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KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

いつ行くの・・・・今でしょ!と思って久保谷へ

2025年03月27日 | 香川の里山

今週は休みが水・木と取れそうなので奥様に相談したところ、残念なことに奥様の休みが取れる木曜日はどうも

天気が良くない。仕方がないので『水曜日に休んで、お山に行きます!』と宣言したもののあまりご機嫌が良く

ない。『それじゃ白鳥の河津桜が見頃のようなので、出勤前にささっと朝活する?』と聞いてみると、途端にご

機嫌がよくなった。私としては朝陽の当たった桜の花をきれいに撮ってみたいと思っていたので、しめしめ一石

二鳥で出かけてきた。ところが昨日からの大量の黄砂で、太陽も霞んでいる。桜の花に当たる光も薄くて弱い。

 

 

それでも奥様はスマホを持ってずっと熱心に写真や動画を撮って大満足のご様子。取りあえずこれで遠慮なくお

山に出かけられる。そう思いながら家まで奥様を送り届けた。

 

 

今日のお目当てはまんのう町の久保谷ユキワリイチゲアワコバイモ。先日山友のお三人さんが出かけていた

し、YAMAPでも活動日記で目に付くようになった。国道438号線を南下する。朝活でいつもより早めに朝

ごはんを食べたせいか、途中で少し小腹が空いてきた。ちょうど9時前、あの三嶋製麺所が開く時間だ。

いつものように素っ気ない態度で注文を聞かれ、いつものように揚げたてのうどんを頂く。店主の態度は別にし

て、いつ食べても大満足の味だ。今朝は店の奥に座っているおばあちゃんにも会えた。

 

国道沿いの駐車場にはすでに5~6台の車が停まっていた。直ぐには数台また車が入ってきた。明神川を挟んで

橋を渡った大師堂の前が登山口になる。お目当ての花たちはお昼ごろから花を開かせるので、今日はのんびりゆ

っくり歩くことにしてスタートする。

 

 

 

この道沿いには峠越えの安全を祈願して三頭神社までに、西国三十三ケ寺の石仏を建てられている。ただ最初に

目についた落ち葉に埋もれかけたこの二番・三井寺というのが腑に落ちない。西国三十三ケ寺の二番は金剛宝寺

となっている。

 

先週の皇子渓谷に比べるとこの谷合をながれる水の量は少なく迫力に欠けるが、狭い谷の両岸には荒々しい柱状

節理が露出して、時には目の前にまで迫ってくる。

 

 

お目当ての花はどうやら朝が苦手なようだ。まるでどこかの奥様の様だ。所々で咲く花はまだ花弁を開かせてい

ない。

 

 

この谷筋は何度も何度も渡渉して右岸、左岸への移動を繰り返す。今日は水の量も少ないのでそれこそ10歩ほ

どで渡って行ける。すると前から声が聞こえてきた。しばらく歩くと女性が二人、スマホで熱心に写真を撮って

いた。片方の女性のザックのサイドポケットには見覚えのある可愛らしいぬいぐるみを入れていたが、YAMA

Pで見かけた人だったような気がしたが、はっきりとは思い出せない。

 

 

 

左岸を歩いていると落ち葉が積もった斜面で、今日のもう一つのお目当てが見つかった。周りの落ち葉とほぼ同

色のこの花は見つけるのに一苦労する。そこから右岸に移ると今度はユキワリイチゲの群生。といってもここの

子たちもまだまだお眠のようだ。

 

 

 

南東に向かって続いていた道がさらに東に向き始めると、いよいよこの谷も大詰めになってくる。昨年来た時は

最後の折れ曲がりの上部辺りが伐採されていたが、今日はずっと手前の左岸の上も伐採されていた。

谷の上部が伐採されて降雨の後に流れ出す水の量とか変われば、この谷の環境は変わってしまわないだろうか?

 

 

 

花を探しながらゆっくりと登ってきたが、1時間ほどで三頭越に着いた。峠には人の姿はなく、駐車場に停まっ

ていた車の人たちは、すでに三頭山に向かっているのだろう。徳島側からは金毘羅参りで、香川側からは金毘羅

の奥の院といわれる三頭神社の参道として賑わい、峠には当時は茶屋もあったという。そして昭和初期には80

00頭近くの借耕牛が行き来をして賑わっていた峠も、今は立派な鳥居と二体の石仏に見守られるだけの静かな

峠になっている。

 

 

 

いつものよう天細女命さんの胸にタッチすると、対面に鎮座する猿田彦さんは苦虫を嚙み潰したような顔をして

睨みつけていた。

 

 

峠からはヒノキの林の中を三頭山へと向かって行く。なだらかな坂道を下って行くとWOC登山部の女性メンバー

にバッタリ遭遇。二人ともお久しぶりで話が弾む。そして朝活で奥様サービスをした話をすると、『うんうん老

後の面倒見てもらわないかんのやから、奥様へのサービスは大事大事』と言われた。膝の具合も聞かれ『無理せ

ず自分のペースで歩いたらいい』と言ってもらった。

花粉症で鼻がぐじゅぐじゅという二人と分かれてしばらく歩くと舗装路に出た。

 

 

