goo blog サービス終了のお知らせ 

KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

三度目の正直の山河の里、寄道して大正解!

2025年04月11日 | 四国の山

西三子山でミツマタの群生を堪能した後の帰り道。県道16号線を東へと車を走らせる。この通り沿いには山犬

嶽へのアプローチ道に樫原の棚田、そして上勝町の取り組みのひとつのゼロ・ウェイストアクションの施設、ク

ラフトビールのISE & WIN Brewing Coなど、山間部にあってというより山間部こその景勝地や施設があって、時

間があれば色々と立ち寄りたい場所がある。道筋の山際にもいたるところで桜や桃やヤマブキが春の里を華やか

に彩っていた。

 

正木ダムのある美愁湖を過ぎた辺りでふと、ある場所に3月に奥さんと訪れたのを思い出した。坂本のひなまつ

を訪ねた際に寄り道した『山河の里』だ。最初に尋ねたのは2年前。その時は西の奥様たちと同じように坂本

のひな祭りを見た後に近くの山を登った。最後に訪れた山河の里はまだ花の開花には少し早く、河津桜とアネモ

ネが咲いている程度だった。3月に奥さんと来た時もまだ花は見当たらなかった。

ここまで間周りの木々の色づきを見て、山河の里もそろそろ見ごろを迎えているんじゃないかと立ち寄ってみた。

高鉾郵便局を過ぎ藤川谷川に架かる橋を渡って正木トンネルの手前で南に曲がる。少し走ると三差路がありそこ

をさらに右に曲がり、離合の難しい狭い道を進んで行くと山河の里に着いた。少し先の道の下にある駐車場に入

ると2台ほど車が停まっていた。皆さんよく知っているな~と自分の事を置いといて感心しながら園内へと歩い

て行くと、花・花・花のオンパレード!

 

 

小さな作業小屋の前には薄紫や薄いピンク色のアネモネが風に揺れていた。その反対側にはサークル状に植えら

れた色とりどりの大きな花びらのチューリップ。その前で訪問者と話をするおじいさんの姿があった。

 

 

訪問者との話が終わったので声をかけると、顔中にしわを寄せてニッコリ笑顔で挨拶をしてくれた。

話を聞くとここには住んでいなくて、毎日小松島から40分近くかけて通っているそうだ。退職して20年以上

かけてこの庭を造りあげたそうだ。あと数年もすれば90歳というのにとてもお元気そうだ。そしてこの花園を

無料で開放している奇特な方だ。

 

『この花が一番好きなんです』と教えてくれた平安紅枝垂れは小さく淡いピンクの花びらが可愛らしい。

『奥のヤマブキも見頃ですよ』と教えていただいたので園内を奥へと歩いて行くと、素焼きの植木鉢で作った

でちゃんが迎えてくれた。

 

 

 

園内にはこうした手作りの作品が至る所で迎えてくれる。そして花の名前や道標は全部手書きで可愛らしい。

ひでちゃんの奥の突き当りにはヤマブキが満開だった。薄い春色の花たちの中にあって明るい派手な山吹色がア

クセントになってとてもきれいだ。

 

 

ヤマブキを見ながら一周して戻ると、『上から下を眺めてもきれいですよ』と教えてくれたので、民家のある場

所まで上がってチューリップ畑を見下ろしてみる。

 

 

 

眺めた後また下まで降りておじいさんと話をする。『本当にきれいですね、もともと花がお好きだったんですか』

と聞くと『ハイ大好きでした』と応えてくれた。『ほんとうはイングリッシュガーデンにしたかったんです』とも

照れながらお話ししてくれた。

香川から来たのを伝えると『お~~いお母さん!』と声をだして奥に居る奥様を読んでくれた。園の奥から現れ

た奥様もとてもやさしい笑顔で話しかけてくれ、三人で色々と話をする。園内が手狭になってきたので上の道路

の反対側の山の斜面を切り開いて、何年か前からしだれ桜を植えているそうだ。見上げると急斜面。作業も大変

だろうけど、怪我のないよういつまでもお元気で、『また来させてもらいます!』と約束をして山河の里をあと

にした。

 


ニシミネ・ミツマタ・サンガノサト!

2025年04月10日 | 四国の山

先週は花めぐりで奥様と神山町界隈を彷徨った。今週は休みが合わないのでそろそろ少しはお山らしい山に登ろ

うと思って目星をつけたのが雲早山。直近の様子は?とYAMAPの活動日記を検索して地形図を眺めていたら

西三子山の山名が目に入った。『そう言えば最後に登ったのは何年前だろう?』と思いながら、西三子山の活動

日記を見てみると、今度はサムネールの一覧の中に黄色く浮かんだミツマタの写真が飛び込んできた。クリック

して詳細を見ると、どうやら群生地があるらしい!早速予定を雲早山から西三子山に変更して、『ニシミネ・ミツ

マタ、ニシミネ・ミツマタ』とルンルン気分で出かけてきた。

登山口に向かう途中で、道の駅ひなの里勝浦の南側に桜並木が続いているのが見えた。道の駅に車を停めて、

形交流文化会館の裏手に歩いて行くと、突き当りの川の両側に右も左も桜並木が続いていた。脇に建つ案内板に

は『さくら祭り周辺MAP』のイラストが描かれていた。以前から桜と船下りの写真やポスターを見た事があっ

たがここがその会場の様だった。東西2kmに及ぶ桜並木はすでに散り始めていて、川面一面が花びらで埋め尽

くされていた。

 

 

 

道の駅を出て上勝町を抜け、八重地トンネルを通って登山口へと着いた。以前に所属していた山の会で歩いたの

が20年近く前になる。それから5年後に続けて毎年3回独りで訪問した山だ。その頃はまだ西の寒峰、東の西

三子山と云われる福寿草の群生地として名をはせていた山だった。ただそれ以降年々花数が減りほぼ絶滅状態に

なってしまったので足が遠ざかっていた山だった。

県道の少し路肩が広がった場所に停め、道路向かいの登山口から取り付く。取り付きからザレた道を最初は沢に

沿って登って行く。取り付きから少し登ると沢の反対側に石垣が見えた。峠近くのこの場所の周辺に民家はなく、

畑の石積みではなく、何かの道が続いているように見えた。こういった石積みを見るともともと何があったのか

と興味が湧いてくる。この登山道は四国電力の鉄塔巡視路を利用して続いて行く。

 

 

 

 

右奥に小滝が見えると道が崩れて土と落ち葉が被って踏み跡が薄くなって判りずらい。それでも時々巡視路用に

設置された樹脂の階段と赤テープを探しながら、ルートから外れていないか確認しながら登って行く。

 

 

傾斜はどんどん急になってくる。樹脂の階段も埋もれていたり足元が崩れていたりしている。道が崩れかけてい

るヶ所にはロープが張られているが、とにかく谷側に足を滑らせないようにゆっくりと登って行く。

九十九折れて右に左にと登って行くと、次第に薄くついた踏み跡が分りづらくなってきたので、左手の支尾根に

向かって登って行くと最後に平坦な道に出た。

 

 

 

2m以上幅のある道は八重地土工森林組合が大正から昭和初期にかけてトロッコ軌道を敷いていた跡。炭焼き用

のツガやモミの木の搬出を行っていたそうだ。

 

 

ここからは1050から1060mの等高線に沿ってほぼ水平な道が続いて行く。別子銅山の炭の道や牛車道に

もみられるように、こういった歩かれなくなった道は必ずといって谷筋がほぼ崩れている。

今度は電力がトロッコ道を巡視路として利用している形になる。大きな谷筋では鉄製の橋を架けていた。

 

 

幅のあるトロッコ道も所々で土で埋もれて足場の悪い場所にはロープを張ってくれている。すると前方に上から

道を横断して下の斜面を駆け下りる動物の姿があった。遠目ではっきりとはしないが狸さんのようだった。

 

 

大きく崩れた谷筋では少し高巻きをして通って行く。この崩れた場所からしばらく歩くと、道に白い石灰岩が転

がり始める。谷側の斜面には白い川の流れのように石灰岩の筋ができている。

 

 

先ほどの鉄の橋や所々の谷筋の両側に石積みが残っていた。谷に架かけていた橋の橋脚の土台部分の石積みだろ

う。以前歩いた別子銅山の炭の道にも同じような石積みが谷筋に残っていたのを思い出す。すると今度は右上の

斜面を白いお尻のバンビがピョンピョン跳ねながら駆け上って行った。

まだ少し芽吹きには早いこの時期、葉のない木々の間からは明るい日差しが降り注ぐ。その陽気に誘われてか、

斜面に並ぶアセビが白い花をつけている。正面には植林地の濃い緑の上に西三子山がちょこんと頭を出したいた。

 

 

 

 

さらに歩いて行くと1191mの標高点と西三子山の支尾根の間の鞍部に出た。広場のようになったこの場所で、

山の会で来た時は一息入れた記憶がある。トロッコ道は西三子山の支尾根の北側を巻くようにして続いている。

振り返ると1191mの標高点の支尾根の北側にもトロッコ道が続いている。

ここがトロッコ道の交差点になっているようだ。その当時に使われていたのか、その後の林業の人が使っていた

のか(登山者のものではないと思う)、使い古され焼けて真っ黒になったやかんが木の枝にぶら下がっていた。

 

 

 

広場で一息入れた後西三子山の支尾根を登って行く。幅の広い尾根を踏み跡を見ながら登って行くとアセビが道

の両側に連なっていた。葉を隠すくらい白い鈴状の花が木全体を覆いつくしているのもあれば、全く花をつけて

いない木もある。樹齢によるのかそれとも隔年で開花するのだろうか分からない?

 

 

アセビの道を過ぎると88番鉄塔の広場に出た。広場の北側には『あんな形してたっけ』と思うほどきれいな三

角の形をした雲早山が見えた。鉄塔広場からも広尾根が続いて行く。新芽の緑の頃や彩の季節もいいが、葉のな

いこの時期は丁度暑くもなく寒くもなく、陽光を浴びながら歩いて行ける気持ちのいい時期だ。

振り返ると先ほどの鉄塔越しに高丸山とその山頂から続く稜線上に一本ブナのピークが見える。そのピークには

何となく大きな木が一本だけ立っているのが見えた。

 

 

 

 

広尾根を過ぎると尾根の左側が杉の植林地、右側が自然林の尾根になる。するとトロッコ道でも見た小さな道標。

ここから山頂の南側を回り込み福寿草の元群生地を通って山頂へ登る道と、このまま山頂へと登る分岐になる。

 

 

 

雨が多いのか杉の木の根元にも、周りの木々の幹にも苔がまとわりついている。そんな緑の景色の中でひと際異

彩を放っているヒメシャラの大木。地面から横に伸びた太い幹の先に、手を広げたような根。こちらに向かって

迫っている悪魔の手の様だ。

 

 

悪魔の手のヒメシャラから上は苔岩の尾根。大小様々な形をした岩と苔。雲早山のパラボラ尾根に出る手前の苔

庭より、一回り規模が大きい。

 

 

 

苔庭を過ぎると今度は苔の緑よりも石灰岩の白さが目立ち始める。そんな岩の間を抜けて登って行くと西三子山

山頂に着いた。三等三角点 澤谷 1349.01m 山名標の下にはヤッホー地蔵。以前は木彫りのお地蔵さんだった

が、これは二代目なのか木彫りではなく焼き物でできていた。

 

 

 

石灰岩で覆われた山頂は四国の山では他にはほとんど見られない独特な景観だ。南側にはいまだ踏み入れた事の

ない山域。そして北側にはレーダー雨量観測書があるので直ぐに山座同定のできる高城山が見えた。

ゴツゴツした形の岩の中から平らな形の岩を見つけて腰掛けカップ麺にお湯を注ぐ。じっとしていると北から吹

き上げてくる風がまだ少し肌寒い。そのせいかカップ麺の温かい汁をを最後まで飲み干した。

 

 

 

 

さてさてお腹を満たしたら、今日の次の目的地でメインとなるミツマタの群生地へと降りて行く。YAMAPで

見た活動日記は1週間前に黄色く色づいたミツマタの花が載っていた。果たしてまだ花は咲いて行くのかドキド

キだ。岩庭や苔庭では、前のめりに転びでもしたら大けがになるんで、注意深く降りて行く。途中で悪魔の手に

またがったり、鉄塔の斜材を額縁に見立てて雲早山を写真に撮ってみたりしながら、のんびりと分岐まで歩いて

行く。

 

 

分岐から林道に降りて行く。その林道に降りた近くに群生地があるらしいが、そこまでがなかなかの急坂。右左

に体の向きを変えながら踏ん張って降りて行くとやはり膝が少し痛んできた。落ち葉が踏み跡を隠しているけれ

ど、何となく雰囲気で踏み跡を辿りながら下って行くと、視線のさらに下に白いコンクリートの林道が見えた。

林道近くの水路に背の低いミツマタの木が、まだ細い幹にテープが巻かれて植えられていた。

 

 

 

一旦林道まで降りると下手に作業道のような道の脇にミツマタがずら~と並んでいるのが見えた。その作業道を

登って行くと、なんという事でしょう・・・・。斜面の上から下までミツマタの白と黄色の花畑が広がっていた。

 

 

目にした活動日記のミツマタは濃い黄色でピークのように見えたが、白い花が多くてまだまだこれからといった

感じだ。周りには何とも言えない清楚な匂いが漂っている。

 

 

 

少しだけ道から斜面に分け入って写真を撮ってみる。散っていないかと心配して損をした。まだしばらくはこの

見事な群生地は楽しめそうだ。

GoogleMapにはこの下の県道をさらに下った場所に『ミツマタの群生地』と載っている。次回はぜひそこにも立

ち寄ってみたい。

 

 

 

 

ミツマタ鑑賞が終わるとコンクリートの林道を道の脇に咲く花たちを眺めながら降りて行く。

 

 

 

群生地から林道、そして県道を歩いて約45分ほどで車を停めた登山口に着いた。

今日は福寿草の代わりにミツマタ鑑賞となったが、福寿草の群生地もファガスの森の地下足袋王子さんらによっ

て保護ネットで保護区画を作って以来、少しづつ数が増えているようなので、次回は山頂近くの福寿草を是非見

にきたい。

 

 

山河の里は次回に続く・・・・!


あっこんな所にも山頂ポイントがあった向麻山

2025年04月05日 | 四国の山

明王寺を後にして、今度は昨年も訪れた神山温泉上角谷川を挟んで対岸にある四季の里を訪れてみた。

昨年は散りかけていたここのしだれ桜は、今年はまだまだ見応えがあった。細く垂れ下がった枝に咲く淡い桜色

の桜の下で、皆さん思い思いに春の訪れを楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

四季の里のあとはこちらも昨年尋ねて奥様がいたく感動していたゆうかの里へ、神山町から石井町方面へと車を

走らせる。狭い山道を走って行くと警備員が片側通行の誘導をしていて、ゆうかの里近くでは、駐車場待ちの車

で渋滞していた。

スダチ農家だった佐々木さんが、友人から神山枝垂桜の苗を3本譲り受けたのがきっかけで、その後離農した後

も自費で休耕地に毎年植え続けて、現在のように1.5ヘクタールの山に500本の桜と1500本のレンギョ

ウが山一面に咲いている。

 

 

山の斜面にはコンクリートの道が続いている。その坂道の上を空が見えなくなるほどしだれ桜の花が覆いつくし

ている。春休みなのかお子さん連れの姿も多くみられ、反対に杖を突きながら登って行く老人の姿もある。

 

 

 

 

若いカップルが楽し気に話をしながら上から降りてきた。

 

道の両側にサクラソウとレンギョウの花が続く先には優し気な表情の観音様が建っていた。ここでは光背の代わ

りを桜の花が形どっている。

 

 

ビニールハウス跡にはサクラソウが植えられ、その横には菜の花がしだれ桜を背に咲いていた。

しだれ桜の淡い色と菜の花、レンギョウの派手な黄い色は、春真っただ中を存分に感じさせてくれる。

 

 

 

昨年はこの後最後に神山森林公園を訪れたが、今年は帰り道にある向麻山公園を訪ねて見ることにした。WOC登

山部のメンバーが数日前にFBに桜の写真をアップしていたのを思い出したのだった。

鴨島町の手前で国道から少し南に入った場所にある公園。山頂近くまで車で行けるようだったが、麓の児童公園

の横に停めて歩いて登る事にする。

児童公園の遊具からは賑やかな子供たちの声が聞こえてくる。車道から遊歩道へと入って登って行くと、次第に

周りの景色が見下ろせるようになる。

 

 

少し色の違うソメイヨシノとしだれ桜が入り混じって咲くさまは、艶やかで華やかな景色を楽しめる。

 

 

山頂の芝生広場ではしだれ桜の下で、お花見を楽しむ人の姿があった。ランドセルを背負った子供の入学の写真

だろうか、大きなレンズを構えたカメラマンらしき男性が、桜をバックに子供たちに色々とポーズをとらせて写

真を撮っていた。

 

ここで何気にYAMAPの画面を見てみると、この広場の奥にグリーンではないが、グレーの山頂ポイントがあ

った。『ポイントがある!』と言っても奥様にはチンプンカンプン。『何の事?』というので、スマホの画面を見

せながら簡単に説明して歩き始める。

芝生広場の奥の竜眼神社の鳥居を潜り、社殿で手を合わせた後さらに奥に進んで行くと 三等三角点 牛島

91.84m。最近踏んだ三角点の中では一番低い三角点だ。ここで山頂ポイントゲット!

