KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 詫間四座

2023年01月27日 | 香川の里山


今週の線で繋ぐは、先週からの続きで詫間町の四座を歩いてきた。

七宝山の北に位置する四座を、地元の奥様たちは四座とも既に歩いているが、

私は二座が未登の山だ。先週車をデポした松崎のコミュニティーセンターから

スタートして詫間町を下道歩き。まずは松峯山に登って次に高尾木山、そして

妙見山・博智山を縦走するコース。時間的には今日も余裕がありそうなので、

山中では行動食で済まして下山後にランチとした。




最強寒波とテレビではオウムの様に繰り返してアナウンスしていたので、少しだけ

マシになる木曜日に一日ずらして集まった。先ずは博智山の登山口に集合して一台の

車でコミュニティーセンターまで移動。マシになるとはいえそれは日中の気温で、

朝一番はやはり寒い。防寒にも役立つマスクをつけたまま歩き始める。

詫間町は海岸沿いのせいかさほどではないが、高速で来る途中に見えたどの家の

屋根も真っ白だった。ただ吹きさらしの橋の上になるとさすがに道の脇は凍っていた。








松峯山に向かう途中にある先日オープンしたWOC登山部仲間のトッシーのお店は

まだ時間が早くて人気はなかった。『山から降りてまた来ましょう!』と話をして

先に進む。汐木山を左手に見て汐木原の集落の中を通って行く。







汐木原から東に今度は大原の集落から松峯山の登山口へと向かう。松峯山の登山口は

大原自治会館の横になる。取付きには例によって木製の大きな案内板。案内板には

色々と名前がついた岩が描かれている。








取付きの道標は何故か松棟山と書かれている。地形図にも山名は載っていないので、

地元でも呼び名が色々あるのかもしれない。








登り始めて直ぐに花崗岩の露岩が現れた。そして羊歯の脇に一応花立はあるが石を

積み上げただけのような山神さん。








わずか115mほどの標高だが樹林帯を抜けると見晴らしが良くなってきた。花崗岩が

風化した尾根は、里山ではお決まりの松の低木とネズミサシが生えている。尾根から少

し下には天空の腰掛岩。せっかくなので一応腰掛けてみたが、なかなかの座り心地!











