ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

かきのソテー

2006年02月11日 | 男の料理
昨夜のTVで視聴した*木*子先生の簡単料理を早速試してみた。
調理時間およそ20分、手抜き料理?と言ったら先生に叱られるがワインの量も5割増し、レパートリーに追加合格満点だ。
  1、大根おろしで「かき」を洗って水切りをする
  2、胡椒をふりかけ片栗粉で厚めのころもをつける
  3、熱したフライパンにオリーブ油・・大さじ3、バター・・3g
バターが溶けたらかきを焼く、かきは強火で両面を短時間でカリッと焼き上げる。こんなに油を使っているのにサラッとしてバターの味さえ感じない。“かき”の新たな味発見。TVの料理番組を見て“これは旨い!”と感じれば即実行してみる。福島(弁)ではイヤシイ奴!(食いしん坊)と非難されようが、食に対する欲求は“郷土料理”“おふくろの味”は各地の仕事先で、また出張先でも自分の懐(金)ぐあいの範囲内で、安くて美味い物を捜して求めて食べ歩いた事かも知れない。 

3Y0X

2006年02月09日 | アマチュア無線
3Y0Xピーター一世島から史上3回目の大DXペデションが昨日から始まった。この島は南極大陸に近いおよそ南緯69度、西経90度付近にある長さ20キロ、幅10キロ海抜1700mのノールウェー領だ。自然条件も非常に厳しく、島全体が氷で覆われ上陸は困難を極め、船からヘリコプターで行なわれる。
第一回目は1987年1月ノールウェーの極地学術調査隊に便乗して数日間行なわれ、二回目は1994年2月2日から15日までアメリカ・スイス・ベルギー・メキシコ人の混成隊で運用された。
今回もアメリカ人主体の21人のメンバー、11トンの資材50万ドルの費用で16日間の運用が予定されている。
昨日買い物から15時に帰ると、14.023MHzCW、Sメーターは正真正銘599を振っている。とても信じられない強さで、しばらくは誰かの悪戯?と疑ってしまった。まだ自分の信号など、当然世界中から呼び出す想像を絶する信号で埋もれてしまう。お手伝いの出勤時間まで20分、運用開始の確認が出来たので出掛ける事にした。
写真は1、2回目のQSLカード3Y1EE(30Jan87)20mCW,3Y0P I(3Feb94)20.15mSSB
今日11時前ローカルのJN7UKKさんが430MHzで18.073MHzCWに出ていると連絡して来た。11時01分4KHzUPで4発目で返って来た。
16時孫のお供から帰る。14.193MHzSSB58~59で聴こえたが当然ビックパイルアップ、身分相応に後日ゆっくりやる事にする。

ネギ納豆

2006年02月09日 | 男の料理
福島の老舗大文字食品の大粒納豆、北海道産使用と表示してある。他に食堂親父の手作りこだわりの“おおバカなっとう”もあるが値段は3倍、中合デパートふるさと食品コーナーでも買えるが、子供の頃常食した農家手作りの稲藁の“つつこ納豆”(稲藁を束ねてその中に作り稲藁の納豆菌で自然発酵)には到底及ばない。
納豆は季節限定品、何故と言われれば自分は1~3月以外は食べないからだ。
この時期、畑のネギは新芽の成長が始まり一番美味しいので、その新芽だけ刻んで大粒の納豆でのネギ納豆は旬の味?ご馳走だ。欲を云えば辛いネギで涙を流しながら食べれれば最高だが、残念ながら品種改良でそんなネギはもう作れない。
“つつこ納豆”昨年NHK福島で会津柳津町の集落から老夫婦の納豆作りを中継放送していたが、こんなに手間のかかる物、もう若者は見向きもしないので間もなく無農薬栽培の稲藁作りも出来なくなるそうだ。
お土産屋や元祖**納豆のイミテーション藁つつ納豆は残っても、懐かしい昔の味は間もなく消滅する。

おともだち

2006年02月07日 | 撮影編集孫専科
昨日撮影したビデオの1コマ、動画で紹介出来ないのが残念だ。
一緒に生活を始めてもう一ヶ月、すっかり気の許し合える友達になっている。孫の里奈はまもなく2才、犬のポー(ポピー)も7才になる。里奈は本能?で人間の目下と同じ態度で接しているが、犬も人間様と認識して一見忠実に従っている様だが、良く観察するとちょっとした仕種も「俺はお前より先輩だ!」と主張して様にも観えて来る。忠誠心で従った振りをして実は・・・人間社会を犬までも・・・・レンズを通して何とか表現出来ないかと思ったが至難の業だ。

QSL到着

2006年02月06日 | アマチュア無線
JARLから待ちに待った隔月配達のQSLがまたも大幅に遅れて届いた。
遅れは毎回恒常的で、何故か自分の所は遅いのだ。どんな基準で発送処理をしているのか同じ市内でも一番遅い、ひどい時は4~5日後なんて云う時もある。
そうでなくても、JARLは我々の何十年来の楽しみ(毎月配達)を独断で奪ったのだから、せめて最低限配達予定日の月末必着で願いたいものだ。
こんな紙切れも自分にとってはお宝、ほとんどの国のアマチュア無線連盟ではお互いに会員のカードをまとめて転送してくれるサービスがあって、通常では交信して1~2年後にはお互いに受け取る事になる。
最近では時代に即してWebの電子QSLなんて云うのもあって、即プリンターから出てくる局の物もあるが、そんな物に全く価値観は感じられない。
やっぱりラジオ少年時代から馴れ親しんできた紙切れに優る物は他に無い。

大根

2006年02月05日 | 素人百姓
しばらくぶりに快晴、穏やかな好天に誘われ農作業、雪を掻き分け土室から大根を取り出してきた。この大根を使って今夜の夕食に男の料理「おでん」を作る。右側の小さな大根は「辛み大根」蕎麦の薬味に栽培したが納豆の薬味としてもまた絶品だ。蕎麦の薬味?美味い蕎麦には不要、個人的食感なので念のため。
朝方、ラジオ深夜便で榊アナウンサーが投書を読んでいた。家庭菜園から今時収穫出来る野菜の種類の事だったが、榊さんも自分の畑の作物と比較しながら紹介していた。
寮で一緒だったMアナウンサー現役時代の仲間と一緒に千葉県に農家を買った。「休日は農作業だ」と話していたので若しかしたらその畑かも知れない。温暖だからこことは比較にならないが、自分の畑にはもう大根、ネギ、冬菜、3月下旬の春キャベツしか収穫する物は無い。

JA7RC逝く

2006年02月03日 | アマチュア無線
同期生のJA7RCがサイレントキーになってしまった。彼は能代出身で高校時代には何度もCWでQSOしていたが、当然無線だけの付き合でそれ以外の話はしなかったので、同じ職場に配属になって「柳谷」と聞き何となくピンと来るものがあったがお互いに東北人、全国区の集団とは云え言語障害に落ち込み必要以外はしばらく話せなかった。それでも一ヶ月後位には話せるようになり、お互いに偶然の再会を本当に抱き合って喜び逢った。その後初めての転勤先秋田でまた彼と再会、6年後にはお互いに家族同伴でしかも同じ列車で上京した。
職場は違って、また彼は真面目人間だったから仕事一筋で就職と同時に無線は止めてしまったが“元は同じ穴の狢”かけがいの無い親友だった。
自分の生涯の師(親方)JA7AE・JA7BTそしてDXの師匠JA1FHKも皆んな逝ってしまった。淋しい!自分も何時お迎えが来ても決して不思議でない歳になってしまった。以下、親方JA1FHKへの追悼、ADXA誌に投稿したものの再掲載
 ★カベさんJA1FHKの事
10時過ぎ「今朝カベさんが亡くなってしまった」とJA1MJ先輩から突然の電話、我が家でも早朝同居中の義父が亡くなり、葬儀屋と打合せの最中の事でした。
カベさんは私の親方、と言うのも新人研修後に配属された職場に休み時間になると何時もチャック・ドンミラー・ヤスメ・ガスなどと意味不明な会話を楽しんでいる二人(FHK・MJ)が居ました。何となく“ハムの話?”当時はまだ徒弟制度色濃く残る職場、そんな環境の中で東北人の田舎者はタダ聞き耳を立てているのが精一杯でした。
数日後二人はアルバムを広げていました。恐る恐る肩越しから覗き込むと、それはなんとQSLカード。謎が解けて「俺JA7PLです」それからはハム同士のよしみで、当然仕事以上にDXの洗礼を受けたのは云うまでも無く、以来46年間今日まで師弟関係?でした。
私が弟子入りして初めて訪れたカベさんのシャックは、当時FT-241Xtalで自作全盛の時代にQSTでしか見ることがなかったヒースのHX-10にNC-303のラインは、コリンズ派の超リッチマンに次ぐ豪華なものでした。
3月「FEDXP秋田で合同ミーテング、君とハムフェアー以外で逢えるのが楽しみだ」
4月末「仕事で行けなくなった残念!」
7月中旬「DX肴のDVDとても面白かった有難う、仲間に公開してイイかな?」
このメールが最後でした。WARC、5BandDXCCも卒業して近年は75mで都会のノイズと格闘中との事でした。私も師に従って5BandDXCCの紋所がなければ「三途の川も渡れない」そう思う日々・・・・合掌。

