KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

線で繋ぐ讃岐の里山 三里山~笠ケ峰

2022年02月25日 | 香川の里山

先週から新しく始めた?線で繋ぐシリーズ第三弾。

阿讃縦走路で香川の西端から東端まで繋いで、今度は折り返しで西に向かって

県内の里山を線で繋いで行くという企画?。なんか純粋な山登りとは路線が

違ってきたような気もするが、これはこれで楽しいからいいか!

取りあえずその都度メンバーの誰かが登った事のない山を盛り込む予定なのだが、

奥様たちもけっこう県内は歩いているので、しかも西の住人の奥様たち。

東から西に行くほどルートの選択が難しくなってきそうな気がしている。

そして今回は先週の続きの三里山・虎丸山・筑波山・星越山・笠ケ峰を計画した。

その内、三里山と虎丸山以外の三座は奥様たちは初めての山となる。

私はと言えば、以前に虎丸山から修験造の道を下った時に道を外し、笠ケ峰から星越山を

目指した時も道を大きく外してしまったので、その時の検証が出来る今回のルートなのだ。


今日はまずは笠ケ峰の西の日下峠に集合し一台をデポして、先週のスタート地点となった

国道318号線沿いの鞍谷大師堂までもう一台で移動してのスタートとなった。

移動途中、福栄地区で突然ルリちゃんが大きな声を上げた。

車窓の脇の田んぼに10匹以上の猿がたむろしているのが見えた。

慌てて車を停めてバックすると、猿たちも慌てて茂みの中へ逃げて行ったが、

大きな体のボス猿らしい猿は、最後に堂々とゆっくり茂みの方へと歩いて行った。




車を停めた駐車場からは、先週歩いた笠江山と愛宕山が見える。ここから三里山への

取付きとなる林道たらいヶ谷線に向かって歩いて行くのだが、この林道は地形図には載っていなくて、

航空写真で見ると林道らしき道が写っている。ただ歩いて行こうとする東側まで続いているかどうかは

木々に囲まれて不明なままだった。国道から北に入ると、三里山への取付きまでは予想通りに、

そして予想以上にりっぱな林道が続いて今日の第一関門をまずはクリアー。

途中から虎丸山とその肩に岩肌の三里山が見えた。
















林道は最高地点の辺りでアスファルト道になり、下り始めるとまた地道になった。

その最高地点から少し下がった場所に細い木に赤テープが巻かれていて、ここが取りつきとなる。










赤テープから支尾根に上がると、しばらくは木々の中、地味に急登が続いて行く。







樹林帯を抜けると花崗岩の風化した尾根道になる。ここからがこのルートのビューポイントになる。

周りの木々は背丈ほどしかなく、進んで行くほど高度が上がり、周りの景色もどんどん広がってくる。

東に白鳥アルプス。南に高平山と鵜峠そして西には鬼の角











乾いた花崗土に足を滑らせながらも登って行くと、目の前に三里山の岩塊が見え始めた。

露岩と松の木の間を抜け、登って行くといよいよ三里山が近づいてきた。














最後に大岩を回り込み、南に折れると三里山の岩塊の上に出た。

もちろんここからの景色は申し分ない。今まで歩いてきた阿讃縦走路の峰々。

眼下には福栄地区の田園。そして視線を移すと瀬戸内の青い海。



















『ここから虎丸山まで35分ほどで登れるんかな~』とあっちゃんがYAMAPを見ながら

聞いてきた。たしかにここから見える虎丸山まで、まだけっこう高度差があるように見える。

今日はまだ先が長いので、早々に三里山を引き上げ虎丸山に向かう。










三里山の岩塊からネズミサシがチクチクする尾根を進んで一旦下ると

ロープの掛った急登が始まる。最初は344男爵が取りつけた登山用のロープ。

そしてそのロープが終わるとトラロープが続いて掛けられている。
















急登が終わると別所登山口からの登山道に出て、最後にひと登りすると虎丸山山頂に着いた。

山頂では地元の常連らしき男性が二人、小屋の前で話し込んでいた。










ザックを置いて行動食と水分を補給する。いつもの様に新宮神社の横で記念撮影するが

いつもここでは逆光になって人物が暗く写る。(かなり修正してコレ)










小屋の中には阪神タイガースの応援団の旗と、色々な山名札が賑やかに掛けられている。

恐らく好き好きに木の枝に掛けていた札を、この山を整備している人達が

この小屋の中に片付けをしたのだろう。キティーちゃんもいらっしゃる。







山頂からは修験造の道を星越峠へと下って行く。

ここからは奥様たちも初めての道となる。私はと言えば以前下った時にどこで間違ったのか

道を外してしまい、藪の斜面を苦戦してトラバースした区間だ。

山頂からはいきなり急坂の下りが待ち受けていた。ストックは役に立たず、

木の枝に掴まりながら右に左にと体を移して下って行く。真剣な顔のルリちゃん!







