EEKの紀行 春夏秋冬

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NHK・スペシャルドラマ「坂の上の雲」再放送を希望

2014年01月22日 | 伊予松山歴史散策
平成21年11月29日・12月6日・13日・20日・27日から第1部が放映され、第2部は、翌年11月29日・12月6日・13日・20日・27日、第3部は、平成23年12月4日から全4回で終了しました。
この放映を待ちかねていた全国の秋山好古・秋山眞之と正岡子規の愛好者の方々がた松山を訪れ、秋山兄弟生誕地にも来て頂きました。質素な生家で立派な方が育ったのは、ご両親の小さい時からの素晴らしい躾(家庭教育)が行き届いていてその両親の教えを大人になっても忠実に守られ、特に父親からは、私利私欲を捨てて、世の為、人の為、故郷の為に尽くせる人になるようにとの教えがあったからだと思いますと・・来館者の方々は言われる。秋山家は、伊予松山藩徒歩目付けの家系で、正岡家と違って家禄は低く裕福な家庭ではなかった。その環境下で育ったのが良かったのかも知れない。好古は、福沢諭吉の学問のすすめを読み、これからの近代国家構築には青少年の教育が肝要、その為には教育者が必要と考え大阪師範学校に入学し卒業後は、名古屋師範学校附属小学校の教師として赴任した。附属小学校に伊予松山藩出身の和久正辰教務官と名古屋鎮台に山本武官がおりこの二人の強い勧めで陸軍士官学校に入学し職業軍人となった。

しかし軍服という甲冑を着ていたが中身は教育者、陸軍大将予備役となった時、郷里伊予松山から北豫中学校校長として要請があった。好古も人生最後にもう一度教壇に立って人生を全うしたいと思っていた矢先の出来事であったのでは?大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退し、大元帥から特旨として官位従二位を拝命し大正13年4月から昭和5年3月まで、東京に奥さんと子供さんを置いて単身で松山に帰り故郷の青少年の教育に身を捧げた。父の教えの通り歩んだ72歳の人生であった。弟眞之の事は此処で書くと長くなるので次回といたします。
さて前文が長くなりましたが、昨年から秋山兄弟生誕地にお越しになられる方々からもう一度スペシャルドラマ「坂の上の雲」を見てみたいとのお声を聞き、それではと秋山兄弟生誕地の運営母体である、公益財団法人常盤同郷会が発企し、全国から来館された皆様のお声と、そして好古・眞之との縁の地である、新潟市、習志野市、平塚市、竹田市の関係者の協力を得て日本放送協会様に再放送のお願いをいたしたく準備をいたしております。
そして念願は1年間で第1部から第3部を放映して欲しいとのご意見があります。
果たしてNHKさんがその願いを叶えて頂けるか?です。


伊予松山城をバックに正岡律さん役の菅野美穂さん、秋山好古役の阿部寛さん
秋山眞之役の本木雅弘さん、正岡子規役の香川照之さん。皆さん名演技でした。
特に子規の最後を演じた香川照之さんは、かなりの体重を減量しての演技は凄いものでした。


伊予松山藩は、朝敵とされ、親藩でありながら幕府からも阻害された伊予松山の子供達、激動の時期を乗り越えた結果が物語の主人公達が輩出された。


出演者も早々たる俳優さん達・・もう一度あの感動の場面を見たい。


第2部のポスター。このドラマは、本木さんが演じる秋山眞之が中心本木さんの演技が素晴らしかった。


第3部のポスターで、松山城観光に来られる方々は、この画像は合成写真でしょうと質問されるので、撮影場所にご案内しております。そして記念写真を撮って差し上げております。NHKのカメラマンさんはいい場所を選定されたと訪れる皆さん絶賛です。
そして、音楽が素晴らしいとおっしゃいます。坂の上の雲のドラマは、一年間の空白があり第2部放映、そしてまた一年の空白を置き第3部放映を見て感激しその思いが半減しましたのでもし放映が叶うのであれば1年間で放映をして頂きたいとの意見があり、私も同じ思いです。
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