KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

線で繋ぐ阿讃縦走路 境目~鵜峠

2022年01月27日 | 香川の里山
線で繋ぐ阿讃縦走路も予定では残すところ3回となってきた。

今日はその残りのコースの山場となるだろう境目から鵜峠を歩いてきた。

先週の中山峠から境目まではほとんど車道歩きとなったが、

今回の境目から東は、一旦山に取り付くと鵜峠まではエスケープルートがない。

以前、独りでこの東讃の阿讃縦走を歩いていた時には、ピストンか周回で

線を繋いでいたが、この鵜峠から境目までが周回するには下道歩きの距離がありすぎて、

どうにも計画が立てられず中断していた区間だった。

更には高平山から鵜峠まで周回した時に、鵜峠の手前で

酷いイバラの藪に閉口した記憶がある。ただ今回は奥様たちの車をデポ出来るので、

周回ではなく縦走が可能となり、残りはイバラの藪だけが課題となった。

奥様たちにも事前にその話をして、イバラの藪で服が破れないように、

それなりの服装で来てくださいと伝えて、先ずは鵜ノ田尾トンネル南側の

トイレのある休憩所に集合し一台をデポ。もう一台で先週のスタート地点になった

境目まで移動して9時過ぎにスタートする。『今日はどれくらいかかるかな?』と奥様たち。

『鵜峠からデポした場所までの下道歩きが4km弱あるので、6時間くらいかな?』と答える。




境目イチョウの南側に東に向かって四国のみちが続いている。

しばらくはこの道に沿って東に歩いて行く。

四国のみちの車道は中尾峠に向かっているが、途中で一旦右に橋を渡り、

川向の車道を歩いてい行く。(恐らく直進しても同じ場所に出るような気がする)














