KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

里山に遊ぶ 世田山・笠松山・永納山・医王山

2021年09月30日 | 四国の山

仕事柄ほぼ一日中椅子に座っていると、夕方になると調子が良くなっていた腰が

また元に戻ってしまう状態が続いていた。そして天気予報をみると山間部の

降水確率が結構高い。本来なら『線で繋ぐ山歩き』の東光森山が次の予定なのだが、

いまひとつ自信がないので、奥様たちには『もう一週だけ里山歩きにしてもらえませんか?』

と話をしていた。ならばどこの里山を歩くか色々考えたが、県内の里山で思いつく

山が出てこない。それならもう少し涼しくなって歩こうと考えていた、

今治市の世田山と笠松山はいかがでしょうか?と提案してみた。

以前にエントツ山さんの掲示板に上がっていて記憶にあった山で、最近は

WOC登山部の新幹線チーム?が歩いていたので、年内には歩いてみたいと思っていた山だ。

すると奥様から『近くにもう二座あるので、四座登りたい!』『今治までいくなら、美味しい

魚を食べたい!』とリクエストが来た。世田山と笠松山なら3時間もかからないが

残りの永納山と医王山を廻るとなると+1時間30分はかかる。

それなのに奥様からは『早起きはしたくない』というようなニュアンスのメッセージが

含まれていた。『3つの条件をクリアするのは難しいので、四座を諦めるかランチを諦める?か

それとも早起きをするかにしてください』と返信すると、どれも諦められないと、

何とも無理難題な答えが返って来た。

結局、少し早めの集合時間で出かけることに落ち着き、一路高速を今治へ目指した。

西条市と今治市の境にある厄除けで有名な世田薬師の駐車場に車を停めてスタート。







まずは大師堂にお参りしてお堂の右手から本堂(奥の院)へと歩いて行く。







公園のような場所から本堂への道は山道になる。入り口には春とこの時期にも花をつける十月桜が

綺麗に花を咲かせていた。あっちゃんは初めて見るらしく珍しがっている。










途中に案内板があると思いきや、グレーチングを盗んで帰る泥棒に怒りのメッセージが

書かれた立て札だった。確かに参道にあるものを盗むなんて絶対バチが当たるだろう!




山道は最初は竹林の中に続いていて、その竹林が終わると九十九折れの階段状の道になる。







道の脇には丁石のお地蔵さんが等間隔で立っている。途中の谷間の奥に大きな不動明王が見えた。

この摩崖仏は地元の90歳近くになるおじいちゃんが、毎日通って独りでコツコツと彫っている石仏だそうだ。

ある時この岩盤に現れた不動様を観て、それ以来一心に槌を振るって刻んでいるという、

何ともその情熱と信心の深さに感服する。










ここからは丁石とともに様々な石仏が並んでいた。










本堂手前の石段はあっちゃんが数えてみると丁度108段あったが、なかなか急なキツイ石段。

その石段を登りきると本堂の目の前には腹こわり石。昔からこの石に触ると

お腹をこわすという、何とも不思議な石で。ルリちゃんにも『触ったらいかんよ!』と声を掛ける。

YAMAPの活動日記に誰かが書いていたのをチラ見しただけだったが、知らずに触っていたら

普段からお腹の緩いへっぽこリーダーは、この後山の中でどうなっていたことやら。







奥の院は以前に本堂のあった場所。やはりここまでお参りする人は少ないようで、

お堂の扉も閉まっていて山中にひっそりと佇んでいた。本堂の脇には大館氏と十七勇士の墓がある。










道は杉林とシダの中を続いていく。世田山山頂は笠松山と共に山城の跡。

南北朝時代にこの山城で、先ほどの大舘氏が籠り壮絶な戦いが繰り広げられた場所。

『世田山城が落ちると伊予の国は亡ぶ』といわれるほどの最重要軍事の拠点だった世田山城跡には

今は大きな東屋の休憩所が建てられている。山頂は木々に囲まれていたが、

北側が少しだけ開けて今治市に続く田園風景が見下ろせた。













世田山からは風化した花崗岩の尾根道が続いている。山頂から一旦階段を下り小さなピークに向かう。

途中で北には瀬戸内海に浮かぶ小島、南には朝倉の田園風景が広がっていて、

稲刈り前の緑が続く景色を眺めながら歩いて行く。














小ピークを過ぎ少し下ると道の脇に小さな光明岩の札があり、ここから

右手にとって下って行く。意外と急な坂を下って行く途中で独りの女性とすれ違う。

登山者にしてはザックを置いたままで佇んでいた。よく見ると手には鎌を持っている。

どうやら登山道の脇の草木を刈っているようだ。里山ではボランティアで整備している人は多いが、

女性が独りでというのは珍しい。先ほどの石仏を彫るおじいちゃんといい、この女性といい、

誰に言われるわけでもなくコツコツと作業をする人の姿に、ただただ頭が下がる思いだ。

光明岩は木々が途切れ、目の前に景色が広がった尾根の先に直立していた。













まずはあっちゃんに『ありがたい岩やから登ったらいかんよ!』とくぎを刺して近づいて行く。

光明岩の名前の由来は分からないが、岩には『光明真言一百萬遍』と刻まれていた。







そして足元には額縁に入れたメッセージが書かれていた。

消えかかった文字の最後には『ゆっくりでいいから登って来れる自分をほめてあげましょう!』と

書かれてあった。『ほら!山はマイペースでいいからと書いているでしょう』とあっちゃんに言うと、

『いえ、YAMAPの平均ペース以上と書いていますよ!』と。ヤレヤレ・・・・・。




光明岩は横から見るとモアイ像のように見える。岩の横からの景色も抜群だ!