ただ前回どこで間違ったのだろう。道には所々赤テープが巻いてあり、

まず間違えそうな場所はなかった。正面に讃岐化学工業の工場と星越山が見え、

さらに下って行くと作業道に降り立った。











ここから星越峠までは作業道と林道歩きとなる。使われなくなった砂防ダム用の作業道は

道は崩れ、萱が伸び放題で荒れている。










作業道が終わると林道修験造線の終点となり、右に進むと大内ダム。左に進むと星越への林道になる。

この道は大窪寺から與田寺への四国のみちにもなっている。










林道が終わると県道の星越峠の北側に出た。ここから北に向かってしばらくアスファルト道。

右手奥に水主三座の那智山が見え始めると、山側に民家のある場所からまた林道へと入って行く。








アトリエと書かれている民家の横を通り、砂防ダムを見下ろす場所で奥様たちに声を掛ける。

『ここからは山の中に入るので、その前に少し時間が早いけどお昼にします!』と。

するとあっちゃんが『やったー!』と即答。今日はいつもの様にラーメンでなく、

カレーメシを頂く。最初はルーの量が多く水気が多いお粥のような感じだったが、

次第にご飯にしみ込んで、これがなかなかいい感じで美味しく食べられた。













お昼ご飯を終えたあと林道を登って行くが、毎回の事だが食事の後の体が重い。

林道が大きくカーブしたところに、道の脇に登山口の道標あった。これを奥様たちは

世間話に夢中で見逃して行くので『ハ~イ、ストップ!』と声を掛ける。











道標に従い山の中へと進んで行くと次第に道は沢の中の道になる。

この山に登ったのは8年前。記憶はほとんどなかったが、こんな沢の中を

歩いた記憶だけはあった。沢がプチゴルジュになった場所の奥から左に斜面を登って行く。










沢から離れていくと道は途端に羊歯の海になる。一つ目の羊歯の海を掻き分け登って行くと

右手にステンレス製の梯子が掛かっていた。梯子を登ると二つ目の羊歯の海。

ただ足元はしっかりしているので、その羊歯を掻き分け掻き分け進んで行く。

昨年、岩黒山の笹薮地獄を経験した奥様たちにとっては、

これくらいの羊歯の海では藪のうちには入らなくなってしまった。










羊歯の海を抜けると見覚えのある大岩が見えてきた。大岩には先ほどと同じ梯子がかかっていて

岩の上に登ると三体の石仏が祀られていた。その内のひとつは麓にある水主神社の祭神の

大水主大明神。その大岩の手前の岩の上には誕生釈迦と彫られた石仏が一体。

誕生と言う事は赤子と言う事なのか、たしかに体形が今まで見た事もない

お釈迦様なのに、少し笑いを誘うポチャッとした体形をしている。










筑波山からも直ぐに急登が始まった。しばらくすると左下に讃岐化学工業の建屋を見下ろせる場所に出た。










その工場を横目に見ながら登って行くと、以前の町境の杭が道に続いて行く。

そして所々に狸さんのため糞。急登もしばらく続いて行くが、最近その急登の

概念が変わってきたような気がする。スピードが極端に落ち息が切れるような

坂が確かに急登なのだが、ストックを使って登れるうちは急登には

当てはまらないような感じがしてきた。これも今まで奥様たちと歩いてきた成果か?

当然ロープもなくストックだけで登れるこの坂は、急登には当てはまらない?














木々の間に星越山らしいピークが見えるが、まだ少し先。

南西に続いていた道が北西に振ると星越山への支尾根。そして最後の登り。

この辺りで唯一の眺望が右手に広がり石鉄山から那智山への稜線が見えた。










幹に今まで見た事もないような大きなこぶを付けた木があった。

その大きさとこぶの中から更に小さなこぶが飛び出し、悍ましい雰囲気がする。







『星を越える山』。なんて素敵な山の名前だろうと思っていたが、

星越山は小さな山名札と三角点があるだけの地味な場所だった。

ただ前回道迷いで来ることのできなかった場所、四等三角点 星越 439.7m







ここからも前回どこで道を間違ったんだろうと思うくらい

踏み跡はしっかりして赤テープも時々見かける道が続いている。













以前間違った507mへの支尾根に飛び出した。前回はここで真っすぐ進んでしまい

最後は行き詰まり藪の中になり、結局『ぽつんと一軒家』のある民家まで引き返し、星越山を諦めた。




そして507mのピークでも本宮山と書いた札を見て、安易に反対方向への

道を降りてしまった。前回もここで間違い最終的に伐採地に降りてしまった。

ここには『本宮山』と『登山口』、そして『新宮山』の札が掛けられてあったが、

それぞれが間違っている。『本宮山』への分岐は507mのピークの手前にあり、

『登山口』と書いた札は本来なら『笠ケ峰』へ続く道に掛けられている。

そして『新宮山』は新宮神社を祀ってある虎丸山の別名でもある。

とはいえ分岐になっている場所でGPSで確認しなかったのが間違い。

事前にももっとよく地形図と前回歩いたトラックを見ておくべきだった。

10分ほど下った後に気づいて、前を歩く奥様たちを呼び戻した。

二人からは大ブーイング。507mの分岐で、こちらへ歩くように言ったのは

私だったのだから仕方ない。道を間違えているのに気づいてからの登り返しがきつかった。

そもそも507mから下っている途中で右手に木々の間からピークが見えていた。

『本宮山にしては高さがあるな~』なんて思いながら下っていたのだが、

その見えていたピークが笠ケ峰だったのだ。その時点で早めにスマホで確認すべきだった、

と反省するものの後の祭り。507mまで戻ると笠ケ峰へは今度は急坂下りが待ち受けていた。








一旦鞍部まで降りると直ぐに登りが始まった。先頭を歩くあっちゃんが

『これが最後の登りかな~』と言っているので、『確か鞍部に祠がある場所からの

登りが笠ケ峰への最後の登りになると思いますよ』と答える。

道の脇の木が真新しく表皮が削られていた。人の仕業か動物の仕業か?