 

 

 

近くの東屋の展望台からは、北に吉野川を挟んで阿讃山脈。そして視線を東に移すと桜の花越に徳島の市内へと

景色は続いていた。

 

 

 

向麻山の展望台を後に遊歩道を下りながら、この春最後の花めぐりで亀鶴公園の桜並木から始まり、神山町

ゆうかの里、そしてこの向麻山公園で桜の花を堪能して、今日は桜の花でお腹いっぱいになった。

もちろん奥様には大変喜んでいただいた!

 

 

 


昨年も奥様と歩いた桜三昧と滝巡り!

2025年04月04日 | 四国の山

今週は奥様とお約束の花めぐり。昨年は四月に入って直ぐに香南市の西川花公園に出かけた。今年の開花の状況

はどうかとネットで調べてみると、主要メンバーや運営スタッフの高齢化や後継者不足で昨年で閉園しましたと

書かれていた。小さな丘一面に咲く色とりどりの桃の花と、その手前に広がる菜の花畑の鮮やかな色が対照的で

今年もぜひ出かけてみたいと思っていたのに残念だ。

それでは予定変更で昨年二週目に出かけてけっこう散り始めていた神山町のしだれ桜を見に行くことにした。

我が家から志度山川線を通って山川町から神山町へと入るルート。まずはその途中にある桜の名所の亀鶴公園

立ち寄ってみると、公園の池の中の亀島に続く長堤の両側に咲く桜並木はまだ満開は少し先の様子だったが、そ

れでも何人もの人が散策に訪れていた。

県道から193号線を南に走ると脇町に入る手前に、こちらも桜の名所として有名な八百萬神之御殿があるが、

『数年前より桜にテング巣病と思われる症状が異常発生し、手入れを行ってきましたが、近年の猛暑や野生動

物(イノシシやシカなど)による根付近の掘り起こしや食害の影響もあり、花見期間の境内開放を行いながらの

手入れが難しくなってきておりました。毎年楽しみにしていただいている方には残念なお知らせですが、今年の

境内一般開放は休止といたします。 再開時期は未定です。』とホームページに載っていた。

 

 

 

道が県道から国道193号線に変わると、周りの山肌は赤みを帯びた新芽の中に咲く白い花の山桜で彩られてい

た。山川町から美郷に入ると美郷物産館の道路を挟んで反対側の駐車場にも三色の桜の花。濃い紅色の桜は何と

いう種類なのか?対岸の中学校の校舎の前にも桜並木が続いていた。

物産館で奥様は名産の梅干を購入。お店の人に高開の芝桜の様子を尋ねてみたが、ここ最近はシカの食害で全く

花は咲いていないと教えてくれた。『そしたら石垣だけですね』と言うと、『そう石垣だけ』と笑って応えてくれ

た。物産館から南に走ると大神の集落の棚田もきれいな桜色をしている。

 

 

 

昨年は丁度見頃だった川井峠のしだれ桜はまだ少し早かった。双眼鏡の置かれた展望台からはまだ少し雪の残る

一の森と剣山が遠くに見えた。途中の道沿いには所々でミツマタがきれいな花を咲かせていた。

 

 

 

 

川井峠から引き返して神山町の上分へ。いつもは雲早山に出かけるときに通る道沿いには、道の脇の一段高い

斜面から、大きなしだれ桜が道路の上近くまで垂れ下がっていて見応えがある。

 

 

 

 

ここまでは車から乗り降りするだけだったが、ここからは少し歩くことになる。昨年はこの先にある神通の滝

二人で歩いた。滝を眺めた後の帰り道、私はミツマタの群生地があるというので、来た道の右岸でなく左岸を一

人で歩いて帰ったら、一人になった奥様が慣れない山の中で心細くなって半べそをかいたと話していた。

今日は一人にはしないからと笑いながら言って、神山町のもう一つの雨乞いの滝に出かけることにした。

前回はWOC登山部で訪れて、雨乞いの滝からさらに登って悲願寺まで歩いた。奥の駐車場まで来ると、すでに数

台車が停まっていた。駐車場からは沢の流れに沿ってコンクリート道を登って行くのだが、遊歩道はけっこう急

坂でそのうえコンクリートに苔が生えていて滑りやすかった記憶があったので、遊歩道の入り口に置いてある手

製の杖を奥様に持たせた。

 

遊歩道を歩いて行くと最初に現れたのがうぐいす滝。高さはないが二つに分かれて流れる様が可愛らしい滝だ。

遊歩道には杉の木立から木漏れ日が届き、水の音を聞きながら気持ちよく歩いて行ける。

 

 

 

うぐいす滝に続いては不動滝。その先には石を組んだ祠の軒下におたぬきさんが祭られていた。何の謂れがあっ

てかは分からないが、横に置いてある賽銭箱には不動尊と書かれているので、お不動さんの代わりなのか?

 

 

 

コンクリートの堤に架けられた木の板の橋を渡ると左岸から右岸の道になる。ここから道は急登になって行く。

ゆっくり足を滑らせないように、恐る恐る前からカップルが降りて来ている。急坂を前にして道標にも『がんば

って』と書いてある。『がんばります!』

 

 

地獄淵・もみじ滝・観音滝と続く道。コンクリートの真ん中が階段状になってくると、いよいよ傾斜が急になっ

てきた。階段を抜けしばらく登って行くと右手に東屋。ここから悲願寺への分岐になっている。東屋の先の巨岩

を回り込むと突然目の前に落差27mの雄滝が現れる。

 

その雄滝の滝壺に近づくと今度は右手に落差45mの雌滝が見える。雌滝は3段になって雄滝と比べると今日は

圧倒的に水量が多い。

 

雌滝の前で熱心にアングルを変えながら動画を撮っている奥様は、緑の上着を着ているので周りの風景にほぼ同

化しているのが笑える。滝の1段目の滝壺の横には石仏が建っているのが見える。その石仏に向かって斜めに鎖

が掛かっている。

 

 

 

 

深い谷間を勢いよく流れ落ちる水。周りにはマイナスイオンがたっぷりと降り注いでいる。今日は今までシャッ

タースピードを変えて滝を写していたが、手持ちではどうしても周りがブレて映っていたので、今日は三脚を持

ってきた。ただ普段から使っているコンパクトデジカメ用の三脚なので、一眼レフの大きなカメラは、どうして

も頭でっかちで重くてグラグラして固定するのに一苦労だ。

 

 

 

東屋の横には苔の生えたシカの頭に見える木の枝。その向かいの雨乞いの滝の謂れを書いた四国のみちの説明版

を読んだ後、絶対に滑らないように注意しながらコンクリート道を下って行った。

 

 

駐車場に着くとちょうどお昼時。助手席に座る奥様がGoogleMapで調べた下分にある『てくてく栗生野』でラン

チをすることに。この施設は民間福祉施設を神山町役場を定年退職後にご夫婦で立ち上げて、建物はご主人が同

級生に手伝ってもらいながらご自身で建てたそうだ。その施設の片隅の部屋で木曜日から日曜日にランチ営業を

しているそうだ。窓際のカウンターで鮎喰川を見下ろしながら素朴な味の料理を美味しくいただく。

 

 

カウンターの後ろのテーブルに座っていた男性にお店の奥さんが『明王寺は行かれましたか』と聞いている。『ハ

イ』と応えた男性に『もう散っていたでしょう』と奥さん。『まだ大丈夫でしたよ』と男性の返事に聞き耳を立て

て聞いていた。この後どうしようかと考えていたところだったので初めて明王寺を訪れてみることにした。

明王寺には樹齢80年と60年のしだれ桜があり、十メートルもあろうかと思われる樹高 から枝垂れ、風に揺れ

るしだれ桜の楚々とした姿は、ひとしおの風情と美しさを持ち、山門の白壁の塀越しに見事な花の滝をかたちづ

くっていた。もうすでにけっこう散っていたがそれでも見ごたえのあるしだれ桜だった。

 

 

 

 


牧野博士がこよなく愛したバイカオウレン!

2025年02月26日 | 四国の山

昨年は2月8日に佐川町の牧野公園加茂バイカオウレンを見に奥さんと出かけてきた。今年も楽しみにして

いる奥さんの期待に応えるべく、開花の情報をチェックしていたのだけれど、なかなかいい便りが聞こえてこな

かった。すると20日にアカリプタさんと一緒に香川の山友3人が出かけていた写真を見ると、そこそこ咲いて

いる写真が写っていた。アカリプタさんによると5~6分咲きとの事だったが、写真を見るが限りでは奥さんを

連れ立っても、恐らく満足してもらえるだろうと思って、二人が休みを取れる今日出かけてきた。

但し前日まで高知自動車道の川之江JCから大豊までは雪のため通行止めの情報。ずっと気を揉んでいたけれど

午後にはなんとか解除になり、そのまま今日もタイヤ装着の情報にもなっていなかったのでGO!

途中の立川PA辺りではまだ周りには雪が残っていたけれど、路面の状態は乾いていて問題なかった。

 

 

佐川町に着くと松山街道沿いに5・60台は駐車できそうな無料の駐車に停めて歩き始める。駐車場のすぐ横に

ある四国銀行の佐川支店には数年前に高松でお世話になった支店長が転勤で在籍していたので、中に入って軽く

挨拶をする。突然の訪問にえらく喜んでくれ『春の桜の季節もそれはそれは見事なのでぜひ来てみてください』

と仰った。支店長と分かれた後牧野公園へと土佐鶴の酒蔵が並ぶ風情のある道を歩いて行く。

酒蔵の漆喰の壁には高知県の独特な『水切り瓦』が取り付けられている。高知の激しい風雨から漆喰の壁を守る

役目で、2段3段と付けられているのを他でも見かけることがある。

 

 

酒蔵の横を緩やかな坂道を登って行くと正面に青源寺の石段。その横を過ぎると道沿いに今度は保育園がある。

園内の運動場では園児たちが元気に遊んでいた。保育園の運動場を回り込むようにして続く道。その保育園の

運動場の南端が牧野公園の入り口となる。

 

 

公園の入り口からは坂道が少し急になってくる。するとすぐにベンチの上に牧野博士の愛用の帽子と採取用のカ

バンのオブジェが置いてある。ベンチを過ぎると会議や宴会のできる座敷棟がある。その建物の反対側の花壇に

はいろいろ貴重な山野草が植えられていた。

直ぐに目に飛び込んできたのがセツブンソウ。春の訪れとともに咲く小さな可愛らしい花だが、私たちの前に大

きなカメラで熱心に写真を撮る男性の姿があった。白く和紙のように見えるのは実は花びらではなく萼片だそう

だ。その萼片に守られるように中にある黄色い部分が花びらで、さらに中の青紫色の葯が雄しべで薄紫色の突き

出た部分が雌しべだそうだ。やっぱり花って難しい!

 

 

 

 

座敷棟からくねくねとした坂道を登って行くと、道の脇には植えられた植物の名前が書かれたネームがあちこち

に挿されているが、いまはほぼどの植物も枯れて花も咲いてはいない。すると道の少し下に白い球状の実のよう

なものが見えた。近づいて見るとミツマタだった。

 

 

他にも公園の道沿いにはいろいろな種類の桜が植えられていて、花が咲いた時は見ごたえがありそうだ。今日は

ウォーキングも兼ねての花散策。公園の頂上まで一応歩いて登り、頂上から下って行くと、今度はこれも春を告

げる花、福寿草が咲いていた。ただ寒さのせいか日当たりのせいか、まだ花は開いてはいなかった。

 

 

福寿草の咲く場所から少し下るとバイカオウレンが咲いている。ヒノキの林床に小さな小さな花が一面咲いてい

た。でも花が小さすぎてきれいにピントが合わない。先週加茂のバイカオウレンを見に来ていたアカリプタさん

カマタマさんの写真を見ると、羨ましいドンピシャちゃんとピントが合っている。今度ご一緒した時に教えを

乞うことにする。

 

 

 

 

バイカオウレンの写真を奥さんも熱心に採っている。最近のスマホはほんときれいに撮れるので、びっくりする。

最近まで古いスマホを使っていた奥さんも、新しいスマホに買い替えてからは、きれいに撮れるので満足げだ。

バイカオウレンの咲く森からすぐ横の牧野博士のお墓に手を合わせ、また座敷棟まで降りてその横のトイレで用

を済ますと、トイレの横でカメラを構えた男性がいた。

近くによって見てみるとユキワリイチゲの花が咲いていた。早春の風が吹くと花が咲くと云われる風の花。この

花も他の花と同じでスプリング・エフェメラル(春の妖精)だ。

 

 

 

公園を出て保育所の横まで来ると、行きには全く気付かなかったが道の反対側にもユキワリイチゲが咲いていた。

 

 

牧野公園で春の妖精たちを見た後は、いよいよ加茂バイカオウレンへ。その途中でお昼ご飯。昨年立ち寄った

おばあちゃんと息子さんが営んでいた『まる美食堂』に今年もと思っていたが、朝その前を通った時に定休日の

看板が上がっていた。仕方がないのでまきのさんの道の駅にある西村商店へ!

以前に西の奥様たちと高知市内の本店に寄ったことがあるが、このお店はとにかく定食のメニューが豊富で、いつ

も大勢の人で賑わっている。

 

 

 

ご飯とお味噌汁のおかわり自由ですと店員さんに言われて、魚の出汁が効いた味噌汁が美味しくておかわり。つ

いでにご飯もと欲張ったらお腹がパンパン!そんな膨れたお腹を抱えていざ加茂のバイカオウレンの里へ!

昨年同様集落活動センター加茂の里に車を停める。週末の混雑を避けて平日にしたのだけれど、予想通りすんな

りと車を停められた。受付で入園料を払うとボランティアのおじさんおばさんが『初めてですか?』と聞いてき

た。『昨年も来ました』と言うと、『それじゃ道順は分かるわね』『去年よりは随分咲くのが遅くて、花も小さ

いような感じがする』と教えてくれた。センターの前の道路を渡り踏切を渡って民家の間を山の中へと入って行

く。脇の畑に季節外れの稲わら立て。藁で囲って霜などから野菜を守っているのだろうか?

 

 

山の中のコンクリート道を歩いて行く、奥さんにとっては結構な急坂だ。後ろから息を切らせて歩いてきている。

すると道の脇に切株をチェーンソーで作ったチェーンソーアートが置かれていた。

『去年、こんなのあったかな?』と奥さん。色褪せ具合から今年の作品ではないようだ。

 

 

 

急坂が終わり緩やかな下り坂になると横断幕がかかったバイカオウレンの森の入り口が見える。

横断幕の手前から一方通行になった道へと入って行く。

 

 

ヒノキの林床に白玉のようなバイカオウレンが散りばめられている。やはり気持ち昨年よりはまだ咲いている数

が少ないように見えた。近づいて見ると数センチの短い茎に白い花をつけている。この花もセツブンソと同じ

く、白い花びらに見えるのは萼片で、花びらは黄色い小さな部分だそうだ。

 

 

 

この場所は林床が平らではなく、大海原の波のようにうねり変化があり、その中で緑の苔とバイカオウレンの白、

そしてこもれびを受けた木々の陰影が何とも言えない雰囲気のある気持ちのいい空間だ。

それにしても昨年よりはうまく写真を撮ろうと思ってきたけれど、腕が悪くて思ったような写真が全く撮れない。

写真の難しさをほとほと感じる。

 

 

 

バイカオウレンを堪能した後はその先にある苔庭に。ここにはチェーンソーアートの森の住人と小さな小物が苔

が敷き詰められた林の中に置かれていた。こういったものは女性はお好きなようで奥さんも嬉しそうに写真を撮

っていた。

 

 

 

 

 

加茂のバイカオウレン鑑賞の後は帰り道にある芋屋金次郎でジャージー牛乳とムラサキ芋のミックスソフトを頂

く。その後市内に入って最近知った山中賞で有名になったTUTAYA中万々店に訪問。山中賞といえば毎年二

回、四国最大級の書店、TUTAYA中万々店のカリスマ書店員、山中由貴さんが、半年に一番おもしろかった、

どうしても読んでもらいたい本を選んだ賞でその知名度と注目度は全国クラス。興味を持ったのはその山中賞に

最近読んだ芥川賞の受賞作品の『バリ山行』が選ばれていたからだ。バリとはバリエーションルートの略で、普

通の登山道から外れて歩く社内の先輩に主人公が惹かれていく話で、時々藪コキして歩く人間にとっては身をも

って理解できる状況や心情を、楽しく読めた作品だった。

店内は広々としていて、その中で色々工夫したPOPやコーナーがあって賑やかで楽し気な空間だった。特に『

この店で一冊も売れていない作品を買ってください!』というコーナーは思わず噴き出した。

 

 

受賞作品には手書きでフリーペーパーを作って店内で配っていた。バリ山行は手元にあるので違う受賞作品を買

って店を出た。

最後ははるのの湯でほっこり。今年の春も花めぐりで私の株価をどんどん上げていく予定なのだ!

