kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

批判に対する違和感

2015-09-16 | 陸上競技
これまた練習とは全く関係のない話。

この夏は世界選手権が行われた。基本的に私は見る側なので単純に競技を見る事を楽しんでいた。日本人選手の苦戦もあった。「結果」が出なかったが選手はそれぞれ感じる事があったと思う。

周りからは「メダルを取れ」「決勝に残れ」と言われる。が、そんなに簡単ではない。男子の200mで準決勝に3人が残った。これは本当にすごい事だと思う。決勝には残れなかったが善戦したのではないかと思う。それは私があくまで第三者だからそう感じるのかもしれない。出場した選手たちは目指している場所に届かなくて悔しい思いをしたと思う。当然の話。我々があれこれいう話ではないのかなと感じている。

が、その結果を受けてマスコミは選手を叩く。何故結果が出せなかったのだと。特に違和感を感じたのが定期購読している陸上雑誌の中の批評。ある選手の事を取り上げて批判していた。

予選を流して着順通過だからね。それなのに、準決勝の後の第一声が「予選の疲れがあった」。何のためにここまでピークを合わせてやってきたの、という思いがした。

29歳になって「経験を積むためにヨーロッパへ」というのも、ね。経験は20歳代前半でやっておかないと。

なんでこんなに上から目線なんだろうかっていう気がした。雑誌の記者だから辛辣な言葉を並べる必要があるのかもしれない。これから先の日本陸上界の事を考えるから出てくる言葉?私的にはかなりの違和感を感じた。甘いのかもしれない。が、第三者からそこまで否定される必要があるのだろうか。

「日本代表」になる。これがどれだけ大変な事なのか。本当に一握りの選手が生き残っていって代表になる。ほとんどの選手がその舞台に立つこともなく終わってしまう。全体を鼓舞するための意見なのかもしないがやはり厳しい言い方ではないかと思う。これは私のフィルターがかかっている中で読んでいるからそう思うのかもしれない。負けは許されない、結果を出さなければ親の仇のように批判されるというのでは選手は思い切りできなくなるのではないかなって。私は甘い。それは分かっているがやはり選手の立場をもう少し考えてあげたいなって思う。

もちろん前後の文脈がある。流れがある。一部分を切り取ってあれこれいうつもりはない。全体を通じて「失敗するのは選手の意識の問題だ」という論調だったのに違和感を感じただけ。感覚の問題。まー私のblogも同じようなものなのかもしれないなという「振り返り」にもなるのだが。「この期に及んで足痛めるというのは気持ちの部分が足りないのではないか」と言われても私は納得できないかなと。

代表になる選手が本当に努力をしていないのか?なんとかなると思って試合に出ているのか?そんなことはないと思う。そこに向かって一生懸命に考えて努力はしてきたはず。もちろん足りない部分はあったかもしれない。それでも「袋叩き」のように全否定をするのはどうなのか。課題は本人達が一番分かっているのではないだろうか。客観的視点という意味での論調なら仕方ないがちょっと違うかなと感じた。あくまで私見だから私の捉え方がおかしいのかもしれないが。

今回200mに出場した選手、20歳代前半では故障もあり思うように結果を残すことはできなかった。それが今やっと花開いて来ている。そこに対して「今更経験を積むというのはどうなのか」という意見はどうなのか?それなら若くして結果を残した選手以外は代表として選出される資格はないということか?私は違うと思っている。

色々な条件が重なって今の状態がある。結果だけを見て意見をいうのはどうなのかなと思う。苦しんで苦しんでやっている選手だっている。思うような結果が出せなくても前を向いてやっている選手だって数多くいる。その子達を否定することはできない。日本代表になるから批判の対象になる。それは当然だというかもしれない。日本国民全員のために競技をやっているのだろうか。代表としてのプライドは絶対持っていると思う。でも、きっと自分のためにやっている。そこは間違いない。

代表として税金で行っているのだから結果を出せと言われるのか?国体で県代表になった選手が予選落ちしたら「こんな選手にお金を使う必要はない」と言われてしまうのか?なんか違うんじゃないかなって思う。どんな気持ちでそこまで来たのかって考えたら私には批判はできない。私は指導する立場だからかもしれない。選手のことを近くで見ていたら結果が出ないから批判するという気にはなれない。

高校生レベルでも遊び半分でやっていない選手も多くいる。逆に軽くやってる選手もいるとは思うが。が、それは見ていたら分かるはず。こういう意味では中学生も高校生も大学生も関係ないと思う。一生懸命に取り組んでいることを認めたい。適当に手を抜いてやっているのとは違うから。

甘いですかね。もっとシビアにならないと世界では戦えないんでしょうね。でも私は「高校の指導者」として物事を見ている。達観した所から見てはいない。選手を大切にしたいという視点は持ち続けたい。改めて感じた。
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少しのことですが

2015-09-16 | 陸上競技
練習についてほとんど書けていないのですが。通常通り練習はやっています。順調に進む選手もいれば思うように練習が積めない
選手もいます。これは仕方ない部分があるのかなと。全員が万全の状態で練習ができるとは思いません。少しずつ練習ができる身体作りが進んできたのかなと感じる部分はあります。もう少し時間がほしいというのが実際のところ。チーム作りと競技力向上を並行してやっていかないといけません。これはなかなか大変な作業です。

日常生活に関する指導をしなければいけないという状況が続くと競技にかかわる指導が疎かになります。だからといって競技指導だけをするつもりはありません。足が速いというのは一時のこと。前の記事にも書きましたが「競技を通じて何を学ぶのか」というのが大切だと思っています。基礎的な部分ができて初めて競技を通じて学べることがある。信念を持って指導をしているつもりです。

先日ある選手がバランスディスクを使ったスクワットをしていました。気がつくと一人だけ片足スクワットをしています。他のものは両足でのスクワットをしているのに一人だけでした。気になったので「どうしたのか」と聞いてみると「以前故障したので筋力バランスが悪くなっている。弱いほうの筋力を戻すために片足でやっている。」との返答。いや、すごい。自分で必要性を感じて言われたことだけではなく「自主的な取り組み」としているのです。

そんなものは当然だといわれるでしょうか?私はこの行動を高く評価します。全員の前で褒めました。競技に対して前向きに考えているから行動が変わってくるのです。言われてからやるのではなく「必要だ」と感じて行動する。こういう姿勢が出てくると選手はいつの間にか強くなります。今はまだ戦えないかもしれない。それでも「強くなりたい」という気持ちが行動に現れているのだと思います。

少しの事です。それでもチームにとっては本当に大きな事。少しずつこうやって「自分自身のために」という感覚で練習に取り組めるようになってくる選手が増えてくるとチームは一気に変わっていくと思います。県で決勝に残ったから「良い選手だ」という気はサラサラありません。結果を無視するわけではありませんが、そこにたどり着くまでの過程が大切だと考えています。

強くなりたいのであればやるしかない。普通の生活をしてなんとなく練習をしているだけで強くなれるなら簡単です。しかし、それはできない。私にはそのような方法で選手を育てる手腕はない。少しずつ少しずつ積み重ねていって戦えるようになる事が目標。それ以外にないと思っています。

少しの変化。見落としたくはない。そういう部分をきちんと認めてあげないと「いつも注意されてばかりだ」という気持ちになるでしょう。なだめすかして練習に取り組ませようとは思いません。自分たちで「強くなるんだ」という気持ちを育てていきたい。簡単ではない。それでも少しずつ少しずつなんです。評価したいですね。
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