「危険がいっぱい」「永久戦争」

「危険がいっぱい」(デイ・キーン/著 松本依子/訳 早川書房 2005)

原題は、”Joy House”
原書の刊行は1954年。

〈わたし〉の1人称。
妻を殺してしまった弁護士の〈わたし〉、マークは逃亡の果てにある救済院へ。
そこでボランティアをしていた、金持ちの未亡人メイと出会う。
メイに拾われ、マークはお抱え運転手としてメイの屋敷で暮らすことに。
2人はすぐに恋仲になり、結婚することになるのだが――。

妻を殺してしまったマークは、警察だけでなく、大物ギャングである妻の兄からの追手にもおびえている。
マークはこの義兄の仕事をしており、そのことを妻に知られ、口論となったすえに殺してしまったのだ。

もちろん、マークはメイと添い遂げるつもりはない。
メイには素性も隠している。
うまく結婚し、別人として国外に逃げたいだけだ。

一方、メイにも過去がある。
卒業後、結婚して裕福な暮らしをしていたメイは、ギャングのリンク・モーガンとつきあうように。
仲間とともに現金輸送車を襲ったモーガンは、メイに一緒に逃亡をもちかけるが、メイは拒否。
そのやりとりのさなか、メイの夫であるヒルがあらわれ、モーガンはヒルを射殺して逃走した。
以後、メイは世間から身を引き、窓に板を打ちつけた屋敷でひっそりと暮らすことに。
「もう一度人生をやり直しましょう」
などとメイはマークいうのだが、それが額面通り受けとれないのは明らかだ。

というわけで、本書は、非常にサスペンスに富んでいる。
雰囲気は、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」や、映画「サンセット大通り」のよう。
文章は、センテンスが短く、軽快。
そしてむやみに煽情的。
いかにも50年代の犯罪小説といった趣きで、大いに愉しめた。

ところで。
巻末に収録された、ミステリ評論家吉野仁さんの解説によれば、「危険がいっぱい」という邦題には、アラン・ドロン主演、ルネ・クレマン監督による映画、「太陽がいっぱい」がかかわっているという。

「太陽がいっぱい」の原作は、パトリシア・ハイスミス。
その後、1964年に、やはりアラン・ドロン主演、ルネ・クレマン監督によるサスペンス映画が公開された。
その作品は続編ではないのだが、「太陽がいっぱい」にあやかり、日本においては、「危険がいっぱい」というタイトルがつけられた。

この映画の原作こそ、本書、「危険がいっぱい」。
つまり、この作品は〈いっぱいシリーズ〉の第2弾だったのだ(シリーズじゃないけど)。
ちなみに、アメリカ公開におけるタイトルは、原作どおり”Joy House”だったそう。


「永久戦争」(P・K・ディック/著 浅倉久志/訳 新潮社 1993)
短篇集。
収録作は以下。

「地球防衛軍」
「傍観者」
「歴戦の勇士」
「奉仕するもの」
「ジョンの世界」
「変数人間」

新潮文庫では以前に、「悪夢機械」(1987)と「模造記憶」(1989)が、同じく浅倉久志さんの編訳で刊行されている。
よって本書はディック作品集の3作目。
タイトル通り、戦争をテーマにした作品を収録したものだ。

「地球防衛軍」
人間が地下で暮らし、地上ではロボットが人間の代わりに戦争をしている世界。
たたかっているのは、アメリカとソ連。
一計を案じたロボットの策にはまり、人間たちはともに平和を目指すことに。
ロボットが、自発的に人間の後始末をしているのが皮肉だ。

「傍観者」
2つのイデオロギーのあらそいをえがいた一篇。
体臭を消し、歯を漂白し、抜け毛を復元する清潔党員と、それをしないことを誇りとする自然党員。
両者のあらそいは、家庭のなかまで入ってくる。
主人公ウォルシュの息子は清潔党員で、義弟は自然党員。
ウォルシュ自身は、どちらも好きにすればいいと思っているが、そうはいかない。
どちらかの側につかなくてはいけない。

「歴戦の勇士」
巻末の解説で、浅倉さんが手際よくこの作品を紹介しているので引用しよう。

《地球と、その植民地として長年搾取されつづけてきた金星・火星連合との関係が悪化し、一触即発の空気をはらんでいるとき、突如としてその戦争の生き残りと称する老兵士が未来から出現した……。秀抜な着想をみごとに生かしきったスリリングな力作》

「奉仕するもの」
「地球防衛軍」と同じく、人間は地下シェルターに暮らしている世界。
アップルクィストは地上で、壊れてはいるもののまだうごくロボットをみつける。
ロボットが自己を修復するのに必要な材料を調達するかわりに、アップルクィストは知ることが禁止されている戦前についての話を聞く。
ロボットを労働力とすることを推進するレジャー主義者と、ロボットを認めない復古主義者に別れて人間たちが戦争をした結果がこの世界だと、ロボットはいうのだが――。
「地球防衛軍」を逆さにしたような作品。

「ジョンの世界」
人間対人間、次いで人間対クローと呼ばれるロボットとの戦争があり、地球は荒廃。
いまでは、人類は月面基地で暮らしている。
そこで、航時船をつかい、歴史を改変し、戦争を未然に防ごうとする計画が実行に。
人工頭脳にかんする論文をもち帰り、戦争以外の用途につかうのだ。
その航時船の乗組員、ライアンの息子のジョンは、発作を起こしては不思議な光景をみていて――。

なぜジョン少年は改変後の世界をみることができたのか。
「彼は一種の平行時間感覚を具えていたにちがいない。ほかの可能な未来に関する意識だ」
という説明がなにやら面白い。

「変数人間」
過去からやってきた男にまわりが翻弄されるという、「歴戦の勇士」をさかさにした話。
いや、こちらのほうが「歴戦の勇士」よりも書かれたのは早かったそう。
再び、解説による紹介文を引用するとこう。

《太陽系外への人類の進出を阻むケンタウルス帝国に対して、地球がまさに戦争をふっかけようとしているとき、過去の時代から突如ひとりの男が出現して、てんやわんやの大騒ぎ》

戦争の予測はコンピュータがするのだが、過去から男があらわれたために、コンピュータは予測できなくなってしまう。
これが、変数人間というネーミングの由来。
この男はどうやって過去からあらわれたのか。
歴史調査部がタイムバブルを過去から回収するさい、回路を早く切りすぎ、その結果バブルは男を連れてきてしまった――というのがその理由だ。

不思議なことにディックは古くならない。
道具立てはさすがに古びているけれど、読めなくなることはない。
これは一体なんだろう。
いまある現実の裏に、もうひとつ別の現実があるという作風のためだろうか。
また、むやみに切実感があるためだろうか。
「傍観者」の設定なんて笑ってしまうけれど、可笑しいのは設定だけで、起こることは痛ましい。
サスペンス性に富んでいることが、作品の寿命を延ばす秘密だろうか。


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