光明岩から下って来た道を登り返すと、先ほどの女性が作業を続けていた。

『ご苦労様です!』と声をかけて尾根道へと戻って行く。尾根道からはまた階段を下り、

そして登り返す道となる。このコースの上り下りはほぼ階段なので、けっこう疲れる。

更には気温が上がってきて、吹き出す汗が半端ない。







327m三角点辺りからはほぼ平らな道。脇の木々も背が低く見晴らしの良い道が続いていく。

するといつもの様に奥様たちの世間話が始まった。後ろから聞き耳をたててついて行くと

何やら医療保険や生命保険という言葉が飛び交っている。生命保険の死亡保険の内容になると

当然、本人ではなくご主人の話。その立場にあるものとしては何とも物騒な話だ!(笑)




しばらくすると笠松山に着いた。山頂らしき場所には小さな観音堂があった。

観音堂の周りでは山城の跡らしく眼下が一望できる。霞んではいるがしまなみ海道の橋まで眺められる。

休憩していると次から次と登ってくる人たちがいる。香川の里山のように地元の人たちの

手軽で身近な里山歩きの憩いの山となっているようだ。













観音堂の前で15分ほど休憩した後、元来た道を引き返していく。

往路と同じく瀬戸の海と田園風景が広がる尾根道。大勢の人が歩いているのも肯ける風光明媚ないい山だ。










途中の鞍部からは北側の野々瀬登山口への道が続いている。相変わらずアップダウンは階段の道。










そしてピークではまた見晴らしの良い道。少し残念なのは雲がかかっていなければ見えただろう

石鎚山が見えなかった事だけだ。







最後の階段を登ると世田山まで戻って来た。世田山から少し下った先に右に続く道があった。

寄り道して見ると大岩の脇を抜け、その先が岩壁の頂部の見晴らし台になっていた。

西条市から新居浜市の海岸線が一望できる。この世田山城が重要な拠点だったのも肯ける。







城主になった気分を味わった後は世田薬師へと下って行く。杉林を抜け、世田薬師の奥の院の

石段を下ると、不動明王像の場所で朝は姿が見えなかったおじいさんが登山者と話をしていた。










するとまた二人の朝ドラの話題が始まった。どうやら今回はその結末を二人で予想して、

あ~でもない、こ~でもないと話をしている。恐らく今後も山に登る度にこの話は聞かされ続けるのだろうな~!




