kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

熱心さ

2015-09-06 | 陸上競技
先日の話。珍しく?!師匠に褒めてもらえた。これは本当に大きな事だと思う。技術的な事ではやはり遠い存在。指導に関しても。たまたま他の人に話をする際に私の事を挙げて話をされたという事。

「徹底的にやり続けるからある程度の結果を出せている」という事。それは私自身では分かりませんが周囲から見ると「そこまでしつこくやらなくても」と感じるところがあるのだと思います。普通の選手が大きな結果を残すにはそれなりの理由があります。そこをきちんと見てもらえている。そしてそこにある「理由」を分かっている。練習内容もそれなりにやっていますが、やはり師匠や諸先輩方には勝てない部分があります。かなり自信は持てるようになっていますが、まだ勝てないと感じる指導者がいるのは確かです。

これまで13秒1~2で入学して来た選手が3人、12秒前半になりました。これは自慢して良いんじゃないかと思っています。普通はないと思うので。人生の中で12秒台の女子が入学して来た事はありません。中学時代の100mの1秒と高校時代の1秒は大きく違います。1年生の早い段階で大幅ベストを更新するような選手とも違います。ここの意味はなかなか分かってもらえないかもしれません。発達段階における1秒と身長の伸びが止まってからの1秒では身体的要素が大きく異なると思っています。ある程度の水準からは技術的な部分。

実際、私がこれまで指導して来た選手は最終的にかなり力をつけてくれました。もちろん全員ではありません。思うように伸びなくて悩んでいた選手もいます。が、最終的には人間的な成長を示してくれました。外部から評価されない部分かもしれません。が、本人達が一番わかってくれているはずです。その代わり途中ではかなり苦しんだと思います。思い通りにいかなくて、周りが付いてきてくれなくて、故障で苦しんで。でもそれを「必ず越えるんだ」と信じてやってきてくれたから「結果」につながっていいったんだと考えています。

師匠に認めてもらえている唯一の部分。とにかく徹底してやること。技術的なこともひたすらやります。ここまでしつこくしつこくやる指導というのはあまりないと思います。ある程度の所で「まー仕方ないか」という気持ちになって大体の所で見切りをつけてしまう。それが普通です。時間には限りがありますから。それなら他のことをやってそのうち治せばいいやというのが「常識的な指導」だと思います。

が、私は本当にしつこい。嫌なことがあったら必ず根に持ちます(笑)。性格が悪いだけかもしれませんが。そんなことを言うなら実際にやってみろ!!という反骨精神なのかもしれないと前向きに捉えています。できるまで徹底します。数日間使って技術的な改善をするまでやる。バトンなどは簡単に変わらないので毎日毎日ひたすらやります。冬季練習中でもひたすらバトンはやります。トレーニングに関しても同様。どこの学校よりも徹底します。妥協せずにひたすらやる。それが長い目で見たときに結果につながるのだと思っています。最初の1年目よりは2年目の方が確実に結果につながるのはこの部分だと思っています。

それを実際に行動に移すためにはやはり「熱心さ」が必要になると思います。自分でいうのも何ですが私の最大の特徴は「熱心さ」「情熱」だと思います。周りからは「馬鹿じゃないの」と言われますが、やはりそこは大切な要素だと思っています。それくらいの熱がなければ指導をして上手くいかないと思っています。そのためにはモチベーションを高く維持しないといけない。ここが一番大変なのかもしれないと感じてはいますが。

何かを徹底するためには信じられないくらいのエネルギーが必要になります。自分の中から出てくるエネルギーもありますし、他者から与えられるエネルギーもある。そのエネルギーを与えてくれるような選手に出会えるとどこまででも進んでいける気がします。そこは強い弱いというのは関係ない。気持ち的に「強くなりたい」という部分があるかどうかだと思います。

他者に認めてもらうためにやっているわけではない。が、目標とする人に多少でも評価してもらえると嬉しいですね。その評価を下げないようにもっときちんとやっていけるようになりたいですね。最終的にそれが選手に還元されることになるのだから。まだまだやらないといけないことはあります。最大限のことをやっていく。熱心に情熱を持って取り組んでいきたいと思いますね。
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求めること2

2015-09-06 | 陸上競技
前の記事と重なる部分があるので。同じタイトルにしました。これも私の感覚なのでうまく繋がっていないかもしれませんが。前置きとして「否定的な捉え方」をする方は読まないでください。この中に今の課題となる部分を書いています。チームの事を書いたりすると不快に思われる方もいるかもしれませんから。

