kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

blogの存在意義

2015-09-15 | 陸上競技
繰り返し投稿しておきます。

先ほど教え子からLINEがありました。内容は二人だけの秘密ですが。私が書いたblogを読んでくれているとの事。その中で先ほど投稿した記事を読んで「心に響いた」と報告をしてくれました。特に何かをしてあげている訳ではない。この子達と過ごした時間の中で私が何かを伝える事が出来ていたのか。そこに絶対的な自信はないが「心に響く」という部分があるというのは私自身のこれまでの生き方を支持してくれていることなのだろう。

昨日は私が死ぬ程陸上競技をやっていた時のキャプテンの誕生日だった。Facebookで「誕生日」というお知らせが来たので一応「おめでとう!」と連絡をした。こういう部分では私もマメだなと思う(笑)。その時の返事が「あっという間に時間が過ぎていく。それって悔いなく生きているってことかなと思う」でした。まー良い女性に成長してくれています。今年で24歳。初めて出会ったのは中学3年生の時。それから高校3年間、担任&顧問でしたから長い時間を共有していました。あれからすでに8年が経過している。いや、早すぎる。

それぞれがそれぞれの「場所」で生きている。様々な想いを抱えて生きている。楽しいことも苦しいことも辛いことも抱えて生きている。時間は過ぎていく。どんな生き方をしていたとしても平等に過ぎていく。止まることなく少しずつ少しずつ過ぎていく。その中で何を感じ何を考え生きているのか。それは私には分からない。

こうやってblogを続ける。卒業生に何かしら与える物があるのかもしれない。それは本当に幸せなことなんじゃないかと思う。blogは文字の羅列しでしかない。私の本当の言葉はなかなか伝わらないかもしれない。でも、何かの時に卒業生が目を通してくれた時「先生、相変わらずだな」と一瞬でも高校時代に戻ってくれるかもしれない。あの頃から私の本質は何も変わっていないから。

私はこの子達に負けないように成長出来ているだろうか?この子達と再会した時に「先生、なんか大したことなくなってるな」と言われるような生き方はしたくない。どれだけ時間が過ぎてもこの子達にとっては担任だし、先生という部分は変わらない。それは私にとって誇りであると共にプレッシャーなのかもしれない。この子達に伝えてきたことを私自身がきちんとできているだろうか。この子達に恥じないように毎日を全力で生きているだろうか。自問自答する。

kanekoが担任で良かった、顧問で良かったといつまでも思ってもらえるなら幸せだ。もちろん、迎合して子供たちに好かれるためな努力などはしない。信念を持って生きたい。これまでそうだったように。変わらないところもあるし、変わってきている所もある。それも私なんだと思う。でも全力で生きていきたい。それなりに生きていくことだけはしたくない。

blogの意味。まだまだ分からない。でもこうやって連絡をもらえるっていうだけでも意味がある。そう感じる時間だった。

ひとまず記しておく。
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走る技術とは

2015-09-15 | 陸上競技
数日前に途中まで書いていてなんだか気持ちが乗らなくなって書くのをやめていた記事。下書き状態で残っていたので続きを書いてみます。こういうのは勢いで書かないとその時の気持ちが思い出せないので内容が微妙になるかもしれませんが。

雑記。

走ることは誰にでもできる。幼稚園の子供からマスターズの大人まで幅広い人が走れる。表現に気をつけないといけないのかもしれないが。障害を持っておられたり、病気で走れない人もいるので「誰にでもできる」という表現は不適切なのかもしれないが。配慮しながら発言をするというのはやはり大変なのかもしれない。気分を害されたら申し訳ありません。「走る」という事が基本的な運動だという概念の中で話をさせてもらえると助かります。

走る事は誰にでもできる。が、そこには「速い」と「遅い」が必ず存在する。当然の話。これは勉強ができるできないと同じように「差」が生まれるもの。これは仕方ない事だと思う。他のスポーツのように「走る」事に関しては誤魔化しが効かない。スパイクという道具を使うがそれ以外は基本的に「自分の身体だけ」を使って運動をするから。水泳も同様だが道具をほとんど使わない中での運動となるので「決定的な差」が生まれやすい。