世田薬師の駐車場まで戻り、道の反対側から永納山へと林道を歩いて行く。

その途中で来週には歩けるだろう東光森山の話になり、ルリちゃんと集合場所と

集合時間の打合せをしていると、今までニコニコ顔で歩いていたあっちゃんの顔が急に曇った。

どうやら大田尾越えに7時30分に集合というのが、本人にとってはどんな険しい山を登るより

厳しい条件の様だ。するとルリちゃんが『あんた、仕事をしていた時何時に職場についていたん?』

と聞くと、ほぼ就業時間のギリギリだったと答えるあっちゃん。寝坊なのは今に始まった事ではなく

昔からの様だ。更にルリちゃんが『低血圧なん?』と聞くと、『ん、ん。100位!』とあっちゃん。

『それを低血圧と言うんじゃわ!』と二人で大笑いする。







西側登山口となる場所には古代の永納山城跡の説明板がある。

善人杖の置かれた場所から山の中へと入って行くと直ぐに尾根に出た。










緩やかで広々とした尾根を東に歩いて行くと最初のピーク。ここからは燧灘が見下ろせる。

そのピークからはこの辺りの山の特徴らしい、風化した花崗岩の尾根道。

道の先には今日三座目となる永納山が見える。






途中には周りの木々が伐採され、外郭の整備工事がなされていた。

古代山城は四国では3ヶ所(内香川が2ヶ所)しか発見されていなくて

愛媛県ではこの永納山城のみだそうだ。







工事の内容を記した説明板から最後の坂を登って行くと、最初に見晴らし台のような場所に着いた。










見晴らし台から更に登って行くと露岩が現れ始め、滑りやすい乾いた花崗土の坂を登ると永納山に着いた。










山頂には地形図には載っていない真新しい補助三角点があり、周りの眺望もバツグンだ。

最後にこれから登る医王山も直ぐ近くに見える。













山頂から一旦下り、伐採され明るくなった尾根に丸太のベンチが置かれている場所を通り、

回り込むようにして更に下って行くと、高速道路の側道の脇の東側登山口に出た。










高速道路の側道を歩き、一旦その高速道路の下を潜って国道に出た後、鉄道と交わる辺りから

今度は南に向かって県道を歩くと西条市の標識があり、ここから医王山へと取り付いた。

取付きは不明だったが直ぐ上に見える支尾根へとグイッと登ると踏み跡があった。










この道は直ぐにシダの海へと突入していく。シダ自体は大した藪にもなっていなくて

足元はしっかりしているのだが、ただとにかく蜘蛛の巣が酷い。数歩歩いては立ち止まり、

ストックでその蜘蛛の巣を払いながらになるので、なかなか前に進まない。







何とか蜘蛛の巣地獄をやり過ごすと目の前に岩壁が迫っていた。遠目で見るとかなりの岩壁だが、

こちらから登ると傾斜はそれほどでもなく、一旦ザックを置いて登って行く。

もちろんこんな場所はあっちゃんが特攻隊長となる。







両手両足を登って行くと岩壁の頂部に着いた。後ろから来るルリちゃんが心配だったが

意外と平気で登ってきている。この山頂にも三角点の様な石柱があった。

岩塊の頂部だけあって高度はないものの、360度見渡せる眺望が広がっていた。

先ほど登った世田山や燧灘。そして車を停めた世田薬師を見下ろせた。













ここで今日のミッションのひとつの四座をクリア。奥様たちも満足気だ。







さぁ~ではでは次のミッションが待っているので、岩肌を落ちないように慎重に下り、

取り払って蜘蛛の巣がなくなったシダの道をあっという間に下って県道に着いた。










県道を世田薬師へと戻って行く途中、振り返って見えた医王山はなかなかの山容をしていた。

四座を歩き終えて安堵していると、やはり急にお腹が空いて来た。駐車場で靴を履き替え、

次のミッションの『魚の美味しい店』へと車を走らせる。




と言っても駐車場でgoogle mapで調べて、三人であ~だ、こうだと言いながらチョイスした

『魚河岸ごはん 矢野鮮魚店』は、よくある一品のおかずのご飯屋。ごはん屋といっても

鮮魚店のお店だけあって、おかずには新鮮な刺身の一品も並んでいた。







奥様たちは海鮮丼。小食の私は海鮮巻きずしと刺身。海鮮丼を待つ間にノンアルビールで乾杯する二人。

海鮮丼はルリちゃんはミニ丼。あっちゃんは普通を頼んだが、やはりけっこうなボリュームだ。

後で写真を見ると、ごちそうを前に笑うルリちゃんの顔が、北の国からの純君に見えた。(笑)










二つ目のミッションをクリアしたのだが、このミッション遂行のせいで時間が無く歩けなかった

笠松山のガメラ岩を最後に目指すことにする。

朝倉地区の集落の中を車で移動し登山口となる場所に車を停めて軽装で取り付いて行く。

ガメラ岩までは直ぐ近くなのでと思っていたが、急な場所もありロープを使って登って行くと

こんもりとした丘の上にガメラ岩が見えた。










YAMAPで笠松山を探すと、大体の人がこのガメラ岩を訪れているので、

せっかくここまで来たら外せない場所だ。地元ではおんびき岩(カエル岩)と呼ばれてる大岩は、

YAMAPでは皆さんガメラ岩と呼んでいる。確かに亀が口を開けているように見える。

今日は時間も早いのでこのガメラ岩でじゃれて遊んでみる。







ガメラに食べられそうなあっちゃん



ガメラの背に乗るあっちゃん



ガメラに登って見ようとするが、ガメラの頭は平ではなく薄く尖っていて、

ここまで登るのが精いっぱいの私。振り返ると笠松山と山頂へと続く道が見える。

午前中と比べると青空が広がり、来島海峡大橋もくっきりと見え始めた。













ひと時ふざけてガメラ岩を後にする。世田山、笠松山はこの地の歴史的にも貴重な山で、

登山道も良く整備され、尾根の縦走路は見晴らしも良く、地元の人たちにも愛されているのが

よく判る予想以上にいい里山だった。奥様たちにも満足いただけた一日となった。










さぁ来週はいよいよ急登で有名な東光森山になる。ここのところ里山歩きばかりで体力が

落ちているのが心配だというルリちゃん。それは未だ腰の状態が良くない私も同様だが、

それ以上に早起きが心配で仕方がないというあっちゃん。さてさてどうなる事やら、

後はお天気のローテーション次第、神のみが知る事となる。
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里山に遊ぶ 貴峰山~ハゲ山