天空の腰掛岩の上には寝モアイ岩。モアイ岩の横では先ほどより一段標高が上がって

正面にはトンギリ山、そして三豊市ののどかな田園風景が見渡せる。











モアイ岩から花崗土の吊り尾根の先が松峯山山頂になる。











山頂からはこれから向かう高尾木山。そして澄んだ空気のお陰で瀬戸大橋も近眼の

私にもくっきりと見える。










松峯山山頂から折り返して登山口へと降り、高尾木山の取付きとなる加齢峠へと向かう。








北消防署第三分署を横目に、峠の頂部の切通の法面から高尾木山へと入って行く。

錆びた鎖を跨いで直ぐに山側に黄色い小さい高尾木山と書かれたプレートがあり、

そのプレートの横には先日も度々見たまちづくり推進隊みのの説明書きもあった。

落ち葉に隠れたコンクリートの道は谷筋を上へと続いている。













そのコンクリート道が途切れると道が不明瞭になる。左手にピンクのテープが見えたので

テープに従い登って行く。踏み跡は薄く少し藪ぽくなって来たが、直ぐ上に尾根が見えた。










テープは見当たらなかったが、細い木の枝を掻き分けながらしばらく登ると尾根に出た。

奥様たちは暑くなってきたと上着を脱いだ。ここからは尾根筋の道。電波塔の電源施設を

横目に見て、テープを見ながら登って行く。











山頂からは北に詫間町の街並みが見降ろせ、南西には燧灘越しに法皇山系

雪を抱いているのが見える、その手前には今流行りの父母ケ浜に白波がたっている。











山頂は四等三角点 高尾下山 270.31m。山名標の前が不自然な大きな窪みに

なっていたので、ここも山城跡かなと思ったが、帰って調べてみると海軍の

機銃陣地の跡ではないかと言う事だった。




山頂からは北西に詫間越に向かって下って行くが、これがなかなかの急坂。

麓近くまで張られているトラロープを握りながら降りて行く。先週位から下り坂で

痛みだした膝が今日も少し痛む。我慢できないような痛みではないが、これが悪化すると

困るな~と思いながら、負担を掛けないようにゆっくりと降りて行く。














貯水槽の横を通りさらに下って行くと、地形図で詫間峠となっている場所に出た。

道の脇には峠らしくひっそりとお地蔵さんが佇んでいた。山頂と同じ木の道標。










道標に書かれた仁尾方面へとトラバース気味に歩いて行く。切通の間を抜けると鳴子峠

書かれた石碑が場所に出た。その手前にはお地蔵さんが数体祀られたお堂がある。













県道231号線の旧道を歩き県道にでた。奥様たちはここから直ぐに向かいの

ミカン畑から妙見山へと取り付いたとの事だった。その取付きでは搬送用の

モノレールの取替の工事をしていた。工事のトラックが古いレールの積み込みを

していた横を通って登って行くと、トラックの運転手から『その先で工事をして

いるので、何かあったらいけないので入らないでください』と注意された。







仕方がないので引き返して詫間側に下りながら、登って行けそうな場所を探す。

集落の手前から尾根に向かって登って行くと、山神さんの祠までは踏み跡が

あったが、そこから先は道は途切れてしまっていた。











奥様たちが前回あるいたルートが通れないとなれば、あとは詫間越えまで仁尾方面へ

下って、妙見宮から登るルートしかない。そうなればかなりの時間のロスになる。

こうなったら尾根を辿って登って行くしかない。最初はイノシシにそこら中掘り返された

竹林の中。次に急登となるが『まだ藪でないからマシね』と言いながら余裕があった。








ただその余裕は直ぐに羊歯の藪を目の前にしてなくなった。でもこうなったらこの

羊歯の藪に突入するしかない。まずは切り込み隊長の私から藪の中へとダイブ。







暖かい時期の羊歯の海では埃が立って閉口するのだが、今日の羊歯は下の方が枯れていて

その枯れた葉が絡んで絡んで足が前へと進まない。途中で今度はあっちゃんが先を行き、

最後はまた私と交代して、とにかく足を持ち上げ掻き分けながら登って行く。











結局、山神さんの祠から僅か100mほどを作戦苦闘して20分以上かかって最初の

ピークに出た。予想しなかった久しぶりの藪漕ぎにホッとする。





小ピークの先で前回奥様たちが歩いた道に合流した。ここからは尾根に沿っての道。

さっきまでの藪がウソのようだ。尾根には至るところにタヌキのタメ糞。この山域には

かなりの数のタヌキがいるようだ。











尾根道を時折急登を交えながら妙見山へと近づいて行く。途中で12時のサイレンが

聞こえて来た。今日は下山後に詫間町でランチの予定。そのお店が13時30分までで

オーダーストップになるので、奥様たちが騒ぎ始めた。











山頂手前では少し眺望があった。顔面岩の横を抜け山頂には取付きから1.4kmほどの

距離を1時間かかってやっと着いた。











羊歯の海で苦戦して登山靴の中が屑だらけでチクチクしていた。山頂でやっと

落ち着いて、腰を降ろして靴を脱ぎ中のごみを取り除く。ただ腰を降ろした

場所が悪くて、『あ~あいかんのに~!』とあっちゃん








時間は12時10分。ここから博智山を通って車をデポした登山口までは2kmほどの距離。








デポの場所からランチのお店までの移動時間を考えても、あとはほぼ下りなので

オーダーストップまでには充分に間に合う。

充分間に合うというのに奥様たちが『急ぐわよ!』と言いながら、博智山への

急坂をガンガンと下って行く。膝を庇いながらも必死でついて行くヘッポコリーダー。











博智山山頂では石鎚山の天狗岳や瓶ケ森にもある金属の山名のプレートが置いてあった。

その脇では絵馬を掛けた木枠が倒れて、絵馬が散乱していた。管理する人がまだ知らないのか、

それとも管理する人がいなくなったのか、でもこうなるともうゴミでしかない。







山頂標の横からは東の景色が広がっている。ここ最近で歩いてきた大麻山善通寺五座

そして天霧山から黒戸山。空気の澄んだ青い空に、流れる雲の白さが寒さを誘う。











八畳岩からは詫間の街並みを見下ろせる。詫間の港の横の塩生山にもその流れる

雲の影が映っている。







八畳岩の下の掲揚台でルリちゃんが『急だけど時間が短い地獄坂を下ります!』と。

