
先週は花めぐりで奥様と神山町界隈を彷徨った。今週は休みが合わないのでそろそろ少しはお山らしい山に登ろ
うと思って目星をつけたのが雲早山。直近の様子は?とYAMAPの活動日記を検索して地形図を眺めていたら
西三子山の山名が目に入った。『そう言えば最後に登ったのは何年前だろう?』と思いながら、西三子山の活動
日記を見てみると、今度はサムネールの一覧の中に黄色く浮かんだミツマタの写真が飛び込んできた。クリック
して詳細を見ると、どうやら群生地があるらしい!早速予定を雲早山から西三子山に変更して、『ニシミネ・ミツ
マタ、ニシミネ・ミツマタ』とルンルン気分で出かけてきた。
登山口に向かう途中で、道の駅ひなの里勝浦の南側に桜並木が続いているのが見えた。道の駅に車を停めて、人
形交流文化会館の裏手に歩いて行くと、突き当りの川の両側に右も左も桜並木が続いていた。脇に建つ案内板に
は『さくら祭り周辺MAP』のイラストが描かれていた。以前から桜と船下りの写真やポスターを見た事があっ
たがここがその会場の様だった。東西2kmに及ぶ桜並木はすでに散り始めていて、川面一面が花びらで埋め尽
くされていた。
道の駅を出て上勝町を抜け、八重地トンネルを通って登山口へと着いた。以前に所属していた山の会で歩いたの
が20年近く前になる。それから5年後に続けて毎年3回独りで訪問した山だ。その頃はまだ西の寒峰、東の西
三子山と云われる福寿草の群生地として名をはせていた山だった。ただそれ以降年々花数が減りほぼ絶滅状態に
なってしまったので足が遠ざかっていた山だった。
県道の少し路肩が広がった場所に停め、道路向かいの登山口から取り付く。取り付きからザレた道を最初は沢に
沿って登って行く。取り付きから少し登ると沢の反対側に石垣が見えた。峠近くのこの場所の周辺に民家はなく、
畑の石積みではなく、何かの道が続いているように見えた。こういった石積みを見るともともと何があったのか
と興味が湧いてくる。この登山道は四国電力の鉄塔巡視路を利用して続いて行く。
右奥に小滝が見えると道が崩れて土と落ち葉が被って踏み跡が薄くなって判りずらい。それでも時々巡視路用に
設置された樹脂の階段と赤テープを探しながら、ルートから外れていないか確認しながら登って行く。
傾斜はどんどん急になってくる。樹脂の階段も埋もれていたり足元が崩れていたりしている。道が崩れかけてい
るヶ所にはロープが張られているが、とにかく谷側に足を滑らせないようにゆっくりと登って行く。
九十九折れて右に左にと登って行くと、次第に薄くついた踏み跡が分りづらくなってきたので、左手の支尾根に
向かって登って行くと最後に平坦な道に出た。
2m以上幅のある道は八重地土工森林組合が大正から昭和初期にかけてトロッコ軌道を敷いていた跡。炭焼き用
のツガやモミの木の搬出を行っていたそうだ。
ここからは1050から1060mの等高線に沿ってほぼ水平な道が続いて行く。別子銅山の炭の道や牛車道に
もみられるように、こういった歩かれなくなった道は必ずといって谷筋がほぼ崩れている。
今度は電力がトロッコ道を巡視路として利用している形になる。大きな谷筋では鉄製の橋を架けていた。
幅のあるトロッコ道も所々で土で埋もれて足場の悪い場所にはロープを張ってくれている。すると前方に上から
道を横断して下の斜面を駆け下りる動物の姿があった。遠目ではっきりとはしないが狸さんのようだった。
大きく崩れた谷筋では少し高巻きをして通って行く。この崩れた場所からしばらく歩くと、道に白い石灰岩が転
がり始める。谷側の斜面には白い川の流れのように石灰岩の筋ができている。
先ほどの鉄の橋や所々の谷筋の両側に石積みが残っていた。谷に架かけていた橋の橋脚の土台部分の石積みだろ
う。以前歩いた別子銅山の炭の道にも同じような石積みが谷筋に残っていたのを思い出す。すると今度は右上の
斜面を白いお尻のバンビがピョンピョン跳ねながら駆け上って行った。
まだ少し芽吹きには早いこの時期、葉のない木々の間からは明るい日差しが降り注ぐ。その陽気に誘われてか、
斜面に並ぶアセビが白い花をつけている。正面には植林地の濃い緑の上に西三子山がちょこんと頭を出したいた。
さらに歩いて行くと1191mの標高点と西三子山の支尾根の間の鞍部に出た。広場のようになったこの場所で、
山の会で来た時は一息入れた記憶がある。トロッコ道は西三子山の支尾根の北側を巻くようにして続いている。
振り返ると1191mの標高点の支尾根の北側にもトロッコ道が続いている。
ここがトロッコ道の交差点になっているようだ。その当時に使われていたのか、その後の林業の人が使っていた
のか(登山者のものではないと思う)、使い古され焼けて真っ黒になったやかんが木の枝にぶら下がっていた。
広場で一息入れた後西三子山の支尾根を登って行く。幅の広い尾根を踏み跡を見ながら登って行くとアセビが道
の両側に連なっていた。葉を隠すくらい白い鈴状の花が木全体を覆いつくしているのもあれば、全く花をつけて
いない木もある。樹齢によるのかそれとも隔年で開花するのだろうか分からない?