2021年09月23日 | 香川の里山

プロ野球だとローテーション入りは喜ばしい事だが、ここのところの水曜日が

雨のローテーションとなっているのはあまりうれしくはない。

線で繋ぐ山歩きは今週もお休みをして、近場でリハビリウォーキングをと思っていたら、

奥様たちからお声がかかった。順調に回復していたガラスの腰が、ちょっとした事で

先週また後戻りしてしまい、それなら今週も軽くウォーキング出来る場所がないかと思案。

で、思いついたのが宝山湖をウォーキングして、少し盛りは過ぎたが彼岸花を見て

のんびりしようと提案したら、宝山湖はOK!。『その後毘沙古三座を歩きますわよ!』と

返事が来た。毘沙古三座って?と返信し直すと、どうやら三野町の貴峰山

毘沙古山そして竜王山の三つの山を指すと折り返しが来た。

それでは宝山湖を歩いて、調子が悪くならなければ三座のお付き合いをしようと出かけてきた。


集合場所の宝山湖の駐車場は平日にもかかわらずほぼ満車の状態。次から次と車が出入りしている。

宝山湖は県内の慢性的な渇水状態の緩和対策を主に、香川用水内の水道水を一時的に貯留しておく

為の調整池として造られた。財田町と山本町にまたがる宝山湖。財田町は(たからだ)ともいい。

財田町の『宝』と山本町の『山』を含み、香川県にとって宝の水が山のようにあるという願いを

込めて、宝山湖という愛称になったそうだ。







駐車場から湖に沿って車道を歩いて行く。すれ違う人たちはやはり平日のせいか年配の

人達ばかり。『年寄りは暇やからな~』とルリちゃんと一緒に陰口をたたくが、我々も大同小異

大して変わり映えはしない。湖の南端に差し掛かると対岸の斜面が真っ赤に染まっているのが見えた。

『わ~すご~い!』とあっちゃんが歓声をあげる。




彼岸花の咲く対岸へ渡る橋を過ぎて更に奥に進んで行くと睡蓮の咲く、ビオトープがあった。

水の流れをせき止められた池の水面に、色とりどりの睡蓮の花が咲いていた。




モネが夢見て叶わなかった青い睡蓮も花を咲かせている。

一番濃い色の青の睡蓮は池の淵からは離れていて写真に撮ることは出来なかったが、

少し薄めの青い睡蓮を、池に掛けられた浮橋から撮ってみた。







この睡蓮は近くに住む図子さんという農家さんが、高知県のモネの庭で購入し

自宅で栽培していた苗を、5年ほど前に移植して三豊シルバー人材センターのメンバーで

世話をしているそうだ。ここでも水面を彩る花に大勢の人がスマホやカメラを向けていたが、

池の淵に近づきすぎて落ち込みそうになったり、不安定な浮橋の上で危なげにしている

高齢の人の姿が見られた。これだけ大勢の人たちが集まる場所になっているのだから、

予算をつけてもう少し整備してもいいのではと思ったりした。










カマキリを見つけたあっちゃんが、悪さをする小学生みたいにして『ほ~ら!』と言って

私の背中に押し付けようとする。『も~ご勘弁を・・・・・!』




ビオトープから対岸に渡って彼岸花の咲く場所まで来ると、ベンチに腰掛け花を眺める人、

大きなカメラに三脚を構えて写真を撮る人など、真っ赤に染まる湖岸の景色を楽しんでいた。










花は盛りを過ぎ少し縁が白くなってきていたが、それでもこれだけの花が咲く場所はなかなかなく、

白い彼岸花も咲いていて、夏の終わりを感じながら散策する。
















彼岸花を楽しんだ後、湖畔を周回し駐車場まで戻って行く途中で奥様たちがお昼ご飯の相談。

最終的には高瀬町のうどん屋さんに落ち着き、一番人気だという『肉カスうどん』を三人で注文。

初めて食べる肉カスうどんは肉うどんほど甘すぎず、だしの味もしっかり味わえとても美味しかった。




『腰の状態はどう?山は登れる??』と聞いてくる二人。心配してくれるのはありがたいが、

その言葉にはやんわりと圧がかかっていて、『大丈夫だと思います。お供をします・・・・』と答える。

三野町まで車で移動し、まず詫間の松崎コミュティーセンターに車をデポして、

登山口のある三野町大見のため池の淵に車を停め、民家の横から一つ目の貴峰山取り付く。







民家の間を通り登って行くと、以前は『宮脇ふれあいの広場』と書かれていた木の案内板は朽ちていて、

代りに誰かの落とし物だろうか、立派な三脚が引掛けられていた。







以前に登った時の記憶にある大岩を横目に見ながら公園の脇を山の中へと歩いて行く。

手入れされた畑の正面には葛ノ山・爺神山・山上山が見えた。

かつては他の山と同じように富士の形をしていただろう讃岐七富士の爺神山だが、

今は形は大きく崩れその面影は残っていない。










広場から山の中に入ると階段が続いている。右足を持ち上げる度に右の腰に鈍痛が走るが、

ここで弱音を吐いては、リーダーの面目がつぶれてしまう。WOC登山部では

セニョさんが、以前ギックリ腰になった時に無理やり山に登って、

酷使して直したと云う伝説が残っているが、今日はそのセニョ理論で頑張ってみることにする。




しばらく登って行くと發心堂なるお堂とベンチの置かれた場所に出た。

發心とは悟りを得ようとする心を起こす事だという。まさにこれからセニョ理論を実践し、

証明して悟りを得るに相応しい場所だと自身に言い聞かせる。




お地蔵さんの並ぶ發心堂の脇から更に山の中へと立ち入って行く。綴れ折れの道は山頂が近づくにつれ

急登になってきた。もうすでに顔面一杯に汗が流れ落ちている。










貴峰山山頂は一枚の大岩になっている。この貴峰山は雨霧城(天霧山)四代目城主の香川信影の家臣

藤田四郎が雨霧城の牙城として戸峯山城として築いたとされた場所。

今は木々が生い茂っているが、当時は恐らく東西南北を見渡せたのだろう。










その大岩には四等三角点・貴宝山。ここで一息いれ、三脚で三人で記念撮影をするが

まだカメラの操作に慣れなくてマクロモードのままで写してしまい、完全に三人がぼやけて没。










山頂岩からは雲がかかった七宝山や、これから向かう毘沙古山

そしてほとんど原型をとどめていない汐木山が見えた。

ルリちゃんが手渡してくれたマスカット大福を頬張りながら腰を降ろす。








山頂での休憩を終えて一旦大岩を降り、西へと歩いて行く。貴峰山は秀麗なおむすびの形をしている。

この毘沙古山への稜線がなく、独立峰だったら讃岐富士に例えられたかもしれない。

そしてその形通り毘沙古山へは急な下り坂が待ち受けていた。ここではとにかく滑って変な動きになり

ギックリ腰が再発しないように注意深く下って行く。天気予報の通りもし雨が降っていたら

最悪の状態になるところだったが、幸い雨はチラつく程度で地面もほとんど濡れていない。







ほどなくミニ八十八カ所の回道になっている鞍部に着いた。








鞍部からは意外と幅の広い歩きやすい道が続いていた。毘沙古山山頂が近づくにつれ、

先ほどの貴峰山と同じように急登になっていく。










毘沙古山は231m。三座の中では一番高い山になる。山頂は木々に囲まれ見晴らしは無く、

山名札があるだけ。三脚をザックから出すのもめんどくさいので自撮りをしてみた。










毘沙古山からもやはり一旦下りになる。道は想像していたより薮いてなく快適な尾根道が続くが、

とにかく蜘蛛の巣が酷い。立ち止まってはストックや枯れ木で振り払うのだが、

油断して見逃してしまうと汗を掻いた顔にベチャっとへばりつく。







ここでの鞍部は南北の峠道になっているのか、少し薄いが横断する道があった。

竜王山山頂も木々に囲まれ見晴らしはなかった。もう一度自撮りをするがやっぱり顔が不自然だ。

(あまりにも顔の皺が酷いのでまた修正をしています。ー笑― )










