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閑話つれづれパートⅡその10

2009年09月28日 | Weblog
柔道と私(5)

柔道に限らないけれど、どんな天才にしても一人で上手くなったり強くなったりできるわけではない。優れた先人の技があり、手ほどきをしてくれた先生、先輩そして練習相手として、良きライバルとしての仲間がいる。

私が就職した工場は創立10年の若い企業で、柔道部も創設されて数年しか経っていなかった。すべてに若く元気があった。創設者であり幹事を務める先輩(23歳)と前年の全国青年大会の重量級個人戦でベスト8に進み、その年の全日本実業団柔道大会の「トヨタ自動車愛知」との対戦では、左体落しで貴重な1勝を挙げた先輩(22歳)が弐段。高校時代レスリングの国体選手であった先輩(26歳)が三段で最高段位。会社に入って柔道を始め、近隣の柔道名門企業の道場への出稽古で強くなった先輩(21歳)と、その先輩といつも一緒の先輩(20歳)が初段だった。等々。

段位はあまり違わなくとも、彼ら諸先輩に入社1年目投げられるだけ投げられた。大外刈、体落し、内股そして背負い投げ。社会人柔道のレベルの高さを思い知らされたものだ。もっともその先輩たちにとっては20歳から26歳の最も脂の乗り切った旬の時期であったこともある。その意味で私は恵まれていた。

先輩達には柔道以外でも学ぶことが多かった。特に先輩の多くは酒が強かった。当時は若者に車などなく、携帯電話もインターネットもない時代だ。お金を使うのはもっぱら飲み屋街であった。遠征試合に行っても実業団の全国大会では流石に遠慮していたけれど、県レベルの大会だと前の晩は宿泊地のバーやキャバレーに必ず行ったものだ。試合を終えて帰って来た地元駅前で「なつかしいなあ」などと、陽のあるうちからまた飲み始める始末だった。私などは後ろからついて行っただけで、その後時代が変わったこともあるけれど、主将や幹事になっても諸先輩方の真似はできなかった。人間のスケールが違っていたように思う。

入社当時の同期では弐段の一人と、初段に二人私より強いのがいた。3人とも軽量クラスで、特に上背は私が3人をかなり上回っていたが、柔道では不利だった。しかし、私は3交代勤務の傍ら仲間の誰よりもよく練習した。街を歩けば、すれ違う人達を頭の中で投げ飛ばしていた。仲間には負けなくなっていった。

そんな私が投げ飛ばせない人に出会う。工場の補修期間に入構していた作業員の中に、両足が足場に吸い付くように立っている男を見とめた。「俺は鳶(とび職人)だよ。若い頃には100mくらいわけなく駆け上ったものよ」と話してくれた。入社当時の社長さんもニコニコされていたけど到底技は懸からなかった。けっして満足がゆくまで修業できたとは今も思っていないけれど、その換わり柔道は私に理を超えた多くのものを授けてくれた。
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