金曜日、競技場で練習をしました。翌日が競技場が使用不可となっていたので少し練習時間を引っ張るという予告だけはしておきました。そうでないとなかなか走れないですから。この日に走ったとしてもその週は「たった2回」しか走練習ができないのです。このことの意味を考えたら少し引っ張ってでも走るのは当然の事だと思います。これを「当たり前」だと考えてやっていくのも私にとっては当たり前ですが、他の人にとっては「なんでそこまでするのか」と言われる部分かもしれません。価値観の相違を埋めていくのは簡単ではないですし、ある意味不可能だと感じています。

これまでかなり我慢をしてきました。「新しい環境だから」という部分は少なからず考えていました。周りからすれば「一気に変えすぎだ」と言われたり「前は○○だったのに」と言われる部分があったと思います。それでも指導する人間が変わればやる事も変わります。専門的な指導を受けていた選手が顧問が変わったからその指導が受けられなくなる。これも「体制の変化」により仕方ない事だと考えています。指導が受けられなくなったら学校に「なんで専門の教員を連れてこないのか」と主張するでしょうか。それは仕組みとして難しい。それは価値観云々ではなく実務として難しいのです。

ある一定以上のことは求めていたと思います。が、最も基本的に求めていたのは「返事」と「声出し」です。これは県で1番になる選手でも予選落ちする選手でも「やろうと思えばできる」のです。これまでの実績云々は抜きにして「やろうと思えばできる」ことを求める。私は悪いことだと思いません。「当たり前のことを当たり前にやる」のです。それが最低限の「義務」だと思っています。指導を受ける「権利」を主張するのであればそれに伴う「義務」を果たさないといけない。これは私の考え方がおかしいのでしょうか?

これが未だに出来ません。そして本当に「義務」としてやる。言われたから仕方なくやるというのでは意味がない。誰のための練習なのかをきちんと見極めていく必要があると思っています。一方的にblogに書くという批判を受けるかもしれません。これから先は色々とあって「練習の公開」をすることになると思います。まだはっきりとは書けませんが。私が指導している内容を見てもらう機会、参加してもらう機会が増えるかもしれないと思っています。だったら「勘違い指導するな」と言われる不特定多数の方は練習を見に来て欲しい。それを全て見てそれでも「指導方法が間違っている」と言われるのであれば受け入れます。

そんな中でバトン練習をしました。あろうことかをバトン落としました。こんな練習をどれだけやっても効果は出ないと思います。なぜ落としたのか?と問うと「調子が悪かったから」という答え。「価値観が違う」という部分とは異なります。これまで教えてきたことが全く身についていない。バトンに関してはかなり勉強してきました。本当に細かい部分まで。それでも足りないと思っています。バトンは「調子の良し悪し」で渡らなくなるものではない。早出をしたり、詰まったりするのも「たまたま」ではなく理由があるのです。ここに関してはかなり厳しく全体に話をしました。

私は現時点でリレーで勝てるとは思っていません。男子で上手くいけば予選通過できるかなという水準。女子はきちんとフィニッシュできるかなと。それで良いと思っています。前の記事にあるように「そこに到達するまでの過程」が大切だと考えるから。更にはレース内容だと。他校がどうかは知りませんが、私は付きっ切りで技術指導をします。合唱とは異なります細かい部分をきちんとやらないと「上手くいかない」と思うからです。なぜなら「バトンは技術」だからです。細かい所を丁寧にやっていく必要があるから。

バトンを適当にやるチームもあると思います。それでも私はスプリントの生命線は「バトン練習」だと考えています。ここがきちんとできると絶対にスプリントは上がってきます。だからここに力を注ぐ。その事は何度も説明してきたつもりです。勝つ事だけを求めているのではない。「今できる事を最大限にやる」事を求めているのです。返事にしてもバトンにしても。やろうと思えばできることです。それを求める事は本当に悪い事でしょうか。

こちらが求めることが高すぎる。そう言われるのかもしれません。求めている事と自分がやっている事が違う、と。いや、私は本当に基本的な事を求めています。やればできる事をやる。その積み重ねがきっと「結果」に結びついていくと考えています。私の「当たり前」は全世界の「非常識」なのかもしれません。それでもこれまで多くの選手が求めている事を理解して行動してくれました。恵まれていたのかもしれません。

それでも確実に力が上がり、内面の成長をしている選手もいる。これは間違いない事実です。もっと時間があれば大きくレベルアップする可能性がある。ここを大切にしないといけないんだと思っています。成長の幅はあるんだと思います。否定的な内容に捉えられるかもしれませんが、きちんと認める所は認めています。当然の話です。そこはきちんと言葉にして伝えているつもりです。不十分かもしれませんが。