事前に読んだエントル山さんが縦走した際のレポートには、道の脇から川に架かる橋を渡るのだが

一本目の橋はスルーして、二本目の橋を渡る様にと書かれていたので、

その注意書き通りに二本目の赤錆びた橋を渡るとため池の堤に出た。

そしてため池の堤を渡って向かいに見える低い尾根に適当に取り付いて行く。










杉林の中を尾根に向かって登り、尾根に出た後東に尾根に沿って歩いて行くと県境にでた。

しばらくは里山らしい雰囲気の尾根道を進んで行く。













エントツ山さんのレポートには最初の三角点の北市場までが急登と書かれてあった。

あのエントツ山さんが急登と書いてあるのだからと覚悟はしていたが、

目の前には見上げるほどのかなりの角度で急登が立ちはだかっていた。

湿り気を含んだ土と落ち葉はとにかく足を滑らせる。道には以前はなかったであろう

登山用のロープが張られていて、途中からはそのロープを頼りに登って行く。













最初の急登を何とか登りきるとウバメカシの尾根道になった。

これで急登は終わり?かなと一旦油断させてくれるが、そうは問屋が卸さなかった。










花崗土が固まった尾根を過ぎ、比較的緩やかな道を進んで行くと

道の脇に『縦走路』と書かれた手書きの札が掛けられていた。

この札は今まであった『阿讃縦走路』や『讃岐山脈縦走路』の札とも違う

意外と真新しい札だった。ここでふとした事が頭をよぎる。

先ほどの急登の登山用ロープといい、この案内札といい、最近このルートを

地元の人ではなくどこかの団体が整備したのでは?という疑問だった。

そうするとひょっとしたらあのとんでもないイバラの藪も手を入れているかも

しれないという甘い考えが浮かんできた。










そんなことを考えながら歩いていると、また次の急登が始まった。

急登は登りきったと思わせて、またさらに続いて行く。













ロープの掛っていない場所では、中央部はとても登れるような状態ではなく、

木々のある端に寄って木の幹や枝に掴まりながら登って行く。










北市場の三角点の手前でまた一旦緩やかになり、そしてまた最後の急登となった。

ここさえ乗り切ればと思いながら何とか登りきる。

今回のこのコースをエントツ山さんは中山峠から一気に歩いてきて、

最後になってこの急登で『もうヘロヘロ!』と音を上げていたが、

確かに15km以上歩いてしかも縦走用の重いザックを背負ってこの急登。

あのエントツ山さんが弱音を吐いたのがよく分った。

軽装の私たちでさえこの急登は堪えた。あの四国三大急登と言われた

相栗峠の急登よりもキツイかもしれない。













その長~い急登が終わると、やっと四等三角点 北市場 564.1mに着いた。

ここからは鵜峠まで県境は尾根を辿っているので、

ちょっとしたアップダウンが続く程度だろうとこの時点では軽く考えていた。

しかし今回はここからもけっこうな急登と急坂下りのアップダウンとなる事をまだ知らずにいた。








北市場の三角点からは一旦下りが続いて行く。猪が掘り返した様な跡のある坂は、

落ち葉と表土が柔らかく滑りやすいうえに、足が沈み込んでけっこう足に負担がかかる。











道は自然林の尾根から次第にヒノキの人工林の尾根になり、下り坂は続いて行く。










491mの標高点の手前で北市場の三角点との最低鞍部になったが、

道の左右には道らしき跡がある。徳島側の奥日開谷からの谷筋に

地形図では途中まで破線が続いているので、ここまで繋がっているのかもしれない。

峠らしき?鞍部から491mの標高点を過ぎまた道が一旦緩やかになると、

北に木々の間から見覚えのある三角の形をした笠ケ峰が見えた。

道の脇の木にはこれも時々見かける、木の株を輪切りにした縦走路の案内札が掛かっている。














尾根道の北側には地形図にも載っている林道が見えると、

また急登が始まる。おそらく50m前後の標高差だろうけどボディブローのように堪えてくる。

そのボディブローの様ないやらしい急登が終わると四等三角点 定久 578.1mに着いた。














今回のこの区間は山頂はなく、当然YAMAPの山頂ポイントもない。

唯一三角点と標高点だけが歩いていてのポイントの印となる。

定久の三角点からは一旦下って小さくアップダウンが続く。

ゲームのキャラクターに出てきそうな丸い亀のような可愛らしい石の横を通る。










すると尾根道は一旦林道と合流したような形になった。

ここでもエントツ山さんのレポートが役に立った。

エントツ山さんはここで安易に林道に降りてしまい、そのまま林道を歩いて行くと、

どんどん縦走路とは離れてしまって、修正するのに道のない場所を這い上がったと書いてあった。

尾根には縦走路の案内札が掛かっていたが、エントツ山さんが歩いた時には

恐らくその札はなく、尾根の道は小さな松の木が塞ぐような形になっていて、

林道へ降りてしまうのは納得ができる。ただ今回は事前学習のお陰でその松の木を掻き分け

進んで行くと、しばらくは尾根に沿って下に林道が見えていたが、

やはり次第に尾根道と林道は離れていっていた。










そして鞍部からはまた急登が始まっていく。

前を歩く奥様たちが地面を見て『これは人が歩いた跡かな?』と話をしている。

