kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

健康を目指してみる

2015-09-05 | 陸上競技
ある意味真面目な話を。

先日、下腿静脈瘤の手術をしました。その時にγ-GTPの値が悪いと指摘されました。これは前からずっと悪かったのですが。γ-GTPは肝臓の値です。飲酒などの量が多くなると悪くなると言われています。体質的なものもあるという話。この値が高いと身体が怠く疲れが抜けにくい感じがあります。

8年くらい前でしょうか。γ-GTPの値が高くなりました。基準値が50くらいのモノが200位になりました。健康診断の結果が来た時に余りにも衝撃ですぐに病院に行った記憶があります。「お酒は飲みますか?」と言われて「缶チューハイ1本くらいですかね」と答えると「ではそのうち下がるでしょうね」くらいの感じて薬が出ませんでした。普通に1本くらい飲んでいました。で、翌年の健康診断の1ヶ月前から禁酒をして採血をしたらまた上がっていました。250くらいになっていたでしょうか(笑)

飲んでも飲まなくても変わらないなら普通に飲もうと思って生活して禁酒することなく翌年に血液検査を受けると220くらいに下がっていました(笑)。何が何だか分かりません。もう関係ないのかなーと思っていましたが、ここ数年はやっぱり250前後で推移。すごく身体がダルいのです。色黒で健康そうに見られますが実は身体が弱いのです。数日間ハードな生活をするとその反動が半端なく来ていました。それでも練習があるので土日も休まず。別に義務だとは思っていなかったのでキツくても当然だと。これも私の中での「常識」なので一般的ではないですね。

で、今回の手術前に採血をしたらなんと370まで値が上がっていました。いや、これは笑えない。そのためかなり身体が怠い。夏休みもずっとしんどかったですが、理由はそういう部分だったかもしれません。精神的な部分もあるのかもしれませんが、本当にきつかった。それでもやらないといけないと思ってほぼ休みなくやっていました。ここまでくると「こんな状態になってまで働く必要があるのかなー」という気持ちにもなります。それくらいしんどいから。

今回手術をしたこともあり少し健康に気を配ってみようかと考えています。飲もうかなーと思っていたらある方にめちゃくちゃ怒られたので(笑)。周りの人に心配をかけるのも申し訳ないので。そのためそこから禁酒(笑)。真面目に守っています。選手に「覚悟を持て」と言ってきたのに自分が「覚悟」を持たずにやるのは良くないと諭されました。正に。

ということでしばらく禁酒します。懇親会などでは付き合いもあるので飲みますが。それ以外はしばらく禁酒。そして、これまで死ぬほど食べてきたのですが「禁ラーメン」もしようと思っています。これが一番キツイかもしれませんが。私からラーメンを取ったら存在さえもなくなってしまうくらいのレベルなんですが(笑)。それでも色々と怒られるので我慢。あとはストレスが溜まってくると「ストレス食い」でポテトチップスや和菓子などを過剰に摂取してしまうことがありました。それも断とうと思います。

夕食などに揚げ物が出た場合は食べますがそれ以外はしばらく揚げ物も禁止。昼食はオニギリとサラダに限定することにします。ダイエットをするつもりはありません。ここ最近、野菜を食べることも減っていましたから積極的に食べることにします。こうなったら健康になってやろうかと(笑)。

こうやってある程度宣言しておくとあとには引けません(笑)。今日の昼食はうどんのみ。たんぱく質が不足するかもしれませんが、普段なら2つくらい食べる天ぷらも取らず。納豆とかを夕食で食べてたんぱく質補給をします。

もう一度手術しないといけないと思いますが、回復したら運動も始めようと思います。前回手術した後に練習でお手本を示したらいつの間にか股関節の辺りの糸が切れて腫れていました(笑)。それは避けたいのでもう少し安静にしながら様子を見たいと思います。運動できるかなーという不安はありますが。

一応宣言だけしておきます。日常生活で節制してみます。覚悟(笑)
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モノの見方

2015-09-05 | 陸上競技
昨日、師匠とかなり話をしました。私の考え方のベースはここにあります。いつも何かあった時には色々と話をしています。「良き師に恵まれる」という感覚があります。同じ路線では絶対に追いつけないので、あれこれ試行錯誤しながら背中を追いかけているつもりですが遠いですね。

モノの見方について話をしました。本当はここがメインの話ではなかったのですが。色々と話をしている内に本質的な話をすることになりました。「常識」について。ここをどう捉えるかです。これは「価値観」と同意語だと思います。Aという人がいる。その人がある行動を起こす。それを見たBさんが「行動が非常識だ」と批判する。良くあることだと思います。またBさんが何かをした時にCさんが「あの人の行動はおかしい」と批判する。この関係の中で「互いか分かり合えることはない」と思う。

ある人にとっては「常識」だと思って行動した。その人は間違っているとは思わない。でも他の人にとってはそれは「非常識」と捉えられる。爬虫類をみて「かわいい」という人もいれば「気持ち悪い」と感じる人がいる。ここには絶対に分かり合えない大きな「溝」があるのだと思っている。それを埋めることは基本的に不可能だと考えている。それぞれが「常識」だというフィルターの中でモノを見ているのだから。自分が正しいと思っている人に何を言っても伝わらないと思う。分かりにくい話ですかね?