 

 

 


『あの高原にもう一度行ってみたいわ!』と彼女は言った。

2024年11月01日 | 四国の山

 

 

先週に続いて休みが合ってしまった。『・・・・しまった』というのは言い方がおかしいので、休みが合ったの

で、どこにお連れしようかと考えた。先週の剣山では、次郎笈峠から剣山への登りで相当バテていたので、今週

は軽めにと考えていたら、『そう言えば塩塚高原にススキを見に行ったことがあるわね』と仰った。と言うこと

は『もう一度行ってみたい』いや『連れて行け!』ということだろうと直ぐに理解した。

ただ一緒に出掛けた記憶が全くない・・・・のは決して口には出さずに、塩塚高原だけでは時間がもたないので、

他にどこか立ち寄る場所はないかと考え、そう言えば以前から行ってみたいと思っていた毎週水曜日が定休日の

『ハレとケ珈琲』が営業していると思ってコースにプラスしてみた。その近くには紅葉の名所の『竜ケ岳』もあ

るので、様子伺いで車を走らせてみるのもいい。

 

6月に西の奥様たちと歩いて登った時のスタート地点になった『道の駅 霧の森』でトイレをすませて県道から

塩塚高原への道へと入ると直ぐに『ノーベル物理学賞受賞、真鍋淑郎博士の生家』の案内板。

『真鍋さんて知ってる?』と聞かれたが、『さぁ?』と答える。(博士と地元の方すみません)

 

 

そこからさらに車を走らせると『西横井の棚田』。稲刈りを終えた棚田の向こうの山の斜面に、茶畑が続く集落

が見える。新宮はその気候や土質がお茶の栽培に適しているということで、『新宮茶』として特産物になってい

るそうだ。

 

 

 

それまでの山間部の道から高原まで上がってくると一気に景色が変わった。薄曇りの白い空の奥の白い太陽から

届いた柔らかい光に、ススキの穂が銀色に輝いている。

高原の起伏のある台地が幾重にも重なり、一面に広がるススキ原が大海原で押し寄せる波の様だ。

 

 

 

 

展望台による前にパラグライダーフライトライディング場へ車を走らせる。ライディング場からは塩塚峰山頂へ

登って行けるのだが、前回歩いた時に結構急登だった記憶があったので、今回は先週の剣山の事もあるので、無

理はせずに無難にパスして、展望台へと向かう。

あまり天候もよくないが、道の北側は瀬戸内海の島々まで見渡せた。

 

 

 

展望台手前の駐車場に車を停めて歩き始める。駐車場にある公衆トイレは使用禁止になっているので要注意。

緩やかな階段状になった斜面を登って行くと東屋のある展望台にすぐ着いた。

6月に歩いた時は緑の萱原だった稜線は銀色のススキ原に変わっていた。遠目にはそのススキが柔らかい産毛

のように見える。

\

 

 

 

展望台はもちろん遮るものはなく360度の景色。

北側は低い位置に横に続く雲の下に、同じように横に荘内半島讃岐三埼灯台まで続いている。

 

 

西側は塩塚峰の山頂とその手前のピークとの間に見えるのは筒上山。と言うことは塩塚峰山頂の奥には石鎚山

見えているはず。

 

 

 

南は手前にカガマシ山から笹ヶ峰へと続く稜線。その奥に工石山と白髪山が頭を出している。

 

東は国見山の右に、天狗塚から三嶺、剣山と続く稜線。左は中津山の両側に黒笠山烏帽子山。ただ遠すぎて山

容がはっきり確認できない。唯一、烏帽子山だけは同定できた。

 

 

 

駐車場に戻る途中、右側の斜面に紫色の花が咲いていた。遠すぎてはっきりと分からないが形的にはアジサイの

花のように見えた。

 

 

駐車場からもと来た道を戻って行くと陽の光がどんどん強くなってきた。オートキャンプ場まで下ってきたが、

せっかくなのでもう一度写真を撮りに引き返してみたが、あまり変わり映えはしなかった。どうせならやっぱり

青空が欲しかった。

 

 

 

 

銀色に輝く高原のススキを堪能した後は、今日の次の目的地の『ハレとケ珈琲』へと向かう。

高原から山城町に差し掛かると『半田岩』と書かれた案内板があった。車を停めて道の下を覗いてみると川の対

岸に水車小屋。川底には巨岩が並び、そのまわりはモミジの木々。そのモミジが色づいた時はいい写真が撮れた

だろうに、残念ちょっと時期が早かった。

その昔長曾我部軍が田尾城攻略した際に、この地で休憩して軍議を行った。その際この巨岩の一つが膳に似てい

ることから、『飯台岩』と呼ばれていたのが、いつしか半田岩の字が当てられるようになったという。

 

 

(三好市公式観光サイトより)

 

半田岩から順調に車を走らせて県道319号線に出る手前で警備員に車を止められた。『すみません!時間通行止

めで、11時20分まで通れません』と言う。時間は10時50分過ぎ。途中で時間通行止めの看板を見ていたが

今まで見てきた時間通行止めはだいたい50分から00分の間が通行できるようになっていたので、ここもそうだ

と思って、書いている時間を確認せずに走ってきたのが間違いだった。

『どこか迂回路はないですか?』と尋ねると、『1kmほど戻って、田尾城跡の看板に沿って行けば、別の道で国

道に出られます』と教えてくれた。

聞いた通りの道を走って行くと、これがけっこう狭い道でスピードも出せずに、結局迂回するのに15分ほどかか

ってしまって待っているのとあまり変わらなかった。

 

『ハレとケ珈琲』『ハレとケ』。それは、特別な・晴れを意味する「ハレ」と日常の「ケ」。民俗学者である柳田

國男氏が提唱している言葉らしいが、高尚過ぎてあまりよく分からない。

まぁとにかく廃校を利用した施設と言うことで、話をすると奥さんは食いついてきた。

国道32号線の祖谷口から吉野川にかかる橋を渡って、県道32号線を東に走り、松尾川温泉への分岐の200mほ

ど手前で山側へと入って行くと、こんなところに?と思うような場所に立派な鉄筋コンクリートの旧出合小学校の校

舎があった。正門を通って校舎の手前に車を停めて中へと入って行く。

最盛期には500人以上の児童が通っていたようだが、2004年には7人となり、翌年には廃校となった小学校だ。

 

 

 

 

1階の教室の中をそのまま利用して『ハレとケ珈琲』は営業していた。

 

 

 

 

店内は昭和を感じさせるソファーや懐かしい小学校の木製の小さな椅子が並んでいて、黒板にチョークでメニュー

が書かれていた。奥さんは紅茶、私はコーヒーそして初めて食べるカヌレなるものを一緒に頼んだ。

コーヒーは深煎りなのにそれほど濃くもなく、奥深い香りと風味があって美味しかった。

初めて食べるカヌレは表面が固くて一瞬『ん?』となったが、なかはもっちりとして一瞬でペロリ。

 

 

コーヒーを飲んでゆっくりとした時間を過ごした後、竜ケ岳へと紅葉の様子見に車を走らせたが、松尾川温泉

らさらに奥へと走って行くとまた時間通行止めの看板。周りの紅葉もまだまだな感じだったので、そのまま引き

返す。それにしても竜ケ岳松尾川温泉からもけっこう遠くて道幅もけっこう狭くてなかなかの道だった。

国道まで戻ってさてさてお昼はどうしようかと考えながら車を走らせる。そして思いついたのがいつもは朝夕に

横を通るけれど、こちらも今まで立ち寄ることはなかった三好市の八番館

ゆとりのある空間に川沿いの建物らしく大きな窓の下には吉野川が見下ろせた。少し遅いランチになったが、手

作りハンバーグに一味違うデミグラスソース。カリカリ揚がった白身魚に酸味の効いたタルタルソースがとても

美味しくて、けっこう量があったのに奥さんも『美味しい美味しい』と言いながら完食した。

 

 

ランチの時間としては遅かったが、家に帰るにはまだちと早い。どうしようかなと考えた結果、奥さんがまだ一

度も行ったことがないというのでまたひと走り。

奥さんは初めてだというが、私も車で来るのは初めて。いつもは香川側から歩いて登ってくる場所。

駐車場に来るまでの間、そして参道を歩いていると『参道補修費の協力金』のお願いの看板が目立つ。看板に書い

てある通りに納経所で500円を払って参拝する。

参道から歩いている途中ですれ違ったスクーターに乗ったお坊さんが本堂の横に居た。すると納経所の奥から来た

女性が、そのお坊さんに向かって『住職、連絡がつくように携帯電話を持っていてください』と言って怒っている。

どうやら急ぐ用事があるのに住職さんは境内をうろついて、携帯も持って出ていないので連絡が付かずに困ってい

たらしい。威厳のある雰囲気の住職が、年の離れた女性に叱られているのをみて思わずクス!とする。

境内のモミジの紅葉を少しは期待して来てみたが、色づいた木もあったが、全体的にあともう少し先の様だった。

 

 

 

季節に関係なくこの石像『五百羅漢』は見ごたえがある。奥さんも熱心に動画を撮っている。

 

 

 

ここまで来るとやはりあの場所によってみたい。駐車場には『広場に行く人は車を停めないでください』と大きな

看板が立っていたが、駐車場料のお金も払っているのでちょっとだけ寄らせてもらった。

すると奥さんはやっぱり予想通り写真や動画を撮りまくって、うれしそうにしている。

 

 

 

これでニュースにはならないが、今日の私の株価はストップ高となってるはずだ。(ニンマリ!)

 

広場から引き返す途中で目にした木に刺していた活力剤。同じようにそれを見つけた女の子が、『ママ、マヨネ

ーズが刺してるよ!』と可愛らしく言っている。その横で『マヨネーズじゃなくてケチャップやろ』と小声で聞

こえないように言ったおばさん。(おばさんやな~!と、これも聞こえないように小声で言う)

 

境内まで戻って仁王門をくぐって太子堂にお参りする。鐘楼の横のモミジが一番色づきが良かったが、それでも後

少しかな。

 

 

 

陽が低い位置に落ち始め杉の大木の中の参道は少し暗くなり始め気温がさがってきていた。

帰り道、いつも山の帰りに立ち寄る温泉でほっこりと温まって帰る。

 


ウララ♪・ウララ♪♪・ウラ次郎!

2024年10月25日 | 四国の山

 

 

『明日は何時に出発?』と奥さんが聞いてきた。いつものように私が家を出る時間を聞いたのかと思ったら、

なんと自分も出かけるつもりらしい。

テレビで流れた『ヤッホー!紅葉狩りは四国徳島の剣山!』のちょっと古めかしいCMを見ながら、『剣山は今

が紅葉の見ごろらしいよ、行ってみる?』と冗談で話をしたら、なんと本気にしたらしい。

と言うのも、以前に誘って歩いた天円山の山頂からの下りがとにかく怖かったらしくて、『もう山には行かん』

と言ってので、山登りはもうすることもないだろうと思っていたからだ。

それならせっかくなので、そんな過去の話はけっして持ち出さず、ニコニコ顔で出発時間を答えた。その後、準

備物を二人分用意して、カップラーメン用にお湯を入れる水筒から、お湯を沸かすコンロに変えてザックに詰め

た。その横で奥さんは『何を着て行こうか』と楽し気に聞いてきた。

 

天気予報は昼から少し崩れそうな雰囲気だったので、早い時間に出発する予定だったが、奥さん同行となるとや

はりリフトを利用した方が無難だ。そのリフトの営業時間に合わせて車を走らせた。

見ノ越までの途中のスキー場手前まで来ると、北側に雲海が広がっていた。車を停めて写真を撮っていると、後

ろから見覚えのある車がやってきた。そう車からは奥様たち二人が降りてきた。

二人は丸笹山から赤帽子山方面を歩くと言うので、軽く話をして別れた。

 

見ノ越の駐車場は平日のこの天気にもかかわらずけっこう車が停まっていた。そして駐車場の前に停まったバス

からは、海外の団体さんが降りてきた。駐車場は15度前後の気温、こちらは上着を一枚羽織っているというの

に、短パン半袖姿の人がけっこういる。

リフトに乗るのは何年ぶりだろう。登りのリフトに乗るのはおそらく息子が小学生の時に一緒に来て以来だ。

 

 

西島駅から北側は青空も見えて比較的見通しもよく、丸笹山矢筈山の笹原もきれいに見えた。

三嶺の右奥には法皇山系から石鎚山系へと続く稜線も見える。

 

 

 

 

いつもなら刀掛けの松へと登って行くけど、今日一番の目的地は剣山山頂ではなく次郎笈の西斜面、通称?『裏

次郎』なので、次郎笈へのトラバース道を歩いて行く。このルートは目的地への近道もあるのだけれど、徐々に

高度を上げていく緩やかな道なので、歩き慣れていない奥さんにはちょうどいいと思ってなのだ。

次郎笈峠へも峠からのトラバースもゆっくり歩けばまず奥さんからのクレームにならない。その後余裕があった

剣山山頂に登ればいい、そう考え随分と気を遣った計画となった。(今回は必要以上に気を遣う)

 

 

トラバース道の両側には黄色やオレンジ色の彩の中を歩く。ピークは少し過ぎた感じで、足元にはけっこう落ち

葉が積もっていた。ここ数日強い風が吹いたのか、そう言えば見ノ越に来る途中の国道の路面にも杉の枝葉がけ

っこう落ちていた。

 

 

 

すると後ろから来た外人さんのご夫婦に声をかけられた。手元にスマホを持っていたので、二人の写真を撮って

もらいたいのかと思ってシャッターを押すジェスチャーをすると『ノンノン』と言って手元のスマホを指さした。

そのスマホをよく見ると奥さんのスマホだった。『オーサンキュー・サンキュー』(この英語は喋れた)と言っ

て奥さんに手渡すと驚きながら『サンキュー・ベリー・マッチ』と中学生で習った英語で奥さんもお礼を言った。

 

そこからしばらく歩いて東屋の休憩所のある場所まで来ると、先ほどの外人さんの夫婦が道標の前で立ち止まっ

ていた。道が右と左に分かれ道標には右手の道が『山頂』と書かれていた。その山頂と書かれた道標を指さし

『エクスキューズミー』と話しかけてきたので、どうやら二手になった道のどちらに行けばいいのかを迷ってい

るのだと思って、二つの道がその先で合流するジェスチャーをしてあげると、ご主人が『OK!』と言ってにっこ

りした。(英語をしゃべれなくても意外と通じるもんだ)

そのご夫婦とは分かれ、等高線に沿うようにして曲線を描きながら歩いて行くと目線の先に次郎笈が姿を現した。

 

 

相変わらず空は曇り空だが贅沢は言ってられない。緩やかに高度を上げていくこのルートを選んで正解だった。

奥さんも顔は赤らんでいたが、さほど苦し気でもなく歩いている。

 

 

 

時々ハッとするくらい鮮やかなダケカンバや楓の色に二人で『オ~~!』と声をあげる。

普段ここまでの彩を見ることのない奥さんは、度々立ち止まってはスマホで写真を撮っている。

 

 

 

二度見の展望所まで来ると剣山と次郎笈との鞍部の北面の紅葉が目に入る。やはり少し色落ちした雰囲気だが、

それでもこの角度から初めて見る次郎笈の姿に奥さんは感心した様子だ。

ただ稜線の美しい笹原はササコナフキツノアブラムシのせいで、結構な広さが枯死して色が変わっている。

 

 

剣山山頂と次郎笈への分岐からはこのルート一番の景観。次郎笈のどっしりとした山容を正面に、その鞍部へと

続く稜線上に、まるで絵に描いたようなきれいな一本線の登山道が続いて行く。

 

 

 

次郎笈峠まで少しだけ登ると後は丸石方面へのトラバース道。峠で一息入れているとほとんどの人が山頂目指し

て登って行く。そんな中二人だけトラバース道へと進んで行く。

 

 

裏次郎のビューポイントへ行く途中にある一本楓は、日曜日にKyoさんが歩いた時には鮮やかな色で待ち構えて

いたのに、残念ながら今日はもうほとんど散ってしまっていた。

代わりにすぐ上の小さな楓の木には色づいた葉が残っていたので、今日の一本楓はこちらで!

 

 

とはいえ道のあちらこちらで一本楓は見つけることができる。

 

 

トラバース道を次郎笈の西側まで回り込み、その先の小さなピークから振り返ると裏次郎のビューポイントにな

る。こちらもKyoさんが載せていた写真を見るとやはり色落ちした雰囲気だったが、それを知らない奥さんにと

ってはこれでも大絶賛!これで『もう山には登らない!』と言った記憶は消え去り、季節によっては甘い言葉で

お誘いすると喜んで付いてきてくれそうだ。

 

 

 

 

 

裏次郎で錦秋を堪能した後はトラバース道を折り返して戻って行く。

トラバース道から見える次郎笈の北斜面にも、ササコナフキツノアブラムシによる被害で小さなサークルになっ

た色違いの笹が目立つ。

途中で見ノ越の駐車場で見かけた外人さんの団体とすれ違う。すれ違いざまには『コンニチワ』と、片言の日本

語で笑顔で挨拶してくれた。

 

 

次郎笈峠まで来ると反対側の剣山の西側がさらにひどく、広い範囲で笹が枯死しているように見えた。

ササコナフキツノアブラムシは降水量が少ない年に異常繁殖すると云われているが、確かにこの夏は雨も少なく

気温が高かった。ただ気温が低下すると死滅すると云われているので、来年は繁殖せずに美しい緑一面の笹原を

見られることを期待したい。

 

 

 

次郎笈峠から朝歩いてきた分岐まで戻ってきた。お昼を前に剣山からは次郎笈へと向かう人たちが次々と降りて

来ている。取りあえず奥さんに『どうする山頂まで登る?』と聞いてみると、登ると返事。

ただこのあと分岐から山頂まで、奥さんは何十回立ち止まっただろう。その度『大丈夫?』と声をかけるとが、

『とにかく息がきれる』と言う。やはり普段から歩き慣れていないと、これくらいの傾斜でも息が切れるらしい。

本人曰く『自分は呼吸が浅いので』と言っている。

次郎笈峠で11時30分だったので、山頂までは30分くらいでちょうどお昼には着くかなと予想したが、おそ

らくそんな時間ではつかないと諦め、ただただ励ますことに。

ここでしんどさだけが残ってしまうと、せっかく裏次郎までで気分良く歩いていたのが、また『二度と山には登

らん』と言いかねない。

 

 

 

時間も気になったがそれよりも空模様が気になり始めた。南からは怪しげな重たそうな雲が流れて来ていた。

せっかく山頂まで登って、景色のいい西のテラスでのお昼ご飯の計画も台無しになる。

何度も何度も足を止める奥さんを励ましながら何とか山頂に着いた。

山頂での記念撮影を終えて、予定通り西のテラスで久しぶりに持ってきたコンロを出して、カップラーメンのお

湯を沸かそうとすると、コンロの着火の火花が散らない。何度やってもダメなので、ザックの中を探してみるも

ライターも見当たらない。(禁煙する前はライターはいくつも持ってきていたのに・・・・。)

 

 

 

仕方がないので山荘まで移動してお昼ご飯に半田そうめんを頂くことにした。

風の強いテラスから暖かい山荘の中で腰を下ろして、半田そうめんの温かい出汁をを飲みながら奥さんが、『美

味しいね』言うので、先ほどの失敗を埋めるかのように『こっちが正解やったな』と言い訳をする。

 

 

 

半田そうめんを食べ終える頃また外人さんの団体が入ってきた。そうめんをすすりながら団体さんの話を聞いて

いると、どうやらフランス語の様だ。英語もまともにわからない二人にはちんぷんかんぷん!