舗装路にでて直ぐに森の見晴らし台の広場になる。そこから少し歩くと下草の刈られたハンググライダー場。

少し小高い丘に向かって坂道を登って行くと360度の眺望。北には阿讃山脈の稜線と竜王山。麓には四国三郎

吉野川が黄砂で霞んだ中でもその流れが見える。

それにしても風が強い。この強い風の中に黄色い砂が混じっていると思うとゾッとした。景色のいいこの場所で

お昼ご飯をと思っていたがとんでもなかった。

 

 

 

 

ハンググライダー場の南の端の木に三頭山の山頂標がある。その裏には三頭大明神の石碑が建っている。

さらにその奥の樹林帯の中に 四等三角点 三頭 734.16m

 

 

 

ここでのお昼は諦めて一旦三頭神社へと下って行く。舗装路を歩いて行くと神社の駐車場に着いた。真新しい狛

犬の間を通って石段を登って行くと三頭神社に着いた。剣霊、山王、清竜(青竜)の3社が祀られている事から三

頭と名付けられ、三頭大権現とも呼ばれる境内は、山頂近くにあっても荒れてもいなくきれいに清掃されていた。

 

 

 

神社からはもと来た道を戻って行く。ハンググライダー場を過ぎると東屋があるが、昨年ここで昼食を採ったの

で、今日はもう少し先の展望台でお昼にする。今日のお昼はインスタントの焼きそば。予定にはなかった朝うど

んを食べてしまったので、続けての炭水化物になってしまった。コンクリート製の東屋は暖かい日差しを遮って

くれて、日陰に吹き抜けていく風がちょうど心地よい。

 

 

展望台からは南側の山々を見渡せた。黄砂で霞んではいるものの、烏帽子山から矢筈山、そして剣山や一ノ森

一望できる大展望だ。西から東に長く続く稜線にはまだ少し雪が残っているのが見える。麓には美馬から対岸の

半田の街並みが続いている。

 

 

 

 

お昼ご飯を食べ終え目の前の眺望を眺めて終わると、そろそろいい時間だ。今から下って行けばあのお花たちも

花びらを開いてくれている頃だろう。

三頭越まで戻ると寒風峠方面にあるベンチで女性が二人お昼を採っていた。そして峠を降りて行くと6名ほどの

クループが前を歩いていた。やはりお昼から開く花を目当てにみなさん登って来ている。

 

 

さらにその先には一組のご夫婦。みんなそれぞれ立ち止まっては花の写真を撮っているので場所によっては追い

抜きができない。昼からの温かい日差しを浴びて、予想通り気持ちよく花を広げてくれている。

 

 

 

そしてもう一つのお花もなるべく見つからないようにしているのか、落ち葉に混じってひっそりと咲いていた。

 

 

 

 

 

少しまとまった場所では、こちらに向かって愛想を振りまく子がいたりそっぽを向く子がいたりと様々。色も別

ルリイチゲと云われるようなきれいな瑠璃色をしているのもあれば、少し色白の子もいる。

谷あいをやさしく吹き抜けていく風にゆらゆら揺れる姿が可愛らしい。

 

 

 

 

 

下って行く途中で次々と登ってくる人たちがいる。そんな中で写真を撮っていると若い女性から声をかけられた。

ユキワリイチゲ、ほんと可愛いですね。アワコバイモは見つけられますか?』と聞かれたので、『落ち葉と区

別がつきにくいので、がんばって!』と答える。

駐車場まで戻ってくるとまだまだ結構な台数の車が停まっていた。帰りのラジオでは今日、香川で開花宣言が発

表されたと話をしている。これからしばらくは春の花めぐりでまた忙しくなりそうだ。

 

途中で会ったWOC登山部の女性陣に、早く降りるのでどこか行くところがないかと聞かれたので、昨年ここの帰

りに寄ったセリバオウレンの咲く場所を教えてあげたので、自分でも確認しに立ち寄ってみた。

稜線近くに続く林道沿いにも春の訪れを感じさせる花たちが咲いていた。

 

 

 

 

教えた場所に着くと昨年来た場所?とも見間違えるほどもう目当てのセリバオウレンは咲いていなかった。教え

た二人が遠回りのここまで来てなかったらいいのだけれど。(ひょっとしたら場所をまちがっていたのかもしれ

ない)寂しげに残る小さな花の写真を写して山を後にした。

 

 


今シーズン最初で最後の雪山の赤星山へ!

2025年03月21日 | 香川の里山

昨年7月に第171回芥川賞が発表され、松永K三蔵さんの『バリ山行』が選ばれた。小説のタイトルにある「バリ

」とは、登山のバリエーションルートのこと。89年にわたる長い芥川賞の歴史のなかでも、山岳小説が受賞した

のは初めてという事だ。しかもその舞台は六甲山。あまりにも身近な山で驚かれた人も多かっただろう。

その小説の中で登場するバリの一つ西山谷は、渓谷の中の堰堤や滝をいくつも越えていくルートだ。小説を読ん

でから一度は歩いて経験してみたいと思っていた。

丁度休みが祭日に取れたので高速の割引料金を考えて、今日出かける計画を立てた。がしかし前日に神戸の友人

から六甲山は積雪との情報が写真付きで送られてきた。藪コキならともかく、渓谷沿いのルートでドボンでもし

たら目も当てられない。もう少し先で暖かくなってからにしようと、一緒に歩く予定にしていた西の奥様には連

絡をした。そう西の奥様あっちゃんも、バリ山行を読んで感動した一人だった。

そうなるとさてさてどこに登ろうかと考えてみると、一昨日から阿讃山脈も遠目に見ても雪が積もっている。ど

うせなら雪山に登ってみたくなった。もちろんバリエーションルートではなく、登山道がしっかりしているルー

トで、夏用タイヤでも登山口までアプローチできる場所となれば、すぐに思いついたのは琴南の大川山か土居町

赤星山のふたつだった。大川山は今までも何度か積雪時に登ったことがあったので、積雪時は初めての赤星山

に出かけることにした。

 

