KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

WOC登山部2020.12.23 三頭越え~竜王山

2020年12月24日 | 香川の里山

今週は冷え込みも少し和らぎ、先週予定していて順延した、阿讃縦走路を再開。

前回歩いた三頭越えから竜王山までを歩いてきた。

道の駅ことなみに集合して、三頭トンネルのを抜けて直ぐに右折、

集落の中をどんどんと高度を上げて、中村集会所から西に三頭越えと三頭山の間に

車を停め、もう一方は竜王峠にデポして引き返し、

まずは三頭峠を目指してスタートした。(9時45分)

広場になった場所からはいまから歩く竜王山までの山並みが見渡せる。







少しだけアスファルト道を歩いて道の脇から三頭越えに続く山道へと入って行った。







その昔、阿波から金毘羅さんへ参拝する人たちが歩いた道を、各々が話をしながら

歩いて行く。その当時、旅をすることを禁じられていた庶民は、唯一社寺への参拝の旅だけは

許されていたので、お伊勢参りと並んで『一生に一度はお参りしたい場所』として

庶民の憧れの場所が金毘羅さんだったという。今ならディズニーランドに行く前に、舞浜の駅を

降り立った時のようなワクワク感を同じように感じながら、当時の人たちはこの峠道を

色々と楽しそうに話をしながら歩いていたんだろうと想像してみた。







そんな風に思いをはせながら歩いて行くと、ほどなく鳥居のある三頭越えに着いた。(10時10分)

前回ここでアメノウズメノミコトのオッパイをいやらしく触った事を、

お向かいに座っているサルタヒコノオオカミに怒られるかもしれないとブログに書いたが、

その後の次々と起こった今年の体調不良は、案外それが当たってしまったのかもしれない。










峠からは今日の本題の阿讃縦走路が始まる。

最初はそれほどでもなかったが直ぐになかなかの急登となり、

いつものように後ろから杉さんの大きな喘ぐ声が聞こえてくる。

それでも香川県の県立自然公園立派な道標が、道の随所で建てられ、

道の幅も広く歩きやすい道が続いていく。













急登を登りきると四等三角点・久保谷。(10時30分)ただいつもなら当然チェックするはずなのだが、

息を切らせて登りきった安堵感で余裕もなく、せっかくの三角点を見逃してしまう。







寒風越まで1800mの道標からはアップダウンの繰り返し。

ほとんど平らな場所はなく、下りは落ち葉で足を滑らしそうになり、登りでも時々

ズルっと足を滑らせる。ただ風が無い分寒くなく、先週に比べるとまだ余裕がある。













この縦走路には所々でベンチが設けられているので、度々小休止をしながら歩いて行く。




下り坂で後ろから来るひなちゃんが『KAZASHIさんに滑ってぶつかったらいかん』と

言うので『大丈夫です。ちゃんと避けてあげますから!』と。

ルリちゃんも前を歩くあっちゃんに、

『ぶつかったらいかんから、間隔を開けんといかん!』というので、

『ぶつかたら、痩せのあっちゃんの骨が刺さるで~!』と私。







そうこうしている内に鞍部の寒風越に着いた。(11時15分)

ここから北に下ると横畑の集落、南に下ると貞光となる。

横畑の集落は平家の落人の集落で、『人を見たら源氏と思え。』という先祖からの教えを守って

下との交流は明治になるまで一切断っていたいたという。他村との交通路はこの寒風越だけで

生活物資のすべては貞光の町から運んだそうだ。先ほどの三頭越と違って、

この峠には往時のもの悲しい物語があったようだ。














寒風越からはまた急登が始まった。先週の藍染山でもアップダウンはあったが、

こちらは標高差もあってけっこう疲れる。急登の先には一等三角点・竜王山

先週の寒風吹く中での強張った表情のバンザイから一転してセニョさんは満面の笑み。




先週と同じように熱心に三角点を撮るやっさん改めヤモっち










三角点から一旦下ると竜王峠に着いた。

峠の名前だけでいいのに、なぜか当時の知事の名前が刻まれている。







今回は峠へ急坂を下り、峠からはまた急登が始まる。

久しぶりの参加なのに前を歩くみやさんは意外と元気に登っている。










急登を登るとdocomoの電波塔の建つ広場に出た。数塔の電波塔が青空の下でそびえ建っている。










電波塔からもやはりアップダウンは続いていく。

何を好き好んでと思うのだが、単純に山頂を目指すのとはまた違う、

線を繋ぐ縦走路もまた、別の山歩きの興味の対象になるので仕方がない。














(12時15分)阿波竜王に到着。まずはセニョさんのバンザイを撮り、

展望台で昼食にする事に。北には遠く笠形山大川山が見える。







ここでセニョさんが『香川の最高峰やのに、なんで阿波竜王なんやろね?』と言い出した。

あっちゃんも『讃岐竜王と交換してくれればいいのに!』と。なるほどそう言われればそうだ。

ここで推測するに、阿波竜王は国土地理院が比較的早い段階で測量し、その後香川県内を測量していくと

全部測量し終わった時に『あれ?阿波竜王が香川で一番高い山だった』と気づいたけれど、

もうめんどくさいので、そのまま阿波竜王にしたのではないかと思っている。???(笑)

