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NHK大河ドラマ「真田丸」に関する城を辿る・宇喜多秀家の居城「岡山城」その1

2016年11月11日 | 伊予松山歴史散策

現在岡山城跡は「烏城公園」になっており・・その入口(正面)。


大河ドラマ「真田丸」「花燃ゆ」「黒田官兵衛」の舞台となった岡山城、慶長2年(1597)に、豊臣五大老の一人、高橋和也さんが演ずる・宇喜多秀家、旭川の三角州である大洲原の丘陵に築城、秀吉から寵愛され秀吉の一字、秀を貰い57万4,000石を拝領し大大名となった。
岡山城は「別名・烏(う)城(じょう)、金(きん)烏(う)城(じょう)」の名の如く、金箔瓦と漆黒の下見板の3層6階建ての天守が、川面に映える美しい姿を誇る城である。
現天守は、昭和41年(1966)外観復元で再建され、内部には書院造りの城主の間も復元してある。
現存する城郭建造物は「月見櫓」と「西の丸西手櫓」で、共に国の重要文化財指定である。
天守の北側には岡山藩2代城主池田綱政が憩いの場として作らせた「岡山後楽園」があり、旭川に架かる月見橋を渡ってすぐの所にある。
岡山城は、明治6年に公布された廃城令を地元からの存続要請により免れたが、昭和20年 6月29日の岡山空襲で焼失した。
その後、昭和41年 天守を鉄筋コンクリートにて外観復元され、築城400年記念事業として、創建当時の天守には金の鯱が載っており金烏城と呼ばれていたとの伝承から鯱に金箔を施した。

岡山城には二度伺った。その時の画像で一度目は、平成15年11月7日、二度目は、平成21年9月26日であった。


岡山城天守正面(南面)で黒漆を塗った下見板張りが一際目立つ。
天守は信長が築城した、安土城を模したと言われ5角形の変則で典型的な望楼型天守、城主が生活した「城主の間」があるのが珍しい。


後楽園側から観た天守で5角形の天守台に造られているので天守も変則型である。
観る角度によるとまるで違った天守に観える。


岡山城は、別名・金烏城と呼ばれ、その為に平成8年、築城400年記念事業として、創建当時の天守には金の鯱が載っており金烏城と呼ばれていたとの伝承から鯱に金箔を施した。


昭和20年 6月29日の岡山空襲で焼失する前の天守。
岡山城主は、宇喜多、小早川、池田と続き、31万5千石で明治維新を迎えた。


昭和20年 6月29日の岡山空襲で焼失を免れ、現存する月見櫓、国指定重要文化財である。


天守本壇に上る正門で普段は特定の藩士しか入ることが出来ず門は閉ざされていたので「不明門・あかずのもん」の名がある。
入口左の大きな石に「岡山中学の址」と揮毫されている。
不明門は、昭和41年鉄筋コンクリートで復元された。
明治29年11月21日、この地に岡山中学校の校舎が誕生したが、昭和20年6月29日、岡山空襲で城と共に焼失した。
岡山中学校は、現在岡山県立岡山朝日高等学校と改称された。


岡山開府四百年記念 開祖宇喜多氏顕彰碑記念碑。


5角形の天守台の一部で4角形の天守台は、算木積の個所が直角だが、岡山城の天守台は直角ではない。


5角形の天守台の一部で画像真ん中部分が孕んでいる。


天守北側に名勝、後楽園がある。・・後楽園正面入り口。


日本三名園のひとつの後楽園で、岡山城主、第6代池田綱政によって造営された、国の特別名勝に指定されている。
優れた景勝を持つ三つの日本名園で、「金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園」の総称で国指定の特別名勝になっている。


造園は、城主池田綱政が貞享3年(1686)から15年の歳月を掛けて造った庭園で歴代城主の屋敷としても利用された。
総面積は133,000平方メートルあり、東京ドームの約3倍である。


烏城公園入口にある「岡山市観光ボランティア案内所」。
ガイドさんにお願いすると詳しく城内を案内してくれます。


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