kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

逃げずに進む

2015-09-24 | 陸上競技
書きたい事はたくさんあります。それを文字に起こすというのはかなりのエネルギーを使うので案外大変なんです。それでも書き続けるけど。「沈黙は金」というの格言がある。最近読んだ本に「愚者に必要なのは沈黙」だと書かれていた。愚者という書き方をすると感じは悪いかもしれないが「愚か者」は自分が「愚かで未熟」だと知っておく必要がある。私はまだまだ。だから本来は「沈黙」を保つ必要がある。それでも何かしら発信する。意味があるのかは分かりませんが。私の人生。今やりたいなと思う事をやる。

これまであれこれ考える部分があった。それでもこのまま私自身が止まっていたら何も変わらないなと思った。だから動く。それにより様々な批判を受けるかもしれない。まーそこは気にしていたら何もできないから。信念を持つ。短期的な話をするのではなくてこれから先の競技や人生を考えたら私がアクションを起こさないとダメなんじゃないかと。敵を増やすかもしれない。でも、それを恐れていて平穏無事な生活をしたからといって誰かのためになるのか?そう考えた。迷わずに進もうと思う。

同じ事を繰り返す。それは「言われた事を聞かない」という部分から生まれる。こちらが話をしている時に明らかに聞いていないものは分かる。誰か人が通ったらそちらに目線が動く。5月には短距離だけでミーティングをしている時にあろう事か寝ている者がいた。もちろん、そういう行動をする選手だけを責めることはできない。私の話が興味が持てないから眠たくなるのだろうから。関心が持てないから下を向くし、他の人が通ったらそちらを見てしまう。私の話が面白くないからといって聞く姿勢が身についていないというのはやはりダメだと思う。今は良いかもしれない。が、社会に出たら困るから。

この数日間の練習の事も必ず書こうと思う。これまでとシステムが変わったので大学生や中学生の指導をする事も可能になった。そのためカテゴリーが異なる選手の指導をする事になった。ここは批判を受けるのかもしれないが強化部としての役割をきちんと果たしていきたい。が、今は別の事を。最初にも書いたが「書きたいことは山ほどある」のです。

まずは考えて動くという事を徹底していこうと思う。これが練習において必要な事だから。数日前、県新人で入賞するような選手が練習をしていた。話を聞くと「練習が休みだから自分で身体を動かしに来た」との事。夏休みにこれも県新人で入賞した別の選手が夕方競技場で保護者と一緒に練習をしていた。どうしたのか?と聞くと「スタートが上手くいかないから自主練に来た」との事。ここに「強くなるためのヒント」がある。何度も言ってきたが。同じ高校生。一方は出来て一方は出来ない。何故か?簡単な事。自分が目指す場所があってそこにたどり着くために何をしなければいけないかを考えているから。教えられてできたのかと言われたら違うと思う。自分の中で強くなりたいという思いが本物だからそのために何をするか考えたから行動が変わる。ここには「致命的な差」が存在する。

「高校生だからできる」のではない。最初から出来る者もいれば出来ない者もいる。出来ないという部分だけ注意しても変わらないからどうすれば良いかを指導していく。その話をきちんと聞いていけば行動自体が自然と変わる。強くなるために一番大切な事は何か?だと思っている。心とは物事に対する考え方だ。それさえ分からず行動を変える事が出来ない者もの方が圧倒的に多い。

話を聞いていないのに「はい」と返事をする姿をずっと見てきた。条件反射のように何か言われたら返事をしておけば良いという行動では何も生み出さないのです。更には聞いてさえいないというのは問題外。今日の練習の最後に「自分で日誌を書け」と話をした。私が話した内容をメモしておくために。日誌を見れば意識レベルが分かる。今は「日誌」を書く事が出来ないだろう。だからメモ書きでも良いからやるようにと伝えた。多分数人は全く出来ないだろう。話を聞いていないから。最低限の約束を守るという事がどれだけの事ができるか。

とにかく基本的な姿勢を身につけさせようと思う。それが今の私の使命だと思うから。これは切実に感じている。このまま社会に出すわけにはいかない。あまりにも必要な力とのギャップが大きすぎる。

変わろうと思えば変われる。「やりたい事」があってそこに向かって苦手な事を本気で取り組んでいる子達がいると聞いた。確かに変わってきている。何かに本気になれば他の事も絶対に変わってくる。それは経験した者しか分からない。そうやって未知なる世界に気づく。自分が知らない本当の努力とか戦いを知る事ができる。