我ながら何の根拠もない推測に、麺法師さんがお付き合いで賛同してくれた。







今回のコースは本当に最後までアップダウンが続いている。

阿波竜王の山頂からは道の脇には雪が残り、讃岐竜王までは朽ちかけた木の階段。

当初自然公園として整備されてからは恐らくメンテナンスは行われていなく、

このまま整備されずにいたら、この階段も土へと還っていくことだろう。










阿波竜王から15分ほどで着いた讃岐竜王は、山頂らしからぬ山頂だった。(13時15分)

ここでメンバーと相談して今までのアップダウンに懲りたので、

ここから南に下って下道を車をデポした場所まで戻ることにする。







山頂手前からわき道に入ると緩やかな九十九折れの道が続いていく。

緩やか過ぎて折れ曲がるまでに距離があり、道を間違えているのではないかと錯覚に陥る。

登山道ならもっと急で小刻みな九十九折れの道になるだろうが、

自然公園の道は一般の人が歩くのを想定しての事だろうか?




といっても下道に出る手前では道は藪の道になり、下道からの入り口にはテープがあるだけだった。

『これではここから登ろうと思う人はおらんやろうな』とセニョさん。







下道歩きとなる林道には、陽の当らない場所は薄く雪が積もり路面は凍っていた。

すこしでも歩く距離を延ばそうと、ここにデポせず手前の竜王峠の下にデポして正解だった。







標高が下がり尾根の南側に林道が周ってくると雪はなくなり、のんびりと話を弾ませながら歩いて行く。

デポ地点で最後尾の到着を待って車に乗り込みスタート地点まで戻る。(14時15分)







車を停めた広場の南側には少し高い場所に東屋が見えた。今日の〆のコーヒーを飲もうと

登ってみると眼下に半田町が見え、その奥には剣山系の山並みが見渡せる絶景が広がっていた。

残雪の残る剣山や次郎笈。その手前には津志岳・黒笠山そして矢筈山

断定は難しいがもっと条件が良ければさらに山の特定ができただろう。










東屋の下で久しぶりにIRIBITOさんのお店の美味しいコーヒーを頂く。

南に広がる景色を各々がコーヒーを飲みながら堪能していた。








東屋からは直ぐ南にあるパラグライダーの発進場にもなっている三頭山が見えたので、

コーヒーを飲んだ後、そちらにも立ち寄ってみる。平らな芝生の広場になった発進場からは

更に東側の吉野川流域や今日歩いてきた竜王山までの稜線が見渡せた。







その広場から少し南の樹林帯に入った所に四等三角点・三頭

『よんとうなのにさんとう』とはこれ如何に?だが、

割と新しめのキティちゃんのプレートもみ~っけ!

ここでまた今度は古畑任三郎ばりに顎に手をやり推理してみた。

キティー山岳会はグループなのか単独なのかは不明。

だが、至るところで見かけるプレートは色とりどりのアクリル板で作られていて、

しかも単純な方形ではなく楕円形。こんな形のアクリル板は余り市販されているのを見た事が無い。

と言う事は加工されていて、山名や標高の字体もどこも一緒だ云う事は、

グループの中にもしくは本人が、看板屋の人がいるのではないだろうか?

さあ~この推理は当たっているかな?







発進場まで戻って広場の端で、魔女の宅急便をまねてあっちゃんがジャンプするが、

『あっちゃん、それほうきでもないし、竹が長すぎやろ!』全然飛べてない!