やればできる事をやる。これが必ず自分を成長させる。これは間違いない事実。指導に関してはまだまだ勉強しないといけない所はあると思います。しかし、熱意に関してはかなりあると思っています。だからそれなりの選手でも県内で戦えるようになる。もちろん、選手自身が「その気」になって自分の時間をある程度犠牲にしてでも全力で取り組まないといけない。普通の選手が普通にやっていて勝てるほど簡単な事ではないから。

長くなりました。特別に何かあったとは思いません。全否定をする文章でもないと思っています。考え方を示す。それだけです。こんな内容を書き続けるから敵を増やすというのは分かっています。雉も鳴かずは撃たれまい。あえて撃たれる方向で生きているのかもしれませんね。

それでもどこか誰かに響くと思います。blogの存在、私の存在を支持してくれる方々もいる。

長くなりました。

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求めること

2015-09-06 | 陸上競技
金曜日、学内では文化祭が行われました。各学年毎にあれこれステージ発表を行います。担任をしている1年生は合唱でした。私としては「生徒に任せる」という形で進めていきました。これも私のスタンスですが。基本的に環境を整えることでサポートします。練習日程や計画、進め方は全て生徒に任せたいと思っています。

もっと生徒と一緒にやるべきだ。こういう意見も出るかもしれません。一緒にやるときにはやります。が、四六時中付いて主導権をこちらが握ってやっていくというのは少し違うかなと考えています。クラスと部活は似ているようで違うと思っているからです。上手くいくかどうか。クラスに関しては知恵を出し合いながらやっていく事が必要になります。生徒が工夫してやっていく事が大切。「自分達で作り上げた」という感覚を持たせたいと思っています。もちろん時には時間を共有して見守ります。完全に任せるという形にはなりません。

夏休みに入る前から自分達で計画を立てて練習をしてきました。他のクラスと比較するのではなくまずはきちんと自分達がやっていく必要があるからです。最終的には少し工夫をして全体を巻き込んで歌を歌うようにしていました。最初は恥ずかしがっていた男子もしっかりと声を出してくれていました。これで十分なんだと思います。女子もそれに合わせてやってくれる。代表者の子だけに任せるのではなくみんなで協力して取り組む。

結果的には学年優勝を逃しました。が、合唱という意味では担任をしているクラスの子の歌声が一番だったと思います。ひいき目なしに。形としては残りませんでした。出来れば優勝しようと言い続けてやってきましたから、生徒としては不満が残るかもしれません。しかし、このまでやってきた取り組みや自主性、計画性はかなりのものだったと思います。これによりクラスの雰囲気は良くなりました。何人かは「やりたくない」と思っている子もいたかもしれません。それでも最終的にはかなり良かったと思っています。

求める事。これは「結果」として現れるかどうかわかりません。優勝するのは1クラス。それ以外は勝てません。そして判断基準は様々ですから「優勝」を決める部分には主観が入ります。ここは陸上競技とは異なります。陸上競技では主観が入り込む余地はない。でも共通する部分はたくさんあります。「目標に到達するまでに何をするか」です。「結果」だけを求めていたらそこにたどり着くまでに身につけた事は何も見えてきません。人間的な成長は評価対象ではないからです。

そういう部分を見ていくのは私達の役割だと思います。そこに向かうために時には厳しく言わなければいけない。クラスでも鼓舞して全力で取り組ませるようにはします。そこまでやらなくてもいつの間にか自主的に取り組むようになっています。もちろん甘いところもあると思いますが、これは部活とは異なる。ある一定の目標を共有してはいますがそこに対して取り組む時間という部分では大きな差があります。

多くの時間を掛けて部活をやります。だからこそ普段のクラス活動よりも成長を求める事ができる。クラスはクラスでも「多様な価値観の中で活動をする」ということで他者理解ができると思っています。部活は「ある一定以上の意識レベルでの目標の共有」だと思っています。価値観がバラバラだと同じ方向に進むことはできません。これは間違いない事実。

クラスの生徒は本当に良くやってくれたと思います。みんなが一生懸命にやっている姿を見ることができて私的には本当に良かったと思います。こちらが元気をもらった気がします。ありがたいなと思いながら時間を過ごせました。感謝。
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基礎作り

2015-09-06 | 陸上競技
色々と考えることがあってblogは話が飛び飛びですね。何をしているのか分からず。まとまりのない文章をダラダラ書いている感じがあります。まー興味のない方は読み飛ばしてください。私も考えることがあるので。

