KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 善通寺五岳

2022年12月30日 | 香川の里山

ここの最近の寒波で南国高知でも過去最高の積雪が見られ、阿讃山脈の山肌も

白一色になった。本来なら前回の続きを歩きたかったのだが、山間部はしばらく

避けて平野部の里山で線を繋いでいく事になった。すると奥様たちから、

あっちゃんが歩いていない善通寺五岳はとの連絡が入った。

ルリちゃんと私は何度か歩いているコースだけれど、善通寺から鳥坂峠へ降りて

そのまま弥谷寺から弥谷山へと登れば、天霧山から黒戸山の区間と繋げることが

できる。そう考えて集合場所を弥谷寺の駐車場にして、二台をデポ。そして一台に

乗り込んで、善通寺の駐車場へと向かった。

まだ時間も早く駐車場には車がほとんど停まっていなくて、これから登る香色山

その奥に筆ノ山が朝陽に輝いていた。







香色山へは登山道というよりは遊歩道のような道が続いている。二週間ぶりの山歩きで、

その間のお互いの話をしながらゆっくりと登っていると、地元の人がけっこうな

スピードで追い抜いて行った。途中からは善通寺の市内と東の景色が、まだ明け

きらない空の下で少し霞んで見えた。







山頂ではさらに西側の筆ノ山我拝師山がオレンジ色に染まっていた。

風がないのか番の州のエントツの煙はほぼ真上にあがり、その横に瀬戸大橋も見える。













香色山からは空海ウォークの標識が所々に掛けられている。筆ノ山との鞍部手前の

香色山大師堂の横を通るとお参りに来ている男性とすれ違う。『おはようございます』

と挨拶をすると、明るく『おはよう!』と声が返ってきた。ミニ88か所の石仏も

その横で『おはよう、気を付けてね』と言ってくれてるようだった。













鞍部から以前はなかった?『立ち入り禁止』の看板の前を、一旦右に折れて筆ノ山の

裾野を回り込む。スズタケのトンネルを抜けると道標に従って左へと登っていく。














コンクリート道を登って行くと石鎚本教善通寺教会がある。社殿への石段には石鎚神社

土小屋遥拝殿と同じように、石鎚山の鎖が掛けられていた。







教会の横を抜け筆ノ山西山登山口へと入っていく。道には五つの山の形をした五岳山の

標識が続いている。途中には子安弘法大師の石仏。もともと弘法大師は四国を回った時、

難産で苦しむ妊婦を助けた伝説が数多く残っていて、子安大師として祀られるようになった。













途中で朝比奈登山口との分岐さらに九十九折れの道を登っていくと石鎚教会奥行場の

道標。この道標の奥行場に進むと、岩壁に鎖がかかりその頂部には石鎚大神の石仏が

祀られている行場があるそうだ。山頂に近づくにつれ道の傾斜は急になっていく。

ちょっとした拍子にストックを道の下に落とし、そのストックを取りに道から下に

降りると、あまりにも急で転げ落ちそうになった。何とか木の枝を掴めて難を逃れる

事が出来たが、これを道もなく直登するとなればかなり大変そうだ。










その間すでに山頂に着いた奥様たちが待っていた。その手前には石積で丸く囲った

井戸のようなものがあり、中に降りられるように石段が組まれていた。その山頂付近には、

安山岩の板状節理が見られ。四等三角点 筆之山 295.73mになっている。

山名標識の横には宝生如来の石仏があった。







北には天霧山・弥谷山・黒戸山、東には善通寺市街から丸亀、そして飯野山・城山から

横山・大原、そして猫山・大高見峰が一望できる素晴らしい眺望だ。







今日はWOC登山部は飯野山で納会登山をしている。その飯野山には中腹辺りに

水平に雲がかかっていた。この二週間の間机に向かって根を詰めていてほぼ一日中

座りぱなっしで、全く歩いてもいなかったので、ここまでですでにお尻の筋肉が

パンパンになっていたので屈伸運動。けっして人前で〇〇〇しているわけではありません。

ましてや立ち〇〇〇しているわけでもありません。










筆ノ山からは南に向かって下っていく。向かいの我拝師山は独特な山容をしている。

そしてこの筆ノ山よりさらに急な角度でそびえ立っていた。








急な場所にはお助けロープが張られている。南に向かっていた道が南西に振ると

道の傾斜は緩やかになり、雑木の中に続いていく。











そのうちに我拝師山との鞍部の大坂峠に降りた。するとあっちゃんがこの場所には

見覚えがあるという。以前にWOC登山部で来たことがあるのかもしれないと。










さぁここからの登りが今日のメインイベント、我拝師山への登りです。相変わらず

奥様たちは余裕でどんどん登って行きます。後ろからひいコラひいコラと息を切らせて

登って行くへっぽこリーダー。







筆ノ山の山頂が上に見えたのが、次第に下に見える標高に。その筆ノ山の後ろに

讃岐らしい可愛いらしいポコポコとおむすび山が浮かんでいるのが見える。










山頂近くになると道は緩やかになり、山頂特有のi小岩が点在する道になる。

何とか奥様たちに遅れはとったが我拝師山山頂に着いた。

山頂は広々していて三等三角点 禅定山 480.94m








山頂から西にほぼ平らな尾根を歩いて行く。あっちゃんに『ここからお楽しみですよ!』と。

まぁあっちゃんには甲斐ないと思うけど岩場と鎖が・・・・・。




広尾根の西端からは捨身ケ嶽のプチ岩場になる。『え~これが岩場なの・・・?』と

文句を言いながら降りていくあっちゃん。














するとその岩場に見晴らしのいい展望所の突端があった。下を見ると出釈迦寺

奥の院が見える。満足しきれないあっちゃんはその端まで歩いて行く。







高いところが苦手なルリちゃんはそのまま降りて、下から見上げて『早よいらん事

考えんと道を降りてきいまい!』と言っている。そう、あっちゃんは道ではなくその岩を

下って行こうと考えていたのを見透かされたのだ。





さらに下っていくと捨身ケ嶽と呼ばれる稚児大師像が祀られている場所がある。

この場所には、空海が7歳の時に7日間修行をしたが、なお仏に出会えず身を岩下に投げた時、

お釈迦様が現れて彼を救ったという伝承が残っている。








その稚児大師像の下が鎖場になっている。太く真新しい鎖が岩に沿って垂れている。

この鎖場くらいなら奥様たちにとってはへでもない。逆に大したことがなかったと

文句を言われそうだ。それにしてもルリちゃんはどこに降りようとしているのだろう?

