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KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

知らなかった国見山は・・・・・。

2025年04月18日 | 香川の里山

桜の季節が終わるとツツジの色とりどりの写真が上がり始め、お山も長い冬が終わりいよいよ花の季節。今週は

どこに登ろうかと考えていたら、西の奥様から『一度登ったことがあるんだけれど、YAMAPの山頂ポイント

の旗が立っていないので国見山に登りたい!』とリクエストが届いた。

私はここ最近は毎年冬にソリ遊びで何度も登ったけれど、この季節には登ったことがないかもしれない。そう思

ってYAMAPの活動日記を調べていく内に、たしかアカリプタさんが花の写真をたくさん載せてアップしてい

たのを以前に見たのを思い出した。その活動日記を探し出し見てみると、たくさんの花の写真の中にシコクカッ

コウソウとヤマシャクヤクが斜面いっぱいに咲いていた。そうか国見山は花の山だったんだ。

その活動日記のURLを西の奥様に送って『リクエスト通りに国見山に登ります』と連絡をすると、『ヤマシャク

ヤクを是非見に行きましょうと!』返事が返ってきた。

集合場所の道の駅たからだの里に向かう途中にある備中地池には、雰囲気のある浮島の周りに昨日冷えたせいな

のか、少しだけれど蒸気霧が立ち上っていた。道の駅から上の登山口まではおおよそ1時間で着いた。

 

 

駐車場には車はなく、二人で身支度をしていると一台の車がやって来てそのまま林道を上へと走って行った。奥

様と『山に登らないのなら花目当てなのかな?』と言いながら顔を見合わせる。

取り付きから切通になった斜面を登って行くと背の低い笹をかき分けて道が続いて行く。

 

 

ここ最近国内では山火事のニュースが多く流れていたが、そのせいか真新しい山火事注意の看板が目に付いた。

途中にも何カ所か注意喚起の看板が立っている。笹の道が終わると杉林の中の道になる。

 

 

最初の防火帯に来ると道の脇の笹の上に薄く雪が降り積もっていた。やはり昨日平野部でも冷え込んだので山間

部では雪になったのだろう。次第に雪は道の上にも積もり始める。昨日降った杉の枝に積もった雪が陽が登ると

解け始め、頭の上からポツポツと雨粒のように降ってくる。

いつもはこの防火帯でソリ遊びをしているのだけれど、道にはけっこう石が転がっている。その石を隠すくらい

冬にはけっこう積雪量があるのだろう。

 

 

 

防火帯をやり過ごすと西に向かっての矢印の道標が立っている。ここからは新雪の上を可愛らしい足跡が続いて

行く。その新雪を踏みながら防火帯の急登と比べると、随分と緩やかになった道を歩いて行く。

 

 

山頂からの支尾根になると今度はブナの林の道。葉の落ちた自然林の下は陽が当たって雪も溶けて薄っすら程度。

支尾根の南から北側のトラバースになると途端に冷たい風が吹き上げてきた。二人で『一枚上着を持ってきてい

て良かった』と。

 

 

防火帯の分岐からは20分ほどで国見神社に着いた。国見神社は南の登山口にある西祖谷山村後山の四所神社の

飛地境内社。巨岩を背に古い狛犬の間にそれより新しい石祠が設置されている。

国見神社の奥には避難小屋がある。なかには薪ストーブと薪の木の枝が置いてある。30年以上も前になるだろ

うか、会社の女性に誘われて善通寺山の会の山行に参加して国見山に来た際に、この小屋の中で鍋をつついた記

憶がある。

 

 

 

道はこの避難小屋から山頂の南直下を巻くようにして続いている。以前は手前で直登して登っていたけれど、今

はロープが張られて通行禁止になっている。山頂から西に続く支尾根に出て反対に東に向かって登って行くと、

二等三角点 国見山 1408.98m 

 

 

国見山山頂はその名のとおり360度の絶景が広がっていた。誰一人いない静かな山頂を想像して登ってきたが、

西側から先ほどからずっとヘリコプターのホバリングの音が聞こえていた。ただしその飛んでいる姿が山頂に来

ても全く見えない。

東には寒峰から烏帽子山そして矢筈山の峰々。

 

そして太郎さんと次郎さん

 

南にはちょこんと三角の頭を出した天狗塚から西熊山、そして三嶺の稜線が続いている。

 

 

梶ケ森の電波塔類も見える。

 

そして西を見ると二つ岳から東赤石山

 

そして一番雪が深いちち山から西に、石鎚山へと雪を抱いた峰々

 

北には雲辺寺の肩越に豊浜辺りだろうか?

 

 

山頂からの絶景をたっぷりと眺めた後、西に続く支尾根を下って行く。この道は大歩危の駅から続く国見古道

なる。そして祖谷スカイラインレースのコースにもなっている。

 

登ってきた国見神社からの道の分岐を過ぎるとしばらくは尾根道。その内に次第に尾根が広くなっていく。

 

 

 

 

作業用のモノレールを跨いでさらに下って行くと川崎国見線林道の最高地点に出た。

 

 

 

 

ここから車を停めた上の登山口まではコンクリートの道が続いて行く。今年の祖谷スカイラインレースは5月1

8日に開催されるらしい。コースは大歩危駅から国見山を往復する(シングルクラスの9.1km累積1280m)と

見山登頂後、後山に下りて再度国見山に登って大歩危駅に戻る(ダブルクラス15.4km/累積2200m)の2クラスに

分かれている。昨年のショートコースの優勝者は1時間40分ほどで登り降りしている(信じられない!)

林道を下って行くと切通の岩肌と杉の木の間に天狗塚から三嶺へ続くゴールデンコースが山頂で見るよりクリア

に見えた。

 

 

 

それにしてもこれだけの岩肌を削って林道を通して、木材の搬出に使うのだろうけれど、果たして採算が合うの

だろうかと思ってしまう。

 

 

山側の杉林の下にはミツマタが所々で花を突けている。

 

 

道の脇には小さなスミレやフキノトウが春の訪れを感じさせてくれる。山頂からこの林道に降りたち、おおよそ

1時間で上の登山口には戻って来れた。

 

 

 

 

帰りに寄った大歩危駅には外国人の姿が何人も見られた。平日にもかかわらず四国のこんな山の中までインバウ

ンドは進んでいるのかと感心。駅舎の横のトイレにはユニークな注意書きがあった。小便小僧のポコッとお腹の

出た幼児体系を見て、思わず自分の脂ののった下腹を眺めてしまった。

 

 

 

 

ここからは花めぐり。そのつもりで歩き探したけれど、見つけたカタクリヤやヤマシャクヤクはまだまだ蕾を付

けた葉も少なく、山肌を吹き上げてくる風にゆらゆら揺れていた。代わりにまだ福寿草が黄色い花を咲かせて出

迎えてくれた。『ヤマシャクヤクはまだ当分先だね』と話し、次にまた来ようと言って花散策を終えた。

 

 

 

 

 

 


三度目の正直の山河の里、寄道して大正解!

2025年04月11日 | 四国の山

西三子山でミツマタの群生を堪能した後の帰り道。県道16号線を東へと車を走らせる。この通り沿いには山犬

嶽へのアプローチ道に樫原の棚田、そして上勝町の取り組みのひとつのゼロ・ウェイストアクションの施設、ク

ラフトビールのISE & WIN Brewing Coなど、山間部にあってというより山間部こその景勝地や施設があって、時

間があれば色々と立ち寄りたい場所がある。道筋の山際にもいたるところで桜や桃やヤマブキが春の里を華やか

に彩っていた。

 

正木ダムのある美愁湖を過ぎた辺りでふと、ある場所に3月に奥さんと訪れたのを思い出した。坂本のひなまつ

を訪ねた際に寄り道した『山河の里』だ。最初に尋ねたのは2年前。その時は西の奥様たちと同じように坂本

のひな祭りを見た後に近くの山を登った。最後に訪れた山河の里はまだ花の開花には少し早く、河津桜とアネモ

ネが咲いている程度だった。3月に奥さんと来た時もまだ花は見当たらなかった。

ここまで間周りの木々の色づきを見て、山河の里もそろそろ見ごろを迎えているんじゃないかと立ち寄ってみた。

高鉾郵便局を過ぎ藤川谷川に架かる橋を渡って正木トンネルの手前で南に曲がる。少し走ると三差路がありそこ

をさらに右に曲がり、離合の難しい狭い道を進んで行くと山河の里に着いた。少し先の道の下にある駐車場に入

ると2台ほど車が停まっていた。皆さんよく知っているな~と自分の事を置いといて感心しながら園内へと歩い

て行くと、花・花・花のオンパレード!

 

 

小さな作業小屋の前には薄紫や薄いピンク色のアネモネが風に揺れていた。その反対側にはサークル状に植えら

れた色とりどりの大きな花びらのチューリップ。その前で訪問者と話をするおじいさんの姿があった。

 

 

訪問者との話が終わったので声をかけると、顔中にしわを寄せてニッコリ笑顔で挨拶をしてくれた。

話を聞くとここには住んでいなくて、毎日小松島から40分近くかけて通っているそうだ。退職して20年以上

かけてこの庭を造りあげたそうだ。あと数年もすれば90歳というのにとてもお元気そうだ。そしてこの花園を

無料で開放している奇特な方だ。

 

『この花が一番好きなんです』と教えてくれた平安紅枝垂れは小さく淡いピンクの花びらが可愛らしい。

『奥のヤマブキも見頃ですよ』と教えていただいたので園内を奥へと歩いて行くと、素焼きの植木鉢で作った

でちゃんが迎えてくれた。

 

 

 

園内にはこうした手作りの作品が至る所で迎えてくれる。そして花の名前や道標は全部手書きで可愛らしい。

ひでちゃんの奥の突き当りにはヤマブキが満開だった。薄い春色の花たちの中にあって明るい派手な山吹色がア

クセントになってとてもきれいだ。

 

 

ヤマブキを見ながら一周して戻ると、『上から下を眺めてもきれいですよ』と教えてくれたので、民家のある場

所まで上がってチューリップ畑を見下ろしてみる。

 

 

 

眺めた後また下まで降りておじいさんと話をする。『本当にきれいですね、もともと花がお好きだったんですか』

と聞くと『ハイ大好きでした』と応えてくれた。『ほんとうはイングリッシュガーデンにしたかったんです』とも

照れながらお話ししてくれた。

香川から来たのを伝えると『お~~いお母さん!』と声をだして奥に居る奥様を読んでくれた。園の奥から現れ

た奥様もとてもやさしい笑顔で話しかけてくれ、三人で色々と話をする。園内が手狭になってきたので上の道路

の反対側の山の斜面を切り開いて、何年か前からしだれ桜を植えているそうだ。見上げると急斜面。作業も大変

だろうけど、怪我のないよういつまでもお元気で、『また来させてもらいます!』と約束をして山河の里をあと

にした。

 


ニシミネ・ミツマタ・サンガノサト!

2025年04月10日 | 四国の山

先週は花めぐりで奥様と神山町界隈を彷徨った。今週は休みが合わないのでそろそろ少しはお山らしい山に登ろ

うと思って目星をつけたのが雲早山。直近の様子は?とYAMAPの活動日記を検索して地形図を眺めていたら

西三子山の山名が目に入った。『そう言えば最後に登ったのは何年前だろう?』と思いながら、西三子山の活動

日記を見てみると、今度はサムネールの一覧の中に黄色く浮かんだミツマタの写真が飛び込んできた。クリック

して詳細を見ると、どうやら群生地があるらしい!早速予定を雲早山から西三子山に変更して、『ニシミネ・ミツ

マタ、ニシミネ・ミツマタ』とルンルン気分で出かけてきた。

登山口に向かう途中で、道の駅ひなの里勝浦の南側に桜並木が続いているのが見えた。道の駅に車を停めて、

形交流文化会館の裏手に歩いて行くと、突き当りの川の両側に右も左も桜並木が続いていた。脇に建つ案内板に

は『さくら祭り周辺MAP』のイラストが描かれていた。以前から桜と船下りの写真やポスターを見た事があっ

たがここがその会場の様だった。東西2kmに及ぶ桜並木はすでに散り始めていて、川面一面が花びらで埋め尽

くされていた。

 

 

 

道の駅を出て上勝町を抜け、八重地トンネルを通って登山口へと着いた。以前に所属していた山の会で歩いたの

が20年近く前になる。それから5年後に続けて毎年3回独りで訪問した山だ。その頃はまだ西の寒峰、東の西

三子山と云われる福寿草の群生地として名をはせていた山だった。ただそれ以降年々花数が減りほぼ絶滅状態に

なってしまったので足が遠ざかっていた山だった。

県道の少し路肩が広がった場所に停め、道路向かいの登山口から取り付く。取り付きからザレた道を最初は沢に

沿って登って行く。取り付きから少し登ると沢の反対側に石垣が見えた。峠近くのこの場所の周辺に民家はなく、

畑の石積みではなく、何かの道が続いているように見えた。こういった石積みを見るともともと何があったのか

と興味が湧いてくる。この登山道は四国電力の鉄塔巡視路を利用して続いて行く。

 

 

 

 

右奥に小滝が見えると道が崩れて土と落ち葉が被って踏み跡が薄くなって判りずらい。それでも時々巡視路用に

設置された樹脂の階段と赤テープを探しながら、ルートから外れていないか確認しながら登って行く。

 

 

傾斜はどんどん急になってくる。樹脂の階段も埋もれていたり足元が崩れていたりしている。道が崩れかけてい

るヶ所にはロープが張られているが、とにかく谷側に足を滑らせないようにゆっくりと登って行く。

九十九折れて右に左にと登って行くと、次第に薄くついた踏み跡が分りづらくなってきたので、左手の支尾根に

向かって登って行くと最後に平坦な道に出た。

 

 

 

2m以上幅のある道は八重地土工森林組合が大正から昭和初期にかけてトロッコ軌道を敷いていた跡。炭焼き用

のツガやモミの木の搬出を行っていたそうだ。

 

 

ここからは1050から1060mの等高線に沿ってほぼ水平な道が続いて行く。別子銅山の炭の道や牛車道に

もみられるように、こういった歩かれなくなった道は必ずといって谷筋がほぼ崩れている。

今度は電力がトロッコ道を巡視路として利用している形になる。大きな谷筋では鉄製の橋を架けていた。

 

 

幅のあるトロッコ道も所々で土で埋もれて足場の悪い場所にはロープを張ってくれている。すると前方に上から

道を横断して下の斜面を駆け下りる動物の姿があった。遠目ではっきりとはしないが狸さんのようだった。

 

 

大きく崩れた谷筋では少し高巻きをして通って行く。この崩れた場所からしばらく歩くと、道に白い石灰岩が転

がり始める。谷側の斜面には白い川の流れのように石灰岩の筋ができている。

 

 

先ほどの鉄の橋や所々の谷筋の両側に石積みが残っていた。谷に架かけていた橋の橋脚の土台部分の石積みだろ

う。以前歩いた別子銅山の炭の道にも同じような石積みが谷筋に残っていたのを思い出す。すると今度は右上の

斜面を白いお尻のバンビがピョンピョン跳ねながら駆け上って行った。

まだ少し芽吹きには早いこの時期、葉のない木々の間からは明るい日差しが降り注ぐ。その陽気に誘われてか、

斜面に並ぶアセビが白い花をつけている。正面には植林地の濃い緑の上に西三子山がちょこんと頭を出したいた。

 

 

 

 

さらに歩いて行くと1191mの標高点と西三子山の支尾根の間の鞍部に出た。広場のようになったこの場所で、

山の会で来た時は一息入れた記憶がある。トロッコ道は西三子山の支尾根の北側を巻くようにして続いている。

振り返ると1191mの標高点の支尾根の北側にもトロッコ道が続いている。

ここがトロッコ道の交差点になっているようだ。その当時に使われていたのか、その後の林業の人が使っていた

のか(登山者のものではないと思う)、使い古され焼けて真っ黒になったやかんが木の枝にぶら下がっていた。

 

 

 

広場で一息入れた後西三子山の支尾根を登って行く。幅の広い尾根を踏み跡を見ながら登って行くとアセビが道

の両側に連なっていた。葉を隠すくらい白い鈴状の花が木全体を覆いつくしているのもあれば、全く花をつけて

いない木もある。樹齢によるのかそれとも隔年で開花するのだろうか分からない?

 

 

アセビの道を過ぎると88番鉄塔の広場に出た。広場の北側には『あんな形してたっけ』と思うほどきれいな三

角の形をした雲早山が見えた。鉄塔広場からも広尾根が続いて行く。新芽の緑の頃や彩の季節もいいが、葉のな

いこの時期は丁度暑くもなく寒くもなく、陽光を浴びながら歩いて行ける気持ちのいい時期だ。

振り返ると先ほどの鉄塔越しに高丸山とその山頂から続く稜線上に一本ブナのピークが見える。そのピークには

何となく大きな木が一本だけ立っているのが見えた。

 

 

 

 

広尾根を過ぎると尾根の左側が杉の植林地、右側が自然林の尾根になる。するとトロッコ道でも見た小さな道標。

ここから山頂の南側を回り込み福寿草の元群生地を通って山頂へ登る道と、このまま山頂へと登る分岐になる。

 

 

 

雨が多いのか杉の木の根元にも、周りの木々の幹にも苔がまとわりついている。そんな緑の景色の中でひと際異

彩を放っているヒメシャラの大木。地面から横に伸びた太い幹の先に、手を広げたような根。こちらに向かって

迫っている悪魔の手の様だ。

 

 

悪魔の手のヒメシャラから上は苔岩の尾根。大小様々な形をした岩と苔。雲早山のパラボラ尾根に出る手前の苔

庭より、一回り規模が大きい。

 

 

 

苔庭を過ぎると今度は苔の緑よりも石灰岩の白さが目立ち始める。そんな岩の間を抜けて登って行くと西三子山

山頂に着いた。三等三角点 澤谷 1349.01m 山名標の下にはヤッホー地蔵。以前は木彫りのお地蔵さんだった

が、これは二代目なのか木彫りではなく焼き物でできていた。

 

 

 

石灰岩で覆われた山頂は四国の山では他にはほとんど見られない独特な景観だ。南側にはいまだ踏み入れた事の

ない山域。そして北側にはレーダー雨量観測書があるので直ぐに山座同定のできる高城山が見えた。

ゴツゴツした形の岩の中から平らな形の岩を見つけて腰掛けカップ麺にお湯を注ぐ。じっとしていると北から吹

き上げてくる風がまだ少し肌寒い。そのせいかカップ麺の温かい汁をを最後まで飲み干した。

 

 

 

 

さてさてお腹を満たしたら、今日の次の目的地でメインとなるミツマタの群生地へと降りて行く。YAMAPで

見た活動日記は1週間前に黄色く色づいたミツマタの花が載っていた。果たしてまだ花は咲いて行くのかドキド

キだ。岩庭や苔庭では、前のめりに転びでもしたら大けがになるんで、注意深く降りて行く。途中で悪魔の手に

またがったり、鉄塔の斜材を額縁に見立てて雲早山を写真に撮ってみたりしながら、のんびりと分岐まで歩いて

行く。

 

 

分岐から林道に降りて行く。その林道に降りた近くに群生地があるらしいが、そこまでがなかなかの急坂。右左

に体の向きを変えながら踏ん張って降りて行くとやはり膝が少し痛んできた。落ち葉が踏み跡を隠しているけれ

ど、何となく雰囲気で踏み跡を辿りながら下って行くと、視線のさらに下に白いコンクリートの林道が見えた。

林道近くの水路に背の低いミツマタの木が、まだ細い幹にテープが巻かれて植えられていた。

 

 

 

一旦林道まで降りると下手に作業道のような道の脇にミツマタがずら~と並んでいるのが見えた。その作業道を

登って行くと、なんという事でしょう・・・・。斜面の上から下までミツマタの白と黄色の花畑が広がっていた。

 

 

目にした活動日記のミツマタは濃い黄色でピークのように見えたが、白い花が多くてまだまだこれからといった

感じだ。周りには何とも言えない清楚な匂いが漂っている。

 

 

 

少しだけ道から斜面に分け入って写真を撮ってみる。散っていないかと心配して損をした。まだしばらくはこの

見事な群生地は楽しめそうだ。

GoogleMapにはこの下の県道をさらに下った場所に『ミツマタの群生地』と載っている。次回はぜひそこにも立

ち寄ってみたい。

 

 

 

 

ミツマタ鑑賞が終わるとコンクリートの林道を道の脇に咲く花たちを眺めながら降りて行く。

 

 

 

群生地から林道、そして県道を歩いて約45分ほどで車を停めた登山口に着いた。

今日は福寿草の代わりにミツマタ鑑賞となったが、福寿草の群生地もファガスの森の地下足袋王子さんらによっ

て保護ネットで保護区画を作って以来、少しづつ数が増えているようなので、次回は山頂近くの福寿草を是非見

にきたい。

 

 

山河の里は次回に続く・・・・!