そして一度登って一旦下ると見覚えのある祠があった。







ここから最後の急登が始まる。そしてその急登を見上げて『え~~!』とあっちゃん。

この辺りは葉が長く3本に葉がなった『三鉾の松?』の松葉が落ちている。

そして松ぼっくりも巨大な松ぼっくりが落ちている。














急登は二段になっていて、二段目を何とか登りきると笠ケ峰に着いた。

三等三角点 笠ケ嶺 559.5m。山容がピラミダルで特徴的な笠ケ峰は、

東讃地区ではどこから見ても同定しやすい山だ。

山頂は木々に囲まれて見晴らしはなく、三角点と山名札、そしてセニョさん

CD版を裏当てして修理したキティーちゃんのプレートがあるだけ。










この山は北側にもう一つピークがあり、竜王社が祀られている。

ところがここでも道を間違えた。計画では日下峠のすぐ北側に下る予定だったのに、

峠から更に北へ下がった林道からの取付きへと間違って下ってしまった。

本来の登山道はこちらなので、道もしっかりしていているので間違ってしまったのだ。







すると先ほどの道を間違え登り返したのが尾を引いているのか、

もう引き返すのはイヤだと奥様たちが言い出した。

仕方がないのでGPSを見ながら藪っぽい斜面をトラバースして軌道修正。










一旦登山道に出たものの、また直ぐに予定していた道から外れ、

市境の杭のある道へと降りてしまった。立派な鎖やロープが張られた道に

疑うことなく下って行ってしまったのだが、前回の歩いた登山口からの

トラックからはどんどん外れて行っている。やはり二度ある事は三度あるのだ。










固まった花崗土の道は滑りやすいのだが、途中からはその表土を

猪が掘り返してくれていて、意外とグリップが効いて助かった。










市境は丁度日下峠へと続いているが、地形図では峠の際は崖になっている。

朝集合した時に見たが高さもかなりある崖になっている。

このまま進んだのではその崖で降りられなくなると思っていると

沢筋に向かって赤テープが見えた。その沢は最後は県道へと続いていたので

テープを見ながら降りてみることにする。










途中でテープは見失ってしまうが、県道までの距離は大したことはない。

少し藪っぽいが、沢筋に沿って下って行くと何とか県道に飛び出した。

すると県道脇の電柱に見覚えがあった。この場所は前回歩いた時の取付きの場所だった。

結局、笠ケ峰からは前回歩いた道をほぼ通らず下ったことになった。

道を外しても最終的には麓を目指せば何とかなる。これも里山の面白さ。

車を停めた峠では、お地蔵さんがそんな私たちを笑顔で見守ってくれていた。







ここ最近奥様たちに釣られてけっこう長い距離を歩いているせいか、

中足指節間接が普段から痛んでいた。歩き始めはそうでもないが時間が

経つほど痛みが酷くなる。そんな関節の痛みに意識がいっていたせいなのか、

帰って着替えをしているとズボンの下のタイツの裏地に、剥けた皮膚と血糊が

べったりついていた。そういえば途中で岩に膝をぶつけて悶絶したのを忘れていた。

膝を見るとやはり傷口の皮膚は捲れてまだ血が付いていた。

転倒以外にも山では何が起こるか分からない。年々体力も落ちていく中で、

ケガをしないよう、そして道に迷わないよう気をつけないとと反省。




今回のトラック



笠ケ峰周辺詳細



今回の3Dトラック

線で繋ぐ讃岐の里山 笠江山~城山

2022年02月19日 | 香川の里山

先週やっと線で繋ぐ阿讃縦走路を終えたところで、たってきの目標がなくなった。

冬になって休止している『線で繋ぐ石鎚山~剣山』は、雪の残るこの時期に

再開するにはまだ少し早いし、最近奥様たちは、『ただ登って下るだけの登山じゃなく

線が繋がっていかないと面白くなくなってきたわね!』とおっしゃっている。

そうなると、まだしばらくの間は県外の山はお預けで、県内の里山を線で繋ぐ事は

出来ないか?と考えていたところ、先週の大坂峠園地から見えた景色は

引田の城山から翼山そして白鳥アルプスが一直線に繋がっているように見えた。

『これ、これ、これだ~!』と奥様たちにその事を話し、阿讃縦走路に続いて、

今度は東の引田町から西へと県内の里山を線で繋いでみる事にした。

これで季節が緩んで線で繋ぐ石鎚山~剣山を再開し、その後またオフシーズンに入っても

しばらくはまた目標が出来て困らないだろう。


その大坂峠園地で眼下に広がる景色を見ながら計画の話をしていると

ルリちゃんが、引田町の安戸池で美味しいハマチ丼が食べられると言い出した。

それを聞いたあっちゃんが『それ、絶対食べましょう!』と。

奥様たちは単純に食欲に釣られ浮かれ気分でいいのだけれど、行程を考えると?マークがついた。

白鳥アルプスの縦走だけで恐らく3時間はかかる。その後翼山、城山まで歩くと、

そのはまち丼のあるワーサン亭の13:30の閉店時間には間に合わない。

もちろんその為に集合時間を早めるなんて考えは、早起きがダメなあっちゃんには毛頭ない。

と言う事で、さてさてどんな一日になる事やら・・・・・。


集合時間はお二人に任せます!と連絡したら、案の定いつもの様に8時30分と

返事が返ってきた。仕方がないので仰せの通り、8時30分に引田町駐車場に集合した。

元引田小学校の跡地には広々とした駐車場と交流センターが新しくできていた。

小学校は川向にある中学校と共に、これも廃校となった大川東高等学校の

跡地に移転したそうだ。どこの市町村でもそうだが、少子化に伴って、

学校が統廃合され、自分たちが学んだ校舎が解体され無くなっていくのは寂しい限りだ。

その駐車場に一台車を停めて、もう一台で白鳥町の国道318号線の

鞍谷大師堂のある側道まで移動してスタートする。前回WOC登山部で白鳥アルプスを

歩いた時にもこの場所に停めてスタートした場所だ。

ただYAMAPを検索していると、もっと山の近くに車を停める場所があるようだが、

今回ここに停めたのは次に線で繋げるのに容易になる様にと考えての事。

単純に線で繋げるといっても、実は地図とにらめっこして大変なのだ。




車を停めた場所から湊川に掛かる橋を渡り、川沿いの道を東に向かって歩いて行くと

四国のみちの道標がある。道標に書かれた『讃岐相生駅』の方向に向かって進むと、

猪避けの柵のゲートがあり、そのゲートを開けて更に奥へと歩いて行く。







日陰になった場所には、昨日降った雪がまだ道の上にも残っていた。

四国のみちによくある擬木の丸太の階段を登りきると、山側に保安林の黄色い標識が立っている。

ここから山へと入って行くが、入り口には注意書きが掛けられていた。

最近、八栗寺の関係者の方から五剣山に登った時のブログを削除してくださいと書き込みがあった。

またクレーター四座のレポートにも日妻山に西側から登ったのはどうかと、と書き込みがあった。

最近そんな事で立ち入り禁止になっている場所を歩いている自分には身につまされる注意書きだ。














最初のピークとなる笠江山へはこの時期なら周りの草木も枯れていて、

踏み跡もしっかりしているので、迷うことなく登って行ける。足元に安山岩の露岩が現れてくると、

『何だか城山の南側を登っているような感じ』とあっちゃん。確かに雰囲気は似ている。







高度が上がってくると南から西にかけての景色が広がってきた。

山肌にはまだ白く雪が残っているのが見える。


電波塔のある高平山の奥に阿讃の稜線


堂々とした山容の虎丸山とその左に鬼の角右には笠ケ峰が頭を出している


三本松の市街地の奥に北山鶴羽山



その眺望を楽しみながら登って行くと今日最初の三角点三等三角点 笠江山 233mに着いた。

三角点の横に掛けられっていた『東かがわ市合併10周年記念』の山名札は

他の山ではほとんど字が消えかかっているが、ここでは新しく書き換えられていた。







笠江山から東に向かって縦走路が始まっていく。その山頂の北には県内の里山で時々見かける

質火山角礫岩の岩塊が愛宕山だと書いた札が掛かっていた。

もうかなり昔に、裾野の国道を走る度に見えたこの岩塊がどんな風になってるんだろう思って

この白鳥アルプスに登ったのが最初だった。西側から藪を掻き分け登って見ると

下から見えたのと全く違って、それは想像してたのよりかなり大きな岩塊だった。

その表面は礫岩らしくもろく、掴んだ岩がポロっと抜け、掴まる木も

ほとんどなく、降りるのにとても怖い思いをした記憶がある。

いま改めて見ると、よくあんな所をロープもなく降りられたなと思う。

(その時は正面奥から登ってきて、左の斜面を命がけで降りた)




そんな話を奥様たちにしながら一旦下って行くと、テープに沿って下っているはずなのに、

どうも奥に見える峰々から外れて行っているような感じがした。







『ちょっと方角が違うような気がする!』と奥様たちに声をかけて軌道修正。

少し藪の中をトラバースして縦走路の稜線へと戻って行く。

それにしても途中まであった不可解な赤テープは何だったんだろう?







