EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

四角・八角神輿ロープ巻き披露

2014年04月10日 | 伊予松山歴史散策
松山お城祭り行事の一つとして、今年初めての試みである、古町の四角・八角神輿の神輿鉢合わせ(喧嘩支度)用ロープ巻きの実演が松山城二ノ丸御殿後で一般公開披露された。
通年のロープ巻きは松山秋祭りの前日である、10月3日に行うが、今年は特別にお城まつりの4月6日に観光客に披露された。そして、ロープが巻き終えた後に記念の餅撒きが行われ、来日中のドイツ・フライグルグ市長さんと、松山市長野志市長が特別参加して餅まきをされた。フライグルグ市長さんは初めての餅まきに楽しんでおられた。


初公開される松山市で一番歴史の古い四角・八角神輿(喧嘩支度)のロープ巻き公開PRポスター


松山城二ノ丸(旧 城主御殿跡)庭園には四角・八角神輿会の旗が掲げられた。


四角・八角神輿会のロープ巻きに先立ち、地元の味酒小学校の金管バンド部の演奏会があり、素晴らしい演奏に皆さん聞き惚れていた。!!


さて愈々、四角・八角神輿のロープ巻きが始まった。観光客は初めて見る光景に神妙な面持ちで見学していた。


こちらが八角神輿で手際よく、先輩の指導の下、巻き上げている。


この画像が非常に珍しいもので、日頃は絶対に見ることが出来ない八角神輿の下側です。


八角神輿のロープ巻き完成に近い状態。八角神輿は全国でも数少ない神輿です。


此方は四角神輿、これから喧嘩支度のロープ巻き、四角・八角神輿ともロープは一本のロープで巻き上げます。


この画像も見ることが出来ない貴重な画像で、四角神輿会会長さんに特別にお願いして撮らせて頂きました。


無事ロープ巻き完成し、お神酒を神輿に捧げてました。


この時突然に予告なしに、野志松山市長さんが、ドイツ・フライブルク市長さんを案内して二ノ丸庭園を訪れご挨拶をされ、この後行われた記念の餅まきをされた。


記念の餅まきをされる野志松山市長さんが、ドイツ・フライブルク市長さん。


ドイツ・フライブルク市は松山市と姉妹・友好都市の交流をしている。
フライブルク市長さんは、初めての餅まき体験とあって嬉しそう。


喧嘩支度のロープ巻き、記念の餅まきも無事終了し、松山秋祭り名物、神輿の鉢合わせをして特別記念公開ロープ巻き披露は終わりました。


千木神輿がロープ巻き完成した四角・八角神輿を従えてご披露。
秋祭りの宮出し、巡幸、宮入全て、千木神輿が先頭にその後に、八角神輿、そして四角神輿が続く仕来たりになっている。


松山お城祭り特別行事である四角・八角神輿喧嘩支度仕様ロープ巻き・餅まき・模擬鉢合わせ全ての行事無事終了し、最後に祈念の手打ち式を関係者、観光者全員で行い幕を閉じた。・・今回は良いものを見せて頂きました。
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松山お城まつり

2014年04月08日 | 伊予松山歴史散策
松山お城まつりは、松山城小天守の復元完成を祝い、昭和42年から始められた行事で、「大名・武者行列」をはじめ、野球拳等々市民参加による華やかな催し物が市内中心部で3日間にわたって繰り広げられている松山市の大きな行事の一つのお祭りで、開催日は、毎年4月第一金・土・日曜日に行われております。
昨日のお城まつりは、大名・武者行列は、午前11時40分にロープウエイ山麓駅舎前を出発予定でありましたが、急に鉛色の雨雲が発生し、時折雷鳴が轟く降雨になり心配しましたが、10分程で天候は回復し大名・武者行列行は予定通り行われました。伊予松山城は、初代城主、加藤嘉明、二代目が、蒲生忠知(がもうただちか)、三代目が、松平定行で、以後維新まで松平が治めて来ました。
昨日は、お姫様役に、モデル・女優のスミレさん(松原すみれ)が扮装され。スミレさんの周りは、黒山の人だかりでした。また外国から来られた観光客は、江戸時代の豪華絢爛な時代絵巻を楽しまれていました。そして松山市はドイツのフライブルク市と姉妹都市として締結していまして、フライベルク市の市長さんも來松されており楽しげにご覧になられました。
画像は、4月6日撮影しました。


平成26年松山春祭りのポスター。


大名武者行列の出発時間時に、急激に天候が悪化して(雷鳴交じりの降雨)行列の進行が出来るのか心配しましたが画像の様な天候に、これまた急転換して無事行われ関係者は、胸を撫で下ろしていました。


慶長8年10月松前((正木)城時代の家臣と住人共々居を新城下に移すこととなり、ここに松山という名称が公にされました。これが現在の松山市の始まりでした。


松前(正木)城から、新城下に移すこととなった時の行列か??