道には猪が掘り返した跡があるが、それとは別に足を滑らせたような跡がある。







ここでも一旦登りきったと安堵したあとに、さらにいやらしく急登が続いている。

今までずっとブログを書いてきて、出来るだけタテの写真は使わないように

撮らないようにしてきたが、今までになくタテ使いの写真ばかりになっているのは

今回のコースはとにかく急登が多いと言う事だ。








急登の土が柔らかいのは、イノシシがそこら中掘り返しているのを見ればわかる。

踏む込むと沈んで行く柔らかい斜面はとにかく歩きづらい。

すると前を登っている二人から声が上がった。『キャー、イノシシ!』

ルリちゃんは五頭位の家族連れ。あっちゃんはその最後の一頭が

逃げていくのを目にしたと騒いでいる。以前から『鹿や猿は見た事があるけど、

イノシシだけは見た事がない』と言っていた奥様たち。ただ今回は逃げてくれたから

良かったものの、普通はあまりお目にかかりたくはない。

この時期の子供連れのイノシシにはとにかくお会いしない方がいい。










先ほど二人が人が滑った跡?かなと言っていた跡も、

やはりイノシシが足を滑らせた跡だった。

そうなのだ、イノシシさえ足を滑らせるほどの急登なのだ。













その急登が終わると南に向いて続いていた県境は、このイナバウワーの様な木の場所で

大きくカーブを描くようにして、一旦北に振って下り坂となる。

道の北側には木々の間から福栄地区星越峠の奥には大内町の市街地が薄く見えた。










先ほどの急登を登りきった所で丁度12時だった。

『あらもう12時ね!』とあっちゃんと言うので、『12時丁度にお昼ご飯でなくても

いいでしょ!』と言うと少し不満気な顔をしていたので、

そろそろ『お腹が空いた!』と騒ぎだすと思い、風の当たらない場所を探していた。

天気予報では午後から晴れマークがついていたが、いっこうに晴れそうな雰囲気がなく

木々の疎らな場所では、吹き抜けていく風がとにかく冷たい。

陽は当たらないが南側のヒノキの林の中なら風も当たらなそうだ。

道の脇へと逸れて腰を降ろしてお昼にする。







お昼ご飯の場所からまた下り、そして登り返すと右に上畑山への札が掛かっていた。











上畑山は地形図では754.7mの三角点のある場所。

その分岐の札がある場所からは少しづつ高度を下げて行く。尾根の幅も広く歩きやすい。

疎らな木々の間からはいよいよ虎丸山が見え始めた。













途中の659mの標高点には説明書きをして札が掛かっていた。

その説明書きの横には『二等三角点 上畑山』と書かれているが、

その表記は間違いだとわざわざ書いてある。







659mの標高点からはしばらく行くと高平山への分岐になる。

ただ以前歩いた高平山もイバラの藪が酷かった記憶がある。







少しづつ高度は下げてはいるが、それでも短めだが急登が時々現れる。

道も先ほどから次第に幅が狭くなり、荒れ始めた。













611mの標高点でも急登が現れ、標高点を越えると今度はかなりの急坂の下りとなる。

この急坂は木の生えていない道の真ん中をまともに下れない。

道の脇の木々に掴まりながら下って行くが、それでも立っていられなくなって

たまらずルリちゃんは尻シェード。







写真ではまず伝わらないが、かなりの角度の急坂だった。

















その急坂を下りきると丁度鵜ノ田尾トンネルの上部の尾根になった。





そこから573mの標高点までは緩やかな登坂。

標高点の手前で南東に今日初めて遮るもののない眺望があった。










そしていよいよ今日の懸案だったイバラ藪の場所となる。

その為に、今日はトゲで引掛けてたりしても良いように古い上着を着てきた。

ただその思惑は結果うれしい誤算となった。ここまでの間で、どこかの団体が整備していないか

あわよくばと考えたのが大正解!尾根のイバラの藪を避ける様にしてテープが付いている。

そのテープを目印に進んで行くと、道の北側の植林地の中を通り、

さらに萱原になると萱が刈られていた。

以前に悶絶したあの藪は何だったんだろうと思う位に歩きやすくなっていた。











散々脅かしていた奥様たちも拍子抜けした様子だった。

最後に少しだけ羊歯の中の道を抜けると、あとはどんどん下るだけ。

455mの標高点の辺りでは、更に南の眺望が開け、その内に見覚えのある峠道に飛び出した。

以前にイバラの藪で散々苦労した時はこの峠に着いた時は随分と安堵したが、

今日はさほど苦労せずに歩けたので、そこまでの感慨深さはなかった。
















ここからは今朝車を停めた場所までの4km弱の下道歩きが残っている。

以前歩いた時は峠から北に下道を歩いたが、途中で道は崩落していて

その形が残っていないほど酷かったが、南側の道は意外ときれいに整備されていた。




それでも最後にアスファルト道を歩くのは疲れる。その気を紛らわすように

三人でくだらない話をしながら歩いて行くと、1時間弱で車を停めた

国道318号線に飛び出した。この道の入り口にはチェーンが張られ

通行止めの掲示板があり、その内容は車両も歩行者も通行禁止と書かれていた。

今回は歩いた後に気が付いたと言う事でご勘弁!

行動時間6時間20分。沿面距離15.6km(内下道約5km)