鎖場でなかなか見ることのできないポーズだ!

















鎖場を降りて根本御堂の下を潜り御堂にお参りをする。本来はここが札所だったのが

大正時代に麓に移されたそうだ。たしかに奥の院にしては境内にある御堂は立派すぎる。

南側には西讃の里山が見渡せる。羅漢像の横を通り山門の前に出るとお正月の飾りを

終え準備万端だった。










中山へは取り付きから少し岩場を登って行く。その岩場を少し上ると後ろに我拝師山を

背にした出釈迦寺奥の院。そして我拝師山の右には大麻山、左には善通寺から多度津に

かけての平野部が広がっていた。捨身ケ嶽では少し拍子抜けしていたあっちゃんも、

『今日ここまで来れてよかった』と、目の前のこの景色に感動している。














山門から15分ほど急登を登ると中山。この山は地形図には山名は載っていない。

立派な山名標から西は比較的平らな山頂になっている。













その山頂から緩やかな坂を下っていくと最後の火上山との鞍部になる。鞍部からの

登りは少し今までの植生と少し変わってきた。道の脇には獅子の横顔の岩。














途中にあった鉄塔には、絶対に登れないように他の鉄塔にある柵ととは別にアンテナの

様な柵を左右につけていた。さすがのあっちゃんもこれでは登れまい。




山頂手前の今日最後の登り。ここまでで腰と背中の張りは半端ない。やはり普段から

少しは運動しないとと思いながらも・・・・・。

火上山山頂も比較的平らな山頂。これで五岳山を完歩。あとは鳥坂峠に下るだけだ。







西にほぼ水平に歩いたあと南西へと下って行くと、道は北に折れて続いている。

その場所の奥に展望所がある。ここからは高瀬から観音寺にかけての絶景が

広がっている。元々こっちに自宅のある奥様たちの豪邸が見えないかと探したが

どうやらここからは見えないらしい。唯一、WOC登山部の他の奥様の自宅が

確認できた。














展望所であ~でもないこ~でもないと地元の話で盛り上がった後、北に続く道を

下って行く。しばらくは等高線に沿ったトラバースのような道だったが、

途中からはロープが張られた急坂になる。
















ロープ場をやり過ごすと一旦支尾根の道になり、その尾根道から次に右に折れて

谷筋へと下る。小さな沢を渡りさらに進んでいくとミカン畑に出た。目の前には

弥谷山。そして鳥坂峠へと下って行く。




















鳥坂峠から国道を横断してため池の堤を歩いて行く。すると池の端で野良犬が吠え出した。

それも一頭ではなく次々と何頭も現れた。少し焦ったが先頭をルリちゃんと交代して

恐る恐る歩いて行くと、吠えながら山の中へ消えていった。(汗)

池の堤から野犬と反対側の山の中へ登って行くと高速の側道に出た。側道を少し

歩いて、高速の上の高架橋を渡って反対側の側道に。その側道をしばらく歩くと

遍路道の石柱が立っていた。
















地形図には讃岐遍路道(曼荼羅寺道)と載っている遍路道を歩いて行く。火上山の

登りで今日最後の登りと思っていたら、この遍路道もなかなかの登坂だ。ワックスの

効いたクヌギの落ち葉が足を滑らせる。













鳥坂峠から約40分で車をデポした弥谷寺の駐車場に着いた。本来ならここから

弥谷寺を参拝して天霧山から弥谷山への尾根まで登ると、また線が繋がる予定だったが、

我拝師山で話し合って、今日はここまでにしてお昼ご飯をまたうどん屋で済ませることに

していた。行動食だけでここまで歩いてきたので遍路道の登りではシャリバテで足が

動かなかった。さっそく車に乗り込んで宮川製麺所に直行。お昼をとうに過ぎていたので

店は混んでいなく、ツルツルとあっという間に2玉を頂いた。前回は三嶋製麺所、そして

今回は宮川製麺所と讃岐ならではの里山と讃岐うどんのコラボ。また次回からも山歩きの

コースとは別にうどん店を探索しなければならなくなった。
















今回のトラック




『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』 笠形山

2022年12月16日 | 香川の里山
『線で繋ぐ引地山~石鎚山』を先週は黒森峠から白猪峠までを歩いた。そして

その次の区間となると黒森峠から青滝山を縦走する事になる。その為には

久万高原町の梅ケ市登山口に車をデポしなければならないのだが、天気予報を

見ると早くから雪マーク。ノーマルタイヤでは登山口までのアプローチも

怪しいので、早々に黒森峠から東への残り3区間は来年への持ち越しとなった。

そうなると県内の里山歩きになるのだが、今年の2月に阿讃縦走路を終えて直ぐに

引田から折り返し、荘内半島の讃岐三崎灯台を目指して歩き始めた。

引田鼻灯台を東端として、白鳥アルプス・虎丸山・笠ケ峰を経て日下峠まで繋いだ

ところで、私がスキーで転倒して腰を痛めて中断となっていた。その続きの日下峠

から檀特山・女体山から大窪寺は日中の時間が短いこの時期には、少し時間がかかる。

ならどこを歩きたいですか?と奥様たちに尋ねたら、笠形山と返事が返ってきた。

計画の線で繋ぐの中では丁度中間部になるのだが、この琴南辺りは県内でも意外と

雪が積もる地域なので、本格的な雪のシーズンになる前に歩いておくのも手だと

思って了承して琴南の公民館を集合場所とした。

(尾瀬山から西をどう繋いで行こうか思案中)