今日の縦走路はひたすらアップダウンの続く道だったが、その苦労の甲斐があってか

最後に最高の眺望のご褒美がもらえたコースだった。

琴南からの帰り道、綾歌町辺りで見かけた不思議な光景。色々な日常品と案山子で賑やかに飾られている。

誰が造ったのかひょっとしたらアート?なのか。何とも言えない造形に苦笑した。

今日は最後まで色々と思いを巡らせながら楽しく歩いた一日となった。





距離 9.78km 沿面距離 9.98km 累積標高 806m 行動時間 4時間25分 平均速度 2.2km/h

【今日のトラック】

















WOC登山部2020.12.16 藍染山

2020年12月17日 | 四国の山



今日はかねてからWOC登山部で歩いていた阿讃縦走路

セニョさんの希望で再開する予定だった。

前回は三頭峠まで歩いたので、今回は竜王山まで繋げる計画だったが

週初めからの冷え込みで縦走路は積雪が見込まれ、登山口と下山口となる林道も

凍結の恐れがあると急遽、予定を変更して安全な里山歩きに変更した。

と言ってもセニョさんに納得してもらうには(笑)、まずは三角点と

山頂が2~3つはないと・・・・と言う事で、以前からチェックしていた藍住町の

藍染山に出かけることにした。このコースは徳島のkyoさん

以前に歩いていて、三角点が3ヶ所。山頂も4つほど踏める周回コース。

これなら代替案でもセニョさんは喜んでくれるはず! (^O^)/


板野ICを降りて北西の高速の側道沿いにある奥宮登山口の駐車場に車を

停めて9時20分にスタートする。







登山口には道標とGoogle Earthとカシミール3Dのソフトで

作られたこの山のルートが詳しく書かれた案内板があった。




登山道は里山らしい低木と羊歯とよく踏み固められた花崗土の道。

支尾根の道を少しづつ高度を上げていくと道の脇には季節外れのツツジが咲いていた。











しばらく登って行くと少しづつ周りの景色が開けてきた。

丘の上にアスタムランドと大塚製薬の工場も見える。







さらに進んで行くと木々を切って広場になった見晴らし台に着いた。

広場にはベンチやテーブルが置かれていて、奥のベンチでは地元の人が数名、腰かけて

お茶をしながら談笑していた。道の途中の要所で見かけた案内板やこういった休憩場所が

設けられているのは、最近里山ではよく見かける風景だが、この山は特別手が掛けられている。

ただ少し気になったのは、職業柄そういった木々を切ったりベンチやテーブルを置いたりするのを

地権者の許可を得ているかどうかだ。(地元の山でも時々それが問題になったりしているケースがある)







さらに高尾山への案内板に沿って歩いて行くと、また見晴らし台があった。

先ほどの見晴らし台とはまた違った更に東側の吉野川河口の眺望が広がっている。







気温は低く吹く風も冷たいが、陽が当たり道が急登になるとやはり汗ばんでくる。

前を歩くひなちゃんが何やら肺がんや肺気腫の話をしている。

するとルリちゃんも胃がんの話をし始めた。

どちらも気になる耳に痛い話を私に振ってくる。(笑)







途中ではこれから歩く藍染山がけっこう遠くに見えた。




急登を登りきりさらに進んで行くと高尾山の山名板の建つ広場に出た。(10時00分)

ここからも南側の眉山から西に続く峰々や、その奥の中津峰山

見渡せる。広場の端にはカシミールのカシバード機能で作られた、山名が書かれた

案内板が建てられている。どうやらカシミールのソフトを使い慣れた人がいるようだ。

いつになく寒さで笑顔が凍っているセニョさん。

麺法師さんと杉さんはカシバードの山名の画像を見ながら熱心に山の特定をしている。







広場から少し歩くと四等三角点関柱に着いた。

ここにもベンチが設けられている、女性が二人が腰掛て休んでいた。

途中でほとんど休憩なしで歩いてきたので、ここで少し水分補給。







この辺りからしだいに周りの木々の樹高も高くなってきた。







電力の鉄塔を過ぎ支尾根の下をトラバース気味に進んで行くと展望台の案内板。

登山道から少し左に外れて案内板の方向へと歩くと北から西にかけての眺望が広がっていた。

阿讃の峰々の向こうにちょこんと五剣山が頭を出しているのが見えた。

その並びの稜線を見ると馬酔木公園や大山の電波塔も確認できる。

ゴルフ場の奥には瀬戸内の海が広がり小豆島も見えるビューポイントだった。














展望台から少し下り登山道に戻って歩いて行くと今日の最高地点の藍染山に着いた。

二等三角点藍染山で本日二つ目の三角点ゲット!(11時05分)







その横には異なる二つの山名札。どちらも鳴門岳友会の標識なのに、ややこしい!

眺望もないので早々に次の万石山へと向かう。










山頂から一旦下ってから尾根の南側のトラバース道を進んで行く。

途中で東に大麻山?だろうかピラミダルな山容をした山が見えた。




藍染山までの快適な道から、道幅も狭くなり少しザレたヶ所のある道になってきた。

前を歩く身軽なキョウちゃんとルリちゃんはヒョイヒョイと歩いている。








トラバース道を進んで行くと72番の鉄塔広場に出た。

樹林帯の中から明るい日差しが差す広場は、少しだけ寒さが和らいだ。







鉄塔広場から樹林帯の中を進み少し急登を登って行くと、トラバース道から支尾根の道になり

355mの標高点と73番鉄塔に着いた。鉄塔の先にはこれから向かう万石山が見えた。










73番鉄塔からは急な下り坂。晴れの日が続いて乾いた土からは、前を歩く

ルリちゃんやキョウちゃんの足元から土煙があがっている。







鞍部からまた支尾根の登坂が続いていく。時間はそろそろお昼時、お腹が空いてきたが

山さんやあっちゃんがいたなら『お腹が空いた』とうるさいことだろう。







寒くない場所でお昼にと思っていたが、下山後となるとまだまだ時間がかかりそうなので

背に腹は代えられない369mの万石山で、

木々の間から冷たい風が吹き抜けていく中でお昼ご飯にする。(12時15分)

