人には前に進むためのエネルギーが備わっている。また自分を突き動かすためのエネルギーが備わっている。
前にも書いたことがあるがこれは「無尽蔵に生まれてくる」と思っていた。そしてそれが「当たり前」の事だと感じていた。が、数年前「エネルギーが尽きる」という感覚を味わった。これもblogに書いた記憶がある。前の記事に書いた「自分以外のために一生懸命になる」事が自分の中では普通の事であり、そんな事に関して考えた事もなかった。
しかし、この数年ふとした瞬間にエネルギーが切れてしまう感覚がある。私の事を理解してくださる方々には分かってもらえると思うが様々な場面でかなり活動的に生きている。何に対しても全力でやっていこうという姿勢がある。それは私の最大の長所であり、同時に短所なのではないかと思う事も増えてきた。全ての事にエネルギーを使い過ぎてしまい結局自分の中に何も残らなくなってしまう。本当に使うところに使えていないんじゃないかという気がしてきた。
年齢的な事もあると思う。若い頃は体力もありかなり無理をする事ができた。が、今はやはり違ってくる。これまでと比べて体力も低下してきているし、病気などにもなりやすくなってきている。本当に考えていかないと「大切な所」にエネルギーを使う前に私自身が果ててしまうやではないかという気持ちもある。いつまでも同じ感覚でやっていくわけにはいかないんだと痛感している。
どこにどれくらいのエネルギーを配分すれば良いか。これを考えるのはものすごく苦手。体力の配分を考える事はほとんどない。だから後でめちゃくちゃ疲れる。それはもう仕方ない事なのかなと思っている。が、その時の疲れが「心地良いもの」なのか「単なる疲労感」なのかで全く違ってくる。新しいエネルギーを与えてくれる「心地良い疲労感」であればまた新しい力を与えてくれる。これは気の持ちようなのかもしれない。何かをする見返りは「楽しい」と思えるかどうかだと。それ以上でもそれ以下でもない。
私の持つエネルギーを自分のために使う。これは苦手。自分が選手だった時にはそれが基準だった。いや、正確にはキャプテンとなってからの数年は自分のために使うエネルギーと組織を運営する&後輩を育てる部分に使うエネルギーは同等だったかもしれない。その頃から「他の誰かのためにエネルギーを使う」という事に楽しさを感じていたのかもしれない。
これはなかなか分かってもらえない感覚なんだと思う。誰にも分からないかもしれない。私自身の意志で私自身の行動を決める。エネルギーの使い方を選んでいきたいと思う。正確的に選んでエネルギーを使う事ができるかどうか分かりませんが。エネルギーを使うのはやはり私自身。自分の持っている「才能」は自分が選んだ所に使いたい。そして私の「能力」を必要としてくれる所で活かしていきたい。それは私のエゴなのかもしれない。
人が成長していく姿を見ていく。これが今の楽しみなのかもしれない。そういう姿を見ていると自分の中からエネルギーが湧いてくる感覚がある。以前のblogにも書いたが「太陽」のように自分の中から湧き出てくる部分があるのが私の特徴なんだと思っている。そこに到達するためにはいつも誰かの力を借りている。一生懸命に物事に取り組もうとする人達と関わることで自分のエネルギーが増えていく。これってすごく大切なことなんだと思う。
エネルギー。本当は限られているのかもしれない。それでも生きている間は最大限に使っていきたい。そう思う。
前にも書いたことがあるがこれは「無尽蔵に生まれてくる」と思っていた。そしてそれが「当たり前」の事だと感じていた。が、数年前「エネルギーが尽きる」という感覚を味わった。これもblogに書いた記憶がある。前の記事に書いた「自分以外のために一生懸命になる」事が自分の中では普通の事であり、そんな事に関して考えた事もなかった。
しかし、この数年ふとした瞬間にエネルギーが切れてしまう感覚がある。私の事を理解してくださる方々には分かってもらえると思うが様々な場面でかなり活動的に生きている。何に対しても全力でやっていこうという姿勢がある。それは私の最大の長所であり、同時に短所なのではないかと思う事も増えてきた。全ての事にエネルギーを使い過ぎてしまい結局自分の中に何も残らなくなってしまう。本当に使うところに使えていないんじゃないかという気がしてきた。
年齢的な事もあると思う。若い頃は体力もありかなり無理をする事ができた。が、今はやはり違ってくる。これまでと比べて体力も低下してきているし、病気などにもなりやすくなってきている。本当に考えていかないと「大切な所」にエネルギーを使う前に私自身が果ててしまうやではないかという気持ちもある。いつまでも同じ感覚でやっていくわけにはいかないんだと痛感している。
どこにどれくらいのエネルギーを配分すれば良いか。これを考えるのはものすごく苦手。体力の配分を考える事はほとんどない。だから後でめちゃくちゃ疲れる。それはもう仕方ない事なのかなと思っている。が、その時の疲れが「心地良いもの」なのか「単なる疲労感」なのかで全く違ってくる。新しいエネルギーを与えてくれる「心地良い疲労感」であればまた新しい力を与えてくれる。これは気の持ちようなのかもしれない。何かをする見返りは「楽しい」と思えるかどうかだと。それ以上でもそれ以下でもない。
私の持つエネルギーを自分のために使う。これは苦手。自分が選手だった時にはそれが基準だった。いや、正確にはキャプテンとなってからの数年は自分のために使うエネルギーと組織を運営する&後輩を育てる部分に使うエネルギーは同等だったかもしれない。その頃から「他の誰かのためにエネルギーを使う」という事に楽しさを感じていたのかもしれない。
これはなかなか分かってもらえない感覚なんだと思う。誰にも分からないかもしれない。私自身の意志で私自身の行動を決める。エネルギーの使い方を選んでいきたいと思う。正確的に選んでエネルギーを使う事ができるかどうか分かりませんが。エネルギーを使うのはやはり私自身。自分の持っている「才能」は自分が選んだ所に使いたい。そして私の「能力」を必要としてくれる所で活かしていきたい。それは私のエゴなのかもしれない。
人が成長していく姿を見ていく。これが今の楽しみなのかもしれない。そういう姿を見ていると自分の中からエネルギーが湧いてくる感覚がある。以前のblogにも書いたが「太陽」のように自分の中から湧き出てくる部分があるのが私の特徴なんだと思っている。そこに到達するためにはいつも誰かの力を借りている。一生懸命に物事に取り組もうとする人達と関わることで自分のエネルギーが増えていく。これってすごく大切なことなんだと思う。
エネルギー。本当は限られているのかもしれない。それでも生きている間は最大限に使っていきたい。そう思う。