カウンター越しに注文している様子を見ていると、山荘の人も少し苦戦をしている様子だった。それにしても今

日は何人の外人さんにあっただろう。しかも青い目をした人ばかりだ。

前回登った石鎚山でも思ったが、剣山へもインバウンドの波が押し寄せてるみたいだ。

半田そうめんを食べ終え外に出ると、山荘の前からは北側に雲海が広がっていた。青空こそ見られなかったが、

今日はこの雲海を見られた事で天気は及第点としよう。

 

 

雲海を眺めた後西島駅へと降りていく。階段状になった登山道は歩くペースこそ落ちたが、奥さんには天円山

ような怖さは無いようだった。時間的にはまだ13時過ぎ、下からは登ってくる人の姿が多くみられる。その中

にはやはり外人さん。日本人とは比べもにならないくらい大きなお腹を抱えて汗だくで息を切らせて登っていた。

 

 

 

途中登山口の北東に見えた景色。錦の鮮やかなグラデーションの山肌の奥に、雲海に浮かぶ墨絵のような峰々が

続いている。そして頭の上にも最後の色づきを見せてくれる楓の木。

 

 

 

西島駅まで降りてくると、次郎笈のトラバース道ですれ違った外人さんの団体が、二度見の展望台の方から降り

てきた。それにしても今日はアジア系の外人さんにはほとんど会わなかった。

西島駅から取りあえずどうするか考えたが、奥さんも膝の調子は良くなく、下りの時間はここまでよりは長くな

るので安全策でリフトを使うことにする。

 

 

見ノ越からの帰り道。夫婦池を過ぎた辺りで見慣れた二人組が歩いていた。そう朝会った奥様たちだった。

丸笹から赤帽子山の手前で南に下りて国道へ歩いて、見ノ越そして塔ノ丸の登山口までの線を繋ぐ為に最後歩い

ているとの事だった。

 

奥様たちと分かれて、時間も早かったので寄り道しながら帰る。途中にある葛籠堂のある辺りは、貞光から見ノ

越までの間の最後の集落になる。先週歩いた寺地の集落跡でも見かけたお堂だが、この葛籠堂は道路の横にある

のを通るたびに見かけていたのでせっかくなので写真を撮ってみた。この辺りのお堂は三方が開けたシンプルな

構造だが、その割には屋根はとてもきれいな金属板に葺き替えられていて、地元の人に大切にされているのが伺

える。葛籠堂の道を挟んだ上には『剣山登山・葛籠道入口』と書かれた道標が立っている。今は歩く人もほとん

どなく使われていない道だが、葛籠堂の横には四十丁の丁石が建っているということは、登山以前に信仰の道だ

ったのだろう。

 

 

写真を撮っていると車を停めたすぐ横に停まっていたコミュティーバスの運転手さんが声をかけてきた。

『この奥に葛籠のヒノキがあるから見に行ってごらん!』と言うのだ。

せっかくなので教えてもらった奥の道に車を走らせると、天然記念物と書かれた案内の柱が建つ奥に、四方八方

に枝を広げた大きなヒノキがあった。葛籠堂の横には案内板があったのをいつも見ていたが、寄道してまで決し

て見に立ち寄ることはなかったが、やはり地元の人を話をすると時間をとって見てみようという気になる。

そのヒノキの守り人だろうか、すぐ下にある民家の穀物を干すためのハデの間からは、さらに奥の民家が見えた。

 

まだそれでも時間があったので少し離れた温泉に立ち寄り、ついでに夕食を温泉の食堂で食べる。

特大の海老天丼は今日の歩行距離では絶対カロリーオーバーやな、と思いながら家路に。

 

平野部ではなかなか目にすることのない色とりどりの鮮やかな山の紅葉。そして最後は温泉と、これで奥さん

の『山は嫌な所』という汚名を幾分かは返上できた有意義な(笑)一日だった。


いっちゅうは・・・『一字』でなく『一宇』と書くのだ!

2024年10月14日 | 四国の山

 

剣山に始めて登ったのはもう四半世紀以上も前になる。登山口となる見ノ越へのルートの国道438号線も昔に

比べると少し道が広がった場所もあって、多少は走りやすくなった気がする。

通い慣れた見ノ越までの途中通過する一宇。つるぎ町に合併する前は一宇村と呼ばれ、最盛期には8000人近

くの人口で商店街もそれなりに賑わっていたようだ。

その一宇の中心市街地の古見から見上げる山一面に展開する大宗と赤松の集落は、おそらく国内でも最大規模の

山岳集落になるといわれている。

前回塔ノ丸を歩いた帰りに時間があったので車を走らせてみた。その時に少し調べていて目に付いたのが、集落

のさらに上にある『宇峠』だった。『宇峠・・・・宇?』ということは麓は当然『一宇』。なぜそう思ったのか。

そう、一宇はいままでずっと『一字』と書くと思っていたから・・・・。ブログにも度々『一字』と書いてきた

ので目からウロコだった。(地図にも道路標識にも一宇と書いてあるのに、思い込みとは恐ろしいもんだ)

それは徳島の親戚のおじさんがイチウのことを『いっちゅう』と言っていたので、わたしも昔から『いっちゅう、

いっちゅう』と言っていた。最初から『イチウ』と言っていたなら間違いは起こらなかったのに、思い込みで単

純に『一字』と書いてしまっていた。結果情けない事に数十年ぶりに誤字に気が付いてしまった。

 

 

その誤字に気づかせてくれた『宇峠』を今回訪ねてきた。ついでに西側にある焼堂峠から志貴岳を歩いて周回し

てみることに。このルートは2010年にこもれびさんがお二人で歩いている。そのレポートを参考にしたのだが、

こもれびさんのレポートにはトラックの記録が載っていない、その上地形図には全く破線が載っていないルート

だったので、とにかくレポートの写真と文章を頭に入れてスタートした。

廃屋となった民家の周りは萱で取り囲まれ、ススキの穂が朝の光に輝いていた。

 

 

スタート地点は集落の最上部に近い赤松にある聖午王神社の少し下のカーブになった場所。カーブの奥からは西

にコンクリート道が続いていた。

 

 

 

コンクリート道が途切れると道の脇に運搬用のモノレールのレールが続いていた。スタートした場所に車が停ま

っていたのと、コンクリート道が荒れていない、さらには谷筋に架けられた丸太の橋が新しかった事から、この

先にはまだ住んでいる民家がある。そう思いながら歩くと予想通り、外周りを獣除けの高いネットでぐるっと囲

った民家があった。その民家の庭先の一段下、ネットの外側を通ってさらに奥へと進んで行く。

 

 

最終民家でモノレールは途切れたかのように見えたが、まだまだ先どこまで続くのだろうと思うくらい延々とレ

ールは続いていた。途中で薄暗い林の中に不似合いな大きな案内板が立っていた。スタート地点にもあった同じ

案内板が立っていたが、その『ウラジロの木』と書かれた案内板の上手に、日本最大といわれるウラジロの木

その根元にお地蔵さんを祭った祠があった。ただもともとウラジロの木は他の木に比べて大きくはないのか、日

本最大にしては迫力にかけていた。

 

 

 

ウラジロの木からもさらにモノレールのレールは続いている。ただ途中で途切れたヶ所が何カ所もあって、この

先にあるだろう民家には人の気配が感じられなかった。

すると陽の届かぬ暗い林の中、前方から歩いてくる人の姿が・・・。一瞬びっくりしたがすれ違いざまに少し話

しをすると、やはり住人ではなくスタート地点に停まっていた二台の内の一台の車の持ち主のようだった。

『峠まで行かれたんですか?』と尋ねると『そこまでは行かずに引き返してきた』という。持ち物にはカメラの

バックのようなものを抱えている。あまり話をする雰囲気でもなかったので、ひょっとすると廃屋マニア(そん

なマニアがいるのかは?)かな、なんて思いながら別れた。

 

 

 

杉林の影の向こうの明るい日差しの中に赤い屋根が見えた。『ん、民家かな?』と思い谷筋を回り込むようにし

てさらに進んで行くと、畑地の跡なのか石垣が現れた。さっき見えた集落が近いそう思っていると道の下手に土

壁の納屋らしき建物。この辺りの畑の農作業で使われていた建物だろう。

 

 

 

道の端には排水用だろうか、側溝らしき蓋が続いている。すると日陰から明るくなった先にお堂が見えた。

見ノ越に行く途中でも集落には同じようなお堂が建っている。三方が開けたお堂には何の神様が祭られているの

だろうか?お堂があるということはこの先に集落があるという事。

 

 

スタート地点にも掛けられていた張り紙。書かれているルールを守れない人が多くいるのか。それでも立ち入り

禁止とは書かずに、『ルールを守って楽しみましょう』とは、優しい言葉だ。

 

お堂の先は急に開けて目の前が明るくなった。どうやら地形図にも載っている『寺地』の集落の様だ。

開けた場所からは南から南西にかけての山々が見える。相変わらず次郎笈の頭には雲がかかっている。少し視線

を右に振ると秋葉山から津志岳に続く稜線が見える。

 

 

先ほど谷筋の反対側から見えたのはこの赤い屋根だった。平成10年にこもれびさんが訪れた際に、すでにこの

集落には住人はいなかった。廃屋の周りは畑はシダが伸び放題で、あと何年もすればこの建物も朽ちて草木に埋

もれて杜に帰ることだろう。

 

 

 

 

航空写真で見るとたしかにこの場所は開けて集落を形成している。しかも赤松の集落よりもさらに標高の高い場

所にある。こんな場所に住む人たちはどんな生活をしていたのだろう、そして何で生計を立てていたのだろうか。

ただその昔に開墾して広げたこの場所も、もうすでに緑の中に埋もれつつあって、その当時の暮らしぶりを垣間

見ることはできない。

地形図ではこの集落のさらに西に、麓から焼堂峠に続く破線が載っている。まずはその破線に向かって歩いて

行くが、次第に道は不明瞭になって行く。倒木や石で荒れた掘割のような道らしき道を、ルートは合っているの

か不安になりながら進んで行くと、小さな谷筋に古い丸太の橋が架かっていた。おそらく焼堂峠への破線へと続

く道だと確信。

 

 

 

さらに先では道が二手に分かれていた。左側の道は明瞭だったがとにかくずっと下って行く様子。それならと右

側の少し荒れた踏み跡を登ってみるが、これが間違いだと気づいたのは結構登ってしまってからだった。

何となく道らしい踏み跡を辿って登って行くが、とにかく急登。積もった落ち葉に足を滑らさないように、登っ

て行けば尾根には出るだろう、そう思いながら登る事20分ほどでやっと尾根らしき場所に青空が見えた。

 

 

 

尾根に出ると一旦焼堂峠に引き返すようになる。稜線上をとにかく辿って西に向かって歩いて行く。途中怪しげ

な間違えそうな場所もあったが、尾根を外さないようにして進んで行く。

 

 

 

すると尾根の北側の窪地のような場所にブリキでできた祠があった。中にはお地蔵さんが二体。

峠ということで祠の北側を覗いてみると、麓に続く道らしきものが見えたが南側はと言うと、尾根の南は広尾根

になっていて少しうろついてみるが、地形図に載っている破線の道は確認できなかった。

 

 

 

 

 

お地蔵さんに手を合わせた後、引き返して今度は尾根を東へと歩いて行く。すると先ほど寺地からむりやり登っ

てきた場所に見覚えのある杭があり、その先で道は二手に分かれていた。左側は下り坂になっていたので、その

まま尾根を登って行く。地表が洗われ木の根が露出している。

 

 

途中けっこうな急登もあるが稜線上は南から涼しい風が吹いてきて、割と気持ちよく歩いて行ける。

地形図にのっている1000mの標高点の場所には木の幹に黄色と赤色のテープが巻かれていた。見当たらない

石柱の代わりの目印だろうか。

 

 

このルートで何度か見かけた『地すべり指定年月日』が書かれた大きな支柱。でもその60年以上前の指定日を

書いただけの支柱を立てて、なにか意味があるのだろうか?大きく両手を広げたような赤松が印象的だ。

 

 

何度かのアップダウンをした後、スタートから2時間30分弱で志貴岳に着いた。三等三角点 三頭 1073.4m

三角点の北側には阿讃山脈とその南に流れる吉野川、そして貞光の街並みが見えた。尾根の下の木々も少し色づ

き始めている。南側も開けているが木々が伸びてあまり景色は見えない。松の木の枝と枝の間に塔ノ丸の笹原は

確認できた。

 

 

 

 

ここで朝食べた菓子パンの残り半分を口に入れる。三角点でREIKOさんがいつも撮っている写真のマネをし

てストックと一緒に写してみる。

 

 

 

ここからは一旦東の小ピークを目指す。そのピークの手前で踏み跡らしき跡がトラバースしていたので、ここで

いつもの悪い癖がでてしまい、楽をしようとトラバースして行くが、結局これも間違っていて、小ピークへ急登

を登る羽目になる。その小ピークからは北東に支尾根が猿飼の集落に向かって続いていて急坂にトラロープがか

かっていた。その途中から今度は南東に宇峠へ進まなければならない。地形図には破線はなく、ルート図もない

状態がこれほど不安だとは思ってもみなかった。(地形図の等高線が少し複雑になっていたので)

 

 

分岐になった場所では右に道らしき踏み跡があったので、半信半疑で下って行くと道は明瞭になり、トラロープ

もかかっていたので、宇峠への道に間違いないと一安心。

 

 

さらに下って行くと目の前に大きな木(何の木だろう?)。太い幹がえぐられたようになっていて、くねった枝

が垂れ下がり、何だか痛々しい。どうやらここが宇峠の様だが、皆さんのレポートに出てくる祠が見当たらない。

すると『宇峠』と書かれた道標の後ろに朽ち果て廃材のようになった阿弥陀堂の跡が確認できた。

 

 

 

皆さんのレポートにはまだ立派な阿弥陀堂が写っていたのに、十年以上経過するとここまで朽ち果ててしまうの

だろうか?その近くにも二つほど何かの跡だろうか、廃材が転がっていた。

 

 

宇峠と書かれた道標と皆さんの写真で見た、庚申塔と地蔵でやはりここが峠だと分かった。

 

 

 

 

阿弥陀堂(跡)と石仏の数からいって昔はけっこうな人の行き来があったように思うが、一宇村と貞光・半田

結んだ峠も阿弥陀堂が朽ち石仏が傾きかけた寂しげな場所になり、今その昔を偲ぶすべはない。

 

 

 

石仏の前から谷筋へと下って行く。このルートは珍しくほとんどテープがない。谷筋の左岸を踏み跡を辿って

等三角点 赤松 725.4mに向かって下って行く。

 

 

 

最初は涸れていた沢も、下まで来るとチョロチョロと水が流れ始め、途中からは給水の管が集落に向かって続い

ていく。

 

 

すると畑地の跡の石垣が道の左手に現れた。畑跡の中に立つ杉の木の大きさからして、耕作しなくなってもう何

十年にもなるのだろう。

 

 

畑跡を見ながら進んで行くと萱原に飛び出した。ただその先には大きな屋根が見える。寺地の集落では廃屋の周

りはシダで囲まれていたが、ここでは背の高い萱に囲まれている。その萱をかき分けながら進んで行くと廃屋の

軒先に出た。たしかこもれびさんがスタートしてこちらに歩いてきてあった民家だ。その時は住人のおじいさん

にたしか道を尋ねていたが、今は・・・・。

 

 

赤松の集落から続く林道の突き当りにある4・5軒ほどの民家はどこも今は住む人の姿はなく廃屋となっていた。

 

 

 

 

その当時も住人の人たちが眺めていただろう景色は今も変わらず青空の下に広がっている。当時は畑で何を作っ

ていたのだろうか?畑に立つ大木の奥にやっと頭を出した次郎笈。その大木の前の畑も今は萱原となってしまっ

ている。

 

 

 

