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今治市波方町大角鼻にある「メートル立標」 

2017年02月23日 | 伊予松山歴史散策

愛媛県最北端(高縄半島)、今治市波止浜町大角鼻の北端の岩場にメートル立標がある。

愛媛県内では唯一の明治時代、要塞の付帯設備である。

日露戦争の時、最悪の場合帝国ロシア海軍太平洋第二、第三艦隊(通称、バルチック艦隊)が瀬戸内海にやって来た時を想定して、今治市来島小島に芸予要塞が築かれた。

今も煉瓦造りの遺跡が島内に数多く残されている。

旅順203高地を陥落させた時に使われた28センチ榴弾砲は、小島の芸予要塞から移設したものである。

さて、大角鼻の北端に画像のコンクリート柱が一本、ぽつんと立っている。

これは、メートル立標である。

何に使われたかと言うと、大角鼻から北東方向4kmに芸予要塞がある小島から瀬戸内海を通過する敵艦隊を迎え撃つ砲台が設置され、小島の砲台と敵艦隊との距離や方位を計るために建造されたものだそうです。

愛媛県の最北端(高縄半島)、今治市波止浜町大角鼻の北端の岩場にメートル立標。

海は、日本三大急潮の一つ来島海峡である。

メートル立標の説明版で、これを読み始めて建造物の意味が分かる。

今治市波止浜町大角鼻から4km東方向にある小島。

中世から近世初めに掛けて活躍した来島村上水軍の拠点だった。

ここに芸予要塞が造られた。

小島観光案内、今治市観光協会所属のボランティアガイドが案内してくれる。

小島砲台の歴史説明版。

小島要塞の28センチ榴弾砲の跡地。

その説明版。

司令塔跡から見た、しまなみ海道の来島海峡と来島大橋。

レンガ造りの要塞跡が綺麗に沢山残っている。

28センチ榴弾砲で、NHK坂の上の雲のロケに使われたもの。

ロケ終了後は、松山市に寄贈され松山城ロープウェイ山麓駅舎2階に展示してあったが、放映終了後本来の地である小島、今治市に松山市が寄贈した。

現在は、小島の港桟橋に設置され、小島を訪れる観光客を出迎えている。

「日露戦争では作戦参謀であった秋山眞之がバルチック艦隊攻略で考えた丁字戦法はこの海域を支配していた村上水軍の戦法を取り入れたとも言われている来島村上水軍の拠点が小島である。

帝国ロシア海軍太平洋第一艦隊(通称、旅順艦隊)を秋山眞之はバルチック艦隊が来るまでに撃破しておかねばならなかった。そのためには二〇三高地が必要であった。司令塔地として。秋山眞之は陸軍に二〇三高地の奪取を要請した。

陸軍は、旅順で苦戦を強いられているのを見かねた大本営は、難関の要塞二〇三高地を奪取する必要から、ここ小島の大砲(28センチ榴弾砲)2基を旅順に持ち込み、児玉源太郎の厳令で二〇三高地に1発218キロの砲弾を2300発打ち込み、わずか1時間20分で完全に占領したと言われています。」・・その大砲である。

この大砲は、NHKはロケに使用工作は、京都で造られたそうだ。

28センチ榴弾砲の説明版。

今治市小島に移転する前、松山城ロープウェイ山麓駅舎二階に展示してあった28センチ榴弾砲。

小島港に設置された、28cm榴弾砲で、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の北海道で203高地砲撃ロケに使われた榴弾砲、撮影終了後NHKは松山市に寄贈したが、今治市の関係者は、もともと小島にあった28cm榴弾砲だから是非とも今治市小島に設置したいのでお譲りをお願いしたいと申し込まれた。松山市は協議検討した結果今治市に譲ったのである。当初は、もと有った砲台跡地に設置するのが本当の意味があるが、心無いものにより悪戯されてはならないとの思いで小島港に平成25年3月下旬に設置工事が終了した。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲・203高地」の映像より。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲・203高地」の映像より。

今治市波止浜町の大角鼻公園には、大きなスクリュウーが展示されている。

波止浜は造船の町なので新来島どっくが寄贈したそうだ。

大きなスクリュウーの説明版。

50万トンクラスの錨も展示されている。

その説明版。説明版には波方町と記載されているが、現在は、今治市である。

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