残念ながら私は自分が正しいとは思えない。基本的に一番疑っているのは自分自身だから。だからあれこれと相談する。この行動で本当に良いのかを様々な視点から見てもらう。もちろん間違っていると言われることもあるし、正しいと言われることもある。「正義」について以前触れたが「正義」の対義語は「正義」と言われるのはここの部分だと思う。それぞれにとって「正しい」と思うことがあるから行動をする。そこで「隔たり」があるから論争が起きる。他者批判が始まる。当然の事。

私自身も反省しないといけない。私のようにチマチマやる指導スタイルが「常識」ではない。ここは本当に感じている。これまで見てきた尊敬すべき指導者が「たまたま」そういうタイプであっただけで全員がそのような指導スタイルではない。そこについて大きな疑問を感じていたがそこを考えても仕方ないんだと思う。「指導スタイル」や「陸上競技に対しての考え方」は全く違う。そこを比較するのは私ではない。様々な場所で指導を受ける選手達だと思う。これも価値観。同じ指導を受けても「良い」と思う選手もいれば「嫌だ」と思う選手もいる。そこの価値観を修正してまでこちらを向かせる指導をするのか?ここは大いなる疑問となる。

私は「選手と一緒に競技に向かう」という指導スタイル。比較的距離も近いと思う。練習もかなり近くで見続ける。まー師匠には「時には一歩引いて物事を見ないとダメ」と諭されていますが。だから選手が中国大会やインターハイに進んだら死ぬほど喜ぶ。選手よりもテンションが上がるかもしれない。長距離の指導に向いていないと思うのは「競技をずっと見続ける事ができないから」だとと思っている。駅伝などでは走っているのを見る事ができないから時間が長くなる。一喜一憂する事ができないから苦手なんだと思っている。

私は私にできる最大限の事をやる。それしかないから。私の指導の噂がどのように流れているかは分からない。他者から聞く噂というのはどんなものか私にはわからないから。でも、私は一生懸命選手と向き合いながらやっていきたいと思っている。一人の人間だから不十分な部分はかなりある。でも、それ以上にどの指導者よりも一生懸命に選手と向き合う自信がある。それが私にとっての「常識」だから。指導に対する「価値観」だから。

こんな指導でも「指導を受けたい」と言ってくれる選手がいてくれるのはありがたい。そして今後「指導を受けたい」と考えてうちの学校を選んでくれる選手がいたら幸せだと思う。もちろん、「指導を受けたい」と言ってくれる選手に対しては全力で向き合う。「認めてもらいたい」とか「存在感を示したい」というのではやはり指導は難しい。競技力アップだけではなく人としての成長を促しながら指導する。

時間も労力もかかる。私もそれに見合うだけの見返りを求める権利はあると思う。価値観の押し付けだと言われるかもしれないが。見返りはそれほど大きな事ではない。「一生懸命にやる姿を見せて欲しい」という部分と「お互いに楽しくやりたい」という部分だけ。共に涙を流し、笑顔で喜びたい。それには今の指導スタンスは必要不可欠だと思っている。

私という人間を本当の意味で知ってもらう必要がある。文字だけではきっと伝わらない。それでも書き続ける。人に認めてもらうためではない。私自信が自分の事を理解しないといけないから。

分かりにくい文章ですね。
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雑記

2015-09-05 | 陸上競技
現時点で他者に何を求めるか。これは非常に難しいことだと思う。物事を見る。これは「主観」であり実際のところは客観性が著しく欠落している。私自身も常にそういう部分は気を付けようと思っているがなかなか難しい。自分がやっていることがすべて「正しい」わけではない。

ここ最近は極力「不平不満」を持たずに生きていこうと思っている。が、やはり難しい。もっともベースになる部分をしっかりと取り組んでいきながらも少し発展的なことをやる。いや、正確には発展的なことはやっていない。物事を進めていくうえでの効率の悪さがあるとなかなかイライラする。効率の良さだけを求めているつもりはない。やれば普通にできることをやる。これが必要なんじゃないかと思っている。これに関しては別途書きたいことがある。感覚に違いというのは如何ともしがたい。ここに「同調」を求めても何も生まれない。前も書いたが「言語が異なる」のに一方的に日本語で話し続けて「なぜ通じないのだろうか」と言っているのと同じだから。

人の「考え方」はこれまで経験してきたことが中心となる。何を見て何を感じてどのような行動をしてきたか。これにより全てが変わってくる。何度も言うが自分自身の行動と考え方が「絶対に正しい」と思う気はない。完ぺきではないから。不足する部分が多い。が、そこの部分だけを見てどうこう言われる判断されるのはやはり違うと思う。まー人の「欠点」というのは目につく。私自身も考えさせられるところがある。指導に関しては「欠点」を埋めていく作業だと思っている。もちろん良いところを伸ばすという指導もするが、「足りない部分」をそのままにしていて何か変わるのかという部分。結局そこから失敗が生まれる。

時間がないので少しだけ書いておく。本当に雑記。感じたことをそのまま書いただけ。批判される話ではない。
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