何度か来ているこの山で初めて歩く道。どこの里山でもそうだが、次々と道が出来る。








急な場所にはロープが張られた地獄坂。名前ほどではないかな?と思いながらも

やっぱり膝の具合が気になるが、『ランチ・ランチ!』と言いながら下って行く

奥様たちに付いて降りる。











地獄坂を降りきると車を停めた登山口より少し東にでた。そこから下道を歩いて駐車場へ。














お目当てのランチの時間には充分間に合った。以前は居酒屋だったお店がコロナ下で

カレーの専門店に切り替えたお店だ。海鮮とビーフの二種盛のカレーは、今まで

味わったことのないスパイスが効いていて、奥様たちも大満足。








ランチのあとは朝まだ開いてなかったトッシーの所で食後のコーヒー。もともとお爺さんの

鉄工所だった建物をさらぴんと名付けてオープンしたお店。旧知のトッシーと綺麗な奥様が

迎えてくれた。コクのあるコーヒーを飲みながら、奥様たちは娘の様な若いトッシーの

奥様とアレコレ話をしている。それを見ながら『いつもこんなに賑やかなんですか?』と

トッシー。『そうなんよ、いつも二人はこんな感じで、私は静かに後ろから付いて行ってる』と、

奥様たちには聞こえないように答える。コーヒーとは別に姐さんの薬膳茶も試飲させて

もらいながら、今度はトッシーと話し込む奥様たち。

山を下りた後、美味しいランチと楽しいコーヒータイムで大満足のお二人だった。











少しづつだが繋がって来た。

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 三豊五岳

2023年01月20日 | 香川の里山
先週は干支の山歩きでお休みした線で繋ぐを再開。善通寺五岳から弥谷寺の

駐車場まで歩いたので、そこから弥谷寺そして天霧山から弥谷山への稜線まで

登り黒戸山まで縦走。その後黒戸山の南の久保谷へと下って、貴峰山から龍王山

縦走して詫間駅の向かいの松崎コミュニティーセンターまで歩くというコース。

ただこの区間の山は三人とも全て歩いているので、単純に下道を繋ぐための

序の山歩きとなる。一台をコミュニティーセンターに置かせてもらって、道の駅

ふれあいパークみのまで移動してスタートした。




道の駅の駐車場からはこれから歩く峰に、朝の光が当たり始めていたが

日の当たらない日陰はとにかく寒い。弥谷寺の駐車場から境内へと進んで行くと

早速の石段が始まった。












その途中には大きな岩が石段の脇に座っている。遠目にはツルっとした岩の様に

見えたが、近寄ってよ~くみて見ると火山角礫岩の様な小さな石を含んだ岩だった。








地元の奥様たちは何度か来たことのある弥谷寺だが、私は山には何度も登った事は

あったが、お寺は初めて。仁王門を潜って長い石段を登って行くと、吐く息は白く

指先は冷たいが、身体は直ぐに温まって汗を掻いてきた。







まだ気温が上がらず冷えた空気の境内に、花手水の鮮やかな色彩がなお一層目をひく。

本堂でお参りを済ませると、天霧山の肩から陽が登って来た。石仏が並び摩崖仏が

刻まれた水場の洞窟の横を通って天霧山へと向かう。










取付きから直ぐに黒戸山へと書かれた道標があった。地形図では天霧山と弥谷山との

鞍部まで破線が続いているが、ここから尾根への破線は載っていない。ただYAMAPの

コース図にはここから尾根まで10分となっている。それを知らずに鞍部まで歩いて、

弥谷山を経由して黒戸山へ歩くつもりだったが、YAMAPを見てここから尾根に行ける

道を知っていたルリちゃんが『弥谷山には登るん?』と言ってきた。

今日は下道を繋ぐのが目的なので、『いえ別に登らんでも線が繋がればいいので』と

あっさりと計画変更。道標に従って左に折れて登って行く。







道は弥谷山と326mの標高点との鞍部に向かって続いている。踏み跡は薄いが

トラロープがほぼその鞍部まで張られている。











鞍部に着くと先ほどの黒戸山への道標にもあった説明板が野立て看板のようにして

立っていた。三豊市の里山にはどの山にも同じような説明板があるが、個人なのか

グループなのか、とにかくどこの山にもある。木に案内札をぶら下げる程度なら

まだしも、ここまで大掛かりなものを設置するのだから、当然、地権者には了承を

得ての事なんだろうな~などと思いながら、標高点へと登って行く。










標高点に今度は展望と書かれた案内板。左に折れて尾根の端に行くと案内板に

書かれた通り、朝陽で逆光になった善通寺五岳がシルエットになって見えた。











その展望台の少し先にももう一ヵ所展望所があったが、奥様たちはおしゃべりに

夢中で、その案内板には気づかずにどんどんと歩いて行った。





さらにその先にも三つ目の展望所。第三の展望所からは三豊から観音寺に

かけての平野部が、朝靄と朝陽が織り成す幻想的な風景になっていた。

西にはこれから歩くおむすび山の貴峰山を見下ろせる。













いつ歩いても目につく大ヌタ場は、その広さは何年経っても変わってない。いったい

どれくらいの数の猪がこの辺りにはいるのだろうか?











黒戸山へは何ヵ所か鉄塔広場を通過する。久保谷への分岐にも案内板がかかっていた。

ルート図を見ながら久保谷へは初めて歩くあっちゃんに『道はしっかりしていますが、

急坂だったように思います』と説明をする。











道の駅から弥谷寺や展望所で寄り道しながら、1時間20分ほどで黒戸山に着いた。

四等三角点 黒戸山 299.3m 以前にWOC登山部で来た時に、セニョさんが

CDを裏当てして修理したキティーちゃんのプレートも健在だった。











途中にあった展望所も登りの時に奥様たちは通り過ぎてしまったので、下りで場所を

教えてあげる。ここからは詫間の埋め立てられた湾岸部が見渡せる。








久保谷への下りは記憶通りに九十九折れの急坂が続いて行く。途中谷筋で落ち葉に

埋もれて踏み跡が不明瞭になるが、テープを見つけて進んで行く。














途中に何ヵ所か迷いそうなヶ所や危なそうなヶ所に案内板が掛けられているが、

EやD地点と書いていると、まるでオリエンテーリングの様だ。ただその下の

ルート図に詳しく説明が書いてあるのは親切心からなんだろうけど、オリエンテーリング

でも地形図とコンパスを頼りにポイントを探すのに、これではそれこそ観光地?