あっこんな所にも山頂ポイントがあった向麻山

2025年04月05日 | 四国の山

明王寺を後にして、今度は昨年も訪れた神山温泉上角谷川を挟んで対岸にある四季の里を訪れてみた。

昨年は散りかけていたここのしだれ桜は、今年はまだまだ見応えがあった。細く垂れ下がった枝に咲く淡い桜色

の桜の下で、皆さん思い思いに春の訪れを楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

四季の里のあとはこちらも昨年尋ねて奥様がいたく感動していたゆうかの里へ、神山町から石井町方面へと車を

走らせる。狭い山道を走って行くと警備員が片側通行の誘導をしていて、ゆうかの里近くでは、駐車場待ちの車

で渋滞していた。

スダチ農家だった佐々木さんが、友人から神山枝垂桜の苗を3本譲り受けたのがきっかけで、その後離農した後

も自費で休耕地に毎年植え続けて、現在のように1.5ヘクタールの山に500本の桜と1500本のレンギョ

ウが山一面に咲いている。

 

 

山の斜面にはコンクリートの道が続いている。その坂道の上を空が見えなくなるほどしだれ桜の花が覆いつくし

ている。春休みなのかお子さん連れの姿も多くみられ、反対に杖を突きながら登って行く老人の姿もある。

 

 

 

 

若いカップルが楽し気に話をしながら上から降りてきた。

 

道の両側にサクラソウとレンギョウの花が続く先には優し気な表情の観音様が建っていた。ここでは光背の代わ

りを桜の花が形どっている。

 

 

ビニールハウス跡にはサクラソウが植えられ、その横には菜の花がしだれ桜を背に咲いていた。

しだれ桜の淡い色と菜の花、レンギョウの派手な黄い色は、春真っただ中を存分に感じさせてくれる。

 

 

 

昨年はこの後最後に神山森林公園を訪れたが、今年は帰り道にある向麻山公園を訪ねて見ることにした。WOC登

山部のメンバーが数日前にFBに桜の写真をアップしていたのを思い出したのだった。

鴨島町の手前で国道から少し南に入った場所にある公園。山頂近くまで車で行けるようだったが、麓の児童公園

の横に停めて歩いて登る事にする。

児童公園の遊具からは賑やかな子供たちの声が聞こえてくる。車道から遊歩道へと入って登って行くと、次第に

周りの景色が見下ろせるようになる。

 

 

少し色の違うソメイヨシノとしだれ桜が入り混じって咲くさまは、艶やかで華やかな景色を楽しめる。

 

 

山頂の芝生広場ではしだれ桜の下で、お花見を楽しむ人の姿があった。ランドセルを背負った子供の入学の写真

だろうか、大きなレンズを構えたカメラマンらしき男性が、桜をバックに子供たちに色々とポーズをとらせて写

真を撮っていた。

 

ここで何気にYAMAPの画面を見てみると、この広場の奥にグリーンではないが、グレーの山頂ポイントがあ

った。『ポイントがある!』と言っても奥様にはチンプンカンプン。『何の事?』というので、スマホの画面を見

せながら簡単に説明して歩き始める。

芝生広場の奥の竜眼神社の鳥居を潜り、社殿で手を合わせた後さらに奥に進んで行くと 三等三角点 牛島

91.84m。最近踏んだ三角点の中では一番低い三角点だ。ここで山頂ポイントゲット!

 

 

 

近くの東屋の展望台からは、北に吉野川を挟んで阿讃山脈。そして視線を東に移すと桜の花越に徳島の市内へと

景色は続いていた。

 

 

 

向麻山の展望台を後に遊歩道を下りながら、この春最後の花めぐりで亀鶴公園の桜並木から始まり、神山町

ゆうかの里、そしてこの向麻山公園で桜の花を堪能して、今日は桜の花でお腹いっぱいになった。

もちろん奥様には大変喜んでいただいた!

 

 

 


昨年も奥様と歩いた桜三昧と滝巡り!

2025年04月04日 | 四国の山

今週は奥様とお約束の花めぐり。昨年は四月に入って直ぐに香南市の西川花公園に出かけた。今年の開花の状況

はどうかとネットで調べてみると、主要メンバーや運営スタッフの高齢化や後継者不足で昨年で閉園しましたと

書かれていた。小さな丘一面に咲く色とりどりの桃の花と、その手前に広がる菜の花畑の鮮やかな色が対照的で

今年もぜひ出かけてみたいと思っていたのに残念だ。

それでは予定変更で昨年二週目に出かけてけっこう散り始めていた神山町のしだれ桜を見に行くことにした。

我が家から志度山川線を通って山川町から神山町へと入るルート。まずはその途中にある桜の名所の亀鶴公園

立ち寄ってみると、公園の池の中の亀島に続く長堤の両側に咲く桜並木はまだ満開は少し先の様子だったが、そ

れでも何人もの人が散策に訪れていた。

県道から193号線を南に走ると脇町に入る手前に、こちらも桜の名所として有名な八百萬神之御殿があるが、

『数年前より桜にテング巣病と思われる症状が異常発生し、手入れを行ってきましたが、近年の猛暑や野生動

物(イノシシやシカなど)による根付近の掘り起こしや食害の影響もあり、花見期間の境内開放を行いながらの

手入れが難しくなってきておりました。毎年楽しみにしていただいている方には残念なお知らせですが、今年の

境内一般開放は休止といたします。 再開時期は未定です。』とホームページに載っていた。

 

 

 

道が県道から国道193号線に変わると、周りの山肌は赤みを帯びた新芽の中に咲く白い花の山桜で彩られてい

た。山川町から美郷に入ると美郷物産館の道路を挟んで反対側の駐車場にも三色の桜の花。濃い紅色の桜は何と

いう種類なのか?対岸の中学校の校舎の前にも桜並木が続いていた。

物産館で奥様は名産の梅干を購入。お店の人に高開の芝桜の様子を尋ねてみたが、ここ最近はシカの食害で全く

花は咲いていないと教えてくれた。『そしたら石垣だけですね』と言うと、『そう石垣だけ』と笑って応えてくれ

た。物産館から南に走ると大神の集落の棚田もきれいな桜色をしている。

 

 

 

昨年は丁度見頃だった川井峠のしだれ桜はまだ少し早かった。双眼鏡の置かれた展望台からはまだ少し雪の残る

一の森と剣山が遠くに見えた。途中の道沿いには所々でミツマタがきれいな花を咲かせていた。

 

 

 

 

川井峠から引き返して神山町の上分へ。いつもは雲早山に出かけるときに通る道沿いには、道の脇の一段高い

斜面から、大きなしだれ桜が道路の上近くまで垂れ下がっていて見応えがある。

 

 

 

 

ここまでは車から乗り降りするだけだったが、ここからは少し歩くことになる。昨年はこの先にある神通の滝

二人で歩いた。滝を眺めた後の帰り道、私はミツマタの群生地があるというので、来た道の右岸でなく左岸を一

人で歩いて帰ったら、一人になった奥様が慣れない山の中で心細くなって半べそをかいたと話していた。

今日は一人にはしないからと笑いながら言って、神山町のもう一つの雨乞いの滝に出かけることにした。

前回はWOC登山部で訪れて、雨乞いの滝からさらに登って悲願寺まで歩いた。奥の駐車場まで来ると、すでに数

台車が停まっていた。駐車場からは沢の流れに沿ってコンクリート道を登って行くのだが、遊歩道はけっこう急

坂でそのうえコンクリートに苔が生えていて滑りやすかった記憶があったので、遊歩道の入り口に置いてある手

製の杖を奥様に持たせた。

 

遊歩道を歩いて行くと最初に現れたのがうぐいす滝。高さはないが二つに分かれて流れる様が可愛らしい滝だ。

遊歩道には杉の木立から木漏れ日が届き、水の音を聞きながら気持ちよく歩いて行ける。

 

 

 

うぐいす滝に続いては不動滝。その先には石を組んだ祠の軒下におたぬきさんが祭られていた。何の謂れがあっ

てかは分からないが、横に置いてある賽銭箱には不動尊と書かれているので、お不動さんの代わりなのか?

 

 

 

コンクリートの堤に架けられた木の板の橋を渡ると左岸から右岸の道になる。ここから道は急登になって行く。

ゆっくり足を滑らせないように、恐る恐る前からカップルが降りて来ている。急坂を前にして道標にも『がんば

って』と書いてある。『がんばります!』

 

 

地獄淵・もみじ滝・観音滝と続く道。コンクリートの真ん中が階段状になってくると、いよいよ傾斜が急になっ

てきた。階段を抜けしばらく登って行くと右手に東屋。ここから悲願寺への分岐になっている。東屋の先の巨岩

を回り込むと突然目の前に落差27mの雄滝が現れる。

 

その雄滝の滝壺に近づくと今度は右手に落差45mの雌滝が見える。雌滝は3段になって雄滝と比べると今日は

圧倒的に水量が多い。

 

雌滝の前で熱心にアングルを変えながら動画を撮っている奥様は、緑の上着を着ているので周りの風景にほぼ同

化しているのが笑える。滝の1段目の滝壺の横には石仏が建っているのが見える。その石仏に向かって斜めに鎖

が掛かっている。

 

 

 

 

深い谷間を勢いよく流れ落ちる水。周りにはマイナスイオンがたっぷりと降り注いでいる。今日は今までシャッ

タースピードを変えて滝を写していたが、手持ちではどうしても周りがブレて映っていたので、今日は三脚を持

ってきた。ただ普段から使っているコンパクトデジカメ用の三脚なので、一眼レフの大きなカメラは、どうして

も頭でっかちで重くてグラグラして固定するのに一苦労だ。

 

 

 

東屋の横には苔の生えたシカの頭に見える木の枝。その向かいの雨乞いの滝の謂れを書いた四国のみちの説明版

を読んだ後、絶対に滑らないように注意しながらコンクリート道を下って行った。

 

 

駐車場に着くとちょうどお昼時。助手席に座る奥様がGoogleMapで調べた下分にある『てくてく栗生野』でラン

チをすることに。この施設は民間福祉施設を神山町役場を定年退職後にご夫婦で立ち上げて、建物はご主人が同

級生に手伝ってもらいながらご自身で建てたそうだ。その施設の片隅の部屋で木曜日から日曜日にランチ営業を

しているそうだ。窓際のカウンターで鮎喰川を見下ろしながら素朴な味の料理を美味しくいただく。

 

 

カウンターの後ろのテーブルに座っていた男性にお店の奥さんが『明王寺は行かれましたか』と聞いている。『ハ

イ』と応えた男性に『もう散っていたでしょう』と奥さん。『まだ大丈夫でしたよ』と男性の返事に聞き耳を立て

て聞いていた。この後どうしようかと考えていたところだったので初めて明王寺を訪れてみることにした。

明王寺には樹齢80年と60年のしだれ桜があり、十メートルもあろうかと思われる樹高 から枝垂れ、風に揺れ

るしだれ桜の楚々とした姿は、ひとしおの風情と美しさを持ち、山門の白壁の塀越しに見事な花の滝をかたちづ

くっていた。もうすでにけっこう散っていたがそれでも見ごたえのあるしだれ桜だった。

 

 

 

 


いつ行くの・・・・今でしょ!と思って久保谷へ

2025年03月27日 | 香川の里山

今週は休みが水・木と取れそうなので奥様に相談したところ、残念なことに奥様の休みが取れる木曜日はどうも

天気が良くない。仕方がないので『水曜日に休んで、お山に行きます!』と宣言したもののあまりご機嫌が良く

ない。『それじゃ白鳥の河津桜が見頃のようなので、出勤前にささっと朝活する?』と聞いてみると、途端にご

機嫌がよくなった。私としては朝陽の当たった桜の花をきれいに撮ってみたいと思っていたので、しめしめ一石

二鳥で出かけてきた。ところが昨日からの大量の黄砂で、太陽も霞んでいる。桜の花に当たる光も薄くて弱い。

 

 

それでも奥様はスマホを持ってずっと熱心に写真や動画を撮って大満足のご様子。取りあえずこれで遠慮なくお

山に出かけられる。そう思いながら家まで奥様を送り届けた。

 

 

今日のお目当てはまんのう町の久保谷ユキワリイチゲアワコバイモ。先日山友のお三人さんが出かけていた

し、YAMAPでも活動日記で目に付くようになった。国道438号線を南下する。朝活でいつもより早めに朝

ごはんを食べたせいか、途中で少し小腹が空いてきた。ちょうど9時前、あの三嶋製麺所が開く時間だ。

いつものように素っ気ない態度で注文を聞かれ、いつものように揚げたてのうどんを頂く。店主の態度は別にし

て、いつ食べても大満足の味だ。今朝は店の奥に座っているおばあちゃんにも会えた。

 

国道沿いの駐車場にはすでに5~6台の車が停まっていた。直ぐには数台また車が入ってきた。明神川を挟んで

橋を渡った大師堂の前が登山口になる。お目当ての花たちはお昼ごろから花を開かせるので、今日はのんびりゆ

っくり歩くことにしてスタートする。

 

 

 

この道沿いには峠越えの安全を祈願して三頭神社までに、西国三十三ケ寺の石仏を建てられている。ただ最初に

目についた落ち葉に埋もれかけたこの二番・三井寺というのが腑に落ちない。西国三十三ケ寺の二番は金剛宝寺

となっている。

 

先週の皇子渓谷に比べるとこの谷合をながれる水の量は少なく迫力に欠けるが、狭い谷の両岸には荒々しい柱状

節理が露出して、時には目の前にまで迫ってくる。

 

 

お目当ての花はどうやら朝が苦手なようだ。まるでどこかの奥様の様だ。所々で咲く花はまだ花弁を開かせてい

ない。

 

 

この谷筋は何度も何度も渡渉して右岸、左岸への移動を繰り返す。今日は水の量も少ないのでそれこそ10歩ほ

どで渡って行ける。すると前から声が聞こえてきた。しばらく歩くと女性が二人、スマホで熱心に写真を撮って

いた。片方の女性のザックのサイドポケットには見覚えのある可愛らしいぬいぐるみを入れていたが、YAMA

Pで見かけた人だったような気がしたが、はっきりとは思い出せない。

 

 

 

左岸を歩いていると落ち葉が積もった斜面で、今日のもう一つのお目当てが見つかった。周りの落ち葉とほぼ同

色のこの花は見つけるのに一苦労する。そこから右岸に移ると今度はユキワリイチゲの群生。といってもここの

子たちもまだまだお眠のようだ。

 

 

 

南東に向かって続いていた道がさらに東に向き始めると、いよいよこの谷も大詰めになってくる。昨年来た時は

最後の折れ曲がりの上部辺りが伐採されていたが、今日はずっと手前の左岸の上も伐採されていた。

谷の上部が伐採されて降雨の後に流れ出す水の量とか変われば、この谷の環境は変わってしまわないだろうか?

 

 

 

花を探しながらゆっくりと登ってきたが、1時間ほどで三頭越に着いた。峠には人の姿はなく、駐車場に停まっ

ていた車の人たちは、すでに三頭山に向かっているのだろう。徳島側からは金毘羅参りで、香川側からは金毘羅

の奥の院といわれる三頭神社の参道として賑わい、峠には当時は茶屋もあったという。そして昭和初期には80

00頭近くの借耕牛が行き来をして賑わっていた峠も、今は立派な鳥居と二体の石仏に見守られるだけの静かな

峠になっている。

 

 

 

いつものよう天細女命さんの胸にタッチすると、対面に鎮座する猿田彦さんは苦虫を嚙み潰したような顔をして

睨みつけていた。

 

 

峠からはヒノキの林の中を三頭山へと向かって行く。なだらかな坂道を下って行くとWOC登山部の女性メンバー

にバッタリ遭遇。二人ともお久しぶりで話が弾む。そして朝活で奥様サービスをした話をすると、『うんうん老

後の面倒見てもらわないかんのやから、奥様へのサービスは大事大事』と言われた。膝の具合も聞かれ『無理せ

ず自分のペースで歩いたらいい』と言ってもらった。

花粉症で鼻がぐじゅぐじゅという二人と分かれてしばらく歩くと舗装路に出た。

 

 

舗装路にでて直ぐに森の見晴らし台の広場になる。そこから少し歩くと下草の刈られたハンググライダー場。

少し小高い丘に向かって坂道を登って行くと360度の眺望。北には阿讃山脈の稜線と竜王山。麓には四国三郎

吉野川が黄砂で霞んだ中でもその流れが見える。

それにしても風が強い。この強い風の中に黄色い砂が混じっていると思うとゾッとした。景色のいいこの場所で

お昼ご飯をと思っていたがとんでもなかった。

 

 

 

 

ハンググライダー場の南の端の木に三頭山の山頂標がある。その裏には三頭大明神の石碑が建っている。

さらにその奥の樹林帯の中に 四等三角点 三頭 734.16m

 

 

 

ここでのお昼は諦めて一旦三頭神社へと下って行く。舗装路を歩いて行くと神社の駐車場に着いた。真新しい狛

犬の間を通って石段を登って行くと三頭神社に着いた。剣霊、山王、清竜(青竜)の3社が祀られている事から三

頭と名付けられ、三頭大権現とも呼ばれる境内は、山頂近くにあっても荒れてもいなくきれいに清掃されていた。

 

 

 

神社からはもと来た道を戻って行く。ハンググライダー場を過ぎると東屋があるが、昨年ここで昼食を採ったの

で、今日はもう少し先の展望台でお昼にする。今日のお昼はインスタントの焼きそば。予定にはなかった朝うど

んを食べてしまったので、続けての炭水化物になってしまった。コンクリート製の東屋は暖かい日差しを遮って

くれて、日陰に吹き抜けていく風がちょうど心地よい。

 

 

展望台からは南側の山々を見渡せた。黄砂で霞んではいるものの、烏帽子山から矢筈山、そして剣山や一ノ森

一望できる大展望だ。西から東に長く続く稜線にはまだ少し雪が残っているのが見える。麓には美馬から対岸の

半田の街並みが続いている。

 

 

 

 

お昼ご飯を食べ終え目の前の眺望を眺めて終わると、そろそろいい時間だ。今から下って行けばあのお花たちも

花びらを開いてくれている頃だろう。

三頭越まで戻ると寒風峠方面にあるベンチで女性が二人お昼を採っていた。そして峠を降りて行くと6名ほどの

クループが前を歩いていた。やはりお昼から開く花を目当てにみなさん登って来ている。

 

 

さらにその先には一組のご夫婦。みんなそれぞれ立ち止まっては花の写真を撮っているので場所によっては追い

抜きができない。昼からの温かい日差しを浴びて、予想通り気持ちよく花を広げてくれている。

 

 

 

そしてもう一つのお花もなるべく見つからないようにしているのか、落ち葉に混じってひっそりと咲いていた。

 

 

 

 

 

少しまとまった場所では、こちらに向かって愛想を振りまく子がいたりそっぽを向く子がいたりと様々。色も別

ルリイチゲと云われるようなきれいな瑠璃色をしているのもあれば、少し色白の子もいる。

谷あいをやさしく吹き抜けていく風にゆらゆら揺れる姿が可愛らしい。

 

 

 

 

 

下って行く途中で次々と登ってくる人たちがいる。そんな中で写真を撮っていると若い女性から声をかけられた。

ユキワリイチゲ、ほんと可愛いですね。アワコバイモは見つけられますか?』と聞かれたので、『落ち葉と区

別がつきにくいので、がんばって!』と答える。

駐車場まで戻ってくるとまだまだ結構な台数の車が停まっていた。帰りのラジオでは今日、香川で開花宣言が発

表されたと話をしている。これからしばらくは春の花めぐりでまた忙しくなりそうだ。

 

途中で会ったWOC登山部の女性陣に、早く降りるのでどこか行くところがないかと聞かれたので、昨年ここの帰

りに寄ったセリバオウレンの咲く場所を教えてあげたので、自分でも確認しに立ち寄ってみた。

稜線近くに続く林道沿いにも春の訪れを感じさせる花たちが咲いていた。

 

 

 

 

教えた場所に着くと昨年来た場所?とも見間違えるほどもう目当てのセリバオウレンは咲いていなかった。教え

た二人が遠回りのここまで来てなかったらいいのだけれど。(ひょっとしたら場所をまちがっていたのかもしれ

ない)寂しげに残る小さな花の写真を写して山を後にした。

 

 


今シーズン最初で最後の雪山の赤星山へ!

2025年03月21日 | 香川の里山

昨年7月に第171回芥川賞が発表され、松永K三蔵さんの『バリ山行』が選ばれた。小説のタイトルにある「バリ

」とは、登山のバリエーションルートのこと。89年にわたる長い芥川賞の歴史のなかでも、山岳小説が受賞した

のは初めてという事だ。しかもその舞台は六甲山。あまりにも身近な山で驚かれた人も多かっただろう。

その小説の中で登場するバリの一つ西山谷は、渓谷の中の堰堤や滝をいくつも越えていくルートだ。小説を読ん

でから一度は歩いて経験してみたいと思っていた。

丁度休みが祭日に取れたので高速の割引料金を考えて、今日出かける計画を立てた。がしかし前日に神戸の友人

から六甲山は積雪との情報が写真付きで送られてきた。藪コキならともかく、渓谷沿いのルートでドボンでもし

たら目も当てられない。もう少し先で暖かくなってからにしようと、一緒に歩く予定にしていた西の奥様には連

絡をした。そう西の奥様あっちゃんも、バリ山行を読んで感動した一人だった。

そうなるとさてさてどこに登ろうかと考えてみると、一昨日から阿讃山脈も遠目に見ても雪が積もっている。ど

うせなら雪山に登ってみたくなった。もちろんバリエーションルートではなく、登山道がしっかりしているルー

トで、夏用タイヤでも登山口までアプローチできる場所となれば、すぐに思いついたのは琴南の大川山か土居町

赤星山のふたつだった。大川山は今までも何度か積雪時に登ったことがあったので、積雪時は初めての赤星山

に出かけることにした。

 

 

野田の登山口は祭日だったので車が停められるか心配したが、我々が着いた時は大きなワゴン車と普通車の二台

が停まっているだけだった。その内身支度をしていると1台車がやって来て、中から体格のいい男性がひとり降

りてきた。この後何度か途中で顔を合わすこの男性をあっちゃんは熊さんと呼ぶことにした。

 

 

 

登山口からはしばらくは渓谷沿いの道。沢に架かった木製の橋を渡りながら左岸に右岸にへと移動していく。

二つ目の橋を渡ると左岸の杉林の中の道になる。道の両脇には大きな大きな岩が転がっている。右手に見える斜

面から転がってきたのか、それとももともとこの道筋が渓谷だったのかは分からないが、とにかくビックリする

くらいの巨石がゴロゴロしている道だ。

 

 

苔むした岩の間の段差を白い飛沫をあげて水が流れ落ちている。濁りのない透き通った水は、なお一層水の冷た

さを引き立てている。やはり登山道ではない西山谷の渓谷を這い上がるルートを取りやめて良かった。

 

右岸の道になると背の低い石垣が何カ所か目についた。以前はこの辺りまで作物を作っていたのだろう。

傷んだ木製の橋の上にはアルミ製の足場の踏み板が敷かれている。これは地元の有志による赤星山愛好会の人た

ちがボランティアで整備してくれたものだ。大小さまざまな滝が続くこの道は、四季を通して四国でも有数の渓

谷美眺めながら歩いて行ける道。そんな道を愛して止まない人たちがいる。

ここ数日の降雨によっていつになく水量の多い渓谷では、重なり合う大きな岩と岩との隙間のそこら中から水が

流れ落ちている。

 

 

 

 

5回ほど橋を渡っただろうか、右岸の道から大きな滝が見えた。機(はた)を織るように見えることから名がつ

いた機滝だ。10mほどのほぼ垂直の岩壁を横に幅広く流れ落ちるさまは、まさに機織り機の上屋から垂れる縦

の糸のように見える。

 

 

機滝の次に現れたのは紅葉滝。今日は滝の岩肌に薄っすらと白い雪が積もって見えるが、紅葉の季節には両岸の

木々の色づきが見事な滝だ。ここでも赤星山愛好会の人たちの注意喚起の案内板があった。内容を見てみると、

会の人たちは度々この道を訪れては、登山道の状態を見守っているのが読み取れる。

一眼レフの設定をシャッタースピード優先に変えて撮ってみる。滝の水の流れはそれなりの雰囲気で撮れるのだ

けれど、三脚を使っていないのでどうしても周りがブレてしまう。

 

 

 

 

そして紅葉滝の次は布引滝。ヌメった斜めの岩肌の中央部を流れる滝。『スライダーみたいに滑ったら気持ちよ

さそう!』とあっちゃん。次は夏に来て是非一度滑ってみてください!

 

『今日は玉簾(たますだれ)になってるかな?』とあっちゃんが言った通り、降雨の後の玉簾はいつものように

ポタポタと球状にはなっていなくて、筋状になって流れていた。

 

 

 

次第に道の脇だけでなく、道の上の岩や橋にも薄っすらと雪が覆い始めてきた。吐く息は白くニット帽から出た

耳たぶが冷たく感じるのに、なぜか喉が渇く。上着のファスナーを胸まで降ろし、その下のシャッも同じように

胸まで開けるが、汗をかいて身体が暑い。

最後の橋を左岸に渡ると造林小屋跡に着いた。小屋で使われていたのだろうかドラム缶ストーブには以前より

たくさんのヤカンがぶら下がっていた。本来ならここでアイゼンを装着するべきだったが、まだ登山道の雪が薄

かったので判断を誤り、このあとで後悔をする。

 

 

 

造林小屋跡で水分補給をしてさらに進むと豊受山との分岐。ここではもちろん右に進んで行く。

次第に周りの雪も厚みを増していく。足元の雪のない岩肌は、濡れてその上苔がついて滑りやすい。ストックの

先のゴムも濡れた岩には全くグリップが効かずに、その先で岩の上を突いた途端に逆にズルっと滑って何度も慌

ててしまう。注意深く一歩一歩進んで行く。

 

 

 

 

 

千丈滝を巻く道との分岐を過ぎると、更に道の上にも雪が積もり始めた。『取りあえず千丈滝でアイゼン付ける

か考えましょう!』と言ったものの、雪に隠れた岩で足が滑って歩きずらい。

急遽昨日にこのルートに変更して、アイゼンと登山靴の調整も六角レンチが見当たらずに出てきてしまったので、

少し不安が残っている。

 

 

 

 

何度か小さな沢を渡渉していく。いつになく慎重に渡って行くあっちゃん。渡りきって急登を登って行くと千丈

に着いた。落差は25mほどといわれているが、登山道から見る限りでは何段かに分かれていてそれほど落差

があるようには見えない。

 

 

 

 

『トレースがなければ道が分からないわね』とあっちゃん。雪道に慣れていないせいもあってずっと足元を見て

歩いている。そのせいで度々立ち止まって顔をあげて方向を確認している。

周りが薄暗い杉林から自然林になると青空が見え始めた。ここで後ろから男性がひとりやってきた。駐車場、

でも顔を合わせた熊さんだった。『分岐で道を間違えて!』と言ってニコリ。そのあと身体をかわしてあっと

いう間に登って行ってしまった。

 

 

 

 

途中にツララを付きたてたユニコーン。『いつもならこれくらいならロープ使わずに登れるのに』と言いながら

足元の掛かりが分からずに登りにくそうにしている。この後も何カ所か短いロープ場があった。

 

 

 

表面の雪質はパウダースノーだが、足を踏み込むたびにその雪が登山靴のアウトソールに詰まってグリップが全

く効かず、急な斜面になると足を滑らせ下がってしまう。風に吹かれて枝に着いた霧氷が粉のように頭上に降り

注いでくる。その落ちた霧氷が雪の上でふわふわでサクサクとしたかき氷のように見える。

 

 

 

 

沢から離れ水の音が聞こえなくなると、周りの雪に音が吸収されて静寂の中、息切れしている自身の吐く息の音

だけが聞こえてくる。ここまででトレースの踏み跡は前を歩くあっちゃんのソールの跡と、追い抜いて行った

さんのチェーンスパイクの跡、そしてもう一つノーアイゼンのソールの跡が続いていた。

 

 

少しシャリバテ気味になってきたので珍しく私の方から『お腹が空いたので何か口に入れたいんですけど』と声

をかける。立ち止まって行動食のチョコレートを口に入れると、その横であっちゃんは太いちくわを頬張ってい

た。すると上から男性が一人降りてきた。まさかと思って立ち止まった場所が狭かったので、横に避けるのに右

往左往をしていると、男性は軽く挨拶をして降りて行った。しばらくしてまた男性が一人。挨拶をしてがんばっ

てと声をかけると、『はいがんばります。今日で登山2回目なんです』と答えてくれた。『え、大丈夫?』と言

うと『ハイ、大先輩がいるので大丈夫です』と笑顔で前を降りて行く男性を指さした。足元を見るとスパッツは

付けずに、ズボンの下からくるぶしが見えるくらいの短い靴下だ。もちろんノーアイゼン。先に降りた大先輩も

アイゼンは付けていなかったように見えた。手袋をしていても指先が冷たいのに、足元は濡れているだろうな~

と思っていると、笑顔で目の前の急な段差を苦も無く降りて行く。『若さっていいな~!』

 

 

積雪はどんどん深くなっていく。トレースを外れると恐らく膝下くらいは積もっているだろう。場所によっては

グリップが全く効かずに、三歩進んで二歩下がる水前寺清子の三百六十五歩のマーチ状態になる。

今度は上から熊さんが降りてきた。先ほどは『こちらのルートは急なので、帰りは豊受の方から周回して降りま

す』と言っていたのだが、『往復した方が最短距離なので!』と言いながら降りて行った。

 

 

 

前を歩くあっちゃんも悪戦苦闘している。でももうここまで来たら山頂でアイゼンを付けるしかない。

すると細い枝の低木の間から青空が見えた。急斜面のトレースに沿って体の向きを変えたあっちゃんが『やった

~着いた~』と声をあげた。私もその場所で曲がるとその背中の先には山頂の道標が見えた。

 

 

広場になった山頂には思ったほどの積雪はなかった。晴天とまではいかないが雲の下には土居町の平野部が見え

た。山頂の南側にはすっかり葉を落とした木の枝に、綿で作った造花のような雪の花が咲いていた。山頂直下で

は少し雲がかかり始めていたが、南の空は紺碧の空色。やはり雪には青空が似合う。

 

 

 

 

西を見ると霞んではいるが何とか二ツ岳から東赤石に続く稜線が見えた。北側からは冷たい風が吹き上げてくる。

その強い風の当たる場所の木には雪があまりついていない。

風を避けて腰を下ろしてカップラーメンにお湯を注ぐ。風が冷たすぎて箸を持つ手の手袋も外せない。それでも

温かい麺が胃袋に落ちていくと随分身体も温まった気がした。

 

 

 

お昼ご飯を食べ終えて、アイゼンを装着してみる。ワンタッチの私のアイゼンは直ぐに付けられたが、あっちゃ

は足先のハーネスが前に倒れてしまってうまく付かない。自分のとは違った形のアイゼンに私も付け方が分か

らず、あ~だこ~だと言いながら色々試してみるが、結局時間がかかってやっとそのハーネスにテープを通して

締め付けるのが分かった。この間十分弱。これでは途中の雪の中では冷たくて付ける事もできなかっただろうし、

やはりそうなる手前で装着するべきだった。

準備万端アイゼンを付けて山頂を降り始める。『いや~アイゼンの威力は凄い!』と言いながら、小気味よいピ

ッチでトントンと降りて行くあっちゃん。『これなら登りで付けておけば、もっと早く登れたのにね。』と。

『すみませんへっぽこリーダーで』なんせ久しぶりの雪山なんで・・・と言い訳をする。

 

 

 

樹林帯の中で雪がまとわりついた木の枝に陽の光が当たり、まるで白いサンゴのように見えた。アイゼンを付け

ると、トレースを外しても雪の斜面の上を滑ることもなくふわふわと駆け下りられる。

すると勢いをつけて雪の上を降りて行ったせいか、太腿の裏が急に攣り始めた。立ち止まって色々足の角度を変

えたり曲げたりしても痛みが酷くなるばかりだ。足を地面につけずに浮かしてしばらく立っていると少しづつ治

まってきた。一瞬、まだ山頂近くでこのまま治らなければ山を下りられないかもしれないと考えたが、何とか痛

みをこらえがらも歩き始めると随分とマシになった。完全に運動不足と固い身体のせいだった。

 

 

 

 

道に雪が少なくなってもアイゼンを付けていれば、濡れた岩の上でも滑らずに歩いて行ける。山頂であっちゃん

に『岩の上でもアイゼンを付けるの?』と聞かれて、『岩の上では付けないです』と答えたが、てっきりアルプ

スのような岩稜の尾根でのことを言っているのかと思ってそう答えたが、あっちゃんはこの帰りの道の事を言っ

ていたのだと気づいた。

 

途中の分岐からは往路とは違く千丈滝を巻く道を下って行く。千丈滝への道に比べると傾斜は幾分か緩やかだっ

たが、九十九折れの道は何十回と右に左に折れるのを繰り返す。千丈滝の下の分岐に合流した後、造林小屋跡ま

で来ると太腿の痛みはほぼなくなっていた。道の雪もほとんどなくなっていたが、まだ濡れた滑りやすい岩が続

くのでアイゼンは装着したままで歩いて行く。アルミの足場板の上を渡るとカランコロンと金属音がした。

 

 

 

雪のない地面の上を歩くと、高下駄のようになったアイゼンを付けたままで、岩の段差で足を捻ってしまった。

慣れないアイゼン歩きに股関節も何だか痛みが出始めている、そしていつも以上に足も疲れている。

道はよく整備されていて、少し滑りやすい場所にはロープや鎖、そして注意喚起の看板が何カ所かでたてられて

いた。どこかのように整備といって本来の里山の形を変えて、山頂近くの眺望をよくする為だけに木々を伐採し

ている山と違って、必要最低限の整備をしている。もちろん赤テープも気になるほどは巻かれていない。

 

 

 

『これはあしたは筋肉痛間違いなし!』と思いながらも、スピードを落とさずにテンポよく下って行く。

 

 

 

山頂から下り始めて3時間弱。ようやく野田の登山口に着いた。先に停めていたワゴン車の周りでは下り終えた

人たちが車に乗り込む準備をしていた。おそらくどこかのショップのツアーだと思いますよとあっちゃんには話

をする。帰って家に着くとFBにクロスポイントさんの写真がアップされていた。

間に合わせで予定を変更した割には天気にも恵まれて、久しぶりに雪山を堪能できた。ただ久しぶり過ぎて慣れ

ない雪山歩きに反省点も何点か。今シーズン最初で最後の雪山。我が家では奥様から雪山禁止になっているけれ

ど、こうして年に一度くらいは内緒で出かけてみたいものだ。

 

 


あ~あ・・・残念雨滝山!