予想以上に急登が続いて、今までの阿讃縦走路の中では一番厳しい区間だったかもしれない。

さすがの奥様たちも今日は疲れたご様子だ。

次週はこの鵜峠までまた下道を登り、そこからが縦走路のスタートとなる。

今回同様に余分に1時間近く時間がかかり、しかも歩行距離は過去最高に

なるかもしれない。ただ今回の区間で、距離と共に高度差が足に堪えるのがよく分った。

出来るならば次回は上り下りが少ないようにと願いながら帰路についた。










今日のトラック



今日の標高グラフ



今日の3Dトラック

線で繋ぐ阿讃縦走路 境目~中山峠

2022年01月21日 | 香川の里山
先週はトレーラーのスリップ事故で国道193号線が通行止めになり、

奥様たちが集合場所の中山峠まで来られなくなったので

順延となった、阿讃縦走路の境目までの間を今日繋いできた。

とは言え今日は大寒。一年で最も寒い日。集合場所までの国道と、

デポ地点となる境目までの県道の路面状態が気になるところ。

その路面状態を確認するため朝少し早めに家を出て、境目までの

途中まで車を走らせたが、先週の様なアイスバーンになったヶ所もなく、

車の移動も問題ないと判断して、中山峠へと引き返した。

中山峠には時間通りに西から奥様たちがやって来た。

さっそく荷物を積み替えスタート地点となる境目に移動。

境目のシンボルの大イチョウの手前のバスの展開場に、

邪魔にならないように隅っこに車を停める。

この大イチョウは伝承では、戦国時代大阪の夏の陣を戦った侍が、

徳川方の豊臣残党狩りを逃れてこの地に隠れ住んだが見つかり、

この大銀杏の下で切腹して果てたと言われている。

また気根が空中に下がっているのが乳に似ていることから、

「ちちいちょう」とも呼ばれていて、昔 子の飲ませる乳が足りない人が

この銀杏の木に一合の米を供えて乳がよく出るように祈願したそうだ。







その大イチョウから北側に四国のみちの道標がある。

道は県道から東に続いていて直ぐに二手に分かれて

取りつきには八丁坂の道標が立っていた。

ただその道標を気づかず谷筋に向かって真っすぐ歩いてしまって、

しばらくしてルリちゃんが気づいて『この道じゃないよ!』と。

慌てて引き返してミカン畑の横のコンクリートの坂を登って行く。











コンクリートの道が終わると、落ち葉の積もった雰囲気の良い道になる。

道の傍らには所々に石仏が祀られていて、ここから東かがわ市、大坂峠を経て

霊山寺へと続く、へんろ道にもなっている。










尾根の頂部にはベンチが設けられていて、そこから西に向かって下って行き

猪避けの柵を抜けると日開谷川に沿って開けた長野地区の集落に出た。













南に向かって緩やかに谷底平野が続いて、明るく田畑が開けてとても雰囲気がいい。

そんな田畑の中を横切り日開谷川に突き当たると、奥様たちは川に架かった橋を渡り、

県境となっている川に沿って歩こうと言っているが、地形図を見ても道は無く、

事前に見たYAMAPの活動日記のひとつには対岸の川沿いには道は無いと書いてあり、

もちろん川の中を歩く事も出来ないので、北に向かって歩くと国道377号線に出た。







ここからはしばらくは車道歩きとなる。道の途中には大きな無人販売所があり、

あっちゃんが覗き込んでいる。その販売所の先に今度は

道の脇に3頭の黒毛の和牛が繋がれていた。その横の牛舎の中にも何頭の牛が飼われている。

買主らしいおじさんがやってきて話を聞くと、繁殖用のメス牛らしく、繋がれている3頭のうち

2頭が身ごもっていて、少しお腹が大きくなっていた。

この国道、山間部にあるにも関わらず次から次と10tダンプが行き来していて

歩道のない道なのでけっこう気が気でない。











国道が北に振る辺りから県境の日開谷川とは離れていくので、国道から左に折れて

車道を歩いて行くと大きな養鶏場があった。鳥インフルエンザの防疫の為に

入り口には白い消石灰が撒かれていて異様な雰囲気がする。







養鶏場を過ぎ、猪避けの電気柵に沿って車道を歩いて行く。

この道にも所々に石仏が点在していた。

そして道の脇に不法投棄の注意書きのなかなかシュールなプレート。











しばらく歩くと道は県道3号線志度山川線になる。その県道が500mほどで

今度は県道105号線との三差路に出た。







三差路の南側に民家が一軒あり、屋根の塗装工事をしている最中だった。

その民家の脇が本来は県境となるのだが、三差路の少し北側にある

電柱に巻かれたピンクのテープの場所から尾根へと取り付いて行く。







取付きからしばらくは薄い踏み跡を辿って登って行くが、途中からは

その踏み跡からは外れて尾根に向かって登って行く。

すると木の幹に巻かれた赤テープがあり、そのテープを目印に登って行くと尾根に出た。














尾根に出ると県境となり、今日初めて県境の杭を見る。

そして里山らしい灌木の中の尾根道が続いて行く。











北西に向かっていた尾根道が南西に向かって振った場所では、北にも尾根道が続いている。

反対側から歩いてきた場合は先ず間違えそうな場所だ。

南西に折れて直ぐに、今日初めて見る阿讃縦走路の札があり、

その札にもやはり道は縦走路は折れ曲がっていると書かれてあった。




右にヒノキの植林地を見ながら、小さくアップダウンをしていくと、

左に太陽光発電の広く開けた場所があった。










太陽光発電を過ぎ急登を登りきると、今度は更に開けた採石場らしき場所に出た。

その採石場の北側には矢筈山が見えた。

その場所から急な斜面を下って行くと今度は採石場の中の作業道に出た。













作業道の取りつきは讃岐山脈縦走路の木札がかかってあった。

この中山峠から境目までの阿讃縦走路の山道歩きは14kmの内の4.7km程度。

この木札は阿讃縦走路で度々目にしてきたが、阿讃縦走路ではなく讃岐山脈縦走路と書いてある。

今までの縦走路ならともかく、今日のこのコースが讃岐山脈になるかは疑問の残るところ。

ここからは採石場の中の作業道を歩いて行く。平日なので作業をしていないかが気になりながら下って行く。










すると採石場の下から大型ダンプが2台上がってきた。ダンプは西側の高台まで上がって

積み荷を降ろして直ぐに戻って行った。どうやら最初は砕石場だと思っていたこの場所は、

採石場の跡地を利用した、残土の処分場となっているようだ。













作業道を道なりに処分場の入り口に向かって下って行く。その間何台かのダンプとすれ違うが、

運転手の人は特に気にする事もなく、注意されることもなかった。








一年前に歩いた方のYAMAPの活動日記には、巨大な採石のプラント施設が残っていたが、

今はそのコンクリートの基部が残されているだけだった。










処分場の入り口の建屋を過ぎ少し下ると道の脇に階段があった。

その階段を登ると阿岐武神社の祠があり、その祠の正面の石段を下ると狛犬と鳥居。







鳥居の前の橋を渡ると左に道が続いていた。何も考えずそのまま谷筋を安易に歩いて行っていると

ここでもルリちゃんが『また間違っとる!』と声を上げた。










今回のコースはこの辺りが肝になる



県境のコースよりそれらしい道が続いていて、今日2回目の道間違い。

また引き返して、少し分かりづらいが赤テープと阿讃縦走路の木札のある場所から取り付く。

ここからは今日一番の急登が始まる。木の枝に掴まりながら、足を滑らせながら登って行く。













急登を登りきり尾根道になっても赤テープは続いているが、448mの標高点まで来ると

そのテープが見当たらなくなった。少し三人でうろつく。










地形的に北西への尾根に行きそうになるが、GPSを見ると県境からは外れている。

仕方がないのでそのまま県境尾根となる北に向かっている尾根まで、トラバースでして藪の中を進んで行く。

少し離れてしまった奥様たちに、声を出して位置を確認しながら歩いて行く。










何とか軌道修正をして北尾根から麓に向かって下って行くと、

山際に建つ廃屋のある場所に出た。廃屋から少し進むと今度は護岸工事をした槇川に出た。

川の向かいには立派な民家があり、丸太の橋?がかかっていた。

その橋をじっと見つめるあっちゃん。『渡りたいんでしょ!』と言うとニンマリ。










丸太二本を束ねた橋。板ではなく上部が丸まっているので真直ぐには進めず、

横に向いてのカニ歩きで渡って行く。後に続くあっちゃんもカニ歩き。







慎重なルリちゃんは橋を渡らずそのまま川に沿って歩いて、川の中にある

コンクリートの堤を渡って向かい側まで来た。

川から車道に出ると竹屋敷地区の集落の中を西に向かって歩いて行く。








車道を走る車の音が聞こえてくると、国道377号線が見え始めた。

その国道の下を潜りダイハツの看板のあるお店のから国道を南へと進んで行く。

多和力石地区の名前の由来の、弁慶が力を誇示するのに持ち上げたという力石があった。







力石を過ぎ、今度は国道から離れて橋を渡って槇川の川向へと歩く。

国道を進んで行くよりこちらの方が若干だが県境の近くに続いている。







道の正面に前回歩いた大相山の大きな山容が見え始めると、

中山峠まではあと少し。道の両側には民家が点在しているが、その半分は人の気配がない。

槇川と合流した曽江谷川の橋を渡り国道193号線に出て

中山峠の朝デポした場所まで戻って行く。行動時間4時間38分。沿面距離14.3km。

あのエントツ山さん曰く『最も手を抜きやすく又忠実に県境を辿るのが難しいとも言える縦走ルート』と

言わしめた今回のルート。県境のほとんどが川の中で、その川に沿っての道は無く

車道を歩けば楽勝だが、それだと県境から外れてしまう箇所もある。

それでも今回、ほぼ県境の近くを歩く事が出来た。

次回は今日の境目から鵜峠。以前歩いた時に苦戦した鵜峠の手前のイバラの藪が、

残り三回の計画の山場となるだろう。さぁ~二月中には完歩できるかな?











