七人の風来坊

「七人の風来坊」(ホーソーン 岩波書店 1952)
副題は、「ホーソーン短編集」。
タイトルのあとには「他四編」とある。
岩波文庫の一冊。
手元にあるのは、1990年版の第10刷。
訳は福原麟太郎。

ホーソーンの作品は「バベルの図書館」シリーズの「人面の大岩」(1988 国書刊行会)ではじめてふれた。
表題作にもなっている「人面の大岩」がとくに面白かったおぼえがある(というより、ほかはみんな忘れてしまった)。
また、訳者の福原麟太郎さんの本では、「チャールズ・ラム伝」をとても楽しく読んだ思い出がある(いま検索してみたら、親しんだ講談社文芸文庫はもう手に入らないみたいだ)。

さて、本書は114ページの薄い本。
全部で5編の短篇がおさめられている。
どれも手ごろに読めて楽しい。
内容は以下。

「七人の風来坊」
「人面の大岩」
「ハイデガア博士の実験」
「デイヴィッド・スウォン」
「泉の幻」

だいぶ昔の本なので原文は旧漢字。
好みでいうと、「泉の幻」がちょっと落ちる。
あとは甲乙つけがたい。

「七人の風来坊」
旅の途中の〈私〉。
夕立を避けるため、車輪つきの家といった感じの四輪馬車をたずねる。
馬車の主人は、オルガンの音とともに踊る人形舞台をもって野外集会にいくところ。
馬車にはもうひとり若い男がいて、馬車の一角を借りて本屋をしている。
それから、のぞき眼鏡の見世物をもつ男女やら、〈私〉にたかる〈私〉より金持ちそうな老占い師やら、本文で「赤色土人」と書かれたペノブスコット族の男などが雨宿りに。
みな、野外集会へいくところ。
では、そろって集会にいこうと7人は大いに盛り上がるが…。

エッセイ風の短篇。
6人はなにかしら一芸あるのに、若い〈私〉にはなにもない。
「人間は一人前になるためには稼業がなくっちゃいけない」
と、いわれて〈私〉は思わずいう。
お集まりのお客衆に即席の小説なんかを話したいんだ。遍歴小説家になりたいんだ。でなきゃ生まれた甲斐がないんだ。
この〈私〉はきっとホーソーンの分身だろう。

〈私〉の切実さと、雨があがり集会へむかうとなったさいの活気に満ちた場面が、ないまぜとなって、素晴らしい効果を発揮している。
話の落としかたも、常套的だけれどうまい。

「人面の大岩」
盆地にあるその町からは、ひとの顔のような岩山が見えた。
その目鼻立ちは高雅で、表情は壮大にして甘美。
町には、この町の出身者で、岩山そっくりの顔をした優れた人物があらわれるという予言があった。
町で育ったアアネストは、その人物に会えるのを心待ちにしていたが…。

アアネストの人生を、町の出身者である偉大な人物がつぎつぎと横切っていく。
大商人だったり、将軍だったり、大統領候補だったり、詩人だったり。
と、ここまで書いて思ったけれど、本書の短篇の大部分は、基本的な設定が述べられたあと、くり返しが続くという、昔話の手法がとられている。
ひょっとすると、これがいま読んでも、古びてるとは思うものの面白さが損なわれていないと感じる源なのかも。

「人面の大岩」は再読だったけれど、気持ちのいい話だ。

「ハイデガア博士の実験」
老博士ハイデガアが、4人の旧友の協力を得てある実験をする。
それは、フロリダ半島の南部、マカコ湖から遠からぬとこにある『青春の泉』から採取した水を飲むこと。
この泉の水には、若返りの効力があり、ためしに押し花にされた博士の思い出のバラをその水にひたすと、バラは往年の姿をとりもどす。
友人たちが半信半疑でその水を飲んでみると…。

これも寓話的な作品。
前の2作にくらべて、教訓臭が強い。
読んでいて、芥川龍之介の短篇を思い出した。

「デイヴィッド・スウォン」
生まれ故郷からボストンにむかう途中の青年、デイヴィッド・スウォン。
ボストンでは、雑貨屋を営んでいる叔父が番頭にしてくれる予定。
朝から歩きづめのデイヴッドは、乗合馬車を待とうと、気持ちのよい泉のそばでぐっすりと寝入る。
するとそこへ、年配の商人夫妻が乗った馬車がやってきて、泉のそばで故障。
修理のあいだに、夫妻はよく寝ているデイヴッドをみつけて、心引かれるものを感じ、後継ぎにしようかと考える。

その後の展開を話してしまうと、馬車の修理が終わるとともに、夫妻はこの思いつき恥ずかしい、常識はずれなものだと感じて去る。
そのあとにも、眠っているデイヴィッドのもとに、可愛らしい娘やら、悪党やらがあわられるのだけれど、デイヴィッドはいっこうに気がつかない。

これもまた、昔話の手法をもちいた寓話的な一篇。
長新太さんの絵本「ブタヤマさんたらブタヤマさん」(文研出版)を思い出したけれど、絵本を思い出すひとはあんまりいないかも。

「泉の幻」
エッセイ風の一篇。
〈私〉が、泉のなかに美女の姿をみたという幻想譚。

福原麟太郎さんの解説によれば、本書の作品は、トワイス・トウルド・テイルズと称される短篇群のなかから訳出したものだそう。
その短篇群なかには、アメリカの伝説や信仰、歴史にまつわる作品も多いらしいのだけれど、いままでわが国で紹介されてきたのは、本書のような寓話的な作品ばかり。
それは、アメリカ文学紹介者がホーソーンのアメリカ的特殊性を避けて、人生の寓意に富んだ普遍的な物語を選んで紹介したためだ、というのが福原さんの説。
もっとも、これは50年以上前に書かれた文章なので、いまでは事情がちがっているかも。

「七人の風来坊」にかんしては、これまで訳がなかった。
福原さんによれば、トワイス・トウルド・テイルズのなかで一番よい作品。
ほかの4篇とちがい、人生に遊ぶ趣味を語っているところがあり、なかなか味が深いという。
その意見には賛成だけれど、でも個人的には愛着のある「人面の大岩」に一票を入れよう。


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