2025年03月13日 | 香川の里山

今日の予定は午後から奥さんとお出かけ。『お昼までには帰って来てね!』と言われて、先週に続いてYAMA

Pの山頂ポイントをゲットすべく出かけてきた。

お昼までにはと云うと、まずは登山口までの移動時間が少なく、行動時間もできるだけ短い山でかつポイントは

できたら2つ以上はゲットしたい、そう考えて隣町の雨滝山と火山を歩くことにした。

雨滝山は息子が小学生の時に一緒に登ったことがある。火山は中腹にある西教寺奥の院から登ったが、その時の

記憶は瓶盥の記憶しかなく、山頂まで歩いて記憶が全くない。今回はこの二つの山を縦走して、麓に降りて周回

する予定だ。空は生憎霧がかかって朝日も霞んで周りは薄暗い。自宅から車を停めた雨滝森林浴公園の駐車場ま

では、20分ほどで着いた。

 

 

駐車場からは雨滝山を回り込むようにして続く舗装路を、北西に向かって歩いて行く。舗装路は山頂からの支尾

根に差し掛かると北東へと方向を変える。ここで鉄製の階段が取り付きとなる。

階段を登りきってもしばらく急登が続いていく。急登が終わると段々になった地形を(雨滝城の曲輪の跡だろう

か?)回り込みながら登って行く。

 

 

 

一瞬山頂かと見間違った平らにた場所は、一段下の郭だった。中央部には石仏が一体。その先の虎口(こぐち)

に当たる場所から一段上がっていく。「虎口」(こぐち)とは、城や各曲輪の出入り口のこと。大勢の敵の侵入

を防ぐために小さくしていたことから「小口」とも書かれていて、この小口が危険な場所を表す中国の故事「虎

口」(ここう)とつながって、「虎口」(こぐち)と呼ばれるようになったと推測されている。

 

 

 

その虎口を登ると山頂に着いた。息子と登ったのは20年前。その時はたしか竜王社の前に鳥居があった記憶が

あるが、今は見当たらない。代わりにお賽銭を入れるポストと可愛らしいぬいぐるみがあった。

 

 

 

霧がかかってなければ津田の街並みを見下ろせたはずだが、霧が濃すぎて影も形も全く見えない。

道は北に向かってはっきりとした踏み跡が続いていて、一瞬間違えそうになるが、説明版の左横から南東に向か

って縦走路になっている。

 

 

 

火山への縦走路も曲輪が何段かになっていて、一部で石垣らしい跡も残っていた。縦走路はそんな曲輪の段をト

ラバースするように続いていく。

 

 

 

トラバース部分を過ぎるとロープを張った急坂。土に適度な湿り気があって割と滑りにくく、ロープを使わずに

降りて行けるが、これが乾いた斜面だとなかなかだ。坂の写真は上から撮るより下から撮る方が実際に近く斜度

が分かるので、振り返って撮ってみる。

 

 

急坂を下ると尾根を真ん中にして道が両側に分かれていた。右手の道が明瞭なので間違えやすいが、ここは尾根

の左手を進んで行く。

 

この縦走路にはいびつな形をした木の枝や幹を度々見かける。この枝はタオルを絞ったような形をしている。

一瞬笹に覆われた道になり、ズボンが露で濡れる。笹道を越え下って行くと切通になった峠の手前に出た。

県道の柴谷隧道ができる前まではこの道が津田町と大川町を結ぶ道だったのだろう。

 

 

 

ここでスタートから初めてYAMAPを見てみると、な・な・な・なんとスタートボタンを押していなかった。

せっかくの2座ゲットの目論見が、脆くも崩れてしまった。(@_@;)

峠の切通の奥には雨滝自然科学館の敷地が見えているが、相変わらず霧は濃いままでテンションも一気に下がっ

た。ここから引き返してポイントをゲットする時間はないので、トボトボと道の向かいの鉄塔保線路へと取り付

き登って行く。

 

 

取り付きから尾根に出ると、この間で一番雰囲気のある道になる。周りの木々の葉はすっかりと落ちて、霧で日

差しが遮られていても、明るい道になっている。笹もきれいに刈りはらわれていて歩きやすい。

暫くすると鉄塔広場に出た。この支線は津田町の変電所へと続いている。

 

 

縦走路はさっきまでの笹の道から、ウバメガシの生える沿岸部の尾根道の雰囲気に変わって行く。

またどうやったらこんな形になるのだろう?と思うような異形の木。どこかの展示会で題名を付けて、現代芸術

作品と展示されていたら、おそらく見る人は疑わないだろう(笑)

 

 

暫くすると『火山遊歩道』と書かれた道標の立つ分岐にでた。ここから右に下って行くと、西教寺の奥の院へと

下って行ける。遊歩道らしくここからは道幅が一気に広がり、落ち葉は道の脇に掃かれてきれいになっている。

 

 

 

遊歩道の先にもう一つ道標が立っていたが、先ほどの道標と同じで火山ではなく瓶盥と書かれている。この道標

の先で木の幹に火山と書いた札が掛かっていた。その札の矢印に沿って左手に進んで行く。

 

 

 

遊歩道がきれいすぎて普段だと何でもない笹の生える道が藪になったように感じる。一旦くだって245mの

標高点を過ぎ、また下って登り返すと火山山頂。四等三角点 西山 259.79m

 

 

 

県内には同じようにこの火山と名の付く山や、火ノ山、火上山と呼ばれる山があるけれど、いずれも戦国時代に

敵の襲来を告げる狼煙場があったのではと云われている。この火山も地形的には周りが見渡せた場所のようだが、

今は木々に遮られて眺望は全くない。

 

 

 

火山からは一旦もと来た道を引き返す。途中なぜかこんな稜線上にドラム缶が転がっていた。地形図を見てみる

とそのドラム缶の先は砕石場のようになって切れ落ちた地形になっていた。今は営業はしていないようだが、何

かの機械を動かすのに使われていたのかもしれない。

 

山頂から分岐まで戻り左に折れて遊歩道を進んで行くと、緩やかな下り坂の奥に忽然として水たまりが現れた。

山の中腹でもなく山頂近くにあって、汲んでも汲んでも尽きない程の水を蓄えていて、長径16m短径10mの楕円

形の形をしている。

その昔、土佐の長宗我部元親が隣りの雨滝山の雨滝城を攻めた時、合戦が終わって、疲れた兵士がここへ来て頭
 
の鬢を洗ったという。そこで人々は、この火山の頂上にある穴(池)を「ビンダライ」と呼んだそうだ。

 

 

 

水溜まりの外周をぐるっと回ってみるが、流入水の箇所は見当たらない。すると地下から湧いているのだろうか?

東の端に置かれたベンチの奥からは津田町の鶴羽の辺りが見下ろせる。生憎の霧だったが、先ほどよりは少しマシ

になって、ドルフィンセンターや高松自動車道の津田SAが見える。

四国では三嶺の山頂近くの池が有名だけれど、あの場所は降雨によって水が流れ込んでいるけれど、この場所は

全くそんな雰囲気もなくとにかく不思議だ?

 

 

 

 

瓶盥から折り返して奥の院の分岐まで戻って遊歩道を下って行く。九十九折れの階段状の道を下っていると道の

脇でポタリと音がした。少し色が変わり始めた椿の花だった。

 

 

九十九折れの道を下りきると奥の院に着いた。菩薩像の奥に、弘法大師が一夜で彫ろうとして鶏の声を聴き夜が

明けてしまったと勘違いをして諦め、大窪寺に向かったという伝承が残る摩崖仏。胸から下が剥落していて全体

像は不明だそうだ。

 

 

 

その摩崖仏の横には穴薬師と云われるお堂の中に入ると、巨石に小石仏が岩壁に彫られている。自然に重なり合

った巨石が転がらずにいるのが何とも不思議で自然が造る妙だ。

 

 

穴薬師にお参りした後、寄進されたミニ西国33観音の石仏が並ぶ参道を下って行く。正面には大川町富田の田

園風景が広がっていた。

 

 

参道の入り口の石仏は『一番 那智山 青岸寺』と彫られてあった。ここでまた今日二度目の失敗をしてしまっ

た。事前に周回ルートを頭に入れていたはずなのに、本来右手に折れて進むべきところを左手に折れてしまった。

右手を見ると登って峠になっているのが見えたので、頭の中でここからは下りと思って勘違いをしてしまったの

だった。

 

 

間違いには気づかずにどんどん坂を下って行く。道の脇には石仏と丁石が一定間隔ごとに並んでいた。そんな

石仏は朽ちかけたものもあり、参道の石仏と比べると随分と時代かかっていた。

大きな火山遊歩道の案内板と道標の前で、案内図を眺めながらふとYAMAPを覗いてみると、ここで初めて間

違いに気が付いた。予定していたルートと比べてこのまま歩くと3倍ほどの距離になっていたが、地形図を見る

とここからさらに下に大きなお寺のマークがある。『おそらく案内図に書いてある西教寺かな?』そう思って、

時間はかかるが寄ってみることにした。

 

 

 

先ほどの奥の院の摩崖仏が一夜仏として彫られていたなら、弘法大師は大窪寺には行かずに、この西教寺が結願

の札所となったかもしれないと云われている。本堂も大師堂もりっぱな造りをしている。山門の前の二本の大き

なクスノキも見ごたえがある。

 

 

 

さぁここからは単調な下道歩き。時間は10時30分。車での移動時間を考えるとゆっくりとはしていられない。

いつになく速足で歩いて行くが、ソールの柔らかい靴とトントンと速足で歩くせいか、膝より腰の痛みが増して

きた。それでもキャベツ畑の向こうの紅白の梅や、集落の氏神様の小さな神社を眺めながら車を停めた駐車場目

指して歩いて行く。

 

 

 

県道まで来ると最後の最後に登坂。坂道をなんとか柴谷隧道まで登ってくると、まださらに隧道の上に道が見え

る。するとふと横を見るとお地蔵さんの横にショートカットできそうな階段が見えた。迷わずそちらの道を選択。

少しづつ登って行くとけっこう距離を短縮して雨滝自然科学館の手前に出ることができた。

 

 

 

 

下道歩きも思ったよりも時間がかからずに済んだので、少し館内を見学してみた。1階には津田湾を中心に生息

する魚類、2階には各地で発掘された化石類が展示されていた。

今から40年近く前に一人の小学校の教員が、この施設の前でコツコツと採掘をしていたところ、ナマズのよう

な形をした化石が見つかった。国立博物館に持ち込んだが『別の魚だと思います』と言われて諦めていたところ、

10年経って『世界最古のナマズの化石』として認められ、学界でも発表された。メディアでも大々的に取り上

げられ、自治体が動いてこの施設ができたそうだ。

時間がなかったのでゆっくり見ることはできなかったが、また機会があれば訪ねてみたい。

2座のポイントゲットの計画は脆くも崩れてしまったが、500年前の化石から弘法大師、そして戦国時代の話

と短い時間だったが興味の尽きない里山歩きとなった。

言うまでもなく山から下りて急いで帰って、お昼からは奥様のご機嫌取りでこちらの株価も上げて、有意義な一

日となった。

 

 

 


なんだかんだと結局里山歩き

2025年03月08日 | 香川の里山

天気予報ではお昼頃から雨から曇りの予想だった。一応車にザックを載せて雨が止むまで温泉に浸かって、後は

様子を見ながらカメラの練習もかねて花散策と決めて出かけた。

温泉に向かう途中でふと思い出してミツマタ畑を覗いてみると、まだ少しは早くて白玉の蕾のままだった。

 

 

温泉にまったり使った後に施設の外に出るとまだ霧雨のような細かい雨が降っていた。以前から食べてみたかっ

た近くのラーメン。過去に2回臨時休業でフラれてしまってなかなか口にすることができなかったので、3度目

の正直で行ってみるとやっと開いていた。店主が一人でやっているのでコミック本をさらっと1冊読むくらい待

ったけれど、あっさり素朴な味で満足。

そのラーメン屋を出てもまだ少し雨が残っていたので、山歩きのモードから完全に花散策のモードに気持ちを切

り替え、とにかく近くにある花の咲いてそうな場所を巡ってみる。

香川用水記念公園はさすがに人影はなく、花も一番端にある花木園に梅の花が咲いている程度だった。

 

 

 

他には唯一広場の前のモニュメントがパンジーで彩られていた。

 

公園をあとに帰り道にある福成寺に寄り道。讃岐寒桜で有名なお寺の横の水橋池の土手に咲く桜。こちらもあと

もう少しといった感じだろか。

ただいつものメジロは元気に花から花へと飛び移っていた。こんな時はやはり望遠レンズが欲しいな~と、道路

を挟んでお寺の境内から、大きなレンズで撮影している人の姿を見て羨ましく思う。

 

 

 

 

時間はもう15時前。仕方がないので花散策もこれで終わりにしての帰り道、国道の北側に鉄塔の並ぶ背の低い

山が見えた。『たしかWOC登山部で以前に登った竜王山だったかな?』なんて思いながら、『そう言えば登った

時はまだYAMAPを使っていなくて、山頂ポイントはゲットしていなかった』とふと考えた。そう思うと自然

と登山口に向かってハンドルを切っていた。墓地の駐車場に車を停めてスタートする。時間は14時50分。こ

んなに遅くにスタートするのはいまだかつてなかったかもしれない。YAMAPのコース図を見ると綾歌竜王山

から横山、大原まで縦走して折り返して来ても、コースタイムは2時間弱。17時までには、暗くなる前には戻

って来られるだろうとふんでスタートする。登山口には大きな立て看板。

 

 

 

その看板に沿って坂道を登って行くと道の脇に龍王神の鳥居があった。鳥居からは次第に坂道の傾斜が急になっ

てくる。道の横の案内看板には『ゆるやかな坂道が続いている・・・』と書いてあったが、何のことはない意外

と急で息が切れてきた。少し開けた場所からは正面に飯野山がドーンと腰を下ろしている。

 

 

九十九折れの路には所々で丸太のベンチが置かれていて、途中の展望所からは左手に城山・猫山の麓にレオマ。

少し視線を右に移すと頭が雲に隠れた大麻山やその横に善通寺五岳が見えた。

 

 

 

展望所からもくねくねと登って行くと竜王社。その石祠からしばらく歩いて行くと、に阿波竜王山頂 三等三

点 奥川内 255.10m 山頂らしくない周りを木々に囲まれた場所だった。 

 

 

 

竜王山からは雨の後、まだ乾いていない落ち葉の上を一旦下って行くと、大きなずんぐりした形の電波塔の横に

出る。さらに下って行くと今度はノッポの電波塔。その施設のフェンスの横を通ってまっすぐ進んで行くとコー

スから外れてしまう。手前の道の脇に巻かれた赤テープを目印に木々の中へと入って行く。

 

 

 

 

 

樹林帯の中にも赤テープは続いていて、結構な間隔で木の幹にスプレーが吹いてあるが、白色のスプレーが全部

垂れていてあまりきれいではない。赤テープ通りにトラバースしながら進んで行くと尾根に出た。

ここからは横峰古墳群と呼ばれ円墳(2号)と前方後円墳(1・3号)の古墳が尾根上に続いていく。

 

 

 

 

YAMAP上ではこの3号古墳の辺りが横山になっているが、山頂標が見当たらない。遊歩道になっている竜王

と違って、ここまではあまり手が入られてないのかと思いながら周りをウロウロ見渡してみると、3号古墳と

書かれた案内板の後ろの木に山名標が掛けられたいた。

 

 

横山から大原はコースタイム通り直ぐだった。二股になった場所がちょうどYAMAPの地図では大原になって

いたが、ここでもウロウロ探してみても見当たらない。すると二股になる手前の木に巻かれた黄色いテープに矢

印をして大原と書いていた。南からくると二股の左に進んで行くと鉄塔広場になった。ここでは鉄塔の右わきの

木に小さな山名標が掛かってあった。

 

 

 

 

以前にWOC登山部で来た時はここから更に先に進んで崖のような所を登ったような記憶があるのだが、今日は時

間も時間なのでここから折り返して戻って行く。この大原と手前の二股の辺りは何かの保護なのか、ずっとテー

プで囲ってある。二股まで戻って南に歩いていると一ヵ所だけ間違えそうな場所がある。ここでは広い右手では

なく左に進むともと来た道になる。

 

 

 

この尾根はとにかく赤や黄色のテープに白や赤のスプレーと、何もこんなにもと思うくらいの間隔で続いている。

少しまた小粒の雨がちらちらと。速足で横山、竜王山へと戻り今度は急坂の下りとなり、九十九折れのコンクリ

ート道を下って行く。

 

 

 

往路では気が付かなかった鉄塔広場へと脇道を入ると、大きな大きな鉄塔。今まで見てきた四国中央幹線なみの

大きな鉄塔。

 

 

さらに下って行くとその送電線が2列に並んで坂出の番ノ洲に向かって続いていた。高松道を西から高松へ向か

って走っていると目にする鉄塔群だ。

スタートから約1時間30分で駐車場まで戻ってきた。雨は止んで青空にはならなかったが曇りの空の下、せっ

かく温泉でさっぱりしたのに、背中にはしっかり汗を掻いていた。まぁでもこんなお手軽さが里山の良さかもし

れない。

 


牧野博士がこよなく愛したバイカオウレン!

2025年02月26日 | 四国の山

昨年は2月8日に佐川町の牧野公園加茂バイカオウレンを見に奥さんと出かけてきた。今年も楽しみにして

いる奥さんの期待に応えるべく、開花の情報をチェックしていたのだけれど、なかなかいい便りが聞こえてこな

かった。すると20日にアカリプタさんと一緒に香川の山友3人が出かけていた写真を見ると、そこそこ咲いて

いる写真が写っていた。アカリプタさんによると5~6分咲きとの事だったが、写真を見るが限りでは奥さんを

連れ立っても、恐らく満足してもらえるだろうと思って、二人が休みを取れる今日出かけてきた。

但し前日まで高知自動車道の川之江JCから大豊までは雪のため通行止めの情報。ずっと気を揉んでいたけれど

午後にはなんとか解除になり、そのまま今日もタイヤ装着の情報にもなっていなかったのでGO!

