙から麓の街は見え始めた。

このまま気温が上がって山の上のガスが流れてくれればいいのに。














道が未舗装から舗装路になる。気にせずそのまま舗装路を少し直進してしまうが、

スマホで確認すると翠波高原へ向いて歩いている。

直ぐに引き返して分岐から未舗装の道を歩いて行く。地形図を見てみるとこの辺りは、

確かに線が複雑に交差しながら、あちらこちらに向かって続いている。










途中から見えた山の上はガスで真っ白だったが、少しずつ流れている雰囲気がする。

鋸山に着くころには青空が期待できるかもしれない。その白いガスを背景にして

新緑の明るい緑が輝いていて眩しく見えた。




未舗装路からまた舗装路へと飛び出した。この道が林道法皇線となる。

法皇山脈始めとする法皇トンネル・法皇スカイラインと法皇を冠にした名前が多いが

その名前の由来については、後白河法皇の三十三間堂建立時に使われた木材が

優秀であったため、その産地である山に法皇の名を付ける許しがあったと言われているそうだ。










その法皇線を東に向かって歩いて行くとガードレールに沿って、何台もの車が駐車していた。

ここから今度は林道七々木線の未舗装路へと歩いて行く。

いつもは翠波高原からアスファルト道をここまで車で来て、最後に登山口まで未舗装路を

車で走って行くのだが、今日は初めて歩いて行く。










新長谷寺から林道観音谷線を歩いて約8km。時間にして2時間30分で登山口に着いた。

登山口の手前には車が2台停まっていたが、その脇の木に新しく寒川山と書かれたプレートがあった。

あっちゃんに『YAMAPのポイントがひとつあるけど登りますか?』と聞くと

『もちろん!』と即返事が返ってきた。小さなピークを2回程越えると四等三角点 寒川山










寒川山からは直ぐに引き返して登山口へ。そしていつもの様に急登が始まる。








林道歩きとはいえ、さすがに8km近くを歩いてきた後の急登は堪える。

しかも3週間開けての本格的な山道。左の股関節辺りと太腿が張り始めた。

奥様たちはその林道歩きなどどこ吹く風。今そこから歩き始めたようにして

いつものように急登をグイグイと登っていっている。










急登が終わると新緑のプロムナード。その新緑の中、姿は見えないがあちらこちらで鳥が

鳴いている。今どきの事だから、鳥の鳴き声で種類が判るアプリもあるんじゃないだろうか。

今度探して見ようかな?といっても花の名前と一緒で、いつもで立っても憶えられない

ような気がしないでもない。










登山口から30分弱で鋸山山頂に着いた。山頂といっても周りは木々に囲まれて眺望はない。

ただ少し手前の北側の大岩からは眼下に眺望が広がっている。










大岩から山頂に戻りその先にあるいつもの大岩まで歩いて行く。

この大岩は鋸山では一番のビューポイント。四国中央市から土居町までの

東予の街並みと瀬戸内海の眺めが最高な場所だ。大抵ここで皆さん一息入れている。

時間は12時前。丁度いい時間なので眼下の景色を眺めながらお昼ご飯にする。

















三人でのんびりとお昼ご飯を食べていると、女性が独りやってきて『ご一緒してもいいですか?』と。

お話を聞くと高知の方で、所属している山の会の鋸山の山行が昨日だったが、

自分は参加できなかったので、今日一人でやって来たそうだ。七々木山まで歩いて

戻ってきたと言う。往路ではガスの中でここからの景色は全く見えなかったそうだ。

やはりリーダーの日頃の行いがいいからだろう。陽が当たってカタクリも期待できそうだ。













春の日差しは柔らかく瀬戸内海から吹き上げてくる風も湿気もなく心地いい。

このまま昼寝でもしたい気分だが、ここからが今日の本命。カタクリの花見物もあるが、

地形図にある破線の道が果たしてあるかどうか?取りあえず昼食を終えて先ずは群生地へと向かう。

群生地の道の両脇には植生保護のためテープが張られていていたが、足元で咲いている花もある。

陽が当たり反り返った薄紫の花弁。スプリング・エフェメラルの沢山ある中の花では

一番『春の妖精』の言葉が似あう花だと思う。待ちわびた春が来たのが嬉しくて

みんなで小躍りしているようにも見える。
















ただいつもと比べて咲いている花の数が少ないように思った。所々にポツリポツリと

いった雰囲気で、群生地といった感じは全くしなかった。

春の妖精の写真撮影会を終えた後、七々木山に向かって歩いて行く。

ツツジの花は散り始めていたが、それでも芽吹いた木々の春の彩が気持ちいい!










そんな春の道を過ぎると雰囲気はガラッと変わって杉林の中の道になる。

途中から登山道から外れて、GPSを見ながら北に向かって続いている破線を辿って下って行く。

最初は緩やかだった斜面も次第に斜度を増してきたが、枝打ちで積もった枯れ枝と

柔らかい表土に足が食い込み、適度にグリップが効いて思ったよりも下りやすい。










杉林の中に破線の道は無かったが、それでも少し下には濃い実線が地形図には載っている。

このままその道に向かって降りて行けば何とかなるだろうと考えながら下って行く。

植栽地の中には縦横に作業道があり、その内に轍になったような道が下手に続いていた。

おそらくこれが破線の道だろうが、荒れていて歩きづらいので、途中からは窪んだ

道ではなく、その脇の土手になった所を下って行く。













等高線に沿った横の作業道を何度か横断しながら下へ下へと下って行く。

急斜面を岩や枯れ枝・伐採木を避けながらなので、地形図では裾野へ真っ直ぐに続く破線で、

下りの道としてはショートカットなのだが、予想以上に時間がかかっている。













すると少し下に道が見えた。ただ斜面はさらに角度を増していて、比較的まだマシな

沢筋に降りて行くしかない状態になってきた。濡れた岩がゴロゴロする沢筋を

とにかく転ばないように足元に注意しながら下って行っていたが、

左足を前に出し、その後脇の岩の上に右足を載せるとその岩がズルっと滑って

左足の上に載っかかってきた。左足首がその岩の下に埋まってしまって抜こうとしても

土が柔らかく、岩の重みで埋まって行くばかり。ストックで何とか体を支えながらも

身動きが出来ない状態が続く。すると後ろにいたルリちゃんが『ちょっと待っててよ!』と

言いながら助けに来てくれているが、とにかく岩と柔らかい斜面で直ぐには来れない。

なんとかすぐ傍まで来てくれたが、持ち上げられるような岩の大きさではない。

すると急に岩の重さが倍近くになった。前を向いたままで振り返り見ることもできないが、

どうやらルリちゃんが判らず岩の上に載ったようだ。堪らず『痛い・痛い!ルリちゃん、

岩の上に載っています!』と悲鳴をあげるが、ルリちゃんも直ぐに体制を戻せるような

状態ではない。その後降りてきたあっちゃんが埋まった登山靴の下の石を避けてくれ

始めると、少しずつだが足首が動き、何とかその岩から埋まった足を抜くことができた。

自分独りではどうにもできず、斜面で前に向いたまま後ろ足が動かず、そのまま

力尽きて倒れて足が折れるかと思ったが、『ルリちゃんに石の拷問を受けている

みたいだった』と冗談を言って事なきを得た。




足を抜いた後下に崩れた岩



幸い足の痛みもなく、そのまま沢筋を降りて行くとアスファルトの林道法皇線に飛び出した。










『この先の地形図の破線が今までの様な感じだと、けっこう時間がかかると思いますが、

このまま林道を下って行くか、予定通り破線を歩いてみるか、どうしますか?』と聞くと

『予定通り破線を辿って行く』とあっちゃんが即答した。GPSを見てみるとカーブミラーの

辺りから北に向かって破線は続いている。カーブミラーの場所から下を覗いて見ると

何となく道ぽい雰囲気がある。しかも道には真新しい『四国中央市』と書かれた

プラスチックの杭がある。ということは遠からず人が歩いた道があるという事だ。










道は林道から直ぐに明瞭な道になった。さっきまでの悪戦苦闘とは打って変わっての

山道歩き。石の拷問(笑)でロスした時間を取り戻すかのように、二人のスピードが上がっていく。










奥様たちの後ろから時々GPSを確認しながら歩いて行くと、破線からは外れる時もあるが

方角は合っているので下まで続いている破線の道に間違いはない。

その内に鉄塔広場に出た。見覚えのある形の巨大な鉄塔は、阿讃縦走の際に見かけた

伊方原発を起点とする『四国中央東幹線』の鉄塔だった。














道の脇の羊歯が現れると、標高が下がってきたのが判る。










道はGPSを見ると少し破線上から逸れ始めたので、軌道修正をしながら線に

沿って杉林の中を歩いて行く。










杉林を抜けると地形図では実線の道に出た。実線の終点には道の脇にベルトコンベアーや

給水タンクなどがあり、何か施設があったような雰囲気がする。







実線の道から林道観音谷線に向かって、最後に破線の道を下って行く。この辺りまで来ると

道の下には不法投棄された様々なものが目につくようになる。そんな中で一番大きなものは

ナンバーが外された軽トラックだった。







作業小屋の横を通りさらに下って行くと、観音谷線に出た。ここから残り2km弱。

そろそろ背中の張りがキツくなってきたが、アスファルト道を地味に歩いて行く。














二回ほど長谷川に架かる橋を渡り、道の脇に咲く小さな草花を写真に撮りながら

歩いて行くと、後ろからいつもの様にお喋りの絶えない二人も歩いてきている。

















スタートして7時間15分。リハビリ後最初の山歩きにしてはよく歩いたもんだ。

YAMAPでは15.9kmだがスーパー地形図の沿面距離では18.2kmになっていた。

途中から張りの出た股関節や太腿よりも、背中の張りが最後に相当酷くなったが、

ほぼ計画通りに歩き通す事が出来た。途中のアクシデントも独り歩きだったら

どうにもならずひょっとしたら遭難していたかもしれない。完歩できたのは奥様たちのお陰だ。

朝は気づかなかったが、新長谷寺の仁王門に続く石段は、平らな石を小端に立て並べて

菱形の模様にしている、とても手の込んだ石段だった。その石段の奥にある仁王門から

さらに奥には石段が続いているのが見えた。朝のスタート時にお寺の方がこの石段を

丁寧に掃いていたのは、平らにではなく小端たてに並べたこの石段のせいだった。













それにしても毎回転倒などのアクシデントを起こすのは私ばかり。

へっぽこリーダーの汚名返上が出来るのはいつのことになるやら!



今日のトラック

毎年恒例の花紀行

2022年04月08日 | 四国の山



毎年この時期は、神山町周辺を花紀行と題して、桜・菜の花・芝桜を見て回っている。

今年もあちらこちらで開花の情報が耳に入ってきていたが、

先月から出かけようと考えていた川井峠の枝垂れ桜は、日曜日にはまだ蕾だった様子だった。

反対に神山町の枝垂れ桜は満開から散り始めとなっていた。

週を開けて気温も上がってきていたので、川井峠はまだ少し早いかもしれないが、

その後神山町まで足を延ばせば枝垂れ桜を満喫できるだろうと思って出かけてきた。

奥様たちとは穴吹町で待ち合わせをして、その後国道492号線を南に車を走らせる。

途中、朝の光に輝く満開の枝垂れ桜に後部座席で一斉に歓声があがった。










道沿いの枝垂れ桜は、陽がまだ当たらず日陰の花と陽の当った日向の花の陰影が幻想的だ。





川井峠のトンネル手前の駐車場に車を停めて歩き始める。




この川井峠の枝垂れ桜は、北尾氏が約60年前に、隣町の神山町の二宮八幡神社から

桜の苗をいただき、それを丹精込めて増やし、今日では四国有数の桜の名所となったとある。

日曜日は蕾だったという枝垂れ桜も、遠目に見るとそこそこ咲いているように見えた。

ただ満開になれば参道に覆いかぶさるようにして咲く桜。やはりまだ少し早いようだ。

鳥居の下にはコーンが置いてあり『コロナ渦の為立ち入り禁止』と書かれていた。








鳥居の手前の道の脇には双眼鏡を置いた展望台がある。展望台からは東にまだ雪の残る剣山が見えた。

その剣山の左横に見える笹原のピークを指さし『あれが次郎笈!』と知ったかぶりで

話をしていると、展望台の下の畑から『次郎笈は剣山の奥やからここからは見えん、

あれは一ノ森や!』と声が聞こえてきた。声の主は畑仕事をしていたおじいさんだった。

そのおじいさんに『立ち入り禁止になってるけど、天行山へはどこから登ったらいいんですか?』

と尋ねると。『山に入るだけだったら通ったらええが~!』と言ってくれた。この方が北尾さん?







お言葉に甘えて、いつもの様に鳥居を潜って登山口へと歩いて行く。

参道を過ぎて畑の横からは、雪を抱いた山を見るのはこれが最後になるだろう剣山。

猪避けのフェンスの真ん中は、ベビーゲートが入り口の扉になっていた。














ベビーゲートを入り直ぐ薄暗い林の中を歩いて行く。しばらく歩くと東宮山への分岐となる。













更に進むと川井峠の下手にある『天行山窟大師堂入り口』登山口からの道と合流した。







更にその先にアカマツの大木のある休憩所。ここからは眼下に木屋平の集落が見下ろせる。

深い谷あいが剣山に向かって続いている。一ノ森の左手に少し下がったピークが

槍戸山だろうか?またここで知ったかぶりをして間違えるといけないので、

奥様たちには黙っておこう。










自然石そのままの石段とその脇に『立山に石段築く八町を大師一夜に設けしとなり』書かれた句碑。







石段を登りきると岩壁を背にお堂があり、石仏がたくさん並んでいた。

お堂は岩壁に食い込んで建てられていて、これが天行山窟大師堂だろうか?







