書名:暮らしを変える驚きの数理工学
編著:合原一幸
発行:ウェッジ(ウェッジ選書)
目次:第1章 数学で実世界の様々な複雑系問題に挑む
第2章 パンデミックを数理モデリングする
第3章 本震直後からの迅速な大きな余震の予測
第4章 デジタルグリッドが実現する新しい電力の仕組み
第5章 複雑系数理モデル学に基づいた通信システムの最適化への新しいアプローチ
第6章 機械が現実を学習する
数学を新技術の開発や研究に応用する動きが、わが国でも活発化してきている。数学はこれまでも、ソフト開発やアニメやCG(コンピューターグラフィックス)、さらには金融、医療分野などで盛んに応用されてきた。例えば、医療分野では、画像データのシュミレーションの形状分析において、3次元空間の図形を扱う幾何学が採用されている。数学には、社会や自然などの様々な現象をモデリングできる機能が備わっており、今後は、モノづくり全般に欠かせないツールとして活用される機運が徐々に高まってきている。測定時間が不足したり、信号が弱かったりした場合でも、必要な情報を抽出して本質つかむ新たな計算方法である「スーパーモデリング」も注目されている。これは、「データが少なくてわからない」場合でも、まばらなデータから本質的な部分を抽出して目的の情報を取り出す数学的手法である。
このような状況下、官(文科省)、民(企業)と学(日本数学会、日本応用数理学会)が連携して「日本数学会社会連携協議会」が設立され、「日本数学会 異分野・異業種研究交流会」などの活動も開始されている。これは、数学・数理科学を研究する若手研究者が、ICT分野、金融・保険分野、製造業分野のような産業分野に深く関心をもつために、産業界や経済界と協力して行うイベント。また、文部科学省でも平成26年から「数学イノベーション戦略」を打ち出している。これは、数学研究者と諸科学・産業の研究者が出会い、諸科学や産業における様々な課題に対して数学的なアプローチによる解決法を探るための「出会いの場」や「議論の場」を設けようとするもの。
「暮らしを変える驚きの数理工学」(合原一幸編著/ウェッジ)が描き出す新しい世界は、これまで、どちらかというと産業界の裏方のような存在であった数学が、これからは科学技術界を牽引する役割を果たす可能性を秘めていることを各分野にわたって紹介している書籍である。これから数理工学が主役に躍り出る可能性の背景には、人工知能とロボット、ビッグデータさらにはIoTなどの存在がある。つまり、これらの新技術は数理的な裏付けがなければ、その機能は限定的なものに終わってしまうであろう。例えば、人工知能だったら将棋、囲碁で人間を打ち負かすことぐらいで終わってしまう。ところが、数理工学(数学の工学への応用)の成果を組み込むことによって、現在、想像もつかないような応用が可能となるかもしれないのだ。この本の編著者である合原一幸氏は、2010年から4年をかけ、内閣府と日本学術振興会、科学技術振興機構の支援を受け「FIRST最先端数理モデルプロジェクト」(複雑系数理モデル学の基礎理論構築とその分野横断的科学技術応用)の責任者を務めている。この「FIRSTプロジェクト」の目的は、「数学で実世界の様々な複雑系問題に挑む」ことにある。そして、その理論の基礎となるものは、①複雑系のダイナミクス(動力学的特性)を対象とする「複雑系制御理論」②中間レベルの要素間の関係性やネットワーク構造を具体的に記述し解析する方法論「複雑ネットワーク理論」③健康、疾病、地震や経済など一般社会の関心が高い複雑系テーマに関しての膨大なデータに基づく非線形データ解析理論「ビッグデータ」―の3つである。
同書は、全体で6章からなるが、第1章は編著者の合原一幸<東京大学>による複雑系問題の数理工学による解決法が述べられている総論部分であるが、第2章~第6章は、個々の各分野ごとにどうやって数理工学を適用させ問題解決に至るかの各論を、それぞれのエキスパートが執筆している。第2章は「パンデミックを数理モデリングする」(筆者:占部千由<東京大学>)で、感染症の世界的流行(パンデミック)に複雑系数理モデルを如何に適用させ解決しているかの状況解説。第3章は「本震直後からの迅速な大きな余震の予測」(筆者:近江崇宏<東京大学>)で、余震の予測の高精度化・迅速化に関する数理工学による研究のアプローチを紹介。第4章は「デジタルグリッドが実現する新しい電力の仕組み」(筆者:阿部力也<東京大学>)で、デジタルグリッドルーターを通して、複数の中小セルが非同期に基幹電力系統に結合されて、安定で柔軟な電力システムを構築できることを数理工学を使って解き明かす。第5章は「複雑系数理モデル学に基づいた通信システムの最適化への新しいアプローチ」(筆者:長谷川幹雄<東京理科大学>)で、周波数やネットワークの動的選択を最適化する、より知的なコグニティブ(認識)能力を持った通信システムの開発への数理工学の導入。第6章は「機械が現実を学習する」(筆者:鈴木大慈<東京工業大学>)で、ビッグデータから有用な情報を引き出すための複雑系数理モデルのデータ解析手法。これらの第2章~第6章を読み終えると書名の「暮らしを変える驚きの数理工学」の意味がはじめて分かることになる。(勝 未来)