琴南の公民館からは美合の郵便局を過ぎ少し走った所で国道438号線から東に

雨島の集落を目指して走って行く。途中の前ノ川の集落まではまだ人が住んでいる

家があったが、途中からは無人の廃墟となっていた。道はかなり狭く、昨日の強風で

杉の枝葉が道路に落ちて散乱して、路面のアスファルトが全く見えないような場所が

何ヵ所かあった。それでも個人的には予定していた雨島の最終民家まで行けない事は

無かったが、山を下りてデポ車を取りに行くのには奥様たちの運転になる。その

奥様たちが自信がないと言うので、途中の黒部渓谷を過ぎたダムの手前に車を停めて

スタートする。直ぐ上のダムの突堤に立っていると雪がちらつき始めた。




スタートして直ぐは杉の枝葉が散乱していたが、しばらく歩くと道の両側に落ち葉が

積もった歩きやすい道になった。雨島の集落まで来るとどの家も無人で屋根だけに

なった家や朽ち始めた家があちこちで見受けられた。

雨島の集落は1950年代には12戸ほどになり、主に製炭で生計を立てていたそうだ。

初めにスタート地点として予定していた最終民家までは結局45分かかった。













その最終民家でアスファルトの舗装は終わり、道は地道になる。道に沿って歩いて行くと

笠形山ハイキングコースと書かれた道標が建っていた。







道標からしばらくは竹林の中の道。その竹林を過ぎると掘割のような掘れた道には

落ち葉が積もって、その落ち葉に隠れて道の段差が判らず躓いたりして歩きづらい。







最終民家から15分ほどで雨島峠に着いた。峠には三界萬霊の石仏が座っていた。

この峠を越えて戸石集落への行き来があった当時から道行く人々を見守ってきた。

今は時々訪れる登山者を昔と同じように静かに見守っている。『さぬき 里山 探訪&

トレッキング』さんによると、以前は花立には花が上げられたていたのを見かけたそうだが、

今は雨島は無住になり戸石の切山集落も高齢化で、ここまで花を上げにくることができなく

なったようだとの事。いずれはその存在も忘れ去られるのかもしれないと書いていた。













峠からは左に折れて稜線歩きが始まる。稜線歩きといってもこのコースは電力の

鉄塔保線路と登山道が入り混じっている。尾根から北側の景色は木々の間から

薄く見える程度だ。







峠から直ぐに鉄塔広場に出た。107番鉄塔の北側に最初の三角点三等三角点 樫原 798.06m










保線路は基本的には尾根の南側に続いている。道は明瞭でとても歩きやすい。逆に

尾根道は折れた木の枝や木々の間の不明瞭な道で歩きづらかったりする。







途中で木の枝にヒラヒラとたなびく黄色いビニールの帯があった。帯には

RACE COURSEと書かれていたが、10月に行われたManno moutain Madness

2022のトレランのレースの残置の様だ。

このレース、ことなみ未来館をスタートして大川山から真鈴峠そして阿讃縦走路を

使って竜王山を経て、この笠形山に至り未来館へと周回する、全長40km、

累積標高2,800mというレースで、更にはそれを2周する80km、累積標高

5,600mというカテゴリーもあるとんでもないレース。同じ人とは思えない、

ただただ呆れるばかりだ。




108番鉄塔の広場では南に向かって続く支尾根を下り間違えそうになる。保線路は

広場の上の北側から尾根と交わり続ていた。





109番鉄塔の広場は108番の広場が傾斜地だったのに対して、比較的平らな

広場になっていた。保線路は木々に遮られ眺望はほとんどなかったが、この広場は

とても見晴らしが良い。南には竜王山に続く稜線と今まで歩いてきた鉄塔が

並んでいるのが見える。











以前にこのコースを歩いた事のあるREIKOさんによると、この縦走路には

三角点と標高点のピークが七つあるそうだ。セブンピークと呼ばれるピークの

二つ目のピークの776mの標高点が直ぐ近くにあったが、特に目印となるような

ものは見つけることが出来なかった。776mの標高点は保線路から少し外れたので、

尾根の南側の保線路へと雑木の中を下っていく。







保線路へと戻ると今までと同じように快適な道が続いていくが、二つ目の

三角点の手前で今日初めての登坂らしい登りになる。














その坂を登りきると四等三角点 前ノ川 700.2mに着いた。ここには比較的キレイな

キティーちゃんのプレートが木の幹に括り付けられていた。

プレートに書いている『まだ先は長い』は笠形山への事なのかそれとも竜王山かな?








この辺りになってくると送電線鉄塔は尾根からかなり離れて南側に続いているので、

保線路は別にあるかもしれない。そして登山道としては申し分のない歩きやすい道が続いている。








次の三角点の手前で今日一番の急登になった。途中からはロープが張られている。

先週の石墨山の三大急登のロープ場で、ロープを握って登ったら手袋が濡れて

しまって手が冷たかったので、今日はロープを使わずに登りますと言いいながら

登っているあっちゃんは、落ち葉の下の濡れた斜面に苦戦をしている。




 