それを経験させる事が今必要な事だと思う。もちろん全員は無理だろうと思う。必要ないと思っていたり、話が伝わらない事があるだろうから。それでも必要なことを伝えることから逃げるのを止めようと思う。本気で向き合わないといけない。「温度差」云々を言い訳にしていたら何も生み出さないから。

色々と考える事があります。どうせ何をやっても批判する人はいるだろうから。だったらやった方が良いなって考えた(笑)。逃げずに進み続けたい。少しずつになるかもしれないが。

長くなりました。お許しを。もう少し端的にまとめる力を身に付けたいと思います。「長すぎる」と怒られないように。
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チーム力を高める2

2015-09-24 | 陸上競技
続き。

「指示を待つ」「指示を聞かない」という部分に関して。これも基本的に「取り組む姿勢」に関わってくると思います。結局はそれが集まって「チーム」としての行動になる。前の記事にも重なりますが「チームは一番最低レベルに合わせて動く」のです。もっといえばどれかで意欲が高く一生懸命に取り組む人間がいても「そうでない人間」の行動によって評価も行動も大きく変わってくるのです。

「指示を待つ」という部分は「誰かがやってくれるだろう」という姿勢です。チームの中で率先して動く人間がいる。多くの者はその人に乗っかって自ら行動することがなくなる。「キャプテンが聞いてくれるからそれまで待っておこう」とか「何も言われていないから待っておけばいいや」という感覚。誰かの「指示」を受けるまでは自分では何もしない。これでは先には進めないと思っています。そして限りなく効率が悪い。「自ら考えて動く」という感覚を持たないといけない。

先日の試合の時に「レースがない者は身体を動かしておかないと練習が不足することになる」という話をしておきました。その日の競技がすべて終わってから「いつ身体を動かしたらいいですか?」と質問しに来た者がいます。もちろん、私が細かく細かく「こういう時はこう動かないといけないんだ」と指示をしておかなかったのがいけないのかもしれません。が、「考えること」が不足していなかったか?競技中は応援等で身体を動かすのは難しい。そうであれば競技開始前に早く来て動かせばいい。それができないのであればレースに出る選手がアップをするときに合わせて動けばいい。「先を見て動く」という行動ができていない。

そこの部分は「待っているだけ」ではダメ。リーダシップを発揮できる者が引っ張ってくれば良いが、その選手が指示を出せない状況にあれば「自分がその場で何をすればよいか」を考えて動かなければ何もできなくなる。チーム力を高めていくためには「考えて動く」という部分が必要になる。ある程度の「自立した人間」の集まりでなければ集団は動けないのだと思います。出来る者だけが大きな負担をするというのでは困るから。

上級生になると「自分でやるほうが早い」と感じる者もいます。本来であれば下級生の時に「その場面で何をしないといけないか」を学ばないといけない。最初からある程度できる者もいれば中学時代にそのような経験をしてきたことのない者もいる。「できないから頼まない」という状況であればいつまでたってもできるようになりません。「これをやって」と指示を待たないと動けない。何度も何度も言うのが面倒になるから自分で動いてしまう。当然出てくる行動です。

よくあるパターンが「道具の準備」と「道具の片づけ」です。この指示を出すと全員が動きます。これを見て「よく動きますね」といわれるかもしれません。が、「全員がやる必要はない行動」です。ある一定の人間がやっておけばよい。他の者は次の行動を考えておかないと「時間の無駄」になってしまうのです。「目に見えてできること」に人は飛びつきやすい。そこの部分はきちんと見極めないといけないと思っています。

周りを見て動く、気配りをするというのは「才能」ではありません。集団の中で様々な活動をする中で身についてくるものです。一番楽なのは「言われたとおりにすること」です。それに従っていれば「言われたとおりにやった」という明確な言い訳ができます。チーム力を高めていくというのがきちんとできれば「言われなくても考えて行動する」ようになるのです。

「高校生に何を求めているのか」と言われるかもしれません。逆にこの部分は「社会人になったらいきなりできるのか?」と問いたい。そこにたどり着くまでに身に着けておかないと絶対にそれから先苦労することになります。集団の中でしか学べないものがある。それが部活動のもう一つの意味だと思っています。それができるチームになれば自然に強くなる。考えて動くということは競技場面や練習においても「自分が強くなるためには何をしなければいけないか」を考えるようになるからです。

チーム力が上がっていけば自然と全員がそこまで考えるようになります。逆にできなくなるとあっという間に落ちていく。積み上げていくのにはかなり時間がかかりますが崩れ去るのは本当に一瞬。素地がある環境でやっていくのはある程度簡単だと思います。が、チームとして高め合う関係がない状態からそこを目指してやっていくというのは関わる全ての人がしんどい。でも、しんどくてもやっていかないと変わらない。

