今日は大失態。試食前に調理した料理を撮ろうと電源を入れたら「メモリーカードがありません」と警告が出てしまった。PCに取り込んだ後常に励行していた“取り込んだら直ぐ戻す”をついうっかり失念してしまったのだ。それにしても今日は失敗の連続で、朝犬の散歩に出た時は雨も殆んど止み、これなら通常通り駅まで自転車でとノンビリ構えていたら急に降出して、時計を見ると歩きではもう間に合わない、傘をさして半分以上は走ってしまった。普通に歩いて27分を8分短縮して何とか間に合ったが、日頃の運動不足が祟ってすっかり疲労こんぱい。
と云う訳で本日の証拠物件は無く、季節柄“赤飯”と旬の筍を使って“筍と豚肉の煮物”“姫皮の吸物”“姫皮の和えもの”4品習った。誰かが「赤飯は電気釜でも作れるネ?」と言ったら、それは「小豆ご飯だ!」と先生が・・・・・蒸し器(家庭の蒸し器での工夫も伝授)で本格的な赤飯の作り方を重点的に習った。
現物の料理の画像が無いので、郡山のタウン誌、毎週金曜日発行の“Newボイス朝日”に先生が毎回レギュラーで『食』について諸々執筆されているので、苦肉の策でその紙面の一部を流用した。
今回発行のこの4月20日号に偶然と云うか【先日NHKーTVで50年前の「今日の料理」の特集が放送され、放送の中の一部に、故小野正吉氏(ホテルオークラ取締役総料理長)がコンソメを引くところがあった。そばにいた若いアナウンサーが「これなら家庭でも直ぐ作れますね」と言った途端「そんなに簡単に出来るものではないですよ、それなりの経験と腕がないと・・・・」と。この番組を見ていた人はどう感じとっただろう。小野氏ばかりでなく50年前の料理番組に出演されている方は、それぞれ料理つくりに対しての哲学をお持ちの上、丁寧にわかりやすく教えておられる。・・・・・・・】と続くが、更に【料理番組には私も50年前から手伝いをし(師匠について行き)、その後は出演もしている。初期は生放送だったのでそれなりに大変だったし・・・・・】と続き、今(コンニチ)の料理番組の一部内容には疑問を持たれる事もある。・・・・等と述べられている。
以前、先生が「私の師匠は田村魚菜だ」と話された事があったので、若しかして自分は“昔既に先生とお逢いしていたのかも知れない?”とずっと思い続けていたが、しかしこの教室は習う所、名前・前歴も一切関係ない場所なのでここを去る時には確認しようと考えていたが、思いも依らず今日このタウン誌で大筋が確認出来てしまった様な気がする。と云うのも、当時自分は入局2年目でTVのVE(ビデオエンジニアー)として先輩に付きマンツーマンで徒弟制度の基で修行中。週一回の料理番組も担当して、副調整室の仕事が主で他のスタッフに比べると出演者との触合いは少ないものの、スタジオに入ってからの打ち合わせには必ず同席するので、出演者の先生に限らず助手の方達とも自然に顔見知りになり、先輩から「魚菜はうるさいからから気をつけろ」と厳しく忠告されていたので特に印象深かった。何よりも人との偶然の出会いが、そして先生とも昔から深い縁があったのではなかったかと、ただ驚くばかりなのだ。
と云う訳で本日の証拠物件は無く、季節柄“赤飯”と旬の筍を使って“筍と豚肉の煮物”“姫皮の吸物”“姫皮の和えもの”4品習った。誰かが「赤飯は電気釜でも作れるネ?」と言ったら、それは「小豆ご飯だ!」と先生が・・・・・蒸し器(家庭の蒸し器での工夫も伝授)で本格的な赤飯の作り方を重点的に習った。
現物の料理の画像が無いので、郡山のタウン誌、毎週金曜日発行の“Newボイス朝日”に先生が毎回レギュラーで『食』について諸々執筆されているので、苦肉の策でその紙面の一部を流用した。
今回発行のこの4月20日号に偶然と云うか【先日NHKーTVで50年前の「今日の料理」の特集が放送され、放送の中の一部に、故小野正吉氏(ホテルオークラ取締役総料理長)がコンソメを引くところがあった。そばにいた若いアナウンサーが「これなら家庭でも直ぐ作れますね」と言った途端「そんなに簡単に出来るものではないですよ、それなりの経験と腕がないと・・・・」と。この番組を見ていた人はどう感じとっただろう。小野氏ばかりでなく50年前の料理番組に出演されている方は、それぞれ料理つくりに対しての哲学をお持ちの上、丁寧にわかりやすく教えておられる。・・・・・・・】と続くが、更に【料理番組には私も50年前から手伝いをし(師匠について行き)、その後は出演もしている。初期は生放送だったのでそれなりに大変だったし・・・・・】と続き、今(コンニチ)の料理番組の一部内容には疑問を持たれる事もある。・・・・等と述べられている。
以前、先生が「私の師匠は田村魚菜だ」と話された事があったので、若しかして自分は“昔既に先生とお逢いしていたのかも知れない?”とずっと思い続けていたが、しかしこの教室は習う所、名前・前歴も一切関係ない場所なのでここを去る時には確認しようと考えていたが、思いも依らず今日このタウン誌で大筋が確認出来てしまった様な気がする。と云うのも、当時自分は入局2年目でTVのVE(ビデオエンジニアー)として先輩に付きマンツーマンで徒弟制度の基で修行中。週一回の料理番組も担当して、副調整室の仕事が主で他のスタッフに比べると出演者との触合いは少ないものの、スタジオに入ってからの打ち合わせには必ず同席するので、出演者の先生に限らず助手の方達とも自然に顔見知りになり、先輩から「魚菜はうるさいからから気をつけろ」と厳しく忠告されていたので特に印象深かった。何よりも人との偶然の出会いが、そして先生とも昔から深い縁があったのではなかったかと、ただ驚くばかりなのだ。