竜王山から西に下って行くと道の脇に、見晴らしの良い場所があった。

詫間のゴルフ場とその横に同じくらいの広さの太陽光発電所が見える。







さらに下って行くと電力の保線路らしき道に出た。その道を辿って行くと鉄塔広場に着いた。

地形図を見ると少しに西側に三角点がある。藪いた笹の中を進むと四等三角点・松崎

ひっそりと佇んでいた。脇にはハケ山と書かれた山名札。

YAMAPの活動日記を見てみると、二年前には『ケ』の横に『〃』が付いている。

どうやら通称では『ハゲ山』と呼ばれているらしい。














ハゲ山からは一旦引き返して保線路を松崎地区へと下って行く。

ここ道も蜘蛛の巣だらけの道だった。木の枝で払いながら歩いて行くと集落の上に出た。







県道まで下りコミュティーセンターへ戻って行く途中、田んぼの畔に咲く彼岸花を眺めながら

『沢山咲いているのも見応えがあるけど、やっぱり畔に疎らに咲いているのが落ち着くわね!』と

奥様たちが歩きながら話している。なるほど何事も度が過ぎると人は食傷気味きみになる。

ほどほどが一番と言う事か。となればセニョ理論も度が過ぎるとかえって悪くしてしまう。

過ぎたるは猶及ばざるが如しとはよく言ったもんだと思いながら、

少し重くなった腰を気にしながら二人の後をついてコミュティーセンターへと戻った。

今日は奥様たちが気遣ってくれての里山歩きになったが、YAMAPの平均ペースも110~130%

更には登頂した山も三座増えて物足りさはあるものの、ご満足いただけたようで肩の荷を降ろせた。






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里山に遊ぶ 熟女?の二人と女体三昧!

2021年09月10日 | 香川の里山

秋雨前線の影響か天候の悪い日続いて、ご多分に漏れず今日も雨の予報。

事前に奥様二人と相談したら、本来予定していた東光森山は、

YAMAPの活動日記のどれを見ても急登が続くと書いてある。

それじゃ次週に順延して、県内の里山でも歩きましょうと言う事になった。

ただ里山歩きもただでは済まない奥様たち。先ずはそこそこ距離が歩けて、雨でも

足元が安全なルート。更にはYAMAPで記録していない未登の山でないと

ご満足いただけない。三つほど案を出したところ、お二人が未登の山の

大窪寺の裏山の矢筈山と三つの女体山を歩くことになった。

女体山を三つ歩いて『女体三昧』と名付けたのはエントツ山さんだったが、

今回はその上に熟女と銘打ってみた。奥様たちは熟女と言われるのが

本意か不本意かなのは不明だが、取りあえず三つの条件はクリアーしているので大丈夫!


大窪寺の第一駐車場にいつもよりゆっくり目で集合し身支度をしていると、ルリちゃんが雨具を

持ってきていないという。どの天気予報を見たのかは分からないが、外は雨。

昔、山の会では『弁当忘れても、雨具は忘れるな!』とよく言われたものだが、

仕方がないので傘をさして歩くことになる。




大窪寺の境内へと歩き、先ずは本堂に参拝して登山の安全をお願いする。










登山道は納経所の手前から山の中へと続いていく。この道は四国のみちになっていて

更には奥の院へと続く道にもなっている。

取付きからは急な階段状の道が続いていく。雨は本降りになり道からは溢れた水が下へと流れて行く。




途中にある展望所からはいつもなら南側の眺望が見えるのだが、当然真っ白な世界。







更に登って行くと左に奥の院への分岐になる。この奥の院は長尾女体山の北側、古大窪(ふろくぼ)と

呼ばれた場所に、人々の苦難を救おうと行基によって建立され。その後弘法大師が、今の奥の院

「胎蔵ヶ峰寺」のある場所に、大窪寺を復興させ、そして、現在に場所に移ったそうだ。

分岐からも急登は続き、最後に下って行くと林道に出た。




林道を西にしばらく下って行くと矢筈山への取りつきとなる。

取付きからも階段状の急登が続いている。階段とは言え段差の上は土で埋まり斜めになっていて

階段と言えるかどうか?とにかく雨で濡れた足元に、滑らないように注意深く登って行く。










急登を登ると痩せ尾根の道になる。途中の岩場からはここでもいつも見える北側の眺望も

全く見えず。すぐ目の前に迫る矢筈山もガスに煙っている。




晴れていれば見える景色



実を言うと今日の雨の日の為に、前々からどうしようかと悩んでいた防水のコンデジを購入した。

ここ最近エントツ山さんの掲示板で、エントツ山さんがえらく褒めていたので、踏ん切りをつけて

買ってみたのだが、この岩場の写真を最後にメモリーカードへの書き込みができなくなった。

せっかく雨の日用に買ったのに、本体ではなくメモリーカードの不具合で写せなくなるなんて。

仕方がないのでここからはスマホで撮影。前回の事もあるので顔の皺がキッチリ写り込む

自撮りは止めて、奥様だけを写してみる。あっちゃんはここでドーナツ一個。

矢筈山は東讃では一番高い山。そして一等三角点があり、YAMAPの山頂ランドマークの

一つ目をゲット!。




ここで一服しながら『この一週間で何故か体重が4kgも増えたんです。』

『今朝は測ったらいままでのピークの〇〇kgだったんです。』というと、ルリちゃん

『え~そしたら、私と〇〇kg、あっちゃんと〇〇kgも違うんや~』と。

普通は女性は自分の体重何て決して話をしないのに、遠慮なく話せるなんて・・・・・。

年は取りたくないもんだと、心の中でつぶやく。(笑)