斜面に並ぶ石仏の間を通って、山頂へと登って行く。

山頂までの距離は短いが、なかなかの急登だ。











天行山山頂は樹木に囲まれていて眺望はない。阿波史談では頂上には雨行大権現が

祀られていたとの事だが、今は石積みが残るだけだった。








山頂で一息入れた後、尾根続きの東宮山へと一旦下って行く。

葉を落とした木々の間から、その東宮山の三角の山頂が見えた。










自然林と人工林の混在する道を歩いて行くと、川井峠へ降りる分岐。

『帰りはここから下って行きます!』と奥様たちに声を掛ける。










そのうちに植林地の幅の広い作業道に飛び出した。所々立つ東宮山の道標を見ながら歩いて行く。










作業道の途中に、右に東宮神社、真ん中が東宮山と書かれた道標。

その道標に従って真ん中の尾根を登って行く。途中に『中内』と書かれた木が何本もあった。

この林は中内さんの所有の林なのだろうか?







尾根の道は直ぐに急登が始まった。前回WOC登山部で来た時は、かしまし娘の三人が

息を切らせながら登っていたのを思い出す。










急登を登ると次は痩せ尾根。そしてその痩せた背中を渡ると山頂直下の最後の急登。











東宮山山頂には二つの祠があった。この山頂から少し下がった場所にある

東宮神社の奥宮になる。1つは神山町のもので東宮神社と称し、天照皇大神・

国常立命を祀っている。もう1つは木屋平のもので、春宮神社と称して

土御門天皇・後嵯峨天皇を祀っている。この祠はもとは1つであったが、その所属を巡って

宝暦4年に両村の間に流血騒ぎがありのち、別々に社殿を建立したと伝えられている。

かつては東宮神社には、旧5月1日の祭礼には神輿や屋台まで出てにぎわい、

両村から約1000人の人が集まったそうだ。三角点は木屋平側の奥宮の裏手にあった。










神山側の奥宮の正面からは、南側の眺望が開けていた。直ぐに山座の同定が出来たのは

雨量観測所が見える高城山。その手前の稜線が砥石権現

そして高城山の左側に見えるのが雲早山だろうか?











時間は11時。そろそろ、あっちゃんが『お腹が空いた~!』と騒ぎそうだが、

今日はここに来るまでにおにぎり二個を頬張っているので、まだ大丈夫のようだ。

『お昼ご飯は下ってからにしましょう!』と言って山頂を後にする。




急坂を今回は何とか転ばずに下りられた。ここの所転倒ばかりしているのは

考えてみると先頭を行くルリちゃんの下りのスピードが速すぎて、

自分にはオーバースピードになっていたせいかもしれないと思い、

ストックを使いながら慎重に下ったおかげだった。急坂を下り作業道に出ると

気持ちがいいくらいの杉の高木が並び、その間に道が続いている。










途中で往路で話をした分岐から、川井峠へと直接下って行く。







こちらの道は倒木を潜ったり、跨いだりしてのアスレッチクの様相。

そのアスレッチクが終わると小ピークを巻くようにして続く幅の狭いトラバース道










電波塔まで降りてくると、右に峠の神社に降りる道とトンネルを越えて

林道へと続く道の分岐になっていた。下を見ると神社の参道と枝垂れ桜が見えた。

このまま神社に降りると、朝と違って他に観光客が居たりすると、立ち入り禁止と

書かれた中から出るのも気まずいと思い、そのまま直進して林道へと歩いて行く。

間引かれた杉林の道になると眼下に車を停めた駐車場が見えたので、

そのままショートカットでダイレクトに駐車場に降りて行く。










本当なら枝垂れ桜を見ながらのお昼ご飯としたいところだが、

さすがに駐車場にも車が次々と入ってくる。人前でバーナーを出してお湯を沸かすのも

少し人目が気になるので、駐車場でザックを降ろしてお昼ご飯にする。


お昼ご飯を食べた後はここからが『花紀行』。まずはトンネルを潜って神山町へ。

最初に訪れたのは江田の菜の花。恐らく時期的に少し遅いかな~と

思った通り、旬を過ぎた菜の花は疎らで、その代わりいつもよりあちこちに桜の花が目立っていた。













次に向かったのは神山温泉の西側にある四季の里・創造の森

小高い丘の様な大粟山の東麓に、アートの森の散策路があるが、その駐車場の脇が

今回のお目当て。足元は埋め尽くすほどの花びらが散っているが、

上を見るとまだまだ満開の様にも見える枝垂れ桜の公園。










その桜の木の下で、見上げると青空を背にまさに桜色一色。その桜の花が風に吹かれて舞い散る。

桜吹雪とはまさにこの事か!ヒラリヒラリと落ちて流れる花びら。


















過疎化が進む町をなんとか明るくしたいと始まった神山町の植樹。

「神山をしだれ桜で日本一美しい町にしよう」という20年以上に及ぶ一大プロジェクト。

神山さくら会の60代以降の数十人のメンバーが20年掛けて、町内に6,000本以上の桜を

植樹してきたおかげで、これだけの規模で枝垂れ桜を愉しめるのは全国的にも珍しいそうだ。







さらに驚かされるのはその次に向かったゆうかの里。個人で500本近くの枝垂れ桜を植えられた

斜面一面が枝垂れ桜の山肌になっていた。










道路わきの駐車場には次から次と車が出入りし、山の急斜面に続く道では、

家族連れやカップルの姿が平日なのに大勢見られた。
















枝垂れ桜は枝が垂れるほど柔らかく、他の品種よりも生育に手間がかかるのだそうだ。

先ほどのさくらの会から3本の苗木を分けてもらいスタートして、コツコツと

ここまで植えてきたその個人の方には頭が上がる。













そして今日の最後は神山森林公園。前日のFBで徳島のkyoさんが公園の中のソメイヨシノが

見頃とアップしていたのを見ての事だが、ここは桜の花だけでなく、YAMAPの山頂ピークの

西竜王山が目当てだった。奥様たちは天行山と東宮山を登った後、

川井峠の南にある富貴山風宮山のポイントをゲットしたいと予定していたが、

この時期の桜を見逃す手はないと思って、残りの二座を諦めさせて花紀行に変更した。

ただやはり花も水物。山を下りて車を走らせて、ひょっとして花が既に散っていたら、

奥様たちに何て言われるか分からない。そこで二座は諦めても別に一座はゲットできます!

と安全策をとって二人を納得させていたのだ。

ここでも家族ずれで賑わう駐車場から、公園の中を西竜王山らしきピークに向かって歩いて行く。

途中からアスレッチクに沿って登っていたが、山頂へ斜面を直登すると遊歩道に出た。















遊歩道の道標に従って歩いて行く。いつもの事だがルリちゃんは遊歩道を、あっちゃんは

無理やり直登で登って行っている。果たして今回は『急がば回れ!』かどうか?








いつもと違い今回だけは直登をしたあっちゃんが先に山頂に着いていた。

西竜王山の山頂には八大龍王が祀られていた。







これで今日は三座をゲット。奥様たちにはご満足いただけたかと聞いてみると、

今日一日大変満足いただけたようで、ほっと胸をなでおろす。

西竜王山から遊歩道を下り最後に北の展望台へと歩いて行く。小高い丘の上に建つ

木製の巨大な展望台からは、吉野川流域に広がる徳島の市街地が見渡せた。










少し空の色が変わり始めた。北の展望台からぐるっと公園内を歩いて駐車場へと戻って行く。

公園内にはまだ子供たちの声が聞こえているが、そろそろ皆さん帰り支度をしている。

園内で一番広い芝生広場を通り、この春最後の桜を見納め帰路につく。

















今日のトラック


山に還る鹿森社宅跡から辻ケ峰

2022年03月31日 | 四国の山
前回から課題になっていた川井峠の枝垂れ桜はまだもう少し先の様子。

ではでは今週は何処に出かけましょうか・・・・。

2月にグランマー啓子さんがホームページにアップしていた写真が

ずっと気になっていた。山の急斜面に貼り付くように建つ鹿森社宅の白黒写真と

石段の前で縄跳びをして遊ぶ子供たちと男性の写真。そして今もまだその面影を

残す、グランパ、グランマーさんが訪れた時の社宅跡のカラーの写真。

奥様たちにもその写真を送って、いつか歩いてみたいですねと話をしていた。

花紀行の合間、今回は歴史探訪にすることにしてその鹿森社宅跡を尋ねてみた。


高速にのる前に地元の雲附山の朝の様子を伺いに少し遠回り。

朝の光の当たった山桜が、山の北斜面を染めていてちょうど見ごろを迎えていた。










今日のスタートはマイントピア別子。いつもは山から降りた帰りに寄り道する場所。

施設の北側の駐車場に車を停め、すぐ脇にある貯鉱庫の横の階段を登り、

下部鉄道跡の下のトンネルを潜ると、社宅跡への道が続いている。

貯鉱庫の上には、第四通洞からの軌道敷きが延び、鉱石運搬車が貯鉱庫の上から

鉱石を落として鉱石を貯める仕組みになっていたそうだ。
















かつては端出場から仕事を終えて家に帰る鉱夫の姿が見られただろうこの道を、

今日はお弁当を持った観光気分の三人が歩いている。2mほどの幅の広い道が続いて行くが、

倒木や斜面の石が崩れていて、手が入れられなくなって道は荒れている。











九十九折れに石垣に沿って登って行くと、鹿森索道終点と書かれた場所があった。

端出場からだと数百メートルの距離しかないこの索道は、鉱物ではなく、社宅で必要な

生活物資が運ばれていたようだ。










索道終点からしばらく歩くと記念碑の立ち並ぶ場所に着いた。

周りの木には当時の生活の様子が伺える例の写真が貼られていた。











そのひとつひとつを眺めながら、この社宅で暮らしていた人々を生活ぶりを想像した。

写真に写る男性も女性も、こんな山中にあって服装からしてモダンな雰囲気が漂っている。

鉱山での仕事の給与が高かったのか、住友の福利厚生が行き届いていたのか。










そして子供たちと一緒になって縄跳びで遊ぶ男性の姿。その背後には当時のメインストリート

だったであろう石段が続いている。数十年の時を経て同じ場所でその石段の前に立つルリちゃん

その石段もさることながら、城壁のような高く積まれた立派な石垣にも驚かされる。

いずれにしてもこれだけの石をどこから運んできたのか、そして今も崩れることなく

平然と佇んでいる石積みから、当時の職工の技術の高さを伺い知ることができる。













その石垣の上にあったであろう建物は解体され、レンガで造られたカマドが残るだけだった。

二列に並んだ石段の中央は排水路だったのだろうか。深い溝が上から下まで続いている。

その石段も途中から二手に分かれている。その前で記念撮影。











途中にある共同浴場跡。ただこの共同浴場は利用できるのが夕方の四時間だけ。

全盛期300戸に1300人が暮らしていたこの鹿森社宅では、浴場は

いつも混み合っていたようだ。今も残っている浴槽の大きさからしても、

ぎゅうぎゅう詰めで一度に入浴しているシーンが目に浮かんでくる。

この共同浴場辺りがこの鹿森社宅の中心部だったようで、当時は生協や個人商店

理髪店・豆腐店・肉屋などがあったそうだが、魚は主に行商から買っていたようだ。













浴場跡から少し登って行くと、石段を跨ぐようにして鉄製の橋が架かっていた。

骨組みだけが残り今にも朽ち落ちそうな橋だが、当時はこの橋の上に

日用品を運ぶ貨車が走っていたそうだ。










橋からもさらに石段は続いて行く。山歩きをしていて四国のみちの擬木階段や

電力の保線路のプラスチック階段を登ることがあるが、この社宅跡の石段は、

生活のための石段だけあって、段差も幅も丁度良くて、とても登りやすいとルリちゃん










二手になった石段の左手の石段を登り詰め、突き当りの石垣を右に敷地の中を進むと、

先ほど分かれた右手の石段と合流した。この社宅内の石段の総延長は1800mにも及ぶ。








下の方ではカマドも共同の様な感じでカマドが横に何個も並んでいたが、

この辺りでは、それぞれ一軒に一ヵ所のカマドと二軒の間に流しがひとつある。

尾端と書かれた道標の下に、小さな辻ケ峯と書かれた道標に従って左に進んで行く。














途中にあった薪を貯めた建屋。その奥には廃屋になった立派な民家があり、索道とは年代の違う

少し新しいロープウェイの架台の様なスチール製の構造物があった。











更に上に進んで行くと、土に還る事なく残された様々な生活物資が散乱していた。

行火にガスボンベ、五右衛門風呂の釜だろうか?。この辺りでは共同浴場ではなく

家風呂があったと言う事なのだろうか?別の大釜は何に使っていたのだろうか?