最終民家から舗装路を車を停めた場所まで下って行く。途中のブロックで囲まれた中は墓じまいを済ませていた。

それを眺めながら、子供たちが県外に出てしまった今他人ごとではないな~と思う。

にし阿波に点在する傾斜地にある集落は200ヶ所近くあるといわれている。その集落も今は住人の高齢化が進み

ほとんどの集落では廃屋が多くみられる。

災害が少なく温暖な平野部で暮らしてきた私たちには、なぜそこに?という疑問が湧いてくるが、これから少し

づつ山歩きを兼ねて色々な場所にある残された集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 

帰りにまた一宇の中学校跡を訪ねてみた。そこは中学校と古見の小学校と幼稚園にもなっていた。地上5階建て

の大きな校舎の横には、また大きな体育館。廃校になる前の子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうだった。

 

 

 

そしてお昼を過ぎてお腹が空いているのを我慢して、今まで一度は寄ってみたいと思った貞光にあるお店でお昼

に。愛想のいいおばあちゃんの応対にほっこりしながら美味しいハンバーグカレーを頂いて帰った。


四国の紅葉は石鎚山から・・・・でもね。

2024年10月11日 | 四国の山

 

 

『今年は彼岸花全然見ないね~』とうちの奥さんと話をしていたら、ここ最近気温が少し

下がり始めて、急にあちらこちらの田んぼの畔で目に付くようになった。

やはり今年の夏はかなりの猛暑だったようで、季節の花も咲く時期がずれてしまっている。

そのせいか10月に入っても今度は紅葉の便りが聞こえてこない。いつもなら石鎚山の紅

葉が10月に入って直ぐにWeb上で目に付くようになるのに・・・・。

そうこの時期はやはり石鎚山の東稜コースを登って南尖峰の色づいた岩肌、そして墓場尾

根、最後は弥山からの天狗岳の彩を見てみたい。

ただ来週は事情があって遠出ができない。その次の週になるとさすがに山頂近くの紅葉は

もう終わっているだろう。そう思って少し早いかもしれないが出かけてみることにした。

あっちゃんには『紅葉はまだかもしれませんが、どうしますか?』と連絡したら、『いい

わよ今回の目的はリベンジだから!』と返事が返ってきた。

そうあっちゃんは前々から、昨年自力で登れなかった南尖峰への最後の岩をロープを使わ

ずに登りたいと言っていたのだ。

『それなら今回はリベンジということで』と今回は紅葉の様子は気にせず出かけてきた。

 

平野部では青空が広がっていたが山間部に入るにつれて少しづつ雲がかかり始めた。UF

Oラインでも周りは薄曇りで、子持ち権現の辺りでは青空が見えて期待感が高まったが、

土小屋に着くと周りは真っ白なガスがかかって、いつもは下の駐車場から見える南尖峰

それこそ雲隠れして全く見えなかった。

 

 

 

それでも天気予報では昼には晴れマークがついていたので、そのうちにと思いながら歩き

始める。駐車場は思っていたよりたくさんの車が停まっていて、これから歩き始めるとい

った感じの人の姿も多くみられた。

土小屋までの道中のアスファルトの路面もずっと濡れていたが、登山道も昨日降った雨が

まだ乾いていなくて濡れている。

途中にある細い丸太でできた木道も濡れていてとても滑りやすい。痛めた膝には転倒が一

番怖いが、それよりもあっちゃんが一昨日から腰を痛めてプチ・ギックリになっているら

しくて『足を滑らせるのが怖い!』と言いながら用心深く歩いている。

何も調子が悪いのならわざわざ出かけなくてもと思うのだが、どうしてもリベンジを果た

して今年中には後味の悪さを払拭したいらしい。

 

第一ベンチからもまだ南尖峰さんはお姿を見せてくれない。

事前にあっちゃんには『遅くまで雨が残りそうなので、足元が悪かったら辛い東稜コース

を登るのはやめて、一般道を歩いて弥山まで行ってそこから南尖峰へ。目的の岩を一旦降

りて登り返すという手立てはどうですか?』と話をしていたが、その肝心の南尖峰が見え

ないのではテンションもイマイチ上がってこない。

 

 

 

 

濡れた丸太の木道も危ういが、濡れた岩も油断大敵。まぁ今日はポンコツ二人、ゆっくり

歩いて行きましょう。

 

第一ベンチまでは鶴ノ子ノ頭の北側を巻くようにして続く道だったが、第一ベンチを過ぎ

ると今度は稜線の南側に続く道になり、南の景色が広がってくる。

頭の上には相変わらずガスが重たくのしかかっていたが、南に見える峰々の上には青空が

広がっているので、まだ望みは捨てきれずにいる。

 

 

 

東稜コースの起点となる第三ベンチには見慣れない看板が立っていた。自然保護の注意喚

起の看板だったが、日本語の看板の横には同じ内容の英語で書かれた看板が立てられてい

た。(もちろん英語は読めるわけではないですが)

 

第三ベンチからは先は天狗岳の北壁の下部を回り込みようにして道が続いて行く。

垂直に近くそそり立つ天狗岳の北壁。谷筋には崩れた大きな岩が転がっている。そのせい

か落石注意の看板も立っている。

 

 

 

土小屋から1時間50分ほどで二ノ鎖元小屋に着いた。

後ろから男女が混じった若者のグループが楽しそうに登ってきた。その中に一人だけ年配

の男性が息を切らせて大変そうにしていた。部活動の団体?と思ったが、あとから三ノ鎖

の上で声をかけて尋ねてみると、会社の同僚と年配の人は上司との事だった。なかなかい

い会社じゃないですか~!

 

 

二ノ鎖元からはスチールの階段が始まる。いつもなら鎖場を登って行くあっちゃんも、今

日のこの天気で濡れた足元の上に腰痛では『行きます!』とは言わなかった。

 

 

 

弥山に着いてすぐ山荘にいるさおりんを訪ねた。天気の様子を尋ねたら『朝はいい感じで

晴れていたのに、今日は北側が晴れてこないと難しそう』と教えてくれた。

それでは『南尖峰まで行って戻ってきてからお昼ご飯をいただきます』と言って山荘を出

た。弥山の広場では腰を下ろして休んでいる人が大勢いたが、やはり天狗岳は薄くそれら

しい形が見える程度だった。

天狗岳への取り付きの手前では『どうしようか・・・』と話し合っている人の姿があった。

それもそのはず、真っ白なガスを吹き上げて北壁から突風がものすごい音をたてて舞い上

がっている。まともにその風を受けたら飛ばされそうなくらいの風で、一瞬恐怖すら感じ

るほどだった。それでも一組だけ取り付きの鎖を降りて行く人がいたので後に続いて我々

も降りて行く。

 

 

 

 

いつもなら前にも後ろにも行列ができ、離合するのに時間がかかったりするのだが、今日

はすれ違う人はほとんどいなくて、すれ違う人がいると『ゆっくりでいいですよ、気を付

けて安全に!』と声をかけあう。

ガスのせいで周りの雰囲気は皆目だが、稜線上の木々はけっこう色づいている。

あっちゃんも恐怖心からなのか腰の痛みからなのか笑顔が引きつっている。

 

 

 

途中でGOPROで動画を撮っているペアとすれ違った。『どちらからですか?』と尋ねると、

『東稜コースを登ってきました』と女性が答えてくれた。『笹滝は大変だったでしょう』

と言うと『もうずぶ濡れでした』と。

後日KINチャンネルさんにはその時の様子の動画がアップされていた。(18分57秒辺り)

 

南尖峰でも吹き上げてくる風は強かった。目印の取り付きに立つ白骨林から下を覗き込む。

その白骨林に安全のために一応ロープをかけて、もう一段下の白骨林まで降りて行く。

後ろからあっちゃんが降りてロープを回収。二つ目の白骨林にまたロープをかけ、まずは

左の(下から見ると右側)斜めの割れ目へと降りて行く。

そこから登り返しで登って行くのだが、けっこうな人が中央からではなくこの右側から登

っているけど、手のかかり足の置き場所を少し考える。リーチがあれば全く問題ないが、

後から来たあっちゃんは『体の大きさが違うから!』と文句を言いながら少し苦戦をして

いた。

 

 

 

それでも問題なく登ってまた二人で一旦降りて、今日のリベンジの目的の中央部へ。

昨年は中央の割れ目の足元が悪くて、右斜め上の岩の割れ目に手が届かずに身体を持ち上

げられなかった。でも今日は足元が埋まってきたのか段差ができて、右手を岩に引掛ける

ことができ、硬い身体を持ち上げることができた。一段上がればあとはスイスイ、ロープ

に頼ることもなく『あれ~こんなに簡単だったんだ』

 

 

 

 

もちろんあっちゃんも右側よりも案外簡単に登ってきた。少し拍子抜けしたが二人でハイ

タッチをしてリベンジ達成を喜んだ。

目標達成した途端に奥様が『お腹が空いた~』と騒ぎ始めたので、さおりんのいる山荘へ

と折り返していく。

それにしても東稜コースを登ってきたわけでもなく、この南尖峰の最後の岩だけを登りに

しかも降りては登るを2回繰り返すという物好きな人はいないだろうなと二人で話をする。

ガスがかかって北壁の高度感はまったく感じないが、やはり吹き上げてくる爆風に慎重に

歩いて行く。

 

 

 

この時期いつもなら順番待ちになる天狗岳も人っ子一人いない。

 

 

 

 

前回歩いた時にはなかったような気がするが、岩には所々で矢印がペンキでぬられている。

植生保護で立ち入り禁止になった場所に入らないように誘導しているのかな?

稜線沿いのドウダンツツジも結構色づいている。

 

 

 

天気が良ければ弥山からの天狗岳の紅葉も、そこそこきれいに見られたんじゃないかな?

なんて考えながら歩いて行く。

 

 

弥山の上には大勢の人影が見えるが、こちらに下りてくる人の姿は見られない。

やはりこの強風では危うさを感じているのだろう。

 

 

 

 

山荘ではさおりんが天狗岳カレーを取り置きしてくれていた。そのカレーを頂く前に、

念願のリベンジ達成を二人で乾杯をする。

普段はおにぎりかインスタントラーメンくらいしか食べない小食には、このカレーとクロ

ワッサンは少々多すぎた。さおりんとあっちゃんと三人で山の話をしながら何とか完食で

きたが、お腹周りの浮き輪がまたひと回り膨らんできた。

 

 

 

 

満腹のお腹を抱えながら山荘を出ると『まだ練習中なの』と言いながら、さおりんと山荘

のメンバーが『出陣式』のほら貝を吹いてくれた。その野太い音を背に受けながら山荘を

あとにする。

 

 

まだ乾ききらぬ丸太の階段や木道を滑らないように必要以上に注意しながら降りて行く。

二ノ鎖元まで降りてくると一人の年配の男性が休んでいた。少し話をすると足が攣って休

んでいるとの事。心配したが今日は山頂の山荘に泊まるとの事なので『お気をつけて』と

言って別れた。毛糸の帽子を被った天狗さんが可愛らしい。

 

 

 

結局天気予報に反して最後まで晴れることはなかったが、北側に少し日が差す瞬間もあっ

た。いつもなら特急列車でスピードを出して降りて行く奥様も、今日はさすがにゆっくり

としたペースで降りている。そのおかげで道の脇や周りの景色がよく見える。

ハチクを大きくしたような木に、赤くなったツタが絡んでいる。

 

 

 

道には黄色や赤の落ち葉が散っているが、登山道の本格的な紅葉はもう少し先だろう。

 

 

 

土小屋をスタートして6時間強で戻ってきた。天狗岳の紅葉は恐らくこの週末が見ごろだ

ろう。その時はこの駐車場には停めきれない車が路肩にも溢れているだろう。

リベンジが目的で紅葉は二の次といったものの、やはり弥山から真っ赤に染まった天狗岳

を眺めて見たかったと欲が出てきたのだった。

いつになく対向車の少ない瓶ケ森林道を車を走らせ帰路についた。


Blowin' in the Wind 風に吹かれて塔丸

2024年09月19日 | 四国の山

 

先週計画していた塔丸。お昼前後の天気予報が怪しかったので予定を変更して里山歩きを

したら、これがバテバテの熱中症寸前で暑さにやられてしまった。しかもずっと蜘蛛の巣

に悩まされて、安易に考えたのが間違いだった。

そうこうしているうちに土曜日にエントツ山さんreikoさんらがサクッと歩いていた。

ルートは往復ではなく山頂から名頃へ下っての縦走で、少し雨にも降られて急な下り坂に

女性陣が苦戦している様子だった。

里山の暑さや虫たちからは解放されて、とにかく稜線に吹き上げてくる爽やかな風の中を

快適に歩きたいと思って、今日も昼過ぎから少し下り気味の天気予報だったが、早めにス

タートすれば問題ないと考えて出かけてきた。

ちょうど8時に登山口に着いたらもうすでに何台もの車が停まっていた。

登山口の道標には『塔の丸』と書かれているが、地形図には『塔丸』と載っている。山頂

の三角点も『塔丸』と表記されているが、個人的には『塔ノ丸』がシュッとしていていい

のになんて、どうでもいい事を考えながら歩き始める。

 

 

登山口からは、ダケカンバやウラジロモミの自然林の中を緩やかに登って行く。

この林の中の道、不思議と鳥の鳴く声も一切なく、遠く上空を飛んでいるジェット機の音

と、自身の足音と吐く息の音が聞こえてくるだけの静かな静かな道。あ!そう言えば先週

に続いて今日も奥様たちのいない独り歩きだった。

 

 

 

 

しばらくすると道はトラバース道になり、一カ所だけザレた場所を通過する。(以前より

は随分と歩きやすくなっていた)

 

 

左手に木々の間から明るい日差しが差し込み、稜線の奥にチラチラと太郎さんと次郎さん

の姿が見え始めると、間もなく尾根に出た。

 

尾根に出てもしばらくは低木の木々の間を歩いて行く。すると今度は木々の間からはっき

りと太郎・次郎さんの姿が目に飛び込んできた。

 

東塔丸の三角点辺りからは樹林帯から笹尾根へと変わり、遠く塔丸山頂、そして少し雲の

かかった三嶺の姿が望めた。

 

 

暫くは道の両側は萱原だったが、このルートのシンボルの白い巨岩を過ぎると周りはいよ

いよ笹原尾根になる。すると前を一戸団体のグループが歩いていた。CLとSLを男性が、

その間に女性陣。どこかの山の会だろうか?軽く挨拶をして先に行かせてもらう。

 

 

笹原尾根になると樹林帯ではなかった風が吹いてきた。歌詞の内容は少し難しそうだが、

とにかくBlowin' in the Windのメロディが頭の中に流れてきた。そのメロディに合わせた

わけではないが、気持ちよさそうにススキの穂が揺れている。

 

 

北側を見ると白骨林の向こうに一字の大宗・赤松の天空の集落が見える。ここから見ると

かなり上の方まで集落があるのが見て取れる。高低差500m、1k㎡にわたって広がる

国内でも最大の山岳斜面集落だ。

 

しばらく歩くと尾根の右手に剥皮の被害にあった一本の木。一瞬『クマ?』と思ったが、

この辺りでクマが出た話はつい聞いたことがない。シカによる角こすりだろうか?

 

足元には小さなリンドウがあちらこちらで咲いていた。この花を見るとやはりそろそろ夏

が終わる・・・・そんな気持ちになる。稜線上には時折大岩が転がっている。先ほどの白

い巨岩とはまた色の違う岩がゴロゴロ。

 

 

 

この稜線は笹原と岩と白骨林、そして今の時期は揺れるススキの穂。先週の顔にまとわり

つく蜘蛛の巣ロードとは雲泥の差。イメージ通りの風に吹かれて快適な笹原ロード!

