ライトついてますか

「ライトついてますか」(ドナルド・C・ゴース ジェラルド・M・ワインバーグ 共立出版 1987)

訳は木村泉。
副題は「問題発見の人間学」。

もとが英語で書かれた入門書とか、実用書には、やたらと具体的なたとえ話が載せられていて、それを読むのが好きだ。
けれど、ときどき、この情熱を不思議に思う。
英語圏には、ものごとを三人称のレベルでとらえようという共通認識でもあるのだろうか。

本書は、問題というものが、どんな風に発見され、どんな風に解決されるかについて書かれたもの。
書かれている内容から、なんとなくコンピュータ畑から生まれた著作であるらしく思える。
問題にたいする対応が、プログラミング的なのだ。

この手の本らしく、例はとても具体的で、記述はユーモラス。
ぜんたいに警句が散りばめられているというつくり。

警句は、たとえばこう。

「これはだれの問題か」
「この問題はどこからきたか」
「問題を解くより発見するほうが、ずっとむつかしい」
「問題とは、望まれた事柄と認識された事柄のあいだの相違である」
「ユーモアのセンスのないひとのために問題を解こうとするな」
「すべての解答はつぎの問題の出所」
「きみの問題理解をおじゃんにする原因を3つ考えられないうちは、きみはまだ問題を把握していない」
「他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに、それを解いてやろうとするな」
 ……

たとえ話のなかからは、タイトルの由来のものを引こう。

あるトンネルの主任技師が、トンネルに入る前にこんな標識をだした。
「注意、前方にトンネルがあります。ライトをつけてください」

すると新しい問題が起こった。
トンネルを出て400メートルばかりいったところに、高い場所から広びろと湖を見下ろせる、世界一ながめのよい休憩所があり、そこでながめを楽しんだひとたちは、車にもどったときバッテリーがあがっていることに気づくはめになったのだ。

で、これはだれの問題か。
運転者か、同乗者か、主任技師か、県知事や警官や自動車連盟か。

これを自分の問題としてとらえた主任技師は、出口にスイス的(この話の舞台はスイスなのだ)厳密さによる掲示文面を考えだした。

「もし今が昼間でライトがついているなら、ライトを消せ
もし今暗くてライトが消えているなら、ライトをつけよ
もし今が昼間でライトが消えているなら、ライトを消したままとせよ
もし今暗くてライトがついているなら、ライトをつけたままとせよ」

こんなものを読もうとしたら、車はガードレールにぶつかって、湖の底深くごろごろと落ちていってしまう。

そこで主任技師は「かれらの問題」方式を採用。
運転者たちはこの問題を解決したいという強い動機をもっており、ただちょっと思い出させてやることを必要とするだけのことだと仮定した。

かれらには、「ライト、ついていますか?」といってやれば十分なのだった。

さらに文章はこう続く。
「もし、かれらがそれでは間にあわないていどにしか頭がよくなかったとしたら、かれらはバッテリーあがりよりも、もっと重大な問題にいくらでもぶつかっているはずだ」

こういうものの見方を教わってから、施設や店内の標識に目をくばると、また面白い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« シェイクスピ... 歩く »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。