そんな生活のにおいを感じながら歩いて行くと、竹屋敷と書かれた道標。

左に土ノ峠。今日は山根と書かれた右に歩いて行く。








この辺りまでまだ石積みは残っていて、それぞれの敷地に上がる石段がある。

その石積みに沿って歩いて行くと地蔵堂があった。地蔵堂の少し上に伐採地。

そして右に大久保~中屋敷。左に中屋敷~辻が峯と書かれた道標は下向きに傾いていた。











辻が峯の道標と、電力の番号杭に従って歩いて行くが

道は次第に杉とヒノキの混在する林の中の道になる。













道の傾斜は緩くなってきたが石積みはまだ残っている。さすがにこの辺りの石積みは

建物があったわけではなく、耕作地の為の石積みだった雰囲気がする。







緩勾配から少し急な登り坂を登ると鉄塔広場に出た。

鋼管柱の足元には、人が登れないように丸い円形のガードが付いている。

あっちゃんは鉄塔を見かけるといつも『登れないかな~』と言って見上げるが、

どこの鉄塔もそのガードがあって登れそうもなく諦めていた。

ただこの鉄塔は柱とガードの位置が微妙で、登れそうだった。

『ここは登れますね!』と言って私が登って見せたのが間違いだった。

少し登って直ぐに降り、横にいたあっちゃんを見ると目がランランと輝いている。








そしてザックを降ろして『私も!』と言って登り始めた。

その横でルリちゃんが『のぼらないでくださいと書いとるやろ!』と言っているのも無視。

いつもは越える事の出来なかったガードの上に立ち、大満足のあっちゃん。
















鉄塔広場から直ぐに尾根道になった。人工林の中の道は緩やかで、

鉄塔で遊んでロスした時間を、取り戻すようにしてスピードを上げていく奥様たち。

最後にピークを登り詰めると辻ケ峰に着いた。





途中で作業道を真っすぐ進みそうになる場所には赤い目印















今日は『キーマカレーメシ』。トロトロになったご飯に少し辛めのカレーが食欲をそそる。








YAMAPの活動日記では周回している人は、山頂から少し南から下っているが

コースタイムの載っていいる地図は山頂から直ぐに東に下っている。

その下りの道が判らず、適当に尾根に向かって降りて行く。










しばらく尾根に沿って下って行くと91番鉄塔広場に出た。ここからは北に新居浜の市街地。

南にはまだ雪の残る西赤石山黒森山が見渡せた。














最初の鉄塔からは電力の巡視路。地形図に載っている電線の線より

少し北側を九十九折れに下って行く。










そのうちに今度は92番鉄塔広場に出た。







さらに下って行くと508mの三角点のある鉄塔。三角点は見つけられなかったが、

ここでもあっちゃんが鉄塔の柱の足元で、登れないかと様子を伺っている。

鉄塔の鋼管柱の間から見えるのは犬返しだろうか?

あっちゃんには『どうぞ、ごゆっくり!』と言って、ルリちゃんと二人で先に下って行く。








地形図では鹿森社宅跡に続く周回路と、マイントピア別子に直接下って行く破線が載っているが、

破線からは少し外れているが、保線路を下って行くと伐採地に出た。伐採地には電力の鉄塔と

少し小ぶりな住友の鉄塔が立っていた。ここでも案の定あっちゃんが小ぶりな住友の

鉄塔にまたよじ登っている。たしか高い所が好きなのは『〇〇と煙』のはず。










鉄塔広場から道標に従って人工林の中の道を下って行く。

小刻みに九十九折れに急坂の下りが続いている。またまたあっちゃんの悪い癖がでた。

九十九折れの道に飽きてショートカットしようとするが、斜面が急すぎて

一度だけ短めに気持ち程度にショートカットして終わってしまった。













途中で神社と中萩小学校大永分教場跡。この神社の辺りが土ノ峠らしい。

土ノ峠は戸数僅かに4戸の小さな集落で(S36)、分校の児童数も4名ほどだったらしい。










あっちゃんだけでなく我々も下り坂に飽きてきた頃に、マイントピア別子の観光坑道の横に

飛び出した。観光坑道は坑道の中が展示施設になっている有料のゾーン。













そのまま観光列車の方に行くのも気が引けて、鎖が張られた道から

斜面を登って行くと県道のガードレール脇に出た。

県道へ出た後は下道をマイントピア別子の駐車場へとのんびりと歩いて行く。

国領川沿いの桜の花は満開に近く、観光客が散策する姿が見える。














マイントピア別子で温州ミカンのソフトクリームを頂いた後、山根公園に移動してのお花見。

公園の駐車場の南側の斜面には満開の桜。その桜の花の下で敷物を広げて寛ぐ人々。













私たちも腰を降ろしてお湯を沸かしてコーヒータイム。

朝一番よりも一段と花が開いた様子。人よりも花の方が温度に敏感なのだろう。

そんな気候の変化を草花に負けないように敏感に感じられる感性でありたいと思う。











別子銅山の遺構はこの山域のあちらこちらで見ることが出来るが、

その中でも当事の人々の暮らしを顧みることのできる鹿森社宅跡。

伊庭貞剛は、赴任した別子で荒廃した山々を見て、即座に

「別子全山を旧のあおあおとした姿にして、これを大自然にかえさなければならない」

と言った。その言葉通り半世紀前にはまだ賑わいのあったこの地も、

今まさに自然に還ろうとしている。子供たちの声が聞こえていた森は、

今は静寂の中に唯一、鳥のさえずりだけが寂しげに聞こえてくる。

住友の歴史:別子銅山後期はこちら


今日のトラック


今日の3Dトラック

まだまだリハビリ登山の寒峰

2022年03月26日 | 四国の山


ほんと、ギックリ腰の治りが遅くなって、寄る年波には勝てないと

つくづく実感している今日この頃。

先週、鶏足山から降りてのコーヒータイムで、次週の予定は?と

奥様たちと話をしていて、『川井峠の枝垂桜と天行山・東宮山』を

歩いて見ませんかと話したが、家に帰って調べてみると、過去には

4月中旬辺りで出かけていた。ネットの情報にも3月末から4月中旬が

見頃と載っている。しかも今年は花の開花が少し遅い感じがしたので、

予定を変更して『春の妖精をもう一度観に、寒峰に登りましょう!』

と奥様たちに連絡した。その時は一週間後には当然もう腰の状態は

良くなっているだろうと思っての事だった。

だが1週間経ってまだ腰と背中に張りがあり、鎧を着ているような感じで、

変な動きを少しでもしようものなら直ぐ再発しそうな感じなのだ。

とは言ってもこのところ奥様たちには軽めのリハビリ登山に付き合ってもらっていて、

そろそろ二人の不満が爆発しそうなので、今回予定は変更せずに出かけてきた。


昨年から奥様たちと3人で行動してきたが、3人だと天気予報をみながら

日程を気軽に変更できるのが少人数のいいところだ。今週は水曜日の天気が

怪しかったので、雨降り後の中一日あけて今日金曜日に出かけてきた。


登山口となる住吉神社までは集合場所の道の駅さいたからでも

意外と時間がかかる。吉野川沿いの国道32号線、そして大歩危からは県道と

国道を祖谷川に沿ってくねくねと走り続けて約1時間30分で住吉神社に着いた。

道中で『今日はピストンと周回どちらにしますか?』とルリちゃんに聞かれ、

『山頂までの時間と様子で決めましょう。』と答えたが、本音を言うと時間と

言うよりは、自分の腰の状態の様子見だった。距離的には上の登山口から

スタートした方がいいのだが、周回するのなら住吉神社に停めた方が最後に

登り返さなくていいので、『どちらになってもいいように住吉神社に車を停めます!』

と話をした。神社の上の道の脇には2台の車とバイクが1台停まっていた。







神社の左奥に小さく寒峰道と書かれた札が掛かっていて、竹林の中からのスタートになる。










登山道は竹林から徐々に杉林の中の道になる。間伐され枝打ちされ手入れされた杉林は、

人の手が入らなくなった薄暗い杉林と比べると、日差しも届いて歩いていても気持ちがいい。







道は作業道と登山道が交互に続いて行く。スタートから20分ほど歩くと、前方の上の方に

ガードレールが見え始めた。道は右に振っているが、あっちゃんはガードレールめがけて

直登したいと言う。『ハイハイ、それじゃお独りでどうぞ!』と言って、ルリちゃんと私は

道なりに歩いて行くと、林道の真下にでた。そのままコンクリートの擁壁に沿って歩いて

行くと、上の登山口の正面に飛び出した。







登山口の脇には6台程車が停まっていたが、その内の5台の香川ナンバーは

目いっぱい間隔を詰めて停めていたので、おそらく同じグループなのだろう。

二人で一息入れていたが、あっちゃんがなかなか登ってこない。

大きな声で呼びかけても声がしない。しばらくするとあっちゃんから電話がかかってきた。

『もう直ぐ林道に出ます!』と。このところのいつものパターンで、あっちゃんは

とにかく直登や難しそうな道を歩きたがる。そしてルリちゃんは巻き道、安全そうな道を選ぶ。

そして大抵はあっちゃんの方が時間がかかって、その度ルリちゃんに『急がば回れやで!』と

言われているのだが、今回もそのパターンで結構時間がかかってあっちゃんが現れた。


最近は県内の里山ばかりでストレスが溜まっていたのか、奥様たちは快調に飛ばして行く。

右手に見えるのは落合集落だろうか?周りの山並みも見渡せる場所に来た。

里山だと登山と言うよりは山歩きといった感じだが、ここまで登ってくると久しぶりに

山登り、登山をしているという感じがする。








下の群生地の手前にも、登山道の下に一ヵ所群生地があった。道に苔のついた大岩か点在し始めると

下の群生地も近い。道の脇には花の開く前の白いミツマタが数本。







群生地には先客が何人かいた。明るく日差しが降り注ぐ谷あいに、春を待ちわびた黄色い

妖精たちがあちらこちらで踊っているように見える。










鶏足山では群生地にはロープが張ってあって、あまり近づけないが、ここでは遠慮なく間近で撮れる。

ただその分小さい花を踏まないように注意して歩かなければいけない。

蕾の花も多く、まだしばらくは登山者の目を楽しませてくれそうだ。














群生地からは上部を回り込むようにして山頂への道が続いている。

雨の降った一昨日から中一日おいて路面は乾いていたが、これがぬかるんでいたら

けっこう歩きにくそうな急登が続いて行く。










群生地からの斜面を登りきると杉林の尾根に出た。『ここから急登ですよ!』と

あっちゃんに言うと、『ここまでもけっこう急だったわよ』と。

道標の脇で休憩していた男性3人組が先に登って行った。間隔を開けたかったので

しばらく休憩した後急登に取り付いて行く。右は緩やかな杉の人工林、左は群生地に

向かって急な斜面になっていてその際を急登は続いている。斜度でいうとストックで

登れるのでそれ程でもないが、とにかくこの急登は延々と続いて行く雰囲気がする。

腰の張りはそれほどでもなかったが、ふくらはぎと太腿の張りが半端ない。

それでも何とか15分ほどで登りきった後、広くなった尾根でたっぷり掻いた汗を拭き、

スポーツ飲料をゴクリと飲む。立ち止まって変な姿勢をとると足が攣りそうになる。

















緩やかに広い尾根を歩いて行くと先行していた3人組が見えた。

1415mの三角点まで来ると、奥様たちが違う男性の3人組と話し込んでいる。

少し遅れて着いて話を聞くと、奥様たちの高校の先生と同級生だそうだ。

今日は三豊の七宝山周辺を毎週火曜日に歩いている会で、総勢20名以上で来ているという。

上の登山口で停まっていた車はやはり一緒のグループだった。














その先生と同級生に別れを告げ四等三角点 栗枝渡 1415mから北に向かって尾根を進んで行く。

この辺りからは所々で残雪が目につくようになる。













1518mの西寒峰の東側を回り込むようにして歩いて行くと、

上の群生地だろうか、大きな木々の根元に福寿草が咲いている。










上の群生地の先はいつも雪が最後まで残っている広い窪地に出る。







足の張りはピークに差し掛かっていたが、コースタイムでは後25分で山頂だ。

道の両側に大ブナが立つ尾根を登って行っているとあっちゃんが

『ねぇ~お腹空かん!』と聞いてきた。『ハイ、私もペコペコです。』と答えると、

『ルリちゃん、お腹空かん!』と今度はルリちゃんに聞いている。どうやらここで

おにぎりのひとつでも口にしたいらしい。するとルリちゃんが『私は空いてない!』と

つれない返事。それを聞いてしょんぼりするあっちゃん。

『え~まだ20分以上も歩くんやろ』『私が行き倒れになったらどうするん』と

小さな声で愚痴を言いいながらも、仕方なく先を行くルリちゃんについて行く。













冬枯れた木々の中の道を抜けると、山頂近くの笹原の道になった。

ここで先行していた団体さんに追いついた。団体さんの中にはあっちゃんの先輩の顔もあった。










山頂は360度遮るもののない大パノラマ。祖谷の深い谷あいの奥に、

雪の残る剣山から天狗塚への稜線がまず目に飛び込んできた。奥様たちも大感激のご様子。




南には四国のゴールデンルート



東は太郎・次郎から矢筈山・烏帽子山方面



矢筈山とさがり禿



次郎笈と剣山



西には中津山と国見山



山頂では三人の写真を団体さんの男性に撮ってもらって、後ろから続々と来る人に、

少し東に下った風の当たらない場所でお昼ご飯をとることにする。













腰を降ろした場所からは落合峠へと稜線が続いている。

以前に独りで落合峠から往復した時は、天気が良くなく、最後はくたくたで

あまりいい印象はなかったが、ここから見る限りではいい感じの尾根が続いている。







お昼ご飯を食べ終えると、奥様たちはすでに周回コースの心づもり。

足と腰に不安は残るが、下りなら何とかなるだろう。

それよりも久しぶりの笹原稜線歩き、山に来た~って感じがして気持ちがいい!