 

野田の登山口は祭日だったので車が停められるか心配したが、我々が着いた時は大きなワゴン車と普通車の二台

が停まっているだけだった。その内身支度をしていると1台車がやって来て、中から体格のいい男性がひとり降

りてきた。この後何度か途中で顔を合わすこの男性をあっちゃんは熊さんと呼ぶことにした。

 

 

 

登山口からはしばらくは渓谷沿いの道。沢に架かった木製の橋を渡りながら左岸に右岸にへと移動していく。

二つ目の橋を渡ると左岸の杉林の中の道になる。道の両脇には大きな大きな岩が転がっている。右手に見える斜

面から転がってきたのか、それとももともとこの道筋が渓谷だったのかは分からないが、とにかくビックリする

くらいの巨石がゴロゴロしている道だ。

 

 

苔むした岩の間の段差を白い飛沫をあげて水が流れ落ちている。濁りのない透き通った水は、なお一層水の冷た

さを引き立てている。やはり登山道ではない西山谷の渓谷を這い上がるルートを取りやめて良かった。

 

右岸の道になると背の低い石垣が何カ所か目についた。以前はこの辺りまで作物を作っていたのだろう。

傷んだ木製の橋の上にはアルミ製の足場の踏み板が敷かれている。これは地元の有志による赤星山愛好会の人た

ちがボランティアで整備してくれたものだ。大小さまざまな滝が続くこの道は、四季を通して四国でも有数の渓

谷美眺めながら歩いて行ける道。そんな道を愛して止まない人たちがいる。

ここ数日の降雨によっていつになく水量の多い渓谷では、重なり合う大きな岩と岩との隙間のそこら中から水が

流れ落ちている。

 

 

 

 

5回ほど橋を渡っただろうか、右岸の道から大きな滝が見えた。機(はた)を織るように見えることから名がつ

いた機滝だ。10mほどのほぼ垂直の岩壁を横に幅広く流れ落ちるさまは、まさに機織り機の上屋から垂れる縦

の糸のように見える。

 

 

機滝の次に現れたのは紅葉滝。今日は滝の岩肌に薄っすらと白い雪が積もって見えるが、紅葉の季節には両岸の

木々の色づきが見事な滝だ。ここでも赤星山愛好会の人たちの注意喚起の案内板があった。内容を見てみると、

会の人たちは度々この道を訪れては、登山道の状態を見守っているのが読み取れる。

一眼レフの設定をシャッタースピード優先に変えて撮ってみる。滝の水の流れはそれなりの雰囲気で撮れるのだ

けれど、三脚を使っていないのでどうしても周りがブレてしまう。

 

 

 

 

そして紅葉滝の次は布引滝。ヌメった斜めの岩肌の中央部を流れる滝。『スライダーみたいに滑ったら気持ちよ

さそう!』とあっちゃん。次は夏に来て是非一度滑ってみてください!

 

『今日は玉簾(たますだれ)になってるかな?』とあっちゃんが言った通り、降雨の後の玉簾はいつものように

ポタポタと球状にはなっていなくて、筋状になって流れていた。

 

 

 

次第に道の脇だけでなく、道の上の岩や橋にも薄っすらと雪が覆い始めてきた。吐く息は白くニット帽から出た

耳たぶが冷たく感じるのに、なぜか喉が渇く。上着のファスナーを胸まで降ろし、その下のシャッも同じように

胸まで開けるが、汗をかいて身体が暑い。

最後の橋を左岸に渡ると造林小屋跡に着いた。小屋で使われていたのだろうかドラム缶ストーブには以前より

たくさんのヤカンがぶら下がっていた。本来ならここでアイゼンを装着するべきだったが、まだ登山道の雪が薄

かったので判断を誤り、このあとで後悔をする。

 

 

 

造林小屋跡で水分補給をしてさらに進むと豊受山との分岐。ここではもちろん右に進んで行く。

次第に周りの雪も厚みを増していく。足元の雪のない岩肌は、濡れてその上苔がついて滑りやすい。ストックの

先のゴムも濡れた岩には全くグリップが効かずに、その先で岩の上を突いた途端に逆にズルっと滑って何度も慌

ててしまう。注意深く一歩一歩進んで行く。

 

 

 

 

 

千丈滝を巻く道との分岐を過ぎると、更に道の上にも雪が積もり始めた。『取りあえず千丈滝でアイゼン付ける

か考えましょう!』と言ったものの、雪に隠れた岩で足が滑って歩きずらい。

急遽昨日にこのルートに変更して、アイゼンと登山靴の調整も六角レンチが見当たらずに出てきてしまったので、

少し不安が残っている。

 

 