稜線まで戻ると、縦走路となる峰々はまだまだ東に続いている。

一旦笹の中を鞍部まで下り、そしてまた登り返していく。








小ピークの手前では先ほどより少し東側に寄って白鳥町から大内町が見える。











少し広くなった尾根では、その尾根の一面を猪が掘り返していた。

石槌山の手前の小ピークにはかんざし山の札が掛かっていた。

それこそ最初にこの山に来た時は、今回の四国のみちからの取付きはなく、

笠江山の西側に『かんざし山入り口』と書かれたテープがあるだけだった。

そのテープから山の中へと取り付いたら、あの愛宕山の岩塊に着いたのだった。

地形図にも恐らくネットにもほとんど載っていない名前を懐かしく思った。










かんざし山から少し藪っぽくなった道を下り、登り返すと石槌山に着いた。













ここからは正面に白鳥神社とこちらに向かって真っすぐ伸びる参道が見える。

そして先ほどまでの西側の景色と、今度は東側の与治山も見え始めた。










白鳥神社と相対すようにして鎮座する石祠の横には、

丁寧に作られた記帳ノートが雨に濡れないように空き缶の中にあった。

石槌山からの眺望も申し分なく。ここで行動食を口にする。

それにしてもあっちゃん。今日はハマチ丼を予定しているというのに、

一個では足りないと言って二個目のおにぎりを頬張っている。








今週は不安定な天候で、今日だけは天気がいい。

『やっぱり私の日頃の行いが良いからですね!』と私が言うと、

『何よんな~、私の都合で今日になったんやから、私のお陰!』とあっちゃん。




石槌山からは花崗岩が風化した滑りやすい道になる。

その滑りそうな場所にはお助けトラロープが張られていた。

小刻みにアップダウンしていくが、このところの縦走で慣れてしまったのか、

奥様たちは何でもないようにして歩いて行っている。










前を見ても後ろを振り返っても判別がつかないような、

同じような稜線が続いている。










242mの標高点まで来るとこのルートで唯一のアルプスぽい雰囲気のするプチ岩稜がある。











それらしく奥様たちの写真を撮ってみるが、ルリちゃんは足元が写ってしまって

ただ岩に足を掛けてポーズをとっているだけの写真になってしまった。
















242mの標高点から花崗土が風化したザレた尾根を渡ると、

道は今度は一変してシダの海の道になった。

特攻隊長?のルリちゃんは、躊躇なく突入していった。










とは言っても足元はしっかりしているので、迷わず進んで行ける。

枯れたシダの葉とその上に積もった雪で足が滑るが、

これくらいの道は奥様たちにとっては朝飯前。スピードを落とさず歩いて行っている。

振り返ると先ほどの岩稜の大きな岩肌が見えた。













シダの道が終わり登り詰めると、白鳥アルプス最後の三角点二等三角点 喜来山 235.6m

始めてここに登った時は、〇米さんの喜来山と書かれた札が掛けられていたが、

今は二つの札とも帰来山と書かれている。(帰来は北側の地区名)













帰来山から一旦下って、少しシダの道を登ると、白鳥中央公園との分岐に出た。

前回WOC登山部歩いた時はこの分岐が判らず、帰来山までの間をうろついた。







分岐から少し登ると電力の鉄塔保線路の杭が立ち始めた。

そして道は保線路の整った道になり、引田インターに向かって下って行く。







急な場所には保線路特有のプラスチック製の階段が続いている。

前方には鉄塔と共に引田町の郊外が見え始めた。










途中で石室の様な石積みが山の斜面から飛び出していた。

『防空壕かな?』とルリちゃんが言うと、『こんな山の中に?』とあっちゃん。

中には右側に一体と正面奥に一体、延命地蔵が座っていた。

不思議に思って帰って調べてみると、それは確かに古墳だった。

川北1号墳と言われる古墳からは遺物も多数出土したようだ。

古墳は低地に築造されるのが普通だが、山中に造られているのは珍しいとの事。

この地区には他にも三ヵ所ほど古墳があったらしいが、現存しているのは

この川北1号墳のみとなっている。







いったい何の跡だったんだろうと三人で訝しながら、さらに下って行くと

引田インターの脇に出た。どのフェンスに沿って最後まで下って行けばよかったが、

道の脇にテープが見えたので、右に山裾へ下って行くと、猪避けのフェンスで

出られなくなった。仕方がないので少し藪の中を裾野へと下って行く。

最後にゲートになったフェンスを開けて道に降りると、別荘だろうか?

立派なログハウスの横に出た。













ここからは小海川に沿って翼山まで歩いて行く。時間は11時40分。

『どうします、このまま翼山に登ったら小一時間かかると思うので、

ハマチ丼に間に合わないかも!』と私が言うと。

食欲優先のあっちゃんは『ハマチ丼に行きましょう!』と言っている。

でもあっちゃんほどはお腹が空いていないルリちゃんは『線を繋げたいから翼山に登る!』と

言っている。『もう、わがままなんだから』とあっちゃん。

いやいや、そもそも集合時間を早くすれば問題なかったのに、それを嫌がった

あっちゃんのわがままのせいなのですよ!







翼山へのアプローチは、ほとんどの人が東側から登って往復している。

このまま駐車場まで移動して、一旦YAMAPを停止して、

ワーサン亭まで車で移動してハマチ丼を頂く。その後駐車まで戻って、

翼山を往復そして城山まで歩くという手もあったが、せっかくなら

翼山の西側から取り付いて縦走して駐車場へ降りた方が、線が綺麗に

繋がっているように見える。ルリちゃんはそれに拘ったようだ。

但し、この翼山を西側から登った人が、YAMAPでもほとんど見かけない。

唯一ジロさんが山裾にある石上神社から登っているのをYAMAPで見た。

活動日記にはその石上神社から尾根までの道の状態や写真も載ってなかったが、

歩いた人がいるなら登れない事はないだろうと神社から取り付くことにする。







神社の石段を登り社殿の裏手に回って、支尾根らしいラインを辿って登って行く。

木に掛けられた注意喚起の札が気になって、ストックで足元を探りながら登る。







支尾根はやはり踏み跡もなくテープもない。里山らしいシダと灌木の中を

度々ニット帽を木の枝に引掛けながら、それでも順調に登って行くと

少しづつ木々が疎らになり、ザレた眺望のいい斜面になった。










右手には翼山南嶺の石祠が見え、その肩越しに引田の街並みも見える。

最後に露岩の岩肌を登りきると翼山から西に続いている尾根に出た。










尾根に出ると翼山までは赤テープが巻かれて、踏み跡の残る道が続いていた。

そして今日四つ目の四等三角点 翼山 125mに着いた。







山頂からはミニ八十八カ所の石仏が道の脇に並んでいる。

時間が気になるところだが、眺望が抜群の南峰にも寄ってみる。







岩稜の南峰には弁財天が安置されていて、そこからは360度遮るもののない

眺望が広がっていた。


五剣山は何処から見ても直ぐに五剣山だと判る


先週の阿讃縦走路のゴール地点の県境


拡大すると大坂峠園地も見える


西には最後の目的地の城山



一通り360度の景色を堪能した後、時間は12時24分。

ルリちゃんは何を思ったのかおにぎりを頬張りだした。

『何しょんな~、まだハマチ丼に間に合うぞ!』と声を掛ける。










『吉 幾三!(よし、行くぞ)』と言うとあっちゃんも『ハマチ丼、ハマチ丼!』と声を張り上げた!