ここには標準点の代わりに背の高い陸軍用地の石柱が建っていた。







先週のさぬき広島での暖かい日差しの中でののどかな昼食と違って、寒風の中あまり会話もなく、

食べ終わつたら直ぐに出発する。万石山からも更に急な下り坂を下りと

小刻みなアップダウンの道が続いていく。











所々で西側の景色が開け、登り始めた奥宮登山口への稜線が見える。







道幅もなく急坂や急登の場所にはトラロープが張られているが、やはり藍染山までの

道と比べるとあまり踏まれてないような感じがする。







また一旦下って登り返すと明るく南の眺望が広がる千石山の広場に出た。

276mの千石山には今日三つ目の四等三角点三軒屋。(12時55分)














千石山からはまた急な下り坂が続いていく。下りで間の開いた後続を待ちながら下って行くが、

道はしっかりしていて時折案内板もあり、変化があって本当にいいコースだ。













登山道が終わると高速道路の脇へと飛びだした。(13時15分)

高速に沿って階段のアップダウンが続いていくが、

下りきったつもりでいたので最後に意外と足に堪える。







脇道から下道にでても平坦な道は僅かばかりで、また側道は登坂に。

下道歩きの距離はあるのは分かっていたが、最後まで登坂が続いていた。










沿面距離10.34km、累積標高721mで行動時間は4時間40分の里山歩き。

寒風吹きつける中でも整備された道の周回を楽しめるいいコースだった。


【今日のトラック】




WOC登山部2020.12.09 心経山・王頭山

2020年12月10日 | 香川の里山


今週の登山部は瀬戸内の島シリーズで予てから出かけてみたかった

さぬき広島に出かけてきた。香川にあって広島とは

少しややこしいのだが、塩飽諸島の中でも一番大きな島で、麺法師さんのルーツの島。

もちろん今日の案内人は麺法師さんにお願いして丸亀からフェリーに乗り込んだ。










船が港を離れ始めると飯野山や丸亀城などの、丸亀の見慣れた景色が目に飛び込んできた。

甲板で朝の少し冷たい風を受けながら周りの島々や、いつもと違う

北側から見る香川の風景を楽しんでいると、フェリーは45分ほどで広島の江の浦に着いた。

















島ではコミュニティーバスが船の発着に合わせて運行されていているのだが、

バスの定員は13名。今日の参加者も13名なので島の人で利用する人がいたら

歩く予定でいたが今日は幸い利用者もなく、心経山の登山口となる

青木の集落まで、海岸沿いを運転手さんに島の現況などを聞きながら乗せてもらった。

登山口にはさすが石の島だけのことはあって石材のりっぱな道標。

しばらく舗装路を山に向かって歩いて行くと直ぐに石切り場への道なのか、今は利用されていない

コンクリート道の上に落ち葉が積もった道になる。













運び出されずに積み上げられた石材の山を横目に見ながら登って行くのだが、

これが結構な急登で、既にふくらはぎの辺りが張ってきた。

薄暗い竹林の中の木漏れ日がルリちゃんとクーちゃんにスポットライトを当てている。







先頭を歩く麺法師さんが振り返って『あれが小手島です!』と教えてくれる。

山の特定には自信があるのだが、瀬戸内の小さな島の事はさっぱりわからない。

さすがガイド役の麺法師さん!




『大師道』と彫られた石柱から道は里山らしい雰囲気の登山道となる。

道の脇に花崗岩の巨石が点在し始めると尾根に近づいて来た事が判る。










尾根に出て山頂直下の大師堂の自然石の石段を登り

太子堂の門を潜ると、奥には弘法大師千百年忌供養塔が建てられていて、

毎年弘法大師の命日の5月4日には大師祭が催されているそうだ。










大師堂から巨岩の脇を回り込みヒトツバの群生する狭い道を進んで行く。

このヒトツバは岩の上に着生する植物で、五剣山や拇指岳でも群生していたのを思い出す。




ヒトツバの群生した道を抜けると心経山の山頂に着いた。巨岩が露出した山頂は遮るものがなく、

360度の瀬戸内の眺望は絶景だ!










岩の矛先まで進んでみるがその高度感に股間がゾクゾクとする。

相変わらず高いところ好きのあっちゃんのバンザイ!