 

 

何度か小さな沢を渡渉していく。いつになく慎重に渡って行くあっちゃん。渡りきって急登を登って行くと千丈

に着いた。落差は25mほどといわれているが、登山道から見る限りでは何段かに分かれていてそれほど落差

があるようには見えない。

 

 

 

 

『トレースがなければ道が分からないわね』とあっちゃん。雪道に慣れていないせいもあってずっと足元を見て

歩いている。そのせいで度々立ち止まって顔をあげて方向を確認している。

周りが薄暗い杉林から自然林になると青空が見え始めた。ここで後ろから男性がひとりやってきた。駐車場、

でも顔を合わせた熊さんだった。『分岐で道を間違えて!』と言ってニコリ。そのあと身体をかわしてあっと

いう間に登って行ってしまった。

 

 

 

 

途中にツララを付きたてたユニコーン。『いつもならこれくらいならロープ使わずに登れるのに』と言いながら

足元の掛かりが分からずに登りにくそうにしている。この後も何カ所か短いロープ場があった。

 

 

 

表面の雪質はパウダースノーだが、足を踏み込むたびにその雪が登山靴のアウトソールに詰まってグリップが全

く効かず、急な斜面になると足を滑らせ下がってしまう。風に吹かれて枝に着いた霧氷が粉のように頭上に降り

注いでくる。その落ちた霧氷が雪の上でふわふわでサクサクとしたかき氷のように見える。

 

 

 

 

沢から離れ水の音が聞こえなくなると、周りの雪に音が吸収されて静寂の中、息切れしている自身の吐く息の音

だけが聞こえてくる。ここまででトレースの踏み跡は前を歩くあっちゃんのソールの跡と、追い抜いて行った

さんのチェーンスパイクの跡、そしてもう一つノーアイゼンのソールの跡が続いていた。

 

 

少しシャリバテ気味になってきたので珍しく私の方から『お腹が空いたので何か口に入れたいんですけど』と声

をかける。立ち止まって行動食のチョコレートを口に入れると、その横であっちゃんは太いちくわを頬張ってい

た。すると上から男性が一人降りてきた。まさかと思って立ち止まった場所が狭かったので、横に避けるのに右

往左往をしていると、男性は軽く挨拶をして降りて行った。しばらくしてまた男性が一人。挨拶をしてがんばっ

てと声をかけると、『はいがんばります。今日で登山2回目なんです』と答えてくれた。『え、大丈夫?』と言

うと『ハイ、大先輩がいるので大丈夫です』と笑顔で前を降りて行く男性を指さした。足元を見るとスパッツは

付けずに、ズボンの下からくるぶしが見えるくらいの短い靴下だ。もちろんノーアイゼン。先に降りた大先輩も

アイゼンは付けていなかったように見えた。手袋をしていても指先が冷たいのに、足元は濡れているだろうな~

と思っていると、笑顔で目の前の急な段差を苦も無く降りて行く。『若さっていいな~!』

 

 

積雪はどんどん深くなっていく。トレースを外れると恐らく膝下くらいは積もっているだろう。場所によっては

グリップが全く効かずに、三歩進んで二歩下がる水前寺清子の三百六十五歩のマーチ状態になる。

今度は上から熊さんが降りてきた。先ほどは『こちらのルートは急なので、帰りは豊受の方から周回して降りま

す』と言っていたのだが、『往復した方が最短距離なので!』と言いながら降りて行った。

 

 

 

前を歩くあっちゃんも悪戦苦闘している。でももうここまで来たら山頂でアイゼンを付けるしかない。

すると細い枝の低木の間から青空が見えた。急斜面のトレースに沿って体の向きを変えたあっちゃんが『やった

~着いた~』と声をあげた。私もその場所で曲がるとその背中の先には山頂の道標が見えた。

 

 

広場になった山頂には思ったほどの積雪はなかった。晴天とまではいかないが雲の下には土居町の平野部が見え

た。山頂の南側にはすっかり葉を落とした木の枝に、綿で作った造花のような雪の花が咲いていた。山頂直下で

は少し雲がかかり始めていたが、南の空は紺碧の空色。やはり雪には青空が似合う。

 

 

 

 

西を見ると霞んではいるが何とか二ツ岳から東赤石に続く稜線が見えた。北側からは冷たい風が吹き上げてくる。

その強い風の当たる場所の木には雪があまりついていない。

風を避けて腰を下ろしてカップラーメンにお湯を注ぐ。風が冷たすぎて箸を持つ手の手袋も外せない。それでも

温かい麺が胃袋に落ちていくと随分身体も温まった気がした。

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えて、アイゼンを装着してみる。ワンタッチの私のアイゼンは直ぐに付けられたが、あっちゃ

は足先のハーネスが前に倒れてしまってうまく付かない。自分のとは違った形のアイゼンに私も付け方が分か

らず、あ~だこ~だと言いながら色々試してみるが、結局時間がかかってやっとそのハーネスにテープを通して

締め付けるのが分かった。この間十分弱。これでは途中の雪の中では冷たくて付ける事もできなかっただろうし、

やはりそうなる手前で装着するべきだった。

準備万端アイゼンを付けて山頂を降り始める。『いや~アイゼンの威力は凄い!』と言いながら、小気味よいピ

ッチでトントンと降りて行くあっちゃん。『これなら登りで付けておけば、もっと早く登れたのにね。』と。

『すみませんへっぽこリーダーで』なんせ久しぶりの雪山なんで・・・と言い訳をする。

 