中山峠まで戻って今日の楽しみの『わたなべのおでん』を食べに移動する。

お店の前には車は停まっていたが暖簾がかかっていない。

恐る恐るお店の中に入り声を掛けると、中からおばあちゃんが出てきた。

今日はお休みだけどおでんを温めて出してあげるという。

ただわざわざ温めてもらっては悪いので、断りを入れて

スタート地点に戻る途中の大窪寺へ寄り道して、前回食べた八十八庵の向かいの

野田屋さんで今回は打ち込みうどんを頂くことにした。

甘い白みそ仕立ての出汁にピリッと薬味が効いていて、冷え切った身体には

少し遅めだったが最高のお昼となった。








今日のトラック



今日の3Dトラック


クレーター五座ならぬ四座

2022年01月13日 | 香川の里山



今週は阿讃縦走路の続きで中山峠から境目を繋ぐ予定だった。

この中山峠から境目の間の県境は中山峠からは曽江谷川が県境となり、

境目までもほぼ川の中が県境となっている。さすがに川の中を歩くことも出来ないので、

車道や里道を利用しながら、いかに県境に沿って歩くかが課題となってくる。

とは言いながら今回は山道を歩くのは僅かで距離も13km程度、

時間もそれほどかからないだろうから、途中は行動食で済ませて

昼食は中山峠の南にある『わたなべ』のおでんでお昼にしませんか?と

ルリちゃんから提案があった。なるほどこの時期におでん。

さすが女子、チェックするところが違うな~などと感心しながら当日を迎えた。

ところが前日からの冷え込みで、奥様たちの西讃では雹が降ったと連絡が入り、

ルリちゃんからは道路の凍結を心配するメッセージが朝一番に届いた。

朝出かけの家の周りはさほど冷えた様子もなく、『大丈夫だと思いますよ!』と

メッセージを返して集合場所の中山峠へと向かった。

長尾町を過ぎ前山ダムを抜けるまではいつもと変わらぬ風景だったが

峠を越えて多和地区に入った途端に周りはは一変して雪景色になった。




それでも県道は交通量もあるので路面の心配はなく、ついでに境目までの

車道を確認しに車を走らせると次第に路面の状態が怪しくなってきて、

時々アイスバーンになったヶ所がある。ただスピードを落とせば走れない事もないので

途中で引き返して中山峠へと向かうと、峠ではおわまりさんが何人も立って、

塩江方面は通行止めと言われてしまった。翌日の新聞には大型トレーラーが

スリップして2車線の道を完全に塞いだ写真が載っていた。

ただこれでは西から来る奥様たちが中山峠に来られない。

早速途中まで来ている奥様たちに連絡を入れて、取りあえず引き返してもらい

高松空港の手前のコンビニで落ち合う事にして私も引き返した。

コンビニに向かうまでの45分の間に、さてさて代替の山をどこにしようかと

色々と考えながら走って行く。コンビニに到着して奥様たちと合流すると、

時間待ちしている間に二人が考えたのはあっちゃん

まだ歩いていないクレーター五座だった。時間は既に10時近くになっている。

直ぐに移動を開始して、前回クレーター五座を歩いた時に車を停めた

平和公園墓地まで車を走らせた。


10時時10分寒風の吹く中先ずは日山へと歩いて行く。

『今日は時間的に五座は無理なので、四座でいいですか?』とあっちゃんに断りをいれ、

三郎池の堤に立つと、池の南に見える竜王山の山肌は雪で白く色づいていた。










池の堤の西端からまずは小日山への遊歩道を登って行くと

高松市街から東讃の里山が見渡せる展望台に着いた。

展望台では奥様たちが最近スマホに入れた山座を同定できるアプリの

『AR山ナビ』の画面をしきりに見入っている。










操作方法をあ~だこうだと言いながら二人で話している横で

そんな二人を眺めていると、人馴れしたヤマガラが木の枝に飛んできた。

あっちゃんが手のひらを広げて差し出すとさっそくちょこんと飛び乗って来たが、

残念ながらその手にはヒマワリの種は無く、直ぐに木の枝へと飛び去った。

恨めしそうにこちらを見つめるヤマガラちゃん!







