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伊豫松山城城壁石垣刻印散策

2012年12月24日 | 伊予松山歴史散策
日本城郭の石垣には、その城固有の刻印がきざまれている。
伊豫松山城にある刻印は本丸および二ノ丸に広く分布していて、その数も多く、種類も多種多様である。

刻印の位置は本丸の周辺特に北側に多く、大手方面は少ない。天守のある本壇の石垣には見当たらない。それは、天明の落雷で焼失後、安政再建の際焼石を取り除いて新しく石垣を構築したためだろう。

刻印の種類は、蛇の目、井けた、三つ巴、丸に一つ引き、枡形、一つ巴、三ツ星、丸に二つ引き、魔除けの意味を持つ、五芒星があり、昭和22年石垣修復工事の刻印がある。二ノ丸には、萬字紋がある。

刻印については従来から色々の説があるが、現在の所はでは、石工組頭の屋号の説がつよい。しかしこれを裏付けるものは何も残っておらず未解決である。

では、伊豫松山城石垣の刻印をご覧下さい。また松山城にお越しの際には是非観察して下さい。・・皆さん方のお城の石垣にも多くの刻印があると思います。その経緯を研究されてみては如何でしょうか。


鳥瞰図に赤色矢印で示した石垣に刻印が多い


五芒星
本丸隠門続櫓下にある五芒星(桔梗紋・清明桔梗)で魔除けとして使われ、特に明治33年陸軍服制に大将から兵卒まで陸軍の軍帽子には五芒星が刺繍され、弾除け(多摩除け)の意味をかついで採用されていた。
松山城も敵の攻撃から護る・・魔除けの意味をもって刻印されたのか??ここに一つしかない刻印


蛇の目


一つ巴


田の字


枡形


萬字紋


丸に二つ引


三ツ星


丸に十字


これは何の紋か?


丸に一引


田の字の変形か?


隠門続櫓の石垣が本丸最大の高さがある石垣で、幾多の地震にも耐えて来たが、昭和21年12月21日午前4時19分に発生した南海地震で石垣が孕み昭和22年修復時関係者の氏名が刻印されている・・場所は、ロープウエー山頂駅舎からの登城道から最初に見える石垣の隅「算木積石垣」上部にある・・その左に五芒星の刻印がある

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