EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新春の石鎚山

2014年01月06日 | 伊予松山歴史散策
昨日(5日・日曜日)、私の平成26年最初の松山城当番日で午後から登城した。
自宅を出る前に石鎚山が綺麗に見えたので一枚撮り松山城に向かった。
午後の当番は、午後1時から案内が出来るよう必ず30分前に行き準備し待機する。昨日ご案内した方は、東京23区から来られた4人の家族ずれで、お子さんが小学生と中学生であった。どうもご両親がお城見学がお好きなようで、昨日松山城を案内していたら、下記の質問を受けた。
4日に高知城を見学したが、大手門入口に「国宝高知城」と石碑があったが松山城は如何な城ですかと、松山城も国宝であったが現在は重要文化財で高知城も重要文化財ですと説明すると・・では国宝高知城はどうして石碑が現在もあるのか?と不思議がられた。

それは、明治新政府は、明治6年全国の城郭に対して廃城令を公布した。この時、松山から政府に対して、管理運営に付き一切ご迷惑をお掛けしませんので民の憩いの場として(公園として)存続をお願いしたいと大久保利通卿に嘆願した。すると松山以外から18ヶ所の地から松山と同じような嘆願がだされ政府は、19の城郭(天守)の存続を許可した。存続許可を受けた天守は、松前(北海道)・弘前・松本・犬山・大垣・名古屋・丸岡・彦根・和歌山・姫路・松江・備中松山・岡山・福山・広島・丸亀・高知・宇和島・伊予松山の天守で昭和9年から10年当時は全て国宝に指定されていた。19の天守は先の大戦により大垣・名古屋・和歌山・岡山・福山・広島そして松前の天守は不審火で焼失、現在は、弘前・松本・犬山・丸岡・彦根・姫路・松江・備中松山・丸亀・高知・宇和島・伊予松山で、これが現存12天守として存続し昭和23年まで全て国宝であった。昭和25年5月30日文化財保護法が制定され弘前・丸岡・松江・備中松山・丸亀・高知・宇和島・伊予松山天守は国宝から重要文化財に指定され、松本・犬山・彦根・姫路の天守は国宝として指定された。高知城にある国宝高知城天守は、昭和9年国宝保存法に基づき国宝に指定された時の記念の石碑で、現在は重要文化財指定です。・・と説明すると納得された。
註:国宝保存法は、昭和4年3月28日に制定されたが、昭和25年5月30日文化財保護法が制定され同年8月29日廃止された。


道後温泉本館を建築した、伊佐庭如矢が愛媛県吏員の時、愛媛県参事、江木康直名で明治7年1月10日、内務卿大久保利通に、松山城公園永久維持之儀申上候書を提出。それにし明治7年2月18日、内務卿木戸孝允からの指令、これにより伊予松山城天守・楼門・櫓等々の存続が許された。


平成26年1月5日午後0時06分我が家から撮影。
昨年11月12日初冠雪した石鎚山、一度気温が上がり雪解けがあり再度冠雪し新春を迎えた。


午後2時24分、松山城筒井門東続櫓から見た石鎚山。


松山城本丸戸無門したから見た松山城、太鼓櫓と奥に天守を望む。
東京の方をここで記念の撮影、昨日は画像のように雲一つ無い好天で私も思わず一枚撮った。・・東京の家族の子供さんに「日本晴れ」との言葉を紹介すると意味が通じなかった。最近の若者は使わないのか??
松山城天守は、昭和10年5月に国宝に指定されたが、現在は重要文化財指定である。


天守最上階から(標高約160m)から見た石鎚山。


同じく天守最上階から(標高約160m)少し雲が出てきた。
松山城からこんなに綺麗に見える石鎚山は滅多にない。


午後のガイド終了し後再度、筒井門東続櫓から一枚撮り。
ちょうど神奈川県から来られた方も石鎚山の写真を撮っておられたので少し山の説明もさせてもらった。ニコンのいいカメラを持参してのお城巡りをされていた。


帰りはロープウエーで下山した。この日の松山城は風が無く暖かい午後で絶好の観光日和であった。


午後5時前に自宅に帰り夕日を受け少し赤みを佩びた石鎚山。


同じ時間に少しレンズを引いて。


同じ時間にもう少しレンズを引くと。雲が現れいい感じ・・この気象条件であれば、瀬戸内海に達磨夕日が見れたかも??


同じ時間にズーム一杯にすると石鎚山はこんな感じで、近年地球温暖化が進み積雪が少ない。一昔前1月の時期に山肌が見えなかったが。
コメント
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