いつの内容から書いていないのかもう記憶がなくなっていますが水曜日に走ったあとからの話ですかね。木曜日はトレーニングとしました。久々に屋外でやろうと思っていたのですが、他の部活が練習をしていて場所がなかったためまたも室内で。これも仕方ないかなと思います。室内でやると声を出すのも遠慮しないといけないので難しくなります。

週に2回はトレーニングの日にしています。この週は3回の予定。これまでの経験からするとここまでくると随分身体が変わってくる時期なのですがまだまだ変化が小さいなという感じを受けています。「前任校と比較することは良くない」と言われると思います。が、私の判断基準はそこでの取り組みにあります。「学校が違うのだから」という部分はありますが、大きな枠で見たときには「同じ高校生」です。できないことはないと思っています。これまでと比べて今の方が圧倒的に工夫しています。単調になって飽きてしまう&キツくても気持ちが切れるという部分に対しての配慮をしています。ある程度自信はあるのですがなかなか。

ずっと口にしているのですが「やるだけの練習は無駄」だと思っています。特にトレーニングになると顕著に差が出ます。きちんと負荷をかけないといけないところが浅くなったりしてしまうと効果は半減します。これではどうにもならない。同じやるなら効果が出るようにやらないといけないと思います。どうしてもキツイから少しずつ負荷が軽くなるのです。だからトレーニングの時にも近くで指摘しながらやっていきます。

「言われなくても分かっている」と選手は感じるかもしれません。毎日毎日口うるさくあれこれ練習に対して指摘される。これを煩わしいと感じる選手もいるでしょう。キツさがありますから、分かっていても出来なかったりする部分がある。それでも言い続けています。言っても言っても変えようとしない選手がいたとすればそれはもう仕方ないんじゃないかと割りきろうかなと思っています。100人が100人、こちらの求める事をできるとは思いません。練習に参加している選手に対して平等に接していないと批判されるかもしれません。

文字だけで書いてもなかなか理解してもらえないと思うので「練習をする様子を全て見てもらいたい」と思います。それを数日間続けて見てもらって意見を言ってもらいたい。練習中に手を抜いたり、態度が悪い者がいたとしても私は全て平等に優しく声を掛けていく「義務」があるのでしょうか?何故勤務時間以外の時間にそこまで他者から「強制される」必要があるのか。これまではそんな事を考える事はありませんでしたが、自分自身の人生を生きているのだからそれなりの行動をしても良いんじゃないかと。

トレーニングも走練習にしても同じだと思っています。最後の一歩まできちんと走らなかったり、最後の一回を手を抜いてしまう。キツイからその気持ちが出てくるのは仕方ないと思っています。が、それを許していたら全てを許さないといけなくなるのではないか。「価値観の押し付け」だと言われるかもしれません。が、こうやって集団です活動をする時には必ず何かしらの「方向性」を示す必要があります。私には適当に指示だけ出して練習は勝手にやれという指導はできません。それを望む選手もいるのかもしれない。練習内容不満はないが指導の仕方が良くないと言われるかもしれません。メニューに関しても指導内容に関しても全てを含めて競技指導だと考えています。そこは理解してもらえないと指導する事は不可能だと考えています。

練習を進めていくためにはやはり基礎的な事が大切だと思います。基礎技術と基礎筋力。それに基礎的な考え方、取り組み方だと思います。それをやっていくためには指導者として信頼をしてもらわないといけなくなります。私のような人間が他者から信頼されるのか?これも分かりません。上述のように100人いて100人が全員こちらの考え方を理解して従うというのは不可能だと分かりきっています。練習だけは指示を聞くがそれ以外はやらないというのでは組織として上手くいかないと思います。

私のモチベーションを高く保てるようにしないといけない。それも大きな課題です。「勝つ事」を求めているわけではありません。それだけに固執して指導するつもりはない。それでも「戦える可能性」がある所に力は使います。それは不平等ではない。私はそう思っています。

何かあったからこういう事を書いているわけではありません。常日頃から思っている事を文字として示しているだけ。一部分を切り抜いて批判をするのだけは勘弁してください。全てを見て判断する事が必要になります。

本当に色々と考えます。この歳になってなお考える。自分の生き方について考える。それぞれの「価値観」だけて物事を考えるのはやはり避けたい。一部分の話だけを聞いてそこであれこれ言うのではない。できるだけ客観的に見ていく中で判断をしていきたいと思っています。だから疲れるんですが。

雑文ですね。
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