誰にでもできるスポーツ。それなりにやっていたらそれなりに記録が上がってくる。その伸び率は正直分かりません。細かい指導をしてもしなくても「走れるようになる」と思います。精神論でも速くなる。私が競技を始めるもっと前には「マック式ドリル」というのが一世風靡して「膝から下を積極的に振り出す」という走りが主力だった。当時はそれでも走るのが速くなっていた。当時はその動きが全てであり疑いの余地もなかったのだろう。土の上での走りだったというのも「引っ掻くような走り」を後押してていたのかもしれない。

今は当時とは違う。一般的な走りの技術というのはあると思う。私は師匠から教わってきた事をやっている。それが世間一般的にどうなのかは分からないが、私はこれが正しいと思っている。非常にシンプルな動きでありそれをやっていく事で確実に力が上がっていく。もちろん単純な動きだからこそ難しいというのもある。動きを見ていく中できちんと修正していけたらと思いながらやっている。

人それぞれ走りの技術に関しては考えがあるだろうと思う。技術論を交わすというのはあまりない。細かい部分の話をしてもなかなか伝わらないと思うから。膝を締めて運ぶ。接地のポジション。重心の移動。これくらいの話なのかなと考えている。私のレベルでは細かい部分が足りないかもしれない。師匠や先輩には勝てないという感覚がある。視点が明確にできない弱さがある。それでもかなり指導はできるようになってきていると自負している。調子に乗るなと言われるかもしれませんが。

前半の話に戻るが「走っていたら速くなる」というのは間違いない事実。技術的な事を考えなくても走っていて感覚を勝手につかめる選手もいる。私は技術的な部分を少しずつ積み上げていってやっていくスタイル。それに加えて身体作りを徹底する。技術を支えるのは筋力だと考えているから。時間がかかる。簡単には結果を出させてあげるほどの技術指導はできない。だからしつこくしつこく指導をする。

自慢になるがこれまで全国大会を経験した事のない選手を何人もインターハイ&国体に出場させてきた。もちろん一番は選手がその気になってくれたから上に進めたのだが。その子達はしつこい指導に付いてきてくれた。だから動きも変わる。動きが変われば確実に走れるようになる。これが走るための技術なんだと思う。走っていて強くなるのではなく基礎的な技術を徹底して身につけさせる事で力が上がっていく。だから私の指導はしつこくて長い(笑)。

速い選手は何をしても速い。これは事実。それを自分の指導力だと勘違いしたくない。私には一瞬で選手の動きを変えてあげられるほどの力はない。普通の選手と一緒にどこまで戦えるかというのにチャレンジしてきた。これからもこのスタンスは変えない。ひょっとしたら偶然強い選手に出会う事があるかもしれない。その時に今と同じ指導が出来たらどうなるだろうか。強い選手だからと言って走るための技術が身についている訳ではない。時間をかけて動きを身につけさせて身体作りをしていく。それを徹底する事が一番の近道。そう考えている。

速く走る。ものすごく単純な事。が、誰もができる訳ではない。走る事は出来るが速く走る事になるとまた違ってくる。ここをどうすれば出来るのかをきちんと考えていきたい。速く走るというシンプルな事に人生を賭けている。速く走る事を目指す事で様々な事を身につける事ができる。技術が先か取り組みの姿勢が先か。これも分からないがとにかく全力でやっていきたい。そう思う。

やっぱり途中から話がごちゃごちゃになってしまいましたかね?!まーそんなもんだと思って諦めます。なんの話かわからないですね。
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本質的な部分

2015-09-15 | 陸上競技
朝、fecebookを何気なく見ていると尊敬する(?)先生がある記事について「いいね」を押していた。さらに何気なくその記事を見てみる。すると共感できる部分がかなりあって驚いた。記事自体は塾の塾長さんが書かれているもの。これは面白い。というか、実際に私が考えている部分と重なる内容があった。本質的な部分。表面的な話ではなく「生きていくうえで大切なこと」について考えさせられる。