 

 

樹林帯の中で雪がまとわりついた木の枝に陽の光が当たり、まるで白いサンゴのように見えた。アイゼンを付け

ると、トレースを外しても雪の斜面の上を滑ることもなくふわふわと駆け下りられる。

すると勢いをつけて雪の上を降りて行ったせいか、太腿の裏が急に攣り始めた。立ち止まって色々足の角度を変

えたり曲げたりしても痛みが酷くなるばかりだ。足を地面につけずに浮かしてしばらく立っていると少しづつ治

まってきた。一瞬、まだ山頂近くでこのまま治らなければ山を下りられないかもしれないと考えたが、何とか痛

みをこらえがらも歩き始めると随分とマシになった。完全に運動不足と固い身体のせいだった。

 

 

 

 

道に雪が少なくなってもアイゼンを付けていれば、濡れた岩の上でも滑らずに歩いて行ける。山頂であっちゃん

に『岩の上でもアイゼンを付けるの?』と聞かれて、『岩の上では付けないです』と答えたが、てっきりアルプ

スのような岩稜の尾根でのことを言っているのかと思ってそう答えたが、あっちゃんはこの帰りの道の事を言っ

ていたのだと気づいた。

 

途中の分岐からは往路とは違く千丈滝を巻く道を下って行く。千丈滝への道に比べると傾斜は幾分か緩やかだっ

たが、九十九折れの道は何十回と右に左に折れるのを繰り返す。千丈滝の下の分岐に合流した後、造林小屋跡ま

で来ると太腿の痛みはほぼなくなっていた。道の雪もほとんどなくなっていたが、まだ濡れた滑りやすい岩が続

くのでアイゼンは装着したままで歩いて行く。アルミの足場板の上を渡るとカランコロンと金属音がした。

 

 

 

雪のない地面の上を歩くと、高下駄のようになったアイゼンを付けたままで、岩の段差で足を捻ってしまった。

慣れないアイゼン歩きに股関節も何だか痛みが出始めている、そしていつも以上に足も疲れている。

道はよく整備されていて、少し滑りやすい場所にはロープや鎖、そして注意喚起の看板が何カ所かでたてられて

いた。どこかのように整備といって本来の里山の形を変えて、山頂近くの眺望をよくする為だけに木々を伐採し

ている山と違って、必要最低限の整備をしている。もちろん赤テープも気になるほどは巻かれていない。

 

 

 

『これはあしたは筋肉痛間違いなし!』と思いながらも、スピードを落とさずにテンポよく下って行く。

 

 

 

山頂から下り始めて3時間弱。ようやく野田の登山口に着いた。先に停めていたワゴン車の周りでは下り終えた

人たちが車に乗り込む準備をしていた。おそらくどこかのショップのツアーだと思いますよとあっちゃんには話

をする。帰って家に着くとFBにクロスポイントさんの写真がアップされていた。

間に合わせで予定を変更した割には天気にも恵まれて、久しぶりに雪山を堪能できた。ただ久しぶり過ぎて慣れ

ない雪山歩きに反省点も何点か。今シーズン最初で最後の雪山。我が家では奥様から雪山禁止になっているけれ

ど、こうして年に一度くらいは内緒で出かけてみたいものだ。

 

 


あ~あ・・・残念雨滝山!

2025年03月13日 | 香川の里山

今日の予定は午後から奥さんとお出かけ。『お昼までには帰って来てね!』と言われて、先週に続いてYAMA

Pの山頂ポイントをゲットすべく出かけてきた。

お昼までにはと云うと、まずは登山口までの移動時間が少なく、行動時間もできるだけ短い山でかつポイントは

できたら2つ以上はゲットしたい、そう考えて隣町の雨滝山と火山を歩くことにした。

雨滝山は息子が小学生の時に一緒に登ったことがある。火山は中腹にある西教寺奥の院から登ったが、その時の

記憶は瓶盥の記憶しかなく、山頂まで歩いて記憶が全くない。今回はこの二つの山を縦走して、麓に降りて周回

する予定だ。空は生憎霧がかかって朝日も霞んで周りは薄暗い。自宅から車を停めた雨滝森林浴公園の駐車場ま

では、20分ほどで着いた。

 

 

駐車場からは雨滝山を回り込むようにして続く舗装路を、北西に向かって歩いて行く。舗装路は山頂からの支尾

根に差し掛かると北東へと方向を変える。ここで鉄製の階段が取り付きとなる。

階段を登りきってもしばらく急登が続いていく。急登が終わると段々になった地形を(雨滝城の曲輪の跡だろう

か?)回り込みながら登って行く。

 

 

 

一瞬山頂かと見間違った平らにた場所は、一段下の郭だった。中央部には石仏が一体。その先の虎口(こぐち)

に当たる場所から一段上がっていく。「虎口」(こぐち)とは、城や各曲輪の出入り口のこと。大勢の敵の侵入

を防ぐために小さくしていたことから「小口」とも書かれていて、この小口が危険な場所を表す中国の故事「虎

口」(ここう)とつながって、「虎口」(こぐち)と呼ばれるようになったと推測されている。

 