鉄塔広場から前回は皿池に向かって下って行ったが、少し籔いていた記憶があるので

今日は時間もある事だし、ルート図に書かれている保線路を辿って下りて行く。











保線路を下ると皿池の下手に降りて来た。ここで里山あるあるの猪避けの柵。前を

歩いていた奥様たちがゲートの針金を解いて開けている。昔はこんな柵は余り

なかったので、里山もどこを歩いても大丈夫だったが、最近は下手をすると柵の

外に出られなくなったりするので困る。といっても畑を荒らされる農家さんにとっては

深刻な問題なのだろう。







ゲートを通り、皿池の土手に向かって歩いて行く。突堤の階段を登ると前回下って来た

土手の端に道が続いている。











皿池から県道221号線を三野町に向かって下道歩き。途中路肩の脇から木に

掛けられた札とテープを奥様たちが見つけたが、その札は罠を設置した旨を

書いた札だった。その脇から道が続いているとあっちゃんが言っている。

ここから直接、貴峰山に登れないかと考えたらしいが、大抵こんな雰囲気の

場所の道は途中で行き止まりになっている。まぁ素直に登山口まで下道を

もうしばらく歩きましょうと声を掛ける。











以前に三人で歩いた時は登山口となる大石池の脇に車を停めて歩いた。その大石池には

カモが気持ちよさそうに泳いでいた。振り返ると先ほど歩いてきた弥谷山からの稜線。








宮脇集落の民家の間を通り貴峰山へと登って行く。ふれあい広場と書かれた木製の看板は

来るたびに痛んで朽ちていっている。ただその上にある宮脇の大磐座といわれる巨石は

時が経っても変わらない。磐座(いわくら)と呼ばれているのなら、何か信仰の対象に

なっていたのだろうが、周りを見ても今は全くその雰囲気はない。








大磐座の横を通り横の畑を眺めながら登って行く。振り返ると緩やかな傾斜のついた畑の

向こうに、葛ノ山・爺神山・山条山の三座が見える。畑の上から山道となる。







山道に入り樹林帯の中をしばらく歩くと發心堂と書かれた建屋があり、中には六体の

お地蔵さまが並んでいた。發心とは悟りを得ようと決心する事らしいが、まだまだ

雑念が多くて、そんな境地にはほど遠い。ここにもガイドブックを思わすような

説明板が立っていた。説明板のQPコードを読み込むと、『まちづくり推進隊みの』の

ホームページへのリンクになっていた。どうやら今まで山中にあった説明板や道標は

このNPO法人の人たちが設置したもののようだ。










發心堂で一息いれてその脇の登山口から山頂へと取り付いて行く。階段状の道から

大岩の横を抜けると、離れた場所から見たこの山の形通り、山頂が近づくにつれ

道の脇にはロープが張られ勾配が急になっていく。














山頂は安山岩だろうか、一枚の大岩になっている。その大岩に四等三角点貴宝山

石柱が埋め込まれている。大岩の上に立つと三豊の平野部が全て見渡せる。

貴峰城だったこの山頂。往時の殿様の気分になる。













埋め込まれた三角点を前に記念撮影。天気は晴れの予想だったのに雲が多くなってきた。

吹く風にじっとしていると肌寒い。それではと次の毘沙古山へと進んで行く。


















毘沙古山との鞍部への下りは、登りの時より急な感じがする。木やロープに

掴まりながら慎重に下りて行くが、どうも膝の調子が悪い。大きな痛みではないけど

ジンジンと痛んでくる。これが続くようだと困ったな~と思いながら下って行く。










鞍部にはミニ88ヶ所の26.27番の石仏が向かい合って立っている。








鞍部から毘沙古山への登りはたっぷりと落ち葉が積もっている。登りになると

膝の痛みは直ぐになくなるが、積もった落ち葉に足が滑って膝に負担がかかる。

毘沙古山山頂は北側に少しだけ木々の間からの景色があるだけの山頂だった。

















次の竜王山へも一旦下りとなるが、先ほどの貴峰山の下りと比べると緩やかだ。








鞍部から竜王山への登りの尾根道になると、今までと少し雰囲気が変わってきた。

木の幹に太いツルがそこらじゅうの木々に巻き付いている。巻き付かれた木は

身体に巨大な蛇が巻き付き締め付けられていて苦しそうに見える。










花崗岩の散らばる小ピークを過ぎ、また一旦下って登り返すと竜王山に着いた。














竜王山から北西に進むと最後の展望のある場所。麓に今は閉まってしまった

詫間カントリーと、その並びに同じくらいの広さで太陽光発電所があるのが見える。

その奥には次週歩く予定の高尾木山妙見山








展望所から少し下ると途中に根元から何本にも分れた幹の木は、一瞬ヤマタノオロチに

見えた。尾根道から脇道に飛び出しそのまま右に折れて進んで行く。計画では弥谷山にも

登る予定だったので、今日は全部で五座を歩くつもりだっただ、スタートして直ぐに

ショートカットして弥谷山には登らなかったので一座足らない分を、この先のハゲ山まで

歩いてて補完するのだ。右に折れてすぐにある鉄塔広場から以前は笹薮だった道が、綺麗に

刈り払われた中を進むと今日最後のハゲ山。











ここではキティーちゃんのプレートは三角点名の松崎となっていて、点名も

四等三角点 松崎 126.7mなっているのに、なぜか地元ではハゲ山と呼ばれて

いるらしい。最近特に頭部が気になっている私としてはあまりいい気はしない。







ハゲ山で三野町五岳とした後、麓の北浦地区へと降りて行く。南に向かって広がる

緩斜面の道は日当たりもよく、気温も上がって気持ちがいい。











県道21号線まで降りてくると車を停めたコミュニティーセンターまではすぐそこ。

道の脇には菜の花が咲いていた。明日が大寒でまだ春には早いが、菜の花を見ると

もうすぐそこに春がきていると感じる。








山行中はお昼ご飯は食べずに行動食で我慢。山を下りてからセニョさんのお店で

ランチにしましょうと奥様たちには話をしておいた。いつもはお腹が空いたと

騒がしいあっちゃんも今日は辛抱して歩いて来た。(とは言ってももうすでに、おにぎり

2個とパン1個は食べている)