メンバーも続々と先端に集まって、その眺望を楽しいでいる。














昔は高い所も全然平気だったのに歳をとったせいか、足元が心もとない。

自分が立たなくても人の姿を見ただけでゾクゾクするようになった。










小さな祠に手を合わせて山頂を後にする。向かいの山肌には紅葉がまだ残っていて、

最後の彩を楽しませてくれる。













心経山の大絶景を楽しんだ後は王頭山へと向かって行く。

一旦、鞍部へと下って行くがさらに落ち葉が積もっていてとても滑りやすい。







鞍部からは九十九折れの道。先ほどの心経山の岩の上で瀬戸内の風に当たって乾いた汗が

また額から流れ落ち始めた。急登を登りきるとスズタケの茂る道になるが

踏み跡はしっかりしているので、どんどんスピードが上がってくる。







スズタケ道を過ぎると背の低い松と足元は乾いた花崗土の道になり、

時々先ほど登った心経山が見下ろせる高さまでなる。

前を歩く今日で2回目の参加のクーちゃんも、黙々とメンバーに付いて歩いている。







王頭山山頂には二等三角点『広島』。周りは木々に囲まれ見晴らしは無い。

やっさんが熱心にその三角点を写真に撮っている。










山頂から少し下って行くと観光案内の写真でもよく見る王頭砂漠に着いた。

花崗岩が風化してできた真砂土が砂漠のように広がり、コロコロと花崗岩の自然石が点在する

空中庭園のような場所だが、想像していたよりもその規模は小さかった。







今日はかしまし娘ではなく、あっちゃん・キョウちゃん・みなちゃん・ゆかりんの若草物語?

四人の娘?が賑やかに小さめの岩に登ってはしゃいでいる。ついでに私も!










今日はこの王頭砂漠でお昼ご飯。各々お弁当や即席麺を広げてのんびりとする。







お弁当を食べ終えた麺法師さんが、丸い巨岩の下を『杉さんは通れるかな~?』と

言いながら潜って遊んでいる。




砂漠の中でのランチの後は江の浦へと下って行くのだが、真砂土の乾いた土に

ひなちゃんとひろりんが足を滑らせて登れず苦戦している。




山頂からの支尾根の道では随所で瀬戸内の眺望が広がっていた。

その内のひとつの展望岩で、麺法師さんが沖に浮かぶ灯台の岩礁を指さし、

『あの軍艦のように見えるのが波節岩灯標(はぶしいわとうひょう)』と教えてくれた。










あまり高い所が得意ではない長さんもその展望岩の先でビビりながらもポーズ!