初代伊予松山城主、加藤嘉明に続いて、お姫様役を演じる「すみれさん」の山車が続く。・・観衆は一目見ようと大喝采。


お姫様役に、モデル・女優のスミレさん(松原すみれ)が扮装され。スミレさんの周りは、黒山の人だかりでした。


お姫様役に、モデル・女優のスミレさん


行列の終盤、千舟町では演武がありました。皆さん方はプロの方で、かなり見応えのある名演技でした。


斬られ役も、斬るほうもなかなか迫力のある名演技、見物者から大拍手が起こった。


伊予松山第二代目城主、蒲生忠知(がもうただちか)の行列。蒲生忠知は、加藤嘉明が会津に転封した後、寛永4年(1627)出羽国の上ノ山城主4万石から24万石の大大名として伊予松山城主となった。蒲生氏郷の孫である。
なお、初代加藤嘉明は20万石、三代目松平定行からは15万石となり、以後維新まで石高は変わらなかった。
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松山城観桜・春爛漫

2014年04月02日 | 伊予松山歴史散策
松山市の染井吉野桜は、満開を少し過ぎ綺麗な花弁が風に乗って散り始めました。
昨日午後から青空が素晴らしい天候になりましたので松山城本丸・三ノ丸の桜散策に行って来ました。
本丸広場は、地元市民、県外からのお城好きの皆さん方で大賑やかでした。
そして最近多くなりました一眼レフカメラを持って撮影する女性が目に付きました。


大勢の花見客で賑やかな本丸広場。


筒井門前で、現在筒井門が修復中、本丸一大きい門を背景に撮れないのが残念。


本丸で一番元気のある桜です。


桜の下で花見弁当を広げて花を観ながら皆さん楽しそう!!


桜は青空をバックに・・が一番映える。


太鼓門前の桜で余り元気がなく丸太で支えている。


小天守下にある桜、若い二人はお城の建物と桜と青空、最高と言葉を掛けながら観桜していた。


乾櫓前から撮った。左右の隅櫓と中央に天守の最上階部を望む。城郭と石垣にその和らぎを桜が果たしてくれている。
一年の内一番いい季節。出来るだけ長く花を着けていて欲しい。


艮門横にある桜で枝ぶりが美しい。


太鼓門前の枡形、この地点の桜も素晴らしい。ここからは松山の南東部の城下町を望む絶景の場所。


三ノ丸から二ノ丸と本丸を望む。この桜は周囲の景色をいい感じで醸し出している。


三ノ丸外堀にある噴水・・外堀水の浄化を兼ねている。


市役所前からで、外堀を介して桜を見ながら天守を望む絶景の場所で外堀土塁の桜も満開でした。
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JA5YXBメンバー・お花見

2014年04月02日 | 伊予松山歴史散策
JA5YXBとは、アマチュア無線の社団局の呼び出し符号(コールサイン)で愛媛県内の女性だけで構成されている愛媛YLハムクラブの名称です。
画像は、アマチュア無線を主として活動している女性の皆さん方で、アマチュア無線線機器を使って電波を発信するには、アマチュア無線従事者免許が必要です。取得するには、国主官庁の実施する技術・技能認定試験(無線従事者試験)に合格し、国主官庁にアマチュア業務を行う無線局(アマチュア局)の開局申請を行い、許可を受けなければなりません。
アマチュア業務は、金銭上の利益のためでなく、専ら個人的な無線技術の興味によつて行う自己訓練、通信及び技術的研究の業務を行う無線局の事とです。
アマチュア無線技士の資格は、下記の資格に分かれており、それに相応する資格を取得する事が必要です。
• 第四級アマチュア無線技士・・空中線電力10W以下
• 第三級アマチュア無線技士・・空中線電力50W以下
• 第二級アマチュア無線技士・・空中線電力200W以下
• 第一級アマチュア無線技士・・空中線電力1kW以下
上記の通り四段階の資格があり、第三級アマチュア無線技士以上の従事者は、電信(モールス信号)の電波を発信する事が出来ます。
また、アマチュア無線局の社会的貢献が取り上げられるものとして、災害時などの非常通信があり、 携帯電話やインターネットが広く普及した今日にあっても、アマチュア無線の災害時の対応などについては社会からの期待があります。・・阪神大震災・3,11東北大震災にも活躍されております。


愛媛県内のアマチュア無線従事者免許を取得し女性だけでクラブとして活躍されている皆さんです。全国でも有名なクラブ各位です。皆さん方は、第一級アマチュア無線従事者免許の持ち主で凄腕の女性達です。
メンバーには、全日本読売1万局ワードを達成した凄い局長さんがおられます。
註:全日本読売1万局ワードは、主催者の読売新聞東京本社が発行するアワードで、交信条件が非常に難しく世界でも有名なアワードです。厳しい条件下で申請し合格すると読売新聞本社に招待され賞状と記念品が授与されます。



5年前に、松山城三ノ丸を市民の憩いの場所として松山市が「城山公園」として整備した所で、桜を植栽し松山市の桜の名所とする計画をした。桜の植栽はオーナー制度を取り入れられ、JA5YXBもこの企画に賛同して桜を植えられました。当初は幼木の為開花せず近年画像の様に成長し花をつけるようになりました。メンバーは毎年4月1日午前11時に植栽した桜の前に集合し成長した染井吉野桜を観桜しておられます。


松山城三ノ丸跡を整備し城山公園として開園、市民の憩いの場所となっている。江戸時代は上級武士の屋敷や、藩の主要な建物があった。明治時代になり陸軍歩兵第22連隊の施設が置かれ、戦後は文化施設が建築された。現在はその施設は、NHK松山放送局舎・市民会館・県立図書館・県立美術館を残し他は撤去して公園化した。画像の親子が座っている桜
が「JA5YXB」が植栽した桜で、江戸時代は、内藤鳴雪(俳人・正岡子規の門弟)の屋敷跡近辺です。


JA5YXBが植栽した染井吉野桜で、松山城本丸を背景に撮ってみました。


JA5YXB植栽の染井吉野桜で、樹は未だ幼木ですが、アップで撮ると一人前の花を咲かせています。




城山公園に植栽された染井吉野桜は、市が企画した制度に賛同した、個人・団体等々の名前が記載され各桜に掲示されているが、心無い者が悪戯している。
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