それからは岩場もロープも何のその、一気にスピードを上げて駐車場めがけて下って行く。













いやはや食い意地とは恐ろしいもので、南峰からは10分ほどで梯子が掛かっている

登山口へと降り立った。よしよしハマチ丼には十分間に合う!










予定通り駐車場でYAMAPとGPSを一旦停止し、あっちゃんの車に乗り込み

ワーサン亭へと移動。平日なのでお昼時にもかかわらず、他にお客は見当たらず、

安戸池の見える窓辺に腰掛け、念願のハマチ丼と痩せの大食いのあっちゃんが

『二人で分けましょう!』と言ってハマチカツの単品を有無を言わさず頼んだ!










念願のハマチ丼と思ってもみなかったハマチカツの美味に酔いしれた後、

また車で駐車場まで戻って、YAMAPを再スタートする。

駐車場から城山までは小海川に沿って河口まで歩くのだが、

せっかくなのであっちゃんは引田に来たことがないと言うので、

少し回り道をして街中を歩いてみる。井筒屋敷やかめびし屋を見て回る。

一度は見てみたいと言っていた雛壇も、見学できて満足したご様子のあっちゃん。














趣のある街中を散策した後は、かめびし屋の北側の橋を渡り城山へと向かって歩いて行く。











引田城の駐車場からは整備された道が続いている。

その道をひと登りすると眼下に引田の漁港が見下ろせる尾根に出た。











花崗岩の尾根を登って行くと石垣の残る本丸跡。そこから南西に天守台への道が続き、

途中には今日最後の三角点四等三角点 城山 82.3mがあった。

これで今日はYAMAPのポイント五つをゲットして喜ぶあっちゃんと

既にすべて既踏だったルリちゃんは、線が繋がって喜んでいる。

そんな奥様二人に挟まれて何故か肩身の狭い格好のへっぽこリーダー。










三角点の更に先にある天守台からも引田の街並みを見下ろせた。

南に見える山並み指さし、『あれをずっと歩いたんだね~』と

阿讃縦走路を歩いた日々を思い返している二人。

駐車場に置いてあったパンフレットには引田城の想像図の写真が載っていて、

その想像図には立派な本丸や天守台が描かれている。

その当時もこの天守台から、同じこの景色をお殿様も見ていたのだろうか?













天守台から今日最後の目的地の引田鼻灯台へと向かう。

昭和29年に建てられた灯台は、潮風にさらされ白いペンキも剥げかけている。

灯台の横から回り込み引田の鼻に着く。今日はここがゴールだが、『線で繋ぐ讃岐の里山』は

ここからスタートとなる。前半部分の東讃地域の里山は、ある程度線で繋ぐ構想は練れているが、

高松市辺りからはどうやって繋いで行くかはまだ頭に描けていない。











阿讃縦走路の時は県境にちゃんとした道が続いていたけれど、

『線で繋ぐ讃岐の里山』になると、いかにして点在する里山を繋いで行くか、

ひと捻りも二捻りもいりそうだ。ただ旅行と一緒で、実際に歩いている時と

同じくらい計画を練るのも楽しみの内の一つだ。

そんな事を考えながら駐車場へと戻る途中の引田の港は、湾に突き出た半島(城山)が、

北東からの風を防ぎ『風待ちの港』として栄えてきたという。

そんな風待ち港。今日は波一つなく青空の下、穏やかに水面が輝いていた。


讃岐平野に点在する里山。さてさてどう歩いて繋いで行こうか。










今日のトラック




今日の3Dトラック




線で繋ぐ阿讃縦走路 一本松越~引田町坂元

2022年02月10日 | 香川の里山

日帰り登山で石鎚山~剣山を線で繋いでみようと思い立ったのが

昨年の夏前。それに賛同してくれた奥様たちと主に周回しながら、

少しづつ線で繋いできたが、12月を目の前にそろそろ県外の

山に出かけるのが厳しくなってきた(2駆ノーマルタイヤ)ので、

例年通り里山歩きに切り替えようと思ったら、ここでもまた

『線で繋ぐ!』の言葉が頭の中に浮かんできた。

独り歩きをしていた頃には、なかなか日帰りでは遅々として進まなかった

阿讃縦走路だったが、3人だと車をデポ出来るので計画が容易になった。

もちろんこれにも奥様たちも賛同してくれて、歩き始めたのが11月末。

そして今日で11回目の縦走路。(以前に歩いた2区間は除く)

そしていよいよ今日で最後となった阿讃縦走路だった。


引田町と鳴門市の県境となる国道11号線沿いの路肩が広がった場所に

1台をデポ。その後1台で先週もスタート地点となった

川股ダムまで移動して先ずは一本松越へと歩いて行く。

朝一番は曇っていた空も、徐々に明るさが増してきた。










ダム湖の湖畔を歩き、林道から山道へと入って行く。砂防ダムの横を上がり、

ヒノキの林の中を少しづつ高度を上げていく。










ヒノキの林から道はシダの道になる。谷あいに差し込朝の光にシダの葉が輝いている。




何度か谷筋を回り込みながら歩いて行くと、ダム湖へ流れ込む沢の最上流部。

その涸れた沢を渡ってひと登りすると一本松越に着いた。










先週はここから西に向かって歩いたが、今日は反対の東に向かって歩いて行く。

境界杭と見出標、そして縦走路の標識。ここから最後の縦走路歩きが始まる。

先ずは451mの標高点まで最初の急登。







451mの標高点には高丸山と書かれた山名札が掛けられていた。

地形図にもYAMAPにも載っていない山の名前。縦走路の途中にある小ピークといった感じの場所。

こんな場所を地元の人はわざわざ高丸山と読んでいるのだろうか?