さっそく車に乗り込み積のお店に向かう。平日のお昼。やはり店内はほとんどが女性。

そんな中でセニョさんも忙しそうにフライパンを振っていた。いつもはカップ麺のお昼だが

今日は私とあっちゃんはシチリアンライス。ルリちゃんはグラタンのランチ。

暖かい店内でゆっくりとランチを食べ終えるとあっちゃんが、『トースト食べたいから

二人で分けません!』とニコニコ顔で言ってきた。『えっ、まだ食べるん』とルリちゃんも

呆れ顔。最初は渋っていた私も何度も言ってくるあっちゃんに仕方なくトースト半分

付き合う事に。これでは浮き輪の様になってきたお腹周りが痩せることはないだろう。

来週は最強寒波がやってくるらしい。それならと少しでも暖かい海岸近くを歩く事に。

今日の続きの詫間町の里山歩きとなる予定だ。












今日のトラック



これで3区間が繋がった

新春・干支の山と聖地巡礼

2023年01月12日 | 香川の里山


今年の干支は『兎』。毎年の事だが年始にこの干支にちなんだ山を探して登って

いるが、今年の兎の山は国分寺町に99.9mの兎子山(うさんこやま)があった。

この兎子山は確か以前は100mと表記されていた様な気がするが、再測量したのか

99.9mとなっている。どうせならきりのいい100mにしておけば、干支の山とは

別にきりのいい100mの山で少しは注目されたかもしれないが、普段は人知れず

ひっそりと佇んでいる山なのだ。

昨年の暮れには奥様たちに正月休みには兎子山に登りたいと話していたが、

僅か10分ほどで登れる山にわざわざ出かけるのも億劫になり、初登りは地元の

雲附山に登って正月休みは終わってしまった。

ただやはり気にはなっていたらYAMAPでこの兎子山を絡めて、火ノ山、峰ケ原、

鷲ノ山を周回している人がいた。これなら奥様たちと一緒に歩いても歩き甲斐がある。

しかも奥様たちはこのコースは歩いた事がない。さらにはぐるっと周回するとYAMAPの

ポイントが7つゲットできる。これに二人が食いついてこないはずがない。

そして火ノ山の直ぐ東にある挿頭山に登ればもうひとつポイントをゲットできる。

手軽な里山を歩いて8つもポイントをゲットできるなんて、なかなかない事だ。

その挿頭山は私のハンドルネームのKAZASHIの元になった山。麓にあるかざし団地の

人達と一緒に山登りを始め、高松市民登山学校にも通い、その後のOB会の登山にも

参加していた頃にKAZASHI TREKKING CLUBというタイトルでホームページを始めた。

その時からハンドルネームはKAZASHIとしていたのだ。故に挿頭山は私にとっては原点、

いやそれ以上の聖地なのだ。と言う事で今週は線で繋ぐの続きはお休みして、『干支の

山と聖地巡礼』をテーマに歩いてきた。




国分寺町の橘ノ丘総合運動公園に集合。集合場所に向かう途中、道の脇の田畑は

霜で真っ白。自動車の車外温度も0度になっていた。

公園の野球場の横に車を停めて降りるとさすがに寒い。『寒いね~』と二人に挨拶して

身支度を始めたが、手袋を履く前の手がかじかんで冷たい。




支度を終えて橘池に沿って北東に歩いて行く。前回WOC登山部で歩いた時は、この公園の

上部から取り付いたのだが、今回は別の登山口から取り付いてみる。池の淵からは

今日の最終地の鷲ノ山が見える。山火事あとの南斜面は以前に下った時には足元が

全く見えず、段差で何度も尻もちをついたり、イバラで苦労して転げ落ちたのが

思い出される。目線を移すと干支の山の兎子山が見える。







池の淵のを歩いて行くと工場の建物が現れる。その建屋の手前が登山口になっていた。

WOC登山部で歩いた公園からの取付きは、羊歯の中の半分藪の様な道で難儀をしたが

今日のこの道は下草もなく踏み跡もしっかりしているので、とても歩きやすい。











しばらくすると道の脇にゴロゴロとした大きな岩?・石?が現れる。岩を見ながら

登って行くと石舞台と名付けられた平らな岩があった。
















その石舞台からは木々の間から高松自動車道が見降ろせる。石舞台から先はしばらく

羊歯道になるがこちらも刈られていてスムーズに歩いて行ける。










尾根に出ると日差しが届き始めた。前を歩くルリちゃんは、取りつきのスタート時点から

小気味よいペースでどんどんと歩いて行く。

その内に火ノ山の山名標の立つ山頂に着いた。三等三角点 西大谷 246.9m

三角点の横には手作りの地図を収めたボックスが置いてある。そして龍王社の石祠。

















山頂から次は北峰を目指して広尾根を東に進んで行く。所々で先ほどの地図に記載

している登山道の分岐に案内札が木に掛けられている。













北峰では眺望がなかったが少し下に降りると、堂山の奥に六ツ目山、その横に伽藍山

そして鬼無の袋山や勝賀山が並んで見えた。東峰は北峰に行く途中にある小ピーク。







北峰から引き返して南に下って行くと鬼の腰掛と名付けられた巨岩があった。前回は

これをセニョさんが登ったが、当然あっちゃんが黙っていない。腰掛には腰掛けず

その上まで登って東に見える景色を堪能している。










私はその前のひとつ小さい岩に登って同じように東の景色を眺めてみた。







東には直ぐ麓にDOCOMOの電波塔の立つ挿頭山、西部広域クリーンセンターから

登る白い煙の奥にクレーター五座が見える。先ほどの北峰でもそうだったが、奥様たちも

自分たちが登った山は比較的容易く山座同定が出来る。




鬼の腰掛で高松市南部の里山を眺めた後、比較的広い尾根を今度は東に下って行くと、

106mの小ピークがYAMAPでは火ノ山南東峰になっている。今日はここまでで

すでに4つのポイントをゲットしたことになり、二人も喜んでいる。














南東峰からは踏み跡が薄く少し道に迷ったが、すぐ下に建物が見えている。

その建物を目指して降りて行くと、大きな倉庫の前に飛び出した。










ここからはYAMAPで参考にさせてもらった人は兎子山に直接向かっていたが、

何と言っても私の聖地の挿頭山にお参りせずにはいられない。国道32号線を渡り、

かざし団地の横を山に向かって登って行く。団地の西側を貯水タンクに向かって進み、

山の中をへと入って行くと、一旦落ち葉の積もった広場に着き、そこから山頂へと

ロープの掛った急登を登って行く。たっぷりと積もった落ち葉が足を滑らせる。

















山頂には電波塔とその奥に四等三角点 十三塚 134.2mと石仏と石祠がある。

その祠の前で聖地に手を合わせる。








聖地をあとに今度は干支の山に向かって下道を歩いて行く。道の横の日の当たらない

小さな池の水はまだ凍っていたが、陽が昇るにつれ気温が上がりポカポカ陽気になってきた。

最初は堂山を正面に、道が西に向かうと今度は峰ケ原と鷲ノ山が見え始めた。














高速道路の下を潜りお地蔵さんに手を合わすと、その向かいの皿池越しに今登って

きた火ノ山が横たわっていた。







皿池から北に住宅地の中に入って行く。少し歩いて小さなため池に沿って進み、

次に山に向かって登って行くと、緑の防草シートを被せた法面の横の道になる。

するとこの山のランドマークの白と水色の大きなタンクが見える。













そのタンクの手前の階段を登ると山頂への山道になり、タンクを横目に見ながら

山道を登ると電波塔の立つ山頂に着いた。











四国新聞に紹介されて注目を浴びるようになったせいで、今年は登ってくる人が

多いと聞くが、今日も後ろから一組のご夫婦が登って来た。さらに腰を降ろして

お昼ごはんにしようとしていたら、もう一組の年配の男性と女性が登って来た。

今日もお湯を沸かしてカップ麺。私が来来亭監修のこってり味を取り出すと、

『そんなこってりなんて食べるからふとるんやわ!』と二人に責められる。

『もうお腹が出ても二重顎になっても気にせんからいいんや!』と居直る私。




後から来た方もここでお昼ご飯。このお二人どうやらご夫婦ではなく、山登りの

パートナーらしい。毎年干支の山に登っていて、昨年は虎丸山、そして今年は

この兎子山に四国中央市からやって来たそうだ。みんな考えることは同じの様だ。

三角点は 四等三角点 丸山 99.9m。その奥の山名札が、皆さんがネットにアップ

していた山名札とは別にもう一つ増えていた。裏を返すとこんなことを書いていた。

ヒロシさんとキョウコさんが記念にと思っての事だろうが、山名標や札は一つ

あれば十分なのに、明瞭な道に赤テープをあちこちに付けているのと一緒で何だかねえ~!

ここでは年甲斐もなく可愛らしく?ウサギのポーズ。阿波踊りに見えなくもない!