アセビの道を過ぎると88番鉄塔の広場に出た。広場の北側には『あんな形してたっけ』と思うほどきれいな三
角の形をした雲早山が見えた。鉄塔広場からも広尾根が続いて行く。新芽の緑の頃や彩の季節もいいが、葉のな
いこの時期は丁度暑くもなく寒くもなく、陽光を浴びながら歩いて行ける気持ちのいい時期だ。
振り返ると先ほどの鉄塔越しに高丸山とその山頂から続く稜線上に一本ブナのピークが見える。そのピークには
何となく大きな木が一本だけ立っているのが見えた。
広尾根を過ぎると尾根の左側が杉の植林地、右側が自然林の尾根になる。するとトロッコ道でも見た小さな道標。
ここから山頂の南側を回り込み福寿草の元群生地を通って山頂へ登る道と、このまま山頂へと登る分岐になる。
雨が多いのか杉の木の根元にも、周りの木々の幹にも苔がまとわりついている。そんな緑の景色の中でひと際異
彩を放っているヒメシャラの大木。地面から横に伸びた太い幹の先に、手を広げたような根。こちらに向かって
迫っている悪魔の手の様だ。
悪魔の手のヒメシャラから上は苔岩の尾根。大小様々な形をした岩と苔。雲早山のパラボラ尾根に出る手前の苔
庭より、一回り規模が大きい。
苔庭を過ぎると今度は苔の緑よりも石灰岩の白さが目立ち始める。そんな岩の間を抜けて登って行くと西三子山
山頂に着いた。三等三角点 澤谷 1349.01m 山名標の下にはヤッホー地蔵。以前は木彫りのお地蔵さんだった
が、これは二代目なのか木彫りではなく焼き物でできていた。
石灰岩で覆われた山頂は四国の山では他にはほとんど見られない独特な景観だ。南側にはいまだ踏み入れた事の
ない山域。そして北側にはレーダー雨量観測書があるので直ぐに山座同定のできる高城山が見えた。
ゴツゴツした形の岩の中から平らな形の岩を見つけて腰掛けカップ麺にお湯を注ぐ。じっとしていると北から吹
き上げてくる風がまだ少し肌寒い。そのせいかカップ麺の温かい汁をを最後まで飲み干した。
さてさてお腹を満たしたら、今日の次の目的地でメインとなるミツマタの群生地へと降りて行く。YAMAPで
見た活動日記は1週間前に黄色く色づいたミツマタの花が載っていた。果たしてまだ花は咲いて行くのかドキド
キだ。岩庭や苔庭では、前のめりに転びでもしたら大けがになるんで、注意深く降りて行く。途中で悪魔の手に
またがったり、鉄塔の斜材を額縁に見立てて雲早山を写真に撮ってみたりしながら、のんびりと分岐まで歩いて
行く。
分岐から林道に降りて行く。その林道に降りた近くに群生地があるらしいが、そこまでがなかなかの急坂。右左
に体の向きを変えながら踏ん張って降りて行くとやはり膝が少し痛んできた。落ち葉が踏み跡を隠しているけれ
ど、何となく雰囲気で踏み跡を辿りながら下って行くと、視線のさらに下に白いコンクリートの林道が見えた。
林道近くの水路に背の低いミツマタの木が、まだ細い幹にテープが巻かれて植えられていた。
一旦林道まで降りると下手に作業道のような道の脇にミツマタがずら~と並んでいるのが見えた。その作業道を
登って行くと、なんという事でしょう・・・・。斜面の上から下までミツマタの白と黄色の花畑が広がっていた。
目にした活動日記のミツマタは濃い黄色でピークのように見えたが、白い花が多くてまだまだこれからといった
感じだ。周りには何とも言えない清楚な匂いが漂っている。
少しだけ道から斜面に分け入って写真を撮ってみる。散っていないかと心配して損をした。まだしばらくはこの
見事な群生地は楽しめそうだ。
GoogleMapにはこの下の県道をさらに下った場所に『ミツマタの群生地』と載っている。次回はぜひそこにも立
ち寄ってみたい。
ミツマタ鑑賞が終わるとコンクリートの林道を道の脇に咲く花たちを眺めながら降りて行く。
群生地から林道、そして県道を歩いて約45分ほどで車を停めた登山口に着いた。
今日は福寿草の代わりにミツマタ鑑賞となったが、福寿草の群生地もファガスの森の地下足袋王子さんらによっ
て保護ネットで保護区画を作って以来、少しづつ数が増えているようなので、次回は山頂近くの福寿草を是非見
にきたい。
山河の里は次回に続く・・・・!
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