『そう言えばKAZASHIさんの顔の皺が減っているような気がするわ!』とルリちゃん。

その横であっちゃんは異を唱えている。

『このところ山から降りてプロテインを飲んでるから筋肉がついたかもしれません!』と言うと、

『そんな1週間で筋肉量が増えるわけないやん』とあっちゃんに馬鹿にされた。

体重やBMIや体脂肪率の話をしながら(笑)折返しで登山口へと下って行く。







林道まで下ると直ぐ向かいに長尾女体山の鳥居がある。ここからもまた階段を登って行く。

ずっと昔だが、この鳥居には注連縄の代わりに女性のパンティーが何枚もぶら下げてあって

何やら怪しげな雰囲気がしたが、今はちゃんと注連縄が掛けられ、厳かな雰囲気がする。

女体山の名前は

『昔、さぬき市にある志度で玉取りに来た藤原房前に仕えていた女官がいて、房前が帰った後も

この女官は志度に残り海士の修行をしていました。その後さぬき市の造田住んでいる人と結婚し、

この女の人は普通の人と肌が違っていたので、「女体さん」と呼ばれるようになりました。

その後、男の子が生まれ、この子が成長した後に農業に励んで働いていましたが、

田畑の水不足に悩まされることがよくあったそうです。水不足に悲しんだ母親は、

「私が百歳になったのちに、水神となって農家に水を与えよう」と願いました。

この母親の死後、造田にある青木と呼ばれる山に祠(ほこら)を建てて遺体を葬りました。

生きていた時の願いのためか、雨が降らない時に人々が集まって、この「青木女体」に雨を念ずると

必ず降ったそうです。その後、祠がさぬき市長尾南部に移されましたが、さらにその後、

東讃エリアで最高峰の矢筈山の東にある山に移りました。』という言い伝えがあるそうだ。

昔はこの女体山の山頂にある「水神さん」の祠のまわりで、雨乞いをするために、

火を焚きそれを囲んで一糸まとわぬ農夫が踊り狂うという奇祭が行われて、祭りの後、

必ず雨が降ったそうだ。でも今日は雨が止むようにお願いをする。

ここで二つ目の山頂ランドマークをゲット!










ここでも晴れていれば見えた景色



ここからもいつも見える眺望は望めないので、少し戻って東屋で休憩にする。

先ほどの矢筈山でルリちゃんに『顔の皺が少なくなっている』と言われ気をよくして

自撮りで撮ってみるが、やはりあんまり変わらないような気がする。

ここでもあっちゃん、おにぎり一個。今日は雨だと山中では昼食を摂る場所がないので、

途中は行動食で、下山後に八十八庵で打ち込みうどんを食べましょうと声掛けをしていたので、

どうやら今日はおにぎりを何個も持ってきたらしい。(いつもの事ですが・・・)




長尾女体山からはしばらくは林道歩き。二人の後ろを歩きながら、デジカメが何とか写せるように

ならないかと触っていると、あっという間に離されていく。







途中で道の脇で二人が何かを見つけて話をしている。『これなんでしょうね?』

葉を見るとたしかにヒノキだが、この実が数珠なりに付いている木と、全く付いていない木がある。

帰って調べてみるとやはりヒノキの実だった。この実がしばらくすると茶色に変色し、

次第に木質化して、秋には熟して果鱗が割れ,種がこぼれ落ちるそうだ。




ヒノキの実の話がひと段落すると、また二人は朝ドラの話をし始めた。

どうやら今週の話の展開には納得した様子で、今後の展開の予想をしている。

少しは話題に入れるようにと、ネットで『おかえりモネ』の登場人物と、先週までの

あらすじをチラ見したが、もう既に話は先に進んでいて、何ことやらさっぱり分からない!




石田女体山も林道の脇に鳥居がある。鳥居からは石段と擬木の丸太の階段が続いている。

階段を登って行くと直ぐにまた女体宮を祀った広場に着いた。







するとあっちゃんがスマホを覗き込んで、ランドマークはここではないと言う。

『それじゃ~南にある展望所まで行ってみましょうと』声をかけ、歩いて行くと展望所までの

途中に三角点はあった。四等三角点『北ケ原』、三つ目のランドマークゲット。

展望所からは青空が顔を覗かせ、少しだけだが東の景色が見える。







女体宮の前まで戻って自撮り撮影。今回はどれも修正はせず、無修正画像です。

でも目線が画面に向いていてレンズを見ていないので、やっぱり上手く撮れていない。

北側もガスが流れて、一瞬だが屋島五剣山を見ることができた。










広場から階段を下って行くと途中でまだあじさいの花が咲いていた。足元には最近よく見かける花が咲いている。

『これ、なんていう花だったけ~』と聞かれるが、パッと名前が出てこない。

写真を撮って、Googleレンズで調べるとヤマジノホトトギスと直ぐに出てきた。

二人に得意げに『ヤマジノホトトギスです!』と教えてあげると、『ネットで調べたやろ~』とルリちゃん。

『バ・レ・タか~!』・・・・・。恐らくまた次も名前が直ぐに出てこないだろうから、

WOCのメンバーの名前をとって『山じいのホトトギス』と覚えることにした。







石田女体山から林道まで戻り、またしばらく林道歩き。するとどんどん天気が良くなり、

所々で木々の間から北側や東側の景色が見え始めた。







林道が三差路になると、右に曲がった場所のガードレールの横からが東女体山への道になる。

案の定二人が通り過ぎようとするので、呼び戻してガードレールが切れた場所から下って行く。




ここからは電力の保線路の道となり、保線路の特徴の樹脂の急な階段が続いている。

階段を下ると鞍部の手前に黒い物体が見えた。一瞬クマ‼かと思ったが、

以前は倒れたままの石仏を誰かが起こして倒れないようにして立てられていた。







しばらくすると一つ目の鉄塔広場。ここからも保全路に沿って、鉄塔が続いていく。







東女体山手前の鞍部まで来る。ここからは少し回り込んで南側から登るのが正規のルートだが、

『直登と回り込みとどっちがいいですか?』と聞くと、あっちゃんから『直登!』と即答。

『滑りやすくて急登ですよ。別に直登しなくていいんですよ』と確認すると、『直登!』と即答。

案の定木の枝を掴みながら牛歩の登り。でもまぁここのところの線で繋ぐ山歩きで鍛えている

二人にとっては屁の河童!距離も短いので苦にせず登ってきている。










東女体山にも女体宮が祀られている。ここで女体三昧は終了。そしてYAMAPの

山頂ランドマークも四つ目をゲットしたことになる。そしてあっちゃんはまたおにぎり一個。




折返しは南に少し下がって東女体山を回り込みながら戻って行く。

道の脇にはこの時期ならではの森の住人があちこちに!