稜線の北には椀山の放牧場が見える。

その椀山の北側にはあの井川スキー場がある。そうなのだ今回のギックリ腰の

原因となった大転倒した井川スキー場なのだ。













寒峰山頂の東側のピークの手前で、周回コースの分岐になる。

道標に従って下って行くのだが、これがなかなかの急坂だった。

雪が融けたばかりの道は踏み跡も薄く、度々その薄い踏み跡を確認しながら下って行く。







東に向いていた道が南に振ると、右が自然林、左が人工林の広い尾根道になる。

その道が杉林だけの道になるとモノレールが道の脇に現れる。

資材を運ぶにしては小さすぎるし、『何のためのモノレールかな?』と言いながら

そのモノレールに沿って続いている登山道を下って行く。
















標高点の1279mまで来ると、前にいた二人が立ち止まってスマホを覗き込んでいる。

周回コースとしては、ここから左に1094mの標高点を回り込むような道になっている。

ただモノレールは右に折れて続いていて、地形図でもそのまま真直ぐ下ると林道の近くまで

降りられるように見える。

破線もなく登山道でもないのでルートとしては不安だが、モノレールに沿って下って行けば

そのうちに車道に出るだろうと思った。もちろんあっちゃんはそのつもりで、

こちらを見てニヤニヤしている。そして少し考えているルリちゃんを説得するため、

私に賛同を求めてきた。周回コースだと回り込んでまだ距離がありそうだし、

道はないがモノレールがあるしと、あっちゃんのショートカットしようという案に、

安易に賛同したのが大きな間違いだった。





最初に、私がこれから急坂が始まるという何でもない場所で足を滑らせ、

また大きく前のめりに転倒した。しかも今回は最初に地面に着いたのは手でも背中でもなく

顔だった。一瞬、首の骨が折れたんじゃないかと思うくらい大きな音がしたが、

幸い起き上がって見ると痛みは無くなり、少し寝違えた感じの凝りが出ただけになった。

考えてみるとどこの山でもミカン畑でも、この手のモノレールは人が歩けないような斜度の

場所に運搬用に造られている。当然、ここの斜度も半端なくまともに立っていられない。










自然林の中から杉林の中になるとさらに傾斜は急になり、足元は杉の枯れ葉と枯れ枝で

覆いつくされ、足を踏み出すのも困難になってくる。時々奥様たちからも悲鳴が聞こえてくる。

いよいよ地形図の沢筋まで降りてくると視力2.0のルリちゃんが、モノレールが川を

渡っているのが見えると言っている。さすがに平均台の様にしてモノレールの一本橋を渡るのは

無理だと判断して、モノレールからは離れて左にトラバースをしていく。

傾斜がいくら急でも、足元がどれだけ悪くても、モノレールを手摺代わりに下れば

何とかなったが、モノレールから離れると途端に進み辛くなる。














最後の沢への下りでは掴まる木もなく、足元が柔らかすぎて

さすがの奥様たちも困難を極めている。こんな道わざわざ歩かなくてもと言った感じで、

ルリちゃんが『こんなにお尻を汚したわ!』と、お尻をつきだしてアピールしている。











沢まで降りると対岸の上に先ほどのモノレールが川下に向かって続いているのが見えた。

手前の沢筋は水際まで斜面になっているので、取りあえずモノレールに向かって渡渉する。







右岸へ渡り、モノレールと給水パイプが並行した間をしばらく歩くと、林道に飛び出した。

昨年から三人で歩いてきて、道を外したりした時に荒れたり籔いていたりした斜面を

何度か下って来たが、今日のこのショートカットは意図してコースを外したものの、

今までで最高に近いワイルドな下りだった。奥様たちは二人とも、帰りに買い物に寄れないくらい、

ズボンの表も裏も登山靴も滑ってドロドロに汚していた。

1094m経由のコースタイムは1時間15分。ショートカットの時間は約1時間だった。

今回確かに時間短縮にはなったが払った代償(疲労度)は大きかった。

林道に飛び出した瞬間に『あ~楽しかった!』と満面の笑みのあっちゃんと

疲労度MAXのルリちゃん。そして私はと言えば、アドベンチャーコースのお陰?で、

腰の痛みも足の張りもいつの間にか忘れてしまっていた。













林道からは住吉神社まで30分のコースタイムになっていたが、道の脇のミツマタの

群生地を眺めながらも、意外と早く15分ほどで車を停めた場所に着いた。











住吉神社から国道まで下り、朝来る途中で話をしていた落合集落展望所に寄り道をする。

祖谷川を挟んだ高台にトイレと東屋のある展望所からは、祖谷川から山の頂部に続く落合の集落が

正面に見える。高低差390mの急傾斜地に集落を形成していて、国の伝統的建造物群保存地区に

指定されている。ここでベンチに腰掛けコーヒータイムにする。










しばらくその山村風景を眺めていると、徳島県と書かれた車とジャンボタクシーがやってきて、

その車から降りてきた職員らしき男性が、ジャンボタクシーに乗ってきた女性陣に

色々と説明をし始めた。コーヒーを飲みながら何気にその説明を聞いていると、

保存地区に指定されているのはいいけれど、この落合地区には新しい家も建てられず、

桜の木の一本も植えられないそうだ。暮らしも景観もそのまま残しておくと言う事か。

それが住む人にとっては果たしてどうなのか・・・・。







谷あいで少し陽が落ち始めると肌寒くなってきた。落合地区展望所を後に竜宮崖公園の

吊り橋を渡りに最後の寄り道。太いワイヤーで張られた吊り橋は、先週のかずら橋と比べると、

随分と安心感はあるが、深いV字の祖谷谷に架かる橋の高度感は半端ない。対岸にも福寿草が

咲いていたが、あまり陽が当たらないせいか開いた花がとても小さかった。










久しぶりの急登と少しだけだったが笹原の稜線歩き。そして奥様たちには鶏足山の福寿草より

この寒峰の群生地の方が自然な雰囲気があって良かったそうだ。

このところ下り坂で大きな転倒をしている私は、毎回落ちた場所が悪かったら酷いことになっていた。

今日も奥様たちがびっくりするほど大きく一回転した。足の筋力がいよいよ弱って来たのか

それとも集中力がなくなって来たのか。

川井峠の枝垂れ桜はまだ先の様な雰囲気なので、来週は別子銅山の鹿森社宅跡と辻ケ峰

歩く予定にしている。グランマーさんがアップしていた一枚の写真に写る

鹿森社宅跡の長い石段に一目ぼれして、春になったら歩こうと話していた場所だ。

ただ延々と続く石段で、新鮮組の階段落ちにはならないように注意しなければならない。

今までは運よく柔らかい斜面だったが、石段で転倒したらそれこそシャレにならない。

来週からは『注意一秒ケガ一生』を念頭に歩こうと思う!(笑)


今日のトラツク


今週もまだリハビリ山歩き!

2022年03月17日 | 四国の山


十数年ぶりのスキーで転倒の末、腰痛を再発してはや2週間。

年を取るごとに益々回復するスピードが遅くなってきた。

『あとは日にち薬』とよく言うが、下手すると『月日薬』に

今後はなってくるかもしれない。あ~いやだいやだ!