展望岩を過ぎるとこれも里山らしい羊歯の道になった。足元が見えずらい羊歯の道が終わると

江の浦を見下ろしながらの道が続いていく。港を出ていくフェーリーの先には

対岸の飯野山・青ノ山・城山などの里山が見渡せる。
















支尾根の展望道が終わると所々で急坂の下りになり、要所要所でロープが張られていたが

時々足を滑らせた声が聞こえてくる。シャッターチャンスを狙って下から構えてみたが

逆に私が足を滑らせツーさんに笑われた。そのツーさんも滑って大笑い。







すってんころりんと賑やかに下って行くと江の浦の集落に出た。のどかな風景の中を

お喋りしながら歩いくが、何軒かは人の気配のない家が点在していた。










ススキの穂の向こうに下ってきた王頭山が見える。




自転車ですれ違ったおばあちゃんが『こんにちは!』と明るく挨拶をしてくれた。

今の時期、島外が来ているので気軽に話しかけるのは躊躇うが、

向こうから挨拶してくれると『こんにちは!』と返す。




神社の鳥居の横に花崗岩を積み上げられた石蔵が建っていた。

開口部の周りと他のヶ所の石の仕上げが異なり、そのコントラストが美しい建物だ。

『神社の宝物殿かな?』と話していたが、後で調べるると先ほどの波節岩灯標の

灯標用油の貯蔵庫として活用されていたそうだ。




帰りのフェリーまではまだまだ時間があるので、海岸沿いを立石の集落へと歩いて行く。

もう師走だというのに瀬戸内の島で急ぐこともなく、ゆっくりと潮風を感じながら歩く。







立石の集落には江戸時代に廻船問屋として繁栄した尾上家の邸宅の旧尾上邸がある。

周りにめぐらされた高い石垣には青木石が使われており、その豪壮さは邸宅の石垣というよりは

城壁といっていいほどの見事な石積みだった。







観光案内には総ケヤキ造りの建築は『塩飽大工』の技術が随所に発揮されていると書かれているが、

未公開とされている宅内も偶然に島外に住んでいる家主が在宅で見学していいと許可をくれた。

広大な敷地には母屋や離れが複雑に連なり建っていたが、人の住んでいない家の傷みは酷く、

朽ちていくのを見届けるしかなかったところを、島の人々でクラウドファンディングで資金を集め、

その再生に向けて動いているそうだ。











ただ長年の埃をかぶった家屋より、やはり目につくのは4m以上もある石垣だった。

すぐ横の畑で作業をしていたおじいちゃんが、『石垣の石と石の間に小さい石の詰め物が一切ないだろう』

『石を削って丁寧に合わせて積み上げたんや』と教えてくれた。たしかに石垣は場所によってはすき間が無く

正面門の角の石垣の反りは名だたる城の城壁にも劣らない。塩飽大工というよりは

この島で古くから青木石を採石していた石工の技術の高さだと思った。




尾上邸の再生工事には偶然にも丸亀の建築会社の方が従事していた。

メンバーとも顔見知りの社長さんと話が弾む。








旧尾上邸の見学を後に近くの八幡神社まで寄り道してみる。

ここには珍しい陶器の狛犬が座っていて、その横の石段を登って行く。

『こんなに石段長かったかな~覚えてないな~』と麺法師さんの息も上がっている。













八幡神社の石段を下りると、今度こそは今日は登りは無いはずだ。

海沿いのすれ違う人もいない平らな道を歩いて行くと、道の脇に可愛いらしい

お稲荷さんだろうか?狐が笠木にちょこんと載った緑青の鳥居があった。

また道の脇には所々でうんちくのある言葉が刻まれた石碑も立っている。







まだまだ時間はある。海岸沿いの広場になった場所で久しぶりのコーヒータイム。

今日は人数も多いので一台のバーナーと、コーヒーを淹れるあっやんとみなちゃんも大忙しだ。










麺法師さんとツーさんのツーショット!




コーヒーを楽しいんだ後はフェリー乗り場で時間をつぶす。

沖にはその向こうの香川の山並みが隠れそうな巨大な船が通り過ぎていく。







予定より一便早い客船に乗り込み島を後にする。これが大正解で、島々の向こうに

沈んでいく夕陽とそれに染まる瀬戸の海を、丸亀に着く間たっぷりと堪能できた。

庄内半島の奥には雲の上に浮かんだように見える法皇山系の山並みまで見渡せる。

















陽の沈んだ後の薄暮の中を船を降り、車を停めた場所まで戻る途中の丸亀駅では

イルミネーションが点灯されていた。そんな12月の忙しない雰囲気を全く感じなかった、

ただただのどかでゆっくりとした時間の流れる、島の里山と島歩きの一日だった。







今日のトラック  (距離9.46km 沿面距離9.63km 行動時間5時間16分)