その高丸山からは北東に向かって緩やかに下り坂が続いて行く。

境界の石柱と見出標がやたらと目立つ道。単調な道に、奥様たちは

この見出標の番号を数えながら歩いて行く。













412mの標高点の手前では、少しスズタケに囲まれた道になる。







スズタケの道を過ぎしばらく歩くと今日最初の三角点。三等三角点 鉢伏 439.3m

この辺りの山頂には東かがわ合併10周年の際に行われた、

東かがわ市里山チャレンジ30山の木札が掛かっている。










鉢伏山を過ぎると道は北に向かって振って続いている。尾根の東側には高速道路があり、

スピードをあげて走る車の音が聞こえてくる。










382mの標高点の辺りでは、西に川股ダムに向かって地形図でも破線が続いているが

プラスチック製の真新しい案内板が掛けられていた。

木々の間からは南東に藍住町辺りだろうか、朝陽に当たってビニールハウスが光って

水たまりの様に見える。北東に目を移すとグランディ鳴門のゴルフ場の大きな建物が見える。










382mの標高点から少し下って行くと、尾根の両側には道もなく、

峠といった雰囲気が全くない場所に小さな祠があった。

ここから前方に見える稜線に向かって登って行く。







北に向かって続いていた道が西に振ると急登が始まった。

今日のこの区間では一番長い登坂だった。







登坂が終わると479mの三角点に向かって境山と書かれた小さな道標。

その道標に従って左に折れて登って行くと四等三角点 境 479.7mがあった。










境山から引き返して縦走路に戻り、また北に向かって尾根道を歩いて行く。

けっこうな間隔で掛けられていた見出標がいよいよ1番になった。

次は何番になるんだろうと奥様たちが言っている内に龍王山への分岐に着いた。














今日は時間もあるので龍王山にもサクッと寄り道してみる。

奥様たちはさらに奥にあるビク山は?と言っているが、

以前歩いた時に結構な萱の藪だったような記憶があるので、『龍王山までで!』

と言って踏みとどまってもらう。色々と山名札のかかった山頂だったが

キティちゃんのプレートはここでは半分に割れていた。













眺望もない龍王山を早々に後にして、分岐まで戻り少し歩くとあせび公園の展望台に出た。

東屋とベンチ。そのベンチの先には壊れた双眼鏡。

南には悠々と流れる吉野川の両側に市街地が広がっている。

そして北東には風力発電の建つ淡路島が見える。










今日は少し時間が早いがここでお昼ご飯にする。

ここまで縦走路を歩いてきた中で、最高の景色の中でのお昼ご飯となった。

風は少し冷たいが、それでも天気が回復し青空の下で日差しが暖かい。




いつになく凍えることなくのんびりとお昼を頂いた後、少し下って公園のトイレへ。

独特な形をした東屋の横からは、北に引田町の海岸線が続いている。

そして城山引田鼻の白い灯台が見える。










トイレを済ました後は東側に見える鉄塔に向かって歩いて行く。







鉄塔のフェンスの脇を抜け進んで行くと四等三角点 展望台 392.5m

三角点の点名の通り、ここからの眺望も最高だった。

引田町・白鳥町の奥には直ぐに同定ができる五剣山まで見える。













東屋の横に四国のみちの道標が立っているが、縦走路は大きな展望図の北側に

小さな縦走路の白い札が掛かっている。







眺望をゆっくり楽しんだ後、三角点を探してうろつくが、なかなか見つからない。

三角点は展望所の手前の木の根元にひっそりと佇んでいた。







縦走路の札に従って少し藪いた中を進むと急坂の下りになった。

乾いた土と急な傾斜にストックでは心もとない。

木々の枝を掴みながら下って行っていたら、割と太い枝だったのに

掴んだ途端にポキッと折れて、体重を掛けていたのでそのまま前に一回転。

今まで奥様たちと歩いていて二度ほど一回転して前に転んだ。

一度は雲早山のシャクナゲ尾根で道から外れた時、

もう一つは石鎚山の東稜の笹滝だった。

つい先日あっちゃんに『二度ある事は三度あるがないね!』と言われたばかりだった。

それにしても自分でも分かるくらい今回は大きく飛んで一回転して背中から落ちた。

幸い硬い土の上ではなく、落ち葉が積もった中に落ちたのが良かった。

















『KAZASHIさんは、転ぶ時は半端ない転び方をするね』とあっちゃんに笑われた。

急坂を下りきると四国のみちの道標の立つ場所に出た。

その合流地点から一旦登り返しとなる。










鉄塔広場を過ぎると、道はけっこうワイルドな道になってきた。

灌木の中、とにかく見出標を目印に下って行く。










一旦離れていた四国のみちの峠に差し掛かると、道は切通の上部に出た。

よく見ると右に下る道が続いていたが、ルリちゃんは半分降りかかっている。

いつもなら無理せず引き返して道を使うルリちゃんだが、今回はそのまま下って行った。

そして案の定、最後は尻もちをついて着地した。














峠になる切通の反対側に取付き登って行く。これが今日最後の登坂かな?

花崗土が固まった道の両端は滑りやすく、中央の落ち葉の溜まった部分を

歩こうとするが、木の枝が散在していてこちらも歩きづらい。

登坂が終わった途端にまた急坂下りが始まる。










急坂の最後は県道1号線の車道に飛び出した。地形図ではここが大坂峠となっている。











県道からは北に大坂峠園地へと続き、県境も北へと続いている。

園地の展望台の駐車場にはパトカーが1台停まっていた。

階段を登り展望台に出ると、お巡りさんが二人上から降りてきた。

少し話をすると、署内ではなくお昼ご飯を屋外で食べる様にしているそうだ。

これもクラスターにならないようにのコロナ対策だそうだ。

園地は木製のデッキで出来た展望台と、更にその上に東屋とパラグライダーの発進場がある。

芝生の広場になったそのパラグライダー場で、今日はモグモグタイムにしてみる。

コーヒーを沸かし、シュークリームとチョコレート。














阿讃縦走路のフイナーレに相応しい景色と青空の下でのんびりと過ごしていると、

自転車の服装をした白いひげを蓄えたおじいさんが歩いてきた。

ここでも話を聞くと、普段は阿蘇の山の中で喫茶店をご夫婦で営んでいるそうだ。

2月はお店をお休みにして、今回は10日間ほどキャンピングカーで四国を廻っているという。

今日は奥様は大塚美術館、そして本人はロードバイクで走ってきたようだ。

普段は山の中で、そして時間が出来たらキャンピングカーで全国を回る。

羨ましい限りだと三人でしきりに感心する。

ここからは先ほど見えた城山とその西に続く白鳥アルプス、そして虎丸山・笠ケ峰まで見える。

その景色を見ながら来週の計画を思いついた。私とルリちゃんは既歩なのだが、

あっちゃんが歩いていない白鳥アルプスを歩いてみようと提案をする。

ついでに伊座山・与治山・翼山・城山をゲットしようと言う事になった。

するとルリちゃんが安戸池でブリ丼が食べたいと言い出した。それを聞いたあっちゃんの目がギラリ。














あまりの天気の良さと景色の良さに思わず寝転がるあっちゃん。

ここから先の最後の行程が無ければ、このまま夕陽と星空を眺めていたい、そんな場所だ。








そうは言っても最後の県境までは下って行かなければ線は繋がらない。

木製の展望台からは最終目的地の小さな岬が見える。(法面保護のコンクリートの奥)