リンドウと共に対照的な色をしたアキノキリンソウもけっこう目に付く。

 

 

 

 

 

次第に山頂部だけが笹原の塔丸が近づいてきた。北側には矢筈山から寒峰への稜線もくっ

きりと見えている。以前歩いた時は天気が悪く見通しが効かなかったので、この間の小ピ

ークを塔丸山頂だと何回か勘違いしてその度『偽ピークに騙された~!』と声をあげてい

たが、今日はこの天気だ山肌の違う塔丸山頂を間違えることはない。

 

 

 

 

山頂の手前にあるワンワン岩を過ぎ、低木の樹林帯を登りつめると 三等三角点 塔丸

1713.01m。 山頂標の文字は消えかかっている。すぐ横にいた男性が『マジック持って

きて塗らんといかんな~』と。

すると別の男性から『ウメバチソウを見なかったですか?』と尋ねられた、この山頂から

二つほど手前の小ピークの岩を指さし、『去年はあの岩の辺りにたくさん咲いていたのに、

今日はまったく見当たらないんです』と。『花音痴の私に・・・?』と思ったが、どうや

ら一眼レフカメラを肩から下げていたので、花好きだと思われたのかもしれない。

残念だったが『ちょっと分からないですね~』としか答えられなかった。

 

 

 

山頂から三嶺はすぐ目の前だが、残念雲がかかって顔を覗かせてくれていない。

取りあえず山名標で写真を撮り、南の平らな岩に腰掛けてチュロスと水筒に入れたカフェ

オレで軽食。途中で追い越したグループはまだ到着していなくて、名頃のダムを見下ろし

ながら静かな山頂でまったりとした時間を過ごす。

剣山から三嶺の稜線には雲がかかり始めていた。天気も気になってきたが、朝来た時にス

キー場跡から先が舗装工事のためも時間通行止めになっていた。時間通行止めはどこでも

そうだが、1時間の内10分しか通行できないので、通行止めの時間に引っ掛かると50

分時間をつぶすことになる。ただお昼休みは1時間あるのでその時間を狙って行けば、通

過するのに時間の余裕がある。時間はまだ10時過ぎなので最後にゴクリとカフェオレを

飲んで腰をあげる。

 

 

 

 

 

山頂直下の樹林帯では剣山やこの山域でも多く見られる、鹿の食害防止のネットで木の幹

が囲われている。

一旦鞍部まで降り小ピークへと登り返す。相変わらず気持ちよさそうにススキの穂が揺れ

ている。

 

 

 

小ピークからはまた快適な笹原歩きが始まる。1682mの標高点を過ぎ、二つ目の小ピ

ークを過ぎた辺りで昨年秋に小島峠から周回した時に下った場所に出た。ルート的にはま

だ先の地形図に載っている町境から下るのだが、前回はショートカットでこの斜面をトラ

バースした。

 

 

地形図の町境の分岐にはよ~く見ると背の低い白骨林に赤テープが巻いてあった。

 

 

 

登山口には12時過ぎても時間通行止めのお昼休みには十分間に合う。天気も意外ともち

そうで丸笹山に並んで剣山次郎笈の雲も流れてしまっていた。

気持ちのいい笹原をのんびりゆっくりと戻って行く。途中の岩の上で一眼レフを三脚に固

定して初めて動画を撮ってみる。

 

 

 

 

 

カメラの設定がまだまだよく分かっていなくて、小さい花を写すのがなかなか難しい。

 

 

振り返るといつの間にか三嶺も顔を出していた。

 

 

笹原が終わり樹林帯に入る。時間的に余裕があるので往路とは違う尾根筋を歩くことにす

る。以前にREIKOさんが歩いたレポートを見た記憶があり、今回エントツ山さんは往路で

他の人たちと分かれて独りで歩いていた。

YAMAPでは道外れの警告がしきりにアップしてくるが、尾根はしっかりとした踏み跡

というかちゃんとした登山道になっていた。

 

 

 

途中尾根の左手は窪地が続いていて、何カ所もの大きなヌタ場になっていた。テープも時

々巻かれているが、境界杭も続いているし道もしっかりしているので必要なのかななんて

思いながら歩いて行く。

 

 

 

 

尾根道に入ってから35分ほどで夫婦池から続く舗装路が正面に見えた。

この道を選んだのは時間的なこともあったが、もう一つは登山口からラフォーレつるぎ山

との間の線を繋げるためもでもあった。

これで丸笹山山頂から見ノ越トンネルの上まで繋ぎ、塔丸山頂から名頃まで繋いだら、ぐ

るっと剣山・三嶺・塔丸・丸笹山の周回ルートが完成する。

 

 

 

尾根道から降りて国道へと出て舗装路をラフォーレつるぎ山へと歩いて行く。これで一応

塔丸、丸笹山間はつながったことになる。

木々に囲まれた夫婦池は風もなく、湖面に青空を映し出していた。

 

 

 

 

 

予定通り舗装工事の時間通行止めを難なくクリアして、次の目的地の天磐戸神社へと向か

う。第一ヘアピンカーブを過ぎて案内板の立つ脇道へと国道から入って行く。

一軒だけあった民家を過ぎると道は少し荒れ始めたが、10分ほどで鳥居の前に着いた。

 

 

不整形な崩れかかった石段を登り拝殿を参拝した後、左奥にある案内版に沿って登って行

くと、次第に周りの景色も何となく霊気を帯びてきたような気がした。

 

 

 

すると石灯篭の先に、三頭峠にもあった猿田彦大神天字受売命の石像が立っていた。

三頭峠のものとは違い、猿田彦大神の鼻はお折れずに長く、天字受売命の胸は開けていな

かった。

 

 

 

二体の石像からさらに上へと登って行くと以前に神楽を舞っていた広く平らな神楽石。そ

してさらに上に石段が続き大岩の下に祠が祭られていた。その祠の奥は大きな洞窟が続い

ていた。この中に天照大神が隠れ籠ったのか?そしてすぐ下の神楽石の上で天字受売命が

上半身裸で踊ったのだろうか?

 

 

 

 

 

天磐戸神社をあとに今日の次の目的地の一字の高根資料館へ立ち寄る。駐車場には車が3

台停まっていて停められず、すぐ下の一字中学校跡の入り口に停める。いつも見ノ越に向

かう途中で見る校舎は5階建て地下一階の大きな校舎だった。高松市内の中学校でもなか

なか見られない大きさで、こんな山間部で当時は学生たちで賑わっていた風景が目に浮か

んでくる。

最近急に興味を持ちだした剣山のアーク伝説の資料が展示されている高根資料館では、住

職が違う部屋で別の方に説明しているらしくて、代わりに奥さんが少し説明をしてくれた。

次は粟飯原住職の話を是非聞いてみたい。

 

 

 

その資料館の坂の上からは向かいに塔丸から見えた、大宗・赤松の集落が見えた。

天空の集落とは果たして・・・・?そう思ってついでに車を走らせた。

集落の坂道をどんどん登って行く。まだ裾野の赤松の集落には住む人の姿は見られたが、

最上部に近い大宗の集落にある民家は、ほとんどが廃屋になってきていた。

かつてはどれほどの人の暮らしがここにあったのだろう。今も残る立派な石積みだけがそ

の当時の旺盛を物語っている。

 

 

 

 

 

 

おそらくその当時の人も眺めていたであろう南に広がる風景の中に、遠く稜線の奥に次郎

笈が見えた。板金で覆われていた茅葺の大きな屋根も、人が住まわなくなると痛み方が激

しい。この大宗の集落だけでなく徳島の山間部の集落は同じような道を辿りつつある。

少し南にある十家の集落は、車道がなくモノレールだけが荷物を運ぶ手段で、道を歩けば

小一時間かかるという不便な場所に今はもうすでに一人しか住んでいないという。

何故?そんな場所に・・・と思うのだが、住んでいる人にとっては・・・・。そんな話を

是非一度聞いてみたいと思い、また次は十家の集落を訪ねてみたいと思う。

 

 

 


涼風求めて四国カルストの高原へ!

2024年09月05日 | 四国の山


ここ2週間はあまり昇り降りのない場所を選んで散策してきたが、相変わらず

膝の調子は代り映えがしない。無理ができないのを察してか奥様たちから負担

の少ない四国カルストで花散策はどうですかと連絡が入った。四国カルストの

天狗ノ森なら高低差も250m位歩行距離もさほどでもない。ただ車での移動

距離と時間に今まで二の足を踏んでいた場所だった。

それでもYAMAPでアカリプタさんがアップしている活動日記にはたくさん

の花と四国らしからぬ雄大な風景写真が載っていて、奥様たちは花、私はカル

スト台地に魅了され、出かけることにした。

四国カルストはずいぶん昔に友人と二人で『四万十川源流』を訪ねて車で走っ

た際に、キャンプ場でテント泊して以来だった。その時は四万十市(旧中村

市)からスタートして四万十川に沿って遡上して行ったが、今回はGooglMap

で調べると、須崎市から西に国道を197号線を走って行くルートが出てきた

。そのルートを辿って確認していくと、途中で『白龍湖』なるポイントが目に

付いた。そのポイントをクリックして出てきた写真には、少し怪しげだが透明

度抜群の小さな湖の写真が何枚も出てきた。一応立ち寄り場所としてチェック

して家を出た。

高速を須崎で降りて津野町に向かう国道197号線へ右折する交差点の『道の

駅かわうその里すさき』でトイレ休憩。すると交差点に葬祭場の『〇〇家ご葬

儀会場』と書かれた看板が立っていた。その〇〇家の苗字見て、須崎市の近く

に居る大学時代の同級生を思い出した。その時は須崎市には〇〇と云う苗字が

多いのかな?と思っただけだった・・・・・が。

トイレ休憩を終えて197号線を西に走ると直ぐに道の両側にたくさんのビニ

ールハウスが並んでいた。後ろの座席で奥様たちが『何のビニールハウスだろ

うか?』と話しているがはっきりとした答えがでない。(帰って調べてみると

須崎市はミョウガの栽培は全国一の販売額になっているそうなので、ミョウガ

かな?)

国道は新荘川に沿って続いて行くが、途中津野町で北に国道439号線(ヨサ

ク)を今度は北川に沿って走って行く。すると途中のポイントにしていた大き

な目印が目に飛び込んできた。巨大な竜のオブジェと与作と名付けられた狸の

像。これらの像の横を通って中に入って行く。白龍湖は津野町で建設業を営む

野波さんが、『家族や地域の方の憩いの場所になれば』と私有地の天然の淵を

整備して作り上げた人工の湖だそうだ。




入り口で協力金を箱の中に入れて進んで行く。河原に続く砂利道を下って行く

と、眼下に写真で見た通りの透き通った小さな湖が見えた。



そのまま下って行き、矢印の道標に沿って歩いて行くと、湖のちょうど真ん中

にベルトコンベアの廃材で造られた橋が架かっていた。






石灰岩を多く含んだ地質と太陽の光の関係で水がより青く見えるそうだが、湖

の中を覗くと、結構ふくよかな鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。





湖の深さはさほどではないが、それでも底まで透き通って見える。












仁淀ブルーのにこ淵は大勢の観光客で賑わっているけれど、この白龍湖はほと

んど知られていないのが不思議なくらいとても素敵な場所だった。またまだほ

とんど観光化されていないのがかえっていいのかもしれない。






白龍湖をあとにして国道をさらに北上。途中、郷内の集落から県道に入って次

第に標高をあげていく。クネクネした道になった途端に後ろの座席のあっちゃ

んが目を閉じ黙っている。いつものように車酔いが始まったか?

それでも20分ほどでなんとかやり過ごして『星ふるヴィレッジTENGU』の

駐車場に着いた。駐車場は施設が休みのせいか数台停まっているだけで閑散と

していた。






駐車場の奥にある天狗高原キャンプ場からスタートする。キャンプ場の真新し

い綺麗なトイレの横を通り、最後のコテージの脇を抜け展望休憩所のデッキを

過ぎると自然林の中の道になる。





林床は笹だったが、道の脇には小さな草花があちらこちらで咲いていた。

奥様たちは事前にアカリプタさんの活動日記にあげている花の写真を見て勉強

してきたと仰るが、その割には花の名前が全く出てこないので、ネットで調べ

る有様。









天狗ノ森の尾根に乗っかると左に折れて行った先に見晴らしのいい場所があっ

た。少し木々に遮られてはいるものの、天狗高原の緑の草原と白い岩肌の石灰

岩が見えた。




見晴台から引き返して尾根を道標に従って進んで行くと、今度は道の南北が開

けた場所に出た。少し岩場になった場所。前から歩いてきたご夫婦とすれ違い

ざまに少し話をする。道の脇の岩の上にヒョイと上がって北を見ると、遠くに

天空の赤鳥居のある中津山が見えた。振り向いて南を見るがこの辺りは全く土

地勘もなく見える峰々の山の名前が分からない。山頂近くが三角になった山は

不入山だろうか?








この辺りから石灰岩の露岩が目立つようになってきた。長年の水による溶解や

風化で、岩の形は複雑になっている。







しばらく歩いて行くと天狗ノ森の山頂に着いた。三等三角点 栂山 1484.87

m。ここで一旦行動食を口に入れたあと、折り返して途中にあった分岐まで戻

る。




道の脇からは石灰岩の露天掘りとしては日本一の産出量を誇る鳥形山の鉱山が

見えた。この鉱山、航空写真で見てみると東西はこちらの四国カルスト並みの

距離があるのが分かる。そして南北の幅はかなりの幅で、とてつもない広さだ

というのがよく分る。






分岐からは東に天狗ノ森の山頂の下を通って下って行くようになるが、地形図

では山頂から東で破線が続いていて、この道は表記されていない。ただその割

にはしっかりとした登山道になっていた。しばらくは道の所々で異形の石灰岩

の露岩がある。






東に向かっていた道が西に振ると樹林帯の中の道になり、周りの景色も変わっ

てきた。林床の笹原の中に続く道はきれいに整備され、山頂までの尾根の道と

はまた違ったとてもいい雰囲気の道だった。










道は地形図にも載っているセラピーロードに合流した後、西に向かって駐車場

まで続いている。途中でロープの張られた場所があり、『ひょっとして?』と

思って見てみると、活動日記にも載っていたキレンゲショウマの咲く場所だっ

た。

残念なことにすでに花は終わっていたが、道の反対側に一輪だけ残ってなんと

か咲いていた。




さらにその先では四国のみちの道標が目に付くようになり、足元はヒノキのチ

ップが敷かれていた。全国に30カ所ある『森林セラピー基地』の中で標高が

1,300mという最も高い位置にあるセラピーロード。木漏れ日の差す中気持ち

よく歩いて行く。




尾根の分岐からセラピーロードに出て、そこから45分ほどでキャンプ場まで

戻ってきた。スタート時点と比べると駐車場の車の台数は増え、若い人たちが

南に広がる景色を写真に撮ったりしていた。車の横でザックを下ろして昼食に

する。

昨日会社の帰りにマルナカによって、さてさて何も食べようかと考えて、塩塚

高原であっちゃんがインスタントの焼きそばを買ってきたのを思い出した。今

回も高原。高原つながりで焼きそばもありだと思って買ってきたら、横であっ

ちゃんがザックから取り出したのが同じ『一平ちゃん夜店の焼きそば』だっ

た。その横でルリちゃんは冷やしたうどんを食べている。







昼食の後は車で移動して先ずは天狗高原、そして五段高原を走って行く。

緑の草原に白い石灰岩が転がる中を、黒い牛たちが草を食んでいる牧歌的な

風景が続いていく。道の所々で脇に車を停めて観光客がこの景色を写真に収

めて楽しんでいる。







今日二つ目の三角点となる五段城の山頂へは、GoogleMapでちょうど『四国

カルスト』とポイントの付いた場所から登って行く。

路肩が広くなった場所に車を停めて、道の北側の鉄条網と鉄条網の間に尾根

道が続いている。





道沿いにはシコクフウロがそこかしこに咲いていた。そしてあちこちに油断

すると踏んずけそうになる大きな大きな黒い糞。ただその形からして牛さん

のではなさそうだが、果たして誰の?







山頂にはゆっくり歩いて15分ほどで着いた。大きな山頂標の文字は消えかか

っていたが、その前で『ハイ、ポーズ!』  二等三角点 丸山 1455.66m








本当は雲一つない青空を期待していたが、雲が日差しを遮ってくれてかえって

ほとんど汗をかくことなく涼しく歩けてこれはこれで良かった。







車を停めた場所まで戻り、近くに居た牛さんを見物しに歩いて行く。牛さんは

人なれしているのか、すぐ横まで近づいても逃げようとせず、少し腰のあたり

を触るとしっぽを振って叩かれた。





今日の目標の三角点とYAMAPの山頂ポイント二つをゲットした後は、次の

奥様たちの目標はソフトクリームのゲット。車を高原の中さらに西に走らせて

姫鶴荘の横のキッチンカーで目標達成!








帰り道は少しだけ遠回りして、今度は私のリクエストの梼原町の隈研吾の建築

物見学。雲の上の図書館と雲の上のギャラリーで日本建築の木組みの美しさを

再確認した。









その後最後に気になった所へ寄り道するのを奥様たちの了解を得て車を走らせ

た。朝須崎市で葬儀社の案内板で思い出した、市の隣町にある同級生のお店だ。

須崎市からすぐ5分ほどで着いたお店は、以前来た時と比べると店舗は縮小し

ていて、中に入って『〇〇さんいらっしゃいますか?』と店員さんに声をかけ

た。すると店の奥から出てきた同級生。『ちょうど良かった今葬式から帰って

きたところや』と。『誰の?』と聞くと『親父の葬式だった』と答えた。

『そうか朝見た葬儀社の案内看板は同級生の親父の葬式だったんだ』

いつもは明るく元気はつらつな子だったが、やはり少しお疲れ気味の様子だっ

た。しばらく店内を案内してもらい、奥様たちは買い物を済ませて店を出た。


家から片道3時間30分、やはりけっこう遠かった四国カルスト。いつもに比

べると山歩きの時間は短かったが、途中や帰り道にあちこち寄り道をしたの

で、家に着く頃は既に陽が落ち夕闇が迫っていた。久しぶりにたっぷりと遊ん

だ一日だった。



今日見た花たち




まさかの中三日でまた岳人の森へ!