 

 

その虎口を登ると山頂に着いた。息子と登ったのは20年前。その時はたしか竜王社の前に鳥居があった記憶が

あるが、今は見当たらない。代わりにお賽銭を入れるポストと可愛らしいぬいぐるみがあった。

 

 

 

霧がかかってなければ津田の街並みを見下ろせたはずだが、霧が濃すぎて影も形も全く見えない。

道は北に向かってはっきりとした踏み跡が続いていて、一瞬間違えそうになるが、説明版の左横から南東に向か

って縦走路になっている。

 

 

 

火山への縦走路も曲輪が何段かになっていて、一部で石垣らしい跡も残っていた。縦走路はそんな曲輪の段をト

ラバースするように続いていく。

 

 

 

トラバース部分を過ぎるとロープを張った急坂。土に適度な湿り気があって割と滑りにくく、ロープを使わずに

降りて行けるが、これが乾いた斜面だとなかなかだ。坂の写真は上から撮るより下から撮る方が実際に近く斜度

が分かるので、振り返って撮ってみる。

 

 

急坂を下ると尾根を真ん中にして道が両側に分かれていた。右手の道が明瞭なので間違えやすいが、ここは尾根

の左手を進んで行く。

 

この縦走路にはいびつな形をした木の枝や幹を度々見かける。この枝はタオルを絞ったような形をしている。

一瞬笹に覆われた道になり、ズボンが露で濡れる。笹道を越え下って行くと切通になった峠の手前に出た。

県道の柴谷隧道ができる前まではこの道が津田町と大川町を結ぶ道だったのだろう。

 

 

 

ここでスタートから初めてYAMAPを見てみると、な・な・な・なんとスタートボタンを押していなかった。

せっかくの2座ゲットの目論見が、脆くも崩れてしまった。(@_@;)

峠の切通の奥には雨滝自然科学館の敷地が見えているが、相変わらず霧は濃いままでテンションも一気に下がっ

た。ここから引き返してポイントをゲットする時間はないので、トボトボと道の向かいの鉄塔保線路へと取り付

き登って行く。

 

 

取り付きから尾根に出ると、この間で一番雰囲気のある道になる。周りの木々の葉はすっかりと落ちて、霧で日

差しが遮られていても、明るい道になっている。笹もきれいに刈りはらわれていて歩きやすい。

暫くすると鉄塔広場に出た。この支線は津田町の変電所へと続いている。

 

 

縦走路はさっきまでの笹の道から、ウバメガシの生える沿岸部の尾根道の雰囲気に変わって行く。

またどうやったらこんな形になるのだろう?と思うような異形の木。どこかの展示会で題名を付けて、現代芸術

作品と展示されていたら、おそらく見る人は疑わないだろう(笑)

 

 

暫くすると『火山遊歩道』と書かれた道標の立つ分岐にでた。ここから右に下って行くと、西教寺の奥の院へと

下って行ける。遊歩道らしくここからは道幅が一気に広がり、落ち葉は道の脇に掃かれてきれいになっている。

 

 

 

遊歩道の先にもう一つ道標が立っていたが、先ほどの道標と同じで火山ではなく瓶盥と書かれている。この道標

の先で木の幹に火山と書いた札が掛かっていた。その札の矢印に沿って左手に進んで行く。

 

 

 

遊歩道がきれいすぎて普段だと何でもない笹の生える道が藪になったように感じる。一旦くだって245mの

標高点を過ぎ、また下って登り返すと火山山頂。四等三角点 西山 259.79m

 

 

 

県内には同じようにこの火山と名の付く山や、火ノ山、火上山と呼ばれる山があるけれど、いずれも戦国時代に

敵の襲来を告げる狼煙場があったのではと云われている。この火山も地形的には周りが見渡せた場所のようだが、

今は木々に遮られて眺望は全くない。

 

 

 

火山からは一旦もと来た道を引き返す。途中なぜかこんな稜線上にドラム缶が転がっていた。地形図を見てみる

とそのドラム缶の先は砕石場のようになって切れ落ちた地形になっていた。今は営業はしていないようだが、何

かの機械を動かすのに使われていたのかもしれない。

 

山頂から分岐まで戻り左に折れて遊歩道を進んで行くと、緩やかな下り坂の奥に忽然として水たまりが現れた。

山の中腹でもなく山頂近くにあって、汲んでも汲んでも尽きない程の水を蓄えていて、長径16m短径10mの楕円

形の形をしている。

その昔、土佐の長宗我部元親が隣りの雨滝山の雨滝城を攻めた時、合戦が終わって、疲れた兵士がここへ来て頭
 
の鬢を洗ったという。そこで人々は、この火山の頂上にある穴(池)を「ビンダライ」と呼んだそうだ。

 

 

 

水溜まりの外周をぐるっと回ってみるが、流入水の箇所は見当たらない。すると地下から湧いているのだろうか?

東の端に置かれたベンチの奥からは津田町の鶴羽の辺りが見下ろせる。生憎の霧だったが、先ほどよりは少しマシ

になって、ドルフィンセンターや高松自動車道の津田SAが見える。

四国では三嶺の山頂近くの池が有名だけれど、あの場所は降雨によって水が流れ込んでいるけれど、この場所は

全くそんな雰囲気もなくとにかく不思議だ?