と言いながら、今週も奥様たちにはリハビリにお付き合い頂くことになった。

ただ何かテーマがないと同意頂けないと思って、今回は題して『花と岩』。

予定では東讃の里山を歩いた後、白鳥町の湊川の河津桜を見物する予定だったが、

先週、吉津の河津桜を満喫したので、里山から県外のお山に目を向け、

スプリング・エフェメラル(春の妖精)の一つの福寿草を目当てに出かける事にした。

ここ最近、福寿草と言えば寒峰より鶏足山に出かける事が多くなってきた。

登山としては歩く距離も少なく、奥様たちにとっては物足りないが、

行場コースの鎖場の話をすると、予想通りあっちゃんが食いついてきた。

あっちゃんはWOC登山部でも来たことはあるが、その日は雨で行場コースを歩いていない。

その1年前に来た時はルリちゃんは、最初のカニの横バイで怖い思いをしたのだが、

あれから3年、『私も進歩したはず!』と言って再チャレンジする事になった。


大歩危駅から祖谷方面に県道を進んで、タイヤショップの手前の脇道へと入り、

集落の中を『鶏足山キャンプ場』の道標に沿ってクネクネと車を走らせる。

集落にはけっこうな数の民家が点在しているが、最終民家を過ぎると途端に

道は荒れてくる。路面状態も悪く落ち葉や枯れ枝、小さな落石もあって

その度スピードを落としながら、車の底を擦らないように慎重に運転をしていると

目の前、道の真ん中に大きなキジが立ち止まっていた。写真を撮りそこなったが

逃げる様子もなく、しばらくじっとしていて、妙に落ち着いたキジと対照的だったのが

後部座席の奥様たち。『キジよ・キジ!』と二人ではしゃいでいる。

キジとのご対面で盛り上がった後、着いたキャンプ場にはすでに3台ほど車が停まっていた。




キャンプ場の広場の南側が行場コースの入り口になる。その南には鶏足山の岩壁そびえ立ち、

その岩壁の北側で陽が当たりにくいのか、苔蒸した大きな岩や倒木がゴロゴロ転がっている。













下から見上げると、『こんな所、登れるのかな?』と一瞬思ってしまうほど

垂直で白く冷たい岩肌が目の前に迫ってきた。岩壁の足元まで来ると左に

踏み跡が続いている。岩壁の足元特有の土溜まりはザレて歩きづらい。










見上げた岩壁の丁度鞍部になった場所が、岩への取付きになる。

上から男性が一人、降りてきているのが見えた。

左に左に登っていたのをここから右に振ってまずは岩穴に入って行く。

穴を潜ってまた左に登ってその男性と離合。そしてまた右に進むと、

例のカニの横バイがある。













まずは私が手本で足の置き方を奥様たちに見せながら渡って行く。

その後にルリちゃんが続く。前回は途中で身動きが出来なくなったが、今回は

少し腰が引けているものの立ち止まることなく渡ってきた。

そしてあっちゃんと言えば、何食わぬ顔をして通ってきた。










カニの横バイを過ぎ一段上がると。4~5mほどの岩壁に鎖とロープが掛かっている。

前回WOC登山部で来た時は、この岩壁は登らず巻き道を登ったが、

今日は当然あっちゃんはチャレンジ。そしてルリちゃんは当然巻き道へ。

この鎖の岩壁と、もうひとつ上のロープだけの岩壁を登りきると、

最後の鎖の足元に着いた。この鎖は長さは子持ち権現の鎖と比べると

35m程で半分もない長さだが、とにかく角度が違っている。











後ろから来たあっちゃんに、『これが例の鎖です!』と指さすと、

見上げたあっちゃんから『わ~!』と声が漏れた。

ほぼ垂直の岩壁に、赤錆びた鎖がぶら下がっている。目を凝らしても

その頂部は見えない。流石のあっちゃんも少し二の足を踏んでいる。

リハビリに来た私はもちろん最初から登る気もない。




鎖の取付きから少し左に登って行くと、斜めに一段上の岩まで登って行ける。

その事をあっちゃんに教えてあげると、さっそく上まで登って行った。

ただそこから鎖は宙ぶらりんになっていて、身体をどうもっていったらいいのか

判らず何度か挑戦するものの、諦めて降りてきた。







血気盛んなあっちゃんも心配だが、独りで巻き道登りにしたルリちゃんも心配になってきた。

岩の上からは姿は見えず、随分と下の方から声がする。

『お~い、こっちだよ!』と呼びかけ誘導する。間違って行き止まりの穴に入ってしまった

ようだが、何とか潜り岩穴まで登って来た。

潜り岩穴のすぐ上は鎖場の巻き道になっていて、段差のあるヶ所にはロープが掛かっている。

















岩壁の横の巻き道を登って行くと一旦尾根に出た。そこから左にもう一段岩を登ると見晴らし岩に出る。

正面には大きな山容の黒滝山。そして右には随分と高い場所まで民家のある西祖谷山村地区。

そして左は山頂の電波塔で直ぐに同定できる梶ケ森が見える。










岩の端に腰掛けてしばらく目の前に広がる眺望を眺める。

人工林の山肌は濃い緑、自然林の落葉樹の山肌は薄い茶色で、

山全体としてはまるで迷彩色の山肌の様にに見える。














見晴らし岩の北側は最後の鎖の頂部にもなっている。あっちゃんと二人で覗き込んだあと、

ルリちゃんの待つ巻き道の出合いまで戻って、山頂への岩尾根を進んで行く。







岩尾根は巻き道もあるが、そのまま岩尾根をアスレチック気分で山頂へ。













山頂には真新しい山名標が立てられていた。すっかり葉を落とした木々の間からは

明るい日差しが差し込んでいる。山頂から南に尾根を進んで行くと

左に福寿草がチラホラ見え始めた。










踏み跡を辿って尾根から左に下って行くと、上の群生地。







上の群生地から急斜面をさらに下って行くと下の群生地。以前に比べるとこの下の群生地の

福寿草の数が随分と増えているように思った。

全体的に群生を撮ろうとしてもコンデジでは見た目ほど上手く撮れない。

北に向かって広がる斜面を埋め尽くすように黄色の絨毯が広がっている。

近づいて花弁を見ると、陽に当たって飴のように光っている。

パラボラの様に反り返った花弁の中心に日光を集め、その熱で虫を誘引しているのだそうだ。


























春の妖精をたっぷりと鑑賞した後はキャンプ場まで下って行く。

2時間もかからない周回だったので、お昼ご飯にするにはまだ時間が早い。

まずはフォレストアドベンチヤー祖谷まで車を走らせる。

駐車場には徳島の北島中学校のバスが6台停まっていた。『いまごろ遠足?』と思って、

あっちゃんが生徒たちに声を掛けてみると修学旅行だそうだ。

コロナ下で県外には行けずに、県内の観光施設での修学旅行とは・・・・。










フォレストアドベンチャーは傾斜や木の高さなど、自然を丸ごと生かしたパークづくりが特徴で、

木の間に張られたロープを渡ったり、梯子を上ったり、木の間に吊るされた丸太を足掛かりに

向こう側まで渡ったりと、スリル満点の体験ができる施設。

いかにもあっちゃんが好きそうな施設なのだが、今日は中学生の貸し切りで利用できなかった。

施設は公園にもなっていて駐車場の下の東屋でお昼ご飯にすることに。

今日はのんびりできると思って、来る途中でおかずを買って来た。

チーズハンバーグとウィンナー。食事の後はコーヒーとワッフル。














お昼ご飯を食べた後は、せっかくなのでかずら橋まで行ってみる。

ずいぶん昔に渡った憶えはあるけれど、今は対岸にかずら橋夢舞台の大きな施設。

そしてかずら橋の横には車が通れる祖谷渓大橋が掛かっていて、秘境感が全くなくなっていた。







ルリちゃんは恐る恐る。あっちゃんはトントンと渡って行っている。

私たちが丁度真ん中あたりまで来ると、渡りきったあっちゃんが引き返して来た。

すると大音量のマイクで『お客さん、橋は一方通行です!』と注意されてしまった。

バツ悪そうにしたあっちゃんだったが、今度は橋の上に居た若い青年に声を掛けて

写真を撮ってくれと頼んでいる。若い男性にちやほやされて嬉しそうなあっちゃん!














周りの環境も随分変わってしまったが、何より気になったのは祖谷渓に架かる橋の高さ。

記憶ではもっと高さがあったように思ったが、意外と低い位置にかかっていて

『あらら?』といった感じだった。







かずら橋からは少し遠回りして県道32号線を車を走らせる。

奥様たちはどうやら初めての道らしく、途中にある小便小僧や祖谷渓展望台を

楽しみながら、山間の春の訪れを感じて帰路についた。














線で繋ぐのはお休み

2022年03月03日 | 四国の山



腕山に登ったのは2008年。もう14年も前になる。

井川から県道を南下した記憶はあるが、途中で下影の棚田

寄り道したり、井川スキー場から更に南に車を走らせた記憶がない。

唯一、腕山放牧場に沿って登って行ったのだけは憶えている。


今週はその腕山ではなく、手前の井川スキー場にWOCのメンバーと出かけてきた。

WOCのメンバーとは昨年の秋の石鎚山以来の合流。

ここの所WOCは登山部よりスキー部の活動が活発で、

メンバーによっては毎週出かけているようだ。

今シーズンに入って、その様子を横で見ながら、久しぶりにスキーを滑ってみたいと

思ってたのだが、一旦落ち着いてきていたコロナがオミクロンの襲来で、

また不要不急の外出は?などと言われるようになってきた。

それに伴って、我が家の奥様からは、登山の際も『乗り合わせで出かけてないでしょうね!』

などと言われるようになった。『もちろん、現地集合で少人数で歩いてます』と答えるのだが、

デポ車とデポ車の間だけはどうしても乗り合わせになる。当然その事は内緒にしている。

大山のスキー場となると、朝も早く帰りも遅くなるが、井川スキー場なら

山に出かける時間より少し早いだけで、帰りはいつもの時間に帰って来られる。

しかもあっちゃんから『登山の服装で出かけて、スキー場では雨具を着て滑ったら、

奥さんにバレないわよ!』とアドバイスをもらった。

あっちゃん自身もご主人には登山の予定だと言って、

何食わぬ顔をして朝家を出かけてきたらしい。

そんなこんなでおおよそ12年ぶりのスキー体験となった。





朝一番は雲っていた空も次第に青空が顔を覗かせ始め、

厚着をしていると暑いくらいになってきた。







なんせ間が開き過ぎた事に不安だったが、2・3本滑ると依然と変わらぬ感じで、

滑れるようになり感覚を身体が憶えていた。







ただルリちゃんに『くれぐれも腰を痛めないように注意してね!』と言われていたのに、

調子に乗って滑って見事に一回転して、腰を強打してしまった。











結局最後まで腰の痛みは取れず、しばらくは尾を引くような雰囲気。

ただしばらくぶりのスキーで、登山とはまた違ったリフレッシュができた一日だった。

線で繋ぐ山歩き 玉取山~兵庫山

2021年11月20日 | 四国の山
線で繋ぐ山歩き。先週予定していた玉取山~兵庫山は現地が雨だったので

予定を変更して三辻山工石山を歩いた。

今週は天気予報を睨みながら、晴れの日の今日再チャレンジしてきた。

事前にルリちゃんが送ってくれた白髪隧道のトンネル工事の

時間通行止めの情報には、通行できる時間帯が15:00~15:10。16:00~と

なっていて、YAMAPのコースタイムは往復で7時間10分なので、8時にスタートして

コースタイム通りでも15時の通行可能な時間には間に合わない。

でもここのところ平均タイムの110%くらいでは歩けているので

『取りあえず15時前に降りてくるのを目標に!』と返信したが、自信過剰!

これが後々大きな誤算となるとは思わなかった。


白髪隧道の高知県側に着くと工事の車両とは別に、軽トラックが2台停まっていて、

男性一人と女性二人がもうすでに準備を終えて歩き始めていた。




白髪隧道の横から沢沿いの作業道を東に歩いて行くと、途中から左に登る道があり、

脇には佐々連尾山の小さな道標。ここをグイッと登り

今度は西に向かって杉林の中の道が続いて行く。










杉林を抜けて周りが自然林になると頭上が明るくなり、ほどなく猿田峠に着いた。

コースタイムでは35分のところ25分。ここまではいいペースで登って来れている。

峠では先ほどの駐車場で先行していた3人が休憩していて、少し話をすると

地元の方で今日は大森山へ登る予定だと言う。こちらは兵庫山まで予定していると言うと、

『玉取山から兵庫山まではけっこう道が険しいよ』と教えてくれ、更には登岐山の辺りの

様子も教えてくれた。せっかくのアドバイスだったが、話を聞きながらこの時にはまだ、

ここまでの時間を考えてもコースタイムを短縮できるくらいの軽い気持ちでいたのだった。

峠からは鉄塔の奥に赤星山から二ツ岳に続く稜線、そして南には奥工石山白髪山が見える。










猿田峠からはすっかり葉を落とした尾根道を、まずは1274mのピークに向かって歩いて行く。

『今日は兵庫山まで10回ほどのアップダウンになります!』と奥様たちに言うと

あっちゃんが『これも数に入る?』と言いながら小さなピークを過ぎる。













小ピークを下ると少し広くなった鞍部。鞍部からは1274mの標高点へ登りが続いて行く。

尾根の一段下に窪地になったような場所を時々見かけるが、この季節は疎らな自然林で

明るい広場の様な感じで雰囲気がとてもいい。










標高点からは葉が落ちてはいるが、木々の枝でまだ先の様子は伺えない。

一旦下ってまた登り返すと途中で痩せ尾根になり、露岩の尾根道になる。
















痩せ尾根を過ぎると道は尾根の少し北側に続き、その内に苔の岩の日本庭園が現れた。

岩には微細な割れ目が無数あり、水分がしみ込んで表面がしっとりと湿っているので、

山の北側で日が当たりにくく岩が乾きにくい環境では、湿気を好む苔が生育するようだ。










苔庭を過ぎブナの尾根を通りひと登りすると玉取山に着いた。

猿田峠で話をした男性が『玉取山までは1時間40分ほどかかる』と話してくれたが、

1時間強で来られた。YAMAPのコースタイムでも白髪隧道から1時間45分のところを

1時間30分。ここまではまずまずのペースだった。三等三角点『玉取』。










玉取山では周りの木々も疎らになり南西に向いて眺望が開けていた。

あっちゃんの視線のある先に見えるのが兵庫山と思っていたが、

後になって大登岐山だと判った。山頂から少し下るとしばらくは広い尾根が続き、

安易に下ってしまうと道を間違えやすい。

ここは県境のポールを目印に少し左に振りながら下って行く。













玉取山から下った鞍部は痩せ尾根になっている。ここからは1334mの標高点の肩に向かって

また急登が続いて行く。途中でルリちゃんが北西に白く雪を被った山が見えると教えてくれたが、

木々の枝に遮られ、山容や周りの稜線が判りづらく、ましてや近眼の私には同定ができない。













1334mの肩までくると道は少し西に向かって続いて行く。

先ほどまで木々の間からしか見えなかった眺望が開けた。

雪を抱いた山は山容からしてちち山笹ケ峰の様だ。

奥様たちにはちち山から右に続く稜線が大田尾越への尾根だと思うと伝えたが、

その稜線の右側に大きなピラミダルな山があるのが、どうにも腑に落ちない。

帰って写真を見てみると、直ぐに沓掛山だと判った。

大田尾への稜線は、雪を抱いた笹ヶ峰の下に、右下に白く雪を被った稜線が

ちち山の分れから大田尾越への稜線だった。










しばらくの間快適な尾根道が続いたのち、今度は露岩が現れ始めた。

そして今度は東側の景色が見えた。さめうら湖から立ち上った霧で雲海ができ、

先週工石山から見えた奥工石山が見える。













さらにそこから登って行くっと大岩が現れ、小さなピークの手前は岩塊になっていた。

白い石灰岩の塊にまわりに白骨林。まさに白い尾根。
















岩塊からは先ほどより更に視界が開けて東側が見渡せる。




少し先に見える小さなピークまでシャクナゲの尾根を進むと、尾根道は大岩で分断され、

YAMAPでもよく見かけた岩の大きな割れ目となっていた。尾根から少し北側に回り込み、

その割れ目を通って南側に出る。













その岩の割れ目で少し遊んでみる。テレビ番組の"サスケ"のステージの様だ。













そこから岩の突端の手前で一旦下っていくと、あっちゃんがビニール袋に入れたストックが

残されているのに気づいた。ビニール袋に入ったストックは、ザックの脇にでも入れていたのだろうか、

木の枝に引掛けて落としてしまったのかもしれない。あまり歩かれていない山域なので、

取りあえずあっちゃんが拾って登山口まで持ち帰ることにした。







道は露岩や木々の間の道であまりスピードが上がらない。玉取山では11時位が兵庫山かな?と

余裕を言っていたが、まだかなり時間がかかりそうだ。(まだこの時点では遠くに見えるピークが

兵庫山だと思っていたので)










1226mの標高点の手前で、この冬次に予定している『線で繋ぐ山歩き』の阿讃縦走路の

話を三人でし始めた。あ~だ、こ~だと話をしているに、どうも今まであった県境のポールが見当たらない。

『スト~ップ』と声をかけてスマホで確認すると、南東に続く支尾根を降りている。

慌てて引き返して県境の尾根へと戻って行く。







1226mのピークも大岩を回り込み進んで行く。ピークから少し下った所で前から男性が一人。

すれ違いざまに話をすると『ストックが落ちていませんでしたか?』と聞かれる。

あっちゃんが拾ったストックを差し出し、少し男性と話し込む。

男性は兵庫山までの途中で、ストックを落としたのに気が付き引き返して来たという。

兵庫山には2回は登った事があると言うので、前方に見える山頂が兵庫山ですかと聞くと、

『あれは大登岐山です』と教えてくれた。(取りあえずほっとする)










思っていた山頂より手前が兵庫山だと判ったが、ここまでで既に時間は11時30分。

確かに境界ポールを追っていけば迷う事はないが、ここまで十回近くのアップダウン。

そして痩せ尾根の岩場や大岩を巻く場面も何度もあった。

猿田峠で会った人たちに『玉取山から兵庫山は厳しいですよ』と言われた意味が分かった。







兵庫山の手前の小ピークを過ぎると道は大きく様変わりした。

そしてやっと今日の目的地の兵庫山が確認できた。

『あと20分です!』と二人に声をかけて進んで行く。







尾根の南側が下草だけでの斜面が広がっている。伐採跡でも崩壊ヶ所でもなさそうだが、

その斜面には十本近くもの白骨林が同じように尾根に向かって倒れていた。

よほど風が強いのか、尾根の真ん中にも大きな木が倒れている。







荒涼とした雰囲気の尾根を過ぎ、ブナの尾根を抜けるといよいよ最後の兵庫山への取付き。

ここまでスタートから4時間近く。足の疲れも空腹もそろそろピークに差し掛かっていた。













最後の急登を登りきると、そこは山頂と言うより尾根道のピークといった感じの兵庫山。

木の枝に掛けられた山名札と三角点が無ければ、いままで何回も同じようなピークを踏んできたので

ここが山頂だとは分からないかもしれない。山名の札とは別に『高松一高山岳部OB・OGの会』の

石鎚・剣山縦走記念のプレートが掛けられていた。16日間かけたと書かれたこのプレート見て、

エントツ山さんが単独無支援での縦走を決意したプレートだった。




三角点の先の岩からは東に奥工石山が見え、北西には先ほどからのちち山が見える。

時間は12時05分。YAMAPのコースタイムからすると、1時間近くオーバーしている。

いつもより早めに昼食の時間を切り上げ折り返すことにする。










ところがここから今日の道間違いが始まる。あとで地形図を見ると山頂からは

二又に支尾根が続いていて、降り始めて直ぐに左の尾根へと進んでしまった。

山頂から続く急な下り坂に、『こんな急坂だったかな?』と言いながら先を歩く奥様たち。

暫く降りるとシャクナゲの尾根になった。少し疑問に思い始めたところで、

往路で道を塞いでいた木を跨ぐ場所があった。(これは勘違いだった)