保線路は緩やかにアップダウンして続いていく。先頭を歩くあっちゃんのスピードが

どんどん上がっていく。『さては平均ペースを上げようとしてるな!』と思いながら

ルリちゃんと必死でついて行く。最後の樹脂の階段を登りきると林道に出た。













林道は大窪寺までくねくねと下りの道が続いている。二人は夕食のメニューの話をしながら

最後は『打ち込みうどん、打ち込みうどん!』と言いながら歩いている。




大窪寺の門前は人の姿はほとんどなくで、八十八庵も数組の人が食事をしているだけだった。

しばらく待つと楽しみにしていた打ち込みうどんが出てきた。

座敷の横の窓は開け放たれ、涼しい風が通り抜けていく中、熱々の打ち込みうどんを

三人で『美味しいね~!』と言いながら頂いた。最後に門前で手を合わせ、不純な気持ちを

洗い流して、結願の地を後にした。







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線で繋ぐ山歩き 大座礼山~三ツ森山

2021年09月02日 | 四国の山



先週は奥様のひとりが欠席になったため、変則で野鹿池山から黒滝山を歩いた。

愛媛県と高知県の県境に沿って東西約50km以上に広がる石鎚山系の

西端が堂ケ森だとすると、黒滝山は東端にあたる。

以前歩いた三ツ森山からこの黒滝山までは、地形図に載っている

山だけでも、まだ10座ある。そして更には吉野川を越えて剣山系へと続いていく。

と言う事で今週は正規のルートに戻って、その三ツ森山から大座礼山を繋ぐ事にした。

大座礼山は頂上の南西側のザレ場から山名がついたと伝えられている。住友の別子銅山が

開抗後はその燃料の山として歴史を担ってきた。この山に登ったのは以前に所属していた

山の会で14年前に登ったきり。山頂近くの四国随一の大ブナは有名で、まだ今ほど

ネットでの情報共有はなく、大ブナと言えば大座礼山と当時は言われていた山だ。





今日は中七番に車を一台デポして、大田尾越からスタートして大座礼山から

三ツ森山まで縦走して中七番へと下るルート。奥様たちにとっては山道の運転が不安のようだが

筏津から大田尾越まではさほどの距離でもないので、大丈夫だろう。

大田尾越から南に少し下った林道入り口の脇に車を停めてスタートする。

車を停めた場所からはガスがかかっているが、次に登る予定の東光森山の急峻な山容が見て取れる。







林道は入り口付近からしばらくはゴツゴツとした岩が転がっていて荒れていた。

道の脇から清楚な白い色をしたテッポウユリが、『がんばってね!』と声を掛けてくれた。







しばらく林道を歩くと登山口になる。以前は取りつきに、大ブナの足元に撒いて欲しいと書いて、

小分けした土を袋に入れて置いていたが、今は無くなっていた。ブナにとっては林床のよし悪しが

大きく影響するので、足元を踏み荒らされ環境が悪くなると樹勢が落ちるという。




取付きの階段を登ると直ぐに短く急登が始まり、登りきるとしばらく杉林の中の道になる。

そして杉林を抜けると最初の渡渉となり、対岸のテープを目印に渡って行く。







右岸から左岸へと渡るとまた急登が始まった。いつもは賑やかなお二人もさすがに寡黙に登っている。

逆に静けさの中で自分の息の切れる音だけが大きく聞こえてくる。










急登を登りきると等高線に沿って徐々に高度を上げていく。足元が悪い場所には丸太の橋が架けられていた。







所々で岩を乗り越え、モミやミズナラの樹林帯の中を進んで行くと二つ目の橋。










更に進んで行くと大北川源流と書かれた場所に着いた。大北川は途中の大北川渓谷を経て、

吉野川へと流れ込む吉野川の源流のひとつだ。










沢を渡ると少し足元はザレた道になり大岩を越えるとまたトラバースの道になる。

小ぶりなブナの木々を見ながら次第に道は緩やかになっていく。













するとまた杉林の人工林の中の道になる。この杉林を抜けると井野川越に着いた。

ルリちゃんがYAMAPを覗いてそろそろペースを気にし始めた。(汗)










井野川越からはスズタケの尾根道を歩くと20分ほどで大ブナに着いた。

四方に歪に枝を張り、ずんぐり型の大きい典型的な四国型のこの大ブナは、四国一の大木と言われていた。

14年前に訪れた時には未だ細い枝が有ったが、もう太い枝が残るだけの姿になっていた。

病害による枯死と云われているが見るも無残な姿に唖然とする。










何百年もの間風雪に耐え、その生命力の強さに感動さえ覚えた大ブナだったが、

病魔には抗うことができないのは、人間と同じなんだと思ってしまう。










数本の立ちながら最後を迎えたブナとは別に、まだ緑の葉を広げ逞しく生きるブナもいた。

またその亡骸に新たに芽生えている生命もあった。







少し感傷的になりながら、大ブナを後に広い尾根を進んで行く。







広尾根から足元に可愛らしい亀が書かれた石とケルン目印から

少し左に振りながら急登を登って行くと、大座礼山山頂に着いた。







ここでザックを降ろして小休止。奥様たちから少し離れて一服しようと

ザックからブツを取り出そうとしたら、もうすでにあっちゃんは、

おにぎりを頬張り、もぐもぐタイムに入っていた。




『もう~目を話したら直ぐに一服しようとする!』と、ルリちゃんに冷たくあしらわれながら

肩身を狭くして一息入れた後、次の三ツ森山へと歩いて行く。

山頂からはしばらくは下り坂。この辺りまでまだ小ぶりなブナが点在している。







中の良い二人の間に割り込むあっちゃん!