 

 

 

 

瓶盥から折り返して奥の院の分岐まで戻って遊歩道を下って行く。九十九折れの階段状の道を下っていると道の

脇でポタリと音がした。少し色が変わり始めた椿の花だった。

 

 

九十九折れの道を下りきると奥の院に着いた。菩薩像の奥に、弘法大師が一夜で彫ろうとして鶏の声を聴き夜が

明けてしまったと勘違いをして諦め、大窪寺に向かったという伝承が残る摩崖仏。胸から下が剥落していて全体

像は不明だそうだ。

 

 

 

その摩崖仏の横には穴薬師と云われるお堂の中に入ると、巨石に小石仏が岩壁に彫られている。自然に重なり合

った巨石が転がらずにいるのが何とも不思議で自然が造る妙だ。

 

 

穴薬師にお参りした後、寄進されたミニ西国33観音の石仏が並ぶ参道を下って行く。正面には大川町富田の田

園風景が広がっていた。

 

 

参道の入り口の石仏は『一番 那智山 青岸寺』と彫られてあった。ここでまた今日二度目の失敗をしてしまっ

た。事前に周回ルートを頭に入れていたはずなのに、本来右手に折れて進むべきところを左手に折れてしまった。

右手を見ると登って峠になっているのが見えたので、頭の中でここからは下りと思って勘違いをしてしまったの

だった。

 

 

間違いには気づかずにどんどん坂を下って行く。道の脇には石仏と丁石が一定間隔ごとに並んでいた。そんな

石仏は朽ちかけたものもあり、参道の石仏と比べると随分と時代かかっていた。

大きな火山遊歩道の案内板と道標の前で、案内図を眺めながらふとYAMAPを覗いてみると、ここで初めて間

違いに気が付いた。予定していたルートと比べてこのまま歩くと3倍ほどの距離になっていたが、地形図を見る

とここからさらに下に大きなお寺のマークがある。『おそらく案内図に書いてある西教寺かな?』そう思って、

時間はかかるが寄ってみることにした。

 

 

 

先ほどの奥の院の摩崖仏が一夜仏として彫られていたなら、弘法大師は大窪寺には行かずに、この西教寺が結願

の札所となったかもしれないと云われている。本堂も大師堂もりっぱな造りをしている。山門の前の二本の大き

なクスノキも見ごたえがある。

 

 

 

さぁここからは単調な下道歩き。時間は10時30分。車での移動時間を考えるとゆっくりとはしていられない。

いつになく速足で歩いて行くが、ソールの柔らかい靴とトントンと速足で歩くせいか、膝より腰の痛みが増して

きた。それでもキャベツ畑の向こうの紅白の梅や、集落の氏神様の小さな神社を眺めながら車を停めた駐車場目

指して歩いて行く。

 

 

 

県道まで来ると最後の最後に登坂。坂道をなんとか柴谷隧道まで登ってくると、まださらに隧道の上に道が見え

る。するとふと横を見るとお地蔵さんの横にショートカットできそうな階段が見えた。迷わずそちらの道を選択。

少しづつ登って行くとけっこう距離を短縮して雨滝自然科学館の手前に出ることができた。

 

 

 

 

下道歩きも思ったよりも時間がかからずに済んだので、少し館内を見学してみた。1階には津田湾を中心に生息

する魚類、2階には各地で発掘された化石類が展示されていた。

今から40年近く前に一人の小学校の教員が、この施設の前でコツコツと採掘をしていたところ、ナマズのよう

な形をした化石が見つかった。国立博物館に持ち込んだが『別の魚だと思います』と言われて諦めていたところ、

10年経って『世界最古のナマズの化石』として認められ、学界でも発表された。メディアでも大々的に取り上

げられ、自治体が動いてこの施設ができたそうだ。

時間がなかったのでゆっくり見ることはできなかったが、また機会があれば訪ねてみたい。

2座のポイントゲットの計画は脆くも崩れてしまったが、500年前の化石から弘法大師、そして戦国時代の話

と短い時間だったが興味の尽きない里山歩きとなった。

言うまでもなく山から下りて急いで帰って、お昼からは奥様のご機嫌取りでこちらの株価も上げて、有意義な一

日となった。

 

 

 


なんだかんだと結局里山歩き

2025年03月08日 | 香川の里山

天気予報ではお昼頃から雨から曇りの予想だった。一応車にザックを載せて雨が止むまで温泉に浸かって、後は

様子を見ながらカメラの練習もかねて花散策と決めて出かけた。

温泉に向かう途中でふと思い出してミツマタ畑を覗いてみると、まだ少しは早くて白玉の蕾のままだった。

 

 

温泉にまったり使った後に施設の外に出るとまだ霧雨のような細かい雨が降っていた。以前から食べてみたかっ

た近くのラーメン。過去に2回臨時休業でフラれてしまってなかなか口にすることができなかったので、3度目

の正直で行ってみるとやっと開いていた。店主が一人でやっているのでコミック本をさらっと1冊読むくらい待

ったけれど、あっさり素朴な味で満足。

そのラーメン屋を出てもまだ少し雨が残っていたので、山歩きのモードから完全に花散策のモードに気持ちを切

り替え、とにかく近くにある花の咲いてそうな場所を巡ってみる。

香川用水記念公園はさすがに人影はなく、花も一番端にある花木園に梅の花が咲いている程度だった。

 