小日山から一旦下って日山へと取り付くと、花崗岩が風化した急登となる。

乾いた花崗岩の急登は普通は滑りやすいのだが、この坂はその花崗岩が

階段状になっていて登りやすく、ルリちゃんがグイグイと登って行っている。










途中の『顎だしルート、難関の尻見坂』の立て札通り、ルリちゃんのお尻を見ながらの急登登り。

額に汗が流れ始めた頃に展望台のある日山の山頂に着いた。










山頂の展望台では次から次と軽装の地元の人たちが登ってくる。

ザックを背負っている私たちはどうやら珍しく見えたのだろう。

そのほとんどの人が笑顔で話しかけてくる。地元の人たちからすれば

この展望台が社交場になっているようだ。







三郎池の堤、小日山の展望台、そしてこの日山の展望台で時間を潰してしまったので

次の馬山へと雨山との鞍部に向かって下って行く。

こちらも階段と黒い土嚢袋で滑らないように整備されていて、

急な下り坂だがひょいひょいとルリちゃんが下って行っている。

途中にあった温度計は5°を指している。登りではそうでもないが、

さすがに樹林帯の中の下りでは直ぐに体が冷えてくる。







雨山への鞍部からは南に向かって真っすぐ車道を歩いて行く。

馬山は山の東側の竹林が取りつきになる。車道の脇に小さなピンクのテープが目印だ。

車道から山の中へ入って行くと直ぐに竹林の中の道になる。










竹林を抜け九十九折れの坂を登ると平らになった馬山に着いた。

木々に囲まれ眺望も三角点もない平凡な山頂に、直ぐに次へと西に向かって下って行く。

下って行く途中で12時を知らせるチャイムが聞こえてきた。

『あ、12時!』とあっちゃん。『さっき馬山でおにぎり食べたでしょう』と私。







馬山の西の登山口には鬼瓦を並べた建築会社の建屋がある。そこからまた南に向かって

次の日妻山へと糖山池に向かって歩いて行く。

すると住宅地に入る手前で道の脇の小さな池でガーがーと騒がしい声がする。

覗いて見ると池の中で飼われているアヒルが餌をせがんで寄ってきた。

今日はヤマガラといいこのアヒルといい、とにかく餌をせがまれるが持ち合わせがない。







住宅地を抜け日妻山の西側まで来ると、前回田んぼの畔から取り付いた場所にあった

テープが見当たらない。そして山際にはネットが張られているのが見える。

この場所は所有者の方と登山者が度々揉めている場所だ。取りつきの場所は分かるが

テープが無くなっているのがとにかく気になる。奥様たちは更に南側のため池の取りつき場所を

様子を見に行ったが、やはり前回と同じように『登山禁止』の札があったようだ。







仕方がないので一旦見性寺でお昼ご飯にして作戦会議にする。

昼食を摂りながらスマホで色々調べてみる。以前reikoさんがその登山禁止の場所を避けて

日妻山の南側へ下っていたレポートを見た記憶があったので、HPを見てみるが

そのレポートにたどり着けず、結局YAMAPを見てみると、正月明けから前回登った畦道の

取りつきを皆さん歩いている。そこで『強行突破で行きましょう!』と言う事になった。




取付きからは最初はシダの中、そして次にここでも急登が続いて行く。

その急登に途中の展望所にも気づかず珍しく黙々と登って行く奥様たち。

このクレーター五座は今回登らなかった実相寺山

250mが一番高い山だが、標高はともかく取りつきからは急登ばかりなのだ。













急登が終わり道が緩やかになってくると、四等三角点 日津間 235.8mのある山頂に着いた。







日妻山からは西に向かって最初は笹の中の道が続いて行く。

時々急な箇所もあるが、葉の落ちた木々の間から日差しが差し込み、

気持ちのいい雑木林の中の道となる。




その日妻山から一旦三郎池の淵に出て、県道を渡り大きなカントリーの建屋の奥から

山際へと、今度は南に向かって登って行くと平和公園墓地からの道に出る。

少し南に進むと取りつきにはテープがあり、左上に向かって道が続いている。

道に沿って歩いて行くと小さな祠があり、その祠の手前からまた急登が始まっていく。







道がトラバース気味になりさらに登って行くと雌上佐山との分岐に出た。

前回このコースをWOC登山部で歩いた時は、ルリちゃんも雌上佐山へは向かわず、

直接上佐山に登ったので、あっちゃんと二人で雌上佐山へと歩いて行った。

雌上佐山は眺望もないので私はパスして、今日最後の急登へと取り付いて行く。

上佐山山頂手前は日山の南ルートと同じような花崗岩風化して段差になった急登が続いている。

途中からはロープが張られていて掴まりながら登って行く。







ひと汗かいて山頂に着くと剪定バサミを持った初老の男性がいた。

地元の方でこの上佐山をコツコツ整備しているらしい。その男性は上佐山には他にも

南東と南西のルートがあり、南東のルートは今整備中だが、なかなかいい道だと教えてくれ、

他にも嶽山の東ルートや日妻山の北ルートなど、とにかく里山には詳しく、

奥様たちが登ってくる間ひとしきり里山談議に花を咲かせた。

しばらくすると雌上佐山から奥様たちが登って来た。初めてこの上佐山に登ったあっちゃんが

360度の大展望に感嘆の声を上げている。










するとまた二人が小日山の展望台と同じように、スマホを取り出しAR山ナビを眺め始めた。

見えている景色とスマホの画面の山の名前がなかなか一致しないらしい。







私がストックで指して山の名前をひとつひとつ教えてあげるが、

スマホから目を離さない。せっかくの大展望をもっとしっかり目視した方が

山の名前を覚えられると思うのだが・・・・。そのAR山ナビの練習が一通り終わった所で、

私の方から周りに見えている山を指しながら山名検定を始める。

問題を出してもあまり正解が出てこないので奥様たちのランクアップは今日はお預けとなる。











上佐山での展望を楽しんだ後、車を停めた平和公園墓地へと急坂を下って行く。

それにしてもルリちゃんの下りのスピードが半端ない。

ついて行こうとスピードを上げてみたら、根っこの上に足を乗せてしまってスッテンコロリン!

先ほど日妻山の下りでも落ち葉で足を滑らせ尻もちを付き、今日二回目の転倒!