山頂からはNHKの施設のフェンスに沿って登って来た道と反対側に下って行く。

踏み跡は薄いが赤テープが麓へと誘導してくれる。すると朝日通商の大きな建物の

横に出た。ここからも鷲峰寺まで下道歩きとなる。














これから登る鷲ノ山や峰ケ原を眺めながら住宅の間を抜けて歩いて行く。











鷲峰寺は天台宗の寺。そして八十二番札所の根来寺の奥の院だそうだ。ここからは

二度ほどこの山に登り、別に一度北側からも縦走したことがある。










こちらのお寺は鑑真和尚が開いたとされ、お寺の背後の鷲ノ山がインドでお釈迦様が

説教したといわれる聖山『霊鷲山』に似ていることから『鷲峰寺』と名付けられた

そうだ。本堂の前には香川の保存木の大きなモミの木。











登山口は本堂の横の新四国道と彫られた石柱が取りつきとなる。途中まではミニ四国

八十八か所の石仏が並んでいる。











こちらの石仏はどれも可愛らしい顔をしていて、その一つひとつを眺めては

立ち止まって、楽しみながら歩いて行ける。







このミニ八十八カ所はお寺の背後を周回できるようになっているが、その頂部が

峰ケ原と鷲ノ山の鞍部になっていた。








そして右に折れて峰ケ原への道は急登になる。相変わらず奥様たちはグイグイと

登って行っている。一月だというのにこの陽気、拭っても拭っても額から汗が

流れ落ちてくる。途中で南西に府中湖とこちらも電波塔の立つ猫山が見降ろせた。










そこからさらに登って行くと今度は北西に番の州と瀬戸大橋が見えた。今日は

風がほとんどないのか、どこのエントツの煙もほぼ真直ぐに上がっている。








急登が終わり山頂近くになると笹の道になる。その笹道を進んで行くと峰ケ原山頂。

木々に囲まれて眺望はないが三等三角点 峰ケ原 249.91m になっている。















さぁここからは引き返して急坂を下り最後の鷲ノ山へと歩いて行く。落ち葉と乾いた

土の道はかなり注意して下りないと危ない。前を下るあっちゃが土煙をあげながら下っている。

途中で正面に鷲ノ山のデコボコした尾根が見える。











鞍部からは最後の登り。道の脇の木には所々で地元の小学生が樹種を書いた札が掛かっている。








鞍部から直ぐに第一ピーク。その第一ピークから一旦下って次は第二ピークへの登り。

これがまたロープの掛った急登。最後の最後まで楽をさせてはくれない。


















急登を登りきると南から西側の眺望が開けていた。堤山の奥に城山・猫山・大高見峰

西には二週続けて登った、筆山・我拝師山大麻山・象頭山横山・大原越しに見える。








第二ピークを過ぎると今度は東側の景色が広がっていた。火ノ山北峰からは伽藍山に隠れて

見えなかった狭箱山が、伽藍山の横に、恥ずかしそうにして並んでいるのが見える。










しかしここはあくまで第二。『次は第三ピークです!』と奥様たちに言うと『まだ第三が

あるん?』とさすがの二人も少し辟易してきたようだ。








第三ピークの手前に本宮山のクジラ岩を小さくしたような子クジラ岩。その岩を

過ぎると石祠のある第三ピークになる。










第三ピークから少し下って登り返すと、四等三角点 鷲山 322.42mに着いた。

鷲ノ山にちなんで鷲が羽を広げるポーズをしてみるが、どう見てもそうは見えない。





今日のコースの参考にしたYAMAPでは、ここから南に尾根を下っているが、以前に

下った(一本東の尾根)時は山火事痕で、スズタケとイバラで何度も尻もちを付いたり、

トゲで指を痛めたりしたのだが、今回のコースも同じように藪の道のようなので、今回は

安全策で第三ピークに戻って、石船への登山道を下って行くことにした。

第三ピークまで戻ると、東に道が続いている。急坂と書かれていた案内札の通り、

けっこう急な坂が続いて行く。途中からは石の丁場の上の大きな柱状節理が見えた。

今まで見た事もないような白や赤茶けた色が混ざった柱状節理だった。

この鷲ノ山石は良質な角閃安山岩(かくせんあんざんがん)でできていて、関西圏に

おいてもこの鷲ノ山石が使用された古墳が発掘されているそうだ。











急坂を下りきると段々畑にでた。スタート地点の火ノ山が正面に見えた。

登山道から里道、そして県道へと出て橘ノ丘公園へと戻って行く。

沿面距離14.6km、累積標高990mと平野部の里山歩きとしては良く歩いた

一日だった。YAMAPのポイントも8つゲットできた奥様たちもご満足の様子。

私はと言えば念願の干支の山と聖地にも再訪できた、有意義な一日だった。


















『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 大麻山

2023年01月06日 | 香川の里山