2024年08月08日 | 四国の山

先週土曜日に独りで剣山のキレンゲショウマと岳人の森のレンゲショウマを堪能したら、

奥様たちから『私たちも見たかった』と。『では、今週はどうしますか?』と尋ねたら、

『レンゲショウマは是非見てみたいけれど、キレンゲショウマも捨てがたい』と迷って

いる様子だった。ただ先週と同じように剣山から岳人の森への移動は、距離にして50

km、そしてほとんどがクネクネ道になるので、車酔いするあっちゃんは二つを見るのは

諦めて岳人の森でレンゲショウマを見ることになった。『それなら近場の雲早山でも登り

ますか?』と相成った。


この山域に出かけるときの定番になっている山川町の『美郷物産館』の駐車場に集合し、

そこから一台でまずは土須峠へと車を走らせる。前回岳人の森のヒメシャガを見に行っ

た時は、山川町から神山町に入る手前の倉羅峠で既にあっちゃんは酔死していたので、

今日は車の窓を全開にして、出来るだけカーブではスピードを落として運転していたが、

それでも後ろの座席は静まり返っていた。

先週は剣山の登山道の真ん中で見たが、今日は国道の真ん中で立ち止まっていたバンビ

ちゃん。しばらくして逃げていく後ろ姿。




雲早トンネルを抜けて左折して剣山スーパー林道に入る。昨年独りで来た時はまだ林道

の途中が崩落していて通行止めになっていた。その時あったゲートは取り払われ、今日

は登山口まで車で行けるようになっていたが、路面の状態が分からないので曲がって直

ぐの路肩が広くなった場所に車を停める。その路肩の端には見覚えのある電力の保線路

の番号杭があった。

十年近く前にシャクナゲ尾根への下り口から、さらに西に下って鉄塔に沿って周回して

最後に沢から登ってきた場所だった。その時のことを奥様たちに話をすると、二人の目

が輝いた。『今日もそのコースを歩いてみましょう!』と。







駐車した場所からスーパー林道を登山口まで歩いて行く。平日にもかかわらず何台もの

バイクとすれ違う。さすが国内でも人気の林道だ。








土砂捨て場で広場になった場所からはいつもなら高城山が見えるのだが、今日は雲がか

かって目印のレーダー雨量測候所も見えない。

林道の崩落個所はきれいに復旧されていた。崩落個所までは復旧工事で工事車両が通って

いた事もあって路面の状態は良かったが、そこから先は角ばった石がゴロゴロし始めてい

た。やはりトンネル近くで車を停めて正解だった。













道が那賀町から神山町に入ると山側に見覚えのある車のホイールキャップが置いてあった。

この場所がシャクナゲ尾根への取り付きになる。ここから少し進むと雲早山の登山口。







鳥居を潜って少しだけ急登を登ると、あとは沢沿いの道になる。眩しく光る木々の緑の

中を、流れる沢の水が涼しげな風を運んでくる。この真夏の酷暑の下界では考えられな

い快適さだ。

















作業小屋跡まで来るとその沢からも離れていく。以前は広場になっていた場所も今はほと

んどその面影がないが、カツラの大木だけは今も健在だ。

ここからは方角を変えて東に谷筋を登って行く。周りにはまだつぼみにもなっていないシ

コクブシがそこらじゅうで葉を広げていた。













谷筋についた道は正面に明るく見える稜線の手前で、また南東に振って続いて行く。九十

九折れの道をやり過ごすと道の脇が苔岩の斜面になる。














苔庭からはすぐにパラボラの道標のある高丸山との分岐に出た。『ここから熟達者は高丸

山を往復するんですよ』『また途中から北に行くと菖蒲権現から大川原高原への稜線にな

ります』と説明すると、『そしたら線を繋げていけるのね』とあっちゃん。『あんた繋げ

ることしか頭にないのね』とルリちゃん。










木々がまばらで晴れていたら日差しが照り付ける山頂までの稜線も、今日は時々ガスが

流れて予想以上に暑くはない。








山頂からは相変わらず高城山の測候所は見えなかったか、南東の高丸山までの稜線は雲

に隠されることなく見ることができた。時間は11時だったが、誰かがうるさくなる前

にお昼ご飯にすることにした。

腰掛け各々お弁当を広げると、まるで避暑地にでもいるように、心地よい涼しい風が吹

いてきた。家にいるときとは雲泥の差だ。
















お昼を食べた後はまずはシャクナゲ尾根への道を下って行く。尾根から以前はなかった

小さな道標から下って行くと、しばらくは踏み跡も分かりづらい広々とした斜面だった

が、次第に踏み跡の残る尾根へと変わって行く。











途中からは今まで見えなかった高城山の測候所や北には岳人の森が見えた。
















自然林の雰囲気のいい支尾根の道。地形図では町境の線が北に折れている場所からがシ

ャクナゲ尾根になる。
















今日はここからさらに西へと下って行く。地形図で支尾根が分かれた場所では、傾いた境

界石杭から右手に進んで行く。













するとすぐにシャクナゲの群生が現れた。シャクナゲ尾根と比べるとその規模は小さい

が、開花の時期は見ごたえのありそうな尾根だ。











シャクナゲ尾根を過ぎても色々と変わり種のある尾根だった。暑苦しくまとわりつくヒメ

シャラの木や、本宮山のクジラ岩を小さくしたようなミニクジラ岩。そして何やら怪しげ

なほっかむりをした奥様と、枚挙にいとまがなく楽しめる。











調子よく世間話をしながら下って行く奥様たち。その姿を見て一抹の不安がよぎる。さ

っそくYAMAPのルート図を見てみると、案の定北に折れる場所を通り過ぎていた。

あわてて奥様たちを呼び止めて引き返す。ルート図に乗っている分岐の場所まで戻ると、

ちゃんと赤テープが何本も巻かれていた。











ここからは急坂が続いて行く。シャクナゲ尾根も急坂だった、それでもシャクナゲの根

や木があってゆっくりと下って行くことができたが、このルートは木から木へと掴まり

ながら飛び移り、何とかスピードを落として降りていく。ただその度に踏ん張るので膝

の痛みが酷くなる。











奥様たちはリズムよくスピードに乗って降りていくのでどんどん離されていく。自然林

から杉林になっても相変わらず急な坂は続いて行く。するとルリちゃんから『鉄塔よ!』

と声があがった。











広場の鉄塔は陰平線38番鉄塔だった。ここから釜ケ谷川を越えて車を停めたスーパー

林道の上を電線は続いていた。以前に歩いた時は尾根から36番鉄塔に出たとブログに

書いてあったので、前回は今下ってきたルートとはまた別のルートを下ったようだった。

鉄塔の横でルリちゃんが『林道に停めた車が見えるわよ』と言っているが、立ち止まる

とジンジンと膝の痛みが酷くなる。とにかく下りの坂を早く終わらせたいので先に釜ケ

谷川へと続く保線路を下って行く。







杉林の中の九十九折れ道を下って行くと見覚えのある鉄橋が釜ケ谷川に架かっていた。








ただ記憶は曖昧なもので、一カ所だけだと思っていた橋は合計3カ所あった。帰ってそ

の時のブログを読み返してみると、ちゃんと3カ所渡ったと書いていた。










三つ目の古い橋を渡ると車を停めた場所までの最後の急登になる。距離は短いがその斜

度はかなりのもので、前を行く奥様たちが頭の上を歩いているように見える。

時間にしたら僅かだったが、大汗を掻きながら何とか登りきると愛車の真後ろに出た。




















この後汗を掻いた服を奥様たちも着替えるというので、私は車を停めた一つ先の場所ま

で移動して、『あっちで着替えるので、着替えが終わったら声をかけてくださいね』と

言って、次のカーブの路肩が広くなった場所で着替えをする。

上着を脱いでショーツを脱ぎ、着圧タイツを膝まで降ろして座り込もうとした瞬間に、

前方のカーブを車が曲がってきた。着圧タイツの下は下着は履いていなくてフ〇チン

状態。着圧タイツで身動きが取れずに、上半身と膝まで丸裸の状態で慌てて股間を手

で隠したが、時すでに遅し車は目の前を走り去って行った。

車の運転手の身になったら、山の中の道の脇で裸のおっさんがいたら、さぞかし驚いた

ことだろう。かと言う私もこれほど恥ずかしいことは今までなかった。

『着替え終わりました!』と声がしたので、車まで戻ってその話をすると二人は笑い転げ

ていた。



岳人の森までの車中もその話で盛り上がり、『ひょっと観月茶屋にさっきの車の人がい

たらどうしよう?』と話をすると、また一段と笑い声が車内に響いた。

観月茶屋は営業時間が終わっていたので、開いた窓から『すみません!』と声をかける。

出てきた充さんに、『入場したいので!』と言って入場料を払う。

先週の土曜日と同じように上のキャンプ場まで車で行って、同じように順路通りに歩い

て行く。以下は岳人の森の花たち

ヤマシャクヤクの実


ヒオウギ


ウバユリ


キレンゲショウマ


キツネノカミソリ



ここからがお目当てのレンゲショウマ!







ゆら~りゆらゆら











周りの花に見える白と薄紫のグラデーションはガク








ニッコウキスゲ




ひととき『森の妖精』を眺めた後、岳人の森をあとにする。沢沿いの水の流れと尾根で

はガスが流れて終始涼しかった雲早山。そんな避暑をあとにいっぺんに暑さのなかの現

実に戻され家路につく。








初めて見るレンゲショウマ。とその前に・・・。

2024年08月04日 | 四国の山
ここ最近YAMAPの活動日記で目に付いたレンゲショウマ。初めて見る『森の妖精』

と呼ばれる姿は、今にも折れそうな細い茎の先に、割と肉厚な白に薄紫のガクが透明感

があって、可愛らしすぎて一目ぼれしてしまった。

活動日記では少し前から見頃と書かれていたので、そろそろもう終わりかなと思って出

かけてきた。ただどうせならこの時期に訪問する剣山のキレンゲショウマも見てみたい

と思い、剣山から岳人の森への計画をたてた。


剣山の見ノ越から岳人の森までは約50km。移動時間にして1時間以上はかかるので

少し早めに家を出た。7時30前には見ノ越に着いたが、さすがこの時期のしかも土曜

日の剣山。観光バスが停まり、第一駐車場の日陰になる1階はすでに満車の状態だった。

身支度を済ませて劔神社への石段へと向かう途中で、お腹がグルグルなった。何か変な

ものを食べたわけでもないのに、昨日の夜中に二度ほどトイレに立った。その続きだろ

うか、建て替えできれいになったトイレを初めて利用した。


劔神社の石段には例大祭で飾られていた提灯は下ろされ、いつも見る石段になっていた。

まずは神社にお参りして登山口から取り付いて行く。







拝殿の前の花手水鉢のアジサイもこのところ続く暑さのせいか少し枯れ始めていた。た

だし暑さといっても下界と比べると快適そのもの気温だ。







普段は9時から運行しているリフトも、今月は8時から営業を開始していて、登山道の

トンネルを通る頃には、ザックを膝の上に載せて腰掛けている人たちが登って行ってい

た。後ろから来た細身の男性はあっという間に私を抜き去り、すぐに見えなくなってし

まった。










月曜の会食に始まって、火曜からの3日間の出張でほぼ呑みの夜だった今週。そのせい

か身体が重い。いつもなら焦ることもないこのコースだけれど、今日は下山後に移動し

なければならない。気がせくわけではないが歩くペースが気になる。











いつもの定点観測の場所からはガスが流れて雲海荘を隠してしまっていた。西島駅まで

来ると次々とリフトから降りてくる人の姿があった。剣山山頂と同じように、正面に見

える三嶺にも雲がかかっていた。













その右手に見える塔ノ丸の緩やかな南斜面には、雲の影が映し出されてまるでホルスタ

インの背中の模様のように見えた。丸笹山山頂近くの笹原は陽が当たって輝いている。







リフトの降り口の横を通り、まずは刀掛けの松へと登って行く。今までほとんど目に入

らなかった小さな花たちが足元に目立つようになってきた。













刀掛けの松のベンチでは親子連れが腰掛け休んでいた。その4人の前を通って行場へと足

を運ぶ。足元は登山道のよりさらに白い石灰岩が目立ち始める。







途中の鶴の舞の手前にはネットで囲んで保護したお花畑がある。














不動の岩屋の下を通り、鎖場を横目に見て進んで行くと、お目当てのキレンゲショウマ

が咲いていた。








すると下から登ってくる男女。どこかで・・・・と思ってみていたら、石鎚の山女?の

さおりんさんだった。今日は石鎚山荘のスタッフと一緒に来ているそうだ。『これから奥

槍戸へ行く予定です』というので、『私は山頂へ登ったあと岳人の森へレンゲショウマを

初めて見に行きます』と話をする。すると『リフトの下にも咲いていましたよ!』と。

絶滅危惧種と聞いていたのに、この剣山でも咲いているなんて・・・・。

さおりんには『また秋に石鎚山に行きますね』と言って別れた。













鎖場の下から両剣神社が見える辺りまで下って折り返す。キレンゲショウマの周りには

先週、皿ケ嶺で見たギンバイソウとツルギハナウドも咲いていた。











登山道の脇から不動の岩屋へと登って行くと、岩屋の奥からは冷気が漂ってきた。覗き

込むとはしごの下から勢いよく流れる水の音が聞こえてきた。














岩屋の横から山頂への道に取り付くと、ロープがかかり木の根が縦横無尽に走る階段状

の急坂になる。太い木の根のアーチを潜り登って行くと、岩屋の岸壁の上部に出る。そ

こからは笹の道。前回歩いた時よりも笹は刈りはらわれて歩きやすくなっていたが、道

の上に残された笹が、枯れて乾いて滑りやすくなっていた。
















笹の斜面も九十九折れの急登が続いて行く。それでも樹林帯の日陰のお陰で何とか少しづ

つでも登っていけた。そのうちに刀掛けの松からの道との合流点と雲海荘が見えた。あと

少しで山頂だ!








宝蔵石神社の前は大勢の人で賑わっていた。神社では輪くぐり神事が行われていたので、

鳥居の下の輪を潜ってお参りをする、『これで魔除と昇運はバッチリ!』と思っていたら、

お参りを終えた後に見た張り紙には『八の字を描きながら巡る』と書いてあった。

普段から取説をちゃんと読まずに後で後悔する性格がここでも・・・・。





平家の馬場の木道では、雲がかかって涼しい風が吹いていた。山頂から見る次郎笈への

稜線に雲の隙間から陽が当たり、周りの笹の若々しい緑を浮かびあがらせていた。

いつ見ても見飽きない素晴らしい眺望だ。
















山頂から西のテラスへ移動する。今日はキレンゲショウマとは別に、ぜひ見ておきたい

ものがあった。西のテラスの少し下にあるという鶴岩と亀岩だ。ソロモンの秘宝の伝説

と関わりの深い鶴岩と亀岩。以前から二つの岩の存在は知っていたけれどその場所がイ

マイチ分からなかったが、ネットで調べていく内にこの西のテラスの下の二つの岩がそ

うだろうということだった。

テラスに上がって直ぐに段差の少ない場所から北側の笹原に下りる。踏み跡を辿って行

くと以前は登山道だったのか、朽ちかけた小さな道標があった。その道標が示す方向と

は反対に踏み跡を降りていくと、目的の鶴岩と亀岩があった。果たしてこの二つの岩が

間違いなくそうなのかの真偽のほどは定かではないが、また色々と調べてみようと思う。

亀岩の上に登って下を見ると大剣神社の赤い屋根と御塔岩が見えた。

その高度感に股間がざわッとしたので、慌てずにゆっくりと振り返って戻って行く。













『かごめかごめ、かごの中の鳥は・・・・鶴と亀が滑った』の動揺を謡いながらテラス

に戻る。そしてテラスで腰掛けて軽く菓子パンと水筒に入れたカフェオレで食事をとる。











本来ならもっとゆっくりしたかったがこの後の予定があるので、テラスをあとにする。

時折ガスが流れて陽を隠したり青空を見せたりと変化のある空模様だ。







山頂から刀掛けの松への下りでは、まだまだ登ってくる大勢の人の姿があった。途中す

れ違った高校生の団体は背中に『松山中央高校』と書いていた。まだ今時登山部に入っ

て、これだけの人数の若者が山に登っている姿を嬉しく思った。





途中道の脇でネットで囲んだ場所にはたくさんの花が咲きお花畑になっていた。




















西島駅では今度は中学生らしい男女が登ってきた。やはり週末は、いつもの平日登山と

は違った若い人たちの姿を見ることができて楽しい。





西島駅から見ノ越に下り始めて直ぐにまたお腹の調子が悪くなってきた。そう言えばね

こバスさんがYAMAPの活動日記に『⚠️この先センシティブな内容が書かれています

ので心して読んでください』と断りを入れたうえでその様子を克明に描いていた。

その時は『よく分かるわ~』と思いながらも他人事、軽い気持ちで読んでいたが、まさ

か直ぐに自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。

寄せては返す波の様、大きく口では息をせずに、小さく小刻みに鼻呼吸しながら整えて

いくが、予告もなく大波が押し寄せてくる。西島駅まで戻ろうかと思ったが、あのきれ

いなトイレで小こそしたことはあるが、大は経験がない。あのトイレの扉は開けるのが

怖い。そう思いながら冷や汗を搔きながらも下って行く。できるだけ他ごとを考えなが

らと思うのだが、どうしてもねこバスさんの『センシティブな内容』という言葉が浮か

んでくる。しかもこのコースは最悪の事になっても脇が急斜面になっていて逃げ場がな

い。どうしようかと思っていると目の前の道の真ん中に鹿の姿が!

いつものことでじっとこちらを見ているが、けっこう人なれしているのか一向に逃げる

気配がない。カメラを取り出し何枚も撮るが、こちらが動いて初めて登山道の脇の斜面

を登って行った。それでも時々立ち止まってはこちらを見ている可愛い子だ。

このバンビのお陰で、ピークの波がしばらく引いていき、見ノ越のトイレに駆け込んだ。











トイレで至福の時間を無事終えて車に乗り込みトンネルを抜けてコリトリへと下って行

く。剣山にはもう何十回と来ているのにこの道を走るのは初めて。地図で見てもいった

い何十回曲がっているの?と思うくらいくねくねとした道だ。

それでもコリトリまで降りてくると道幅は広がり比較的真っすぐな走りやすい道になる。

途中で県道260号線との交差点で左に大きな木の鳥居が見えた。瀧宮神社の鳥居だっ

たが、その鳥居の脇に見覚えのある花が咲いているのが見えた。『あっタキユリだ!』

そう思って車を停めて近寄って見ると高知まで出かけて見に行っていたタキユリが咲

いていた。周りを見たがこの場所にこの何株かが咲いているだけだった。それでもこれ

だけ咲き誇っているのが見られてラッキーだ!

