背に腹は代えられない。ロープを使って登りあっちゃんを追い抜くが、前を行く

ルリちゃんは靴のグリップが良いのか、足を滑らせる様子もなくグイグイと登って行く。




その急登を登りきると四等三角点 樫原 735.8m。ここにもキティーちゃんのプレートが

あったが、先ほどのプレートとは違って二つに割れたのを、誰かが赤テープで修理していた。











樫原の三角点辺りから落ち葉の上にはうっすらと雪化粧。道の脇の切株はまるで

ロールケーキに粉砂糖をふったように見える。今日、三回目の急登を登って行く。











113番鉄塔は白とオレンジ色に濡り分けられていた。今までとは大きさも

高さも違う鉄塔だった。航空法では60m以上の高さの建造物は白と赤に塗分けが

義務づけられているらしい。

この鉄塔から尾根を越えて讃岐変電所へと送電線は続いている。

時間は11時30分。いつもならあっちゃんがお腹が空いたと騒ぎ始める頃なのに、

今日は早めに下山するので、どうやら下山後にうどん屋に行くつもりらしい。

ただここからはまだコースタイムで2時間15分かかる。果たして空腹で行き倒れに

ならないか心配だ。














落ち葉の上の粉砂糖は、前の奥様たちが歩いただけで踏み跡になっていく。








『笠形山・尾根道・戸石へ』の文字だけは何とか判読できる錆びてしまった案内板。

地形図で笠形山と書かれた位置からこの間で尾根からけっこう離れて道は続いている。

戸石へと書かれた道が今歩いてきた道なのだろう。











案内板から少し登って行くと笠形山に着いた。三等三角点 笠形 762.2m

前回来たのは所属していた山の会の『山楽会』での忘年登山だった。この山頂で

お昼ご飯を食べて、下山後にビレッジ美合で温泉に浸かった後の忘年会だった。














時間は12時。ここからまだコースタイムでは1時間20分になっている。『さぁ~

急いで降りるわよ!』とルリちゃん。今まで散々朝ドラの話をしていたのに、急に

黙ってしゃべらずに歩き始めた。こうなったら手がつけられない。後でYAMAPで

確認して見ると、平均ペースの180%以上で下っている。








スピードアップで短い時間で高度が下がり、今までの粉砂糖の道から、たっぷり

ふんわり積もった落ち葉の道になった。














右下に広域基幹林道・塩江琴南線が見え始めると今日一番の展望所に出た。

西には白く雪を抱いた大川山の山肌。北には象頭山とその奥は我拝師山かな?







足元にはゴール地点の琴南の公民館。そして北東には峰山の東に高松市内が見える。











展望所からさらに下って行くと三差路になっている場所から、左に折り返すように

下って行くとショートカットの道になる。さっきまでの道と比べて少し荒れた感じに

なるが、それもすぐに終わって作業小屋の様な場所に出た。

ここを左に折れる










そこからさらに左に下って行くと民家の横に出たが、危惧していたように猪避けの

柵で囲われていた。どうやって出ようかとうろついて出られそうな場所を探すが、

どうも見当たらない。そうこうしている内にルリちゃんが括ってあった針金を

器用に解いて柵を開けてくれた。ここからは一目散に三嶋製麺所へ!!











私とあっちゃんは大とタマゴで300円。ルリちゃんは小とタマゴ200円。

隣のおじさんはそば大を平らげた後またそば大を注文した。とにかく冷え切った身体に

喉越しのいいうどんがツルツルと胃袋に落ちていき、身体を暖めてくれた。







食べた後お店を出ると南に今歩いてきた笠形山の稜線が見えた。

これからの『線で繋ぐ引田鼻灯台~讃岐三崎灯台』は計画では今日のような明瞭な

道ではなく、YAMAPで探しても歩いている人がほぼいない区間が多くある。

地形図の破線と、鉄塔保線路を頼りに頭を捻る日々は続いて行く。




今日のトラック


『線で繋ぐ引地山~石鎚山』 黒森峠~白猪峠

2022年12月07日 | 四国の山


今回で4区画目となる線で繋ぐ引地山から石鎚山黒森峠~白猪峠までを繋いできた。

峠から峠を歩く今回の区間で山頂となるのは石墨山。地形図に記載されているのは

この石墨山だけだが、YAMAPの山頂ポイントでは割石峠山・石墨山・法師山・

白猪山の4つがポイントとなっていて、奥様たちは『4つもポイントが増えるわ』と

喜んでいた。私はと言えば、石墨山のポイントを通過すれば、東温アルプスのバッチが

もらえる。登頂した山の数が増えるとかバッチがもらえるとか、いい年をしたおじさん、

おばさんが、まんまとYAMAPに遊ばれているような気がしてならない。


今日の課題は四国三大急登といわれている石墨山の急登と、その前に黒森峠までの

道路の路面状態。先週と同様に日を跨いで降った雨で、集合場所の豊浜SAに向かう

途中の高速道路の路面もまだ乾いていなかった。もし峠近くで標高が上がって路面が

凍っていたら、ノーマルタイヤでは登山口までも行けない事になる。


幸い国道494号線は峠まで凍っている場所はなく、予定していた時間に到着できた。

ただ途中から見えた三角形をしたピークと稜線は白く色づいているのが見えた。




峠の切り通しを越えて南側に車を停めてスタートする。峠の横には顔のないお地蔵さんが

ひっそりと佇んでいた。登山口は道標もなく少し分かりづらいが切通の脇が取付となる。











道は直ぐに両側にスズタケが生い茂り、防火帯を思わすような幅の広い道は、

スキー場のゲレンデを思わすような急登になる。














そのゲレンデを登り詰めると伐採地の上部の尾根に出た。正面に見えるはずの石墨山には

重く雲がのしかかっている。東を見ても晴れていれば見えるだろう石鎚山も稜線の直ぐ

上まで雲が立ち込めている。天気予報では晴れマークだったが、今日は一日この曇天の

下での山歩きになりそうだ。








尾根に沿って歩いて行くと周りの笹はきれいに刈り払われていた。ほどなく

四等三角点 割石峠 1037.1mに着いた。











相変わらず石墨山の山肌は白く。霧氷だろか雪だろうか?