途中の立川PA辺りではまだ周りには雪が残っていたけれど、路面の状態は乾いていて問題なかった。

 

 

佐川町に着くと松山街道沿いに5・60台は駐車できそうな無料の駐車に停めて歩き始める。駐車場のすぐ横に

ある四国銀行の佐川支店には数年前に高松でお世話になった支店長が転勤で在籍していたので、中に入って軽く

挨拶をする。突然の訪問にえらく喜んでくれ『春の桜の季節もそれはそれは見事なのでぜひ来てみてください』

と仰った。支店長と分かれた後牧野公園へと土佐鶴の酒蔵が並ぶ風情のある道を歩いて行く。

酒蔵の漆喰の壁には高知県の独特な『水切り瓦』が取り付けられている。高知の激しい風雨から漆喰の壁を守る

役目で、2段3段と付けられているのを他でも見かけることがある。

 

 

酒蔵の横を緩やかな坂道を登って行くと正面に青源寺の石段。その横を過ぎると道沿いに今度は保育園がある。

園内の運動場では園児たちが元気に遊んでいた。保育園の運動場を回り込むようにして続く道。その保育園の

運動場の南端が牧野公園の入り口となる。

 

 

公園の入り口からは坂道が少し急になってくる。するとすぐにベンチの上に牧野博士の愛用の帽子と採取用のカ

バンのオブジェが置いてある。ベンチを過ぎると会議や宴会のできる座敷棟がある。その建物の反対側の花壇に

はいろいろ貴重な山野草が植えられていた。

直ぐに目に飛び込んできたのがセツブンソウ。春の訪れとともに咲く小さな可愛らしい花だが、私たちの前に大

きなカメラで熱心に写真を撮る男性の姿があった。白く和紙のように見えるのは実は花びらではなく萼片だそう

だ。その萼片に守られるように中にある黄色い部分が花びらで、さらに中の青紫色の葯が雄しべで薄紫色の突き

出た部分が雌しべだそうだ。やっぱり花って難しい!

 

 

 

 

座敷棟からくねくねとした坂道を登って行くと、道の脇には植えられた植物の名前が書かれたネームがあちこち

に挿されているが、いまはほぼどの植物も枯れて花も咲いてはいない。すると道の少し下に白い球状の実のよう

なものが見えた。近づいて見るとミツマタだった。

 

 

他にも公園の道沿いにはいろいろな種類の桜が植えられていて、花が咲いた時は見ごたえがありそうだ。今日は

ウォーキングも兼ねての花散策。公園の頂上まで一応歩いて登り、頂上から下って行くと、今度はこれも春を告

げる花、福寿草が咲いていた。ただ寒さのせいか日当たりのせいか、まだ花は開いてはいなかった。

 

 

福寿草の咲く場所から少し下るとバイカオウレンが咲いている。ヒノキの林床に小さな小さな花が一面咲いてい

た。でも花が小さすぎてきれいにピントが合わない。先週加茂のバイカオウレンを見に来ていたアカリプタさん

カマタマさんの写真を見ると、羨ましいドンピシャちゃんとピントが合っている。今度ご一緒した時に教えを

乞うことにする。

 

 

 

 

バイカオウレンの写真を奥さんも熱心に採っている。最近のスマホはほんときれいに撮れるので、びっくりする。

最近まで古いスマホを使っていた奥さんも、新しいスマホに買い替えてからは、きれいに撮れるので満足げだ。

バイカオウレンの咲く森からすぐ横の牧野博士のお墓に手を合わせ、また座敷棟まで降りてその横のトイレで用

を済ますと、トイレの横でカメラを構えた男性がいた。

近くによって見てみるとユキワリイチゲの花が咲いていた。早春の風が吹くと花が咲くと云われる風の花。この

花も他の花と同じでスプリング・エフェメラル(春の妖精)だ。

 

 

 

公園を出て保育所の横まで来ると、行きには全く気付かなかったが道の反対側にもユキワリイチゲが咲いていた。

 

 

牧野公園で春の妖精たちを見た後は、いよいよ加茂バイカオウレンへ。その途中でお昼ご飯。昨年立ち寄った

おばあちゃんと息子さんが営んでいた『まる美食堂』に今年もと思っていたが、朝その前を通った時に定休日の

看板が上がっていた。仕方がないのでまきのさんの道の駅にある西村商店へ!

以前に西の奥様たちと高知市内の本店に寄ったことがあるが、このお店はとにかく定食のメニューが豊富で、いつ

も大勢の人で賑わっている。

 

 

 

ご飯とお味噌汁のおかわり自由ですと店員さんに言われて、魚の出汁が効いた味噌汁が美味しくておかわり。つ

いでにご飯もと欲張ったらお腹がパンパン!そんな膨れたお腹を抱えていざ加茂のバイカオウレンの里へ!

昨年同様集落活動センター加茂の里に車を停める。週末の混雑を避けて平日にしたのだけれど、予想通りすんな

りと車を停められた。受付で入園料を払うとボランティアのおじさんおばさんが『初めてですか?』と聞いてき

た。『昨年も来ました』と言うと、『それじゃ道順は分かるわね』『去年よりは随分咲くのが遅くて、花も小さ

いような感じがする』と教えてくれた。センターの前の道路を渡り踏切を渡って民家の間を山の中へと入って行

く。脇の畑に季節外れの稲わら立て。藁で囲って霜などから野菜を守っているのだろうか?

 

 

山の中のコンクリート道を歩いて行く、奥さんにとっては結構な急坂だ。後ろから息を切らせて歩いてきている。

すると道の脇に切株をチェーンソーで作ったチェーンソーアートが置かれていた。

『去年、こんなのあったかな?』と奥さん。色褪せ具合から今年の作品ではないようだ。

 

 

 

急坂が終わり緩やかな下り坂になると横断幕がかかったバイカオウレンの森の入り口が見える。

横断幕の手前から一方通行になった道へと入って行く。

 

 

ヒノキの林床に白玉のようなバイカオウレンが散りばめられている。やはり気持ち昨年よりはまだ咲いている数

が少ないように見えた。近づいて見ると数センチの短い茎に白い花をつけている。この花もセツブンソと同じ

く、白い花びらに見えるのは萼片で、花びらは黄色い小さな部分だそうだ。

 

 

 

この場所は林床が平らではなく、大海原の波のようにうねり変化があり、その中で緑の苔とバイカオウレンの白、

そしてこもれびを受けた木々の陰影が何とも言えない雰囲気のある気持ちのいい空間だ。

それにしても昨年よりはうまく写真を撮ろうと思ってきたけれど、腕が悪くて思ったような写真が全く撮れない。

写真の難しさをほとほと感じる。

 

 

 

バイカオウレンを堪能した後はその先にある苔庭に。ここにはチェーンソーアートの森の住人と小さな小物が苔

が敷き詰められた林の中に置かれていた。こういったものは女性はお好きなようで奥さんも嬉しそうに写真を撮

っていた。

 

 

 

 

 

加茂のバイカオウレン鑑賞の後は帰り道にある芋屋金次郎でジャージー牛乳とムラサキ芋のミックスソフトを頂

く。その後市内に入って最近知った山中賞で有名になったTUTAYA中万々店に訪問。山中賞といえば毎年二

回、四国最大級の書店、TUTAYA中万々店のカリスマ書店員、山中由貴さんが、半年に一番おもしろかった、

どうしても読んでもらいたい本を選んだ賞でその知名度と注目度は全国クラス。興味を持ったのはその山中賞に

最近読んだ芥川賞の受賞作品の『バリ山行』が選ばれていたからだ。バリとはバリエーションルートの略で、普

通の登山道から外れて歩く社内の先輩に主人公が惹かれていく話で、時々藪コキして歩く人間にとっては身をも

って理解できる状況や心情を、楽しく読めた作品だった。

店内は広々としていて、その中で色々工夫したPOPやコーナーがあって賑やかで楽し気な空間だった。特に『

この店で一冊も売れていない作品を買ってください!』というコーナーは思わず噴き出した。

 

 

受賞作品には手書きでフリーペーパーを作って店内で配っていた。バリ山行は手元にあるので違う受賞作品を買

って店を出た。

最後ははるのの湯でほっこり。今年の春も花めぐりで私の株価をどんどん上げていく予定なのだ!

 

 

 


幸せになりたくて、幸山・福山へ!

2025年02月22日 | 四国外の山

 

前日急に用事が入ってスケジュールを入れ替え、さてさてどこに出かけようかと考えていたら、YAMAPに

『さゆさゆさん』が、岡山の総社市の南にある幸山・福山を歩いた活動日記をアップしていた。そこには大きな

大きな岩の上に立つ写真が載っていた。その巨岩は幸山福山の間にあるらしい。そして色々調べてみると、こ

の二つの山を一度に登ると幸福となると誰かが書いていた。さらに調べてみると近くにある他の三座を含めて、

周回している人がいた。『よ~しこれだ!二つの山を歩いて幸せになるぞ!』そう思って出かけてきた。

 

スタート地点は『清音ふるさとふれあい広場』の駐車場。車を停めた駐車場の横のテニスコートでは、朝早くか

ら結構年配の方が賑やかにテニスをしていた。ただし車のメーターに映された外気温は零度ちょうどだった!

公園の中、グランドゴルフ場や広場の横を通って山際まで歩いて行くと『福山を歩こう』と書かれた地図と案内

板が建っていた。その横の池には氷が張っていた。

 

 

 

遊歩道の入り口から階段をひと登りするとまた大きな案内板。そこには『幸山から福山へ、幸福の小路』と書か

れていた。そうこんな時は案内板をしっかりと確認するべきなのだが、最初の一座目は福山の西側にある軽部山

と決めていたので、キャッチフレーズも見ずに適当に案内板を眺めて、そこから一旦南に向かって下って行く。

急な坂道を下り山の中から集落の中を適当に県道に向かって歩いて行く。

 

 

県道469号線に出ると倉敷方面、浅原峠に向かって坂道を歩道の上を歩いて行く。途中歩道の横の広場のよう

な場所に何台もの車が停まっていた。なかには車からザックを下ろして担ぐ人の姿があった。YAMAPには

の横道南コース登山口となっている。その駐車場からしばらく登って峠の手前で歩道の脇にチェーンがかかった

進入路がある。その進入路を山に向かって登って行くと舗装が途切れるので、その場所の右側が軽部山への取り

付きになる。

 

 

 

取り付きからは落ち葉かたっぷり積もった道を、木の幹に巻かれた赤テープを目印にしながら登って行くと15

分ほどで軽部山に着いた。周りは木々に囲まれて見晴らしはないが、二等三角点 黒田 244.05mが足元に

あった。先ほどの登山口駐車場に停まっていた車の台数はかなりの数だったが、地元の人はこちらに来る人はあ

まりいないように感じた。

 

 

山頂から折り返して県道まで戻る。この県道は総社市から倉敷市に抜ける道なのか、けっこう車が走って行く。

峠から歩道の反対側に渡って山へと入って行く。すると右側には広々とした霊園。GoogleMapには浅原霊園とな

っている。Mapではポイントを押さえると概要が横に出てくるが、その中には24時間営業と掲載されていた。

確かに年中無休・24時間営業なのだが・・・・。(笑)

 

 

墓地の上をその奥の市街地を眺めながら登って行くと登山道になる。道の脇には先ほど見たのと同じような案内

板やベンチが置いてある。YAMAPの地図もこの案内板でもいろいろなコースがあって、特にYAMAPの地

図には福山を中心に縦横無尽にルートが設定されている。香川の里山でもこれだけルートがある山はなかなか無

い。(無理やりルートを造っている里山はあるが、正式な登山道として)それだけに地元の人に愛されている山

なのだろう。

 

 

歩く人が多いせいか軽部山と違って、道の落ち葉も踏み分けられていてちゃんと地面が現れている。ただ先ほど

軽部山でも見かけた小さな杭が道の真ん中に続いていて、軽部山では落ち葉に隠れて何度もつまずきそうにな

った。町境でもなさそうなのに何の杭なのか?

 

 

 

逆に『文部省』と彫られた大きな杭は倒れてしまって、道の脇の木に括りつけられていた。福山山頂からすると

南側になるのだが、何故か『西16』と書かれたプレートが木に打ち付けられている。この先でも何カ所か同じ

ようなプレートをこの先も見かける。(オリエンテーリング?)

 

 

地形図に福山城跡と書かれた場所で、登山道から少し脇に入って行くと展望所になっていた。ここまで来るとさ

すがに上着を脱がないと汗を掻いて暑い。遠くには水島のコンビナートの煙が見える。

ベンチに腰掛け上着を脱いで、水分補給をしていると女性が一人やってきた。地元の方らしいので、この後の

から和霊山・由加山までの様子を聞いてみた。道は福山から下って行く感じで、残りの二つの山は眺望がない

との事。

 

 

 

福山城跡の展望所から山頂は直ぐだった。色々と石碑が建つ中を歩いて行くと、段々になった山城跡らしい山頂

ではベンチが置かれて、何組かの人たちが腰掛け休んでいた。南に開けた場所のベンチでは老夫婦が景色を眺め

ながらのんびりと何か話をしていた。

南には倉敷の市街地。少し視線を東に振ると岡山の市内が見渡せた。

 

 

 

 

広々とした広場になった山頂にも大きな石碑が点在している。神社の跡だろうか1対の狛犬が向かい合って並ん

でいた。その先はまた展望が開けていて、今度は総社市の市街地を見渡すことができた。

 

 

 

 

展望所の横の東屋には時計が掛けられ、テーブルを囲んでベンチが並んでいる。地元の人たちがこの場所でお茶

やお菓子を広げて寛いでいる姿が目に浮かんでくる。これだけの眺望だと山城のロケーションとしてはバツグン

だろう。自撮りで写真を撮った後、次の和霊山へと歩いて行く。

 

 

 

 

広場の先に『野口 健』さんの名前を書いた杭。そこには総社市観光大使と書かれていた。野口さんと総社市の

関りは分からないが、平成21年から市内の小学校で毎年『環境学校』を開催して、環境についての講演や清掃

活動、そして実際に里山登山を行っているらしい。

山頂広場を過ぎると先ほどの展望所で話した女性に教えてもらった通り下りになって行く。

 

坂道を下りきると参道のような場所に出た。石柱の奥には屋根瓦が見えた。

愛媛の宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとされる神社だが、拝殿の横には絵馬殿を兼ねた城壁のような神門。そ

の下には参道の石段が続いていた。

 

 

 

神門をくぐると拝殿までの廻廊がある。山中に合って、こじんまりとはしているが格式を感じられる神社だ。

 

 

 

和霊山は拝殿の東奥が取り付きになっていた。ピンクのテープがなかったら分かりにくい場所だった。その取り

つきから少し歩くと和霊山。周りは木々に囲まれてピークらしくなく、山名札がなければ通り過ぎてしまいそう

な場所だった。

 

 

和霊山からもしばらくは下り坂が続く。陽だまりの気持ちのいい竹林を過ぎ、さらに歩いて行くと可愛らしく飾

られた山名札のかかった由加山に着いた。山の中にある木の枝や石をオブジェにして飾っている。そう言えば同

じような感じのものが三頭山にも飾ってあったな。

 

 

 

その横には手作りの木箱の中には、女の子が大切にしまっているような小物?が置かれていた。ここまで途中の

道はあまり歩かれていない様子だったが、この場所を大切に思っている人がいるのだろう。

 

 

 

時間はもう少しで12時。そろそろお腹が空いてきたが、ここや和霊山よりはせっかくなら眺望のいい福山まで

戻ってお昼にしたい。写真を撮った後すぐに折り返す。

福山和霊神社との間の鞍部まで戻ると、道は西に向かって二手に分かれていた。その一方の道標に猿田彦神社

と書かれていたので、その左側の道に歩いて行く。

すると青年が前から歩いてきた。下から登ってきたが福山への道が分からないと言うので、YAMAPの地図を

見ながら、『猿田彦神社から道がつづいているようですよ』と教えてあげる。

森の中にひっそりと佇む拝殿と奥社。その左奥に福山山頂への石段が続いていた。

 

 

 

ここにも石にペイントした可愛らしいオブジェが置いてあった。

 

 

石段を登り山頂に着くと先ほどいた老夫婦の姿はなく、同じベンチに腰掛けカップ麺にお湯を注いでお昼にする。

カップ麺を食べた後ずっと気になっていた場所を探しに歩いていると、またさっきの青年が前から歩いてきた。

『すみません、1234段の階段はどこにあるか知ってますか?』と今度は私が質問すると、丁寧にその場所ま

で案内してくれた。その1234段の階段は山頂北側の総社市が見える展望所の横にあった。

地形図には西に向かって続いていたので、こちら側(北側)にあるとは思わず探し回っていた。

1234段といえば金毘羅さんの本宮までの石段より多く、奥社までの石段1368段より少し少ないくらいの

段数だ。青年によるとやはり段数が多くてこちらから登ってくる人は少ないそうだ。

 

 

青年にお礼を言って別れた後、今日のメインディシュの巨岩のある幸山へと向かう。山頂広場から和霊山への道

を少し歩くと妙見展望台と書かれた道標が建っていた。その道標のある分岐から北に向かって下って行くと東屋

のある妙見展望台。東屋の下では年配の男性と女性が休憩していた。挨拶をしたあと、今日のここまでのルート

を話をして最後にこれから幸山に行くつもりだと話をすると、『ほんとうは幸山から福山へと歩くと幸福になる

んだよ!』と。ガ~~~ン!そう言えばたしかスタート地点にあった案内板にも『幸山から福山へ・幸福の径』

と書いてあった。(T_T)/~~~

 

 

 

 

そうか『幸福ではなくて福幸になってしまったのか』と思いながら眺望を眺めていると、男性が東屋の前で見下

ろし指さしながら幸山の場所を教えてくれた。今度は女性の方が『この下に大きな八畳岩があるわよ!』と教え

てくれるので、『ハイ、それを目当てに今日は来ました』と返事をする。

妙見展望台から年配の二人と分かれてさらに下って行くと、岩の上にまた小さなオブジェ。カエルを模した竹で

作られたオブジェはまるで『無事に帰りなさいね!』と言っているようだ。

無事カエルからシダの道を降りて行くと目の前に写真で見た巨岩が現れた。

 

 

 

その巨岩の上には三重の石塔が載っている。この大きな岩の上まで梯子でもかけて持ち上げたのだろうか?また

ここまで運んでくるのも大変だっただろうに。三重の石塔の岩の下が八畳岩になっていた。この岩と同じように

平らになった岩を八畳岩と呼んでいるのがあちらこちらにある。どこの岩も八畳岩と呼ばれて、けっして六畳岩

と名付けられている岩はない。広さ的にも六畳よりも八畳の方が広く感じるし、八という数字が縁起がいいから

だろうか?ただ先月登った小豆島の千畳岩はちょっと誇大過ぎた。

 

 

 

 

その八畳岩に腰掛けて麓に見える景色を眺めていると、田園風景の奥に備中国分寺の五重塔が見えた。たしか

WOC登山部が昨日訪れていた場所だ。この八畳岩とその上の大岩との間が挟み岩と呼ばれる岩があった。

どこからか転げてきたように見える岩が、巨岩と巨岩の間に挟まってここで留まっているように見える。

 

 

さらにその下にも八畳岩より少しだけ小ぶりな岩があった。どうやら八畳岩は三段になっている?

