EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

日本100名城紀行 松坂城 2

2010年11月18日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 松坂城 2
 

日本100名城第48番松坂城で、私は第73番目の紀行城である。

画像は、城郭最頂部にある上下2段からなる天守台である。
天守は、3層造りで、北へ連結して敵見櫓、東に遠見櫓を構え、櫓間には多聞櫓を巡らしていたとある。

天守の石垣やその他の石垣普請は、近江国から石工集団「穴太衆」を呼び寄せ積み上げ、石は阪内川流域の自然石を利用したとある。

平成元年から15年掛け11億円を投じて修復したとあるが工事は、滋賀県大津市坂本の粟田建設が手がけたのか調べてみたい。

次は、奈良県高市郡高取町高取にある、第61番高取城跡を訪れる。
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日本100名城紀行 松坂城 1

2010年11月18日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 松坂城 1
 
平成22年11月15日、松山市から7時間掛けて車で松阪城址に行ってきた。

松阪は南伊勢の玄関に位置して古来、軍事、交通の要の地として発展した。
元亀元年(1570)本格的な城郭を築造したのは蒲生氏郷(1556~1595年)とある。

天正12年(1584)6月近江日野城(滋賀県日野町)から松ヶ島城に移った氏郷は、12万石を拝しその後、新城下町を「松阪」と命名した。
紀州藩時代の松阪城は、一国一城令による規制もあって、荒廃の一途を辿り、天守は正保元年(1644)7月29日大風で倒壊し再建されず、築城当初からあった櫓や城門も姿を消し、紀州藩の諸役所と附属舎・石垣・堀の等の防御施設は最小限の修復がなされた。

明治4年(1871)廃藩置県後、城郭は陸軍省管轄に置かれた。
昭和23年(1948)城跡は「松阪公園」の名称で都市公園決定し同27年には三重県史跡、平成元年から同15年までに11億円の巨費を投じ石垣の大修復を行い、同18年日本100名城・日本歴史公園100選に選定された。

日本100名城第48番松坂城で、私は第73番目の紀行城である。

次の紀行地は、第61番高取城に行く。

画像は、蒲生氏郷が築城した「松阪城址石碑と石垣」で登城口に松阪城跡の石碑がある。
揮毫は、裏千家宗匠千宗室で、松阪開府390年記念に昭和35年(1978)の建立。


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