唐岬ノ滝の駐車場からの道との分岐には、丸太で造った小屋があった。入り口の上には

東温高等学校『石望山荘』と書かれていたが、現在は使われている様子はなかった。







分岐からはヒノキの林の中の道から、次第に周りの笹にも積雪が見られるようになった。

分岐までは笹が刈られていたが、この辺りでは道に覆いかぶさっている場所もあった。

















奥様たちに『そろそろ三大急登が始まりますよ!』と伝える。斜度は次第に急に

なっていくが、木の根でできた段差が続いていて、比較的登りやすい。











三大急登の内のひとつの伊予富士は論外として、これなら大滝山の相栗峠からの

急登が圧倒的に登りにくい。ストックが役に立たず邪魔になるくらい、ロープを

握りながら登って行った。ここでもロープが一応掛かっているが、それを使わずに

登っていける。あっちゃんも『ここはロープ、いらないわね!』と。

三大急登は誰がどんな尺度で決めたんだろうか?と考えながら、それでもやっぱり

楽ではない。前を歩く奥様たちは相変わらず早い。













立ち止まり奥様たちを見上げていて、ふと振り向くと白い雪景色の中に明るい色の

ジャケットを着た人が登ってきている。『ん、独り?』『ん、女性?』などと

思っている内にグイグイと登って、直ぐに私に追いついた。

今日は霧氷が見られると思って来たという女性。唐岬ノ滝の駐車場から登ってきたそうだ。

私たちが黒森峠から登って来たと言うと『籔いていなかったですか?』と聞かれたので、

『きれいに笹は刈られていましたよ』と答えると、『いつもは藪いているので唐岬ノ滝

から登ってきたんです』と言った。地元の人らしく、ここは登り慣れている様子だった。











そんな話をした後、先に行ってもらうとみるみるうちに姿が見えなくなった。

あっちゃんと二人で『女性一人で凄いね~』と話をする。

急登を登りきると稜線に出た。周りは真っ白な世界。時折ガスが流れて石墨山手前の

1419mのピークが顔を覗かせた。晴れていればここからも石鎚山が望めたはずだが、

もうすぐ目の前がガスがかかって白猪峠への稜線も全く見えない。














霧氷はやっぱり青空の下で見たかったが、それでもここから石墨山への稜線は

霧氷の森の中の別世界。これだけの霧氷の中を歩くのは奥様たちは初めてかもしれない。

















いつもの事だが指先がジンジンと痛み始めた。寒くなるとまず左手の薬指と中指が

痛んでくる。そのうちに指先全体が痛くなってくる。血の巡りが悪いのだろうか?

そう思って今日は手袋を3種類持ってきた。薄手と厚手と、先日買ったばかりの手袋。

この雪景色の中でどれが適当なのか試そうと思っていた。














足元はまだ凍ってもいないので今日はアイゼンまでは必要がないが、時々岩とか根っこで

足を滑らせる。それでも奥様たちはいつものスピードで歩いて行っている。







すると目の前に大岩が現れた。岩にはロープがかかっているが、先に登って行った

女性もこの岩を登った形跡がない。すると大岩の脇から降りて行く巻き道があった。

岩に手を掛け慎重に下って行く奥様たち。














大岩からも霧氷の森の中を歩いて行く。山頂手前のプチ急登を登りきると、

二等三角点 石墨山 1456.5mに着いた。先行していた女性は腰を降ろして

温かいスープを口にしていた。『晴れないですね~』とお互いに話をする。

すると一瞬だけ青空が見えたが、周りは相変わらず白い世界。











時間は10時40分過ぎ。当然お昼ご飯はさすがにまだ早い。YAMAPに入れた

登山計画では、法師山辺りで11時30分になる予定なので、そこでお昼と考えていたが

ここまでの雪景色とは思っていなかった。『少し遅くなるけど、唐岬ノ滝の駐車場まで

降りてお昼にしませんか?』と言うと、ルリちゃんは『山の中では寒いからそうしましょう』と

直ぐに返事をくれたが、あっちゃんは渋っている。『いったい何時になるの?』と、今にも

死にそうな言い方をする。『予定では13時30分やから、それまでのガマンや!』と

ルリちゃんがきっぱりと言う。しょぼ~んとしながらもさっそくおにぎりを取り出す

あっちゃん。集合写真をその女性に撮ってもらったあと、『お気をつけて!』と言って

女性と別れて山頂をあとにする。





山頂から折り返していくと、先程よりは少しガスが流れ始めた感じがするが、

それでもやはりまわりの景色は見えない。山頂で厚手の手袋に履き替えたが、

指先は相変わらず冷たく痛む。一度冷えた指先は自然にはなかなか温まらない。










登山口からの分岐まで戻って来た。やはり先程よりは随分とマシになってきた。








法師山への稜線も霧氷の森の中の世界。法師山手前の鞍部では今日一番の霧氷。

着氷した枝と枝が引っ付いて、まるで肉の網脂の様だと思った。










あ~でもやっぱり青空が欲しいな~!と思って空を見上げていると、お腹を空かし

始めたあっちゃんは、猛スピードで歩いて行く。白い世界の中で背中の黄色い

ザックがあっという間に遠のいて行く。








法師山は巻き道もあるようだが、ここまで来ればお昼ご飯も大事だが、山頂ポイントを

ゲットするのも大事だと、山頂への道を歩いて行く。山頂では寒さと時間短縮で三脚を

出さずにスマホで自撮り。自撮りをするとどうにも顔の皺と二重顎が気になる。








YAMAPの活動日記に『ここから急坂だと書いていましたよ!』と声を掛ける。

その活動日記の通り、先ほどの三大急登以上の急坂が待っていた。









先頭を降りて行くあっちゃん。その後ろをルリちゃんが続いて行く。








その内に先頭のあっちゃんが『キャー素敵!』と声をあげた。何が?と思って

近づいて行くと、先ほどの急坂以上の斜面にロープがかかっていた。

それを見て面白いと言って声をあげたらしいが、普通では考えられない。

とにかく滑り落ちないように慎重に下りて行くが足元が悪すぎる。














何とか三人ともに落ちることなくロープ場を通過して、巻き道との分岐に降りた。

すると頭上の空に青空が見え始めた。せっかくの青空だったが、周りの木々の背丈が

高すぎて、霧氷が綺麗には映らない。それでもすぐ脇にあった木の枝に少しだけでも

陽が当たるとやっぱり霧氷がばえる!