その岩の端はダイダイコケが付いてオレンジ色になっている。ただ小ぶりと思ったこの岩も回り込んで下まで降

りてみるととんでもなく大きな岩だった。

 

 

 

岩には毘沙門天磨崖仏が刻まれていた。そしてその足元には石仏が並んでいた。今日のルート福山山頂や和霊神

、そしてこの場所もきれいに掃き整っていて、日ごろから熱心に清掃をする人たちがいるのだろう。

 

 

 

八畳岩からさらに下って行くと幸山に着いた。この山も三方が絶壁で守りやすく攻めにくい天然の要塞となって

いて条件のいい山城となっていた。

 

 

 

城跡は山頂札のさらに下にあった。山頂と共に広場となった場所には幸山城跡と彫られた石柱が建っている。そ

の足もとにはまた今度は石の猫。

 

 

 

この城跡も山城らしく眺望が開けていて、正面には鬼ノ城、そして先ほども見えた国分寺の五重塔も見える。

500年近く前にこの城の城主も同じ景色を眺めていたのだろうか?

 

 

展望ヶ所から少し左に移動すると車を停めたふれあい広場が見えた。城跡から幸山へ、さらに先まで戻って下っ

て行く。登山道はよく整備されていて、分岐分岐には道標が建っている。平日にも関わらずそして薄氷が張るほ

ど寒い中でも、結構な人が歩いている総社を代表する里山。一番高い福山でも僅か300mほどの標高だったが

所々で眺望が開けていて、道々も変化があって楽しい楽しい里山歩きができた。

 

 


西行法師の歩いた鎌ノ刃越から前山へ!

2025年02月13日 | 香川の里山

崇徳上皇と歌を通して親交があった西行は、保元の乱に敗れ、讃岐の地に配流された上皇のことを気にかけてい

ましたが、生前に訪れることはできず、崇徳上皇が崩御されて3年後、坂出市の王越に上陸し鎌ノ刃峠を越え、そ

の南にある経ノ田尾峠を越えて白峯御陵を詣でたとされている。

その白峰御陵で世を恨んで怨霊と化した崇徳上皇に西行法師は『よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は

何にかはせん』と詠んでその怒りを鎮めたそうだ。

今日は丁度一年前に歩いたその鎌ノ刃峠から西の稜線上にある前山を、WOC登山部のメンバーと再訪した。

 

スタートはその鎌ノ刃峠の麓にある厳島神社。桜の古木の並ぶ参道の鳥居を潜って坂道を登って行くと神社の駐

車場。先週とほぼ同じメンバーとひなちゃんで、まずは朱色の柱や梁と銅板の緑青の屋根が立派な社殿の厳島神

に参拝する。

 

その後境内から石段を降り、城壁を思わすような背の高い石垣の横を通ってコンクリート道を登って行く。昨年

来た時にはまだ工事中だった松ケ浦池の工事は完了して、きれいな堤体ができていた。道の脇には水仙が咲き、

ミニ霊場の石仏が並んでいた。

 

 

 

コンクリート道が九十九折れになってくると次第に傾斜が急になってい来る。すると里山あるあるの、ワイヤー

メッシュを立てて並べた猪避けの柵が道を塞いでいた。どこの柵もゲート部分が紐で括って開かないようにして

いるのだが、ここのゲートはその鉄筋を加工して引掛けているだけで開けやすくなっていた。

 

大屋冨揚水場の施設の横を通りさらに登って行くと、安山岩の露岩が道の横にも表れ、正面には大屋冨のロック

クライミン場として使われている大岩壁が近づいてくる。その岩壁をよくよく見ると先般小豆島の吉田の岩場で

も見かけたダイダイゴケの一種で、岩壁の所々がオレンジ色に見える。

 

 

 

何度か九十九に折れて標高を上げていくと、何度目かの曲がりぱなに右に続く道がある。前回興味本位でその道

を進んで行くとロッククライミング場の岩壁の足元に着いた。その話をしていたので当然西の奥様は躊躇なくそ

の道の奥へと歩いて行く。

すると目の前に練習場のコテージ風の小屋が現れる。小屋の壁には『しわく山の会 オレンジヒュッテ』と書い

た表札?がかかっていた。

 

岩壁にはルートごとに名前が付けられていて、何通りもルートがあるようでボルトが打ち込まれている。小豆島

の岩壁と比べると凹凸があって登りやすそうだったが、もちろん素人には手に負えない。

ただ西の奥様がそれで黙って指をくわえているだけで済むわけはなく、一応登った風で奥様がポーズを決め込む。

 

 

 

石鎚の東陵でお会いした紙ふうせんさんもここで練習していたのをYAMAPにアップしていたが、日曜日とか

だと練習をしている人の姿もありそうなので、一度は実際に登っている様子を見てみたいものだ。

写真を撮ったあとひなちゃんとやっさんの待つヘアピンカーブまで戻る。そのカーブの道の下には目を疑うよう

な大量の不法投棄。その先には何十年も前の古い車も捨てられていた。

 

 

コンクリート道が稜線に出ると西に向かって道は続いていたが、反対に山道に入って行くと北側に大きなお地蔵

さんが祭られていた。実際の峠はここからさらに東に行った場所なのだが、ここでコンクリート道へと引き返す。

道標に書かれた壇の峯が前山で笹原の峯が五色台の休暇村の辺りにあるようだ。

 

 

コンクリート道を西に進んで、テープを目印に尾根へと取り付く。海岸沿いの山では表土が少なくても乾燥に強

いウバメガシが多いが、そのウバメガシの林の尾根を登って行くと次第に露岩が現れ、その先では平らなテーブ

ル尾根になった。

先週歩いた城山も同様のメサ地形で、山頂付近は讃岐岩質安山岩の崖で覆われ麓に近いほど傾斜が緩やかになり、

ミカンの栽培地として利用されている。

 

 

 

山頂付近は広く平らになっていて、山名標がなければ山頂だとはまず分からない。337mの標高は同じメサ地

形の屋島より少し高い。気温は先週と比べてさほど変わらないが、とにかく風がほとんどないので体感温度が随

分と違う。

 

 

記念撮影のあとは踏み跡の薄い広い尾根の樹林帯の中を、テープを目印に木々間を右に左にと避けながら西に向

かって行く。

 

 

 

すると尾根の右側に一つ目のパラグライダー場に出た。麓には西行法師が船で着いた王越の乃生の湾。その横に

おむずび山ぽい王越山が見える。その王越山の肩に小槌島、その沖には大槌島が見える。なんとWOC登山部では

その大槌島にチャーターの船で上陸して三角点を踏んでいる。ただそれも誰が言い出しっぺかは想像がつく。沿

岸部の里山はこんな景色が眺められるのがいい。全員でそんな景色に感心しているとやっさんが『飛んでみて』

と声をかけると、あっちゃん2号が手を広げたが、残念ただのラジオ体操に見える。

 

 

 

 

パラグライダー場の後ろには先週と同じように木にロープをぶら下げてブランコ?を造っていた。そのブランコ

にぶら下がろうとするあっちゃん1号を『ダメダメ枝が折れると!』全員が制止する。油断も隙もあったもんじ

ゃない。

 

一つ目のパラグライダー場からは次のパラグライダー場との間に、荷物の運搬用のモノレールが造られている。

その途中にはクレオパトラの横顔岩。(スフィンクスの横顔?)

 

 

この辺りから雪がちらつき始めた。天気予報では昼から崩れそうだったので、集合時間を1時間早くしたのだが、

気の早い雪雲がいたようだ。二つ目のパラグライダー場は先ほどと反対の尾根の西側に開けていた。

昨年はここから中讃方面の里山が見えたが、生憎の空模様で遠くの山は望めない。

 

 

 

 

ここでもやっさんが『飛んでみて!』と言うと、今度はあっちゃん1号が手を広げて走り始めたが、チョコプラ

のTT兄弟にしか見えない。

 

 

ここで雪が本降りになってきたので、ザックカバーを付けて歩き始める。尾根の地道はこの先の227m標高点

のピークの手前まで続いている。今日の山道は鎌ノ刃峠から一つ目のハンググライダー場辺りまでで、あとはほ

ぼ下道歩き。前を歩く奥様たちは途中にあるお地蔵さまに気づく様子もなくお話に夢中で歩いている。

 

 

 

標高点の手前では東西に降りる道と北に向かう道の交差点になっていた。ここでひなちゃんが『以前に来た時に

ここから北に向かって歩いて藪の中になって前山にたどり着けなかった』と言っている。さっきの前山は樹林帯

の中だったが決して藪ではなかった。それをしきりに藪だったはずと言っている訳が分った。全く逆の方向に歩

いていたようだ。交差点の横では家畜を飼っていたのだろうか、柵で囲まれた廃屋が一軒残っていた。

 

尾根の交差点からはコンクリート道になる。ここでも車で登って来られるので、違法投棄が目立った。何なら大

きな冷蔵庫まで捨ててある。

 

 

コンクリート道が尾根まで続いているという事は、以前はミカン畑もあったのだろう。その面影に石垣が尾根近

くにも残っている。そして使われていな錆びたモノレールも・・・・。

 

 

 

コンクリート道を下るにつれて空が明るくなってきた。前回パラグライダー場から見えた景色と同じくらい遠く

の里山も見え始めた。先週歩いた城山から続く郷師山・金山・常山。その横に背の低い笠山角山・聖通寺山

そしてその真ん中に一番背の高い飯野山。坂出の里山がほぼ見渡せる。

 

 

 

道の傍らにモノレールの荷車。随分前からずっとミカン畑や山間部の急斜面に造られたモノレールに乗ってみた

いとあこがれていた。つるぎ町の一宇の十家の集落には道路はなく、このモノレールが唯一の交通手段だった。

国道横のモノレール駅の横を通るたびに、急斜面をトコトコと登って行く姿を想像してほのぼのしたものを感じ

ていた。

 

 

こちら側のコンクリート道にも猪避けの柵があった。こちらは登りの時と違っていつもの紐でゲートが括られて

いた。その先の猪捕獲の檻になぜかタヌキの死体が横たわっていた。檻の扉は開いているのになぜ中で死んでい

るのか。毒でももられていたかな?二週続けてキツネとタヌキ。ひょっとして化かされているのかも。

 

 

空はますます明るくなってきて、瀬戸大橋もくっきり見え始めた。集合時間を1時間早めたのが返って仇になっ

たかな。朝の弱い西の奥様には恨まれそうだ。

ミカン畑を抜け県道に降りる手前に相模防大権現。白峰時の鎮守とする日本八天狗の一狗である相模坊がこの場

所にも祭られている。

 

 

 

 

相模坊大権現から県道に降り、車を停めた厳島神社へと歩いて行く。途中には広大な畑に作付けをしているビニ

ールハウスがあった。かつて瀬戸内の沿岸部では塩田が広がっていた一方で、瀬戸内式気候で年間の降水量が全

国平均の2/3程度で度々水不足に悩まされてきた。そんな香川県坂出市の沿岸部に転機が訪れたのは昭和40年代

後半の頃。塩作りの方法がイオン交換膜を用いる方法に切り替わり、塩田の一部は製塩工場などの工場用地に生ま

れ変わったほか、時を同じくして香川用水が通水し、塩田への客土によってその一部は農地に劇的な転換を果たす。

その農地の遊休農地を含む何百という圃場を近隣の農家さんから借りて「大」小作人になることで、何十haもの面

積を耕作することが可能となったそうだ。同じように規模拡大を進める近隣の農園と力を合わせ、販売、栽培、そ

の他色々なことに工夫して一年を通して田畑を耕してのが大屋冨町の木下農園グループだ。

 

 

背の低いビニールハウスの中には大根が植えられていた。『ビニールハウスで大根を作っているのを初めて見た

わ』と奥様たち。そんなビニールハウスを見ながら集落の中を歩いて行くと厳島神社に着いた。

今日は時間的に早いのと天気がイマイチなので、お弁当ではなくお店でランチにしましょうと案内していたので、

駐車場からWOC登山部の山さん行きつけのお店に移動。

ほとんど下道歩きで楽々だった今日のランチにしては完全にカロリーオーバー。分かっているけど美味しそうな

メニューを前に注文してしまって、お腹の浮き輪は減らない自業自得の半日だった。

 

 


最強寒波だ、不動の滝の氷瀑だ!

2025年02月06日 | 香川の里山

テレビの天気予報のコーナーでは気象予報士がしきりに『今週は日本列島が今シーズン最強寒波に覆われます!

』と天気図を指さしながら説明していた。

それならと、坂出の城山不動の滝がひょっとして凍ってないかと思って、予定していた別の里山を変更してW

OC登山部のFBに案内してみた。ルートはYAMAPのからちゃんさんの周回ルートを参考にして西庄の別宮神

を起点としてみた。集合場所の国道11号線の西庄高架下には男性3名、女性3名の6名が今回集まった。

高架下の日陰ではさすがに寒すぎるので、挨拶もそこそこに直ぐにスタートする。

 

 

国道の側道から歩道へと進み、高松カントリーの大きな看板から不動の滝登山口の矢印に沿って山の中へと入っ

て行く。その入り口の歩道にはなぜかバナナの皮が散らばっていた。日が経って古いのもあれば真新しいのもあ

る。『おサルさんがここで一服してるんやろか?』と冗談を言ったが、誰かがここで散歩途中で毎回捨てている

のだろうか、それともバナナの皮で滑って転ぶ人がいないかと、愉快犯の仕業か!

 

 

 

国道から地道に入ると『里山整備中』の看板。最近どこの山でも地元の人が色々と里山に手を入れているのを見

かける事が多い。特に三豊市辺りの里山は山頂付近は眺望確保のために木々が伐採され、所によっては山頂から

の眺望を写真に写して、その写真に山名を書き込んでパネルにしている山もあって、まるで観光地の様相だ。

果たしてそれがいいのかどうか?疑問に思うが、この道はどうなっているのだろう、なんて思いながら歩いて行

くと車が一台停まっていた。車は2~3台なんとか停められるスペースがある。ここからが登山道になる。

 

登山道は場所によっては土嚢袋を置いて階段状にして歩きやすくしているが、手すり用に張られたロープが道を

横断していて、何度も跨いで行かなければならない。その内に目の前に巨大な砂防ダムが現れる。

 

 

ダムの突堤の横まで登ると沢沿いの道になる。その沢からは水の流れる音が聞こえている。するとあっちゃん

『あれ~けっこう水が流れているわね!』と一言。たしかに聞こえてくる水の音からして結構な水量だ。果たし

不動の滝は凍っているのか?気になり始めた。

取りあえず『案内に書いたように、凍っていなくても免責で!』と言い訳をする。

 

 

 

 

ベンチが二つ置かれた場所からはさらに道の傾斜が急になってきた。そして例のロープも続いていて、それを跨

いだり潜ったり。先ほどのあっちゃんの言葉がどんどん重くのしかかってくる。『ひょっとしたらツララが1本

くらいはあるかもしれません』と再度言い訳してみる。

するとツルツル凍った足元の岩が目に飛び込んできた。『ヌ・ヌ・ヌ~これは期待できるかも』と少し目の前が

明るくなってきた。

 

 

 

 

 

そうなると足取りも軽くなりどんどん登って行くと、城壁を思わすような皇寺奥の院の摩尼珠院の石積みが見え

ると先頭を歩くルリちゃんが、『白く見えるのは水の流れでなくて凍っているのよね!』と言っている。

『多分凍っているんだと思いますよ!』と答えながら期待感がどんどん膨らんでいく。

 

 

弘法大師修行の際、岩壁に不動の像を刻んだことから不動の滝と名付けられたと謂れている。その謂れと弘法大

師が摩尼珠院を創設したという事で、弘法大師像とその後昭和八年にこの不動の滝を開いたという塩田芳一師

像が滝の横に祭られていた。

 

 

不動の滝は完全氷結とはいかないが、段々になった岩壁から溢れた水が凍り、何十・何百本のツララとなり凍っ

た姿を我々に見せてくれた。滝の横では駐車場に停まっていた車の持ち主だろうか、大きなカメラを抱えて熱心

に凍った不動の滝を写していた。

 

 

 

 

滝の脇には緑の目をした不動明王が鎮座していて、訪れる人を見下ろしている。

 

 

 

ひとしきり不動の滝を眺めた後は山頂へと登って行く。滝の前に架かる赤い橋を渡り、水口・城門と書かれた案

内板に沿って登って行くと、メサ地形の特徴の頂部付近の露出した安山岩の岩壁は、屋島の冠ケ嶽でも見られる

巨大な岩壁。その下をトラバースしながら高度を上げていく。

 

 

巨岩の前で折り返してさらに登って行くと滝へと流れ込む沢沿いの道になる。途中で綾北展望台の案内板が木の

枝に掛けられていて、前回WOC登山部で来た時はその案内板に沿って左に沢へと降りて行ったが、今日はそのま

ま沢沿いを直進する初めて歩く道。

すると前の方から何やら声がした。近づいて行くとWOC登山部のメンバーのさおりんとゆかりんだった。

話を聞いてみると今日は垂水町の寅食堂でランチの予約をしていて、それまでに歩ける場所という事で山の上に

車を停めて不動の滝へ降りて行く途中だそうだ。

 

 

 

二人と分かれて沢沿いの道を歩いて行く。道の脇には登山口の看板に書いていた城山里山の会の人たちが置いた

のかベンチが並んでいる。坂出市内にあってこの沢沿いの素敵な景色はなかなか無い。この時期は別にして、ベ

ンチに腰掛けコーヒーでも飲みながら流れる水を眺めるのもいいかもしれない。

 

沢沿いの道は何度か右に左に渡渉する。すでに周りは高松カントリーのゴルフ場の中なのか、ゴルフ場のコース

の間に架かる橋が頭上に見える。

 

 

 

 

沢沿いの道を抜けるとスズタケが刈られた道になる。道の脇にはため池。道にはゴルフ場から飛んできたゴルフ

ボールが目立ち始める。

 

 

 

スズタケ原を抜けると一旦舗装路に出た。白いゲートの脇を抜けると民家や施設の建物がある小さな集落になる。

ここで少し寄道。からちゃんさんが活動日記に書いていた西庄小学校の分校跡を見てみたいと思い、二股になっ

た道の左奥へ歩いて行く。すると突き当りはただの民家で人の住む気配はなかった。

諦め戻って行く途中に山側にある廃屋の横にブランコがあるのをルリちゃんが見つけた。鉄製のブランコは運動

場によくあるブランコ。するとその横の廃屋が分校という事になるが、もうすでに木々に囲まれ埋もれてしまっ

ていた。

 

 

分校跡から二股まで戻り左に舗装路を進んで行く。ポツポツと建つ民家や鶏舎のような建物の横を通り、ゴルフ

場のコースを横目に見ながらさらに進んでい行くと県道に出た。

 

 

 

県道の脇にはどでかいアメ車のカマロが捨てられている。その横に『頂上へ登り口』と書かれた道標が木の枝に

掛けられていた。舗装路から道標に従ってまた登山道へと入って行く。

 

 

先ほど見えたゴルフ場のコースを左に見ながら登って行くと、1メートルほどの高さの石塁が目の前に現れた。

城山は名前のとおり古代の山城のあった場所で、山上の平坦部から急斜面に変換する地点にこの石塁と土塁が二

重に巡らされているらしい。

この石塁は上側の車道で分担されているが、車道から斜め上にも続いていた。

車道からからちゃんさんのルート通りに山側に入って行くと、途中から少し藪っぽくなったがここは素直に車道

を歩いた方が良かった。スズタケをかき分け再び車道に出て、あとは道なりに歩いて行くと山頂広場に着いた。

 

 

いつ来てもこの山頂からの眺望は素晴らしい!強風のお陰で空気が澄んで、北側の瀬戸大橋がいつになくくっき

りと見える。南には高松市内、綾川・綾歌の里山が一望できる。南側は雪雲のせいで霞んではいるが、特に目の

前の十瓶山、少し東の六ツ目山・伽藍山・挟箱山のおむすびさん兄弟。そして西に見える堤山・高鉢山岐七

富士など香川の里山らしい特徴的なきれいなおむすび山が一度に眺められる。

 

 

 

 

それにしても風が強い。強風と言うより爆風と言った感じで油断すると足元がグラつく。展望台の中の階段に避

難してお昼ご飯にする。強風のお陰でさっきまで陽が当たっていたと思ったら、入れ替わり立ち代わり直ぐに雪

雲が流れて来て、度々雪が降り始める。

 

 

 

手袋を脱ぐと手が凍えて痛い。今日はこのところ過食ので体重が増えてしまったので、お昼ご飯は食べずに行動

食だけで済ましたが、この寒さのお陰で食欲も全く沸かなかった。県内には7つある一等三角点 城山 462.26m

の石柱はやっぱりデカイ!