展望台から駐車場まで降り、引田部族の説明板の脇から、ガードレールを越えて

県境に沿って下って行く。







展望台から見えた最終地点までの尾根は急角度で下がっていた。

その見えた通り県境尾根はかなりの傾斜の下り坂となっていた。

先ほどの一回転転倒の二の足を踏まないように慎重に下って行く。










急坂が終わると花崗岩が風化した尾根になった。短い距離だがここの景色もいい。

その尾根を過ぎると道は少し藪っぽいシダの道になった。

藪ぽいが踏み跡も赤テープもあるので迷わず下って行ける。











国道を走る車の音が大きくなってくると、切り通しのコンクリートの法面の脇に

赤テープが続き、最後は『讃岐山脈ロングトレール』の小さな札が掛かっていた。

二・三枚木の枝にかかっているその札を目印に下って行くと国道に飛び出した。(引田側)













その国道を渡りまた法面のコンクリートの脇から取り付く。

その切通の法面に沿って登って行くとシダの中に今日最後の三角点。

四等三角点 県境 40.4m。この三角点の点名は阿讃縦走路の最後を飾るに相応しい名前だった。













三角点の更に先の岬の突端まで歩いて行く。右下には碁裏漁港。左には引田の海岸線が続いている。

切り落ちた突端で最後の記念撮影。真下にテトラポットは見えているが、人工物。

ここが県境最後の東の端となる。あっちゃんが頻りに覗き込んでいるが、

これ以上は無理ですよ!













東端の突端でこれまで歩いてきた縦走路に思いを馳せた後は、朝車をデポした国道へと戻って行く。

長いようであっという間の2カ月強。奥様たちは線が繋がらないと最近物足りなくなってきたと言う。

予定では春頃にこの縦走路を完歩して、そこから次に中断している石鎚山~剣山に取り掛かろうと

思っていたが、予定より早く終わってしまって春までを持て余してしまった。

さてそれまで次はどんなテーマで里山歩きをしようか。目標を達成するとそれで終わりでなく

また次の目標を作ってしまうのは人の性だろうか。早くも『線で繋ぐ!』という言葉が

頭の中をどんどん駆け巡り始めた。







今日のトラック



今日の3Dトラック



余木崎から引田町坂元まで線で繋がった



阿讃縦走路行程データー①



阿讃縦走路行程データー②



阿讃縦走路行程データー③



阿讃縦走路行程データー④

線で繋ぐ阿讃縦走路 一本松越~鵜峠

2022年02月03日 | 香川の里山


線で繋ぐ阿讃縦走路も残すところあと2回となった。

今日は先週の続きで鵜峠から東へと線を延ばすのだが、

独りで歩いていた時は大山と鵜峠の間が周回できず繋げられずにいた。

今回は車を鵜ノ田尾トンネルの北側にデポして、引田町の川股ダムまで移動してスタートした。

(鵜ノ田尾トンネル北側の公衆電話のある場所の手前に、旧道に入る道にチェーンが張ってある。

その入り口前に車を停め置いた)

先週は鵜ノ田尾トンネルの南側にデポしたのだが、鵜峠への下道歩きは

北側からの方が、道はかなり荒れているが500mほど距離が短い。

奥様たちに事前に『下道歩きを最初に登るのと、最後に下るのとどちらがいいですか?』と

尋ねていたら、『最後に下る方がいいです』と返ってきたので、

今回は川股ダムからスタートする事になった。

引田町に入り馬宿川に沿って南下すると道は次第に狭くなり、

小路池の淵を通り最終の民家を過ぎると川股ダムに着いた。




8時55分川股ダムをスタート。先ずは湖畔に沿って歩いて行く。

ダム湖の南端に差し掛かると道の脇に石垣が残っていた。

この川股から一本松越は引田からの魚の行商人や、札所参りの人たちで賑わい

峠には茶店もあったという。この辺りにも当時は民家があったのかもしれない。







石垣の残る場所過ぎると道にはチェーンがかかり通行止めになっている。

その脇に小さな一本松越の道標があり、踏み跡を辿って山の中へと入って行く。








ダム湖への流入の沢を渡るとヒノキとシダの道になる。

九十九折れのヒノキの林の中の道を登ると、人工林を抜け

次第にシダの勢いが強くなってくる。(大切なお顔に傷がつかないように

両手で顔を覆うルリちゃん













シダの道を抜けると今度は枯れ沢沿いの道になり、左岸から右岸へ渡り

少し登り詰めると一本松越に着いた。(9時30分)













頼朝の命を受けた義経は、海路で屋島に逃れた平家を追って大阪から小松島に上陸した。

そこから北上しながら、屋島の平家方に通報される事を極度に警戒し、

隊を二つに分け自らは百七十騎の本隊を率いて大坂越を、

一方弁慶には八十騎の別働隊をもって一本松越を夜を撤して通過したという。

その峠にはいつの頃に立てられたのかお地蔵さんが二体。

脇にあるプレートに書かれてある内容がお地蔵さんにも刻まれていた。










一本松越という位だからと、それらしい松を探すが、名前の由来となるほどの

松は見当たらない。一息入れた後県境を西に辿って行く。

道には赤く塗られた県境の立派な石柱が続いて行く。













四角に整った形の県境杭とは別に、味のある形をした大山への道標もあった。




一本松越から15分ほどで、今日最初の三角点四等三角点 畑 537.08mに着いた。







畑三角点からも幅の広い縦走路が続いて行く。道には県境杭と別に見出標も

道に沿って木にぶら下げられている。508mの標高点の手前では、

この阿讃縦走路では珍しく笹が茂った道になる。










笹道を抜け標高点を過ぎると目の前にアスファルト道が見えた。大山越だ。

道の北側にアスファルト道は続いているが、チェーンが張られて

車は通行止めになっている。そのチェーンの脇から縦走路は続いていた。














斜面には電柱と電線が続いていて、以前独りで歩いた時はその電柱を目印に藪を登った記憶があるが、

今は踏み跡もしっかりしていて、直ぐに人工林と自然林の境の急登になった。







『今日一つ目の急登ね!』とあっちゃん。先週は急登の連続で途中で

何ヵ所あったか分からなくなったが、今日はこの後これ以上の急登は現れなかった。

勾配がさらに急になってくると、ロープの代わりになぜがアンテナ線が掛けられていた。










急登を登りきると地形図では639mの標高点となっている。

そして石積みがあり右に向いて道が続いていた。(NTTの電波塔に続く道)

この639mの標高点からはまた比較的緩やかな登りが続いて行く。










県境の石柱はどんな間隔で立てられているのだろう。

その間隔に沿っていると岩があってどうしても建てられない場所には

石柱ではなく、岩自体に文字が刻まれていた。そしてこの辺りから県境の杭は

保護するかのように大切に石で囲んであった。







道に少し雪が残っているのを見て、さっき暑いと言って上着を脱いだあっちゃんが

急に何だか寒く感じてきたと言っている。大山越から35分ほどで電波塔のある大山に着いた。










大山には一等三角点 大山 691.3mと、その奥には全国で48ヶ所、

四国にはこの大山と五在所森の二ヵ所にしかない天測点がある。

三角点の三角測量を規正するために、星を観測して経度緯度を決める天文測量の為の

重い機材を乗せるための台座の様なものだそうだが、確かに立派な造りをしている。











星を観察して経度緯度を測量・・・・何て云われても何のことかはさっぱり分からない。

奥様たちに簡単に説明するが、詳しく突っ込まれたら答えようがないので、

サクッと説明を終わらして三角点で記念撮影!