白猪山は山名標もなく四等三角点 白猪 1201.1mの石柱があるだけだった。

白猪山からも少しだけロープの掛った下りがあった。笹の間の落ち葉の積もった

さらに下の土もぬかるんでいて、滑るわ滑る。前を下って行くルリちゃんから

3回悲鳴があがった。幸いザックが先に当たってお尻は汚れていなかった。









何とかその滑り台の様な坂もクリアして白猪峠へと歩いて行くと、今日初めて北側に

木々の間から東三方ケ森の大きな山域が見えた。急坂を終えてほっとしたあっちゃんは

『三大急登より、こっちの坂の方が急で、楽しかったわね!』と宣う。








時刻は12時30分。いつもは昼ご飯を済ませている時間だが、やっと白猪峠に着いた。

先を歩いていた奥様たちはさらに先の根無山に向かって歩いて行った。

スーパー地形図(カシミール)ではきれいに繋がっている線が、YAMAPでは

かなりオーバーラップしないと線が繋がっていないからだ。二人は数十メートル

歩いては戻って来た。(それでも帰りの車の中でルリちゃんがYAMAPをみて

見ると線は繋がっていなかった)








YAMAPのコースタイムでは唐岬ノ滝の駐車場まではまだ1時間20分かかる。

それだと14時近くになってしまい、あっちゃんは空腹で動けなくなるだろう。

案の定、『それじゃ急いで降りるわよ!』と歩き始めた二人。先頭のルリちゃんの

スピードが半端ない。まだ濡れた足元なのに、普通に乾いた道の様にどんどん下って行く。

途中には林業の小屋でもあったのか石積みが残っていた。見上げるとドームの形をした

法師山が見えた。ここから見てもやはりあの下りはけっこうな斜度だ。











白猪登山口への分岐からは右に折れて行く。ここからは杉林の中の道。相変わらず

二人はスピード違反だ。ザレた谷筋も『道が荒れてるわね~』と言いながら、

スピードが落ちない。お昼ご飯への執念がこれほどだとは・・・・・!