ここで一度疑問点が薄まり、そのまま下って行っていたが、どうにも境界のポールが見当たらない。










『お~い、止まって!』と声をかけて、スマホのGPSを見てみると

既に遅かりし、兵庫山から天堤山の方向に随分と下ってしまっていた。







ここまで山頂からは30分近く下って来た。時間は13時10分を過ぎてしまっている。

ここから兵庫山へと引き返すのに恐らく40分以上はかかり、そこから登山口までは

往路と同じくらい時間がかかるとすれば、18時近くになる。

どうしたもんかと考えながら地形図を見えみると、ここから南東に下った所に沢があり、

そこから等高線の間隔は狭いが、尾根を辿って登れれば、その上には

猿田峠まで続く林道の線があるのが判った。

下るのに1時間、登りに1時間、林道歩きを1時間としても16時くらいには

猿田峠に着ける計算になる。独り歩きの時には直ぐにでもルートを選んだが、

今日は奥様たちがいる。スマホのGPSを奥様に見せながら説明をして、

今日までの奥様たちのパワーなら、何とかなるだろうと思って同意を得て下り始める。

問題は下りのルートが籔いていないかと、沢からの極端に等高線の狭い支尾根の

両側には崖の地形が見える。幸い尾根は崖にはなっていないので、

実際が地形図通りになっているかどうかだ。

先ずはこの手前から派生する尾根へトラバースしながら下って行く。








支尾根に出るとしばらくはその尾根に沿って下って行くが、途中からは目標とする

二又になった沢へは一旦尾根から外れて下らなければならない。

ここからはGPS頼み。幸いルートは藪いていなく、適当な間隔で立つ木々に

掴まりながら落ち葉で柔らかい斜面を時々足を滑らせながらも下って行く。










地形図の933mの西側まで降りてくると、地形図には載っていない小さな沢に出た。

沢の両側を見ると、歩きやすそうなのは対岸の様なので、流れの小さな沢の右岸へと渡る。




右岸を進み更に進んで行くと、潰れてしまった小屋の屋根の波トタンや、小さな石標。

少なからずこの辺りまで人が入っていた気配を感じ始めた。







道を間違えたのに気づいて下り始めて1時間。最初に目標にしていた二又の沢に着いた。

周りは深い谷あいだが、目標とする次の対岸の尾根もはっきりと確認できる。













ここまで来れば次は激急登と言えども後は登るだけ。目途がついて一服させてもらう。




一息入れた後、沢の対岸の尾根に取り付くが、尾根に出るまでが大苦戦。

細い木に掴まり右に左にと登りやすそうな場所を狙って、

登ると言うよりは体を持ち上げて行く感じだ。





支尾根に出てからも里山の支尾根のように藪ではなく、木々を避けながら登って行けた。










地形図では岩崖と岩崖の間を抜ける尾根のはずだが、途中では何度も真ん中に大岩が現れる。

登れそうな岩は中央を突破し、無理な感じの岩は足元から巻きながら登って行く。

いくら急登でも、登山道だったり踏み跡が有ったりすれば楽だが、

やはり道なき道を登って行くのは疲れる。










最初は木々に囲まれ見通しも悪かったが、次第に前方の木々の間から青い空が見え始めた。

周りの紅葉にも目をやる余裕も少し出てきた。














沢から取り付いて約1時間。最後の大岩の間を抜けると自然林から杉林に変わり、

木々の間からは先程までより大きく空の色が広がり、何とか地形図にある林道に出た。













ここにきてやっと奥様たちも安堵した様子。ほぼ平坦な林道歩きに、いつもの様に世間話が始まった。







玉取山の北側からの登山口を過ぎると、以前から気になっていた大カツラが目の前に現れた。

白髪隧道の北側から県道の脇道を入ると、ここまで道は続いているが、

未舗装なので私の車で来られるかどうか判らず、この大カツラは見ることはないだろうと

思っていただけに、道迷いが逆に巡り合わしてくれるという、副産物だった。







『登山口には16時30分を目途に!』と奥様に告げ、林道を歩いて行く。

大カツラから猿田峠までの道では、もうすでに陽の色が変わり始めていた。

振り返るとその陽が当たって玉取山も輝き、目の前に大森山が見えると程なく猿田峠に着いた。










尾根の日陰になった峠は、急に気温が下がった感じがした。ルリちゃんが上着を着こんだ。

林道を歩き始めて約1時間。時間は16時13分。ルート変更を考えた時のほぼ時間通りだった。







白髪隧道の車を置いた場所には16時30分を少し過ぎたが、三人とも無事に到着できた。

行動時間8時間42分、歩行距離はYAMAPでは12.2kmだが、カシミールの

沿面距離は13.5kmとなっている。どちらにしても今日はよく歩いた。

ルート変更になれない奥様たちは最初は不安だったようだが、何とか辿り着けて満足気だ。

何といっても日暮れまでに付けた事は良かった。ただ今日は道外れが2回。

それも境界杭を辿れば何でもなかっただけに、大いに反省すべき点を残す一日だった。






困った時の工石山

2021年11月11日 | 四国の山



先週までで線で繋ぐ山歩きも石鎚山野地峰までが繋がった。

しかし野地峰から東の黒岩山から登岐山が四国中央部歩きの

ひとつの肝になる。登岐山へのアプローチがスズタケの大藪。スズタケが生い茂る

獣道の様な藪の中を、掻き分け掻き分け皆さん歩いている。そして結構皆さん道を

外して迷っているような難所。以前からこの野地峰から登岐山の間は、スズタケの勢いが

弱くなるだろう冬を越した辺りでチャレンジしようと奥様たちと話をしていた。

そうなると今週は何処を繋ごうかと考えたが、天気は前日まで雨。出来れば濡れた笹を

掻き分けるようなルートは避けたいところだったが、野地峰から東の四国中央部で

そんなルートがあまりない。色々調べてみると、更に東の猿田峠から兵庫山

比較的笹もなく籔いてもなく、雨が降った翌日で足元や木々が濡れていても歩けそうだ。

と言う事で以前に佐々連尾山へのスタート地点となった白髪隧道を目指した。


気になる天気予報はというと、瀬戸内沿岸はあまり良くない天気だったが、

高知県中部には晴れマークがついていた。前日に奥様たちには『決行します!』と

連絡して、いつもの豊浜SAでピックアップして車を西へと走らせた。

先週は豊浜SAでは雨だったが、法皇トンネルを抜けると青空が広がっていた。

今日も天気予報を信じ、先週と同じパターンを期待して法皇トンネルを抜けたが

同じように曇り空。ならば白髪隧道を抜けて高知県側に入れば晴れているだろうと

思いながら走ったが、『トンネルを抜けるとそこは雨だった。』・・・・・(涙)

以前車を停めた白髪隧道の南側の広場には、トンネル整備の為の工事用のプレハブが有り、

電気の点いた中では現場の工事の人が既に待機をしていた。

広場の横に車を停めて暫く様子をうかがったが、どうも雨は止みそうもない。

ただ谷あいから南に見える空が幾分かは明るく見える。

では今日の予定のコースは順延して、ここから南に走って『工石山に登りましょう!』と言う事に。

工石山はメンバーは何度も登った事のある山だが、登山道もしっかりしているので

雨降り後でも安全に登山が出来る。雨が止まなくても雨具を着てでも歩ける。

するとあっちゃんが『できれば新しいYAMAPの山頂ポイントが一つくらい欲しい』

と言うので、あっちゃんもルリちゃんも登っていない、黒滝峰三辻山

今日のメインディッシュにして工石山をオードブルにする事となった。

白髪隧道から県道264線を南に下って行くと、汐見川沿いの道は秋色に染まっていた。

車窓から見える秋の色に染まった木々にスピードを緩めたり、車から降りたりしながらのモミジ狩り。

のんびりと走り過ぎて工石山の登山口となる青少年の家に着いたのは9時30分近くになった。







いつものように体育館の地下に車を停めて支度をしていると、一台の車がやって来た。

車から降りてきた初老のご夫婦。香川から来たというご夫婦も、今日は鳥取の方へ行く予定だったが、

天気が悪いのでこの工石山に予定を変更したという。同じように支度をしている二人の様子を見ていると

仲睦まじいのが汲み取れる。奥様たちに『いいですね、あの年で二人で山に登るなんて』と

言いながら体育館の地下駐車場を後にした。




今日は先ずは黒滝峰を目指して歩いて行く。登山口では先ほどのご夫婦が案内板を見入っていた。

登山口からしばらくは赤良木峠へと続く林道を歩き、途中から登山道へと入って行く。







ここからの道は私も初めての道。前回、黒滝峰へは直登ルートを辿り岩壁を登ったので、

杉林の中に続く道は快適そのもの。あっちゃんも『久しぶりに歩きやすい道ね』と。

『では先ずは鹿を見に行きましょう!』と二人に言うと『鹿?』と返ってきた。

先ほど白髪隧道からの県道で道に鹿が飛び出してきたので、生きた鹿が頭に浮かんだようだ。

『木に登る鹿です!』と言うと、二人も知っていたらしく納得。










途中堅山峠と三辻山への分岐を三辻山の方へと進むと、しばらくして

道の右側に木々の間から『木に登る鹿』が見えた。以前に比べて道の脇の木々が刈られていて

歩いていても直ぐにその場所は分かりやすくなっていた。








二人に『ハイ!ここからどうぞ!』と言って指さし、その方向を覗き込んだ二人からは

『わ~ほんとやね、鹿に見えるね、凄~い!』と歓声が上がった。







暫くの間自然が創り出した芸術品に見入った後、尾根の北側に回り込み緩やかに続く道を歩いて行く。

すっかり葉を落とした木々の落ち葉が道には降り積もり、秋の終わりを感じながら進んで行く。








途中の赤テープのある場所から左に尾根に向かって登って行くと黒滝峰。

黒滝峰の標高点のある場所から先に進むと、前回よじ登ってきた岩壁の突端に着く。

正面には浦戸湾の奥に太平洋。後ろには工石山と絶景が広がっていた。













この黒滝峰へはこのさらに先の岩壁を登ってくるのが楽しいので、よじ登りが大好きなあっちゃんの為に

機会があれば案内しようと思っていたのだが、雨の降った後の今日は、岩壁が濡れていたら

危ないので、次回季節のいい時に再度チャレンジする事にして黒滝峰を後にした。

標高点で今日の一つ目のYAMAPの山頂ポイントをゲットした二人。







ここから尾根を少し歩き北側の登山道まで戻り次の三辻山を目指して歩く。







道にはしっかりとした道標があり、その道標に従って歩いて行く。














三辻山山頂はほぼ360度の展望。ただ吹いてくる風が冷たい。

それなのにあっちゃんが『ここでお昼にします?』と。時間もまだ11時。

WOC登山部では山さんとあっちゃんがとにかくいつもお腹が空いたと言い出す。

『風が冷たいので、風の当たらない杖塚まで降りてお昼にしましょうと』説得する。










登山口から黒滝峰を経てここまで。緩やかな道が続いていたのでそんなに高度を上げてきた

様に感じなかったが、赤良木峠への道は意外と長い杉林の中の下り坂が続いていた。













杉林を抜けると赤良木峠への林道に出た。林道は赤良木峠にあったかつての赤良木鉱山に続く道。

工石山は石灰岩の山で、セメントの原材料となるドロマイトがこの赤良木鉱山で採掘されていた。

採掘場だった鉱山跡には、錆びて赤茶けて巨大なコンベアー施設が残っている。










赤良木鉱山跡から西に進むと杖塚に着いた。奥様たちの待ちに待ったお昼ご飯だ。

杖塚の記念碑の横にはタイムカプセルが埋められていて、2086年に開けられることに

なっているらしいが、埋めた人はまず見られることはないだろう。

食事をしていると7名ほどの団体が登って来た。工石山を登ってここで昼食の後、

三辻山に登る予定だそうだ。







お腹を満たした後は北回りで工石山へと歩いて行く。その途中でルリちゃんが先ほどの

団体さんの年齢と服装から登山歴を予想し始めた。(内容については書けないですが)