              



メンコ集め

2006年02月02日 | アマチュア無線
             
DXCC QSL(交信証)カードアルバムの一部。右下のカードは最近亡くなったヨルダンのフセイン国王から1970年にQSO(交信)した時もらった物だ。
初めてQSO(交信)した時はその証としてお互いにQSLカードを交換する。先駆者達から引き継がれた長い間の慣習で、仲間の間では通称“メンコ集め”とも云う。確かに何の興味も無い人達から見れば単なる紙切れでしかないのだが、当事者にとっては長年の実績を証明する唯一の“お宝”なのだ。
この“お宝”現役時代は、人間様の為でなく機器の為に年間を通して空調完備の職場の個人貸与ロッカーに保管していた。退職時には耐火金庫も考えたが、家庭用では収納しきれず家族から大反発、遭えなく今は本箱で耐えている。
このアルバムは何種類か使って最後にたどり着いたベスト製品だ。20数年後の今も全く同じ製品が販売されているので“メンコ集め”の同士には是非お薦めしたい。
テージーカードコレクションアルバムCA-302、3200円+追加黒台紙
   http://www.teji.co.jp/catalog/Colle_a.html

             
本棚のDXCCアルバム。茶ーMIX、緑ーPH、青ーCWを収納、一冊に台紙18枚追加すると3冊で全カントリー335枚のQSLが収納出来る。
             
DX(外国)のQSLボックス。ホームセンターで一個630円のコミックブックケースを購入、押入れに棚を作ってカントリー・プリフェクス順に収容してある。
DXCCのQSLも所詮は何の価値も無い紙切れゴミだが、無線三昧の全人生、地獄極楽かは知る統べも無いが「花の代わりにQSLをいっぱい詰め込んで同時に灰にする事」と既に告知済みだ。余ったQSLは償却ゴミで処分も結構、せめてこれだけは厳守して欲しいとささやかな願望。

キャベツ

2006年02月01日 | 素人百姓
秋取りキャベツ積雪前に収穫する物だが、わざと遅く植えて寒さ積雪に耐え旨味をタップリ蓄えて今頃収穫する、邪道だが素人百姓の特権だ。
キャベツほど虫がつく作物は他に無く、中途半端な農薬散布では人間様がいただく前に全てチョウチョ(蝶)の餌食になってしまう。そんな訳で一度で挫折してずっと作らなかったが、元は専業農家、今住宅街のド真中で僅かに残った約600坪の畑で種苗研究会?を夫婦で創立、専ら素人相手に苗物を生産販売している親父と近年知り合い「嘘つかっちゃと思って、虫つかねがら秋キャベツと冬越して3月下旬収穫する春キャベツやってみらんしょ」の一言で作り始めたら、なるほど移植時の根元にオルトラン剤一回の散布で、後は白菜同様割り箸でコマめに虫取りすれば自家用には充分耐える物が出来る様になった。
こんな最後の秋キャベツで今日はロールキャベツ、ホワイトソースで仕上る事にする。家族にはワンパターンだと何時も馬鹿にされるのだが、毎収穫時はスタンダード和風・トマトソース+チーズ・ホワイトソースの3種類3回作る。ロールの具はスタンダードの鶏、豚牛合挽き、海鮮海老+白身の魚肉など様々、レシピに忠実、アイデア導入決して手抜きはしない。