チームを作るというのは本当に大変だと思います。出来上がっているからチームに入って来ればそれで勝手に人間性も競技力も高まるというわけではない。そこを構成する人でしかない。チームとしての「指針」は持たないといけない。真剣にそう思います。

話が逸れてしまった気はしますが一応書いておきます。
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チーム力を高める

2015-09-24 | 陸上競技
指導をしていく。その中でやはり「チーム力を高める」という部分が必要になってくると思っている。これはこれまでの経験から。それだけではなく多く本を読んでくる中で感じた部分。その部分がどうすれば伝わるかというのは本当に多いことだと思う。これまでこうだったから。そこだけで物事を判断するつもりはない。やはり大切なのは「どこを目指すか」というところ。現時点でいきなり「日本一」といってもそれは不可能。組織としてそこまでの話になっていないから。それでも「去年より少し上」という水準では勝負になりません。まー何を持って勝負というのかを考えないといけない。特別高い水準を求めるつもりはありません。それでも「一定水準」を求めたい。

集団というのは「最も行動が遅い者」「最も意識レベルが低い者」に合わせなければ行動できません。集合時間が決まっている。ある人間は10分前にくる。ある人間は10分遅れてくる。集合時間ピッタリにくる人間は10分待つだけ。10分前に来た人間は20分待つことになる。遅れて来た者は待たない。こういうのはある意味不平等ではないかと思います。全員が行動に気を付けて早く動けば誰も待たなくてよい。行動レベルが遅い者がいれば全体を待たせることになるのです。組織としてそのレベルのことを徹底しておかないとやっていけない部分が生まれる。

組織が出来上がってくると自然に行動レベルが上がる。初期段階は「下のレベルに合わせる」ことになります。あいつがこれくらいしかやっていないから良いやという感じ。自分よりやっていない者を探して「自分の方がやっている」という認識を持つ。この流れの中では「お互いを引き上げる」という関係は作れません。そこをどうするかというのはやはり「組織作り」の基本だと思います。ある程度、組織がチームとして機能し始めると「あの人があれくらいやっているのだから自分もやらなければいけない」という感覚になります。互いに上のレベルで引き上げるようになる。ここは本当に大きいと思っています。勝手に強くなるという部分。

同じ指示を何度もする。これも「チーム力を高める」という観点からは離れてしまいます。もちろん失敗することはあるでしょう。そうならないように工夫していくこと。それが大切だと思っています。簡単ではないかもしれませんが。失敗をした時、指摘を受けた時に「何が問題点だったか」を考えなければいけない。この手の指導を批判されるかもしれませんが「ごく一般的な指導」だと思っています。チームとして行動をするときにはある程度の「基準」が必要になります。その「基準」を示さない限りは先に進めないからです。それぞれが勝手な基準を作ってそれに合わせて動く。バラバラです。チームとして方向性が定まりません。どれだけやっても効果が出ない。その状況では強くなることはありませんし、「集まって何かやっているだけ」となります。

ある程度のチーム力があれば「中国大会に行くのは当たり前」という感じになります。勝手に選手たちが目標を掲げ始めるからです。先輩たちが行っているのだからそれと同じかそれ以上やれば中国には進めるんだという認識の中で活動ができるようになる。そして上級生が下級生に対して「このままではダメだ」と指導をするようになる。技術面の部分は指導する私がやればよい。それ以外の基本的なことは「チーム」として自然にできるようになる。こういう部分ができてくると勝手に強くなります。私が競技の指導に専念できるようになるから。もちろん、生活指導や基本的な取り組みに対する指導もします。が、それがメインになっている間は競技力が伸びることはないと思います。

エネルギーの総量は決まっていると思います。「チームを作る」という部分に力を使っている状態では「競技力の向上」にはつながりません。強くなるためのエネルギーを「きちんとした生活をする」という部分に使うことになるからです。「練習中にダラダラ動かない」とか「道具の運搬を下級生が率先してやる」というのは基本的な部分です。下級生を小間使いのように使うのは全く違いますが「周囲を見て気づく」という部分を下級生は学ばないといけないと思うからです。中学生の間はそこまでできないかもしれませんが「高校生」となればそこをベースにやっていかなければいけないと思います。

私は「競技力が高ければそれでよい」とは思いません。もちろん、競技をするうえでその部分は大切になってくると思っています。しかし、「集団」の中でしか学べないことがあると思う。気配りであったり先を見て行動する部分であったり。そこにたどり着くようにしなければいけない。

上手くまとまりませんね。このことに関してはもう少し書いておきたいと思います。また記事を変えて書きたい。
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