その話を聞きながら、あっちゃんと二人で大笑いしながら歩いて行く。

尾根に出ると直ぐに『根曲がり杉』そしてその先には『白鷲岩』。岩の形が鷲のくちばしに

似ているというこの岩からは、北側の眺望が広がっている。










雲が無ければ今日歩こうと思っていた稜線辺りも見渡せただろうが、

やはり高知の県境から北側は天気が悪そうだ。予定を変更して正解だった。










白鷲岩の次は『天然ヒノキ風倒根』。この北回りコースの見所の一つ。

先程の『根曲がり杉』といい、この『風倒根』といいこの工石山は太平洋から

まともに強烈な風が当たる様子が伺える。











鷲のクチバシの白鷲岩の次は、トドの頭の形をした『トド岩』。

見下ろすと麓の棚田に、雲の間からの陽が当たっている。














『トド岩』からしばらく歩くと『北頂上』。山頂の岩にはここから見える峰々の

山名が書かれた丸いプレートがある。奥様たちはそのプレートを見ながら山座同定。

しばらくそのプレートを見ながら遊んでいると、北側に虹がかかり始めた。

初めは薄かったその虹は、次第に色が濃くなりくっきりと見えるようになった。

















北頂上から南頂上に着くと以前にあった丸太で造られた展望台が解体され、

その丸太が積み上げられていた。ここからは南に高知の眺望が広がっている。

東には海に向かって滑走路が延びる竜馬空港と室戸岬。そして正面は太平洋と浦戸湾。

視力1.5のルリちゃんが次々と指さし説明してくれる。近眼の私はそれを聞きながら

何となく返事をする。するとルリちゃんが室戸岬の灯台の光っているのが見えたと言う。

『え~ほんと~!』とあっちゃんと二人で訝しみながら大笑い。

高知市内の奥に低く連なる山が見える。昨年WOC登山部で歩いた南嶺だ。

その山の中腹には私立の土佐塾の建物が目の悪い私にも確認できる。

横にいたルリちゃんに『手前の二本の杉の木の間に土佐塾が見えるでしょう』と教えるが、

目の良いはずのルリちゃんがいつまで経っても同定できない。まずは手前の杉の木に気が付かない。

『視力1.5のはずちゃ~うん!』とまた二人で大笑いする。







しばらくそうやってふざけ合った後、南回りコースの『サイの河原』へと下って行く。

この道はシャクナゲの道。道の両側からシャクナゲの木々が迫っている。







恐山や立山のサイの河原は周りの山々の名前や歴史、そしてその荒涼とした雰囲気で

その名がついたのだろうが、この工石山のサイの河原は雰囲気からして、どうして

そんな名前がついたのか分からないくらいの、よくある水の流れる谷あいの場所。
















サイの河原から青少年の家までは1時間20分ほどのコースタイム。

途中の『ヒノキびょうぶ岩』からはまた南の眺望が広がっていた。

ここでもルリちゃんが、『牧野植物園はどこかな~』と聞いてくるので、

『浦戸湾の左の低い山に建物が見えるでしょう』と言うと、

『ほんと、丸いドームが見える!』と。デジカメをズームしてみるが建物が

あるのは分かるが丸い形までは認識できない。『すごーい、さすが1.5!』と

またまたあっちゃんと二人で大笑いする。

















びょうぶ岩からもサイの河原からと同じように、支尾根を回り込むようにして道が続いている。

良く整備された道を前を歩いて行く奥様たち。いつもならそろそろまた朝ドラの話になっていくが、

『お帰りモネ』はもう終わっている。『良かった~朝ドラが終わって!』と言うと

奥様たちが新しく始まった上白石萌音主演の朝ドラの話をし始めた。

『しまった~!話をするんじゃなかった』と後悔。これからまた今度は

『カムカムエヴリバディ』の『ああでもない、こうでもない』と話を聞かされそうだ。










途中の『ヤッホポイント』での『ヤッホ~!』




そうこうしている内に『杖塚』に着いた。山頂からは高度が下がって来たので、

ここからの道はまだ彩を残していてくれた。鮮やかなオレンジ色はドウダンツツジだろうか?



















青少年の家の手前では黒滝峰の岩壁がそびえて見えた。『今度はあそこを登ろうね』とあっちゃん。

『そしたらアケボノツツジの頃にしましょう』と答える。

駐車場まで戻り、体育館の下でお湯を沸かして、ルリちゃんが小豆島で買って来た

オリーブのお菓子を頂きながら談笑。










いつになく遅い時間のスタートとなったが、工石山は気軽に歩けて

帰路の途中で道の駅で奥様たちは買い物を済ませても、

ここ最近では比較的早い時間に家に着くことができた。




線で繋ぐ山歩き 野地峰~東光森山

2021年11月05日 | 四国の山



前回『線で繋ぐ山歩き』で大座礼山から三ツ森山を繋いだのが9月1日。

それから私のギックリ腰の発症や天候不良、そして10月はモミジ狩りと、

次に進むべき東光森山がどんどん遠ざかって早や2ケ月。

先週の御来光の滝でモミジ狩りもひと段落したので、線で繋ぐシリーズを再開する事にした。

当初考えていたのは前回の大田尾越から東光森山を通って、別子山辺りで

折返してピストンすると云う計画だったが、車をデポすれば野地峰から東光森山まで

縦走できる事に気づき計画を変更した。ただ東光森山はアケボノツツジで有名な山。

春の花の季節に歩くのもいいかなとのんびり考えていたのだけれど、

順延しているのをあっちゃんが待ちきれない様子。それならアケボノツツジが咲く道なら、

秋の紅葉も見ごたえがあるのでは?と思って今回やっと決行してきた。


前日の天気予報では『全国的に晴れの天気です!』とお天気キャスター笑顔で言っていた。

朝早く自宅を出るとフロントガラス越しに、満天の星空が見えた。

しかしまだ暗い高速道路を西に車を走らせると、次第にその星空は見えなくなり、

なんとなく雲がかかってきているような雰囲気に。そしてその内に道路わきの表示板に

『雨、スリップ注意』の表示が。???『なんで?』と訝しく思いながら更に西に走ると、

鳥坂峠を越えた辺りから路面が濡れている。今日の集合場所は大田尾峠だったが、

どうにも気になり、奥様たちが待ち合わせをしている豊浜SAに寄ると、ルリちゃん

既に到着していた。話をすると、朝から西では雨が降っていたと言う。そしてとうとう

あっちゃんが着くころには雨が降り始めた。雨だとやはり今日のコースは歩きたくなかったので、

色々別の山を考えたが思いつかない。結局筏津まで行ってみようと言う事に落ち着き、

川之江ICを降り、法皇トンネルを抜けると予想に反して青空が広がっていた。

大田尾越に車をデポして荷物をもう一台に移す。車を停めた場所からは最終目的地の

東光森山の急峻な山容とその手前のピークの色付いた山肌が、朝の光に輝いていた。




デポした場所から今日の登山口となる白滝の里山村広場へと向かう。

途中にある爺の滝は谷あいにあるため、朝陽が当たらず薄暗い。

周りの色付きももう少し先の様な感じだった。




白滝の里山村広場の脇に車を停めてスタートする。広場の脇では大型の重機が作業をしていた。

黒岩山に続く稜線の西側は、少し薄くなっているがきれいな彩に包まれていた。







広場の奥のトイレの脇からしばらく白滝鉱山跡のトロッコ道が続いている。

緩やかな道を歩いて行くと、左に向かって山道が続いている。







山深いこの地からは伊予三島への行き来の道として利用されていたのだろう、

しっかりとした九十九折りの道を何度も右に左に折れながら登って行く。

それにしても今日はあっちゃんのペースが遅い。案の定広場までの道で車酔いに

なったらしく、登りに弱いヘッポコリーダーとあまり変わらない。













徐々に高度が上がってくると、周りの木々が色付いた様子が目についてくる。










ヒノキの人工林を通り大きな岩を過ぎると、樹林帯を抜け周りの景色が広がってきた。

かつての鉱山の跡に造られた、白滝の里の赤い屋根が見える。

左に折り返すと広場からも見えた反射板が近づいてきた。










コースタイムでは1時間20分になっていたが、広場からは1時間ほどで山頂に着いた。

東を見ると右手に黒岩山。その左奥に少し尖った登岐山が見える。

ここから登岐山にかけてが、線で繋ぐ山歩きの中でも少しめんどくさいルート。

ネットに上がっている登った人のほとんどの情報が『酷い藪』と書いている。

この野地峰からだと往復できる距離だが、その酷い藪を往復するのは避けたい所だ。







東を見ると東光森山に続く稜線に、以前歩いた大座礼山が見える。

首のないお地蔵さんは寂しいので、老けてはいるが顔を乗せて記念撮影。













一息入れてそれではと、先ずは次の大野山を目指してスタートする。

しばらく歩くと北側に今朝車で走ってきた富郷ダムが見え、

先には葉の落ちた少し寂し気な稜線が続いている。










このコース。あと10日ほど早ければさぞや見ごたえのある色に染まった稜線が見られた筈。

山肌の錦繡を取るか、稜線の秋色プロムナードを取るかと言われれば、

やっぱり遠目の景色より間近な彩を取るかな?







その稜線歩きは直ぐにアップダウンが始まった。高度差は僅か数十メートルのアップダウンだが

登っては息を切らせ、下っては足元に注意が必要な繰り返し。
















稜線が少し左に折れながら続く先で南側の眺望が広がった。その足元には白滝神社からの

道が続いている。少し下がった場所には分岐の道標があった。










一見するとこのまままっすぐ進みそうになるが、この道標の北側に少し分かりずらいが尾根道が続いている。

道標から北側に進むと白滝鉱山の架空索道で使っていた滑車の残骸が数基残っていた。

高知県では最大規模になる白滝鉱山は明治時代に入って盛んになったが、当時は未だ

毎日数百人の中持ちの人力によって運ばれていた。また大正の時代には大川村での

精錬が行われていたが、足尾や別子の銅山同様、その煙害が問題になり精錬事業は縮小。

そのため山を越えた伊予三島まで21kmの架空索道を建設して、白滝側からは鉱物が、

そして伊予三島川からは生活物資が運ばれていたという。その当時の索道の滑車の

残骸が山中に残されその当時の往時が偲ばれる。







鞍部が低い切通の様な場所になった滑車の残骸から反対側に少し登り、

更に進んで行くと1342mのピーク。その手前の大岩からはピークから南に下がっている

支尾根の山肌がオレンジ色に染まっていた。










1324mのピークの辺りから稜線には大ブナの姿が見られるようになった。

紅葉はというとやはり少し盛りを過ぎた感じだが、足元に葉を落とした木々の中にあって

青空に色づいた葉をつけ枝を伸ばしたブナの木は見応えがある。







尾根道の所々で露岩が現れると今日二つ目の目標の大野山が近づいてくる。

振り返ると葉がすっかり落ちた木と、まだ色づきを残す木が混在している。

この山肌がピークの時にはどんな彩だったのだろうか。

途中の道標には野地峰から1.2km、東光森山へは4.4kmとある。まだ先は長い。













野地峰からは約1時間で大野山に着いた。山頂は二等三角点『大野』と小さな山名札が

二つ木の枝に掛けられているだけの小ピークといった感じだ。







今までのアップダウンの下りは大したことはなかったが、大野山からの下りは

少し急な下り坂で始まった。前を歩く奥様たちがロックンロールで踊っているように見える。







ここからは小さなピークでは露岩。そして広くなった尾根にはブナの道が続いて行く。













振り返ると先ほどの大野山と右手にはまだまだ続く東光森山への稜線。

一番奥が今日三つ目の目的地の別子山だろうか。コースタイム通りだと

出発時間からいうと13時近くになるが、スピードが上がらないとはいえ

今日はけっこう早いペースでここまで来れている。

『お昼は別子山にしましょう。12時30分までには着くでしょう!』と

お昼ご飯を気にし始めた奥様たちに伝える。







大野山からは少し南に向かって稜線が続いていたが、その突端が1403mのピークになる。

ピークの手前では急角度で右に下り坂が続いて行く。










それにしてもあと何回登って下るのだろうか。小刻みなアップダウンと変化のある道に

さすがの奥様たちもさほどペースが上がらない。足元を見ながら歩くので、

周りの木々にもあまり目がいっていないご様子だ。










何枚も写真を撮っているが、恐らく後で見たらどこを歩いているのか分からない様な、

同じようなアップダウンと景色がしばらく続いて行く。













ただ今までよりも稜線の木々の紅葉がまだ少しは残っているような感じがしてきた。







1403mのピークから二つ目のピークには高知側から地形図では破線があるが、

登山道らしき道は無く、そのピークからロープの掛った急坂を下ると

また首のないお地蔵さんが座っていた。お地蔵さんが置かれていると言う事は

峠という事なのだろうが、ここから高知側は地形図では直下で崖となっている。

手前の破線がピークではなくこの鞍部に続いていて峠道となっているのだろうか?