今週の線で繋ぐは、先週の善通寺の駐車場から南に大麻山へ登り、象頭山、琴平山を

歩いて牛尾口へと降り、ついでに愛宕山に登るというコース。集合場所は下山

場所になるいこいの郷公園にして、そこから一台で善通寺の駐車場へと向かった。

このコースは既にルリちゃんは歩いているが、あっちゃんと私は大麻山だけで、

善通寺からの線は繋がっていなかった。

するとWOC登山部が金毘羅さんにお参りした後、大麻山に登ると案内があった。

時間が合えば山頂で合流できればと思い、WOC登山部が大麻山に着く時間に合わせて、

いこいの郷公園に8時30分に集合した。


早朝の善通寺の駐車場は先週はガランとしていたが、さすがお正月、結構な台数が

停まっていた。取りあえずお参りを済ませることにして西院の御影堂に。そして

東院の金堂では部活動のジャージ姿の高校生が中に入るのに順番に並んでいた。

すると前に並んでいた女の子三人がひそひそと『二礼二拍一礼よね』と話していたので

いらぬお世話だったが後ろから小さな声で『それ、神社でのお参りの仕方やで』と

言うと、三人が『え~~!』と驚いた後笑い声になった。先に参拝していた女の子が

既に二拍しているのを見て、さらに三人は可笑しくて笑い始めた。その様子を後ろから

見ていたあっちゃんは、おっさんが若い高校生に話しかけてと、怪しんでいたそうだ。







五重塔を左手に見ながら南大門を出て、善通寺をあとに南下して大麻山の麓へと歩いて行く。




そのまま県道24号線を横断して鶴ケ峰を左手に、『大麻山ハイキングコース』の

案内板のある大池の手前を右へと曲がる。道なりにアスファルト道を登って行くと

左手の斜面が一旦途切れる場所がある。今回はそこから支尾根へと取り付いて行くが、

この少し先に取付きとなる石段がある。








この支尾根どうも防火帯のように見えるが、真直ぐに続かず途中で左手に周りこんで

下に見える施設を囲んで続いていた。帰って調べてみるとその施設は自衛隊の火薬庫

だった。なるほどな~と納得。







幅の広い防火帯のが終わるといよいよ登山道になる。所々で岩にスプレーで矢印を

してあるが、大谷さんは大きな落書き。







途中で右手からの道と合流する。石段からの登山口からの道だろうか。

風化した花崗岩の道も、落ち葉の積もった道もどちらも滑って注意が必要だ。







途中で岩とは別に道の脇の木に所々で赤いスプレーをしてあった。目印としてのスプレーなら

これだけはっきりした尾根道なので全く意味をなしていない。途中で振り返ると北に眺望が

開けた場所がある。先週歩いた筆ノ山と我拝師山の間に山肌を半分削られた天霧山が見えた。







道の真ん中には『陸軍用地』と彫られた石柱が続いて行く。陸軍とは時代を感じるな~。





道は突然急登になる。途中からはロープが張られている。階段状になっているヶ所は

少しだけで、あとはかなりの傾斜で道は続いて行く。幸い落ち葉は積もっていないが

乾いた花崗土の道は滑りやすい、木の根に足を置きながら登って行く。











岩が点在し始めると山頂も近い。急登が終わると道が左にトラバースの道になる。

一旦下って行くような道だがその内に右上に向かっての九十九折れの道になる。








その九十九折れの道を登りきると葵の滝に続く工兵道に出た。

工兵道から直ぐに山手の擬木の階段へと取り付く。







道は今までの自然林からヒノキの人工林の中の道になる。そのヒノキの林が終わり

自然林の道になると、また傾斜が増して来た。今度はたっぷりと落ち葉が積もった急登。

途中で上着を脱いでいたがそれでも汗が額を伝って落ちる。いつもはピークの手前では

空が見え始めるのだが、今日はちょうど太陽の光が正面からこちらに向かって射していた。








やっとこさで落ち葉の急登を登りきると、ゲートのある車道の取付きからの道と合流した、

ここからは遊歩道の様な道。息を整えながら歩いて行く。








その先は2階建ての展望台があり東への眺望が広がっている。鉢伏山と如意山の間に

買田池、その奥に飯野山。まだWOC登山部は着いていなかったので、先に三角点まで

歩いて行く。途中の小高い山が大麻山山頂となっている。

そのさらに先の三角点で三人だけでまずは記念撮影。







その後、お昼ご飯を食べる場所をどこにしようかと山頂園地をうろついていると、

南からWOC登山部のメンバーが歩いてきた。メンバーに新年の挨拶をして、

三角点でもう一度記念撮影。その後展望台に戻って一緒にお昼ご飯にする。

久しぶりのメンバーからは一様に『太った?顔がまるまるや!』と言われる

へっぽこリーダー。










この山名札。ローマ字表記が間違っているので手で隠す姐さん。でもそれだと

『おおさ』でなく単に『さ』なんですけれど。




お昼ご飯を食べた後は琴平山への縦走。道はコンクリートの道が続いて行く。この山には