 

 

他には唯一広場の前のモニュメントがパンジーで彩られていた。

 

公園をあとに帰り道にある福成寺に寄り道。讃岐寒桜で有名なお寺の横の水橋池の土手に咲く桜。こちらもあと

もう少しといった感じだろか。

ただいつものメジロは元気に花から花へと飛び移っていた。こんな時はやはり望遠レンズが欲しいな~と、道路

を挟んでお寺の境内から、大きなレンズで撮影している人の姿を見て羨ましく思う。

 

 

 

 

時間はもう15時前。仕方がないので花散策もこれで終わりにしての帰り道、国道の北側に鉄塔の並ぶ背の低い

山が見えた。『たしかWOC登山部で以前に登った竜王山だったかな?』なんて思いながら、『そう言えば登った

時はまだYAMAPを使っていなくて、山頂ポイントはゲットしていなかった』とふと考えた。そう思うと自然

と登山口に向かってハンドルを切っていた。墓地の駐車場に車を停めてスタートする。時間は14時50分。こ

んなに遅くにスタートするのはいまだかつてなかったかもしれない。YAMAPのコース図を見ると綾歌竜王山

から横山、大原まで縦走して折り返して来ても、コースタイムは2時間弱。17時までには、暗くなる前には戻

って来られるだろうとふんでスタートする。登山口には大きな立て看板。

 

 

 

その看板に沿って坂道を登って行くと道の脇に龍王神の鳥居があった。鳥居からは次第に坂道の傾斜が急になっ

てくる。道の横の案内看板には『ゆるやかな坂道が続いている・・・』と書いてあったが、何のことはない意外

と急で息が切れてきた。少し開けた場所からは正面に飯野山がドーンと腰を下ろしている。

 

 

九十九折れの路には所々で丸太のベンチが置かれていて、途中の展望所からは左手に城山・猫山の麓にレオマ。

少し視線を右に移すと頭が雲に隠れた大麻山やその横に善通寺五岳が見えた。

 

 

 

展望所からもくねくねと登って行くと竜王社。その石祠からしばらく歩いて行くと、に阿波竜王山頂 三等三

点 奥川内 255.10m 山頂らしくない周りを木々に囲まれた場所だった。 

 

 

 

竜王山からは雨の後、まだ乾いていない落ち葉の上を一旦下って行くと、大きなずんぐりした形の電波塔の横に

出る。さらに下って行くと今度はノッポの電波塔。その施設のフェンスの横を通ってまっすぐ進んで行くとコー

スから外れてしまう。手前の道の脇に巻かれた赤テープを目印に木々の中へと入って行く。

 

 

 

 

 

樹林帯の中にも赤テープは続いていて、結構な間隔で木の幹にスプレーが吹いてあるが、白色のスプレーが全部

垂れていてあまりきれいではない。赤テープ通りにトラバースしながら進んで行くと尾根に出た。

ここからは横峰古墳群と呼ばれ円墳(2号)と前方後円墳(1・3号)の古墳が尾根上に続いていく。

 

 

 

 

YAMAP上ではこの3号古墳の辺りが横山になっているが、山頂標が見当たらない。遊歩道になっている竜王

と違って、ここまではあまり手が入られてないのかと思いながら周りをウロウロ見渡してみると、3号古墳と

書かれた案内板の後ろの木に山名標が掛けられたいた。

 

 

横山から大原はコースタイム通り直ぐだった。二股になった場所がちょうどYAMAPの地図では大原になって

いたが、ここでもウロウロ探してみても見当たらない。すると二股になる手前の木に巻かれた黄色いテープに矢

印をして大原と書いていた。南からくると二股の左に進んで行くと鉄塔広場になった。ここでは鉄塔の右わきの

木に小さな山名標が掛かってあった。

 

 

 

 

以前にWOC登山部で来た時はここから更に先に進んで崖のような所を登ったような記憶があるのだが、今日は時

間も時間なのでここから折り返して戻って行く。この大原と手前の二股の辺りは何かの保護なのか、ずっとテー

プで囲ってある。二股まで戻って南に歩いていると一ヵ所だけ間違えそうな場所がある。ここでは広い右手では

なく左に進むともと来た道になる。

 

 

 

この尾根はとにかく赤や黄色のテープに白や赤のスプレーと、何もこんなにもと思うくらいの間隔で続いている。

少しまた小粒の雨がちらちらと。速足で横山、竜王山へと戻り今度は急坂の下りとなり、九十九折れのコンクリ

ート道を下って行く。

 

 

 

往路では気が付かなかった鉄塔広場へと脇道を入ると、大きな大きな鉄塔。今まで見てきた四国中央幹線なみの

大きな鉄塔。

 

 

さらに下って行くとその送電線が2列に並んで坂出の番ノ洲に向かって続いていた。高松道を西から高松へ向か

って走っていると目にする鉄塔群だ。

スタートから約1時間30分で駐車場まで戻ってきた。雨は止んで青空にはならなかったが曇りの空の下、せっ

かく温泉でさっぱりしたのに、背中にはしっかり汗を掻いていた。まぁでもこんなお手軽さが里山の良さかもし

れない。