ヤモッチさんに写真を撮ってもらった後はすぐさま吹きっさらしの山頂を後にする。

 

 

 

山頂からトイレのある駐車場へと降りると北側にゴルフ場のカントリークラブ越に坂出番ノ洲の瀬居島、その奥

には瀬戸大橋が続いていた。

下りは素直に車道歩きと思ったが、途中の色々書かれた案内板に誘われて、また車道の脇へと入って行く。

 

 

途中テープを見失って木々の間を掴まりながら降りると県道に出た。そのまま県道を下ってカマロが捨てられて

いるヘアピンコーナーを左に折れて、直ぐにガードレールの脇から『古代山城 車道』と書かれた案内板の横を

通って一旦下って行く。車道とはその昔、山頂に立派な家を構えていた長者が、足の悪い娘を車に乗せて一緒に

散歩したという民話が残っている道だ。

 

 

 

 

県道から下るとまた登りの時とは違う小さな沢に出る。その沢に沿ってしばらく下り、一旦沢を渡渉すると今度

はしばらくの間登坂になる。

 

 

 

 

国指定史跡の文化財として指定されている城山。その印なのか『文化財保護委員会』と彫られた石柱が結構な間

隔であったが、そのほとんどが傾くか倒れているかしていた。

ゴルフ場の外周部を廻るようにして続く車道は、外周部までは割と急坂だったが、あとはほぼ平坦な道。外周部

から外れてくると今度は下り坂になり、道は次第に不明瞭になってくる。

 

 

 

ただテープがしっかり付いているので、テープを目印に下って行くと往路で歩いた沢沿いの道に出た。

しかし先に降りて行った二人の姿が見当たらない。『ルリちゃん~!』とあっちゃんが叫ぶと、向こうの方で返

事が聞こえてきた。しばらく待ったがそれでもやってくる気配がない。今度はひろちゃんが『お~い〇〇〇』と

奥様の名前を呼ぶとさっきは返事が返ってきたのに声がしない。『二人の愛は途切れたんですね』と冗談を言っ

ていると、その内に二人がやってきた。どうやら得意の朝ドラの話をしていて道を外れてしまったようだ。

ここでふと気づいた事がある。そうだ今回はあっちゃんが二人になっていた。これからどう書こうか思案の為所

だ。登山道から朝見た『綾北展望所』の案内板に従って沢へと降りて行くと、左手が不動の滝の落ち口になって

いる。段差になった川床を流れる水が飛沫となり、岩の所々を凍らせていた。落ち口に近づいて見ると真下に朝

渡った赤い橋が見えた。

 

 

 

 

この沢の川床は四角い岩が積み重なっていて、まるで人工的に作られた庭園のように見える。川床もそうだが周

りの露岩も四角い形をしたのが多い、火山の噴火でマグマが冷えていく過程でできる柱状節理が横になったよう

にも見える。不動の滝の落ち口を見た後は沢の上流へと歩いて行く。

すると対岸に案内板が見えた。沢を渡ると案内板には『綾北展望所』と書かれていた。

 

 

 

 

綾北展望所の手前に『遠見番所』と書かれたもう一つの展望所があった。緩やかに下っている山裾の奥に綾川と

横津川に挟まれた坂出江尻町辺りが見える。遠見番所となるこの場所、この眺望から遠見は分かるが、番所とな

っている意味が分からない。この場所が昔人の行き来のある交通の要所だったようには思えない。

 

 

 

遠見番所からは北にしばらく歩くと『綾北展望所』。山上から派生する支尾根の端部にあって、かなりの広さで

平場になっている。国道の金山トンネルを高松方面に抜けると支尾根が見え、笹原のように見えるこの綾北展望

が目に付き、いつも気になっていた。展望所には江戸時代に造られた『庚申様』の跡も残っている。

平場の端からは金山トンネルに続く国道を挟んで、左に常山、右に金山を見下ろせた。その二つの山の間の奥に

天霧山が遠く山影を見せていた。

 

 

 

この綾北展望所からあとは別宮八幡宮へ向かって下るだけ。枝に架けられた木の案内板には消えかかった文字で

『別宮八幡宮へ35分』と書かれている。地形図にも八幡宮に向かって破線が続いているが、今回はからちゃん

さんのトラックに沿って下って行ってみる。

 

 

道は次第に荒れて来て踏み跡も薄くなってきたが、やはりテープが所々に巻かれている。

するとからちゃんさんの活動日記に書かれていた巨大なブランコが現れた。背の高い桜の木の幹の両側から、長

いロープでブランコがぶら下がっていたが、こんな場所で子供たちが・・・・・?たしかに目の前の景色を見下

ろしながらブランコを漕いだら、アルプスの少女ハイジの気分になれるかもしれない。

 

 

ブランコから下がって行くと堀割のようになった道が続いていた。『ここを下りますか?』とあっちゃんが聞い

てきたが、掘割の道は大抵荒れていて石がゴロゴロしているので、そのまま土手を降りると声をかけた。

地形図の破線からは外れていたが、先ほどの案内板とは違って新しそうな立派な案内版が木の幹に掛かっていた。

但し道は不明瞭で落ち葉に埋もれて踏み跡もほとんどない。

 

 

暫くすると堀割の道も浅くなってきたのでその中を歩いて行く。次第に道に積もった落ち葉の高さが深くなって

いく。掘割を抜け出ると脇にキツネの遺体が横たわっていた。県内の里山でキツネを見たのはこれで2度目。こ

城山にも生息していたんだ。

 

 

 

その場所からはまもなく別宮八幡宮の裏に飛び出した。別宮八幡宮手水はなかったが立派な龍の手水の水元に、

境内もきれいに掃除が行き届いていた。

 

 

 

今まであまり経験したことのない強風と寒さの中、歩行中はさほどでもなかったが、山頂では手袋を脱ぐと凍傷

になってしまうのではと思うくらい気温も低く、風速1メートルで体感温度が1度下がるというのを実感。

最強寒波は噂?通りの最強!里山でも決して侮れない。


おっ・と・と・と~~皇踏山

2025年01月30日 | 香川の里山

昨年の秋の寒霞渓の馬の背に始まって今回で6度目の訪問になる小豆島

今までも紅葉の時期などに何度かは続けて通ったことはあったけれど、1シーズンに6回も出かけたことはなか

った。それだけ小豆島には魅力的な里山がある。

今回はその小豆島の拠点となる土庄から間近に見える皇踏山に出かけてきた。ただ今日は今までとちょっと趣向

を変えて、WOC登山部で案内したところ男性5名女性5名、合わせて10名の参加となった。

岬の分校は無垢な24の瞳だったけれど、今日はおっさんおばさんの20の瞳でスタートする。

 

皇踏山へは土庄港から北回り福田行の島バスに乗り、小馬越のバス停で下車。まずは奥の院笠ケ瀧を目指して集

落の中を歩いて行く。今回のコースは別の山の会で2003年に総勢27名で歩いた道だけれど、なんせ20年

以上も前、小馬越のバス停と奥の院の露岩の急坂の参道の記憶が薄く残るだけだった。

奥の院の案内板に沿って歩いて行くと、さっそく道の北側に岩壁にへばりつくようにして建つ奥の院が見えた。

 

 

まずは途中にある小豆島霊場72番 瀧湖寺(りょうこうじ)を訪れる。昭和49年の大火で境内の大半を焼失

した後再建された本堂は、コンクリート造りで立派に建て替えられていた。本堂の前では蠟梅の花が甘い香りを

漂わせていた。

 

 

 

本堂の中に入りお参りした後、その瀧湖寺の西側を山に向かって歩いて行く。まずは左に曲がって次に奥の院へ

の道標が立っている分岐を右に曲がって山際まで来ると、奥の院への厄除段・寿命段・招福段と呼ばれる石段が

始まる。

 

 

その苔むした自然石の石段を登りきると黄金色の鐘。この鐘撞堂の裏手から最初の露岩のゴツゴツした参道にな

る。

 

 

その鎖の手すりの続く露岩を登って行くとトイレと大師堂のある広場に着く。ベンチの置かれた広場には猫が数

匹たむろしていた。近寄ると逃げる子もいるが人馴れしている子もいる。

 

 

全員が登ってきたところで二つ目の露岩の参道を登る。目の前には断崖絶壁に建つ本堂が待ち構えている。参道

の真ん中にはしっかりとした鉄製の手すり。その手すりを握りながらゴツゴツ、デコボコした岩を登って行く。

 

 

 

この露岩は小豆島のあちらこちらで見られる溶岩の一種で、皇踏山溶岩流と呼ばれカチカチに固まりビクともし

ない露岩の参道になっている。中央部分の鉄製の手すりには、寄進者の名前が刻まれていた。

 

 

以前は本堂の脇から鉄製の梯子状になった岩壁を登り、最後は鎖を登って行くと、本堂の上にある十三重の塔へ

と登れたが、今は竹で蓋をされて登れなくなっていた。まあでも奥様が要らぬ考えを起こさなくてちょうど良か

った。本堂の横の行場の鎖が岩壁に垂れているがこちらも登ってはいけないと注意書きが書いてある。

本堂へは洞窟の中から入って行く。暗がりの中を進んで行くと小さな明かりが足元を照らしてくれる。途中には

六角形の穴の『幸せくぐり』(東大寺にもあるような)があったが、その大きさから誰一人潜ろうとはしない。

(洞窟から本堂の中は撮影禁止になっている)

 

 

 

 

本堂には女性に人気の『願掛指輪』があり、願いが叶ったら指輪を返すようになっている。その返された指輪を

見て、誰かが『なんで指輪を置いてるんやろ?』と言うと、その横で『離婚したとか相手が亡くなったとか』な

どと不謹慎な答えを言っている(笑)

本堂のお参りを済ませて登ってきた第二の参道を広場まで下って行く。けっこう急なので登りよりも下りの方が

が足運びが難しい。

広場まで降りると、西側にある鐘撞堂の奥からへんろ道へと入って行く。

 

 

鐘撞堂からはしばらくは露岩の斜面を歩いて行く。ただこちらの露岩もしっかりしているので、ゆっくり歩いて

行けば問題はない。

 

 

 

露岩を過ぎると皇踏山へと続く尾根になる。尾根に出ると右側に『きよめの不動明王』と書かれ囲まれた中に不

動明王が祭られている。その不動明王の脇からは東に尾根を伝って、本堂の上にある十三重石塔にこちらからも

登れるのだが、今は通行禁止になっている。

 

不動明王からは尾根の快適な道。クヌギやウバメカシの落ち葉を踏みながら歩いて行く。

 

 

すると道の脇に異形の岩が。その先にも今度は道の真ん中にもう一回り大きな岩が立っていた。脇の木の枝には

松茸岩と書かれている。寒霞渓の裏八景の登山道にも松茸岩はあったが、大きさはともかくこちらの方が形的に

はよく似ている。裏八景の松茸岩がそうだったように、この松茸岩も下の部分は「火山角礫岩(かざんかくれき

がん)」と呼ばれる石で、 火山から噴出した岩石が降り積もり、 それが長い年月をかけて浸食されたもののよ

うだ。松茸岩とはべつにこの岩を子宝岩と呼ぶ人もいた。(笑)

 

 

この時期尾根道に咲く花はなく、白と薄紫の小さなコウヤボウキが北側から吹き上げてくる風に揺れていた。

道にはこの強風のせいか、かなり落ち葉が積もっている。いつもなら若干1名そろそろ騒ぎ出すのだが、WOC登

山部のメンバーにはもう1名『腹減った大臣』がいる。そう『腹減った~腹減った~!』と山さんが騒いでいる。

といってももう時間は12時を過ぎている。後ろからくるもう一人の『腹減った大臣』の奥様は、振り向くとひ

とり立ち止まってチャッカリおにぎりを頬張っていた。

 

 

 

お昼ご飯の予定にした展望台の手前には吉田の千畳ケ岳でも見た石垣が並んでいた。『こんな尾根にも猪垣?』

と思いながら歩いて行くと展望台に着いた。展望台からは小豆島の最南端になる地蔵埼灯台のある三都半島が低

い峰々を従えながら続いている。

 

 

 

尾根の南に向かって開けた展望台は幸い北からの風がほとんど当たらず、各々広がる景色を眺めながらお弁当を

広げる。こんな寒い日はやはり温かい出汁のカップ麵に限る。説明版に書かれている通り、確かにここから夕陽

を眺めたら最高だろうな~。

展望台の後ろには先ほど見た石垣と同じ猪垣が尾根に沿って並んでいた。

 

 

 

お昼ご飯を食べた後は奥様から温かいコーヒーの振る舞い。カップ麺とコーヒーで身体は中から十分温まった。

展望台を後に皇踏山に向かって歩いて行くと尾根道の北側にずっと石垣が続いている。一部では猪垣ではなく

山城の石塁だと考える人もいるようだが、途中にはその内容が書かれた説明版があった。そこにはなんとこの石

積みが島内に延長百数十キロにもなると書いている。

 

 

道は途中で二股に分かれていて左の道を進んで行くと東権現社があった。この皇踏山山頂には東西二つの権現が

あり東権現社は巨石が集められ、神の鎮座する磐境 (いわさか) となっていて、敷地内には篭り堂が置かれている。

 

この東権現社からさらに進んで行くと芝生広場園地に出る。こちらも先ほどの展望台と同じように南に向かって

の眺望が広がっていた。麓には満ち潮で完全に独立した小島になったエンジェルロードが見える。

この園地は突き当りになっていたので、引き返して二股で左に来たのを右に進んで行く。

 

 

途中には『天狗の松』と書かれた場所を右に入って行くと、奥まった場所に祠と倒木があるだけだった。

天狗の松から先でまた分岐。道標に従って右に折れて大岩がゴロゴロしている中を歩いて行くと猫の額ほどの

踏山山頂に着いた。

 

 

 

 

山頂には 三等三角点 淵崎 393.67m。記念撮影でセルフタイマーでシャッターを押した山さん。三脚を置い

た場所から足元が悪くて何とかギリギリ間に合った。

 

 

山頂からも一旦戻って分岐から更に西に向かって歩いて行くと、西権現社。先ほどの東権現社は北山地区の権現

さん。こちらは麓の淵崎地区の方の権現さんになる。

 

 

 

 

西権現社の拝殿から南に下がって行くと三つ目の展望台。最初の展望台と比べると、土庄の町に随分と近づいて

きた。いつもは波静かな土庄港の湾内にも白波が立っているのが見える。

 

 

 

展望台の脇から淵崎への下りの道になる。滑りやすい危なげな場所にはロープが張られていて助かる。

対岸の屋島もそうだが、山頂近くの頂部は断崖になっていてそこから標高が下がるにつれて傾斜は緩やかになっ

ていく。

 

 

 

すると後ろから来ていた奥様が私を呼び止めた。ピンクのテープを指さして『ここから奥に見える岩場に行ける

かも?』とおっしゃる。今日は他のメンバーもいるのでおとなしくしていると思いきや、先ほどから下りながら

左手に木々の間から見えている岩肌を見て様子を伺っていたようだ。

『仕方がない・・・・』。前を降りて行くメンバーに『寄り道してみるので先に行ってください!』と声をかけ

る。ピンクのテープから木々をかき分け下って行くと、確かに踏み跡があるような、ないような。

すると谷筋の岩の上に出た。その奥にも踏み跡らしきものが・・・・。

 

 

谷筋を渡って木々に掴まりながら登って行くと岩壁の下に出た。イバラやネズミサシに阻まれながらも少し登っ

てみるが、まだまだ上に岩が続いている。地元の里山ならまだしも、今日は帰りのフェリーの時間がある。

見晴らしのいい場所で『今日はここまでかな?』と奥様を説得する。

 

 

 

 

すぐ下には来る前に航空写真で見た砂防ダムが見えた。先に下って行ったメンバーは、山を下りてもう街歩きを

している頃だろう。花崗岩の岩肌は山頂近くの安山岩に比べて風化して脆く崩れやすい。十分に注意して下り、

谷筋から登り返して登山道に戻る。

 

 

 

道は次第に緩やかになり、最後は淵崎の集落に降りたった。民家の間を歩いて行くと再編成の合併で廃校となっ

淵崎の小学校。この小学校は江戸時代になんと岡山県北の津山の飛び地領の陣屋跡だった由緒ある場所にある

小学校だった。ただ長い間水が抜けて乾いて汚れの付いたプールが何とも言えず寂しげだった。

小学校から舗装路をぐるっと回り込んで歩いて行くと、いつもバスの車窓から見た土渕海峡淵崎の本島土庄

町前島の間、最も狭いところで9.93mという事で世界一狭い海峡としてギネスに認定されているらしいが、

パッと見海峡といったイメージは湧いてこない。

 

 

土渕海峡からは土庄港に直ぐには行かずに寄り道をする。朝土庄港の待合にあった土庄の観光案内のパンフレッ

トに載っていた、西光寺の小路を訪ねてみた。土渕海峡から迷路のまちの中を通って少し東に向かって歩いて行

くと、西光寺の小路にある練り塀と呼ばれる練り土で石や瓦を交互に重ね、瓦葺の屋根が付けられた塀の横を通

って行くと、パンフレットで見た通りの風景があった。

片側は練り塀その反対側は杉の板塀。落ち着いた色彩のその奥の朱色の三重の塔とのコントラストが目を引く。

 

 

 

パンフレット通りの写真が撮れて大満足の二人。あとはメンバーの待つフェリー乗り場まで迷路のまちを通って

歩いて行く。迷路のまちは海賊から島民を守るためにとも、南北朝時代の攻防戦に備えたとも云われる、複雑な

路地が続き迷路のようになっている。

その街中は昭和のレトロな建物が多く残り、昭和生まれの年代の私たちには懐かしい散歩道になる。

 

 

 

 

迷路のまちを抜け港に着くと、ちょうどメンバーはフェリーに乗り込んでいた。

過去の5回は比較的暖かい日に出かけていたので汗を掻きながら歩いたが、今日は一日珍しく上着を脱ぐことのな

い寒い一日だった。久しぶりの大勢での山歩き。気の置けない人たちとの楽しい会話。冬の間の里山歩きはまた

WOC登山部での山行もいいな、と思いながらフェリーの中でも楽しくおしゃべりしながら帰った。


『ビシャ岳に内海ロック』って、響きがなんかカッコイイ!