涸沢を抜け一旦登って行くと、ユンボが放置されていた。ここで作業をしていて

動かなくなったのだろうか。バッテリーを交換しようとした形跡もあったが、

それでも動かなかったようだ。











放置ユンボからは少し幅のある作業道の様な道。二人はギアチェンジしてさらに

スピードを上げて行く。すると作業道から林道の様な開けた場所に出た。

ここが唐岬ノ滝の駐車場からの登山口となるようだ。











唐岬ノ滝の駐車場では待ちに待ったお昼ご飯。ベンチに腰掛け今日はインスタントのそば。

お昼ご飯の後、コーヒーも飲んでゆっくりとする。雲の間から陽が差し込み暖かい。











駐車場からは朝、車で走った国道を黒森峠へと戻って行く。皿ケ嶺への途中の上林や

前回歩いた井内峠への井内地区と同じように、谷あいから扇状地が広がり、傾斜地では

棚田が造られているのが見える。そして正面には東三方ケ森から高縄山系がど~んと

横たわっていた。










駐車場からは40分ほどたわいもない話をしながら歩いたら黒森峠に着いた。

思ってもみなかった霧氷の森の中の稜線歩きに、奥様たちは大満足のご様子。

次回はこの峠から更に先の梅ケ谷市登山口に一台をデポして縦走の予定だが、

道路の状況によってはここまで上がって来られないかもしれない。

石鎚山まで残り3区画。まあ急ぐこともないので天気次第で来年に持ち越しです。










今日のトラック


産業遺産を辿って線を繋ぐ

2022年12月01日 | 四国の山
11月の最終日。明日からは師走と言う事で本当に一年が経つのが早い。

天気予報はイマイチなので、こんな日には山頂や尾根からの眺望は期待できない。

となると前々からずっと気になっていた線が途切れた区間を繋げてみようか・・・。


以前に一度、一本松から石ケ山丈を往復したことがあるが、その時のトラックが

残っていない。山根公園から石ケ山丈、東平から一本松・西赤石のトラックはあるのに

その間がぽっかりと空いているのが気になっていた。

ただ山根公園から登って往復するのも気乗りがしないし、東平からは現在県道から東平への

道が通行止めになっているので、歩くとしたら遠登志から登らないといけない。

さてさてどうしたもんかと考えていたら、最近エントツ山さんが沈砂池から東平への

導水路を歩いたYAMAPの活動日記が目についた。これで5回目、導水路を歩いた

というエントツ山さん。何とも物好きな・・・・なんて思いながら、ふとその

エントツ山さんが以前に旧端出場水力発電所への導水管を辿って直登して沈砂池まで

登り、導水路を東平へと歩いていたのを思い出した。

『これだ~!』と霞がかかっていたルートがいっぺんに繋がった。

そのルートとはマイントピア別子に車を置いて、端出場の導水管を直登して沈砂池へ。

その後は石ケ山丈から上部鉄道を歩いて一本松、東平へ。東平からは遠登志へと下って

県道からマイントピア別子まで戻るというコース。これなら上部鉄道以外は初めて歩く道。

ただ少し気になるのはエントツ山さんのレポートでは、導水管の直登は藪いているヶ所が

あるようで、前日の雨でその濡れた藪の中を歩くのが・・・・・・・。





朝、目が覚めるとまだ外は暗く、家の前の道路にできた水たまりの水を跳ねて走る

車の音だけが聞こえてくる。『まだ道路も乾いていないんだ~』なんて思いながら、

何となく気乗りがしなくて布団の中でしばらくグズグズとしていた。

これもここ最近は晴れの日を狙ってばかり歩いていたせいだろう。と考えていても

時間が過ぎるばかり。仕方がないので重い腰?お尻をあげて布団から出て出かけて行く。


マイントピア別子に車を置く前に、取付を確認するために端出場の発電所の上まで車を

走らせると、な・な・なんと、取付きとなる場所は工事中で塞がれていた。導水管に

沿って階段が造られてその階段は立ち入り禁止となっている。弱ったな~と思って

いると、工事の関係者らしき人の姿が。『すみません!ここから上に登って行きたいん

ですが、入ったらダメですか?』と尋ねると『階段さえあがらなければ、その下から

登って行くのは大丈夫ですよ!』と言ってくれた。『私も興味があったんですが、上まで

登れるんですか?』とその方が言うので『たぶん登った人がいるので』と答えた。








マイントピア別子の北側駐車場に車を置いてスタート。県道を少し歩いて先ほど確認した

取付きへ。鉄骨の階段の下を潜って足元を登って行く。新しく造っている階段はどうやら

観光用の階段の様だ。階段の突当りには撤去されていた導水管が、再び展示用として設置

されていた。そしてその横には説明版のようなものも設置されていた。











さあここからが長い長い石段の始まりだ。導水管の台座に沿って保守用の石段が落ち口となる

沈砂池まで続いているはずだ。











時折導水管と保守路の両側に石垣が残っている。何のための石垣かは不明だ。

その石垣が正面に直行するように現れると、その上部は牛車道となっていた。













この標識までは比較的歩きやすい道だったが、ここからは少し藪っぽくなってくる。

ただ思っていたほどの大藪ではなく、枝葉から雫が落ちてはくるが手袋が濡れる程度だ。








すると今までの台座とは比べ物にならないくらいの巨大な構造物が現れた。

導水管を支持するだけなら、ここまでの大きさは必要ないだろうが、何か別の用途が

あっての構造物だろうか?











正面にまた石垣が現れ牛車道に出た。道を横断すると取付きには赤テープ。








石段はさらに上へと続いて行く。まあしかし、こんな急な斜面に台座もそうだが、延々と

この石段を造っていったもんだと感心する。











導水管と保守路が一緒になった台座もある。その保守路のコンクリートの上からは細長い

まるで鍾乳石のようなものが垂れていた。台座の際で導水管は切り取られているが、その

切り口を見るとかなり苦労した跡が伺える。










巨大な台座は割と平たんな場所に造られている。導水管が平坦地から斜面へと角度が

変わるのに、これだけ大きな構造にしなければいけない理由があるのかもしれない。

台座からのフランジにボルトが残っているのが何となくカッコイイ!








二つ目の鉄塔広場に出た。ここで沈砂池までのほぼ半分になる。木々の間から少しだけ

新居浜の市街地が見える。










ここからは何度も牛車道を横断する。そして所々で藪っぽくなってくるが、濡れた

藪の中に入るのもイヤなので、少し脇に避けながら登って行く。













石段は果たして何度くらいの勾配なのだろか?石段から脇の斜面を見てみると、やはり

45度くらいはあるんじゃないだろうかと思った。








導水管と石段の両側で崩れそうな場所には石垣が積まれているが、それ以外の場所では

やはり斜面から土や石が流れてザレていて歩きづらい。











牛車道からの取付きが石垣と結構な段差があったので、一度だけ牛車道を通って回り道。








そしてまだ石段は続いて行く。この別子銅山を詳しく歩いている春秋さんによると、

金毘羅さんの石段が785段(175m)なので、この導水管の落差の597mから

計算すると、この石段は2710段にもなるそうだ。ふ~う!キツイはずだ!











最後の牛車道から沈砂池を目の前にしてかなりの斜度になり、しかもザレて足元が

崩れて前に進めない。仕方がないので脇の木が生えた斜面に移動して、木の枝を

掴みながら登って行く。この間が一番歩きづらいカ所だった。











杉林の奥に石垣が見えてきた。石垣と石垣の間に最後の台座。ここまで来ると一安心。











そして沈砂池のレンガが現れた。それにしてもこのエントツは、空気抜きかな?

このレンガ造りとエントツはまるでジブリの世界に迷い込んだ感じがした。








レンガの壁を脇から上がると沈砂池。プレートには沈澱池と書かれているが、前述の

春秋さんによると、砂とか異物が混じって導水管に流れないようにした沈砂池では

ないかと言う事だ。鉄の格子で異物を取り除けるようにしている。










ここから東平へと今度はレンガ造りの導水路が続いている。途中には暗渠や谷間を

鉄橋で渡した箇所があるが、エントツ山さんのレポート見ると、長い暗渠を独りで

潜って行く勇気はないし、それを迂回する道もなかなか険しそう。さらには鉄橋も

落石で大きくグニャと曲がっていて怖い怖い。元々歩いて行くつもりはないが、

今日は少し先まで歩いて見学だけにしておこう。

導水路は東平を経て、銅山峰を越えて南側の銅山川から水を引っ張ってきているそうだ。

元々トンネルを掘るのが得意な住友さんとはいえ、大仕事だったろうに。


導水路から流れた水は左に沈砂池へ右に導水管へと流れて行く







地形に沿ってきれいな曲線で造られた導水路













それにしてもこれだけの施設をこんな山の中によく造ったもんだ。

沈砂池の全貌







沈砂池から石ケ山丈へと登って行く。この間は山根公園から歩いている。途中では

兜岩ならぬカブト虫岩があった。











沈砂池から15分ほど登って行くと目の前に城壁を思わすような高い石垣が現れた。

石垣に沿って脇から登って行くと石ケ山丈の停車場に出た。上部鉄道で運ばれてきた

鉱石は、ここから索道で真下にある端出場まで降ろされた。











停車場の先には索道の施設跡が残っている。








さあここからが本来の目的の線を繋ぐ区間。落ち葉が積もる柔らかい道を歩いて行くと

直ぐに何やら恐ろしい名前の谷に。上部鉄道跡の谷筋には、この地獄谷と同じような

レンガ造りの橋脚だけが残った場所がいくつもある。








地獄谷からしばらく歩くと道の両側が切り立った岩が。通り抜けて振り返ると、

生い茂った木々の間から尖った岩の先が見えた。上部鉄道で一番有名な機関車が走る

写真の切り通しの場所だった。(たぶん)