AQURAS 「○○先生が嫌いなので、クビにしてもらえませんか」

タイトルがあまりにも衝撃的なものなのですが(笑)。中身の前半部分は以前からずっと書き続けていることだった。以下、青字の部分は引用。


一般的には、どこの塾の広告やH.Pを見ても「生きる力を」「学ぶ楽しさを」などなどテーマにしていることが多いのですが、私は敢えて批判・炎上覚悟で、現代の教育や世の中の矛盾している部分を取り上げてズバッと切り込んでいくスタイルを採っているためか、共感する方々もいらっしゃる半面、死ぬほど嫌ってくれる方も少なからずいらっしゃると思います。

あーこの感覚。全く同じ。私自身も「一定の人には好かれる」のですが「ほぼ関わりのない人」や「行動が気に入らない」と思われる人からは「徹底的に嫌われる」のです。このことはblogに何度も書いてきました。こうやってblogを公開することで「考え方」を示す。それにより「意見が合わない」人も生まれてくる。私は私が「正しい」と思う道を進む。が、その進み方が「気に入らない」と感じられる人もいる。100人全員に好かれようとは思わない。というか、生徒や選手、他者に好かれようと迎合して生きていく気はさらさらない。こんな態度だから更に嫌われる(笑)。

常に自分の感情に正直にあることは、ある意味で、理想かもしれません。

でも、そのかわり敵も多くつくります。
自分の意見をはっきり言う、白黒つけるというのは、そういうことです。


私には自覚があります。もう少しで39歳になるいい年をしたオッさんですが「青い」のです。これまでも選手と一緒に一喜一憂してきました。時には立ち直れないくらい失望し涙を流す。時には喜びを爆発させて笑顔で涙を流す。周りから見たら「馬鹿みたいだ」と言われるかもしれない。それでもそれが私のスタンス。距離の近いところで同じ夢を見て同じ道を進んでいく。「熱血漢」と言われることがあるがそんな気はない。私は自分の感情や信念に素直に生きている。批判される筋合いはないがやはり目につく(笑)。

変な慣習にこだわらないから「非常識」と言われるかもしれない。そこも否定しない。周りから見れば「変わった奴」だと思われるだろう。私からすれば「なんで一生懸命にならないんだろう」という感覚が残る。価値観の相違は簡単には埋められない。お互いの価値観を否定するだけで終わってしまうから。それでもかなりの数の卒業生には好かれていると思っている。決して甘やかす指導はしていない。本気でブチ切れることもある。ダメなものはダメだと本気で怒らないと「教育」なんてものはできないと思うから。

<私の信念は「勉強を通じて、人を育てる」ことです。
勉強だけでなく、目上の人を敬い、長幼の序を大切にし、規律を守りながらも、自分には厳しく他者に対する思いやりを忘れない生き方をできる若者を育てたいのです。/font>

学校での様々な活動を通じて人を育てる。陸上競技の指導を通じて人を育てる。そこが私の中に「信念」としてある。綺麗事ではなく本気でそう思っている。「信念」がなければどんなことをやっても何も伝わらない。こんな事を公言するから「敵を増やす」のかもしれないけど。

これまでblogを読んでくださっている方々には私の存在がどのように映るでしょうか?理想論を並べて偉そうにしている人間に見えるかもしれません。別に私は陸上競技だけが全てではない。しかし、私が伝えたい事を一番伝えられるツールは陸上競技だと認識している。これは部活なのかクラブチームなのか県レベルの指導なのか分からない。どこか一部分にこだわるつもりはない。

いつまでこのスタンスを貫けるだろうか。いつまで「青い」ままでいられるだろうか。正直分からない。凧のようにプツリと糸が切れて飛んで行ってしまうかもしれない。その時はその時考えよう。どうなるか分からない先の事を思い悩んでもどうにもできないし。

この記事に出会えた事に感謝したい。尊敬する先生は「そういうタイミングだったんだろう」と言ってくれた。確かに。本質的な話を出来る人というのはすごく少ない。そのタイミングを与えてくれた先生にも感謝したい。本当に多くの人に支えられて生きている。感謝しかない。

長々と書きました。
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