そんな私を見てあっちゃんは同じ轍を踏まないように慎重に降りている。




予定していた中山峠~境目までの13kmまでの距離にはならなかったが、

沿面距離9.5km、行動時間約5時間の里山歩きとなった。

来週も天候次第では阿讃縦走路は厳しくなるかもしれないが、

計画では残り4回で完歩できるはず。2月中には何とか達成したいと思っている。




今日のトラック



今日の3Dトラック

線で繋ぐ阿讃縦走路(宿題) 大川山~柾木

2022年01月06日 | 香川の里山


線で繋ぐ阿讃縦走路、第6回の先週で余木崎~中山峠まで一応繋がった。

但し繋がったのは奥様たちだけで、既に奥様が歩いている

大川山から土器川源流の碑までが、私一人が未歩だった。

その冬休みの宿題に、今週は奥様たちにもお付き合いいただいて歩いてきた。

ただ大川山から土器川源流の碑までだと9km程度の距離。その距離の割には

車をデポするのに時間がかかる。ならばその先の三頭越えまで歩こうかと考え

調べていたら、どうやら三頭越えの手前の柾木から道の駅ことなみに向かって

破線が続いているのが地形図に載っていた。これなら道の駅に1台デポして、

大川山までの移動時間も短縮できると考えた。

ところが前日にWOC登山部のKさんが大川山の様子をアップしているのを見ると、

山頂は雪景色。途中の車道も真っ白!。Kさんは四駆のスタッドレスタイヤだったので

キャンプ場の駐車場まで走ることができたと教えてくれた。

仕方がないので、キャンプ場までの車の移動は諦め道の駅に1台デポし、キャンプ場までの道を

ノーマルタイヤでも走れるところまで移動してスタートする事にした。


幸い車道の凍結はほとんどなく、途中の展望台近くまで走ることができ、

凍結が始まった場所の手前に車を停めてスタートする。

今日は大川山からなら6時間の行程の予定だったが、ここからならプラス30分程度で

歩く事が出来そうだと奥様たちに声をかけ歩きだした。







取付きからは杉林の中、山頂直下の中寺廃寺跡への分岐の手前まで

道に薄く雪が積もった急登が続いて行く。







毎年の事だが、中寺廃寺跡への分岐は吹き溜まりになっていて雪の量が増える。

最後の階段を登りきり分岐に出ると、周りは一気に冬景色に変わった。




分岐の北側にある展望台に寄り道をしてみるが、とにかく風が冷たい。

いつもは中讃の平野部が見渡せる大川山でも一番眺望のいい場所だが、

曇り空の下あまり見晴らしも良くなく、じっとしていると凍えてしまうので、

早々に折り返して山頂へと歩いて行く。







分岐から山頂への道もいつもなら階段が埋もれるほどの積雪があるが、

今日はそこまで積もっていなく、準備したアイゼンを使わずに登って行けた。










大川神社の裏手から山頂に着くと意外や積雪はほとんど無く、取りあえず三角点へ。

境内を神社の正面に周り参拝すると、少し積もった雪を見て、

慎重なルリちゃんがアイススパイクを履き始めた。







神社からは南の展望台へ。ここから阿讃縦走路が始まる。

縦走路は何度か車道と交差し続いて行く。登山道はアイゼンの必要がないが

車道のアイスバーンは油断すると、ツルっと滑り危うく転倒しそうになる。













阿讃縦走路はほとんど眺望のない道が続くので、線で繋ぐという目的が無ければ

面白味のないコースだが、今回は時々尾根までの伐採地では眺望が開けている。







伐採地から一旦下って登り返すと大きなヌタ場には厚い氷が張っていた。

興味津々にその氷をつつく奥様たち。







ヌタ場の先は今日二つ目の三角点四等三角点 上白井 871m

ところがその三角点が見当たらない。キティーちゃんのプレートが掛けられた後ろの辺り

のような気がするが、伐採の木が積まれていて探す気にならない。

WOC登山部のセニョさんが居たなら、何が何でも探し出すだろうけど、

そこは拘りのない三人。先を急いでそのまま進んで行く。







上白井からも県境杭に沿って縦走路は続て行く。そのほとんどの県境杭のそばの木には

ピンクのテープが巻かれていて、場所によっては登山道の目印と間違いそうになり紛らわしい。

単調な縦走路も意外と急坂の下りと急登があり、下り坂では前々回にストックが3段伸びるのを

憶えたあっちゃんが、上手にストックを使って下っている。(*'▽')













