ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

旧友の消息

2013年12月08日 | その他
          
この時期になると毎年旧友会報誌のローカル版、東北版、全国版の三冊が配布され、昨日悪天候の中大先輩のNさんが、路線バスを途中下車して届けてくれた。
郵送でも済むのに、今回もNさんの気配りには大変感謝しながら、満足な謝意も表せないままで誠に申し訳なかった。
何れの紙面も半分は“会員短信”が掲載されていて、疎縁となっていた仲間の消息を知ったり、改めて連絡を取り合った事もあって、こんな事からも一晩で読みきってしまった。
東北版には現役幹部の新任挨拶欄もあり、秋田へ赴任したI局長には未だお詫びの済んでいない苦い思い出があった。
彼の初任地福島で職種は異なっていたが、一歩局外に出れば共同作業で、年配の自分達は、新人の彼等にしては迷惑を承知で、職域を越えた社会秩序の教育係も慣例で務めていた。
そんな事から、三年程して県庁裏阿武隈川向いの職員住宅に住んでいた新婚の彼に転勤の発令が出て8月4日引越しと聞いたが、5日は十数年ぶりに松川の河川敷から県庁裏の阿武隈川へ戻って福島伝統の花火大会開催日。職員住宅先住者としても彼の二階の部屋は特等席で「福島最後の思い出にこれは絶対見てから去れ」と強引に引き留めてしまった。
何と皮肉にも4日は朝から雨、午後からは豪雨となり5日早朝には遂に阿武隈川が大氾濫して職員住宅の一階は水没、音楽家と耳にしていた奥様の高級ピアノと梱包した家具類も全てヘドロまみれになった。自分の言う事を素直に受け入れてしまったばかりに、今から27年前の歴史に残る“8.5大水害”に遭遇してしまったのだ。
同じ町内の自分の家も水没してしまい、復旧対策に追われて遂に彼へのお見舞いとお詫びも出来ないままに別れてしまった。
数年後、古巣東京中継は二度も勤めた“勝手知ったる我が家”的な存在だった事からか、特に年末年始番組には重宝がられて数多く、退職後も応援の声がかかり、ある時エレベーターの中で偶然彼に出会ったが、他人の居る中、しかも短時間ではお詫びの言葉も無いままに再び別れてしまった。
「秋田への新幹線の赴任の車中で三十年前の事を思い出していました。・・・・」と記載されて、恐らく福島駅直前の須川を通過する時は眼下に職員住宅のあった更地を目視しながら、彼は「あの時馬鹿な先輩の言う事など拒否していたら・・・・」と思いながら通過して行ったのではないだろうか。
未だ謝罪していなかった事に何とも申し訳なく、思いたったら吉日と、秋田の旧友F氏に迷惑も省みず、機会があったら「福島の馬鹿が謝罪している」と伝言をMailで依頼してしまった。
これらの冊子は、こんな過去の苦い体験や楽しかった事も思い出させてくれるから、毎年師走には心待ちにしている贈り物の一つでもある。