WOC登山部2020.12.02 鬼ケ城山

2020年12月04日 | 四国外の山


今年も残すところ残り一ケ月となった。そろそろ県外の山から県内の

里山歩きになる季節。さてさてどこに出かけようかと考えていると、

むらくもさんとピオーネさんが岡山県の総社市の鬼ケ城山

歩いているレポートが目についた。麺法師さんにも、そのレポートのページを

リンクを貼って案内すると、『ぜひ、出かけてみましょう』と即、返事が返ってきた。

鬼ケ城は大和朝廷によって国の防衛の為に築かれたとされる古代山城で『日本100名城』のひとつ。

その鬼ケ城山の近くには犬墓山と少し離れて登龍山

二つの三角点があり、それらの山を巡って周回できるコースがある。

これなら、三角点マニアのセニョさんも食いついてくるだろうと思って

案内を出すと、さっそく『参加します!』と返事が返ってきた。


高速を総社ICで降り鬼ケ城ビジターセンターを目指す。砂川公園からは離合も難しい幅の狭い

登坂が続いていたが、丸亀からでも意外と近く約70kmでビジターセンターに着いた。

駐車場には1台車が停まっていて、登山服姿の男女が身支度をしていた。

時間的にはまだ早いので、先ずは犬墓山を目指し鬼ケ城山でお昼の時間になるように

時計回りに周回していくことにする。




ビジターセンターの道路の反対側に犬墓山の登山口があり、階段上になった道を登って行く。

『先週の御在所山の石段に比べたら楽勝ですね!』などと言いながら、麺法師さんを先頭に

歩いて行くと、階段は直ぐに終わって、里山らしい花崗土と小さな花崗岩が露出した尾根道になる。
















しばらく尾根道を進んで行くと道の脇に大きな露岩があり、そこからは鬼ケ城を見下ろせ、

鬼ケ城の西門の奥には朝靄がかかった総社市の里山の幻想的な風景が広がっていた。










その鬼ケ城山から視線を左に移すと、まだ彩を残す緩やかな山裾が広がる山々。




その展望岩からしばらく歩くと犬墓山に着いた。『あれ?もう山頂』とセニョさんがひと言。

先週に比べると、意外と早く簡単に三角点をゲットできたセニョさん。










ここからの道は所々で巨岩が点在しいく。鬼が手刀で真っ二つに割ったような不思議な形をした岩や、

方位岩汐差岩と名付けられた奇岩の数々。その度に立ち止まったり、岩の上に登ってみたりする。













汐差岩も先ほどの岩と同じようにスッパリと鉈ででも切られたように割れている。

花崗岩は規則正しい割れ方をするようで、ここだけではなく他の山でもきれいに割れた

岩の形はよく目にする事がある。そんな不思議な形から色々な伝説が生まれたり、

それに合わせた岩の名前が付けられたりする。







途中にある案内標識には馬頭観音の名が書かれているが、

その馬頭観音は今まで道の脇に点在していた弘法大師と観音様の石仏と同じような

二体並んだ石仏で、それまでの仰々しい案内標識の割にはその石仏の前に案内板はなく、

よくよく見ないとその馬頭を見逃しそうになる。







馬頭観音を過ぎると道の北側の少し下った所に屏風岩

正面や脇から見てもどうも屏風には見えない。正面に少し登れそうな岩肌があり、

それを見たあっちゃんが登りたそうにするので、

先に私が登って見せたが、足がかりのない岩に、さすがのあっちゃんも登れず途中であきらめた。







屏風岩の次には岩の上部が平らになった八畳岩は、

『こんなに広いのに八畳どころではないよね!』とメンバーが口を揃えて言っている。

八畳岩から少し歩くと道の北側に樹木がなくなり、吉備高原への山並みが続いている。







ここからの奇岩は鬼のもちつき岩鬼の酒盛り岩と鬼の岩シリーズが続いていく。

鬼が腰掛て酒盛りをしていた様な二つの椅子の様な岩とテーブルの様な岩の酒盛り岩から

少し下って行くと広場になった場所に出た。











鬼の差し上げ岩と名付けられた巨岩は、温羅(うら)が岩屋を造る際に

岩を持ち上げ天井にしたという伝説が残る巨岩で、岡山県では最大規模の巨岩の遺構だそうだ。











その温羅とは、この吉備地方を統治していた伝承上の鬼で、朝廷から派遣された吉備津彦に退治されたという。

この鬼の差し上げ岩の脇には岩屋寺の毘沙門堂がひっそりと巨岩のを背に佇んでいた。




毘沙門堂の前の石段を下ると今は無住となった小さな本堂の観音堂があった。

本堂の大きさの割にはその境内の前には立派な石垣があり、盛時の面影を残している。

石垣の周りでは、今年は最後になるかもしれないモミジの彩を束の間楽しんだ。










岩屋寺から次に実僧坊山を目指すが、本堂の脇の道から

登ったり降りたり、元の道に戻ったりと少し右往左往をしてしまう。




道にはたっぷりと落ち葉が積もり、これからくる寒い冬の訪れを感じながら、

鬼の昼寝岩への分岐を更に進んで行くと、後ろから麺法師さんと

ひなちゃんの姿が見えないのに気づく。『お~い!』と呼んでも返事が返ってこない。

登坂の途中でやっさんもセニョさんもあっちゃんも、呼びかけるだけで

動こうとしないの(笑い)。仕方がないので度々呼びかけながら戻ってみるとその内に返事が返ってきた。

どうやら二人は昼寝岩まで行ってしまったようだ。二人と合流して実僧坊山へと登って行く。

里山らしい雑木の中の道を登りながら、『こんな所まではまさかキティー山岳会のプレートは無いわな~』と

セニョさんと話をしながら登って行くと山頂に着いた。

実僧坊山は樹木に囲まれ展望もなく、ポツンと岩がある寂しげな山頂だった。










ところが岩の脇の木に、なんと!、キティちゃんのプレートがあるではないですか。