川井峠を越えて神山町に入ると、岳人の森への193号線へ分岐の手前にある『ふなと

』に暖簾がかかっていた。剣山で食べたのは菓子パンだけだったので、さっそく店に入

る。メニューはかかっていたが店主のおばさんが『ラーメンでいいかね』というので、

『はいラーメンで!』と答える。出てきたラーメンは小腹が空いていたのであっとい

う間にたいらげた。











岳人の森の観月茶屋では充さんが忙しそうにかき氷を作っていた。店先でそれを運んで

いるお母さんに、入場したい旨を伝えて500円を払うと店の奥に座っていた山田さん

が立ち上がって地図をもってレンゲショウマの咲く場所を説明してくれた。今年の1月

に重機の事故で命に関わる危険なケガをしたそうだが、お店に出られるくらい回復した

ようだ。『順路通りに進んだらいい』と教えてもらった通りに歩いて行く。

最初に教えてもらった場所はネットで囲われたキツネノカミソリ咲く場所。

ヒメウギ


マルミノヤマゴボウ


オオキツネノカミソリ






その次に、前回はヒメシャガの咲いていた上部はパスして『ゆきしろの池』に行くと

その先でお目当てのレンゲショウマが目に飛び込んできた。すでに大きなカメラを抱

えた人が二組いた。写真で見た通りの蝋細工のような半透明の薄紫のガクと花は、期待

通りの可愛らしさだった。





























そして最後はこれも山田さんに教えてもらったニッコウキスゲ。大きな花びらを空に向

かって開いて、とても勢いを感じる花だった。














帰り道、山川町に入り何十年ぶりかで『ふいご温泉』に立ち寄って汗を流して帰る。

今日一日、思わぬ人に会い、思わぬ場所で鹿にも会い、そして思わぬ花にも出会って

最後は念願の花を見ることができた、とても充実した一日だった。

今回は奥様たちのリクエストで、花の山の皿ケ嶺へ!

2024年07月28日 | 四国の山


ネット上では夏の花の写真が目に付くようになってきた。昨年のこの時期は寒風山や大

のユートピア避難小屋へ花を目当てに出かけていた。そこで燕岳の遠征から帰ってき

た奥様たちに『どこのお花がいいですか?』とメッセージを送ったら、『皿ケ嶺に行きた

い』と予想外の返事が返ってきた。

そういえば昨年の9月に歩いた時に、ハガクレツリフネが咲き誇る斜面一面に、もう開花

を終えたギンバイソウの群生が目に付いた。その時に熱心に写真を撮っている女性にあっ

ちゃんが
話しかけると、『ギンバイソウ』だと教えてくれたそうだ。『可愛らしい白い花が

好きなんです』とも話してくれたらしい。その時のことを覚えていたあっちゃんからの

リクエストで『是非一見てみたい!』との事だった。


お昼過ぎからの天気の崩れが少し心配だったが、ゆっくり目に家を出て9時半前に上林

森林公園の駐車場に着いた。駐車場には4~5台の車がすでに停まっていた。トイレと

身支度を済ませてまずは風穴へと登って行く。




カラスウリ



前回は一面小さながハガクレツリフネが咲いていたが、気の早いのが所々で咲いている程

度でさっそく白い花が咲いているのが目に飛び込んできた。

多くの花が下を向いて咲いていたがたまに正面を向いている花を見ると、まさしく白い梅

の花の様で、名前の由来が納得できる可愛らしい花だった。

ハガクレツリフネ



ギンバイソウの群生







前回もそうだったが奥様たちが写真撮影に忙しくてなかなか登って来ない。

ダイコンソウ


キツリフネ


フシグロセンノウ



それにしてもこのギンバイソウ、雄しべの数がとにかく多い。ひとつの雌しべを囲むよ

うにして雄しべが群がっている。風穴のアオケシは二茎ほど花をつけていた。











風穴から上の道沿いもギンバイソウの群生が続いていた。







ウバユリ









十字峠への分岐辺りもまだまだ群生は続いていた。森の中では白い花にどうしても目が

いってしまいがちだが、他にもたくさんの花が咲いている。そんな中でも葉の下に隠れ

てちょこんと遠慮がちに顔をだしている、ハガクレツリフネがとても可愛らしく感じる。






オオバヨメナ


ハガクレツリフネ







標高が上がるにつれてギンバイソウの開花の状況が変わるのかなと思ったが、登山口近

くも尾根近くもさほど変わらず、蕾のままのもいれば花を開いているのもいた。











途中で一カ所大雨の影響で崩れた場所があったが歩くのには不都合なく通過できる程度

に復旧されていた。そしてその先の湿った岩肌には今年初のイワタバコが小さな花を咲

かせていた。岩肌を伝って落ちる水に濡れた葉が瑞々しい。














途中で4・5人のグループが何やら道の横の斜面で何かの花を探していた。その横を通っ

て挨拶をすると『早く行け!』と言わんばかりに訝しそうな目で見られた。どうやら珍し

い花を探していたようで、あまり他の人には見られたくない様子だった。たしか昨年竜神

平らで集まっていた常連さんのようだ。そのうちの一人の男性にはアケボノシュスランの

咲いている場所を案内してくれたのだが、今日はあっちゃんが『何が咲いているのですか

?』と尋ねても、答えてもくれなかったようだ。

それにしてもギンバイソウはほぼ尾根近くまでずっと咲いていた。










竜神平の手前で上林峠と竜神平への分岐となる。予定では上林峠の方へ少し歩いて、竜

神平を東から回り込むつもりだったのに、あっちゃんがいまは待てないように『お昼に

しましょうよ』と仰ったので、そのまま竜神平へと歩いて行く。

媛大小屋の前では女性が二人休んでいた。その奥のベンチに腰掛けお昼ご飯にする。

空は雲が太陽を隠してくれて竜神平の湿原を通り抜けてくる風が心地よかった。














そのうちに先ほどのグループがやってきて休憩もせずに湿原の中へ入って行った。私た

ちもお昼ご飯の後、踏み跡を通って湿原の中へ入って行くとベンチからも咲いているの

が目に付いたのギボウシと大きな花をつけたハンカイソウだった。



コバギボウシ





ハンカイソウ



そしてルリちゃんがあちらこちらで『ここにも咲いている!』と言って、次々と花を見

つけてくれる。

スマトラノオ





ミズチドリ





タチカモメズル


アキノタムラソウとトンボ






湿原の中をあまりうろつくと踏み荒らすことになるので、踏み跡のある所だけにして引

き返して、皿ケ嶺山頂へと歩いて行く。頭の上では天気予報通りゴロゴロといい始めて

少しパラパラとし始めていた。

足元にはミヤコザサ、周りは落葉樹林の緩斜面の道を歩いて行く。











ブナの葉の緑が、雲をすり抜けてくるやわらかい日差しに当たって生き生きしている。







皿ケ嶺山頂からは南に少し景色が広がっているが、怪しげな雲が流れてきているので、

写真を撮った後、早々に引き上げる。






オカトラノオ






帰りは十字峠の先から風穴へと下って行く。途中にある 二等三角点 行長 1270.5m

伐採地の奥の雲の狭間にかろうじて見える松山の市街地。そして南にほぼ平らに見える

稜線は天狗高原辺りだろうか?














十字峠は名前の通り竜神平・引地山・六部堂への十字路になっている。そのまま引地山

に向かって歩いて行く。1165mの標高点の先から風穴に向かって降りるのだが、こ

の辺りまでは竜神平から続く緩やかな道だが、ここから先は割と急な下り坂になる。











登山道の周りはガスがたちこみ始めた。そのおかげが標高わずか1200mでもほとん

ど暑さを感じない。奥様たちも調子よくトントンと下って行っている。








風穴には山頂から40分強で着いた。石積みの中からは目で見ても涼しげな冷気が立ち

上っている。脇のベンチでは二組の方がその冷気に当たって涼んでいた。








この時期1000mほどの山では暑さを覚悟して出かけてきたが、雲のお陰か太陽の日差

しを遮ってくれて、思っていたよりも楽に歩け、奥様たちお目当てのギンバイソウも、こ

れでもかというくらい見ることもできた皿ケ嶺。四季折々に彩を変え楽しませてくれ、松

山市内から近郊にあって毎日のように大勢の人が訪れる貴重な山だ。


剣山本宮山頂大祭で山頂は人・人・人の波

2024年07月18日 | 四国の山


今週は奥様たちは旅行会社の2泊3日のツアーで燕岳へ出かけて行った。『足の遅いへ

っぽこリーダーは、置いてきぼりにされたの?』とある人に揶揄されたが、ツアーバス

での長時間の移動は性に合わないし、この時期3日間休みを取りづらい。まぁ奥様たち

がお帰りになったら土産話でも聞くことにしよう。

と言うことで今週は独りでどこに出かけようかと考えていたら、WOC登山部のFBに

剣山本宮山頂大祭に行きましょう!』と案内が出ていたのを思い出した。そう言えば

剣山にはもう何十回も登っているけれど、この大祭を見た事が一度もない。剣山なら勝

手知ったる山なので独り歩きも心配ないし、当日は結構な人手になるだろうから不測の

事態が起こっても心配ない。心配なのは人出が多すぎて車を停める場所があるだろうか

だった。


見ノ越には8時に着いたが、すでに第一駐車場の方から停められずに引き返してくる車

が数台。それを見てすぐにハンドルを切って第二駐車場に向かうと、屋上は満車だった

のに、1階部分はまだほとんど車が停まっていなかった。すぐにWOC登山部のメンバ

ーに『今なら第二駐車場に停められますよ!』と電話したが、メンバーが30分以上遅

く来た時にはもうすでに遅しで、第二駐車場も満車になってたそうだ。

あまりにも空いていたので不安になって、後ろで身支度をしている女性に『すみません、

この駐車場は無料ですよね』と尋ねると『よく知らないけれどたぶん』と答えてくれた。

よく見ると女性の車は姫路ナンバーだった。


支度をして劔神社の石段を登って行くと脇にはカラフルな提灯が飾られてあって、祭り

の雰囲気を盛り上げていた。







神社の拝殿の横の神輿倉では、神主さんが何やら神輿の横で準備をしていたので『すみ

ません、写真を撮ってもいいですか?』と尋ねると『いいけど、顔は撮らないでね』と

言ったあと、『冗談、冗談』と仰った。







拝殿でお祈りをした後、御幣を潜って登山道を歩いて行く。登山道は昨日までの雨でまだ

足元が濡れている箇所がある。すぐに汗がでてくるがまだ気温が上がっていないせいか、

さほど暑さは感じない。











いつもなら登っていると下ってくる人と何人かはすれ違うのだが、さすがに今日は大祭、

山頂から降りてくる人の姿はなく、いつも以上に静かな道だ。しばらく歩くとリフトと

交差するトンネルが見えた。今日は8時から運転しているらしいが、登って行くリフト

はには大勢の人が乗っていた。







西島神社まで来ると神社の方から祝詞をあげる声が聞こえてきた。その神社の後ろの大

岩の横を通っていつもの定点観測、雲海荘を見上げる。







西島駅に着くと次々とリフトを降りてきた人たちで賑わっていた。三嶺に塔ノ丸、リフ

ト乗り場の横まで来ると丸笹山もきれいに見えた。










視線を下げると、さきほどの西島神社の大岩の上に人影が見える。涼しい風に乗ってそ

の大岩から笛の音色が聞こえてきた。











リフト乗り場の横では家族連れがどのコースを歩こうかと話し合っていた。その横を通

って刀掛けの松へと歩いて行く。刀掛けの松でも大勢の人たちが休憩していた。中には

大きなカメラを抱えた徳島新聞のクルー、そしてツアーの団体客がいた。その横の女性

のグループが『トンボに虫が止った』と騒いでいる。どれどれと見てみると確かにトン

ボに何かの虫が止っている。最近はやりの虫よけのオニヤンマのつもりだろうけど、ど

うも色が違う。『黄色が入っていないと・・・色が悪いね!』と言うと『そうなんですか

、安物はダメですね』と言いながらみんなでケラケラ笑っていた。




刀掛けの松からは行列ができていた。これじゃ~まるでどこかの山の様だと思いながら

登って行くと山頂ヒュッテの前に人垣が見えた。本宮宝蔵石神社の鳥居の前では登って

きた女性に『すみません、写真を撮ってもらえませんか』と声をかけられる。山頂なら

時々ある事だが、鳥居の下で頼まれるのは初めてだ。その下からは大きなお腹を抱えた

男性が何人か息切れしながら登ってきている。最近お腹の出っ張りが気になっている私

の3倍以上はありそうなお腹の大きさ。体重もみなさんそこそこありそうなので、そり

ゃしんどいだろうなと、自身の事は棚に置いているへっぽこリーダーだった。








宝蔵石神社の前は白装束の人たち、登山着の人そして普段着の人たちで賑わっていた。

ヒュッテの前に置かれていた神輿が、神事の為に移動していく。














すると宝蔵石神社の前は身動きが取れないほどの混雑となる。少しの隙間を狙ってヒュ

ッテの横の階段を上って東のテラスへと向かって行く。階段にも人・人・人。

東のテラスでもすでに位置取りをしている人たちがいた。と言うのも宝蔵石神社でご神

体を移した神輿が、このテラスへ向かって笹の斜面を登ってくるのだ。私は例大祭とい

うよりも、どちらかと言うとこの笹原を練り歩く『神輿渡御祭』が見たくて今日は来て

いたので、テラスの端で空いているスペースを陣取る。














宝蔵石神社での神事が始まってもまだ時間は1時間近くあった。ご神体を移した神輿が

戻ってきて、神輿に繋がれたロープを持って笹の斜面を登ってくる人の姿があっが、そ

れでもまだ時間は十分にある。すると後ろのテラスで何やら踊りが始まった。

そのうちに今度は阿波踊りを踊り始めた。笛に太鼓に三味線とどんどん賑やかになって

くる。それにつられてか、神事を見ようとやってくる人たちとも相まって、東のテラス

はますます人混みが増えてきた。
















最後は踊り手と一緒になって見物客も踊り始めて、『これは例大祭の行事なの?』と思う。

まあ徳島県だし、いいか!











総踊りが終わる頃に笹原の下から『六根清浄』の掛け声が聞こえてくると、神輿が先導

する人のロープに引っ張られながら笹の斜面を登ってきている。













神輿の後ろを『箱笈』も一緒に登ってきている。神輿と箱笈はテラスには登らず、その

まま笹原を山頂へと進んで行く。その写真を撮りながらiphoneで動画を撮ろうとカメラ

バックから取り出そうとしたら、その拍子に片手に持っていた一眼レフをテラスの下に

落としてしまった。幸いバッテリー部分の蓋が取れてしまっただけで、大事には至らな

かったが、大山の三ノ沢をエントツ山さんに『今年中には一眼レフを落としてして修理に

出すだろう』とイヤな予言をされていただけに、ショックが大きい。








笹原を先導する天狗と幡持そしてロープを引っ張る人、神輿と箱笈を担ぐ人たちの行列

ができる。2年前地元の祭りで神輿を担いだが、街中を練り歩くだけでも大変だったの

に、足元の見えないしかも足元の悪い笹原をよく担いで歩けるもんだと感心をする。




















山頂では神事が始まったが木道のベンチで『腹減った~』と言いながら弁当を広げている

WOC登山部のメンバーの横に座って、私も弁当を食べることにした。

そのうちに他のメンバーを一緒にベンチに腰掛けお弁当を広げ始めた。それにしても山頂

では厳かに神事が執り行われているというのに、私も含めて皆さん信仰心はなく、『神様よ

り団子』の人ばかりのようだ。








いつもは奥様たちと3人での記念写真だが、今日は久しぶりに大勢での写真となった。

『線で繋ぐシリーズ』を始めてからWOC登山部の団体での活動が縁薄くなったせいで、

知らない人も何人かいる中で、既知の人とは直ぐに世間話を始められる関係なのが嬉し

い。そして同じように暫くぶりでも変わらない秀麗な姿を見せてくれる次郎笈だった。














山頂から宝蔵石神社に向かう人と、そのまま下山する人に分かれて歩く。私は木道の途中

から、二度見の展望台へとメンバー4人と降りていく。丸笹山にはガスがかかり始めた。








刀掛けの松への道は恐らく下って行く人が大勢いるだろうを思っての事だったが、こちら

の道が予想通りすれ違う人もなく、二度見で休憩する人に会っただけだった。











山頂の喧騒とは違い、静かな静かな道。時々メンバーに話しかけるが思った以上にスピー

ドが上がって行く。そろそろ左膝が愚図ついてきた。

西島駅からは神社上の分岐から遊歩道への道を歩いて行く。ここの所下りではいつもこち

らの道を歩いて行く。行きの道とはまた違った雰囲気の周りの木々がお気に入りだ。前回

はシカも見かけたが、さすがに今日の人出ではシカも姿を現さない。











西島神社から遊歩道を遠回りしたが35分ほどで劔神社に着いた。神社の拝殿ではまた神

事が行われ、祝詞があげられていた。拝殿の前では山頂の神輿とは別の朝見かけたな神輿

が出番を待っていた。








平地の猛暑を他所に山ではまだ涼しい風が吹いていた。この後晴天が続けばそろそろ梅雨

明けしそうな雰囲気だ。夏本番、山も夏山モードへの切り替えで比較的標高の高い山へと

計画をたてないとな~と思いながらエアコン全開で車を走らせる。