道は落ち葉で柔らかく歩きやすいけれど、倒木や落石などで右に左にとそれらを

避けながら歩いて行くので、あまりスピードは上がらない。







先ほどから雨がパラつき始めた。それでも雨具を着るのがめんどくさくてそのまま歩いて行く。

道には霧がかかり始めた。第一岩井谷は一旦谷へと降りて対岸へと渡って行く。

霧がかかりシルエットになった橋脚が幻想的だ。














第二岩井谷には足場板がかかっていた。恐る恐る渡って行く。







途中にあっただろう施設も、今は石積みが残るだけだった。








石ケ山丈から約1時間で一本松に着いた。ほぼ平坦だと思っていた上部鉄道跡の

道も、GPSでは石ケ山丈が標高837m、一本松が974mになっているので、

おおよそ140m近く登って来たことにある。ただ2.8kmの距離で、140m

なので、体感的には平坦な道に感じていた。








時間は13時近くになっていたが、足元も濡れていて腰を降ろせそうな場所がない。

東平まで降りて施設のどこかで雨を避けてのお昼ご飯にする事にした。

ここからの道は通い慣れた道。住友電力の鉄塔広場まで降りてくると東平も近い。

相変わらずガスがかかって視界は悪い。振ってくる雨粒が冷たい。この鉄塔広場の

まわりは伐採されて様変わりしていた。














見慣れた旧東平第三変電所を横目に見て採鉱本部跡を通り、いつも車を停める駐車場は

当然だが一台も車が停まっていなかった。














東平まで来ると最初に小マンプと呼ばれる坑道があった。ここでひとまず腰を降ろす。

ここまで途中で行動食を口にしたのと、雨に濡れて寒さのせいかあまりお腹が空いて

いない。水筒からお湯を注いでインスタントコーヒーを淹れ、残りの行動食のカロリー

メイトを口入れ、雨で濡れた身体を温かいコーヒーで暖めると落ち着いた。




行動食で一息ついた後、東平の駐車場へと歩いて行く。道の脇からは索道停車場跡

から奥に新居浜市。歩いてきた上部鉄道跡のある山肌にはガスが登っていく。













東平の駐車場も閑散としていた。ここからインクラインを降りて行く。インクライン

とは端出場から索道で東平へと運ばれてきた物資をインクライン(傾斜面を走る軌道)

を通じて荷揚げされていた。東平は毎年のように来ているけれど、このインクラインを

下って行くのは初めてなのだ。なんせ西赤石山の登った後に疲れて、この220段の

石段を下る気がしなかった。











東平の紹介でよく目にする足元から索道停車場跡を写した写真の広場に降り立った。

当然、この場所から停車場跡を見上げるのも初めてのこと。








索道停車場跡の広場の脇から遠登志への道を下って行く。直ぐに石垣の集落の中の道になる。

石垣を築いて平らにした場所にはカマドの跡がいくつも残っていた。以前に歩いた鹿森社宅

跡にも同じようにカマドが並んでいた。ここも東平の社宅の跡だろう。社宅跡は既に杉林と化し

鬱蒼としていた。











辷坂詰所跡と書かれた場所。辷坂という名前の通り急な斜面にここの社宅はある。

東平にも社宅があったが、この場所の条件が一番悪い。おそらく少し身分の低い

人たちの社宅だったのかもしれない。詰所があると言う事は、この辻坂にも

かなりの人数の人たちがここで生活をしていたのだろう。




社宅跡を抜けると谷沿いの道になる。途中でペルトン水車への橋が架かっていた。

ペルトン水車とは水の落ちる力でタービンを回して圧縮空気を作り出し、その

圧縮空気を利用して削岩機を使い第三通洞の坑道を掘ったとされている。その当時は

まだ電気も通っていなく、人力での掘削だったのが、このペルトン水車での削岩機で

飛躍的に作業量が伸びたそうだ。




遠登志から東平への生活道として造られた東平街道は、小女川の谷あいに沿って続いて行く。

時には山際の岩を掘削して道を作っているような場所もあった。











半分以上下った所で道の下にレンガ造りの建物が見えた。東平からの索道の中継施設の

ようだ。道から少し下って施設を見ようとしたが岩に架かった丸太が濡れていて、

足元がどうにも危ういので諦めて戻った。











索道の写真



中継施設の写真



この道にはレンガ造りの坑水路が所々に残っていた。そして会所と呼ばれる四角い溜舛も

残っている。レンガ造りの坑水路は容易に方向を変える事が出来なかったので、会所と

呼ばれる舛に水を貯めて方向転換していたそうだ。

そもそも坑水路とは、第三通洞から排出される汚水が小女川に流れ込まないようにした

排水路で、端出場への第四通洞ができ、排水されるまでの20年間利用されていた。










この会所を過ぎると道はいよいよ遠登志への急な斜面の九十九折れの道となる。何度も

何度も折れて本当に九十九折れとはこの事だ。この道を登ってくるのはイヤだななんて

思いながら下って行くと、木々の間から県道が見えた。








途中には大休食堂跡の標識。その場所には大きなホーローの鍋が転がっていた。

しかしこんな山中の途中に食堂?














東平のインクラインを下り始めてから1時間強で遠登志橋に着いた。物資や鉱物の輸送は

索道や上部鉄道で行われていたが、人の行き来はこの遠登志橋を渡って東平へと歩いていた。

橋を渡り遊歩道を歩いて県道に出ると、入り口にはその仲持ちの像が立っていた。











その後はいつも車で通る県道沿いをトボトボと歩いて行く。鹿森ダムからはループ橋が

架かるまで通っていた旧道を下る。ループ橋は青龍橋と名付けられていた。なるほど

ここから見ると龍が空に登っていくように見えなくもない。










スタートから6時間40分でマイントピア別子に戻って来た。旧端出場水力発電所は

補強工事がされ、下から階段で上がって取付きとなった導水管へ行ける様に工事をしていた。

マイントピア別子に渡る橋からは、導水管跡の斜面が見えた。鉄塔から鉄塔に渡る電線の

角度を見ても急な斜面だったのがよく分る。思っていたほどの大藪はなく助かったが、

それでも2時間以上の直登は堪えた。至るところにいまだに残る別子銅山の遺構。

南側の旧別子や沈砂池からの導水路を含めて、まだまだ歩きたい場所や道が多く残る、

興味の尽きない山域だ。







今日のトラック