下りきると大田尾越への分岐。YAMAPのコース図には未だ載っていないが、

前回山の会で歩いた時には、この分岐から大田尾越へと下って行った道。










途中の1455mの標高点辺りからは少しだけ南側の景色が見えたが、

中間地点となる鉄塔広場から続く鉄塔が見えるだけだった。

これから歩く稜線もガスがかかって距離感が全くつかめない。







1455mからはロープが張られた急な下りが始まった。それにしてもルリちゃんのスピードが落ちない。

急な下り坂の悪路を苦にせずどんどん下って行く。登りはまったくヘタレなリーダーも、

下りや悪路だけは十八番だったのに、これでは全くつけ入る隙がなくなってしまった。( ゚Д゚)

悪路に強いルリちゃんをこれからは悪女と呼ぶことにする。










尾根道は自然林の中からスズタケの道になる。途中には距離を書いた道標が何ヵ所かあり

到着時間の目安になり助かる。ここまでで約1/3になる。










この稜線は小刻みにアップダウンを繰り返して行く。小さなピークを登るとまた展望ヶ所があった。

ガスで薄く中間地点の鉄塔が見え、さらに先に何となく見えるのが三ツ森山かな?

支尾根に続く鉄塔の奥に見えるのは小麦畝の辺りだろうか?










鉄塔広場は大座礼山から1時間ほどで着いた。ここでは水分補給をし靴紐を締め直す。







鉄塔広場からは次々と分岐の道標が現れる。大平への道は今はほぼ歩かれていない道の様子。

筏津からここまで登ってくるのは、少しヨイショがいるな~と思いながら歩いて行く。







ロープを使って下ったりそしてまた登り返しを繰り返して行く。

この辺りから南側は切れ落ち岩壁が続く道になる。










地形図では見逃してしまいそうな小さなピークは、歩いてみるとけっこう堪えてくる。

木々の間から三ツ森山らしき影が見えたが、まだまだ遠い。










道が痩せ尾根になるとシャクナゲが群生していた。それにしてもシャクナゲはどうしてこんな岩場の

厳しい場所に何も好き好んで群生するのだろう?










岩尾根の下りにはちゃんとロープ張られてる。三ツ森山まであと1km。もう少しだ!










と言いながらもまたどんどん下って行く。先ほどよりは近づいてきたように見える三ツ森山だが

山容からして最後は急登が待ち受けている感じがする。

何もこんなに下らなくてもと思いながら慎重に岩場を通過する。
















最後の鞍部には真新しい道標。先ほどの道標からはまだ200mしか進んでいない。

標高差はそれほどでもない小ピークの上り下りだが、意外と下りが急でスピードが上がらない。

ガスが流れて少し遠望が利くようになった。一番奥が稲叢山だろう。










1381mの標高点を過ぎると、いよいよ三ツ森山が近づいて来た。

痩せたシャクナゲ尾根を過ぎて最後の登りに取り付く。

もうすでにシャリバテで足が前に出ない。前を歩くルリちゃんもシャリバテなのかペースが落ちてきた。

そんな二人を他所に、ペースを落とすことなく登って行くあっちゃん。

ここで遅れをとってしまったら、『平均ペースが下がった』などと、また何を言われるか分からない。

何としても踏ん張り最後の急登を登って行く。それにしても『お腹が空いた~!』













鉄塔広場から1時間20分。大座礼山からは2時間25分ほどで三ツ森山にとうちゃこ~!

いつになくお腹が空いてへとへとになりながら着いた山頂で、待ってましたのお昼ご飯。

今日は喉越しの良い『冷やしとろろそば』を持ってきた。

お行儀の良いリーダーに比べて、お行儀の悪いあっちゃん!(笑)










とろろの粘りと少し甘めの出汁に、ツルツルとあっという間に頂く。

ここからは三ツ森峠まで急坂を下った後は、住友の作業道を下って行くだけだ。










山頂は木々に囲まれていたが、少し歩くと景色が見えた。今まで歩いて来た平家平ちち山







山頂からは今日一番の急坂。ロープや木の枝を掴みながらも二人ともトントンと降りて行く。











『一度歩いた道は前回よりも早く感じるわね!』とあっちゃん。

そりゃそうだ。コースタイム30分のところを、今日は18分で三ツ森峠まで降りてきた。














峠から中七番までは住友のくねくね曲がった作業道を降りて行く。

今はほどんど人が入ることの無くなった作業道は結構荒れていて、最初はとても歩きづらかった。







途中に一本だけ周りの木とは不釣り合いな杉の巨木。




道幅も広がり歩きやすくなってくると、案の定奥様二人のお喋りが始まった。

耳を傾けると『同級生には妹の事は相談できんわよね~』『そうよね~』と。

何やら深刻な話をしているのかと思いきや、また朝ドラの『おかえりモネ』の話だった。

『また、しょうもない話をしている!』と言うと。『主婦には気になる大事な話なの!』とあっちゃん。

アフガニスタンでは日本の関係者が500人近くも残された状態で、自衛隊が撤退するというニュースが

流れる中で、何とも平和な奥様たちだ!(笑)







作業道を歩き終え、中七番川に架かる橋を渡ると、橋の下には澄み切った水の流れがあった。

橋を渡り県道へと上がって今朝デポした場所まで戻って行く。











デポ車に乗り込み筏津から大田尾越まで戻ると、朝見えた東光森山がまた見える。

それにしてもかなりの標高差がありそうな山肌に、来週の喘ぎながら登って行く自分の姿が浮かんできた。

これからの四国中央部の山々は、恐らく今日の大座礼山から三ツ森山の稜線と同じように

アップダウンが続く道だろう。線を繋げようと言い出したのは私だったが、

言い出しっぺが一番気を重くしている今日この頃だった。

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