EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 6(終)

2010年10月30日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 6(終)
 
画像は、正宗寺境内にある子規の埋髪塔で、明治37年(1904年)子規の3周忌に正宗寺の住職仏海によりたてられ、拝石に彫られた子規像と文字は、下村為山の筆になるものである。

子規は明治35年9月19日に死去後、10月28日にここで遺髪埋葬式と追悼式が行われており、昨日(29日)伺うと糸瓜が献上されていた。
子規の墓所は、東京都北区田端の大龍寺にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 5

2010年10月30日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 5
 
明教館、松山中学、松山東高校同窓会が管理運営している史料館見学のあと、秋山好古の墓所(東京青山霊園から文骨)好古揮毫石碑(天壌無窮・愛媛県護国神社)俳人種田山頭の終焉の地(一草庵)、ロシア人墓地、正岡子規生誕の地、

ホトトギス創刊の地、高浜虚子住居跡地、赤穂浪士(大高源吾・木村岡衛門の墓所)を見学し最後に子規堂を見学して伊予松山紀行の案内は終わった。

実質1日半の強行軍であったが歴史と文学の街、伊予松山を堪能して頂いた。
残念に松山城に行く時間がなく次回に取り置く事とした。

画像は、正宗寺境内にある伊予鉄道から、正宗寺に寄贈された坊ちゃん列車の客車で、(夏目漱石お気に入りの道後温泉行きに乗った本物である。)
その他に子規堂、子規の埋髪塔、(この後画像で紹介)内藤鳴雪の髭塚、高浜虚子の筆塚、ホトトギス発行600号記念の句碑がある。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 4

2010年10月30日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 4
 
画像は、明教館に隣接して松山中学、松山東高校創立110周年記念事業として昭和63年(1988年)10月30日に創設された。

管理運営は同窓会が行っていて史料館には、書簡として正岡子規、夏目漱石、秋山眞之、伊丹万作。
句幅としては内藤鳴雪、高浜虚子、河東碧梧桐、柳原極堂、松根東洋城、中村草田男、石田波郷、わが国を代表する俳人の作。

書幅には加藤拓川、安部能成、水野広徳、桜井忠温、高橋龍太郎、らのもの。
大江健三郎の自筆原稿と卒業写真がある。

そして秋山好古の扁額。
ほかに教員辞令、秋山眞之、正岡子規時代の大試験の採点表があり、二人とも優秀な成績である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 3

2010年10月30日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田氏・来松」坂の上の雲の街松山紀行 3
 
「坂の上の雲ミユージアム」正岡子規特別展を見学の後訪れたのは、好古が勉学した、伊予松山藩藩校「明教館」と松山中学、松山東高校の同窓会が管理運営している資料館を見学した。
明教館は、藩政時代伊予松山藩の教育の場所であった。

後の松山中学、現 愛媛県立松山東高等学校である。
秋山好古は、明教館で学び、秋山眞之、正岡子規は松山中学で学んだ。明治28年夏目漱石は松山中学の英語教師として赴任、名作「坊ちゃん」は松山中学を舞台にして書かれた記念の場所である。

註1:伊予松山の教育の原点は、藩政時代伊予松山藩第10代藩主松平定則が文化2年(1805年)に現松山市二番町に興徳館を設け、また文化6年(1809年)に江戸屋敷、愛宕藩邸に三省館を設けた。第11代藩主松平定通は、文政11年(1828年)2月に、これ等の施設を拡充して明教館を創建しここに本格的な藩学が誕生した。

註:2伊予松山藩第10代藩主、松平定則は、徳川御三卿の一つである田安家(第8代将軍 徳川吉宗の次男で、田安家の祖:田安宗武、その3男が伊予松山藩に養子として第9代伊予松山藩主となる)の血統を受け継ぐ名門の出で若くして17歳で亡くなるが藩の教育に取り組んだ。

その目的が文武の奨励による綱紀の粛正と、文運の振興にあった。明治になり松山中学となる。この様な素地の基、大正8年に旧制松山高等学校が松山市に全国で12番目、四国で初めて設立された。
多くの文人が輩出しているのは、この時代からの素地を受け継いでいるのでは??


画像は、明教館内部で、特別に開館して頂き見学した。
明教館時代、松山中学時代を卒業した有名人の肖像画が掲載してある。
肖像画の掲示順番は、あいうえお順で最初に秋山眞之が掲載してあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市の郷土歴史研究家「神田氏」来松坂の上の雲の街松山紀行 2

2010年10月30日 | 往年の名車 メグロ
新潟市の郷土歴史研究家「神田氏」来松坂の上の雲の街松山紀行 2
 
北豫中学校(現 愛媛県立松山北高等学校)を後にして次に訪れてのが、「坂の上の雲の街」・松山の中核として建設されたのが「坂の上の雲ミユージアム」で現在、正岡子規特別展を開催中で此処を見学した。

画像は、正岡子規が東京大学を中退し、日本新聞社の従軍記者として活躍していた当時を模写して展示したものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする