ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

12月のBand/Mode New Entity

2013年12月31日 | アマチュア無線
           
先月までのFBなCondxは嘘の様に消え去ってしまい、弱小局で受信能力の劣る当局にとっては再び厳しい現実「聴こえないものは出来ない」が訪れて「ノイズさえ無ければ」「エレメントがあと一本あったら」と残念のオウム返しで、特にLong Passの微弱信号になるとエコーもかかってしまうから、全くお手上げになってしまう。
今月のBand Newは無くJ79WTA(Dominica)20mRTTYのMode Newだけだった。

ゆく年くる年

2013年12月31日 | その他
 
                     
 
                     
半世紀以上も続く「ゆく年くる年」TV中継放送は、現役時代には中継現場スタッフとして16回も関って来た思い出も多い懐かしい番組だ。
未だに相も変らぬ構成と演出も何故かこの番組だけは素直になれて、リタイアー後は毎年欠かさず視聴して、除夜の鐘を耳にしながら一年を振り返り新たな年を迎える。
孫達の自主避難先を何時戻るかも難題ではあったが、我が生き甲斐最優先の道楽、原発事故放射能汚染を引き金に「孫専科」と「素人百姓」を奪われ、遂に今春には老朽化に因る病が発覚して10年間の「手打ちそば打ち」も廃業となった。
近年はようやくどんな粉でも感で打てる様になり、師匠(先生)の下でカルチャースクールやそば打ち体験教室の講師も務めて、大勢の人達と触合いが出来ていたのに、突然全てを失い、一時は失意のどん底まで落込んでしまった。しかし、完治する事は難しいと宣告された事から決断は以外に早く、今後は最後に残った我が人生の原点「アマチュア無線」とリタイアー直後3年習った料理「男の料理」を糧に静かな余生を送る事が最善策となってしまった。

年越しそば

2013年12月31日 | 手打ち蕎麦打ち
          
昨日午後、福島手打ちそば研究会の大先輩Wさんがそばを届けてくれた。
自分が打てなくなって以来「珍しい粉を入手した」と言っては何度も頂戴していたが、この多忙な時期に今年は予定外の自分の分まで気を使って頂き本当に申し訳なかった。
そのそば、孫達は今夜は父親の実家で過ごすので、自分達の昼食に温かい肉そばとして、年越しそばの意味も再確認しながら賞味させていただいた。
若しWさんの配慮が無かったら、愚息が旅先で求めて来た信州田舎そばで済ませるところだったが、粉の産地も明確なしかも熟練した腕前の手打ちは、並みの蕎麦屋では決して味わう事の出来ない美味!だった。そして昨年まで配っていた家では「どんなそばを口にしているのかなー」と申し訳なさも感じた年越しそばだった。