ぼたん桜が咲くころに子供たちと麓の裏参道から歩いてお花見によく来ていた。

そのぼたん桜も老木が多いのか、けっこうな数の木が痛んでいた。














途中からセニョさんがWOC登山部の案内に書いていた、小麻山への三角点に向かって

南に車道を下って行く。途中からは三角点に向かって道から外れて林の中に入って行く。

私は後ろから四人ほどがまだ来ていなかったので、気になって三角点へは行かずに車道

への分岐になった場所まで引き返していく。分岐まで戻ってしばらく待ったがどうやら

四人は先に歩いて行ったようだったので、三角点からこの尾根に向かって飛び出して

きそうな場所に当たりを付けて、少し先まで歩いて一緒に戻って来たアミちゃん

メンバーを待つ事にする。








待つ事20分ほどで尾根道の向こうから賑やかな声が聞こえて来た。どうやら

小麻山の三角点はゲットできたようだ。この大麻山から琴平山にかけての山頂は

防火帯になっている。この山を東から見ると丁度この辺りの山頂から麓にかけて

防火帯になっているのがよく分るが、山頂も火が金毘羅さんまでいかないようにと

防火帯になっている。グループ登山は久しぶり。女性陣はやはりお喋りしながら

賑やかに歩いている。そのおしゃべりに夢中で象頭山の標高点は通り過ぎてしまった。

















象頭山を過ぎると防火帯は終わり、自然林の中の山道になる。途中にある琴平山の

標高点は登山道から外れて尾根筋にある。その場所が判らずうろつくメンバー。

アミちゃんと先輩と姐さんの四人は先に登山道を歩いて行く。




















琴平山を過ぎ金毘羅さんの真上辺りから道は急坂になる。先輩は落ち葉の尻シェード、

姐さんは何故か後ろ向きに滑りながらキャーキャーと下っている。
















ちょっと〇〇めのアミちゃんに『おむすびコロリンにならんように気をつけて!』と

声をかける。ロープを握りながら慎重に下りて行くアミちゃん。ロープ場が終わっても

けっこうな距離で急坂の下りが続いて行く。










何とか急坂をやり過ごし緩やかな下りになると、後ろから来る先輩と姐さんが二人で

『KAZASHIさんのお尻、小さいな』と言っているのが聞こえてきた。『足も細いし』とも。

『なあなあアミちゃんと並んでみ!』と言ってきたので、嫌がるアミちゃんの横に

無理やり並んでみた。











道が竹林の中の道になると、しばらくして牛尾口に飛び出した。旧伊予土佐街道の

この道を通って土佐藩の脱藩者は丸亀から京や上方へ出て行ったという。その中の

一人、坂本龍馬の像が立っている。










寅と寅の一回り違いの二人が同じようにスマホを見てる。



ここで四人のメンバーと別れて、奥様たちと他に四人のメンバーで愛宕山へと

登って行く。牛尾口の舗装路からは直ぐに急登になる。長い急坂を下った後の急登は

堪える。一つ目の低いピークを登ると既に息切れ。木々の向こうにさらにピークが見える。







二つ目のピークもなかなかの登坂。歩くスピードも極端に落ちる。そのピークを

登りきるとさらに奥にもうひとつピークが見える。『え~ここが山頂でないんかい』

とため息をつくセニョさん。







二つ目のピークからはまた急な下り坂。高さ的には愛宕山と同じピークから50mほど

下って鞍部に。そして当然のようにしてそこから急登が始まる。ひいこらひいこらと

息を切らせて今日最後の登坂。










愛宕山山頂からは北西に金毘羅さんが見えた。木の鳥居の奥に愛宕神社の石祠。














ここで四人のメンバーは駐車場へ、我々は反対方向のいこいの郷公園へと下って行く。

地形図には公園近くへと破線が続いているが、それらしい道がなかなか見つからない。

一旦岩場に出るが眼下にクリーンセンターのエントツは見えるが、道はこちらには

ない雰囲気。すると奥様たちが赤テープを見つけたと言って下って行くが、途中で

そのテープも途切れて、YAMAPを見ても道から外れている。スマホを見ながら

羊歯と藪の中を軌道修正しながら下って行く。

















一旦地形図の破線の道に出たが、直ぐにまた見失う。本来なら基本から外れるが

すぐそこに県道が迫っているので、谷筋へと下って見ると砂防ダムに出た。











砂防ダムからは作業道の跡らしき道を辿って行くと県道に飛び出した。

最後の最後に急登と急坂、そして藪漕ぎと、なかなか簡単には終わらせてはくれなかった。

これで弥谷寺の駐車場から善通寺五岳、そしてこの峠までが繋がった。

次週はその弥谷寺の駐車場から繋がっていない弥谷山への分岐までと、

黒戸山の南の大見地区から貴峰山の登山口を繋ぐために、既歩だけれどもそれぞれの

山を縦走して掛けた区間を繋いで行く予定だ。














今日のWOC登山部のメンバーです。






今日のトラック