尾根は広くなったり狭くなったりしながら続くが、道は明瞭なので外すことはない。

ピークの前後では何ヵ所か岩がせり出て見晴らしの良い場所があった。

オレンジ色のスロープの向こうに大きな大座礼山と中腹に続く林道が見える。










別子山は山頂近くに赤い紅葉が見える。大野山から約1時間で到着した。

四等三角点『別子』と木に巻かれたテープに消えかけた別子山の文字。

『やっとお昼が食べられる!』とあっちゃん。車酔いからは既に解放され、

ここにきて食欲が出てきたようだ。














ここまで来ると残りは1/3程度だろうか。温かいカップ麺をお腹に入れ、

汗が冷えないうちに重たい腰を上げてスタートする。三角点から直ぐにブナの紅葉。







そしてまたアップダウンは続いて行く。ただ登りは前回の土佐矢筈山

御来光の滝の急登に比べると、距離も登る時間も短くさほど苦にはならない。










1454mのピークの前後から尾根道の紅葉も、尾根から脇の斜面の紅葉も良い感じになってきた。













木々に囲まれた露岩が続く道も、随分と葉が落ちて明るく雰囲気の良い道になっている。







途中のブナも枝を広げ、葉が落ちる前の最後の姿を見せてくれている。

木々の間から僅かだが東光森山が確認できる。










これが最後の登りかな?と思いながら登ったのは山頂手前の肩。

『やっぱりピークじゃなかった!』と先に登ったルリちゃんが言っている。

それでも周りの木々の紅葉に励まされながらひと踏ん張りする。










登山口から休憩時間を入れて5時間ほどで最後の目的地、東光森山に着いた。

最後の三角点をゲットして残りはほぼ下るだけの道。腰を降ろして休憩をとる。

大座礼山から2ケ月。やっとの東光森山に感激ひとしおの三人だった。











東光森山からは下るだけと言っても、YAMAPを見ても大田尾越からは急登になっている。

登山靴の紐を締め直し褌の紐?も締め直し気合を入れて下って行く。

東光森山山頂から少し歩いて行くと西側の眺望がいっぺんに開けた。

車をデポした大田尾越への途中にあるピークへは、稜線に沿って色付き

その両脇は人工林の濃い緑が迫っている。そして結構な高度感がある。







また視線をその上に移すと、大座礼山の稜線から降りる鉄塔に沿って、

同じようにくっきりと色づいた線とその脇に濃い緑が続いている。

そしてその奥には平家平からちち山までの稜線が続いている。

その奥の山頂付近がギザギザした山は伊予富士だろうか?

さらにその奥まで薄く稜線が見えるが、雲がかかっていて山座同定が難しい。







その展望所からは直ぐに急坂が始まった。普段あまりストックを使わない奥様たちも

今日は最初から用意して歩いてきていた。両手で上手に操りながら下っている。




と思ったら、ルリちゃんが尻もちをついた。







ロープの掛った場所も数ヶ所。ロープを握り起用にストックを持ち替えながら下る奥様たち。

この道は急峻さとは別に5月のアケボノツツジでも有名な道。

今日のルートの中で最高の彩を見せてくれている。












こんな坂なら逆から来て正解だったわね』とあっちゃん。危ない場所ではお尻をついて下るルリちゃん。

そんな二人は陽に当たった紅葉と同じように色づいている。













途中で何度か見晴らしの良い岩場があり、その度に道はその手前で左にその岩を巻くように

ロープのかかった急な下りが続いている。










大田尾越の手前のピークの尾根沿いはやはりアケボノツツジの紅葉が続いている。

道の両側にも・・・。今日最後の彩りの見納めだ。











手前のピークから振り返るとピラミダルな形の東光森山。『ここから5分で大田尾越です』と

あっちゃんに言ったものの、まだまだ結構距離が残っていた。














『5分?もう10分以上歩いているわよ!』とあっちゃんに皮肉られ始めた頃に

やっと大田尾越に着いた。東光森山から58分だった。










大座礼山に登った時にも同じ場所に車を停めた。そこから見えた東光森山を見て

『来週はあの東光森山を登ります』と言ってから2ケ月経ってやっと登れた。

線で繋ぐ山歩きは今日のコースから東側が頭を抱えるコースとなる。

『来週は・・・・・!』とは言えず持ち帰って考えることにして白滝の広場まで走る。

広場からの帰路は大田尾越には戻らず、早明浦ダムを通って大豊から高速に乗る。

さてさて来週はどうしようかなと、ハンドルを握りながら帰路につく。








奥様たち念願の御来光の滝

2021年10月30日 | 四国の山
10月は石鎚山の紅葉に始まり、月末はやはり石鎚山の南直下の御来光の滝の紅葉が

見頃を迎える。以前から奥様たちから『今年は御来光の滝に是非行ってみたい』と

リクエストがあったので、最終週の今日出かけてきた。

ただ石鎚山の天狗岳の紅葉はそこそこ見応えがあったのに、

そこから標高が下がって行くとまだあまりいい紅葉の便りが聞こえてこない。

御来光の滝もYAMAPで日曜日に出かけてきた人の写真では、滝の周りはまだ

ほとんど緑の状態だった。写真から判断すると来週あたりが見頃の様な雰囲気だが、

来週の天気予報があまり良くない。せっかくなら青空の下で御来光の滝を仰ぎ見たいので、

少しでも日を伸ばして紅葉が進むのを期待して、珍しく金曜日の今日出かけてきた。


今日はいつになく待ち合わせ時間を早めて高速を西へと車を走らせる。

いつも立ち寄る西条市のコンビニからは朝陽に輝く石鎚山が見えた。

空も雲一つなく予定を今日に変更して大正解、期待ができそうだ。

瓶ケ森林道は早朝の空気に包まれ、吹く風が周りの木々を揺らしていた。

澄んだ空気の中、南を見ると朝の柔らかい陽に包まれ山々が墨絵のように続き、

その奥で雲の間から射した光に太平洋が輝いていた。




林道から見る石鎚山は雲一つない。益々期待感が膨らんで行く。

途中でこの辺りではあまり見かけないお猿さんの一家が、木の実を頬張っていた。










長尾根展望所には8時40分に到着。自宅からだとやはり4時間近くかかる。

いつもながら移動時間が長いが、それを差し引いてもこの時期の御来光の滝は見る価値がある。







いつものように展望所から石鎚スカイラインを少し北に歩いて、

カーブミラーのある場所からガードレールを跨ぐと、激坂が始まる。




300mほどの標高差を約30分、下り続けると面河渓の広い河原に着く。

去年、WOC登山部で歩いた時と比べると河原の周りの色付きは、少し薄いような気がする。

いつもはこの河原の左岸から右岸への渡渉が、渡る場所を探して苦労するのだが、

今日は水量が少なくどこでも渡って行ける。







河原の右岸にあるブルーシートが取りつきの目印。木の枝には赤テープもある。

ここからは面河渓の沢を高巻ながら登って行く。途中にはりっぱな木の橋が架かっているが、

これはもともと面河渓谷から本沢を通って石鎚山へ登る登山者の為に造られたものだろう。

途中は所々で倒れた木が道を塞いでいたが、奥様たちもさほど苦も無く歩いてきている。













周りの木々はと言うとやはりまだまだ緑が多い感じがする。







高巻の道を下り2回目の渡渉で左岸に渡り、少し歩いて行くと七釜に着いた。

広い白い岩肌に薄く苔が付き、その岩には小さな段差に小滝ができ、このルートの

最初の景観ポイント。ただ午前中はいつも陽の光が届かず薄暗い。
















七釜から少し上でまた右岸への渡渉と高巻。道は倒木が多く、足を上げたり腰を屈めたりで

距離の割にはけっこう疲れる。







魚止めの滝を横目に見ながら進んで行くと、途中何ヵ所か

山側から水が流れる岩場を渡って行く。そして段差のある場所には梯子と、

一般的な登山道と比べると変化があってスピードはあまり上がらない。










今日四回目の渡渉。次第に渓谷の岩が大きくなっていく。






















南沢の入り口は、沢の両側に岩壁が立つ洞門の手前にある。

ここからこの沢を登り詰めると東陵コースカニの横バイの笹滝に着く。

洞門からは本来なら洞門を通って沢沿いを進むと、御来光の滝への最短ルートとなるのだが、

洞門の手掛かりが浅い斜めの岩棚のトラバースがなかなか難易度が高く、

下手を打つとそのまま水にドボンとなる。今日は水量も少ないので行けない事はないかと思ったが、

安全策を取り昨年と同様に手前のテープのある場所から、また高巻いて行く。













高巻の道にも何ヵ所か岩肌を渡る場所がある。事前にYAMAPで学習してきた奥様たち。

その写真にはロープが張られ水が流れ苔むした岩肌が載っている。

何度か『ここがあの写真の場所?』と聞いてくるが途中の岩肌はさほどでもなく

数歩歩けば渡れるような場所。







三度目に現れた岩肌がその写真の場所だったが、ここも水の流れがほとんど無く、

思っていたより容易に渡って行けた。ここまでの7回の渡渉とこの最後の岩肌用に

今日は新調した登山靴を買って来た。2か月前に買ったシリオの302は、

一応ビブラムソールのなのだが、買って直ぐの状態でも少しでも濡れた岩や、

スルスルとした岩肌ではグリップがあまり効かなかった。

初めてこの御来光の滝に来た時に沢にドボンした記憶がトラウマになっていたので、

絶対に滑らないようにと初めてモンベルの登山靴を買ってみたのだった。

『濡れた岩肌や木道でも驚異的なグリップを発揮』と謳ったソール。

確かに途中の岩ではヒヤッとする場面もなくここまで歩いてこれた。










この岩肌の斜面をクリアーするといよいよ御来光の滝が近づいてくる。

少し木々の茂った右岸を登り、一旦沢に降りると目の前に色づいた木々の間から

御来光の滝が見える。昨年と比べるとやはり未だ緑の木も多く、全体的に色づきがもう少し

先のようだが、普段歩き慣れない沢や荒れた道を長い時間歩いてきて、

やっと見ることのできるこの景色は、何度訪れても感動する。













沢から一旦引き返し、少し登り詰めると滝の直下に着いた。

滝壺では先行者が二組、落ちてくる滝の水を眺めながら寛いでいた。













ここまで2時間30分。やはり奥様たちのペースは速かった。

落差100mと言われる御来光の滝。ゴツゴツと角張った岩壁に流れ落ちる滝の水。

その両側には色付いた木々と南に開けた滝は明るく、青空から流れ落ちているように見える。













少し平らな場所で昼食にする。奥様たちは寝そべってスマホで滝の写真を撮っている。

先行者の一組がドローンを飛ばし始めた。この滝を上空から撮った動画。見てみたいな~!










昼食を摂りながら話をしている内にあっちゃんが『どうやったらこの滝の上に行けるの?』

と聞いてきた。『この手前の左側を登って行くんです。』と答えると

『この水がどこから流れてくるのか見てみたいわ~』と。??・・・・勘弁してください!

『朝4時に家を出発できるなら』と言うと黙り込んでしまった。そうなのだあっちゃんはとにかく

朝に弱い。今日の豊浜SAを6時集合でも先週からずっと気が気でなかったそうだ。

どんな難所や悪路でもものともしないあっちゃんを黙らせるには

刃物はいらない『早起き』の三文字があればいい。(笑)

食事を摂った後は滝壺まで寄ってみる。滝壺に係る虹をバックに自撮りするルリちゃん。

果たして上手く撮れれるだろうか?




















振り返ると南に向かって渓谷が続いている。沢の両側の木々の色付きはあと少しだが、

とにかく青空が花を添えてくれている。







マイナスイオンをたっぷりと浴びて、いつまでも眺めていたいが

名残惜しみながら滝を後に今年一番の彩りにお別れする。











下の河原から徐々に高度を上げてきたとはいえ、帰りの道も楽ではない。

ここまで左岸は比較的緩やかな道だが、右岸の高巻の道はやはり足元が悪い。

木の枝に帽子を引っかけたりしながら戻って行く。
















ただ沢の水の量が少ないのが救われ、帰りもけっこうなスピードで歩いて行く。










何度か渡渉を繰り返し高巻きしながら歩いて行くが、やはり新しい靴は固いせいと

靴紐の締め方が悪かったのか、所々靴の中が当たって足首や指先が痛み始めた。














御来光の滝から約1時間で七釜まで戻ってきた。ここで初めて腰を降ろして休憩をとる。

午前中と比べて日差しの届いた沢は、また違った雰囲気がした。











七釜を後に、左岸から右岸に、そして高巻いた後に朝一番降りてきた河原に着いた。

ホッとした次に頭に浮かんだのは、ここから最後の急登。

毎回感動させてくれる御来光の滝の滝だが、毎回ここからの登りに苦しまされる。













ここまで先頭でいい感じに歩いてきたへっぽこリーダーは、途端に弱腰になり奥様たちに

『車のキー、預けましょうか』とトーンダウン。九十九折れの道を二人に遅れをとらないよう

ハアハア・ゼイゼイ息を切らせながら登って行く。










周りの木々の色付きに励まされながら一歩一歩登って行く。

ロープの架けられた場所まで来るとあと少し。石鎚スカイラインを走る車の音も聞こえ始めた。

今回はここのところ奥様たちに鍛えられているせいか、過去3回と比べると意外と早く登りつめられた。

それでもやはり最後にスカイラインのガードレールを跨ぐ足が重たかった。
















長尾根展望所は観光の人たちの車でいっぱいだった。

ベンチに腰を降ろし靴紐を解くとやっと解放された気分になった。

靴を履き替え落ち着いた後、展望所にある双眼鏡で石鎚山を覗いて見る。

弥山から西ノ冠岳に続く稜線の下に、笹原に続いている道が見えた。

あれが御来光の滝を通って本沢からの道だろうか?










石鎚山もこちらか見ると、見慣れた山容と全く違う形をしている。

『まるでソフトクリームの様!』と奥様たち。疲れているはずなのに食欲旺盛な奥様たち。




帰りの瓶ケ森林道も夕暮れ前の絶景が広がっていた。今月初めに弥山からの帰りにも見た

水平のラインに浮かぶ石鎚山。そしてコメツツジの色付いた東黒森山。途中で何度も車の

スピードを緩めながら、晩秋を迎えた瓶ケ森を満喫しながら帰路についた。