電波塔のフェンスの脇を通り縦走路は続いて行く。

ここからはしばらくは小刻みなアップダウンの単調な道。

奥様たちも黙々と歩いている。













県境の杭もプラスチック製のものもあれば、三角点かと思うほどの立派な石柱ある。

また少し古いのは細いコンクリート製の杭も見かけた。ただどの杭もやはり

石で囲んで保護してある。この辺りはよほど県境杭が大切なのだろう、

他では杭だけで、石で囲んであるのはあまり見かけない。




地形図でも尾根の西側に林道が平行に走っている場所では、

地形図には無い尾根の東側にも林道が続いている。







縦走路にはバイクや自転車が走らないようにと注意書きがしてあった。

林道からは外れて県境に沿って一旦登って行く。意外と急な坂だが、

ストックだけで登って行ける。『ロープがないから、これは急登じゃないね!』とあっちゃん。

先週の急登がよっぽど堪えたのか、これぐらいの登りは屁でもなくなったようだ。











プチ急登を登りきると今日の三つ目の三角点四等三角点 天狗岳 582.5mに着いた。

YAMAPの山頂ポイントも先週は全くなくつまらなそうにしていた奥様たちも、

今日はここで大山と二つ目のゲットになって喜んでいる。










林道沿いの辺りから北に向かっていた縦走路は、この天狗岳から西に向いて続いている。

そして地形図には無い林道らしき道に出た。しばらくは林道を歩いて行くが

道の南側にはピンクのテープが続いている。本来なら縦走路はその茂みの中なのだろう。

適当なところで林道からは離れて、テープが続いている茂みの中へと入る。











縦走路に入り進んで行くと今度は道は北西へと振っている。

ここでは阿波市と上板町と東かがわ市の三市町村の境界となっている。

時間は11時45分。あっちゃんがルリちゃんに『お腹が空かん?』と

頻りに聞いている。ルリちゃんが『全然!』と素っ気ない返事をするので、

今度は私に『お腹空いてきたやろ!』聞いてきた。







仕方がないので、日が当たる場所を探してお昼ご飯にする事にした。

それにしてもここまでで既におにぎり二個を頬張っているあっちゃん。

痩せのこの身体にどんだけ入るのだろうと、ルリちゃんと二人で不思議がる。




お昼ご飯にした場所からも北西に県境尾根は続いている。

そして石で囲んだ過保護な県境杭と、時々岩に刻まれた県境印も続いている。











道が一旦下って行くと、その道の奥に尾根が見える。

下っては尾根へと登って行くの繰り返しになる。














すると今日初めて眺望の開けた場所になった。引田町から鳴門への県境の辺りが見える。







道の北側にはやはり地形図には載っていない使われていない林道が続いている。

その林道からも離れていくと、相変わらず小刻みなアップダウン。














そして何度目かの登りで天井山に着いた。










三等三角点 天井 626.5m。ここからのコースの中では最高地点となる。










天井山から少し進むと千足ダムからの破線が続く分岐になる。

その分岐から今度はいきなりロープの掛った急坂の下りになった。

















急坂下りが終わると大きなヌタ場があった。『これは大浴場だね!』と。

周りにも何ヵ所もヌタ場になっていた。『こちらが露天風呂でございます。』

『そしてこちらが女性専用の浴場です!』と奥様たちに笑いながら説明する。




この辺りから道には保線路の杭が目立ち始めた。道の北側には所々で鉄塔が立っている。

鉄塔越しに見えるのは白鳥アルプスの稜線だろうか?







地形図で御所から北に、沢に沿って破線がこの尾根まで続いている場所に

小さな祠があったが。中には何も祀られていなかった。ご神体はどこにいったんだろう?








その祠を過ぎしばらくすると『兼弘温泉へ』と書かれた札が掛かっていた。

保線路を使って元兼弘温泉へと下って行ける道だ。

すると何を思ったのか、『ここから国道へ降りれますよ!』と私が言うと、

『そんな事したら、鵜峠までが繋がらんでしょ!』とあっちゃんに怒られた。

ここまでの疲れと鵜峠からの嫌な下道歩きを思って、短絡的に考えてしまった。

そりゃそうだ、このまま下ったら線が繋がらないわ!







この辺りから道は西向きから南に振って続いている。先ほどはイノシシの大浴場だったが、

今度はタヌキの大きな公衆トイレがあった。










そして561mの標高点、491mの標高点とどんどん標高が下がって行く。

その途中では乾いたカシの落ち葉だろうか。その落ち葉でとにかく足が滑る。

ルリちゃんの悲鳴があがり、私も尻もちを付いた。














下りばかりと思っていたが、ちょっとした登りもあった。

その登りの先には今日最後の三角点四等三角点 丸住 455.7m

ここには珍しく文字の消えていない〇米さんの札があった。













丸住三角点からは少し藪いた道になる。それでも踏み跡はしっかりしているんで

鵜峠目指して最後の踏ん張りで下って行く。










14時10分、スタートして5時間15分で山道は終了となった。

ここからは北に向かって旧道を下って行くのだが、廃道となった道は

以前歩いた時に、とにかく荒れていた記憶がある。







最初はそうでもなかった路面状態も、次第に落石に寄って路面が埋もれている。

場所によってはその土砂が道の反対側まで迫っている。







よほど大きな落石があったのだろうか、ガードレールが直角に折れ曲がっている。

一番ひどい場所では道路が寸断されていた。整備やメンテナンスされなくなった道路は

こんなにも酷い状態になるもんなんだと、変な感心をしながら下って行く。










川股ダムをスタートして6時間10分。ほぼ予定通りに車を停めた鵜ノ田尾トンネルの北側に着いた。

国道にはトンネル工事の通行制限待ちで何台もの車が停まっていた。

その内の一台の車の中からご夫婦が声を掛けてきた。

話をすると登山者で次の登山のために駐車場所を下調べに来たと言う。

先週から今週の駐車場所や縦走の話をしてあげると、参考になったと言って引き返して行った。

今日は沿面距離が16.3kmと、今回の阿讃縦走の中では最長の距離となったが、

先週に比べると急登がほとんどなかった分、随分と楽だった。

さて来週は川股ダムからスタートして大坂峠を経て、碁裏との県境がゴールとなる。

11月末から思い立って始めた阿讃縦走も、いよいよファイナル。

何だか少し寂しさも感じながら家路へと車を走らせた。


今日のトラック


今日の3Dトラック