縦走路が大川山から南に続いていたのが、少し東に振り始めた場所にまた広い伐採地があった。

左手には大川山のまんのう天文台が小さく見える。

東にはこの縦走路から三頭越え、寒風越え、そして竜王山に続く峰々が見える。










ここでザックを降ろして行動食を口にする。行動食といってもあっちゃんはおにぎり二個。

私にとってはほとんどお昼ご飯だ。

冬枯れた殺風景な縦走路には冠毛になったコウヤボウキだけが花を添えてくれていた。

道の真ん中には至るところに『たぬきのため糞』があった。

今まで猪の糞だと思っていたというあっちゃんに狸のモノだと説明すると

『またひとつ賢くなった!』とあっちゃん。

前回もストックが3段伸びるのを知って賢くなったとまた話をぶり返すと、

ルリちゃんから『ほんと、下り坂で急に姿が見えなくなってわ~』と

ダメだしのツッコミが入る。










白井の三角点を気づかずに通過した後、縦走路は一旦車道に出た。

車道も尾根の南側と北側では乾いていたり、雪が積もっていたりした。














車道からまた尾根道に入って行くと四等三角点 下福家 774.3m

さっき伐採地でおにぎり二個を頬張ったあっちゃんが、もうお昼ご飯の場所を気にし始めた。

『風のない日当たりのある場所で食べましょう!』と言うと、『やった~!』とニコリ。







下福家からはまた車道に出ると道に沿って太陽光発電が並んでいた。

車道は尾根に沿って真鈴峠へと続いていた。











地形図では真鈴峠と書かれている場所の車道の脇に城村神社の社殿が見えた。

『ここではご飯を食べる気がしないね』とあっちゃん。

『私はさっきおにぎり食べたからまだ大丈夫』とルリちゃん。

真鈴峠は地形図に載っている場所から更に先の切通になった場所に案内板が立っていた。

真鈴峠の由来については、峠東側の真鈴集落(まんのう町)には昔水がなく、

弘法大師が通りかかって杖で掘ったところ水が湧き出たという、

いわゆる弘法伝説によりこの地を増水と呼ぶようになり、

転じて真鈴の字を当てたのではないかという説がある。

峠道は真鈴街道と呼ばれ、阿讃の峠道の中で吉野川に最も近いため、

江戸時代から讃岐への近道としてよく利用されていたそうだ。







時間もお昼を過ぎ、これ以上あっちゃんが騒ぎだしてもいけないので

腰を降ろしてお昼ご飯にする事にした。ここの所バーナーを持ってきているので、

熱々のカップ麺が食べられる。いつもはミニのカップ麺のルリちゃんが、

珍しく普通サイズを持ってきたが、ザックから取り出したものの、

途中でおにぎり一個を口にしていたので、『やっぱり食べられそうにないわ!』と言って

カップ麵はザックに仕舞って、おにぎりを食べることにした。

『そうそう普通はそうです。おにぎり二個も食べていて、更に魚肉ソーセージと

カップ麵はおかしいですよ。』あっちゃん!




お腹を満たした後、各々が“お花摘み”と“キジ撃ち”を済ませて再スタート。

真鈴峠からの縦走路はしばらくヒノキの林の中に続いて行く。

ご飯を食べて直ぐの登り坂は、いつもながらなかなか足が前に進まない。




ヒノキ林の登坂を越え一旦鞍部に降りると『境 第零號』と書かれた石柱があり、

そこから今日初めてのロープの張られた急登。そして石柱は番号順に続いていたが、

その番号が何を意図するのかは分からない。














急登が終わるとまた単調な縦走路が続いて行く。縦走路から少し外れた天窪の三角点を

通り過ぎると、地形図では南に下る破線があるが、これも気づかずそのまま進んでしまう。

するとビニールハウスのある集落の上部に出た。













ただここはほとんどの人が同じように歩いていて、ビニールハウスの横を

道なりに歩いて民家の中へ入ってしまう。申し訳ないと言いながらルリちゃんが軒先を歩いて行った。

その後をあっちゃんが続いて行くと、ルリちゃんには気づかなかった番犬が

『ワン!』とあっちゃんに吠えつき、慌てるあっちゃん!

吠えるだけで噛みつきはしなかったが、番犬は鎖に繋がれてなく、

民家を離れるまで吠え続けて、番犬としてちゃんと仕事をしてくれていた。







その民家から集落の中に続く車道を歩いて行くと、今日一番の眺望が開けた場所。

南に続く徳島の山並みと吉野川を見下ろしながら歩いて行くと土器川源流の碑に着いた。

これで始業式を前に冬休みの間に宿題を片付けることができた。

源流の水源には正月らしくお供え物が置かれいた。
















源流の碑から東に車道を歩き一軒の民家の前を過ぎると阿讃縦走路の標識がある。

滝の奥の集落を眺めながらまた縦走路へと取り付いて行く。










取付いて直ぐに大きな倒木の下を潜り登って行くと伐採地の中の作業道の道になる。







伐採地の作業道を登りきると道はまた尾根道になり、

ヒノキの林の中を道は続いて行く。







前回歩いた時に藪の中を探し回って、やっと見つけた勝浦の三角点の

藪丘の横を通って下って行くと今度は立石峠に着いた。

立石峠は近くに二双山がある事から、二双越とも地元の人には呼ばれている。

また二双越の頂上には二ソの社(もり)があるそうだ。柳田国男が「神社の原型」と呼ぶニソの杜は、

民俗学上大変重要なスポットであり、祭礼以外では足を踏み入れることが禁じられているという。

その二ソの社が転じて二双越と呼ばれるようになったともいう。







その二双越からは美馬モーターランドのモトクロス場に沿って、

県立自然公園の道標が立つ道が続いて行く。







モトクロス場の敷地が途切れ、更に歩いて行くと道標の立つ柾木に着いた。

征木では今日の尾根道の中では一番多く雪が残っていた。







柾木からは縦走路からは外れて北へと下って行く。

雪の積もる道ではアイススパイクが下駄を履いてしまって、ルリちゃんが歩きにくそうだ。

雪が少なくなってくると余裕が出てきて、あっちゃんに煽てられてポーズをとってみる。













雪道が終わると今度は落ち葉の積もった急坂。どちらにしても足を滑らさないように下って行く。







国道438号線を走る車の音が聞こえ始めると、沢筋に出て明神川の川縁に下り付いた。

川の対岸へ橋を渡り国道を少し歩くと、ほぼ予定通り計画のプラス40分ほどで

車をデポした道の駅にたどり着いた。






今日は上着を一度も脱ぐ事のない、冷たい風の吹く寒い一日だったが、

奥様たちのお陰で始業式の始まる前の冬休みの間で宿題を片付けることができ、

スッキリした気持ちで次の中山峠から東へと駒を進めることができた。

ただここの所10km程度の距離では満足しなくなった奥様たちに、

日増しに不安を募らせるばかりのへっぽこリーダーだった。


今日のトラック



今日の3Dトラック