ん?でも何かおかしい。プレートには登龍山と書かれている。

地形図ではこの先にある山が登龍山になっているのに。でも、あのキティーちゃんが間違えるなんて・・・?。

三角点も次のピークが点名:登龍山になっているし、などとセニョさんと疑問を残しながら

次の山へと歩いて行く。




登龍山?であろうピークの手前には見晴らしの良い展望岩があった。










取りあえず山頂の三角点で今日、二つ目のポケモンをゲットしたセニョさん。

少し広場になった場所には何故か可愛らしい鯉のぼりがあり、周りをウロウロ探して見ると

あったあった!キティちゃん!でもやっぱりこちらが実僧坊山と書かれている。

『弘法も筆の誤りならぬ、キティちゃんも筆の誤り?』『これは鬼の錯乱か?』などと言いながらも

やはりモヤモヤとした疑問が残ったままで、山頂を後に登って来た道を引き返す。










分岐まで戻り更に先に進んで行くと、先ほど逸れた麺法師さんとひなちゃんが待っていた

鬼の昼寝岩に着いた。今度はセニョさんが岩登りにチャレンジした。










この昼寝岩で鬼シリーズの奇岩は終わり、幅の広い落ち葉道を進んで行き立派な石垣の民家の

横を通ると集落の明るい里道に出た。里道の脇には岩屋の大桜の案内板があり、

案内板に従って歩いて行くと、広場にはそれはそれは立派な背の高い桜の巨木が、

すっかりと葉を落とし、少し寒そうに立っていた。










この桜が満開の時にまた見に来たいね、などと話をしながらまた集落の中の里道を

進んで行くと、トイレのある岩屋の休憩所に着いた。ここでしばらくトイレ休憩。




休憩所からは鬼ケ城の案内板に沿って少し下って行くと茅原に出た。青空が広がり

明るい陽光に、ススキの穂が輝いている。休憩所からの道は中国自然歩道になっていて

全長2,300kmにも及ぶ自然歩道の吉備路ルートの中の古代山城を尋ねるみちの一部。

四国で言えば四国のみちみたいな感じだ。







一旦、車道を横断し自然の道は鬼ケ城への山道へとなっていく。次第に羊歯の生い茂る

里山によくある登坂にセニョさんが、『もう、下りの脚になってたからしんどいな~』と。

あっちゃんが『お腹が空いた~』と騒がしくなってきた。







もう少しですからと、騙しだまし登って行くと石積みと敷石の遺構に出た。

北門跡と書かれた場所は、鬼ケ城の背面にあり、裏門にあたる門。







北門跡からの尾根道を歩いて行くと南側が緩やかに斜面になった東屋のある広場に出た。

南に広がる景色を眺めながらここでお昼ご飯にする。







東屋の横でお弁当を広げると、風もなく青空の下のポカポカの陽気に

のんびりとした時間が過ぎていき、何とも言えない穏やかな気持ちになる。










そんな中で食事を終えたセニョさんがウロウロとしている。地形図にある397mの標高点を

探しているのだが、どこを探しても見つからない。

いつになくゆっくりとお昼ご飯を済まし、東屋から少し下って行くと復元された巨大な

西門の遺構にでた。高さ6m近くある城壁は石垣の上に土塁が築かれ、復元された西門の

建築様式と相まって、どこか異国情緒を感じる場所だった。







建物には登れないがその下の門をくぐるとその土塁の巨大さがよく判る。

飛鳥時代のとき白村江の戦い(はくそんこう)にて百済復活のため大和朝廷は援軍を出したが、

大和朝廷との連合軍は敗北し、唐・新羅(しらぎ)の連合軍が日本に侵攻してくることが想定され、

そのため大和朝廷は倭(日本)の防衛のため、西日本各地に大きな城を造営した、

そのうちの一つが鬼ノ城(鬼城山城)だとされている。各地の山城は百済から逃れてきた

百済人の協力を得て築城したとされているが、人の手だけでそのエネルギーたるや

凄まじさを感じずにはいられない。














すぐ横にある角楼跡も展望台になっていて、総社市の街並みが見下ろせる。










角楼跡から南西に見える展望台に寄り道してみる。この展望台からは鬼ケ城で検索すると

必ず出てくる写真のビューポイントになっていた。










展望台から駐車場まで戻ると、平日にも関わらず観光客の車がたくさん停まっていた。

時間はまだ13時過ぎ。今日の予定にはないが、少し欲張って西門から見えた

南にある経山にも登ってみることにする。

ビジターセンターから車で少し下って、離合のできるスペースに車を停めて

経山城跡の道標のある登山口から登って行く。




標高差は100mもない登山道を登って行くと15分ほどで山頂に着いた。

今日はこれで三つの三角点をゲットでき大漁の日となった。







経山を下る途中で麺法師さんが、まだ時間がるので最上稲荷に寄ってみませんか

と提案され、車に乗り込み向かって行く。

日本三大稲荷の最上稲荷は、正月には大勢の初詣客で賑わうが駐車場には一台も車が停まっていなかった。

仁王門まで続く参道の門前町の土産屋や飲食店もほとんど閉まっていている中を歩いて行くと、

近代的な石造りの仁王門。さらに石段を登って行くと立派な社殿が目の前に現れた。













広い境内にも人影はまばらで、取りあえず本堂で商売繁盛をお祈りし、

廻りにある史跡を散策した後、車に乗り込み巨大な赤鳥居を潜って帰路についた。


里山らしい道と奇岩・巨岩や古代の史跡の伝承・伝説が至るところで残る神秘と謎の多い

コースだったが、今日一番のミステリーはキティーちゃんのプレートの入れ違いだった。

果たして本当の実僧坊山と登龍山どちらなのか、大きな宿題をもらった一日だった。







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