2025年01月23日 | 香川の里山

 

YAMAPのみまもり機能は、登録した相手のLINEに登山中の現在位置が地図上に通知される機能で、私は

奥さんを登録している。当然奥さんはどこの山に出かけているのかが分かるし、万が一の時もおおよそどの辺り

にいるのかがわかる便利な機能だが(普段だと恐ろしい大きなお世話の機能だ)、昨日は『明日はどこの山に、

また小豆島!』と言われてしまった。『あ~やっぱりちゃんと見ているんだ』と思った。

ただそれ以上は前回同様聞かれずに済んで事なきを得たが、奥さんには言えないほんとうに魅力的な岩山が小豆

島にはたくさんある。別段ロッククライミングをするわけではないが、『岩山が・・・』なんて話をすると速攻

で『そんな危ないところ』と言われるのが目に見えている。

 

県内でも珍しいそんな山容の山が点在する小豆島だが、その中でも吉田地区にある山は、岩肌を露わにした岩壁

が連なる特異な風景が目の前に広がっている。

その内のひとつ千畳ケ岳に2週間前に登った時に、山頂から北西に見えた岩塔と岩壁には『ビシャ岳と内海ロッ

』という名前があるのを、家に帰ってこもれびさんむらくもさんのブログを詳しく読み返してみて気づいた。

ただし他の人のブログでも紹介されていたが、二つの名前がそれぞれで食い違っていて、果たしてどの山名が正

解なのかが分からなかった。

そこで今週はもう一度登って確認してみるのと、前回と違うルートで吉田ダムの方へ下りられないかと考えた。

 

二週間経つと陽が登るのも少しづつ早くなっている。

土庄港から北回り福田行のバスに乗り込むのだが、バス停ではルートの違うバスが次々とやってくる。島の人に

とっては無くてはならない交通手段。ただ我々の乗った福田行のバスには我々二人以外はお年寄りが二人だけだ

った。これでは将来にわたってこの路線を維持するのは難しいだろうなと寂しく感じた。

吉田のバス停で降りると直ぐに目の前に岩壁の連なりが目に飛び込んでくる。

すると横に居た奥様が『あれ、ニット帽がないわ』と言い出した。ザックの中を探っても見当たらない。『きっ

とバスの中が暑いので脱いだまま置き忘れたんだわ』と言うので、直ぐにバス停の時刻表に載っているバス会社

に電話して、事情を説明して置き忘れていたら帰りに寄るので取り置きしてくれと頼んだ。

 

 

 

千畳ケ岳の山頂付近には今にも転がり落ちそうな岩塊がいくつも見える。そしてその右側には岩塔のビシャ岳と、

内海ロックの岩壁が見える。さらにその左側には吉田川の岩場。この辺りの岩壁には100以上のロッククライ

ミングのルートがあるそうだが、我々はそんな岩の間に生えた木々の中を伝って登って行く。

 

 

 

まずは82番霊場の吉田庵の横を通り、吉田オートビレッジへ。ここにはこの山域の写真と山名が書かれた案内

板があるのが分かったので立ち寄ってみた。案内板には岩塔がビシャ岳、その横の岩壁が内海ロックと書かれて

いた。これをネットでは逆に書いている人がいたが、地元の案内板が間違いない。

 

 

オートビレッジの西側の舗装路を山に向かって少し歩き、テープがかかった場所から道の脇へと入って行くと、

直ぐの猪避けの柵がある。扉を開けて通り、ちゃんと戸締りをして登って行く。木々に付けられたテープは西に

向かって続いている。そのテープを目印に登って行く。

 

 

途中の山中にあった石積み。前回も目に留まった石積みだったがその時は何の石積みかが分からなかった。帰っ

て読んだこもれびさんのブログには、別の場所で写した同じような石積みに『猪垣?(シシガキ)』と書かれて

いた。山歩きをしていてよく見かける石積みとは異なる乱雑に積まれた石積みはやはり猪垣なのだろう。

昔も今と変わらず害獣には悩まされていたようだ。

 

 

しばらく急登を登って行くと、麓から見えた樹林帯から突き出た岩壁の足元に着く。岩肌には錆びたボルトが点

々と岩の上まで続いているのが見える。

その岩壁を左に巻くと一つ目のロープ場。そのロープ場を登るとちょっとしたトラバース。西の奥様にとっては

『たいしたことないわ』なのだが、人によってはけっこう高度感を感じるはずだ。

 

 

 

トラバースを過ぎるとほぼ岩肌になってくる。徐々に高度感も出て来てそれに伴って眺望もどんどん開けてきた。

 

 

 

この辺りの壁には真新しいボルトが打ち込まれている。でもまあ結構な高さのここまで登って来て、さらにほと

んど垂直の岩を登ろうなんて?

といっても私たちも今日は千畳ケ岳の山頂から見えたビシャ岳や内海ロックへの好奇心からやって来ている。そ

の好奇心が、岩を登る人たちは垂直なだけなのだろう。

 

前回登って来た時に通過した展望岩が山頂直下にあった。千畳ケ岳の山頂ほどは広くはなかったが、同じように

見晴らしはバツグンだ。目の前には千畳ケ岳の岩塊が迫り、麓には吉田川の北側に吉田の小さな集落が見える。

今日は前回ほどは遠くまでは霞がかかっていて見えないが、吉田富士の奥に青い瀬戸の海に白い船が浮かぶ、

のどかで穏やか風景が広がっていた。

 

 

 

 

そんな景色を眺めていると後ろから来た奥様が私の横を通って岩の先端へ!『ダメダメ、見ているこっちがゾク

ゾクとする』と言っても聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか?

 

 

 

展望岩の先にはまた小さなテラスがあった。好奇心旺盛な奥様はまた先へ先へと行ってしまう。その内屈んで何

かを見ていると思ったらボルトにカラビナや朽ちたロープが残っていた。先ほどの新しくボルトが打ち換えられ

たルートと違って、こちらはもう登る人もいないのだろう。

ここからは先ほどの展望岩が見下ろせた。こうやって見るとあそこに立っていたのを思い出しただけでもゾクゾ

クとする。

 

 

 

 

千畳ケ岳の山頂は前回と同じ素晴らしい景色を私たちに見せてくれた。山・川・海そしてひっそりと暮らす人た

ちの集落。吉田川が流れこむ湾は、ここから見ても水がきれいに透き通っているのが伺える。

そしてその反対側を見るとお目当てのビシャ岳と内海ロックが私たちを待ち構えていた。内海ロックは前回吉田

富士に縦走するときに通った展望岩の辺りだ。となれば今日はビシャ岳の岩壁の足元に行ってみたい。

そしてその後、西側に見えているオレンジの岩肌の256.6mの三角点を通って、そこから吉田ダムへと下りたい。

事前にそのルートはYAMAPで『サホさん』が歩いていたのを見て確認している。奥様にも残りの行程を峰々

を眺めながら説明して、千畳ケ岳を後にする。

 

 

 

山頂からは北西にテープを辿りながら一旦下って登り返していく。この辺りはほとんど歩いている人の形跡はな

いが、テープだけはしっかり残っている。人によっては藪コキというのかもしれないが、藪慣れした奥様にはな

んでもないようだ。

 

 

前回は内海ロックに続く尾根にでて北に向かって砕石場を眺めながら歩いたが、今日はその尾根に出る手前で右

下にテープが続いているのを見つけた。『ひょっとしてビシャ岳へのルートか?』と思って歩いて行く。

だがこのテープを辿ると砕石場の見える展望岩のある尾根に出てしまった。そこでGPSを見るとビシャ岳

は行き過ぎていたので、少し戻って地形図に載っている崖地の表記に向かって適当に下って行く。

 

 

ただし何となく踏み跡らしき跡はあるようなないような。木々の密集度が高くてビシャ岳の岩塊もどこにあるの

かが確認できないので、それらしい尾根を辿りながら右に左にと下って行くと目の前に薄っすらと岩陰が見えた。

どうやらビシャ岳の頂部の様だ。

その岩の足元まで降り、際に生えている木の枝をかき分けその先へ。木々の先は岩棚になっていてビシャ岳の頂

部を眺めることができたが、その高さはほんの頭の部分だけで迫力には欠けていた。

ただこれで一応今日の目的地へは到達したことに二人で満足する。

 

 

 

 

その後岩塊に沿って下ってみるが、どれだけ下ってもビシャ岳本来の足元には着きそうもなく、切れ落ちた崖に

もなってきたので途中で引き返す。

ビシャ岳への尾根を外さないように木々をかき分け、木の幹に掴まりながらなんとか海ロックに続く尾根に出

た。その尾根に出る手前から唯一見えたビシャ岳の頂部は、意外にも平らで広かった。

 

 

尾根からは南西に向かって歩いて行く。シダに囲まれた尾根は随分昔に切られただろう古い切株が至る所にあっ

て、時々見えずにつまずきそうになる。

 

 

途中からサホさんの歩いたルートは今度は南東に振って歩いている。そのルートを見ながら尾根から外れて下っ

て行くと次第にシダの海の中へ入って行く。

最初はシダをかき分け悪戦苦闘したが、暫くすると足元は踏まれた感じになってきた。そして途中からピンクの

テープが目に入ってきた。何度かシダの海から這い出たが、その度また海の中への繰り返し。この間は今の時期

以外の季節は厳しいルートだなと思いながら下って行く。

 

 

 

 

足元の見えないシダの海は切株や段差で転びそうになり、平泳ぎのように手を動かしシダをかき分けかき分けで

けっこう疲れてきた。そして時々イバラが行く手を阻む。いい加減シダの海が飽きてきた頃足元に見慣れた白い

杭と石柱があった。四等三角点 灘山 256.78m  だ。

そしてその三角点の先には岩が見え、近づいて見るとオレンジの岩肌。千畳ケ岳から見えたオレンジの岩塊だっ

た。以前に歩いた小野アルプス紅山にもこのダイダイゴケの一種が貼り付いていて、遠くからは見ると朱色に

見えるので紅山と名前が付いたそうだが、全国にも同じように紅山と名前が付く山がある。

山道を走っていると法面のコンクリートに着いたコケにもオレンジ色の苔を見かけるが、それもダイダイゴケの

一種なのだろう。頂部の岩から一段下がった岩肌は、さらに鮮やかなオレンジ色をしていた。

遠くからでも一目で分かるこの岩塊を吉田のダイダイ岩と命名することにした。その横で奥様はおむすびを頬張

っていた。『KAZASHIさんは大丈夫?』と聞かれたが、『千畳ケ岳でチョコレートを食べたので大丈夫です』と

答えたが、これが後々・・・・。

 

 

三角点からは頂部の岩とダイダイ岩の間を下って行く。もしテープがなければ下ろうとは思わないような段差が

ある。ダイダイ岩を降り立ってもシダの道は続いていくが、シダの道にも慣れてきたのか下って行く奥様のスピ

ードは落ちない。

ただひょっとするとダイダイ岩で『12時を過ぎたけれど、ダムの展望台まで降りてお昼ご飯にしましょう』と

言ったせいかもしれない。今までこんなに遅くまで?お昼ご飯を食べなかったことはなかったから、急いで降り

てとにかくお昼ご飯を食べようという思惑か。

振り返ると着色したようにオレンジ色に輝く岩肌。コケと云えばジメジメしたところのイメージがあるが、小野

アルプス紅山も、このダイダイ岩も照り付ける太陽の下で生息している不思議な苔だ。

 

 

 

 

 

ダイダイ岩から下に見えた反射板まで降りてきた。時間は12時30分前。予定ではここからダムの展望台まで

降りて対岸まで渡り、舗装路を少し歩いて吉田へとは下らずに、そのまま福田へと山越えをするつもりなのだが、

距離も高低差も分からず時間が読めない。

展望台までも道はなく露岩の間を抜けて降りて行くのでスピードが上がらない。

 

 

 

 

展望台には着いたのが12時40分。福田発のバスは14時ちょうど。おそらく大丈夫だとは思うが念のため奥

様に『ここでの昼食はパスして福田まで歩きましょう』と言うと、珍しく『いいですよ、さっきおにぎり食べた

し』と仰った。

展望台からはほぼ同じ目線の高さに千畳ケ岳。そして左上にはビシャ岳。そしてもちろん麓には吉田ダムが見下

ろせた。竣工当時は県内では一番の高さを誇っていたが、塩江の椛川ダムができて2番目の高さとなっている。

 

 

 

展望台からダムの左岸の広場に降りると巨大な像が立っていた。筋肉質の女性の像だが奥様がその前に立つと、

その大きさが分かる。ダムが竣工されたのは1988年のバブル真っ盛りの時代。こんな像を立てられるほど、

潤沢な予算があったのだろう。

ダムの上部は天端というそうだが、その天端の腰壁も通路部分も石張りで豪華な造りだ。このダムからは島内全

域に上水道用水が供給されている。

 

 

右岸まで渡るとここにも一風変わった『うるおい』と命名されたモニュメント。1・4トンもの球体の石が、水

圧でくるくる回っていた。

奥様がトイレを済ませている間に私は管理事務所に寄ってダムカードをゲットした。

 

 

モニュメントのある広場から右岸の舗装路を下って行く。地形図では少し下ったところから破線が福田へと続い

ていたが、その破線は82番霊場の吉田庵から83番の福田庵へのへんろ道だろうと予測していたのだが、Goog

leMapのストリートビューで見てみると、取り付き当たりの道の脇にピンクのテープが垂れているのが何となく

見えたが、本当にへんろ道があるかの確信はなかった。

取り付きまで下って行く途中からは対岸の吉田川の岩場の全貌を望むことができた。

地面から突き出した搭状塊状の. 基盤岩の高まり, トール, 岩塔をトアと呼ぶそうだが、全国的に見てもダムの至

近にこれだけのトアが林立している所はないらしい。

 

 

そんな吉田川の岩場を眺めながら歩くと取り付き地点らしい場所に着いた。そこには垂れたテープと共にちゃん

とした『へんろ道』と書かれた案内板が立っていた。そして下手に下る道にはやはり吉田庵への道と書かれてい

る。予測したとおりに福田への道の存在に安堵し、手すりと石段が続くへんろ道を登って行く。

 

 

 

取り付きだけかと思った手すりはほぼ峠まで続いていた。石段や道も荒れていなくて奥様が『お金がかかるだろ

うに誰が整備してるんだろう?』と。ただ私はそれどころではなく、ビシャ岳への急な下りが良くなかったのか、

尾根からダムへの下りが災いしたのか、いつもの左膝に加えて右膝も痛み始めた。その上シャリバテなのか、ま

ったく足が動かない。

峠のお地蔵さんの前で待っていた奥様は『福田の港でバスが来るまでに持ってきたカップラーメン、食べられる

かな?』とお昼ご飯のことで頭の中がいっぱいらしい。(笑)

 

 

峠からの下りでもシャリバテはなんとか収まったものの、膝の痛みは変わらない。相変わらず奥様は『そう言え

ばバス停の横に食堂があったわね。メニューによったら食堂の方が早いかも!』と仰っている。(´▽`)

 

 

山道から町の民家の横に降りたった。狭い道を家々の間を歩いて行くと福田の小学校の横に出た。『生徒たちが

いる雰囲気がしないわね』と奥様。校庭のフェンスに沿って歩いて行くと別の入り口には卒業記念の石が並んで

いたが、平成18年を最後に途切れていた。

 

 

 

福田港のバス停にはバスの発車の15分前に着いた。奥様がバス停横の食堂にすぐさま飛び込んで、『バスの時

刻まで15分しかないんですけど、一番早く食べられるものはありますか?』と聞くとカレーライスを進められ

た。船員カレーと書かれたカレーライスは直ぐに運ばれてきて、慌ただしく食べ終えるとバスの発車1分前だっ

た。バス停のベンチに腰掛ける間もなく定刻通りにバスがやってきた。

 

 

 

時間的にはもう少し余裕がある予定だったが、千畳ケ岳までの展望ヶ所やビシャ岳へのアプローチを楽しんだせ

いで、予想以上に時間を食ってしまったようだ。

土庄に着いてすぐに土庄港のターミナルにあるバス会社に寄ってみると、やはりバスの中に奥様がニット帽を置

き忘れていた。お礼を言ってバス会社を出て今度はフェリー乗り場の待合室の椅子に腰かけていると、待合室の

大きな画面のテレビから、イチロウが大リーグの殿堂入りのニュースが流れていた。その周りではあまり関心が

ないのか、大きな声で中国語が飛び交っていた。

それにしても『ビシャ岳と内海ロック』は名前だけ聞くと本来の意味とは違うだろうが、響きがとにかくロック

な感じがしてかっこいい!

秋から数えて5回目になる小豆島の山歩きは、船で渡るところから始まり島バスで移動するので、プチ旅行気分

が味わえる。岩山登りは今回で一旦おいて置いて、来週は軽めのお山に登る予定だがやっぱりまた小豆島。

今ネット上では特定の対象に夢中になって抜け出せない状態を『沼にハマル』と言うそうだが、まさに小豆島

沼にはまっている私だった。